徒然なか話

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清正公の遺骨はどこに? ~ 永遠のミステリー ~

2010-09-21 17:52:51 | その他
 鶴屋デパートで行なわれていた「清正公400年遠忌記念 加藤清正と本妙寺の至宝展」が最終日だったので見に行った。最終日ということもあってか、ここ数年に見た展覧会と名の付く催しの中では一番人が入っていた。熊本での“セイショコサン”人気の高さをあらためて実感した。本妙寺に伝わる清正公ゆかりの古文書や書画、甲冑などが展示されていたが、直筆の書状「ゆめの事」や、二条城における豊臣秀頼と徳川家康の会見に立ち会った際、懐中に忍ばせていたという短刀などは特に興味深かった。僧侶をやっている高校の後輩が会場で案内をしていたので、以前からの疑問をぶつけてみた。それは「本妙寺には清正公の遺骨は残っていないのか」ということだ。一般的には、後を継いだ加藤忠広が改易され(1632年)、庄内藩預りとなった時に、墓を荒らされることを怖れて密かに持ち去ったと言われており、現に、今の山形県鶴岡市の天澤寺には清正公のお墓がある。彼の答えは、「本妙寺の地下深く、遺骸はそのままの形で埋葬されている、と本妙寺では言い伝えられている」とのことだった。永遠のミステリーだ。