徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

初詣と藤崎宮のはなし。

2017-01-04 18:55:13 | 歴史
 今日、母と家内を連れて藤崎八旛宮へ初詣に行った。昨年と同じく1月4日になったのは、三が日は交通規制があり藤崎宮へ車で入れないからだ。毎年、近場の加藤神社にもお詣りするのだが、やはりわが家の氏神である藤崎宮へのお詣りは欠かせない。
 今年は昨年とは比べられないほど参拝者が多い。やはり昨年、未曽有の大地震「熊本地震」で被災した人々の、安穏や復興を祈る気持が強いのだろう。

 藤崎八旛宮は明治10年の西南戦争で焼失するまで、熊本城の西側、藤崎台にあった。承平5年(935)九州鎮護のため茶臼山に石清水八幡宮から勧請され創建されたが、鎮座のとき、勅使が馬の鞭としていた石清水の藤の枝を地面に刺したところ、芽を吹き枝葉が生えたので「藤崎」という社名としたという伝承がある。しかし、これは後世の創作と思われ、台地の下を流れる井芹川の淵に、先の尖った岬(崎)が突き出た場所という意味からついた地名「ふちさき」が語源だとする郷土史研究家の鈴木喬さんの説が正しいと思われる。
 寛和2年(986)に肥後国司として赴任した清原元輔が、自らの歌集「元輔集」の中に、藤崎宮で子(ね)の日遊びをしたときに詠んだ
  「藤崎の軒の巌に生ふる松いま幾千代か子の日過ぐさむ」
という歌が残されているが、これも後世の人が漢字を当てたもので、もとは次のような仮名だそうだから、はたして元輔の時代には既に「藤崎」という字が当てられていたのかどうかわからない。
  「ふちさきののきのいはほにおふるまついまいくちよかねのひすくさむ」

▼三が日を過ぎても例年より参拝者が多い藤崎宮


▼藤崎台の下、段山の御旅所は元の藤崎八旛宮の名残り

藤崎八旛宮秋季例大祭に段山御旅所能舞台で行われる神事能 (喜多流 能「玉葛」シテ 狩野了一)