のら猫の三文小説

のら猫が書いている、小説です。
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新しい子猫たち No.288

2014-10-31 00:00:02 | 新しい子猫たち 
ジブシティ地下開発計画

瑠璃が強欲本家から買った土地は、調査されて何も出なかったので、ジブシティの地下の開発工事現場と換わり、強欲本家から買った、山脈は香奈オフィスの当座の土砂置き場となっていた。

その後、本格的な建物を建てて、ジフシティ拡張の計画もあった。池も早速調査された。泥水みたいな沼も調査されていた。

すると不思議な事に池の水の水位は上がっていた。水にはリング状の水も分岐上状の水の濃度は段々と増えてきた、何回も調査したが、調査する度に濃度は高くなる一方だった。

貴重な水資源となる筈だったので、池の周囲の沼にはエンジェルスターとパワースターを植えた。すると益々、濃度が高くなってきた。濁っていた水も段々と透明になり池の底には湧き水が吹き上がっている事も判った。

精密で本格的な地盤調査の結果、深い所で地下水の貯まりがあって、敷地内から、ジブシティを経由してこの強欲本家の所有だった広い土地の下まで広がっている事も判った。

敷地の下の地下水脈は地表表面に近いが、その下の地下水脈は広大な空間になっている事も判った。敷地内の井戸が枯れる事がなかったのは、その下の広大な地下水脈に通じている可能性も指摘された。

強欲家の持ち山だった山は、強欲家が話題のレアメタルがあるかどうかを調査したが、話題のレアメタルの純度は低かった。ただ調査地点は少なく、たまたま出てきた強欲鉱山の純度が高く、これに専念して開発したので、実際にはよく判らなかったと云うのが正確だった。

この山脈は、はじめはジブシティ地下計画で出た、土砂の堆積場として考えられていた、ナンダカンダの手続きも取った。資源探索ロボットもあったが、実はそうした作業をする前に大きな問題が起こっていた

新しい子猫たち No.287

2014-10-30 00:00:01 | 新しい子猫たち 
敷地内は自動車運行可能

ジブシティーは、原則自動車立ち入り禁止だが、敷地内は自動車は立ち入り可能であった。敷地内は元々不便な所に、初代阿部鉄平が隠居場を作り、大きな農園と庭まであって、更に農園を拡大された敷地に阿部一族と云うよりも純子が嫁入りした冶部一族が住みついてできたものだった。

香奈もこの敷地で生まれた。実質的には車でしか都心には出れない場所だったので、当然自動車は使えた。ボロイ私鉄も開通する前から、冶部一族は住んでいた。

私鉄の駅と敷地との間には山があって、遠回りだが、私鉄を利用する事ができたのは私鉄開通後だった。


ジブシティは、香奈が猫たちがリトルキャット運用会社に行くようになって、原則自動車の運行は禁止していた。引越しとか、お店への配達も、ジフシティ株式会社の許可が要った。

ジブシティの周りには大きな駐車場をジブシティが用意して、そこに駐車するようにした。安いよの大型店は、イチイチ、ジブシティ株式会社の許可を取るのが邪魔くさいので、ジブシティの周辺に配送センターを用意して必要な商品は大きな手押し車で安いよの店に運んだ。

安いよの配送センターをみて、ジブシティ株式会社も住民と販売店のために、ジブシティ配送センターを周辺に用意してそこで大きな荷物などを預かり、各家やお店に連絡するシステムだった。

香奈ハイテクの工場は、厳密に言えば、ジブシティではあるが、周辺でもあって、この自動車運行禁止ゾーンとは少し離れていた。元々工場ゾーンは、別建前ではあったし、周辺に配置されていた。

香奈の家の猫たちのためと云う本当の理由ではなくて、交通事故を防ぐと云う大義名分があった。

しかし、不便である事は否めなかった。それにモノレールスタイルのフリー交通も輸送人員が限定され、しかもジブシティが拡大すると、ジブシティ内をテクテク歩くのも大変になってきた。

モノレールは便利だが、待ち時間が長く、結局歩く事になった。ジブシティ株式会社は、この状態を改善したかった。

ジブシティの地下に地下鉄を張り巡らし、荷物運搬用の自動車専用道路も作り、ジブシティの地下に、配送スポットと駐車場を作る計画を立てていた。

地下の地盤を調査していた。ただ金はナントカなったが、土砂が大量に出る。ジブシティの地下には、ナニがあるか判らないとエネルギー研究所の夢野が香奈に言った、有用なレアメタルがないとは言えない、調査する前に建物を建てたので、調査していなかったと言っていた。

新しい子猫たち No.286

2014-10-29 00:00:27 | 新しい子猫たち 

二人の相場師 その3

リトルチャもチャタロウも元気がなくなって、昼寝ばかりしていた時期があった。アンタたち、猫デッセ、いくらなんでももう終わりダッセという兆候だったのが、クリスの薬で復活していた。


元気なくしていた二人、いや二匹の猫のグループは、トップが元気なくしていた間には、対照的な対応をしていた。

チャタロウのグループでは大きく、二つのグループに分かれた。リトルキャット九州は、チンタラと動いていた、リトルキャット企画とリトルキャット物産にあきれて、依頼する事は少なくなり、独自の路線を動き出していた。

一方リトルキャット企画とリトルキャット物産は、グループ内の相互依存度を高めるといったら、語弊があるが協調する事が増えた。

猫たちのグループはそれぞれに自分の関心のある事を追及して、猫たちの取りまとめ役ともなっていた、チビ助の子猫であった、チビジュニアが個々の話を人間たちと交渉する体制に変っていた。


一方、リトルチャのグループは、専制君主が突然いなくなった時にも似て、大混乱になって、統制がまったく取れなくなった。猫たちは勝手に色々と注文を出し、チビタロウがまとめようとしてもまとまりがつかない、世界各地の投資センターなどの人間たちも、リトルキャットファイナンシャルの社長程度では軽く見て、まったく統制がつかないグループになった。


この時に例の銀行の頭取となっていた彼は、単に金融グループだけではなくリトルチャグループの混乱に乗り出していた。リトルチャと二人三脚で組織を築き上げた彼は、過去の経験を生かして、リトルチャグループの混乱を収め、チビタロウも猫たちの取りまとめに成功して、例の銀行の頭取だった彼、リトルキャットファイナンシャルの社長そしてチビタロウの三人、いや二人と一匹の集団指導体制を組織していた。

元気なくなったとは言え、象徴的な存在としてのリトルチャの威光も借りて、リトルチャのグループは、混乱から脱出していた。


元気が戻った、二匹の猫たちが組織を点検していると、チャタロウは、もたれあうように協調していたリトルキャット企画とリトルキャット物産にチャレンジする気持ちを持たせようと努力し、リトルキャット九州の社長には報告だけを求め、時折一人と一匹で相談する程度になって、チャタロウは専ら、もたれあっていた組織の改革を進める事にしていた。猫たちのグループもチビジュニアには組織としての取りまとめ役になってもらい、猫たちをよりまとめるように依頼していた。


一方、リトルチャは、組織がそれなりに動きだした事に満足して、グループとしての重要な問題にはナンダカンダと云うが、個々の組織の独立性を高め、最高首脳会議との協調も取ると云う絶妙なバランスを取るようにした。


あっさりといえば、リトルチャは普段はヒマになった。前のようなリトルチャ専制体制に戻すと、自分がナニかあったら、大変と思い出していた。


リトルキャットアニマルクリニックもできた事だし、又自分の小遣い銭で相場をしようとリトルリトルチャとも相談して、狙える場所がないか相場を時折分析していた。


リトルキャットファイナンシャルの社長からも、リトルチャが自由に使え、損しても、組織に響かない範囲で、リトルチャ個人というか、名義はリトルチャファイナンシャルの経営管理室長名義の運用手数料として、経営管理室長はその銭を全て、税金等補填分を除いてリトルキャットアニマルクリニックに増資する手続きまで決めた。


リトルチャのグループでは伝説的なリトルチャの相場が又復活すると云う噂も流れた。二人の老人たちも、ヒマだったので、リトルチャに会っておきたいと云う気持ちも出てきた。そんなに長く自分たちも生きないかもしれない、リトルチャも元気なくした時期もあったので今後はわからない。


ブラジルの奴は、大金持ちでもあったので、特別な自分だけの飛行機、自分だけの特別車両も作らせた。飛行機の中とか特別車両の中は、リング状の水と分岐状の水が水蒸気になって漂う空間とした。何しろ金もっていたので、息子が大株主の航空会社に、その特別飛行機を貸して、又その飛行機をチャターする形で、日本まで行く計画を立てた。チャター機は成田ではなくて、羽田に到着するようにも出来た。敷地内まではその方が時間は掛からない、何より入国審査やナンダカンダの手続きも簡単だった。特別車両は日本でも作らせて、日本の大きな観光会社の株をワザワザ息子の会社に買わせて、その特別車両を貸して、それをチャターして、敷地内のリトルチャの所までいく計画だった。


ロンドンのジイサンは、その話を聞いて、ワシも混ぜてよと言った、ロンドン空港に行く特別車両は比較的簡単だったが、特別仕様の飛行機を作るのは時間掛かった、それにロンドンからニューヨークまではそんなに時間は掛からないのも都合が良かった。


ブラジルのジイサンも仕方ないな、ニューヨーク経由にしたろと言って引き受けた。そして、二人のジイサンたちは、敷地内に特別車両できた。敷地内は、特別車両とは違い、もっと元気で頭も冴える場所だと気が付いた。ここは不思議の空間なのだった。一歩歩く毎に、元気になり、頭も冴える空間だった。


二人は、後で説明するが、香奈の家の隣の高層マンションの中に大きなオフィスとレジデンスを兼ね備えたビルが出来ていて、この中にはリトルキャットファイナンスの経営企画室のフロワーもあるが、リトルキャットファイナンシャル専用の住居空間もあった。


飯は隣のレストランで作ってもらえるので、小さい台所はあるが、ベッドルームは何室かある、豪華なマンションみたいな部屋だった。二人の年寄りたちは、当然のように自分たち専用の部屋にした。

新しい子猫たち No.285

2014-10-28 00:00:58 | 新しい子猫たち 

二人の相場師 その2






この二人の相場師は、根っからの相場師なので、相場以外の事には興味はなくて、それぞれの投資センターに相場以外の事は任せていた。

金だせと言われれば出資していたが、元々経営なんぞには興味はなかった。

やがて二人も歳を取り、運用会社での運用はほとんど子分たちにまかせていた。

子供たちは、相場みたいな仕事は嫌い、二人が稼いで貯めた金で、それぞれ会社を買収したり、共同運営したり、大株主になって、カスリを貰ったりしていた。



リトルチャグループの運用会社は、神之助、神元の巨大ネットワークに組み込まれていたが、依然として、形だけは、リトルチャグループの運用会社は存在して、その会社が巨大資本傘下の別の運用会社に人を提供して、資本参加する形を取っていた。



二人は、普通の人間なので、歳を取ると元気がなくなって、相場に取り組む意欲もなくなって、敷地内の不思議に気づき始めた時には奥さんは亡くなってしまった。

二人は敷地内と同じ空気、同じ水になるように、金出して、特別な広大な家に作り変えた時には、奥さんは既になくなっていた。作り変えると途端に元気になったが、やる事がなくなっていた。

自分の運用会社は形だけは残っていたので、自分の小遣い銭で、又相場でも開始しようと勉強していた。

その時に、リトルチャが元気をなくしたと云う話を投資センターや運用会社の幹部たちから聞いて心配していた。

不思議の猫と思っていたが、やはり化け物ではなかったのかと云う思いもあった。それが途端に元気を取り戻したと聞いて、クリスの薬の話も聞いた。製薬から人間用の薬が一瞬販売されたので、それも飲んだ。益々元気になった。

新しい子猫たち No.284

2014-10-27 00:00:42 | 新しい子猫たち 

二人の相場師 その1

話は変るが、リトルチャの運用会社群には、有名な二人の相場師たちが加わっていた。元々その世界では、結構名前がしられた相場師で、金も持っていたが、当時スイスの荒事師と評判になっていた、リトルチャの運用会社に参加していた。


スイスの荒事師の、相場取引の秘密を探る目的ではあったが、リトルチャと出会い、その相場感覚に感嘆して、完全に子分のようになった。

加代子の会社も、今は会社の責任者をしている奴が加わった事で、ドンドンと有名な相場師が会社に入り込み、より一層大きくなったが、リトルチャの運用組織も似たような傾向があった。

それは取引の重層化、安定化を導き、多くの取引を同時展開できるようにもなっていた。いくら、リトルチャでも同時に複数の取引を展開するには無理があったが、それぞれ得意の分野もあって、リトルチャグループの取引は神かがリのリトルチャの判断も適切だった事もあるが、多くの相場師たちを抱えることで、利益は伸べていったのだった。

リトルチャは、この二人に特別な特典を与えていた。それぞれの運用会社での運用枠以下なら、自分の金でも運用していいと、こっそりと言った。

リトルチャは、こうした所は老獪であって、成績のよい、取引の利益が多い奴にはそれとなく、利益が増えるように特別な待遇をそれぞれ与え、それは微妙に取引結果によって変わり、それが刺激になって、より多くの利益をもたらしていた。


リトルチャの運用会社のシステムでは、運用手数料は大変高く、そのかなりの部分を人間名義の組織の金に換えるが、この二人の取り分は大きかったけど、二人の元々の資産は大きく、それは驚異的に増えていた、二人はリトルチャからの特典に感謝しており、税金補填としてくれる金を除いて、通常貰う分の名義料なんぞも全ても投資センターに預けていた。


つまり積もって、莫大な金が投資センターに貯まっていた。通常は1割から2割は個人の金に換わり、残りは完全に組織の金に変換させる作業をするのが普通だったが、二人は元々リトルチャから、自分の金も運用していいと言われて、莫大な金を残していた事もあって、それはあくまでも組織の金、投資センターが自由に使いなといって、名義、変更作業が難航していた。ただならどんな細工しても、贈与になってしまうのだった。


個人名義の組織の金は、投資センターがそっくり預かるので、実務は問題なかったが、やはり名義問題は処理したかったのが投資センターだった。


この二人は、二ューヨークとロンドンにいた。ニューヨークにいた奴は、元々はブラジル人なので、金がごっそり貯まってからは、ニューヨークの運用会社は子分にまかせ、ブラジルに帰り、リトルチャグループの新しい運用会社を組織していた。

リトルチャグループの運用会社では、当時はこのロンドン、ニューヨーク、ブラジルのサンパウロの運用会社が大きな存在だった。もう一つ、チューリッヒの運用会社もデカイ運用をしていたが、ここは特定の相場師に頼る事もなくて、通常のリトルチャグループの運用会社だった。それにスイスカナコイングループとも近く、人ではなくて、組織で対応していた。

リトルチャの取引も多くはスイス経由で処理していた。複数の運用会社に分散させてはいたが、元々リトルチャもスイスカナコインの取引からスタートした事もあって、スイスでは組織は安定しており、相場師とは完全には呼べない、取引には強い組織人がかなりスイスにはいた。

リトルチャの息子のリトルトリルチャは、日本での拠点になっていったり、二人の老人の弟子たちが世界に散らばっていくのではあるが、リトルチャグループの運用はこうして拡大していった。