勝は技術屋
そのおっさんは、純粋の技術屋で、経理なんぞは判らず、技術開発に金を使いすぎ、大赤字を出して、株価を下げても平気なおっさんだった。技術は強いので、新製品を出せば、ドーンと儲かる筈だった。今までもそうだった。自分の会社の技術を、香奈国内が評価してくれたと勘違いしていた。
勝と勝彦は技術屋だったので、このおっさんとは気が合った。そのおっさんに、ロボット工学研究所の工場を見せたり、自社の研究所を見せたり、自分達の研究所のような感覚で、ジブ総合研究所の研究所もみせた。勝のロボット工学研究所やジブ総合研究所は秘密の塊みたいなものだった。
普段はそんな事はしなかった。秘密保持契約をして、仕事の話をする時だけに見せていた。勝は、このおっさんの技術開発力を高く評価していた。ロボット工学研究所の技術革新にも役立つと思い、このおっさんに見せていた、このおっさんは、研究設備や研究スタッフに驚いた。ぜひ一緒に仕事をしたいと、勝に言った。
このおっさんは、優秀な技術者だった。一代で、このおっさんの技術で、会社を大きくした。波乗りみたいに、業績はデコボコしていたが、このおっさんが、次々と出す新製品が、会社を支えていた。勝は、色々な話をする内に、このおっさんの技術開発力を高く評価していた。技術屋の勝は、技術屋としてのこのおっさんを評価していた。
勝は、単なる技術屋だけでなく、技術屋を評価する事の出来る人でもあった。それが、機械の技術担当として、多くの会社の技術を評価していた勝の特技とも言えた。
経理屋の意見と営業の意見
一方、正人は、このおっさんの持ってきた経理書類を見た。酷いものだった。昔の商店で、売上をザルに入れて、要るだけ使っているような、会社だった。資金計画なんぞもないし、新製品を出しても、それを販売する経費も営業網も不足しているし、今後の開発の金も足りない、一発当てて、余韻で儲けて、金がなくなったきて、慌てて次の新製品の開発をして、大きな金を使い、赤字になるような、一発狙いの会社だった。
ただこのおっさんの技術力は高く、このおっさんが熱心に開発した製品は、優秀な製品だったが、フォローする人もいないので、このおっさんが走り回って営業をして、新製品を売り込み、それでドーンと儲けるが、その間、開発はお留守になり、新製品の細かい改良は出来ず、大手にその点をつかれ、類似製品を出され、やがて、新製品の魅力が消えてきて、売上は低迷して、このおっさんが慌てて、次の新製品の開発に取り組み、ドーンと金を使う。
その間、今度は営業はお留守になり、経理に人もいないので、無計画な資金繰りをして、次の新製品が出るまで、赤字で苦しむ。要するに、経理に人がいない。営業網が不足していて、それを構築するにも金も足りないと思った。
政則と健次郎が偶々、正人の部屋に来て、これを見た。政則は、こんな経理書類を作って、平気な経理屋のいる会社は駄目だと素っ気無かった。健次郎まで出てきて、これは酷い、これで、よく会社が続いているね、新製品が出来ないと直ぐにつぶれるよとか言い出した。
経理屋の超高齢者や高齢者たちがガヤガヤ言っていたので、健太郎、洋治や徹まで話に加わった。この三人の意見は少し違った。
洋治は、色々な会社と共同開発してきた。何か不足している部門があれば、化学として、その部門の足りない所を補って、関係する企業を応援する事で、その企業も助け、化学も儲けてきた、共存共栄は洋治の経験から出た言葉だった。甘いと言われる事もあったが、洋治はそれで一応成功していた。
健太郎は、鉄鋼の営業総括として、色々な会社の営業力も見てきた、リトルキャット系列の販売会社の力は大したものだった。健太郎は、もう超高齢者だったので、そんなにウロウロとはしなかった。それでも色々な人と会い、色々な話を聞いて、そう思っていた。
徹は、あっさりと正人に言った。そんな会社には、経理や管理の人を出して、金を出してやればいいんだよ、技術はいいんだろ、勝さんは誉めていたよ。正人は、経理の出来る奴らを紹介できるだろ。リトルキャット系列の販売力はしっかりとしていると健太郎さんは言っているよ。そこに頼んでやれよ。そうすれば、金も大した金額は要らないだろ、必要なものを出して、育ててやれよ、それが投資じゃないのと言った。
政則は、経理屋としては超一流だった。香奈ハイテクの経理体制は、政則が構築していた。それをくわせ者と言われた徹彦が管理体制を整えていた。
未来テクノの経理や管理体制も、コバンザメのような大介が、政則や徹彦の真似をしていた。
健次郎も老練の経理屋だった。健次郎は、菊子金属や冶部金属の経理体制を作り、冶部金属の経理もそれとなく見ていた。菊子金属や冶部金属に行った赤川は営業に強く、元々ジブトラストの管理に属していたので、管理への配慮も忘れなかった。
政則は、勝の技術力や徹の全体的な見通しの中で、経理を考えていた。それはそれで大した事だったが、徹や勝みたいな人はそうそういないし、政則みたいな、コンピューターみたいな経理屋もそうそういないものだった。健次郎は、経験のある老練な経理屋だったし、菊子金属や冶部金属の技術力は、世界的なものだった。赤川の営業力も大したもので、今や赤川は、鉄鋼業界を代表する長老とも名経営者とも言われていた。
二人の経理屋は、そんな人たちの中で、会社の経理を担当していた。技術や営業や管理には、それなりの人と云うより、優れた人がいる組織だった。経理屋としても、そんな人たちと協力して、経理としての意見を伝え、会社の資金計画を作成し、会社の長期的な方針を作る時に、キチンと意見を言うのが経理の仕事だった。家計簿みたいな書類をつくり、電卓を叩いているのが、経理の仕事ではないのだ、二人は、超一流の経理屋だったので、いい加減な経理屋の仕事には我慢できなかった。しかもそんな経理屋がいる会社には、信頼も出来なかった。会社を維持し、大きくするために経理として方針を提案するのが、本当の経理屋の仕事だと思っていた。