徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

與田準一 没後20年

2017-01-30 23:09:25 | 文芸
 今週末、2月3日は福岡県瀬高町出身の詩人で、日本の児童文学に偉大な足跡を残した與田準一(よだじゅんいち)の没後20年にあたる日。僕が與田準一の名前を知ったのは、「評伝 海達公子」の著者・規工川佑輔先生にご厚誼を賜るようになり、與田が海達公子が世に出るキーマンだったと伺ってからである。2009年に、與田準一記念館が、みやま市の市立図書館内にオープンした時は、規工川先生の代理で記念式典に出席させていただいた。
 大正から昭和初期にかけて発行されていた文芸誌「赤い鳥」への投稿仲間として、公子の父、松一(貴文)と肝胆相照らす仲となった與田は、度々、荒尾の海達家へ泊りがけで訪れたという。同誌の大正15年11月号に掲載された與田の作品「雨の日」は、二人の幼い姉妹を題材にしているが、モデルとなったのは海達公子とその妹・通子である。
 後に上京して北原白秋に師事した與田は、白秋と海達親子の間をつなぐパイプ役ともなった。



▼與田準一の代表作「ことりのうた」


 與田の息子・準介は橋本淳というペンネームで「ブルー・ライト・ヨコハマ」など数々のヒット曲を世に出した作詞家である。

▼橋本淳の代表作「ブルー・ライト・ヨコハマ」