徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

YouTubeのマイ ミックスリスト

2024-10-31 23:24:40 | Web
 YouTubeには「マイ ミックスリスト」という機能がある。自分で選んだ覚えはないので、おそらく僕が再生した動画や関連する動画をリストアップしているようだ。AIを使ったサービスのひとつなのかもしれない。25タイトルが選ばれているが、なかにはあまり視聴したいとは思わないものも含まれていた。今日リストアップされていた中から3タイトルを選んで視聴した。

 まず最初にディキシーランド・ジャズの名曲「クラリネット・マーマレード」をP-time Selectionの演奏で。


 次に大好きなドラマ「JIN -仁-」のテーマ曲をフルオーケストラの演奏で。


 最後にマイチャンネルから「熊本さわぎ唄」を「今藤珠美と今藤珠美社中/下田れい子/中村花誠と花と誠の会」の演奏、ザ・わらべの舞踊で。

女性神楽師

2024-10-30 22:42:14 | 民俗芸能
 今日夕方のKKTくまもと県民テレビの「news every.くまもと」で全国的にも珍しい女性神楽師を紹介していた。その名は稲田奈緒子さん。もともとポップス系のダンサーとして活躍し、現在、地元の子どもたちにダンスを教えているという。
 今日は金峰山神社の秋の大祭で初めて男性神楽師との二人舞に挑む様子が映された。野出神楽保存会のメンバーということだが、ここの神楽は剣や弓、御幣などを使って舞う採物(とりもの)神楽と呼ばれる種類のもので、熊本市の無形民俗文化財に指定されている由緒ある神楽だそうだ。
 普段、女性の神楽としてはいろんな神社の巫女舞を見ているが、野出神楽のような民間の里神楽は熊本県だけでも160ほどあるらしい。
 そもそも神楽の始まりは記紀に書かれた「天岩戸開き」で、天照大神が岩戸にお隠れになってしまった際の、天鈿女命(アメノウズメ)の神懸りした舞が起源とされている。そんなことを考えていると必ず思い出すのが、柳田國男の著書「妹(いも)の力」。太古の昔から女性には霊的な能力が備わり、「けだかく」「さかしい」存在であったという。女性は本来的に神楽を舞う能力を備えていて、稲田さんのようなケースもごく自然なのではないか。番組を見ながらそんなことを考えていた。


稲田奈緒子さん

ハーンの熊本時代(1)

2024-10-29 22:03:02 | 歴史
 今日のNHKお昼の番組「列島ニュース」のなかで、来秋放送開始の朝ドラ「ばけばけ」のヒロインに宮崎市出身の俳優、高石あかりさんが選ばれたことが発表され、本人の会見も放送されました。
 ラフカディオ・ハーン夫妻の熊本時代も描かれるそうなので楽しみですが、ハーンの熊本時代はいったいどんな時代だったのでしょうか。


 ハーンが五高の英語教師になるため、島根県立の松江中学を辞し、妻のセツらを伴い、春日駅(熊本駅)に降り立ったのは明治24年11月19日。校長の嘉納治五郎が出迎え、手取本町の不知火館(のちの研屋支店)に案内しました。
 この明治24年7月、門司から熊本まで鉄道が開通し、また熊本電燈会社が操業しています。熊本城そばの厩橋際に火力発電所が設けられ、城内の兵舎の灯りがこうこうと夜空を照らしていたようです。花畑一帯は練兵場が広がり、いまの市役所の場所は監獄でした。五高の構内に外人教師館がありましたが、不知火館近くに赤星家が母屋を明け渡して貸してくれるという話に居を構えます。筋向いに九州日日新聞社(熊日の前身)があり、さっそく購読しています。正月八日の六師団の閲兵式後の宴会にハーンも招待され、それが九州日日に報じられました。
 「檜扇の三ツ紋ある黒羽二重の羽織に仙台平の袴を着し扇子をチャンと差したる有様と目の色の青きに赤髭茫々たる顔と特に目立ちて見へたりければ、さても衆目を一身に引受け、花嫁も及ばぬ程見つめられし次第にて当日第一の愛嬌なりしと」松江からセツの養父母、養祖父などの家族やお手伝い、車夫(これは間もなく解雇)を伴い、料理人の松を呼び寄せます。養祖父の稲垣万右衛門は若いころ、松江藩主の若殿のお守り役だったといい、「愉快な年寄り」でした。熊本城下を「こおり、こおり」とふれ歩く行商人を呼びとめ、「その水は伯耆大山から来るのか」と尋ねるなど、笑いの種をまき散らしました。招魂祭や藤崎宮のお祭りのときにもごったがえす雑踏のなかを出歩き、財布をすられるという騒ぎを起こしています。
 一年後、坪井西堀端町に移り、長男の一雄はここで生まれた。稲垣老人はハーンの書斎に飛び込み、「フェロン公、天晴れだッ!生まれたで」とうれし涙を流し、腕まくりし、こぶしを振り立てて、男児出産を知らせたといます。
 「この町は近代化されています。それから町が大きすぎ、お寺もない、お坊さんもいない、珍しい風習もない」と松江中学の教頭西田千太郎に手紙に書き送っているハーンですが、熊本に移り住んでわずか2、3カ月で9キロも体重が増えています。西洋料理の食材が容易に手に入つたためです。
 そして地蔵祭の日、美しい光景に出会います。地蔵堂はくさぐさの花や提灯で飾られ、大工連が子供たちが踊る屋台をこしらえ、 日が暮れると露店が並びます。日が暮れ、ふと見ると、家の門前に大きなトンボがとまっていました。ハーンが子供組に与えた寄進に対するお礼でした。トンボの胴体は色紙でくるんだ松の枝、四枚の羽は四つの十能(炭火を運ぶ道具)、頭は土瓶でこしらえてありました。しかも、全体があやしく影をさすように置かれ、蝋燭の光で照らされていました。その造り物をこしらえたのが8歳前後の男の子で、「なんと日本の子供たちは美術的感覚の持ち主だろうか」とハーンは驚いています。
 ハーン一家が熊本を去ったのは日清戦争が始まった年の明治27年10月 6日でした。
(ハーン来熊120年記念講演より)

 日清戦争開戦前夜の熊本の騒然とした空気を著作「願望成就」のなかで次のように語っています。



本妙寺浄池廟


水野詩都子さんを偲んで

2024-10-27 21:12:32 | 音楽芸能
 﨑秀五郎さんが、昨日開催された「しずごろう音楽教室大阪校の発表会」についてフェイスブックに載せておられました。
 その記事を読ませていただきますと、7月24日に他界された相方の民謡歌手・水野詩都子さんへの想いが溢れていて思わず胸が熱くなりました。
 水野さんが亡くなられて3ヶ月。今日は、思い出の歌声の中から、愛知県一宮市ご出身の水野さんが、いきいきと唄っておられた「一宮機織唄」と同じく愛知県民謡の「神戸節」を聴きながら水野さんを偲びました。



祇王寺祇女桜の狂い咲き

2024-10-26 16:25:59 | 歴史
 今日は散歩の途中、監物台樹木園が開いていたので入ってみた。久しぶりに園内を回ってみたが、園内の手入れが行われていないようで雑草が伸び放題の状態だった。「祇王寺祇女桜(ぎおうじぎじょざくら)」の前まで来た時に、3輪の花が開いていることに気付いた。今秋、異常な暑さが続いたので季節を勘違いしたのだろう。今年の春の開花時季には監物櫓が再建工事中だったため、樹木園は閉鎖中でこの「祇王寺祇女桜」の開花を見ることができなかったので、わずか3輪でも見られたことはちょっと得した気がした。
 「祇王寺祇女桜」という桜の種類があることを知ったのは、10数年前、あるブログ記事で見つけた京都市右京区嵯峨の祇王寺の写真が、立田山麓にあった父の生家のイメージとそっくりだったことがきっかけだった。「祇王寺祇女桜」は祇王寺に植栽されていた桜で「平家物語」に登場する白拍子、祇王・祇女の姉妹がその名の由来である。
 祇王の物語のあらすじは「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」をご覧ください。

 白拍子とは「今様」という当時の流行歌謡を歌い、舞を舞う男装の遊女のことで、「平家物語」には
「白拍子の始りける事は、昔 鳥羽院の御宇に 島の千歳、和歌の前、彼等二人が舞出したりける也。」
と、その起源について書かれています。

 下の舞踊「島の千歳」はこの起源をもとに、当時の「今様」を現代の長唄にアレンジしたものです。

味噌天神のまつり

2024-10-25 20:03:46 | PC
 先々月のブログ記事「まぼろしの銘菓「さおしか」復刻!」でお世話になった味噌天神横の福栄堂さんの開店日は不定期だが、「25日は味噌天神例大祭なので店を開きますのでどうぞ」というインスタのメッセージをいただいた。客で混雑が予想されるというので朝9時過ぎから出かけた。着いた時はまだ開店前だったが入れていただき、右のような商品(天神もなか、栗もなか、栗羊羹)を購入した。既に味噌天神には参拝者に配布される味噌を目当ての長蛇の列。
 全国で唯一「味噌の神様」をまつる味噌天神宮では、例大祭の25日、熊本県みそ醬油工業協同組合がみそを奉納し、参拝客に配るのが習わしになっている。250人分用意された味噌はあっという間になくなったらしい。



 味噌天神宮は、建立されて既に1300年の歴史を有するが、その由来については下記のような伝説が伝わっている。

(熊本県広報誌 2001年12月号より)

夏目漱石ゆかりの・・・

2024-10-24 20:40:40 | 熊本
 今日は熊本市現代美術館まで歩いて行った。ただ歩くのもつまらないので、わが家から美術館までの間で「夏目漱石」および漱石作品関連の文字をいくつ見かけるか数えてみようと思った。その結果が下記のとおりである。

 まずわが家から最も近いのがこの新坂の案内板。塗料が落ちて読みづらくなっているので下に数年前の状態を添付した。


 池田停車場(上熊本駅)から人力車で、五高の同僚となる菅虎雄宅へ向かう途中、この場所から熊本の市街地を見下ろして「森の都だなぁ」と言ったとか言わないとかいう話があるが、後年、漱石は九州日日新聞のインタビューに答えて次のように話している。

 ーー松山の中学から熊本の五高に転任する際に汽車で上熊本の停車場に着いて下りて見ると、まず第一に驚いたのは停車場前の道幅の広いことでした。そうしてあの広い坂を腕車(人力車)で登り尽くして京町を突き抜けて坪井に下りようという新坂にさしかかると、豁然として眼下に展開する一面の市街を見下ろしてまた驚いた。そしていい所に来たと思った。あれから眺めると、家ばかりな市街の尽くるあたりから、眼を射る白川の一筋が、限りなき春の色を漲らした田圃を不規則に貫いて、遥か向うの蒼暗き中に封じ込まれている。それに薄紫色の山が遠く見えて、その山々を阿蘇の煙が遠慮なく這い回っているという絶景、実に美観だと思った。それから阿蘇街道(豊後街道)の黒髪村の友人の宅に着いて、そこでしばらく厄介になって熊本を見物した。ーー

 次に見るのは「夏目漱石内坪井旧居」正面入り口の看板である。ここは漱石の熊本五番目の旧居で、他にも三番目の旧居、六番目の旧居も残っているが、「漱石記念館」として最も整備されているのがこの五番目の旧居である。



 漱石旧居を通り過ぎ県道1号線(熊本玉名線)に出るとFMクマモトのビルの前に「わが輩通り」と書かれた標柱が見える。いうまでもなく漱石の小説第一作「吾輩は猫である」にちなみ、漱石来熊百年に当たる1996年に、漱石旧居にほど近い県道1号線の一部区間を「わが輩通り」と名付けられたもの。柱の猫のオブジェとデフォルメした漱石の顔が可愛らしい。



 広丁の方へ歩いて行くと熊本信愛女学院の校舎の前にさしかかる。正門の脇に目につくのが「三毛子さん」の像。「吾輩は猫である」に登場し、吾輩のことを先生と呼んでくれる唯一の存在。吾輩のマドンナである。



 三毛子さんから100㍍ほど歩くと広丁から上通に入る地点だが、上通側から広丁に出る正面の歩行者信号には「漱石記念館」(内坪井旧居のこと)の案内板が取り付けられている。この地点から450㍍だそうだ。



 上通に入り、並木坂と呼ぶエリアを歩いて行くと、左側に漱石ゆかりの「舒文堂河島書店」が見えてくる。店舗の壁に下のプレートが貼られている。漱石はこの書店に足繁く通ったそうだが、初めて熊本に降り立った明治29年4月13日、上記の新坂の件の後、この書店に早くも立ち寄っていたことは知らなかった。


今、話題のくまもと女性 ふたり

2024-10-23 21:04:19 | 話題
 今、話題の熊本女性を二人ご紹介します。

其の壱
 数ある熊本県の観光地のなかで今、急増するインバウンドに最も人気がある観光スポットはやはり「熊本城」だという。熊本城に行ってみて実感するのは観光客の間で飛び交う英語、中国語、韓国語などの外国語。翻訳アプリなども使われてはいるが、やはり通訳できるガイド人材が求められているようだ。そんな中、注目されているのが「熊本城おもてなし武将隊の“八十姫”」。八十姫は熊本城を築城した加藤清正の次女(という設定)。彼女は独学で学んだ英語や中国語、さらには韓国語を駆使し、熊本城および熊本の魅力を発信している。これから熊本城を訪れる方はぜひ八十姫と逢っていただきたい。


熊本城おもてなし武将隊の八十姫

其の弐
 月曜から金曜、午後1時55分からTBS系列で放送されている番組「ゴゴスマ」に、8月5日の1日限定で、アシスタントとして出演したRKK熊本放送の後生川凜 アナウンサーが番組後、話題になった。その端正な顔立ちと均整の取れたスタイル、特徴のある声質などから、「AIアナ」と、その実在を疑う向きもあるという。彼女が出演した番組を見ていると何事にも動じない印象があり、それも「AIアナ」といわれる所以かもしれない。昨年の「代継宮曲水の宴」で平安歌人に扮した時は、これまでの「曲水の宴」のなかで最もそれらしい雰囲気を醸していたと思う。


「代継宮曲水の宴」で平安歌人に扮した後生川凜 アナ

玉名女子高校吹奏楽部 圧巻の金賞!

2024-10-22 17:05:49 | 音楽芸能
 10月20日に宇都宮市文化会館で行われた「第72回全日本吹奏楽コンクール・高等学校の部」において、九州支部代表として出場した玉名女子高等学校吹奏楽部は見事10大会連続、11回目の金賞を受賞しました。
 演奏曲は
  【課題曲】行進曲「勇気の旗を掲げて」(作曲:渡口公康)
  【自由曲】カタリナの神秘の結婚(作曲:樽屋雅徳)   でした。

 今年はあと、11月17日(日)に大阪城ホールで行われる「第37回全日本マーチングコンテスト」で、座奏・マーチングのW金賞受賞を目指します。

 8月31日、熊本県立劇場で行われた「玉名女子高校吹奏楽部コンサート」を久しぶりに見に行った。その時、今年の「全日本吹奏楽コンクール」で金賞を受賞した課題曲と自由曲も聞いたが、彼女たちの圧倒的な音楽性は間違いなく全国トップレベルであることを確信した。


上の画像をクリックしますと全日本吹奏楽コンクールのダイジェストが視聴できます。

2024.5.30の2024年度熊本県高校総文祭パレードより

いのちの歌

2024-10-20 22:06:35 | 音楽芸能
 今日は従弟の葬儀に参列するため玉名へ。僕よりも9つ年下だが病魔には勝てなかった。というより若い頃から健康面の問題を抱えていたと聞くので彼なりに精一杯生きたのだろうと思う。思えば彼が生まれて間もない頃、小学生の僕は叔父の家によく遊びに行ったので、彼を抱っこしたり、あやしたりしていたことを思い出す。その叔父や叔母も既にない。お棺の中で眠る彼の顔を見て手を合わせながら、両親のもとへ旅立ったのだろうとちょっとホッとした。御導師さまの読経はまさに声楽を思わせる見事なもので、おそらく「声明(しょうみょう)」と言ったほうがいいのだろう。
 出棺を見送った後、帰路は県道1号(熊本玉名線)を通ったのだが、途中、河内町野出の丘の上で休憩をとった。西の方に見える雲仙岳を眺めながら、きっとお浄土はその遥か向こうにあるのだろうと思った。「いのちの歌」が聞きたくなった。


有明海の向こうに雲仙岳を望む


川瀬巴水が描く「熊本城 宇土櫓」

2024-10-19 19:58:12 | 美術
 今日から始まった「くまもと花博2024」をちょっと覗いてみようと雨降る中、バスで会場の花畑広場を目指した。ところが花畑広場には期待した花の姿は一切なく、「防災推進国民大会2024 in 熊本」というイベントが。広場一杯にテントが立ち並び、各ブースではワークショップのような催しが行われていた。防災も大事だが今日は短時間で切り上げようと思っていたので、辛島公園をはさんだ肥後銀行本店ビル1階の肥後の里山ギャラリーで行われている「令和の大造営記念 加藤神社錦絵展」を見に行った。歌舞伎を題材とした加藤清正を描いた錦絵が多く並ぶ中に、見慣れた川瀬巴水の「宇土櫓」が展示されていた。ネット上では散々見ていたが、木版画を刷ったB4サイズほどの実物を見るのは初めてでちょっと感動した。
 実はこの絵は僕にとって「原風景」といってもいい。この絵が描かれたのは昭和23年だそうだが、昭和25、26年頃、幼稚園の通園でここを通っていた僕の想い出の風景である。老朽化した櫨方門の向こうに、当時は熊本城の代名詞だった宇土櫓が凛と聳えていた。熊本国体が行われた昭和35年頃、櫨方門は撤去され、昭和37年に加藤神社がここに遷座した。川瀬巴水がこの風景を描いてから76年。周囲の風景は激変し、地震の傷を癒した宇土櫓が再びその雄姿を現すのは10年後のことになる。


川瀬巴水 「熊本城 宇土櫓」


解体工事が始まる前の宇土櫓


現在はラッピングした素屋根に覆われ解体工事が進む宇土櫓

歌の締めが「宇土櫓」という「五十四万石」(詩:野口雨情 曲:大村能章)

くまもと花博2024

2024-10-18 20:38:13 | イベント
 明日19日から「くまもと花博2024」が始まります。
 これは2022年3月〜5月に熊本市で開催された「第38回全国都市緑化くまもとフェア」(くまもと花博)のレガシーを引き継ぐことを目的としたもので
「自然環境と経済活動の調和」
をテーマに、みどりや水、歴史・文化を象徴する市内3つのメイン会場(街なかエリア、水辺エリア、まち山エリア)で、花やみどりをはじめとした展示や体験イベントが開催されます。
※全国都市緑化フェアは国土交通省の提唱事業で、1983年(昭和58年)から、毎年全国各地で開催されている日本最大級の花とみどりの祭典です。
<メイン会場>
 街なかエリア・・・花畑広場及び中心市街地一帯
 水辺エリア・・・・水前寺江津湖公園一帯(動植物園含む)
 まち山エリア・・・雁回山一帯(雁回公園含む)
<開催期間>10月19日(土)~11月17日(日)


 2022年の「くまもと花博」にちなみ制作された舞踊団花童の創作舞踊「花七変化 肥後六花」。
「くまもと花博」歓迎アトラクションとして公式記録に記載されています。

In The Shade Of The Old Apple Tree

2024-10-17 22:53:46 | 音楽芸能
 今日のお昼、家内がむいてくれたりんごをかじりながら、そういえば「りんご狩り」などというものには縁遠くなったなぁと思った。40数年前、山口県の防府に住んでいた頃、幼かった子供たちを連れてよくドライブに出かけた。防府天満宮の天神山を越え、佐波川に沿って上流にどんどん遡って行くと徳佐という地区に着く。ここはりんごの栽培が盛んなところでりんご園がいくつもあり、秋にはりんご狩りを楽しんだ。
 そんなことを考えているとふと「林檎の樹の下で」のメロディが頭に浮かんだ。僕らが子どもの頃、ディック・ミネさんがよく歌っていた。
林檎の樹の下で
 明日また逢いましょう
 黄昏 赤い夕陽
 西に沈む頃に
 たのしく頬寄せて
 恋を囁きましょう
 真紅に燃える想い
 林檎の実のように
というような歌だった。原曲は120年前に作られたアメリカの「In The Shade Of The Old Apple Tree」という曲で数多の歌手に歌われた。ジャズのスタンダードナンバーとしても知られる。
 今日は「New Orleans Jazz Hounds」の演奏で聴いてみた。


思い出の那須高原

2024-10-16 20:22:57 | 季節
 この季節になるとどうしても那須高原を思い出す。3年3ヶ月過ごした那須にはなつかしい思い出がいっぱいだ。春夏秋冬それぞれ美しい風景を見せてくれるのだが、とりわけ秋の美しさは忘れられない。那須湯本にあった会社保養所(数年前に人手に渡ったらしい)の管理も僕の仕事の一つだったので、多いときには週3回は那須高原に登った。近くには那須与一ゆかりの「那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)」や九尾の狐伝説の「殺生石」。那須茶臼岳、沼ッ原湿原、そして那須湯本温泉等々。冬にはスキーも楽しんだ。各地を10ヶ所ほど転勤して回ったが、風光明媚という点では那須が最高だったかもしれない。今日もネットで那須高原一帯の地図を眺めながら思い出にひたった。
 ところで、「那須」という姓は、下野国(今の栃木県)がルーツだと言われているが、日本全国で「那須」姓の人数が多いのは宮崎県と熊本県がトップ2だそうである。お気付きの方も多いと思うが、平家落人伝説の残る宮崎県椎葉村と熊本県五家庄(現八代市泉町)。いずれの伝説も平家落人追討にやって来たのが那須与一の一族で、そこにとどまって子を生すという話。宮崎と熊本の那須さんが全部その子孫だとは思えないが、壇ノ浦で平家が滅亡して840年。時空を超えたロマンを感じる。




那須茶臼岳


那須温泉(なすゆぜん)神社


殺生石(せっしょうせき)


沼ッ原湿原(ぬまっぱらしつげん)

「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ」のナゾ

2024-10-15 20:37:12 | 伝統芸能
 江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗の対抗馬と目された尾張徳川家の徳川宗春という大名の尾張藩における治世を研究した「徳川宗春の実像」というサイトがあります。主宰者は名古屋在住の歴史研究家の方だろうと思います。
 この中に「伊勢音頭」が名古屋繁栄のキーワードとして登場します。そしてそこには本條秀美さんが唄われた「伊勢音頭」が埋め込まれています。YouTubeには「伊勢音頭」は多数投稿されていますが、そんな中で加藤清正が築城した熊本城本丸御殿でのこの「伊勢音頭」が選ばれたことはとても意義深いと感じています。
 この研究論文は下記アドレスで読むことができます。

【なごや新地巡り】西小路(2)伊勢音頭の謎
「西小路・富士見原の競合と伊勢音頭の成立」(eBook)

 私は「伊勢音頭」の歌詞について疑問を持っていることがあります。
 それはよく知られている「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ」というフレーズです。ネット上でも時々議論になっているようですが、これは現在では伊勢市と津市の地理的(伊勢街道入口)な互恵関係ととらえる向きが多いようです。
 疑問のまず一つは伊勢音頭に唄われた「津」というのは本当にそうなのだろうかということです。伊勢音頭のもとになったのは「川崎(河崎)音頭」だというのは上記の研究論文にも書かれています。「津」というのは昔の言葉で「湊(みなと)」のことですが、河崎自体も勢田川舟運の要衝だったと言われています。つまり、河崎を「津」と言っているのではないかとも思われます。
 疑問の二つ目は「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ」という歌詞は別の原詩を言い換えたのではないかということです。
 国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している「レファレンス協同データベース」には「伊勢音頭」についてのQ&Aが載っており、その中に次のような一節があります。
ーー「尾張名古屋は城でもつ」の由来は?
『伊藤整全集 23』に収録されている随筆「観海流発祥地の水難」p.417に「伊勢は津で持つ……名古屋は城で持つ」という歌も、土地の物知りの説明によると、加藤清正が名古屋城を築いた時に「石は釣って持つ、釣って持つ石は、尾張名古屋は城で持つ」というのを歌ったのが原形で」――
とあります。
 つまり、この原詩をもとに語呂合わせしたのではないかということです。

加藤清正石引の図

2012.5.26 熊本城本丸御殿 春の宴
立方:少女舞踊団ザ・わらべ
地方:本條秀美と秀美社中/中村花誠と花と誠の会