
—―車輪が回転する鋭い音も、ドーン、ドーンと腹に響くような音にかき消されるようになった。ある村のはずれにさしかかったとき、私は開けっ放しの納屋の中で裸の男たちが、たくさんの太鼓を叩いているのを見た。
「オーイ、車屋サン!」と、私は叫んで、「アレデス。アレハ何デスカ?」と訊ねる。車屋は、停止もせずに走りながら、叫んで答えた。
「どこでん、今は、同じこつばやっとります。もうずいぶんなとこ、雨が降っちゃおりまっせんけん、雨乞いばしよるとです。そんために太鼓ば打ちょっとです。」
他のいくつかの村も通り過ぎたが、そこでも大小様々な太鼓を見たし、音も聞いた。そして、水田の遙か向こうの、見えない村々からも、あちこちの太鼓の音が山彦のように響き、こだましていた。――
この年、熊本は旱が続いていたため村々で「雨乞い」の太鼓を叩いていたものらしい。「夏の日の夢」を読むとおそらく赤瀬か網田あたりの村を過ぎる時だったと思われる。今日では稲作にかかわる「雨乞い」は廃れてしまったが、「宇土の雨乞い大太鼓」として当時使われていた大太鼓が国重要有形民俗文化財として保存されているという。
▼「宇土の雨乞い大太鼓」を使った演奏