徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ビートルズも遠くなりにけり

2014-01-31 20:12:10 | 音楽芸能
 今日の午後、車で移動中、FMクマモトの「ビート・マックス」という番組を聴いていた。その中で、2人のリスナーに電話を繋ぎ、MCが出題するクイズの解答を競わせるコーナーがあった。出題された中に、音楽を聞いてその演奏者を当てるという問題があった。流れてきたのはビートルズの「イン・マイ・ライフ」だった。曲名はともかく歌っているグループの名前はすぐ答えるだろうと思った。ところが、若いリスナー二人ともわからない。MCもちょっと意外だったらしく、さかんに「カブトムシ」などとヒントを言って解答を促すのだが、二人とも答えられない。僕も「エ~ッ!」と思ったのだが、よくよく考えてみればビートルズが解散してからもう40数年。二人のリスナーもそうだろうが、40代なかばより若い人たちは、ビートルズのことは知らなくて当たり前なのだということに思い至った。
嗚呼 ビートルズも遠くなりにけり。


こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)

2014-01-30 20:17:10 | 時事
 「赤ちゃんポスト」を題材にした日テレのドラマが物議を醸しているようだ。現場の悩みや苦しみ悲しみなど全く取材もせず、話題性だけを求めたドラマだからこうなるのは当たり前だ。
 「こうのとりのゆりかご」がスタートした7年ほど前、何度かこれについてブログに書き込んだことがある。あらためて読み直してみた。

▼赤ちゃんポスト(2006-11-10)
 熊本市島崎の慈恵病院が実施すると発表した「赤ちゃんポスト」が、全国的にセンセーショナルな話題となっている。今年84歳になる母は永年、養護教員を務めていたが、その昔、この病院とも連携していたことがあるそうで、今回の話も全然違和感はないと言う。この病院は、明治時代の後期、フランス人のカトリックの神父がハンセン病患者の救済施設として創設した起源を持つ。母が島崎で養護教員として活躍していた終戦直後の頃は、戦災孤児などを救済する孤児院として「待労院」の名前で知られていたそうだ。もともとカトリックは堕胎を許していない。従って、望まれずして生まれてきた子供たちの養育に宗教的使命感を持っている。そんな歴史的、宗教的な背景も知らず、TVなどではコメンテーターたちが勝手なコメントをし、「赤ちゃんポスト」なる名称だけが一人歩きしている。

▼赤ちゃんポスト 「こうのとりのゆりかご」(2006-11-13)
 先日書き込んだ「赤ちゃんポスト」の記事と同趣旨のメールを慈恵病院に送っていたが、それに対し、看護部長から次のような返事が来た。

 メール有難うございます。ご心配頂いている「赤ちゃんポスト」の名称ですが、当院では「こうのとりのゆりかご」と名づけ、そこに預けることが目的ではありません。妊娠かっとうしている多くの女性に“ご相談ください”とメッセージを伝えるものです。相談により尊い命が救われます。その事が大切だと考えています。今後共、よろしくご支援願います。お母様によろしくお伝え下さいませ。
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〒 860-0073
  熊本市島崎6丁目1番27号
  医療法人 聖粒会 慈恵病院
  (TEL) 096-355-6131
  (FAX) 096-359-8221
  看護部長 T・Y
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▼こうのとりのゆりかご(2007-04-05)
 熊本市がついに、こうのとりのゆりかご(俗称:赤ちゃんポスト)の設置を許可した。まずは、全国に先駆けて設置を申請した慈恵病院・蓮田院長とそれを許可した幸山熊本市長に敬意を表したい。全国的に物議をかもす中、「抵抗感を感じる・・・」などと何の解決にもならない間抜けな発言をした首相もいたが、もともとこの件に抵抗感を感じない人などいないのだ。それは蓮田院長や幸山市長とて同じだろうと思う。しかし、それより優先すべきは子どもたちの生命を守ることである。政治的な判断というのは、すべて優先順位をどうつけるかにあると思う。その意味で今回の一件は大変教訓を含んだ歴史的判断になるだろう。

▼こうのとりのゆりかご(2007-05-16)
 慈恵病院の「こうのとりのゆりかご(俗称:赤ちゃんポスト)」にさっそく子どもが預けられたということでマスコミも大騒ぎしている。まぁ、第1号だから騒ぐのもわからなくはないが、そのために作られた施設だから別に驚くことはない。預けられたのが3歳児ということが意外だったらしいが、年齢制限をしているわけじゃなし、当然ありうることだ。元は一緒だった待労院(同じ敷地内にあるハンセン病等の救済施設)では終戦直後、孤児の救済もやっていたから何も驚いていないと思う。それにしても第1号のニュースを受けての閣僚たちのアホな発言はあきれるばかりだ。相変わらず「あってはならないことだ。」だと。どうして、まず「子ども一人の命が救われてよかった!」と言えないのだろう。すべて大人の目線でしか物事を見ていない。今の世の中、昨日起こった母親殺しは言うに及ばず、「あってはならない」ことだらけだ。そんな社会にしてしまった政治の罪は大きい。

そうだ 本妙寺 行こう。

2014-01-29 19:15:38 | ファミリー
 昨日、次男の手術が無事終わった。6時間にも及んだ手術を家族控室で待つ間、ふと神仏への祈願のことが頭に浮かんだ。正月の初詣は加藤神社と藤崎八旛宮それに水前寺・出水神社にお詣りし、家族の健康のことも祈願したばかりなのだが、ほかにも詣るべきところがなかったろうか、と考えた。そして思い付いたのが本妙寺。
 江戸時代、全国に広まった「清正信仰」の総本山が本妙寺。その第一番のご利益が「病気除け・病気平癒」である。嘉永3年(1850)には、かの吉田松陰も弟の病気平癒祈願のため参詣したという。
 さっそく今日、本妙寺へ行った。胸突雁木の下まで車で登り、胸突雁木を歩いて登った。浄池廟にお詣りを済ませると何か清々しい気持になった。ひと時、浄池廟前の広場から熊本市内の景色を眺めて過ごした。


浄池廟中門


浄池廟


清正公が眠る浄池廟は、遺言どおり熊本城本丸と同じ高さにある。

天神さん

2014-01-28 20:50:51 | 歴史
 昨夜のKBC九州朝日「ドォーモ」で、博多一の繁華街、天神を行き交う人々に「天神」の名の由来を尋ねていたが、ほとんどの人が知らず、「天神さんとは誰のこと?」と聞いてもわからないのにはビックリした。
 僕はたまたま、かつて住んだことのある防府に菅原道真公を祀った防府天満宮があったので、道真公が海路大宰府へ下る時、防府に立ち寄ったことや、その後、道真公が博多に上陸したことを知っていた。だから漠然と「天神」という地名は道真公ゆかりの地名なんだろうなぁと思っていた。
 たしかに天神で働いている人や買物などで訪れた人にとって別に知らなくても困ることはないと言われればそれまでなのだが。
 翻って、日頃、無意識に呼んでいる熊本の地名の中で、「由来は?」と聞かれて答えられないものがありはしないか気になってきた。
 ちなみに全国で最古の「天神さん」は「防府天満宮」で 904年の創建である。
※写真は防府天満宮


♪梅は咲いたか

2014-01-27 16:36:59 | 音楽芸能
 今日はまさに陽春と言うべき麗らかな一日だった。車の給油に出かけたついでに護国神社の梅園を覗いてみた。ほとんどまだ蕾だが、開花の早い紅梅はほころびかけているのがところどころに見えた。今日のような日和が続けば、来週あたりは一気に開花が始まるかもしれない。思わず「梅は咲いたか」を口ずさんでいた。

♪梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳なよなよ風次第
        山吹ゃ浮気で 色ばっかり しょんがいな~








不思議な虹を見た!

2014-01-26 20:16:21 | ファミリー
 今日は入院中の次男を見舞いに久留米へ家内と行った。久留米市内で次男の妻や孫たちと落ち合い、昼食を済ませた後、入院先の久留米大学病院へ。明後日、手術を控えている次男は至って元気、みんなで1階のドトールコーヒーショップで午後のひと時を過ごした。病室の西病棟10階からの展望が素晴らしく、西側を眺めると篠山城やブリヂストン久留米工場などの向うを筑後川が流れ、さらにその遥か先には脊振山系が望めた。病院の真下にはかつて住んでいたブリヂストンのアパートが見え、感慨深いものがあった。
 久留米からの帰り道、国道3号線清水バイパスから打越の方に入り、熊本電鉄の打越踏切のところまで来た時、南側の空に不思議な虹を見た。何か良いことの予兆であれば嬉しいのだが。


懐かしい風景。左下には住んでいたアパートが見えた。


コーヒーショップで


不思議な虹を見た。左下に熊本城が見える。

新感覚舞踊 ~ 恋灯篭 ~

2014-01-25 18:53:49 | 音楽芸能
 ♪男と女 あやつりつられ 細い絆の 糸引き ひかれ・・・

 そんな歌の一節が口をついて出てくるような不思議な舞踊だった。
 昨夜のNHK-Eテレ「にっぽんの芸能」では初世 尾上菊之丞 振付による奏風楽「恋灯篭」に魅了された。「竹田からくり」の「回り灯篭」をモチーフとして、灯篭から抜け出た、扇を持つ享楽の男、花を持つ情熱の女、笠を持つ感傷の女の三人が織りなす恋模様が妖しいまでの美しさで繰り広げられた。三人の男女を演じたのは花柳琴臣、藤蔭静寿、花柳喜衛文華。花柳琴臣さんは昨年、2回舞台で拝見して、その舞姿のしなやかさや美しさを強く印象づけられていたが、昨夜の踊りもさすがだなと思った。




龍馬も歩いた八丁馬場

2014-01-24 14:12:48 | 熊本
 千四百年を超える歴史を有する健軍神社は、直線1200mの参道が有名だ。市民には八丁馬場と呼ばれるこの参道は、現在では国道57号線で分断されたり、周辺の開発が進んだりして、僕らの子供の頃の厳かな杉並木の雰囲気はだいぶ損なわれたが、かつての偉容の名残りは感じることが出来る。また、この八丁馬場は昔の街道「木山往還」の一部ともなっており、沼山津の横井小楠を3度訪ねた坂本龍馬もこの参道を通ったであろう。1回目か2回目かの訪問の時、小楠宅で一夜を明かした龍馬を、小楠は隣人に八丁馬場まで送ってもらった記録が残っている。龍馬を送った隣人が「時々わからない言葉で話していた」と龍馬について語っている。
 八丁馬場について熊本市のホームページには次のように紹介されている。

▼健軍神社杉馬場
 県立商業高校脇の電車通りに、健軍神社の大鳥居がある。この鳥居をくぐって暫く東へ進むと、道が急に広くなり、その南手に折損した大銀杏がある。通称八丁馬場と呼ばれるのは、これから東に直線で健軍神社の門前までの区域である。両側には加藤清正の頃植栽したと伝えられる杉並木があるが、戦中・戦後の荒廃により、現在では神域に近い部分のみその亭々たる偉容を見ることができる。杉並木の間の中央参道は、清正の頃の騎馬訓練の馬場として利用されていたので、その名がついたという。8町(約900m)というが実際にはそれより長く、10町40間(約1200m)あると言い、江戸時代明和頃(1764~1772)には大杉300本があったと記されている。






端唄 さのさ 考

2014-01-23 16:10:20 | 音楽芸能
 数ある端唄の中で僕が最初に知ったのが「さのさ」。江利チエミさんが歌う「さのさ」をNHK紅白歌合戦で見たのが昭和33年(1958)だった。だから今でも端唄と聞いてまず思い出すのは「さのさ」である。今日では江戸端唄の一つとして紹介されることが多いが、もとは江戸時代末期に中国から長崎の出島に伝わった明清楽の一つ「九連環」が日本風にアレンジされて「法界節」となり、さらに庶民に親しみやすい端唄として「さのさ」に変化したもの。花柳界で盛んに唄われ始めたのは明治30年代になってからだそうだ。
 この「さのさ」の歌詞は無数にある。というのは即興で歌詞をつけて歌うことを粋としていたので、当然、歌詞は歌った人の数ほどあり、中には夏目漱石の「坊っちゃん」に出てくるような英語混じりのハイカラな歌詞まであったようだ。下の“ザ・わらべ”が踊る「さのさ」は一昨年他界された端唄・小唄の名人、神田福丸さんのバージョン。上品で切れも良く何度聴いてもあきない名唱だ。


僕の原風景 ~ 一本榎 ~

2014-01-22 21:43:21 | 
 この写真は僕の「原風景」とも言える写真の1枚である。場所は玉名市小浜の菊池川右岸堤防沿いの道と玉名市内から来る県道が交わる辺りに、かつて「一本榎」と呼ばれていた大木があった。僕がまだ小さい頃、母の実家がある大浜町へ行くのは上熊本から高瀬駅(現玉名駅)まで汽車に乗り、高瀬駅から大浜までの約3kmを歩くしかなかった。母に手を引かれ、てくてく歩いた行程のちょうど中間あたりにあったのがこの「一本榎」だった。
 長く熊本を離れていて20年ほど前に帰って来た時、ふと思い出してここへ来てみたが、既に枯死したそうで無くなっていた。海達公子の日記にも、「一本榎」の辺りから大浜まで川舟で川下りを楽しんだことが書かれている。
 ここ菊池川の堤防はかつての木蝋生産の名残であるハゼ並木が有名だ。寛文年間から熊本藩ではハゼが特産品奨励として植栽されて木蝋生産が盛んに行われ、藩の財政を支えた。現在では木蝋生産は行われていないが、秋には美しく紅葉するハゼ並木として、市民に親しまれている。
 なお、この写真は一昨年他界された河野龍巳先生からいただいたものである。


那須山の想い出

2014-01-21 20:29:32 | 
 ちょうど30年前の今頃、栃木県黒磯市(現那須塩原市)の工場に勤務していた僕は、那須高原にある会社保養所の管理も担当していたので、多い時は週のうち3回は那須高原に登って、施設の状態をチェックしたり、常駐の管理人さん夫妻と打ち合わせしたりしていた。那須高原は冬は結構雪が降る。当時はスパイクタイヤが全盛の時代で、よほどのことがない限りチェーンを使うこともなかった。
 ある日、雪道で車を停め、困り果てている様子の親子4人連れに出会った。親父さんも大学生か高校生の男の子二人も、車の脇にチェーンを拡げたものの、どうしていいのか全く分からずお手上げの状態だった。聞けば、横浜からやって来たが、夏タイヤのままなので、もうこれ以上は無理だと、チェーンの装着を始めたのだという。それはさぞお困りでしょう、というわけで、僕とその日ちょうど同行していた施設補修の建築担当者と二人で代わりにやってあげることにした。実は僕もチェーンを装着したのはそれまでに2、3回しかなかったのだが、この建築担当者が車に滅法強い人で、実に手際よく作業を進め、あっという間に装着が終った。横浜の親子4人は何度も頭を下げながら目的地へ向かって発車した。車が走り去るのを見ながら、もし僕一人だったら、おそらく2倍も3倍も時間がかかったに違いないと、ちょっと冷や汗をかく思いがした。


オードリー・ヘプバーン没後21年!

2014-01-20 18:43:04 | 映画
 今日はオードリー・ヘプバーンの没後21年にあたる日。先日もBSプレミアムで、女優松下奈緒が、オードリー・ヘプバーンの足跡を辿り、ゆかりの地を訪ねるドキュメンタリーを放送していたが、どうしても見入ってしまう。何年経ってもそのイメージは全く色褪せない。


「昼下りの情事」撮影時のオードリーとゲーリー・クーパー



▼オードリー・ヘプバーン出演作品 マイベスト5
1.昼下りの情事(Love in the Afternoon)
2.ローマの休日(Roman Holiday)
3.ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany's)
4.マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)
5.麗しのサブリナ(Sabrina)

▼番外特別作品
・噂の二人(The Children's Hour)
・許されざる者(The Unforgiven)

熊本県産米粉のうた 初披露!

2014-01-19 16:05:23 | 音楽芸能
 熊本県では、県産の米粉を利用した食品の普及と認知度拡大のため、様々なキャンペーンを展開しているが、その一環として今日、上通アーケード入口のびぷれす広場で「くまもとの米粉商品販売会」が行われた。
 その中で、このほど完成した熊本県産米粉のPRソングがお披露目された。この歌は民謡歌手で、RKKテレビ「夕方いちばん」のクッキングなどでも活躍中の西村直子さんが作詞作曲したもの。歌うのは4歳のつるたこはるちゃん。今日はスタジオバイラスの女の子たちが、くまモンをイメージしたスタイルで踊りを添えた。





野林祐実さんの進学先は・・・

2014-01-18 20:12:59 | スポーツ一般
 テレビ朝日の番組、先週の「マツコ&有吉 怒り新党」の中の「新・3大○○」で陸上女子短距離の土井杏南さん(埼玉栄高)を取り上げていた。ロンドン・オリンピックに出場したとはいえ、まだ女子短距離のトップではない選手をバラエティ番組で取り上げるのは極めて珍しい。その土井杏南さんの進学先は大東文化大に決まったそうだ。
 土井さんといえばどうしても僕は野林祐実さん(九州学院)の進学先が気になるところだが、こちらはスポーツ誌の情報によれば立命館大学が確定的という。立命館大学の女子陸上部は、駅伝が圧倒的に強いことを知っているが、短距離陣はまだ人材不足なのか、野林さんが入部すれば相当な補強になるだろう。まぁ、彼女自身が自分の競技生活にとってベストの進路選択をしたのだろうから、それを信じて心から応援したい。
 思えばちょうど50年前の1964年、僕自身の大学進学に際して一番先にスポーツ推薦の声をかけてくれたのが立命館大学だったことを思い出した。どうでもいい話だが・・・

▼昨年の熊本県高校総体・女子100m

水前寺成趣園 きもの月間!

2014-01-17 22:07:35 | イベント
 水前寺成趣園では「水前寺活性化プロジェクト」の一環として、2月は「きもの月間」が行われます。
 期間中「きもの姿」の方は入園料が無料となるほか、下記のパンフレットに書かれているような「きもの」に関するさまざまなイベントが繰り広げられます。
 2月はぜひ「きもの姿」で水前寺成趣園を訪れてみませんか!




2月1日のオープニングイベントや22日のあかりのイベントには舞踊団花童も登場します。