徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

今年は能が見られるか

2022-08-30 21:28:36 | 伝統芸能
 8月も明日で終わり、9月は例年なら秋のイベントが目白押しとなるシーズン。しかし、コロナ感染が高止まりの状態では開催を見送るイベントも多いだろう。
 ところで今年は能の公演をまだ一度も見ていない。コロナ禍が始まった2020年こそ観能ゼロだったが、昨年は予想外に4つの舞台を見ることができた。今年は3年ぶりの開催がアナウンスされていた「出水神社薪能」が感染拡大のため急遽中止となり、9月には「藤崎八旛宮例大祭・新町御旅所御能奉納」が予定されているがどうなるか予断は許さない。また例年10月の「熊本城薪能」も未だ開催のアナウンスはなく、模様眺めをしているのだろう。せめて1回でも見ることができたらラッキーなのだが。


2021年3月水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト」熊本公演より「三番叟・揉ノ段」

牛縊坂のはなし。

2022-08-29 20:56:48 | 歴史
 今日は新型コロナワクチンの4回目接種を受けた。これまでの3回はかかりつけ医で受けたが、今回は接種券が届いた時点で既にかかりつけ医の方は空きがなかったので、昨年4月に開業した近所のクリニックで接種を受けた。
 接種の後、経過観察で30分間、院内の一室に待機させられた。何もせず30分というのは結構長い。ぼんやりしているとふと、このクリニックの前を通る道が「牛縊坂(うしくびりざか)」であることを思い出した。道端には「牛縊坂」と書かれた石標も立っている。



 僕が子供だった戦後間もない頃のこの坂の風景を思い浮かべた。当時は旧国道3号線(豊前街道)と牛縊坂が交差していて、加藤清正の時代に豊前街道は上り下りとも牛縊坂で直角に曲がる桝形道路(クランク)になっていた。荷馬車はよく見かけたが、牛が引く荷車はもう見かけなかった。今石標が立っている辺りが坂を登り切った地点で、かつてはこの辺りに牛を繋ぐにほどよい木立ちがあったのか、あるいはそのための柵が設けられていたのかもしれない。実はここから南の方へ進む街道沿いに商家が軒を連ねていて、運んできた農産物などはいちいち牛に運ばせるわけにもいかないので、ここに牛は繋いでおきあとは牛方が手持ちしたのだろう。中には不浄(肥汲み)車もやってきただろう。そんな昔に思いを馳せているとあっという間に30分が過ぎた。
 ちなみに、「牛縊」を「うしくびり」と読むのは熊本だけかと思ったら、福島県郡山市に「牛縊本郷(うしくびりほんごう)」という地区があるらしい。


江戸時代前期の京町の絵図。赤いラインが「牛縊坂」




京町の周辺地域からこんな感じで荷物を運搬していたのだろう。



残念な風景

2022-08-28 19:30:45 | 熊本
 今年の夏も過ぎ去ろうとしているが、毎夏、残念な思いをするのが熊本市西区花園町の成道寺。室町時代に創建され、やがて600年の歴史を有する古刹である。かつて夏目漱石ら文人も訪れたというこの寺は熊本の名所の一つとして観光案内にも掲載されていた。しかし今は閉鎖状態。荒寺の惨状を晒している。
 僕らが子供の頃は近場の絶好の避暑地だった。園内の池には湧水が流れ込み涼を求めて訪れる人々は整備が行き届いた木陰の遊歩道の散策を楽しんだものだ。母が幼稚園勤務の頃、研修会場として使っていたという本堂も今は雨戸が閉められたまま。
 ここは個人所有資産で所有者ご本人は再興するつもりはないらしい。また、市も個人資産である以上手が出せないという。熊本西環状道路のバイパスが通り、周辺の環境も激変しつつある。しかし、環境省選定の平成の名水百選にも選ばれた湧水は、今日もこんこんと流れ出し、清流成道寺川となって田畑を潤している。やがて秋になれば成道寺は紅葉の名所でもある。
 かつての美しい成道寺の風景を憶えているだけに、このまま荒れていくのが忍びない。


7年ほど前の夏の成道寺


成道寺から流れ出た湧水は清流となって田畑を潤す。

二人三番叟にアクセス集中!

2022-08-27 21:29:18 | 伝統芸能
 昨夜、8年前に投稿した「二人三番叟」の記事に一時的にアクセスが集中した。そういえば「にっぽんの芸能」で「二人三番叟」をやるとかいってたなと思い出し番組表を確認すると、花柳寿々彦と藤間直三による「二人三番叟」が放送されたあとだった。その番組を見た視聴者が検索したのだろう。
 8年前の6月、某社の祝賀会で舞踊団花童のくるみ・あやのコンビが「二人三番叟」を披露することを知り、特別の許可をいただいて潜入し、見せていただいた時の映像をブログで紹介したのだった。ナマの義太夫節はその1年前、県立劇場で人形浄瑠璃「八陣守護城」を見て以来二度目だった。実はこの日、リハーサルから見ていたが、くるみ・あやのコンビによる初めての「二人三番叟」にもかかわらず、なかなか見ごたえのある舞だった。
 この動画は限定公開にしていたが、これを機会に公開することにした。


金剛寺とポンポコニャ

2022-08-26 21:25:02 | 歴史
 このところほぼ巣ごもり状態なので、今日は遠出にならない範囲を車で回ってみようと思い、父が若い頃勤務していた五町小学校(今の西里小学校)の校区を回ってみた。たまにフードパル熊本に買い物に行くぐらいでめったに行かない地区。井芹川沿いに田畑があり、住宅は段丘上にある。しばらく走っていると「金剛寺」の入口を示す看板が目に入った。道幅の狭い急坂を登って行くと寺らしい建物が見えてきた。そこでハッと気づいた。「これが和泉町の金剛寺か!」。実は10年ほど前、民謡「ポンポコニャ」に登場する金剛寺が現在どこにあるのかを調べたことがある。歌詞では京町から中坂を下ったところにあると唄っているが、現在はないので移転したことはわかっていた。金剛寺と名の付くお寺を調べ、そのいくつかに電話でおたずねしたが、その一つが今日偶然見つけた金剛寺だった。その時のご住職の話では「この寺も古い歴史を持つが昔の記録がほとんど残っていないのでわからない」とのことだった。
 実は、郷土史家の鈴木喬先生(2010年没)が「ポンポコニャ」の歌詞の由来について調べた論文が存在することを当時は知らなかった。歌詞に出て来る金剛寺は現在、新屋敷町にある金剛寺(通称 中将姫)のことだった。
 今日訪れた金剛寺は「ポンポコニャ」に登場する寺ではないが、今日の出会いはけっして偶然ではないような気がした。


金剛寺(熊本市北区和泉町)


金剛寺(熊本市中央区新屋敷1丁目)



梅花藻(バイカモ)余談

2022-08-25 20:51:44 | 音楽芸能
 フォローさせていただいているブログ「折にふれて」さんの昨日の記事に、中山道醒井宿の地蔵川に咲く水中花「梅花藻」が紹介されていた。
 彦根在勤の頃、この醒井宿(さめがいしゅく)を通り、さらに北東へ車で10分ほど行った辺りの「泉神社湧水」へよく水汲みに行ったのでなじみのある地区である。しかし、「梅花藻」を見たことは一度もない。地蔵川の水源である「居醒の清水(いさめのしみず)」も「泉神社湧水」も同じく伊吹山を源とする名水。一度くらい「梅花藻」が咲く頃に「居醒の清水」へも行っておけばよかったとくやまれる。

(写真:産経新聞より)


 さて、「梅花藻=水中花」とくれば、われわれの年代は「愛の水中花」を連想してしまう。「愛の水中花」とは1979年に放送されたテレビドラマ「水中花」の主題歌で主演の松坂慶子さんが歌い大ヒットした。なお、作詞は五木寛之さん。
 この時、松坂さんは27歳、まさに匂い立つような美しさだった。



 その松坂さんは「愛の水中花」を、西部劇映画「帰らざる河」におけるマリリン・モンローのように歌いたかったらしい。曲のイメージも声質も違うので似ているとは言い難いが、マリリンのあの囁くような、吐息が漏れるような歌い方をしたかったのかな。


女子アナの面影

2022-08-24 22:27:35 | 
 今から45年も前に出逢った忘れられない一人の女子アナがいる。といっても当時は女子アナなどという名称を使った覚えはない。いわゆる女子アナブームが始まるのはそれから10年くらい後だったと思う。
 それは1977年のことだった。その年、ブリヂストン防府工場の第一期工事が竣工し、防府市民に対してのお披露目となる「開所式」を行うことになった。工場内でのセレモニーなどのほか、ブリヂストン久留米吹奏楽団を招き防府市公会堂において「防府市民に贈る吹奏楽の夕べ」を開くことになった。その担当を命じられ、様々な準備事項があったのだが、それはともかく、当日のMCをどうするかということになり、交渉上手の僕の上司がテレビ山口(tys)と掛け合い、女子アナをノーギャラで派遣してもらうことになった。当日やって来たのは入社後2、3年といった感じの若手女子アナだった。こちらで作った進行表をもとにさっそく打ち合わせた。打ち合わせ中ちょっと不安げな表情が見えたのでこの人で大丈夫かなという不安がよぎった。ところがいざ始まると、僕なら足が震えそうな定員1800名の会場に満員のステージ中央にスタスタと進み、何のよどみもない堂々たる司会ぶり。訓練を受けているとはいえ、その潔さと度胸に凄いな!と感動した。彼女とはそれっきりお会いすることもなかったが、今どうしておられるのだろう。

晩夏のメランコリー

2022-08-23 22:44:47 | 
 今日は「二十四節気」のうちの「処暑」。本来は暑さもおさまってくる頃だが、しばらくは真夏日が続きそうだ。
 それはさておき、会社を辞めてもう25年も経つというのに、よく仕事上でミスをする夢を見る。それも実際には経験したこともない、そんなわけないだろ!というようなミスだ。時には大汗をかいて目を覚まし、あぁ夢でよかったと胸をなでおろすこともある。これって何なんだろう。しかも、朝、目覚めた時までは覚えているが、時間が経つとどんな内容だったかも思い出せない。一度専門家に聞いてみたいものだ。
 この季節になるとおきまりの聴きたくなる曲がユーミンの「晩夏」。メランコリックな詩とメロディがたまらない。




坂の町 長崎

2022-08-22 21:28:31 | 
 あれほどうるさかった蝉の声もあまり聞こえなくなり、学校の夏休みも終わりに近づいてきた。会社員の頃、高校や高専の夏休みが明けると本格的なリクルーティングが始まる。彦根の時は関西一円だけでは心もとないので九州もテリトリーに入っていた。特に長崎を重点的に廻っていたが、どの学校も坂を登ったところにあり、レンタカーでの訪問ではあったが、まだナビなどもない頃で、地図を片手に慣れない街を登ったり降りたりの連続は結構大変だった。聞きしに勝る坂の町を味わったものだ。
 そういえば、2015年4月に始まったブラタモリ第4シリーズも第1回は長崎で「"坂の町・長崎" の始まりとは?」というテーマだったことを思い出した。高低差が大好物のタモリだけに楽しげに歩き回っていたが、僕が学校訪問で回った時は高低差は障害としか思えなかったものだ。


新日本紀行「石だたみの街で~長崎~」に登場したオランダ坂と活水学院の女子学生たち



第27回くまもと全国邦楽コンクール ~映像を見ながら~

2022-08-21 21:10:12 | 伝統芸能
 6月12日、熊本市民会館で行われた「長谷検校記念 第27回くまもと全国邦楽コンクール」の映像がYouTubeで公開されたので、当日のことを思い出しながらじっくり鑑賞した。
 最優秀賞・優秀賞・奨励賞の受賞者の演奏を再見できたのは嬉しいのだが、受賞できなかった出場者の中にもう一度聴いてみたい方もおられたのでそれが残念だったが、映像編集の都合もあると思うのでやむを得ない。
 審査員を代表して講評された藤本草さん(伝統音楽プロデューサー)のお話の中で、27回目にして初めて熊本県から最優秀賞を受賞された箏曲の清原晏(きよはらはる)さんについて触れておられた。「清原さんが選ばれたのはけっして地元へ配慮したわけではなく、永い間、熊本の邦楽関係者が全国コンクールを開催し、邦楽の発展に尽くしてこられた努力が清原さんという形で結実したものだと考えている」というお話に感動した。
 素人の浅見に過ぎないが、今回の選考には昨今の演奏テクニック重視から、長谷検校の時代の「地歌のこころ」へ原点回帰する考えが働いたと思いたい。

※参考:くまもと全国邦楽コンクール「長谷検校と九州系地歌


題名のない音楽会と1964年

2022-08-20 21:48:29 | 音楽芸能
 テレビ朝日「題名のない音楽会」は先週・今週とショパン国際ピアノコンクールで同じ第2位となった二人、反田恭平とアレクサンダー・ガジェヴ(イタリア)によるショパンを中心とした素晴らしい演奏を堪能した。
 ところでこの「題名のない音楽会」の放送が始まったのは1964年、僕が上京して大学へ入った年だったので印象深い。初代の司会者はクラシック音楽の作曲家黛敏郎さんだった。それから50年後の2014年、50周年を記念する番組が放送され、1964年を語るにふさわしい曲が取り上げられたが、いずれも懐かしい思い出の曲ばかりだった。
 その中から次の3曲を選んでみた。

 この年に行われた東京オリピックの記録映画(市川崑監督)の音楽を担当したのが黛敏郎さん。交響組曲「東京オリンピック」より第1楽章「聖火リレー」



 この年公開されたジェームズ・ボンドシリーズ第3作目「007/ゴールドフィンガー」の主題歌「Goldfinger」をシャーリー・バッシー の歌で



 この年公開のミシェル・ルグランが音楽を担当したミュージカル映画「シェルブールの雨傘」より、代表的な歌曲「Devant Le Garage」。


廃れ行く?祭り・郷土芸能

2022-08-19 21:52:57 | 日本文化
 昨夜のNHK「時論公論」は「コロナ禍の夏祭り 伝統を絶やさないために」と題して高橋俊雄解説委員が解説した。
 過去2年間の中止、「ことしこそは」の思いのなか、第7波襲来、行動制限も行われず、各地では感染状況を踏まえながら難しい個別判断を迫られた。各地では簡素化、規模を小さくする、参加人員を減らすなどの対策が取られた。コロナ禍の終わりが見通せない中、これが定着化すると祭りや郷土芸能の姿が変わってしまう。従来より過疎化や少子高齢化により担い手がいなくなるという深刻な課題を抱えていた。コロナ禍によってこの流れが一層進み、無くなったり姿を大きく変えてしまうことが現実味を帯びてきている。祭りや行事、郷土芸能を残すには「経験の継承」と「技術技能の継承」が重要。コロナ禍が始まって今年で3年。3年というのは継承の岐路である。祭りや郷土芸能は地域の人々の永年にわたる営みを今に伝える文化財として貴重なだけでなく、地域を繋ぐ場としての役割を果たしてきた。感染対策に気を配りながらできる範囲だけでも継続し、感染が終息したら元の姿で続けて行ってほしい。

と結んだ。
 ちょうど2年前、同じような趣旨のブログ記事を書いた記憶があったので再掲してみた。 

▼廃れ行く村祭り(2020年8月19日)
 コロナ禍が拡大の様相を見せているが、全国各地で伝統の祭りの中止が相次いでいる。古来より農村共同体の産土神に五穀豊穣を祈ったり感謝したりする村祭りは、農村人口の減少や高齢化、少子化などを背景として、祭りの担い手が減少。祭り存続は危機的状況に立たされている。そんな中でのコロナ禍による中止が、祭りを廃滅へと追いやることが懸念される。
 千年を超える歴史を有する玉名市の梅林天満宮で毎年11月25日に行われる梅林天満宮例大祭も今年は中止が決まった。この祭りで行われる流鏑馬神事は「ヤクサンドン」と呼ばれ、江戸時代前期には既に始まっていた記録が残っている。この流鏑馬は、梅林地区内の津留、安楽寺、下の3地区の氏子が輪番で取り仕切る「節頭」を務める。かつては当番の地区が費用も負担していたが、現在では住民の積み立て制度が取り入れられている。しかし、この祭りも今では担い手の減少に悩まされている。かつては各村々の神社祭礼等で奉納されていた流鏑馬が今なお残る希少価値の高い梅林天満宮流鏑馬。現下のコロナ禍で廃滅への道を進まないことを祈るばかりである。

来年は同じことにならないという保証は何もない。


今年中止された山鹿灯籠踊り

キツネの嫁入り

2022-08-18 20:12:39 | 日本文化
 先日、外出する時、車のドアを開けようとすると空は晴れているのに雨がパラパラっと落ちてきた。思わず「あ、キツネの嫁入り」と口走ったのだが、車を運転しながら「どうして晴れた日の雨のことをキツネの嫁入りと言うんだろう」と今さらながら疑問が湧いてきた。
 帰ってからネット検索で「キツネの嫁入り」を調べてみた。この言葉には二通りの意味があり、
  • 夜、山野で狐火が連なっているのを、狐の嫁入りする行列の提灯と見ていったもの。
  • 日が照っているのに、小雨の降ること。日照り雨のこと。
とあった。

 熊本では後者の意味で使い、虹が出たときに言うのが熊本の特徴であるという。そこで、そもそもの由来を調べてみると、キツネは稲荷神の神使として崇められる一方、人を化かすという民間伝承もあり、日照りの日に雨を降らすという超常現象を起こせるのはおキツネ様の仕業に違いないと信じられてきたようだ。しかし、それがなぜ嫁入りになるのか腑に落ちる説明は見出せなかった。


通り雨が過ぎた後、立田山の上に虹が


 そこで思い出したのが1990年に公開された黒澤明監督の映画「夢」の第1話「日照り雨」に描かれたキツネの嫁入りの話。これは黒澤監督の創作だと思われるが、昔の人々のキツネに対する畏敬の念を表現したのだろう。
 また、少年の母が、キツネの家は虹の下と少年に教えるが、熊本の伝承と符合するのも面白い。


映画「夢」第1話「日照り雨」のキツネの嫁入り行列シーン

[あらすじ]
 日照り雨が降る日、少年は母から「こんな日はキツネの嫁入りがあるからけっして外に出てはいけません。もし、それを見たら怖い目に遭いますよ」ときつく言われたにもかかわらず、怖いもの見たさでつい見に行ってしまう。森の中の木陰で様子をうかがっていると、やがて立ち込めた靄の中にキツネの嫁入り行列が現れる。身を隠しながらおそるおそる覗いているとキツネの一行は少年に気付いたようだった。少年は怖くなって慌てて家へ逃げ帰る。すると門の前に母が立っていて「お前は見てはいけないものを見た。さっきキツネが来て怒っていた。そしてこれを置いて行った。」と短刀を手渡される。「それを持ってキツネのところへ行って謝っておいで。それを返して両手をついて一生懸命謝るのよ」そう言いながら母は「キツネが許してくれない限りお前を家に入れることは出来ない」と門戸を締めようとする。少年が「でもキツネの家がどこかわからない」と言うと母は「こんな天気の日には必ず虹が出る。キツネの家はその虹の下よ」と言って門戸を締めてしまう。少年は虹を目当てに歩いて行く。


叔父と野球

2022-08-16 21:24:18 | スポーツ一般
 連日熱戦が続く全国高校野球選手権大会は今日は3回戦。熊本県代表の九州学院が国学院栃木を破り12年ぶり3度目の8強入りを決めた。
 九学OBの叔父も空の上のどこかで見て喜んでいるに違いない。


 今日の夕方、散歩をしに熊本城二の丸広場の方へ向かった。藤崎台球場の方から気合の入った声が聞こえるので廻ってみた。プロ野球独立リーグの九州リーグ、火の国サラマンダーズと北九州フェニックスの試合が行われていた。今度ゆっくり観戦に来るか、と思いながら帰途についた。



 九州学院でキャッチャーとして活躍した僕の叔父は、昭和6年に卒業し、当時、有望な若手を集めていた熊本のノンプロチーム「オール熊本」の一員として熊本市役所に勤務した。その後、先輩に誘われて鳥栖鉄道管理局に移籍し、まだプロ野球が誕生前の頃、最強と言われた門司鉄道管理局の一員としても活躍した。叔父がもし今の時代に生きていたならば火の国サラマンダーズに入っていたかもな、などとしょうもないことを考えながら歩いていた。

77回目の終戦記念日

2022-08-15 18:00:10 | 鎮魂
 今日は77回目の終戦記念日。昼前に熊本県護国神社(熊本市中央区宮内3-1)に参拝し、わが祖国の礎となられた方々への追悼と感謝の誠を捧げた。
 この神社はだいたい月一度はお参りしている。いつも拝殿の前でお参りした後、「従軍看護婦慰霊碑」にも手を合わせることにしているが、今日はあらためて石碑に刻まれた碑文を読み直してみた。次のように書かれている。

昭和12年に勃発した日華事変から大東亜戦争の終結までに日本赤十字社が派遣した救護班は960班、延べ人員33,156人もの「戦時救護看護婦」を戦地に派遣し、戦地に於ける敵襲・病院船への魚雷攻撃・内地の病院勤務中の空襲・原爆による殉職救護員は1,143名、負傷者は4,689人に達したと云われている。しかし従軍したのは日赤の看護婦だけではなく、陸軍・海軍の応召看護婦、「ひめゆり学徒隊」等女学生にも及び、その方たちの犠牲を合わせると殉職者の数は膨大な人数に上るが、正確な記録は残されていない。
       建立 熊本県護国神社崇敬会  満ソ殉難者慰霊顕彰会
          平成24年10月10日


昨日は神職のみで「みたま祭」が行われた。


今日午前中に「大東亜戦争終結平和祈願祭」が行われた。


従軍看護婦慰霊碑