徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

年末のご挨拶

2014-12-31 13:22:01 | 
 本年も当ブログをご訪問いただき大変ありがとうございました。
 明年も、日々の思いを拙い文で綴ってまいりますので、何の得にもなりませんが、時々立ち寄っていただければ大変ありがたく存じます。
 引き続きどうぞよろしくお願い申しあげます。
筆主敬白


▼先祖への年末挨拶
 26日に立田山のわが家の墓参りは済ませたのだが、昨日、所用の帰りに立田山麓の泰勝寺跡の前を通ったので、ご先祖様への年末のご挨拶をしてきた。といっても、泰勝寺参道脇にわが家のルーツとなった家がかつてあったというだけで現在は家も何も残っていない。


泰勝寺山門前の広場


幼い頃の父が毎日、泰勝寺の長岡家に伺候するために通った鉤型の門跡


正月の装いも済ませ閉門されている自然公園入口。色褪せた大河ドラマ誘致活動の幟も寂しげ。

大河ドラマ誘致活動サイトへ

待ってました! ブラタモリの復活!

2014-12-30 17:58:28 | テレビ
 NHKの「ブラタモリ」が3年ぶりに復活する。街歩きを趣味とするタモリが、江戸時代・明治時代などの古地図を手にかつての江戸およびその周辺を探索するシリーズは大好きで欠かさず見ていた。真似をして古地図片手に熊本の街中を歩いてみたりもしたものだ。ぜひ地方版もやってもらいたいと願っていたが、今年の春、タモリの勤務体制(?)が大幅に変わり、地方出張も可能になったということで復活が決まったらしい。記念すべき復活第1回の舞台は京都。材料には事欠かない申し分ない舞台だ。さらに今後どこまで探索の範囲が広がるのか楽しみである。

最近のテレビ番組から

2014-12-29 22:07:32 | テレビ
 昨夜のNHK-Eテレ「古典芸能への招待」では、今月行なわれた「京都南座顔見世大歌舞伎」から、「仮名手本忠臣蔵」の「七段目 祇園一力茶屋の場」が片岡仁左衛門、中村勘九郎、中村七之助ほかの出演で、さらに「恋飛脚大和往来 新口村」の一部が中村梅玉・片岡我當・片岡秀太郎らの出演で放送された。僕の一番好きな歌舞伎役者、片岡仁左衛門の貫禄はさすがだが、中村勘九郎のセリフ回しが段々、父勘三郎に似て来たのが印象的だった。

 興味はあるのに、なかなかじっくり読むことがない「古事記」。BSフジで今日から始まった「『古事記の世界』CGアニメでひも解く日本誕生物語」はそんな僕には絶好の番組。今日の第1話「国生み」に始まり、第2話「黄泉の国」、第3話「天の岩屋 ~姉弟神の対決~」、第4話「八俣大蛇 ~英雄の誕生~」、第5話「根の堅州国(ねのかたすのくに)~新たなる試練~」、第6話「国譲り ~日本国成立~」と6日連続で放送される。出演はホラン千秋、里中満智子(漫画家)、三浦佑之(立正大学 教授)。

舞踊 長唄 「菊」 (娘十八ゃ)

2014-12-28 14:42:33 | 音楽芸能
 今年9月19日のNHK-Eテレ「にっぽんの芸能」では、昭和6年にこの曲を初演した初世吾妻徳穂をフィーチャーしながら、禿(かむろ)・町娘・御守殿・村娘・花の精という役柄を四人の立方によって演じた舞踊が放送された。中村花誠先生によれば、すべての役柄を一人で踊る流派もあれば、四人で踊る流派もあるという。今回はくるみさんの花童卒業公演にふさわしく、禿以外はくるみさん一人で踊り切った。
 ところで、この舞踊のシナリオを書き、作詞も担当したのが中内蝶二(なかうちちょうじ)という、明治・大正・昭和にかけて活躍した演劇評論家・劇作家・小説家・作詞家とあるが、多才で日本舞踊のシナリオから西欧ものの翻訳まで幅広い活躍をした人だという。歌舞伎舞踊ではほかに「十返りの松」という作品もある。新派の名女優、初代水谷八重子の代表作の一つ「大尉の娘」もこの人の作品のようだ。国立国会図書館デジタルコレクションの中に明治38年に出版された「乙女十種」などという著作も残されているが、この長唄「菊」もそうであるように、どうも女性を描くのが得意な人だったようだ。
 前述の「にっぽんの芸能」は放送時も見たが、もう一度、今回のくるみさんの舞台と見比べてみようと思って録画を探したのだが、どうも誤って消去してしまったらしく見当たらない。残念だ。


餅つき

2014-12-27 19:27:57 | ファミリー
有明も三十日に近し餅の音(松尾芭蕉)

 毎年のことだが、今年も妹の家で正月の餅を一緒に搗いてもらう。餅つきと言っても今は餅つき機の時代。もう27日というのにちっとも年末の実感がなかったが、搗き上がって並べられた餅を見ると、なんとなく辺りも正月近しの風情に見えてくるから不思議だ。








クリスマスの約束

2014-12-26 17:55:08 | 音楽芸能
 クリスマスの夜は毎年、この番組を見るのが恒例となった。今年でもう14回だそうだ。ただ、今回の放送はこれまでの歴史を振り返るという趣向になっており、今年の演目はあまり放送されなかったのは残念。
 近年僕は「にっぽんの芸能」(NHK-Eテレ)などで見る和楽以外の音楽番組はほとんど見なくなった。ポップス系などの音楽番組を見るのは1年のうち、この「クリスマスの約束」が唯一といっていい。この番組の魅力は、何といっても小田和正の高い音楽性に他のアーティストも引っ張られて、見事な大人の音楽を紡ぎ出すところにあると思う。音楽業界の低年齢化志向に対するアンチテーゼのようでもある。
 年末も押し詰まって来たが、僕は「NHK紅白歌合戦」には全く興味がなく、もう10年以上も見ていない。




マイブログ 2014ベスト(下半期編)

2014-12-25 20:16:10 | 
 一昨日の今年上半期4本に続き、下半期のブログ記事の中で、特に忘れられないものを3本あげてみた。

ファミリー・ヒストリー 叔父編(10月19日)

 34年前に他界した僕の叔父のヒストリーを数年前から調べ始めたのだが、ほとんど手がかりも見い出せなかった。ところが、このブログを見ていただいているMさんが叔父と同じ九州学院のOBであることがわかり、事情をご説明して何か調査の手立てはないかとおたずねしたところ、同窓生の方からの情報などをいろいろ集めて送っていただき、今後の調査に希望が湧いてきた。Mさんには心から感謝申しあげたい。



むかえる山の秋の日のいろ(10月24日)

 父が生前、最も懐かしがっていた初任配置の松尾小学校(現松尾東小)が、児童数の減少により他の学校に統合されるというニュースに、矢も盾もたまらず、学校をアポなし訪問した。突然の訪問にもかかわらず、先生方に暖かく応待していただき、校長先生は貴重な時間を割いて学校の状況を懇切丁寧に説明いただき感謝に堪えない。後日、父が書き残した赴任時の思い出を校長先生宛てに送ったところ丁寧なお礼のお便りをいただいた。




花童くるみ 花童卒業公演(12月24日)

 舞踊団花童そして少女舞踊団「ザ・わらべ」のリーダー・くるみさんが、来春の高校卒業と同時にプロの舞踊家として歩んで行くことが決まり、チームを離れることになった。同時に師匠である中村花誠先生が新たに創流される流派の第1号の名取となることも決まり、3月には披露が行なわれる予定だそうである。
 思えば僕が「ザ・わらべ」の舞踊に初めて出逢ったのは5年前の10月「みずあかり」の時。通りかかったNTT西日本の前の特設ステージで踊っていたが、日本舞踊について何も知らなかった僕にも、その時、中学1年生だったくるみさんのしなやかな踊りはひと際目立っていた。大勢の観客がステージを取り囲んでいたが、すぐ傍で見ていた中年女性の「この子、色気あるよね~」という言葉がとても印象深かったことを思い出す。以来、僕はすっかり「ザ・わらべ」にハマってしまい、あっという間にサポーター歴5年となった。彼女にとってこれからが正念場。引き続き応援して行きたい。

花童くるみ 花童卒業公演

2014-12-24 11:53:42 | 音楽芸能
 昨夜は、くまもと県民交流館パレアで行われた舞踊団花童のくるみさん卒業公演を見に行く。彼女の舞姿を見ながら、5年前、初めて彼女の舞姿を見た時のことを思い出し、ふと心に浮かんだのは世阿弥の言葉。室町時代に能を大成した世阿弥は花伝書のなかでこう述べている。

 まづ童形なれば、なにをしたるも幽玄なり。さりながら、この花は真の花にはあらず。ただ時分の花なり。

 世阿弥は能に取り組む少年について述べているわけだが、これは芸能全般、男女の区別なくあてはまると考えられる。つまり「子どもはただそれだけで姿かたちそのものが美しく、何をしても幽玄であるが、それはまことの花ではない。ただその年頃ならではの時分の花にすぎない」と。
 さらに、子どもの時代を過ぎる十七八の頃についてこうも述べている。 

 一期のさかひここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず。

 ここが一生の分かれ道だと、生涯をかけて能をやり抜く覚悟をもって稽古をするほかにない。つまり、この年代の頑張りいかんで人生が決まるとも言っているのである。

 くるみさんは花童を卒業することによって、「少女舞踊」あるいは「ザ・わらべ」というレッテルが外れる。「時分の花」であったわらべの時代が終わり、一人の大人の舞踊家として「まことの花」を追究しながら歩んで行かねばならない。来春には中村花誠先生が創流される新しい流派の第一号名取になるとも聞く。ハードルを一つ一つクリアしながら、新しい道を切り開いて行ってほしいと願ってやまない。後に続く後輩たちのためにも。ずっと応援し続けます! 





マイブログ 2014ベスト(上半期編)

2014-12-22 18:54:23 | 
 今年も既に350本を超える記事をこのブログに書き込んだ。その中で特に忘れられない記事をあげてみた。今日は今年上半期から4本。

幸山さんの12年(6月3日)

 幸山さんのお父上とわが父が親しい間柄にあったことから、熊本市長選初出馬の時からずっと応援してきただけに寂しいものがあった。今後の幸山さんの動向に注目。


 


かずちゃんの快挙!(5月1日)

 わが従姪のかずちゃんが所属する必由館高校・和装文化部が「2014全日本きもの装いコンテスト世界大会」の学校対抗の部で1位という快挙には驚いた。この貴重な経験を今後の人生に生かしてほしい。




嗚呼 細川ガラシャ(4月6日)

 贔屓歴5年となった舞踊団花童。今年の舞台の白眉は、「水前寺まつり」2日目の4月6日、水前寺成趣園・能楽殿での「細川ガラシャ」。再見の機会が早く来ることを望む。

HIROさん撮影

てっぺい最後のお遊戯会(2月9日)

 孫のてっぺいは、今年幼稚園を卒園し、小学校に入学したが、2月9日、幼稚園最後のお遊戯会が行われた。姉のみわの時から6年間見続けたこのお遊戯会も今回が見納めとなった。ちと寂し。


永田いねさん生誕日記念三味線ライブ

2014-12-21 20:41:28 | イベント
 12月24日は、民謡おてもやんの生みの親、永田いねさんの生誕日ということで、これを祝う「夢子さん三味線ライブ」が源Zoneで行なわれた。ライブの前に上村元三さんの案内で、永田いねさんゆかりのスポットを見て回る。いずれも僕は見たことがあるところだが、小山良先生の「くまもと人物紀行 おてもやん」を読んだり、永田いねさんのお墓にお参りしたばかりなので、新たな思いが湧いてきた。
 その一つは、「おてもやん(熊本甚句)」は“ワン・オブ・ゼム”に過ぎないのではないかということだ。どういうことかというと、女歌舞伎の座長だったいねさんは、当然、芝居の下座音楽や三味線の合方なども自ら作ったり演奏したりしていたに違いない。今日のように既成のCD音源で間に合わせる時代ではない。そんな自ら作った音楽の中から、後年、芸妓たちに教えたものもいくつかあったろう。中でも最もお座敷で受け、さらには大衆にも受けたのが「おてもやん」だったのではないだろうか。赤坂小梅が昭和10年に初めて「おてもやん」のレコードを全国発売してから3年後に、いねさんは亡くなっているので、「おてもやん」が今日のように代表的な民謡になるとは思っていなかったかもしれない。もし、今、いねさんが生きていたら「もっといい曲がほかにもあるよ」と言いそうな気がするのである。


夢子さんの三味線に合わせて唄う元三さん


祇園橋横ポケットパークのおてもやんと永田いねの像(モデルは上村文乃さんと福島竹峰さん)


嵐亀之助(永田いね)のひいき筋から送られた紙捻り(五福公民館に展示)


嵐亀之助一座の興行ポスター(五福公民館に展示)

元旦は水前寺成趣園で「新春寿ぎの舞」はいかが・・・

2014-12-20 14:04:12 | イベント



 2015年元旦も水前寺成趣園では舞踊団花童による「新春寿ぎの舞」が行われます。
 歌舞伎や日本舞踊が行われる舞台でよく見かける背景の松羽目(まつばめ)。枝ぶりの良い松の木を描いた羽目板のことですが、これはもともと能舞台の「鏡板(かがみいた)の松」に由来するものです。元始の能舞台は、野外に土を盛り上げただけの簡素な舞台で、神社の境内などの大きな老松の下などが選ばれました。(水前寺成趣園の東側のエリア、細川幽齋公、忠利公の銅像の近くに往時を再現した土盛りの能舞台があります)
 つまり、もともと舞台のそばにあった天然の松の木を模して、能舞台の「鏡板の松」や橋掛かりに沿って植えられた三本の松となり、さらに歌舞伎の「松羽目」になったわけです。
 というわけで、新春元旦、水前寺成趣園の桃山式回遊庭園の松の木を借景とした特設舞台で行われる「新春寿ぎの舞」は、元始の能舞台を思わせる古式ゆかしい舞台なのです。

▼新春寿ぎの舞
  【場所】水前寺成趣園・正門入ってすぐの特設舞台
  【時間】1回目:9:00~ 2回目:13:30~

時分の花

2014-12-19 13:58:55 | 音楽芸能
 昨日の深夜、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀『狂言師・野村萬斎』」を観た。人気狂言師の舞台で見る顔からはうかがい知れない苦悩や、より高みを目指す芸の追究ぶりがヒシヒシと伝わる。師であり父である人間国宝・万作との葛藤や、自分と同じ道を歩む息子に対する思い。そしてこの秋、役者生命をかけて挑んだ狂言最高峰「狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)」。稽古では、父から教わったものをそのままやるのではなく、萬斎の芸としてプラスαを試行錯誤する闘いが繰り広げられる。それは、まさに世阿弥のいう「真の花 時分の花」を咲かせるために。
※写真は「三番叟」における野村萬斎

阿蘇山の噴火とハーン

2014-12-18 20:07:14 | 熊本
 今日は所用で西原村の知人の家に行く。たまたま快晴。阿蘇山の噴煙がよく見える。
 ふと、ラフカディオ・ハーンが熊本にいる頃、阿蘇山が爆発したという話を思い出す。帰ってから確認してみると、阿蘇山の爆発により熊本では地震が頻発したとある。それはハーンが坪井西堀端に住んでいた明治27年8月8日のこと。12日付けチャンバレン宛書簡には「庭で夜を明かさなければならなかった」とある。7月に日清戦争が始まったばかりで、ハーンは「東の国から」の仕上げに専念していた。全国から結集する若い兵士の姿や錦山神社(加藤神社)や藤崎八旛宮を中心に必勝祈願に沸き立つ戦時下の熊本の観察が「願望成就」の執筆を促した。120年前のことである。

▼いずれもクリックして大きなサイズで見ることができます





環境無視の公共工事

2014-12-17 20:38:57 | ニュース
 数週間前になるが、熊日新聞に次の記事が掲載された。



 記事によれば、国交省菊池川河川事務所は「事前の調査が不十分で・・・」などと言いわけをしているが、そんなわけはない。つい5、6年前に菊池川河口のヤマトシジミが川砂の大量採取で激減した問題の時、熊本県立大と国交省菊池川河川事務所がグループ研究をしていて、この河口周辺の環境が微妙な状態にあることは承知していたはずだ。知っていながら、「公共工事ありき」でやったに違いない。
 昨年7月、玉名市大浜町の母の生家へ、母と連れ立って盆のお参りに出かけた時、この工事が始まっていて、歴史的構築物の「清正公枠」が消えて無くなっているのに気付き、いやな予感がしたものだ。「今後は学識者の意見を聞きながら・・・」などと言っているが、おそらくこれからも公共工事を推進することが優先するのだろう。


この「清正公枠」も消えてしまった。


コンクリートで固められた大浜町の川岸

嵐亀之助の墓

2014-12-16 20:56:48 | 音楽芸能
 その墓は白川に沿って走る国道3号線に面した曹洞宗・泰厳寺という寺にあった。細川家ゆかりの由緒を持つ寺らしい。すぐ隣りの西岸寺も細川忠興公ゆかりの寺で、わが母黌創立の地ともなった寺でもあり、何度か来たことがある。
 墓の場所がわからないのでインターフォンを押すと、しばらくして奥様と思しき方が出て来られた。「永田稲さんのお墓は?」と尋ねると、「あゝおてもやんを作られた方ですね」と、本堂裏手の墓の位置を教えていただいた。雨で水たまりの出来た通路を通って裏へ回ると、予想したよりも小さい墓が雨に打たれてひっそりと佇んでいた。墓石の頭に刻まれた舞扇がまず目に入った。そして「亀」の文字を囲む亀甲紋の下に「亀甲屋嵐亀之助之墓」と彫られていた。そこで「おてもやん」の作者である前に、女歌舞伎の座長であったことをあらためて認識する。お供物の代わりなのか小銭がいっぱい並べられていた。何も持って行かなかったので僕も100円玉を置いてお参りをした。命日なのにこの雨だ。はたして誰か他にお参りに来るだろうか。