徒然なか話

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平安時代と現代 二人の女流歌人

2013-04-24 19:00:41 | 歴史
 平安時代の女流歌人「桧垣」の伝説は諸説紛々として、どれを信じていいのかわからないので、識者はどう見ていたのかを判断材料にすることにした。そこでまず頭に浮かんだのが、昨年3月、92歳で他界された現代の女流歌人であり、宮中歌会始選者でもあった安永蕗子さん。安永さんが生前「熊本の女性でまず思い浮かぶのは桧垣」と述べられた記事を読んだことがある。昭和57年(1982)に出版された「熊本県大百科事典」の中に「桧垣」について自ら解説された項目があるのを発見した。それは下記のとおりだが、安永さんの「桧垣」についての認識の一端を知るうえで極めて興味深い。

▼桧垣(ひがき)
 生没年不詳。平安時代の女流歌人。桧垣のある家に住んでいたので伝えられた名であるが、肥後白川のほとりに住んだ。藤原清輔の「袋草子」に「肥後遊君桧垣」として「桧垣集」の歌を引いている。延喜3年(903)藤原興範が白川の岸で桧垣に水を乞うた折の歌が「後撰集」巻17に採られている。一首は「年ふればわが黒髪も白川のみずはくむまで老いにけるかな」。大宰府官人のもてはやした名花桧垣も、藤原純友の乱に遭って家財を失い、老いとともに白川あたりに流れてきた零落の歌である。肥後守清原元輔との出会いも伝えられる。世阿弥作の能「桧垣」では岩戸観音が背景となっているが、霊厳洞の近くで天明期(1781~89)に発見された桧垣の小像が雲厳禅寺に安置されていた。熊本市の九品山蓮台寺には供養塔があり、俗に桧垣寺とも呼ばれている。「桧垣歌集」1巻には31首が収められる。同寺には立て膝姿の桧垣像人形が存置され、色あせながら、なお見残す女の美しさが、「老女もの」の品位にふさわしい風格を見せる。(安永蕗子)


蓮台寺の桧垣の像