2日前にカンヌ映画祭でグランプリを獲ったばかりの、河瀬直美監督の「殯の森」が早くもNHKハイビジョンで放映された。まだ劇場公開もされていないから異例のことだ。何でもだいぶ前から放映権を買い取っていたらしい。この監督は10年前にカンヌに出品した「萌の朱雀」で新人賞を獲った時から気にはなっていたが、まだ一度も観る機会がなく、今回初めて観た。ネット上の紹介文には死生観だの人生観だの、小むずかしい言葉が並ぶが、そんな理屈は抜きにして、圧倒的な映像美で見せる。風にそよぐ森や稲田や茶畑の風景のなんと心地よいことか。これが日本人の原風景なのかな・・・とか、その心地よさに浸っているうちにふと、母親の胎内を感じた。これはきっと女性監督の作品であることと無関係ではないだろう。
彼は高校の一年先輩だが、正直言って、話題にするのを最も避けたい人だった。ブログで触れるのも最初で最後である。彼ほど同窓生の中でも評価が分かれる人はいないだろう。それにしても「そんな終わり方ってあるかい!」というのが正直な感想だ。いったい彼は何を守ろうとしたのか、それもハッキリしない。安倍首相は「慙愧(ざんき)にたえない。」と言った。用語の意味を正しく理解して言っているのだろうか。また、石原東京都知事は「彼もサムライだった。」と言った。「江戸時代かっ!」。
こんな連中が日本を牛耳っている。日本は大丈夫か?!
ともかく今は松岡氏のご冥福を祈るだけだ。
こんな連中が日本を牛耳っている。日本は大丈夫か?!
ともかく今は松岡氏のご冥福を祈るだけだ。
ZARDの坂井泉水さんが亡くなった。子宮頸がんの治療のため入退院を繰り返していたらしいが、不幸にも入院先の病院で階段から転落したらしい。なんて可愛そうな・・・。彼女はテレビなどへの露出も少なく、ちょっとミステリアスな雰囲気があった。本名(蒲池幸子)から推察されるように福岡・久留米の出身で、松田聖子とは遠い親戚にあたるそうだ。誕生日(2月6日)が私と同じで、そんなことからも気になる存在だった。彼女の歌は、「負けないで」「揺れる想い」「眠れない夜を抱いて」など、気が付いたらふと口ずさんでいるような歌が多かった。40歳を過ぎてから、今までとはまた一味違った活躍をするのではないかと期待していただけに残念だ。合掌。
♬ 揺れる想い
♬ 揺れる想い
こうのとりのゆりかご、いわゆる赤ちゃんポストの話題が出るたびに思い出すのがこの映画。実は私の原体験とも言える一本。見たのは昭和28年小学2年生の時、場所は当時熊本で最もメジャーな映画館だった大劇。今でも強烈な印象が残っている。ハリウッドで何度も映画化された題材だが、話は、保安官に追われる三人組の強盗が砂漠のド真ん中で、身重の婦人を乗せた幌馬車に出会う。婦人は赤ん坊を産み落とすと、三人を名付親に頼み息を引き取る。三人は赤ん坊を無事に町へ届けようと、命を賭して過酷な旅に出発する。結末やいかに・・・といった内容。送り届ける町の名前がニュー・エルサレムでたどり着いた日がクリスマス。聖書に描かれたイエス・キリストの誕生に立ち会った三賢者の話になぞらえているのだ。
監督は西部劇の巨匠ジョン・フォード
出演は、ジョン・ウェイン、ペドロ・アルメンダリス、ハリー・ケリー・ジュニア、ワード・ボンドなど。
銀行強盗をして砂漠を逃げまどう身となったボブ、ピート、キッドの三人
保安官パーリーの追撃を受け、水場を押さえられてしまう。
激しい砂嵐の中で、馬も失ってしまう。
砂漠に立ち往生した幌馬車の中で瀕死の婦人の出産に立ち会う。
婦人は出産後、三人に赤ちゃんを託し、絶命する。
三人は赤ちゃんに自分たちの名前を付ける。
三人は赤ちゃんを送り届けるため、死の砂漠を進む。
消耗の激しいキッドがまず倒れ、息絶える。
続いて、転倒して足を骨折したピートは、ピストルで自ら命を絶つ。
一人になったボブは何度も倒れながら、死んだ二人の亡霊に励まされる。
救いのロバが現われる。
信仰心の薄かったボブが神の存在を感じる。
ロバに導かれたボブがやっとの思いで町にたどり着く。
裁判が行なわれ、ボブの刑が確定する。
服役するため町を出発するボブは、赤ちゃんとの再会を誓って旅立つ。
監督は西部劇の巨匠ジョン・フォード
出演は、ジョン・ウェイン、ペドロ・アルメンダリス、ハリー・ケリー・ジュニア、ワード・ボンドなど。
銀行強盗をして砂漠を逃げまどう身となったボブ、ピート、キッドの三人
保安官パーリーの追撃を受け、水場を押さえられてしまう。
激しい砂嵐の中で、馬も失ってしまう。
砂漠に立ち往生した幌馬車の中で瀕死の婦人の出産に立ち会う。
婦人は出産後、三人に赤ちゃんを託し、絶命する。
三人は赤ちゃんに自分たちの名前を付ける。
三人は赤ちゃんを送り届けるため、死の砂漠を進む。
消耗の激しいキッドがまず倒れ、息絶える。
続いて、転倒して足を骨折したピートは、ピストルで自ら命を絶つ。
一人になったボブは何度も倒れながら、死んだ二人の亡霊に励まされる。
救いのロバが現われる。
信仰心の薄かったボブが神の存在を感じる。
ロバに導かれたボブがやっとの思いで町にたどり着く。
裁判が行なわれ、ボブの刑が確定する。
服役するため町を出発するボブは、赤ちゃんとの再会を誓って旅立つ。
このブログの前身である、ホームページのコラムを書き始めてちょうど5年になる。当時を思い出すと、日韓ワールドカップ大会の直前で、世の中はワールドカップ熱に浮かれていた頃で、いきおいネタもサッカー絡みが多かった。また、平井堅の唄う「大きな古時計(※)」が突然、ヒットし始めていた頃でもあり、たしかそれもネタにした覚えがある。あれからもう5年も経つんだなぁ・・・。時間を見つけて、この5年間のバックナンバーを振り返ってみることにしよう。
(※)平井堅の唄う「大きな古時計」がCDリリースされたのは8月。この前年の8月、彼がこの歌のルーツを訪ねて、アメリカのコネチカットへ渡った特番がNHKで放映され、大きな反響をよんだ。その後、この歌がじわじわと再注目されるようになり、5、6月頃には平井堅がCD化するという情報が流れていた。
(※)平井堅の唄う「大きな古時計」がCDリリースされたのは8月。この前年の8月、彼がこの歌のルーツを訪ねて、アメリカのコネチカットへ渡った特番がNHKで放映され、大きな反響をよんだ。その後、この歌がじわじわと再注目されるようになり、5、6月頃には平井堅がCD化するという情報が流れていた。
このところ黄砂がひどい。1日で車が真っ白になる。黄砂というのは中国の黄土地帯から偏西風に乗って日本に飛来する細かい砂のことだが、中国奥地の沙漠化がどんどん進んでいて、黄砂の飛散量はますます多くなると言われている。この黄砂について以前は正直、被害者意識しかなかった。しかし、今年の3月、中国・内モンゴル自治区の緑化事業を行なっているNPO法人どんぐりモンゴリの主催するコンサートのお手伝いをしたことによって認識が変わった。沙漠化は中国の目ざましい経済発展と軌を一にしている。中国の経済活動が活発になるにつれ、資源として森林の乱伐などが行なわれた結果、沙漠化が加速度的に進行しているのだそうだ。そしてその片棒を担いでいるのが中国経済に大きな影響力を持つ日本なのである。つまり、黄砂にはわれわれ日本人にも責任の一端があるというわけだ。何やら「風が吹けば桶屋が儲かる・・・」的な話ではあるが、身の回りの省資源など、自分でもできる範囲のことはやっていかなければと思っている。
沙漠化が進む中国・内モンゴル自治区
NPO法人どんぐりモンゴリの緑化活動
沙漠化が進む中国・内モンゴル自治区
NPO法人どんぐりモンゴリの緑化活動
まだ自分ではウィンドウズ・ビスタは使っていないが、あるクライアントがこのほどウィンドウズ・ビスタの新しいパソコンを購入したので、操作せざるを得なくなった。ウィンドウズXpとたいして変わんねぇだろうとタカをくくってかかったら、これがとんでもなかった。ウィンドウズ自体はともかく、オフィス2007、つまりワードやエクセルなどが全く勝手が違うのだ。今まであったメニューやツールバーが無い。操作を憶えるというのは、メニューやツールバーやダイアログボックスを憶えることだったわけで、それが無くなったのは手足をもがれたに等しい。代わって「リボン」と呼ばれるインターフェイスが用意されているが、マイクロソフトの宣伝文句やちょうちん記事によると、操作性が飛躍的に改善されたとある。ホントかいな・・・。そりゃぁ、慣れてしまえば楽なのかもしれないが、ユーザーはこんなバージョンアップを望んでいたんだろうか・・・
リボン
リボン
慈恵病院の「こうのとりのゆりかご(俗称:赤ちゃんポスト)」にさっそく子どもが預けられたということでマスコミも大騒ぎしている。まぁ、第1号だから騒ぐのもわからなくはないが、そのために作られた施設だから別に驚くことはない。預けられたのが3歳児ということが意外だったらしいが、年齢制限をしているわけじゃなし、当然ありうることだ。元は一緒だった待労院(同じ敷地内にあるハンセン病等の救済施設)では終戦直後、孤児の救済もやっていたから何も驚いていないと思う。それにしても第1号のニュースを受けての閣僚たちのアホな発言はあきれるばかりだ。相変わらず「あってはならないことだ。」だと。どうして、まず「子ども一人の命が救われてよかった!」と言えないのだろう。すべて大人の目線でしか物事を見ていない。今の世の中、昨日起こった母親殺しは言うに及ばず、「あってはならない」ことだらけだ。そんな社会にしてしまった政治の罪は大きい。
今日は沖縄がアメリカから返還されてちょうど35年の日だそうだ。35年前といえば、1972年5月15日だが、その8ヵ月後に沖縄に新婚旅行に行った。当時は那覇の街も、映画で見るアメリカ中西部あたりの田舎町を思わせる通りが多かった記憶がある。車もまだ右側を走っていて、タクシーに乗っていても左折する時など妙に恐かった。泊まったのは当時沖縄ではトップクラスだった那覇東急ホテルだったが、既に今は閉館して無い。太平洋戦争の最大の被害者である沖縄の人たちは、この35年で本当に幸せになったのだろうか。
今は無い那覇東急ホテルの前で
今は無い那覇東急ホテルの前で
5月8日はテレサ・テンの13回忌だったそうだ。月日の流れは早いものだ。私にとってテレサ・テンの歌は80年代の想い出だ。「空港」「つぐない」「愛人」「別れの予感」「時の流れに身をまかせ」「何日君再来」等々。80年代は国立~黒磯~小平と移り住んだが、テレサ・テンの歌を聴くと、当時の想い出が色鮮やかに蘇える。来る6月2日にはテレビ朝日で、彼女の半生を描いたドラマが放送されるそうだ。木村佳乃主演だそうなので要チェックだ。
♬空港
♬空港
先日墓参りしたO・Tさんのご主人から丁寧なお礼の電話があった。今回は前日になって急に防府行きを決め、しかもゴールデンウィークのさなかとあって、こちらからの連絡は遠慮して失礼してしまっていた。ちょっとでもお会いしておけばと後悔。昨年の、最初の肺がん発見から亡くなるまでの経緯や、子供さんたちの現在の様子などをくわしくお聞きした。ご長男はおじい様の後を継いで自衛隊。ご次男はご主人と同じ会社に勤務中ということで安心した。できれば新盆の頃には再訪問してお会いしたいと思う。
防府市中浦
防府市中浦
今日車の中でラジオを聴いていたら、FMクマモトの「パンゲア」に竹内まりやが生出演していた。熊本に来たのは5月23日にリリースするニューアルバム「Denim」のキャンペーンのためだが、1980年の市民会館でのコンサート以来、実に27年ぶりの熊本だそうだ。今回の出演に合わせてスペシャルプログラムが組まれたが、リクエストが一番多かった曲は「♬駅」だったそうだ。ちなみに私は「Denim」の中の「♬人生の扉」をメールでリクエストした。番組でまりやさんも言っていたが、「駅」はもともと中森明菜に提供した曲で、その後セルフカバーもしたし、その他にも多くの歌手がカバーしている。やはり名曲と言っていいだろう。ところで、この中森明菜版「駅」だが、そのアレンジについては、まりやさんや夫君の山下達郎さんはご不満だったらしい。
みわの予言どおり、みわには弟ができることになった。7月末にはお姉ちゃんになる。どんなお姉ちゃんぶりを見せてくれることやら。心配した幼稚園の通園も、毎日楽しみでしかたないらしく、朝は30分も前から通園バスの到着を待っているそうだ。幼稚園でおぼえたばかりの歌も披露してくれる。赤ちゃんの頃から歌や踊りには人一倍敏感に反応していたような気がする。そっちの方面で才能を伸ばしてくれればいいが・・・(じじバカのひとり言)
妻との山口の旅も終わりに近づき、最後の訪問地、 I さんの自宅へ向かった。初めての訪問だったが、インターネットでダウンロードした地図でその場所は難なく見つかった。玄関に近づいた時、引き戸に札が貼ってあることに気付いた。その札には「還浄」と書かれ、黒い縁取りがあった。いやな予感が走る。恐る恐る戸を開け、声をかけてみた。けげんそうな顔で I さんが現われた。防府での墓参から周って来たことを告げた。すると I さんが言った。「実はうちも先月家内が亡くなってね・・・」。明るい笑顔で出迎えてくれることを想像していた奥様が、つい二週間前に亡くなったというのだ。防府や久留米でお付き合いがあり、同い年でもあった妻は特にショックが大きかった。とりあえず仏壇に手を合わせ、奥様の亡くなる前の様子や想い出話で時を過ごした。肺がんだったという。このところなぜか周りで肺がんで亡くなる人の話が多い。二人の娘さんも嫁ぎ、ひとりぼっちとなった I さんの寂しそうな姿を見るのはつらかったが、近いうちに再訪問することを約して I さんの家を後にした。今回、どうしても I さんの家に寄らねばと思ったのは、きっと亡くなった奥様が呼び寄せられたのに違いない、と思った。