のら猫の三文小説

のら猫が書いている、小説です。
質問があれば
gmailのnaosukikan
まで連絡ください

香奈とコシロの子供たち No.63

2013-07-31 00:09:06 | 香奈とコシロの子供たち


ジブトラストや冶部一族の会社は

安定化しつつあった。




マリアの子供の切人も、正子の孫で神太朗の子供である神一たち、神子の娘の神代たち、聖子の孫の羽朗や辺朗たち、菊子の菊太郎なども大きくなってきた。



ジブトラストは、正子が基本的に先物取引は止め、神子が先物と株式を統合して取引し、神之助が、商品相場や為替をしていた。カミカミファイナンシャルの当番制も二人の競争心をあおると言う事で止めていた。それぞれの運用上限を五千億と決めた。


その上神太朗もカミカミの利益の一部の長期的運用も担当していた。カミカミファイナンシャルは、各地のジブトラストの子会社の社員を兼任にし、世界のマーケットのある場所に子会社を作り、独自の口座を持ち、カミカミファイナンシャルの出資者が、出資金の範囲でそして運用上限が設定されたら、その範囲で自由に取引出来るようにした。三人とも二つの財布をもって、運用していった。それでも誰が儲けが多いかと云う事で競争するのは、やむを得なかった。逆に三人で競争して儲けだした。


神太朗ですら、長期的運用と云いながら、短期間で売ったりする事もあった。又異常な勢いで資産が増えていった。カミカミファイナンシャルは、運用するお金としては、ジブトラストに近づいていった。いつしかジブトラストのように、制約のある株式投資は控え目になり、長期的な投資と企業支援や起業の神太朗、先物と調整売買の神子と商品相場と為替の神之助と云うようになり、ジブトラストと同じようになった。もう一つのジブトラストへの道を進んでいた。


神太朗は、香奈の運営の方向性が優れていた事を再確認していた。カミカミファイナンシャルは、当初、正子が支援していた低価格な軽工業や食品とサービスから、アフリカ快適ホールディングに出資してから、基盤産業やホテル、病院などへの傾斜を強めていた。先物や商品相場への比重が多いファイナンシャルでもあった。



ジブトラストの運営は、まだ香奈が最終決定していた。ジブトラストは、現金の保有額、貴金属の保有そして、上場や非上場を問わず、株の保有は遙かに多かったが、先物を含めた株式取引や商品相場や為替で運用する金額は、全体としても、カミカミファイナンシャルとの差はあまりなくなっていた。ジブの子会社でも会社としての運用は、ヨーロッパのマリアチームを除き、なくなっていた。


子会社としての取引はあまりなく、子会社の取引担当がそれぞれ孫会社として取引し、その利益を貰っていた。子会社は、情報や長期保有について本体と連絡しながら調整しているだけだった。ただみんな高給だったので、金があり、情報が入るし、株屋の業からか、それぞれ自分の個人会社を作り、個人会社としての取引はしていた。それは自由だった。株式投資は、ジブトラストとして保有株式が増え、役員も出している子会社もあり、それなりの制約もあったが、それに触れない限り、ジブトラストとしては自由だった。ジブトラストは、香奈が好む基盤産業、金を含む貴金属そして不動産から、正子が好む食品やサービス業まで幅広い産業に出資していた。



香奈ファイナンシャルは、そんな取り決めもなく、香奈は、ジブトラストで得たお金の相当部分を香奈ファイナンシャルに出資し、自分でも投資し、香奈ファイナンシャルの年寄りハイテク工業団地まで作っていた。一族の若い人や高齢者の起業段階から、援助していっていた。ただ出資した企業が利益を上げ、配当も多く、資産規模は膨んでいった。香奈も暇になると色々と制約もあったが、株式投資もしていた。ボロ株を買い、売り飛ばし、一発倍増の機会があれば取引したくなる香奈だった。


ココも益々元気になり、時々香奈に、にゃーと鳴いた。マリアも、海外の香奈ファイナンシャルで先物を中心に積極的に運用していた。利益が増えればマリア財団への寄付も増えた。瑠璃や徹彦などの子供たちも、徹行などの孫たちもジブトラストからの配当も入り、余裕があれば、配当は貰えないものの香奈の事業継承の
資産継承の意味もあり、出資していった。自由気ままなファイナンシャルではあったが、香奈が次々と出資していったので、ハイテクと資源中心に保有株式も多かった。香奈は、長府や諏訪では、自分たちの管理会社も協力して、香奈ファイナンシャルも金を出して、不動産の再開発も進めていた。運用手数料も配当もない運用会社だった。出資額の調整もせず、国内では香奈が、海外では、マリアが自由に投資できた。



聖子ファイナンシャルは、その収入の多くは聖子の事業の利益に依存した収入と出資している企業からの配当からなるファイナンシャルであった。聖子の事業が急拡大していくにつれ、聖子ファイナンシャル自身も拡大していった。聖子は、海外中心に服飾から、農園、養殖、食品企業そして軽工業が主体であったが、カミカミフィナンシャルと共に重工業に、香奈オフィスと共に資源へと、快適グループは拡大していった。このファイナンシャルだけは、少しの配当と事業報告書を出した。



俊子は、ホテルと治部サービスと不動産を運営していたが、洋治と共に洋之助一族の各管理会社も管理していた。俊子は考えて、洋太郎や洋治などに別れていた上場株を洋之助会に集め、暇な洋治がお世話係になり、紡績や治部洋服、ホテルなどの非上場の会社の管理会社もそれぞれが保有する非上場の株式を半分程度出資して、新しく洋之助と美佳の会を作り、管理会社を統合する管理会社を作った。


洋之助と美佳の会は、個々の管理会社を統轄する管理会社となった。まだしぶとく紡績の会長に居座っていた洋太郎がお世話係になった。配当の分配などの雑務は、それぞれ尚子や綾子たちに管理の手伝いをさせていた。


洋之助の血筋は、二つの大きな管理会社に集約されていった。洋之助の血筋はこれらの大きな管理会社に出資していくだけで、少しは事業を継承するようにした。


しかし、カミカミは正子と洋太郎の血筋だけの管理会社で、聖子ファイナンシャルは、二郎と聖子の血筋であり、ユキエンタープライズは洋治と有希の血筋の会社であった。悦子にはエツコオフィス、有希や彩香には治部産婦人科小児病院もあり、和美には快適交易があり、禎子にはジブトレーディングなどがあった。これらは洋之助と美佳由来の非上場の会社とは異なり、それぞれの血筋が出資していっていた。際限なく広がる洋之助の身内の関係会社に細かく出資する事は大変になり、そのための管理会社の整理でもあった。



治部ホテルは海外も含め、数も増え、治部ホテル、エレガントホテルそしてニコニコホテルの3つのブランドも、ブランドイメージも固まり、治部ホテルズインターナショナルと云う運営統合会社を作り、俊子、悦子そして綾子が協議して、運営していった。


各ホテルも、ジブトラスト、カミカミファイナンシャルそして聖子ファイナンシャルなどの資本も入っていたので、統合して運営料を貰う事にしていた。治部サービスとニコニコサービスも、治部総合サービスと云う統合会社を作り、その二つの調整をして、そこには海外のホテル用の治部インターナショナルサービスにも入り、治部海外サービスとエレガントサービス、ニコニコ海外サービスに別れ、ブランドイメージに沿った備品の開発や運営をしていた。治部サービスは治部ホテルと付属する複合ビルのサービスに特化して、国内のニコニコサービスは、ホテル外部のサービス部門を全て引き継ぎ、乳幼児施設や協力する病院、赤ちゃんスキ不動産の賃貸住宅などのハウスクリーニングも含めて取り扱い、一番大きくなった。敷地内のジブトラストサービスは、ホテルやレストランも抱え、ジブトラスト付属の独自のサービス部門であった。海外ではそれぞれのホテルの中でサービス部門を抱える程度だった。



有希は、利益比例で有希個人に入り、洋治が有希名義で管理会社に出資したり、ジブトラストの前身の運用会社に出資したり、有希名義の預金としていたが、貢ぎ病が治った後は、有希個人名義で増資して、保有していた治部洋服の株も出資して、有希の貰う各種の配当や報酬を貯めて、有希の会社、ユキエンタープライズを作り、治部産婦人科小児病院に出資したり、寄付しながら、それ以降の配当や報酬もユキエンタープライズに出資していた。聖子が稼ぎだすと、貯めていたユキエンタープライズのお金も有効に使い、競争して有名ブランドハンターとなり、治部洋服への増資や治部洋服やジブトラストなどと共同出資して、ブランドを買い取る事に、お金を使っていった。そして収入が増えていった。子供の禎子、洋一郎と孫の尚子たちにも、少しずつ自分の個人会社であるユキエンタープライズに出資させていった。有希も流石に90才になると自分名義で貯めていくようになった。



治部洋服は、洋服事業を行い、直営店を持ち、そしてグッズや小物を扱っていたが、それ以外にも有名ブランドを数多く持つようになり、それぞれのブランド毎に独立していった。治部洋服と治部洋服の管理会社そして、各ブランドの事業会社と有希の個人会社であるユキエンタープライズが絡む複雑な企業体になっていた。中級品から高級品を揃え、経済が発展し、所得が増えてくると利益が上がる傾向もあった。


治部洋服や治部洋服の管理会社そしてユキエンタープライズは、それぞれの小物やグッズを製造する中小企業にも、ジブトラストと共同で、或いは独自に出資もしていた。発展し、拡大を続ける聖子の事業に対抗して紡績との協調を進めていた。尚子や夫の柿崎孝も、複数の企業に入り、管理していた。有希自身は、商会の役員にもなり、娘婿の雅也まで商会のトップに押し上げていたが、自前としての貿易網も禎子や信治のジブトレーディングも使っていた。ジブトレーディングは、北米中心の貿易ネットワークを作り上げ、商会と調整しながら、治部洋服や快適洋服などの実際的な輸出入を行う会社になって、貿易実務を中心にその業務を特化しつつあった。






恵は、真智子から預かったお店やビルを繁盛させ、若い時はお金も稼いだが、次第に財団や恵教としての活動に時間が取られた。それに真智子の財産の相続対策でお金が必要だった。香奈から借りたお金も、恵は実は気にしていた。夫の健次郎は次男だったが、いつの間にか、真智子の世話をして、ビルの管理も引き受けていた。


真智子も、財団で頑張っている恵を援助しようと恵にはジブトラストへの出資も少しは多くしていた。それに香奈の強制的な増資の時にも恵は増資に応じていた。そのため、恵は、真美や由香と相談しながらも、一家を取り仕切るようになっていた。ジブトラストの高額の配当も貯め、子供たちにもジブに出資させたが、それの配当も管理会社に貯めさしていた。


真智子の遺産の土地もマチコジブ記念不動産として集約して有効利用していたが、そのお金も貯めていた。息子の嫁の小夜は、ビルの管理会社に貯まっていた金を使い、ジブの助けも借り、大阪と福岡に商業ビルを作り、利益を上げだした。孫の嫁の菊子が、小夜たちと相談して、マチコジブ不動産のお金や各管理会社のお金も使い、ジブの助けも受け、複数のビルからなるジブタウンを作った。東京で高収益のビルを持つ事で、やがてはジブからの出資も返し、借金もせずに、ビルを整備する事が出来た。


菊子は、自分の事業を始め、主に小夜たちが、貸しビルだけでなく、ビル全体の運営をしていった。恵の考え方は浸透し、借金をせずに、ジブの配当も加え、手堅く運営していった。真智子と清彦の一家は、鉄鋼の管理会社と化していた真智子と清彦の管理会社以外に、健太郎と由香、そして健次郎と恵などの家族単位の管理会社を作り、マチコジブ記念不動産も含めて、それらの管理会社が出資しあって、ジブタウンを作っていた。ジブタウンを含め、多くのビルは、個々に独立しながらも、ビルの運営は、統合して運営するビルの総合運営会社である冶部ビル株式会社を作っていた。



恵自身は、娘の千恵夫婦と財団の運営にほぼ専念していった。千恵と友貴の子供の友一は安倍化学に入り、会社の金をチョロまかす事もなく、気が強い絵里と結婚して、敷地内に住んでいた。娘の千恵美は行き遅れにもならず、信じられない事に学者になり、教育心理学の先生になり、同じく心理学者の真部学と結婚して、暇があれば財団の相談室でカウンセリングをしていた。



菊子は、結果的に治部金属と云う大きな会社まで作ってしまったが、上場して、直ぐに妊娠した事もあって、会長にはなったが、ジブトラストとの兼任の赤川に運営も任せてしまった。菊子金属は、冶部金属の上場益も手にして、配当を出したものの、菊子金属にも相当お金を置き、菊子金属は、技術中心の会社となり、財務も楽になり、自由に研究して、香奈年寄りハイテク技術企業群の一角に入り、更に発展していった。



太朗もアフリカ快適ホールディングの社長を退き、ヨハネルを社長に、マルトを副社長にして、後を頼み副会長になり、名経営者として、惜しまれつつ社長を退いた。快適製鉄も世界のなんとかと云われる程大きくした。快適化学も傘下に多くの化学会社を抱える大きな会社にした。経営の実務は、ヨハネルが快適製鉄の社長になり、マルトが快適化学の社長になって、社内も握り、海外でも認められるようになっていた。ヨハネルやマルトは、農園や縫製工場を持った快適ギニアや快適エジプトの単体快適もそれぞれ率いながら、ジブギニアやジブエジプトの役員も兼ね、重工業を主体として、成長するアフリカを牽引していた。アフリカでは、快適とカミカミそしてジブトラストが一体となって多くの企業をネットワークを作っていた。アフリカの快適機械は現地の人を社長にして、日本の機械からも役員を出した。



商会、化学は、それぞれ大きくなり、一族の雅也や洋一郎が社長になったが、一族だからといって社長になれる会社ではなかった。
鉄鋼も真智子の夫の信彦は社長になったが、それ以来役員にはなるが、社長にはならなかった。会社として時代に沿った優秀な人を社長にしてきた。それだけに、曲折はあるものの、発展していた。



資源開発は、徹は中東依存を高め、それが利益率を高め、高収益な企業になったが、それが企業の足かせになり、徹自身も危惧して、資源の多角化を研究していた。徹彦は徹とは違い、そこまでの指導性はなかった。



機械は大きくなり、上場してからも合併や吸収をしていったが、基本的にはファミリー企業であり、功一郎の血筋を中心に一族の人を育て、外部の優秀な人を入れる事で企業を守っていた。和子以降の国際担当も技術屋の勝や勝彦そして勝彦の子供の勝一と続いていた。



貴金属やカズコウォッチは、完全な家族企業として、和子の血筋で固めていた。紡績は、洋之助の血筋が引き継ぎ、老舗として高品質の製品で、人や社会を愛し、人を育てる方針には、揺るぎようもなかった。子会社である化学や孫会社の治部レーヨンは、大きくなり上場していったが、発展する分野には、子会社や孫会社とともに出資し、紡績は大きな、一つの財産管理会社でもあった。



製薬は違っていた。大きな会社になり、一族の人を中心に引き継いでいきたい気持ちはあるが、それなりの人でないと難しく、友恵の後は、やはり、一族以外の人となった。ただ友恵は、高齢ではあったが、元気で影響力のある会長であった。



ジブトラストでは、正子は神子に先物もほとんど任せ、太朗とゆったりして、時々香奈と一緒に、神太朗から提案のあるジブトラストとしての支援や出資などに決定していくようになっていた。神一や神代も、法学部や経済学部に通いだしていた。




香奈とコシロの子供たち NO.62

2013-07-30 00:08:57 | 香奈とコシロの子供たち


ジブギニアホテルとジブモロッコホテル




ジブギニアホテルは、好調に推移していた。病院は研究所の経費も高く、赤字ではあったが、ホテルはそれを上回って大幅な利益があった。流石に高額の出資だったので、資金力のあったカミカミファイナンシャルではあったが、神之助が、鬼のように儲けだしても、現金が、元どおりになるには、2年かかった。今度は、神子が負けずに、モロッコで大きく、豪華なホテルを、建てたいと言って、ヨハネルやマルトに頼んで作り出していた。



今度は、大きな砂漠も持つホテルだった。大きな豪華な最高級ホテルを海岸近くに作り、砂漠の中に、一見するとテントのような小屋が幾つか点在するホテルだった。エンジェルストーンのエネルギー供給システムと自家発電と海水の淡水化システムを有効に使っていた。小屋の下には、数室の近代的な設備がある小さなホテルがあった。海岸から砂漠まで含む広大な敷地を持つホテルだった。


ジブホテルモロッコもジブモロッコ医療センターとアフリカ砂漠研究センターを併設した。聖子のアフリカの快適農作物研究所からも人を派遣して貰い、農作物の研究と砂漠の有効利用を研究する研究所だった。


神子は、神之助と違い、金、金の商品相場の知り合いはいなかった。由緒正しい株ゴロの連中だったので、落ちぶれ医師とか株で身を持ち崩した科学者しか集まらなかった。それで金に困っていても折り目は正しかったし、教育も高かった。アフリカの未来に貢献すると云う名目を口にしていた。


砂漠をジープで突っ走って、点在する小屋のようなホテルでゆっくり過ごすと云うものだった。いやな人は、海岸近くに、ジブホテルギニアに負けないほど豪華なホテル本館でゆっくりして、砂漠の端のアフリカ砂漠研究センターで砂漠を体験する。もっと無精な人は、砂漠の端に行って、砂漠を少し走り、帰ってくると云う酷い内容だった。


神太朗は、金を砂漠に捨てるようなものだと思った。神子は、アフリカの未来に貢献すると云う名目をタテに取って、無理矢理進めた。神子が砂漠が好きだった。神太朗は、建前に弱かった。


神子も儲かるとは、思わなかったが、砂漠はそれほど高くなかったし、本館は、海岸近くのホテルなので、そんなに損はしないと思っていた。赤字の分まで稼ごうと神子も、神代と一緒に砂漠ツァーにいこうといって、神のように儲けだした。


神子も神代も読みは甘かった。海岸の本館のホテルは満室に近く、砂漠の中の小屋のホテルは、ほとんど満室になった。ジブモロッコ医療センターは、赤字にはなったが、アフリカ砂漠研究センターは、なんと砂漠でも生育できる農作物を探し出した。ロボット工学研究所のロボットが頑張って栽培した。おまけに砂漠の下の資源まで探してしまった。


高額の出資も、今度も数年で神子たちは稼ぎだし、ホテルも病院の赤字以上稼ぎ、金を捨てるつもりの砂漠から、逆に金を稼いだ。神子たちは、稼ぐのに忙しく、砂漠ツァーはまだいけなかった。それでもジブモロッコ医療センターは、周辺の医療には貢献して、マリアの財団にも協力したし、アフリカ砂漠研究センターでも砂漠研究は進められ、アフリカの砂漠も買いだしていた。



ギニアやモロッコの病院に集まった医師たちは、腕はいいが、心意気は低い連中だった。金に困り、アフリカに流れてきた医師たちは、マリアの財団が、金をちらつかせると、付近の巡回診療にも、つき合ってくれた。


アルルたちのギニアのチームは、ギニアでジブギニア医療センターを中心に巡回診療も始めていた。マリアの財団は、医師や看護婦の奨学金も出していた。マリアは、財団としてもいずれは自分たちの病院や医療スタッフを持ちたかった。腕も心意気も良い人たちは、直ぐには出来なかった。


エジプトでは、バトラッシュが、アルルを羨ましがって、大きな病院を探し、ヨハネルを口説き、快適鉄鋼の付属病院として、マリアの財団でも中心の医療センターとして活動するようになった。





香奈しコシロの子供たち No.61

2013-07-29 00:48:39 | 香奈とコシロの子供たち


香奈ハイテク企業の躍進



ロボット工学研究所は、旧機械の東京工場と第二工場が稼働し、効率化したラインになり、諏訪で借りていたロボットの製造ラインは、機械自身がロボット工学研究所から一部の技術を借り受け、機械としてロボットも使用した自動化機械を作るようになった。香奈も勝も機械の大株主でもあり、孫も働いていた。合併は無理でも産業用のロボットの多くは、機械に技術供与し、若干のパテント代も貰った。しかし、ロボットの受注も増え、カミカミファイナンシャルの買った土地に新しく、広い第三工場を作った。



未来エネルギーシステムが、急速に伸びた。機械の発電機のノウハウも生かし、大きなシステムから、家庭用のシステムまで作り、従来の電気やエネルギー供給のサブシステムとしても使えるようにした。エンジェルストーンと人工金属のキクコメタルを入れて、太陽光の当たる場所に置いて、従来の供給システムに繋げば、電気の使用料は、激減した。


雨降りや曇の日にも充填機能で人工光線も出した。エンジェルストーンと人工金属のキクコメタルのセットもそれほど高くなかった。急速に普及し、未来エネルギーシステムも大きな工場が必要になったし、エンジェルストーンの資源分別ラインを持つ毛利レアメタルやレンズを作る特殊レンズ研究所、キクコメタルを作る菊子金属も忙しくなり、大きな第二工場を作った。香奈オフィスもギニアやブラジルそして日本の毛利レアメタルの資源分別ラインで分別したエンジェルストーンを世界各地に売っていった。



治部ホームホテルと冶部ホームレストランも出来ていた



 
カミカミファイナンシャルが追加して買った土地は、広くてまだ空いていたので、ジブトラストがお金を出して、治部ホテルの協力を受け、中層の治部ホームホテルを建て、隣接して治部ホームレストランも建てた。ジブトラストや敷地内の人や工場で働く人や訪問する人のための施設だった。ホテルは、客室そのものは、それほど多くないものの、様々な設備も用意した。様々な広さの会議室もあり、理髪店や美容院までもあった。



聖子の実験農場で栽培した農作物もレストランでは使えた。治部ホームレストランは、ジブトラストが所有していた料理屋が移転してきた。今までの料理屋は、閉鎖しようとしたが、ファンもそれなりにいて、小さくそのまま残す事になった。配達は治部ホームレストランがする事になった。ホテルもレストランもジブトラストの内部機関に入れ、ジブトラストサービス部門が拡張された。営利目的ではなかった。



治部ホーム不動産に、香奈ファイナンシャルとカミカミファイナンシャル、聖子ファイナンシャルそしてジブトラストが敷地周辺の土地の一部を出し合って、新しい治部ホーム不動産を作った。大きな敷地は、治部ホーム不動産が一体的に活用する事になった。それぞれの土地の一部は依然として前の所有者の名義も残り、敷地内の家も個々の所有者と治部ホーム不動産との共同所有になっており、複数の名義が混然となっていた。分割して処分できないようにしていた。今や治部ホーム不動産は、運営はジブトラストの管理セクションの中のジブサービス部門が管理していた。美術館は特別に、財団法人となっていた。



「ここも益々便利になったね。なんでもあるホテルやレストランまで出来たね。配達だけでなく、レストランにも行けるようになったよ。」

香奈「工場で働いている人のお昼のお弁当も配達しているんだよ。ジブトラストでもお昼のお弁当や夜食のお弁当も注文しているよ。」

「ご飯も美味しいよ。あれは、聖子ちゃんの農場で作ったものらしいね。お米の粒も大きいよ。でもよくやっていけるね。」

香奈赤字になると思ったから直営にしたけど、外部からの注文も多くて、飯時は、大変なんだよ。配達の人も調理の人も増やしたのよ。ホテルも、ジブトラスト直営にしたのよ。俊子さんの治部ホテルズには協力して貰ったけど、赤字になると思ったのよ。でも工場にくる人だけでなく、ジブトラストにくる人も泊まるようになったよ。ゲストハウスよりは、便利らしいよ。」
「財団の理事会も、ホテルでしたいといっても、予約がなかなか取りにくんだよ。」

香奈「ホテルも増設するよ。空き地もあるしね。紡績も洋服も役員会は、ホテルでするようになったみたいだよ。香奈オフィスも会議をしているよ。」



治部ホームレストランは、治部ホームホテルの食事を受け持ったが、敷地内の家のためのレストランであった。敷地内の家を香奈たち、恵たちそして俊子たちの家には、大きな食堂を作り、それぞれ関係する家の人の食堂と喫茶室となった。3カ所に限定して、朝や昼には、フルーツ、パン、ハムそしてローストビーフなどの食材を配達して、配達の簡便性を図った。


治部ホームレストランも忙しくなり、配達の簡便性も必要になってきた。大きな電子ジャー、電子レンジや大型冷蔵庫なども置き、一族の人はいつでも、そこに来ればご飯が食べられるようにした。後片づけも簡単になり、お手伝いさんも楽になった。夕方は各家にも配達もしたが、3カ所への配達は多かった。泥棒などはいなかったが、プライバシーの問題もあり、食堂と各個人の部屋との間仕切りやドアは厳重にした。


それでも気分転換にホテルやレストランで、コーヒーを飲んだり、ご飯を食べたりする人もいた。この3カ所での食事代や維持費は、ジブトラストの出資額がそれぞれの家で多かった香奈、恵そして俊子の三人が支払って、それぞれのジブトラストの配当から引く形になった。一応この三人が、上位出資額の三人であった。


ホテルやレストランは、一応ジブトラストのジブサービス部門にして、内部に付属している組織でもあった。ジブトラストの出資額に比例して優待割引券も出した。レストランや食堂の残飯は、有機肥料とする設備もあった。レストランは聖子の実験農場と契約して、農作物や牛肉や養殖の魚も供給して貰う事になっていた。簡単な精米所や小さな食品工場の設備も備えていた。





香奈とコシロの子供たち No.60

2013-07-28 00:09:43 | 香奈とコシロの子供たち


大きくなった敷地



敷地内の前の広大な工場跡地を倉庫として、持ってた機械会社は、大同機械会社と言い、細かい工作機から、大きな工作機械まで作り、職人肌の精密な機械を作る会社でありながら、営業活動が下手で、利益は低くかった。ただ昔からの名門だったので、豊富な不動産を日本各地に持つ会社であった。


一族の機械とは長年の競争関係にあった。経営計画も保守的で発展せず、和子が大きくした一族の機械会社との差は、広がるばかりであった。不動産収入に依存し、営業利益も低く、株価も精算価格付近で上下していた。外資に狙われやすい会社であった。何回かの外資の買収工作は、一族が団結して、退けていた。



カミカミファイナンシャルは、外資が買収に失敗し、大同機械の株価も急激に下がりだしたので、カミカミファイナンシャルが安値を拾う形で買いだしていた。それほど話題にもならなかった。買収に失敗した外資は、大同機械に買い取りを要求したが、大同機械は応じず、困った外資は安値で、全株をカミカミフィナンシャルに市場外で売った。


一躍カミカミファイナンシャルが筆頭株主に躍り出た。事実が明らかになると、カミカミの買いと言われ、株価は急に2倍に上がった。しかし上がれば、カミカミファイナンシャルは売った。利益は低迷していたので、落ち着くと株価は下がり、あまりに下がると、カミカミフィナンシャルが買い、上がれば、カミカミが売り、大きく下がると云う状態が続いた。



アフリカ快適ホールディングの傘下に、大きな機械会社を作る計画があった。神太朗は、基本的な工作機器の要素が欲しかった。けっして吸収したい訳でも合併したい訳でもなかった。密かに合併ではなく新天地でみんなと協力して新しい機械会社を作ろう、大同機械の役にも立つよと呼びかけたが、長年一族の機械会社に競争心をもっている事でもあり、買収され事を恐れ、株を無断で買われたので敵対的と云って断った。



神太朗は素直な性格だったので、カミカミの平均購入価格以上に株価が上がれば売っていった。カミカミは、平均購入価格まで売っていった。大体カミカミとして元本は回収したが、大同機械は、株価が上がらない株になった。


一方アフリカ快適ホールディングの傘下に、ジブや聖子ファイナンシャルに、毛利ロボット工学研究所、日本の機械、ドイツの機械、菊子金属そして現地の資本まで出資して、快適機械ができた。あらゆる機械を扱う大きな機械会社だった。大同機械の工作機器は最初の技術目標として、徹底的に調査して、高品質の金属そしてロボットの精度の目標になった。


大同機械の機械は高品質だったので時間はかかったが、自動化ラインで安く出来るようになった。アフリカで売っていった。アジアにも輸出したし、日本にも世界にも売っていった。値段は、大同機械よりずっと安かった。一族の機械会社やドイツの機械会社は、地域や機械の種類などを調整していったし、いい機械は、代わりに売っていった。



カミカミは、会社精算価格以下の安値で拾っていたにも拘わらず、すべての保有株を売れなかった。まだ発行残高の1割も残っていた。だが株価は下がり続き、カミカミの平均購入価格よりも下がった。カミカミの平均購入価格より、少し高い価格にカミカミの全持株の売りが並んでいた。それで話題になった。大同機械の株は安く買えるチャンスなのに、多くの人は売っていった。一方、倉庫の売却交渉は、別問題で治部東京が担当していた。



大同機械の工作機械は高品質で、根強いファンはいた。同じタイプの製品で3割低い快適機械の製品をぶつけられただけだったなのに、不思議な事に売上げは落ち、赤字になった。内部保留も高かったが、配当も減り、株価は、もっと下がった。会社精算価格の半分程度になった。


するとハゲタカのような外資が、含み資産を狙って、買いだした。漸く大同機械も事態の深刻さに気付き、密かに神太朗と話をして、一定の経営自主権を確保し、創業者一族も相当の株を保有する事を条件に、一族の機械会社ではなく、アフリカの快適機械の子会社になった。


安くなった市場価格より1割程度安い価格で、快適機械への増資を割り振った。快適機械は、ディスカウントTOBもして、大同機械の創業者一族の保有も認め、非上場の会社になった。ハゲタカも諦めて、ディスカウントTOBに応じた。流通できない株になるので、それを嫌がる人も応じた。


アフリカの快適機械の製品で、大同機械と同じようなタイプの機械製品の輸入販売も受け持つようになった。大同機械の技術は、優秀だったので、快適機械も、ロボットだけでなく、優秀な技術ノウハウを、安い価格で手に入れる事が出来た。大同機械は、快適機械、大同機械の創業者一族そしてカミカミファイナンシャルの会社になり、大同機械が北日本中心に持っていた不動産も利用しやすくなった。山間部を資源探索ロボットが探索して、幾つかの資源をみつけ、快適大同鉱山と云う別会社を作り、そこに香奈オフィスも出資して運営して、大同機械は、その配当も入り、高収益の企業になった。



ただ大同機械が窮地の時に、なんとか云う動物のような瑠璃は、瑠璃の個人会社が二束三文でジブの里近くの山脈を買い叩いて、鉱山を作り、大儲けしていた事が分かり、大同機械側は快適大同鉱山の設立案に難色を示し、神太朗は、この山脈の残りの盆地をカミカミが高く買い、大同機械の創業者一族のご先祖様が作った城跡を公園として残すなどの条件を付け、快適大同鉱山はアフリカ快適が筆頭株主とし、香奈オフィスは大同機械と同じ出資比率に減らすなどの条件を付けるなどの苦労もした。



敷地内の前の広大な工場跡地は、シブトラスト不動産グループは、治部東京不動産を仲介させて買収して、大きな工場跡地の倉庫は、ジブトラストが買い取っていた。そうすると湧き水が盛んに出て、大きな池と小さな池を作り、小さい池の周りにパワースターを栽培し、その下にエンジェルスターも栽培して池の雰囲気を作った。大きな池は、人工海水の池にした。普通の池にすると勿体ないので、快適農園とイチコプロダクツの実験養殖場とした。処理加工場付きの小さな実験牧場も作り、肉牛の飼育をした。香奈のハイテク工場群の小さい流通倉庫も作った。



「敷地も広くなったね。敷地の前の大きい池には、何故大きな鯛がいるの。海にいるものでしょう。
香奈「海のような条件にして、養殖の研究をしているのよ。波も起こすらしいよ。湧き水だけの小さい池では大きな鯉がいるでしょう。快適とイチコプロダクツは養殖場もしているから、研究していると言ってたわ。鯛は、レストランでは料理にもしているのよ。鯛の活け作りを配達しても貰ったら、チャもココも喜んでいたよ。あんな嬉しそうな顔は初めてだよ。

「猫には勿体ないわよ。由香さんも、美味しいと言っていたわ。でも私は、お肉がいいわ。ステーキは、美味しかったわ。」

香奈「私も食べたわ。美味しいかったね。あれも実験牧場で肉質改善した牛肉らしい。聖子ちゃんがお肉好きだから無理矢理小さい牧場も作ったの。ここの牛肉が一番美味しいらしいわ。

「もう敷地といっても広いね。敷地内を全部歩くのも大変になったよ。洋治さんでも池の手前までしかランニングしないと言っていたわ。ホールもゲストハウスも立て直すらしいね。大きなマンションにするらしいね。」

香奈「ひ孫たちも結婚するような年になったからね。ホテルも造ったし、会議場も増設したから、ホールもゲストハウスもいらなくなったの。聖子ちゃんが、ホテル代も高いといって、快適農園は宿舎も作ったのよ。」

「ひ孫が結婚するような年まで生きるとは、思わなかったよ。それにしても香奈さんは若いね。瑠璃さんどころか奈津実ちゃんとも姉妹でも通るよ。」

香奈「有希さんが一番若く見えるらしいよ。尚子ちゃんの妹と云われたと言って喜んでいたよ。」

「孫よりも若く見えるのも凄いね。」




香奈とコシロの子供たち No.59

2013-07-27 00:00:35 | 香奈とコシロの子供たち


聖子の気まぐれのため、

快適農作物研究所日本の構想が難航



農園の敷地には、快適農作物研究所日本が建ち、農園で新しい品種が研究されたと云いたい所が、日本にはまだ遺伝子研究センターしかなかった。気まぐれの聖子の決断に慌てて、快適農作物研究所と遺伝子研究センターとが、泥縄式に、何を栽培するか検討していた。


快適農作物研究所の日本は、本部となるので、人選も重要だった。ブラジルから呼ぶか、アフリカから呼ぶか、遺伝子研究センターの植物スタッフの兼任とするから始まった。検討は、長引いていた。徹行の薬草が足りなくなりそうだったので、エンジェルスター、パワースターを、取りあえず栽培する事になった。



「敷地も広くなったね。香奈さんが買った工場は広かったね。菊子さんも今までの所は工場を拡張して、テスト工場と研究所は、みんなの近くが便利と云って越してきたけど、まだ空き地があるね。

香奈「工場を4つも建てて、みんなの研究所が入れるビルを建ててもまだ空いているんだよ。発電は、未来エネルギーシステムにしたけど、井戸水は、枯れているらしいよ。地下水も掘れないし、公共水道の水を使う事にしようとして調べたら、敷地と聖子ちゃんの農園は同じ岩盤の上だけど、工場は、半分位逸れるらしい。農園には、湧き水が出てきているのよ。今調べているよ。
「私も見たよ、結構湧いていたよ。敷地内の井戸水も水位が上がっているらしいよ。」



敷地内が広がり、水も湧いてきた




敷地と農園の境界線当たりから、水が湧きだし、栽培には便利とため池を作っていたが、流れ出すのも芸がないと云って、敷地と農園の境界付近に大きな貯水タンクを設置し、タンクの外側には、岩のように見えるようにして一定の高さになれば、滝のように農園のため池に流れるようにしていた。


農園の溜め池から、新しく作った工場の貯水タンクに回り、水処理をして処理後の水の貯水プールを作った。この湧き水は、とても綺麗だった、飲用のための処理をして新しく高純度の高分子膜濾過装置もつけた。従来の井戸水の水位が上がっていたので、一定以上の水位になれば、貯水タンクに回すようにした。


湧き水も敷地内の井戸水の水位上昇も安定してきた。真一郎や徹行が、調べてみると井戸水の中の分岐状の水も増えていたが、湧き水は、分岐状の水だけでなく、リング状の水もあった。敷地の井戸水も別の貯水タンクに取り、一定の混合比になるようにバランスを取り、バランスタンクも作った。



香奈「この頃、お水美味しくなったと思わない。チャもココも喜んでいるよ。ジブトラストが、湧き水も飲めるようにしたんだよ。金もかけたよ。」

「美味しくなったよ。それにしてもあの農園は、滝のようにため池に流れるし、溜め池には、鯉までいるし、工場に水を流す水路が小川のようになり、農園と云う感じではないよ。庭園みたいだよ。薬草を栽培しているとか言っていたけど。あんな竹のようになるの。

香奈「確かにいい感じになったね。私も朝散歩しているよ。あの薬草がドリンクの原料なんだよ。元々大きくなる薬草だけど大きくなりすぎと徹行も言っていたよ。」




「いつまでも元気で限定品」誕生


敷地内は広くなり、滝のように時々流れる水の飛沫も立ちこめ、不思議な霊力の里になった。ここで栽培したエンジェルスターの抽出液からは、分岐状の水もリング状の水も溢れるほど出ていた。強壮効果のあるパワースターも大きく、背も高くなり、草ではなく、竹のようになった。葉の薬効も上がり、分岐状の水もリング状の水もより活性化されるようであった。


遺伝子研究センターが交配したエンジェルスターも茂みのように繁殖した。ここの実験農場で採れたエンジェルスターから採った抽出液は、あまり薬効が強いので、濃縮液として真一郎の研究所に置いて、研究しようとしたら、又濃縮液を少しこぼしてしまった。今回は、少しだった。濃縮品も一杯残り、今後の研究に使用するつもりだった。足りなくなりそうだった薬草もどんどん大きくなり、量の確保もできた。「ジャパンドリーム」は、薬だったし、製法を変える訳もいかず、「いつまでも元気で」に、極微量混ぜ、「いつまでも元気で限定品」として特殊品として販売するつもりだった。


日本快適農作物研究所も体制が固まり、実験農場として返すために、農園に植えた薬草は全部回収しようとしたが、ため池の近くのパワースターは、竹のように根を張り、下の茂みのように繁殖したエンジェルスターだけを採って、農園を聖子に返した。借地料は、これから話する事になっていた。聖子にも「いつまでも元気で限定品」を、お礼として相当渡した。


日本快適農作物研究所も、体制がきまり、ブラジルとアフリカから、同数の人を派遣し、遺伝子研究センターが兼任の植物スタッフが常駐し、所長や副所長を交代制とする事になった。竹のようになっていたパワースターは、ため池の雰囲気にあまりにもあっていたので残した。ため池付近には水田が出来たので、お米の栽培をして、ため池から離れるほど、水が要らない野菜や果実を栽培するようにした。


聖子の希望で大きく美味しい野菜や果実を栽培する事になった。研究所近くには、ビニールハウスも造り、快適農作物研究所の日本も動き出した。ここで上手く行けば、イチコプロダクツにも、実際に日本で採れた農作物としての話が出来るのだ。


魔法のような実験農場




この実験農場は、成功したとも失敗したとも分からなかった。この実験農場では、何でも上手くいった。お米も倒れる程実り、美味しかった。研究としては、多くの可能性が分かった。大きくて美味しいいイチゴやトマトなども沢山採れた。イチコプロダクツや関係先の農場では、それほど大きく生育しなかったり、収穫も悪かったりする事もあった。それでも新しい品種のストックは増えていったし、研究成果は、ブラジルとアフリカにも影響を与えた。



聖子は「いつまでも元気で限定品」の効果を身をもって体感した。二郎も聖子も年になっていたが、若いときの快感が蘇ってきた。太朗も正子も体感した。神太朗たちも綾子達も体感した。


「いつまでも元気で限定品」を飲んだ人もみんな体感した。農園の竹のようなパワースターの下には、又茂みのようにエンジェルスターが繁殖し、竹のようになっていたパワースターの葉も良く茂った。聖子はこの実験農場でのエンジェルスターとパワースターの栽培を続ける事にした。


「いつまでも元気で限定品」は、生産数量限定品となった。聖子は、借地料も貰ったが、「いつまでも元気で限定品」を相当貰う事になった。この実験農場でのパワースターもエンジェルスターもやたらと葉が茂り、生産量は伸びていった。実験農場で栽培した農作物は、あわよくば世界で栽培して売る積もりだった。そうなるものもあったが、実験農場ほど大きくならず、美味しくはなかった。




ブラジルやアフリカとはその点は違ったが、それでも沢山出来たので、限定品として近くの安いよスーパーでは、売る事が出来た。子供の頭ほど大きくなった苺やトマトは、有名になった。イチコプロダクツや関係先の農場では、半分程度の大きさだった。


聖子実験農場としてそこで作った農作物は、安くなかったが、飛ぶように売れた。お米は、イチコプロダクツで契約栽培している農家で試験したが、収穫量は多かったが、実験農場で出来たものと比べると、それほど美味しくなかった。それに大きな米粒のお米を、おいものように食べるにも抵抗があった。


実験農場でも一部をモニター販売すると、農園も狭くなり、敷地の周囲を取り囲むように、広げていった。治部東京に買収を頼むと、あっさり買えた。ただ敷地内の美術館や銀行の前の道の反対方向の広い土地は、一族の機械会社と競争関係にある機械会社が所有し、倉庫としてしか使っていなかったのに、売ってくれなかった。


それでも農園は、敷地を取り囲むように大きくなり、ため池からの水路は、小川のように拡張していった。水路を作っていると、今までの農園とは反対側に敷地との境界線から、湧き水がチェロチェロ出ていた。そんなに勢いもなく、小さい別のため池を作るにした。それでも実験農場の水は、全て賄えるようになった。香奈ファイナンシャルが作った香奈ハイテク工業団地の奥の大きな工場も閉鎖になり、今度は、カミカミファイナンシャルが買い取ってしまった。



「この間の苺は、みんなで切って食べたよ。出来ている所は、凄かったよ。スイカみたいな苺が一面になるのは、壮観だったね。

香奈「あれは、高いらしいよ、料亭が直ぐに買ってしまうのよ。治部ホテルでも買うらしいよ。苺の回りにショートケーキが並ぶと吃驚だよ。切人も喜んでいたよ。大きくても美味しいね。ここでないとあんなに大きいのは、出来ないらしい。」
「りんごほどの苺は、イチコプロダクツでは、出来るらしいね。快適農作物研究所も凄いね。バナナも大きい物も作ったし、とうもろこしも大きいね。」

香奈遺伝子研究センターも大きくて収穫量のある農作物を作るのは、快適が世界で一番と言っていたよ。しかし、お米をお芋のように食べるのには抵抗があるね。」

「お米は、大きくしても今イチだったね。」

香奈「お米は、大きくするよりは、美味しく、沢山とれるようにするらしい。薬草の近くなので、少しは水田もいるらしいよ。農園も拡張して敷地を取り囲むように大きくするらしい。実験農園も農作物を売ったりするから、安いよの全店分程度の販売量は収穫しないといけないといっていたわ。」

「香奈さんの工業団地の奥も買い取ったの。まだ空き地もあるのに。」

香奈あれは、カミカミファイナンシャルが買い取ったの。今は、要らないけど、売ってもいいと言ってくれたし、今後必要になるかもしれないと神子ちゃんが言ったらしいよ。」

「美術館の前の倉庫の方が近くて、もの凄く広いよ。」

香奈「あそこは、機械のライバル会社が持っているから売ってくれないのよ。治部東京不動産がまだ交渉しているわよ。」

「あのドリンクの限定品には、実験農場の薬草が入っているらしいね。あれは、効くと評判だよ。菊子さんは、怖がって飲まないよ。50超えても妊娠しそうだといっていたよ。私は、もう妊娠は無理だけど、元気がもりもり出てくるよ。
香奈「あれは、元気は出るけど、女は60才以上でないとすぐに妊娠する可能性があるらしいよ。男は、ビンビンが1時間も続き、勢いも凄いらしいよ。マリアさんも凄いと言っていたよ。正子さんも元気になったよ。聖子ちゃんは、薬草を渡して、山のように貰うらしいよ。」



聖子の農園も広くなり、安いよスーパーでの野菜や果実の一部は、聖子実験農場で栽培して、モニター販売とし、有名になった。農園の外側には、秘密保持の為木を植えた所、あっという間に大きな木になった。