化学 と 紡績 は、過去の確執 どちらが純子の本家かの意識が強すぎた
紡績の中央研究所 は 今となっては世界でも有数の化学系の研究所 化学は会社の名前とは異なり、バイオ関係に研究を進めていたが、今でも根幹の化学製品は紡績の中研の特許とか研究が支えていた。もっと有機的に、紡績の中研の発明、研究が活用できれば、もっと伸びるのだった
アメリカの子会社は 紡績と化学の合弁会社として 伸びていた。アメリカの世界有数の化学関係の会社も出資して 研究中心の会社して伸びていた。紡績の研究所は有名だったし、この会社は紡績の研究所の評価を高めていた。 更なる発展をするには、もっと有機的な協力関係を作るのが大切とみんな頭では判ってはいたが、両社の首脳に具体的な話が近づくとどうしても ウチが本家の意識が出てしまう
今回の社外取締役は、洋太郎の推薦といいながら、洋太郎の狙いがはっきりとしない、治部レーヨンの影のバックとも言えた二郎でさえ、洋太郎の本音が見えないと云っていた。
この時の洋太郎はそんな特別な意識はなかったのだから当然だった。ただ優秀な人材に対する 洋太郎の保護意識がそうさせていた。洋太郎は表の誠実、愚直一直線の単純な人間ではない事は役員クラスになると百も承知の事で洋太郎の本音はナニかをみんな意識してしてしまうだけの話だった。この時は優秀な人材を埋もれさせるのは経営者としてもっとも恥ずべき行為と云う、それこそ、純子の精神に沿った洋太郎の思いからだった。
話をしてみると、単なる会計ゴロ、会計の専門家だけでなく、エンゼルホープ病院、付属とも言えた、遺伝子治療研究所を財政面で支えた人物らしい。コイツを使って 紡績と化学の垣根を超えた協力関係を推進する事が出来るかもしれない と両社の役員連中はそう思っていた。
紡績の社長の清太郎 化学の社長もそもそも その意識が強いが、洋太郎とか化学の会長となるとどうしても本家意識が出てくる、紡績の清太郎も化学の社長もそうした目に見えないラインに近づくと言葉使いが慎重になりがちだった
この時は洋太郎の推薦だったし、話をした洋治も化学の会長もコイツの優秀さは判った。あんな人を使わない手はないと周囲に言っていた。それこれ 純子の精神と云うのは、みんなに判っていた。