のら猫の三文小説

のら猫が書いている、小説です。
質問があれば
gmailのnaosukikan
まで連絡ください

新しい子猫たち No.17

2014-01-30 00:00:37 | 新しい子猫たち 
神太朗と切人



神太朗は、切人とも話をした。切人は、理想主義的な神太朗とは違い、極めて現実的な人間だった。



効率的な運営と、堅実な会社経営を推進してきた人間でもあった。マリアのアフリカへの熱い想いを理解して、マリア財団の財政規模を安定させてはきたが、決して、理想主義者ではなかった。



人間は伝統的な食生活から離れらない。食は一種の文化なのだ。そして、文化は一朝一夕で出来るものとはないと考えていた切人は、食品事業での新しい技術なんぞは、経営評論家の造語や商売用の宣伝文句に過ぎないとも思っていた。



神太朗や猫たちが言っている事は、単なる理想論とも考えていたが、そこは、香奈が好きな猫が絡む問題なので、切人も用心深く、出来るだけの協力はすると言った。


猫たちの考え


日本での牧場、農園、養殖場そして食品加工施設は着々と進んでいた。スイスでも、スイスカナコインが、猫牧場の猫たちとも話し合って、独特の展開をスイスカナコインの食品総合会社に取り入れて、成果を上げていた。猫たちが発想して進めていた事は、一見すると、今までの食品に大きな差はないように思えた、やたらと遺伝子組替えをした原料を使うものでもなかったし、従来の食品と劇的に違うものでもなかった。



しかし、原料の収穫量は多く、そして食品原料である農作物の味も向上し、当然製品の味も向上していた。


農作物は歴史的にも、一定面積当たりの収穫量は増えているのだ。農業は、地道で昨日と同じ事だけをしている伝統産業ではなく、本来、技術革新の多い産業なのだ、植物も無限の可能性を持っている。単に土と水と肥料だけから、太陽の力を借りて、米や野菜、麦そして果実まで作り出す偉大な産業でもあるのだ



遺伝子組替えは、自然に起こる突然変異を限られた条件下で促進するだけに過ぎない、長い目でみれば、米も麦も、けっして昔の米や麦ではない。長い間に品種交配もされ、植物自身の都合でなく、人間の都合により、変えられてきた歴史があった



猫たちは、遺伝子研究センターでの研究を通して、植物自身の本来の遺伝子が持ちながら、眠っている偉大な力をより発揮できるように、遺伝子を調査しながら、新しい技術の開発を進める事にしていた。