リトルチャは
投機猫ではあったが、大きくなった金融グループの維持や運営も必要だった。リトルチャとチャタロウは大きな方針を決め、細部については、担当に任せると云う点では同様だが、少し違う点もあった。
チャタロウの実業グループの最高会議には、かなりの人が出て、経営情報を共有化して、仕事を進めていた。要所要所で、それぞれの担当はチャタロウに報告していたが、いわばグループとして動いていた。チャタロウの子供たちもそれに参加していた。
それにリトルキャット九州の社長とリトルキャット企画調査チームのリーダーが事実上のダブルトップとなり、世界の情報は企画調査チームのリーダーに集約され、日本の情報はリトルキャット九州の社長に集約されて、チャタロウとその配下の猫たちを集めて、最高意思決定会議なんぞも開かれていた。
その会議の議題には、それぞれの組織で調整していたのが、実態と言えた。ダブルトップの二人はチャタロウチームでの人間としての最高地位でもあった。企画調査チームのリーダーは、秘書室長のように、いつもチャタロウの意思や意向を確認していたし、実際の経営執行はリトルキャット九州の社長が、責任をもって執行していた。
経営情報の公開も広く行っていたが、意思決定もダブルトップの意見を聞き、配下の猫にも意見を求め、チャタロウが判断するスタイルであった。広く議論するものの決断は早くできるようにしていた。
一方リトルチャの金融グループの最高会議は少数だけを集めたトップ会議であり、担当と云うよりも幾つかの組織を束ねるトップたちが、集まって金融グループとしての方針を決めていた。
更にそれぞれのトップは側近の人を連れて、リトルチャと個別に相談していた。いわば初期のジブトラストのようでもあった。それぞれの組織は独立しており、それぞれの組織毎に成績が明らかになり、その成績により、その組織の経営陣そして働いている人たちの報酬も決まっていた。
経営情報の一元化よりも、機密を守り、それぞれのグループの独立性を高くする事をリトルチャは重んじていた。それぞれのトップは独自に幾つかの子会社を作り、更にその子会社が子会社を作り、更にその子会社が出資して、ある企業を使うなどの複雑な事もしていた。
これには少し訳があった。リトルチャは、実際に経営している人に少しだが、ナンタラオプションとして株式を与えた。それは子会社を作る時でも同じだった。そんなに多量の株式ではなく、数パーセントではあったが、会社を作れば作る程、株式が自分のものになり、それに利益は分散させているものの、建前としては税引き後利益の半分を配当にまわすと云う高配当の会社でもあった。
リトルチャの管理する運用子会社群は、建前としては、リトルキャット運用会社のあくまでも子会社だった。利益の半分は、リトルキャット運用会社に渡すのが、正人との約束だった。
チャタロウチームの会社は、正人との約束では、まったく独立したリトルキャット基金の会社であって、全て猫たちの采配に委ねられていたのとは、基本的には異なっていた。
正人は運用にはリスクが大きいと考えていた。ただ、投資したり、資金融通すれば、やはりその分は利益から引くと言った経理操作は当然認められていたので、実際の配当は20~30パーセントに落としていたが、それでも高配当と言えた。
人件費などの経費も当然、利益から引いていた。そのため、報酬は利益比例で高くなる会社でもあった。一つの仕事に一つの会社を作り、儲けれれば、経営している人には、当然、結構金が入ってきた。こうしてリトルチャの金融グループの子会社は、その数が自然と増えていったのであった。
リトルチャの腹心の部下と言えた例の銀行の頭取を中心とする金融グループの中核部門はもっと複雑だった。多くのリトルチャの金融グループでは、トップは小さい会社を組織して、その会社が子会社として大きな子会社群を持つと云う、一緒のトップダウン方式の組織だった。
経営陣は一つの小さい、司令塔みたいな会社を組織して、その経営陣の一人一人が、ある仕事をするために一つの会社を作り、その経営を執行しているような形がリトルチャの金融グループだった。
つまり指揮命令系統がはっきりしていた。しかし例の銀行の頭取を中心とする金融グループの中核では、トップは例の銀行の頭取で、親会社とも云える名目的な国内のダミー会社は、例の銀行の頭取の子分だった人たちが最高幹部となって運営していた。
この国内のダミー会社には、名目的な親会社と言えた海外の投資ファンド群が出資していた。この海外の投資ファンドは、実は海外におけるリトルチャの金融グループの幹部たちの母体でもあった。この海外の投資ファンドには、リトルチャの海外の運用子会社が出資していた。海外の運用子会社には、国内のダミー会社の経営陣が現地の人を含めて経営していた。複雑な襷がけのような組織であった。