今朝の熊日新聞に極めて興味深い記事が掲載されていた。
平安時代の閨秀歌人・檜垣自作の像「檜垣嫗像」が京都で見つかったというのだ。詳しいことは下の記事のとおりだが、本当にホンモノなのだろうか。
この像について江戸中期に書かれた橘南谿の「西遊記」は読んだことがある。また少し時代を下って、江戸後期に村尾正靖が書いた「嘉陵紀行」の中にも同じ内容が書かれているが、どうも昔の紀行ものはいま一つ信用できない。内容はともかく、紀行文と言っても本当に現地に行ったのだろうか。ただの伝聞を書いているのではないだろうか。そんな気がするのである。
それはさておき、もし、今回出てきた「檜垣嫗像」がホンモノだとすると、謎に包まれた檜垣嫗の実像が少しでもわかる手がかりになりはしないか、そんなことを期待するのである。
蓮台寺に安置されている檜垣嫗像の模作
後に檜垣嫗が草庵を結んだという岩戸山の麓・山下庵の跡(向う側に見えるのが雲厳禅寺)
平安時代の閨秀歌人・檜垣自作の像「檜垣嫗像」が京都で見つかったというのだ。詳しいことは下の記事のとおりだが、本当にホンモノなのだろうか。
この像について江戸中期に書かれた橘南谿の「西遊記」は読んだことがある。また少し時代を下って、江戸後期に村尾正靖が書いた「嘉陵紀行」の中にも同じ内容が書かれているが、どうも昔の紀行ものはいま一つ信用できない。内容はともかく、紀行文と言っても本当に現地に行ったのだろうか。ただの伝聞を書いているのではないだろうか。そんな気がするのである。
それはさておき、もし、今回出てきた「檜垣嫗像」がホンモノだとすると、謎に包まれた檜垣嫗の実像が少しでもわかる手がかりになりはしないか、そんなことを期待するのである。
蓮台寺に安置されている檜垣嫗像の模作
後に檜垣嫗が草庵を結んだという岩戸山の麓・山下庵の跡(向う側に見えるのが雲厳禅寺)