のら猫の三文小説

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新しい子猫たち No.137

2014-05-31 00:00:17 | 新しい子猫たち 

リトルチャは




投機猫ではあったが、大きくなった金融グループの維持や運営も必要だった。リトルチャとチャタロウは大きな方針を決め、細部については、担当に任せると云う点では同様だが、少し違う点もあった。




チャタロウの実業グループの最高会議には、かなりの人が出て、経営情報を共有化して、仕事を進めていた。要所要所で、それぞれの担当はチャタロウに報告していたが、いわばグループとして動いていた。チャタロウの子供たちもそれに参加していた。




それにリトルキャット九州の社長とリトルキャット企画調査チームのリーダーが事実上のダブルトップとなり、世界の情報は企画調査チームのリーダーに集約され、日本の情報はリトルキャット九州の社長に集約されて、チャタロウとその配下の猫たちを集めて、最高意思決定会議なんぞも開かれていた。




その会議の議題には、それぞれの組織で調整していたのが、実態と言えた。ダブルトップの二人はチャタロウチームでの人間としての最高地位でもあった。企画調査チームのリーダーは、秘書室長のように、いつもチャタロウの意思や意向を確認していたし、実際の経営執行はリトルキャット九州の社長が、責任をもって執行していた。




経営情報の公開も広く行っていたが、意思決定もダブルトップの意見を聞き、配下の猫にも意見を求め、チャタロウが判断するスタイルであった。広く議論するものの決断は早くできるようにしていた。






一方リトルチャの金融グループの最高会議は少数だけを集めたトップ会議であり、担当と云うよりも幾つかの組織を束ねるトップたちが、集まって金融グループとしての方針を決めていた。






更にそれぞれのトップは側近の人を連れて、リトルチャと個別に相談していた。いわば初期のジブトラストのようでもあった。それぞれの組織は独立しており、それぞれの組織毎に成績が明らかになり、その成績により、その組織の経営陣そして働いている人たちの報酬も決まっていた。






経営情報の一元化よりも、機密を守り、それぞれのグループの独立性を高くする事をリトルチャは重んじていた。それぞれのトップは独自に幾つかの子会社を作り、更にその子会社が子会社を作り、更にその子会社が出資して、ある企業を使うなどの複雑な事もしていた。






これには少し訳があった。リトルチャは、実際に経営している人に少しだが、ナンタラオプションとして株式を与えた。それは子会社を作る時でも同じだった。そんなに多量の株式ではなく、数パーセントではあったが、会社を作れば作る程、株式が自分のものになり、それに利益は分散させているものの、建前としては税引き後利益の半分を配当にまわすと云う高配当の会社でもあった。






リトルチャの管理する運用子会社群は、建前としては、リトルキャット運用会社のあくまでも子会社だった。利益の半分は、リトルキャット運用会社に渡すのが、正人との約束だった。




チャタロウチームの会社は、正人との約束では、まったく独立したリトルキャット基金の会社であって、全て猫たちの采配に委ねられていたのとは、基本的には異なっていた。




正人は運用にはリスクが大きいと考えていた。ただ、投資したり、資金融通すれば、やはりその分は利益から引くと言った経理操作は当然認められていたので、実際の配当は20~30パーセントに落としていたが、それでも高配当と言えた。




人件費などの経費も当然、利益から引いていた。そのため、報酬は利益比例で高くなる会社でもあった。一つの仕事に一つの会社を作り、儲けれれば、経営している人には、当然、結構金が入ってきた。こうしてリトルチャの金融グループの子会社は、その数が自然と増えていったのであった。






リトルチャの腹心の部下と言えた例の銀行の頭取を中心とする金融グループの中核部門はもっと複雑だった。多くのリトルチャの金融グループでは、トップは小さい会社を組織して、その会社が子会社として大きな子会社群を持つと云う、一緒のトップダウン方式の組織だった。




経営陣は一つの小さい、司令塔みたいな会社を組織して、その経営陣の一人一人が、ある仕事をするために一つの会社を作り、その経営を執行しているような形がリトルチャの金融グループだった。






つまり指揮命令系統がはっきりしていた。しかし例の銀行の頭取を中心とする金融グループの中核では、トップは例の銀行の頭取で、親会社とも云える名目的な国内のダミー会社は、例の銀行の頭取の子分だった人たちが最高幹部となって運営していた。






この国内のダミー会社には、名目的な親会社と言えた海外の投資ファンド群が出資していた。この海外の投資ファンドは、実は海外におけるリトルチャの金融グループの幹部たちの母体でもあった。この海外の投資ファンドには、リトルチャの海外の運用子会社が出資していた。海外の運用子会社には、国内のダミー会社の経営陣が現地の人を含めて経営していた。複雑な襷がけのような組織であった。



新しい子猫たち No.136

2014-05-30 00:00:23 | 新しい子猫たち 

リトルチャは




もうそんなに投機などはしないようになり、商品相場も貴金属勘定の猫たちに一任していた。貴金属勘定の猫たちは、リトルキャット貴金属グループを組織し、運営していた。




毛利貴金属の真理の影響からか、保有する金や銀そしてプラチナなどの保有リスクを考慮しながらの商品相場にほぼ限定されていた。昔のリトルチャのように、儲かる事にはなんでも手を出す事はなかった。






リトルチャが組織して作り上げた商品相場などの運用チームの会社での全取引の一部でしかなかった。リトルチャの運用チームは、それぞれの会社で、独自に取引の子天才たちが運用していた状態だった。




ビットタロウは、香奈からの自分の運用枠を与えてもらい、自由にビットタロウ理論に基づき、研究を行い、その実践として運用していた。ビットタロウの運用実績が好調だったので、猫軍団としてもビットタロウの理論をリトルチャの個人的な運用枠の中で、従来の運用チームとは別枠でやらせてみた。






ビットタロウの理論では、色々な前提条件が揃えば、ある商品がやたらと急騰したり、急落する時期が、前もってわかると言うものだった。ビットタロウは、二つの財布からお金を一種の運用委託みたいな状態で運用していた。驚く事に勝率は高く、儲けていた。






ビットタロウの運用は儲かったものの、あくまでビットタロウの研究の実践と云う点が強かった。利益が出れば、さっとと自動的に引き上げた。リトルチャのように驚異的に儲ける最後の瞬間まで、利益を搾り取ると云う貪欲さには欠けていた。投機は大きく動かして、最後の最後で大きな利益が得られるものだった。






リトルチャは、元々投機猫だったので、興味を持って、この理論を使って、従来のリトルチャの仕掛けを組み合わせて、更に精巧な仕掛けを考えた。リトルチャは、取引参加者をペテンのような心理的な詐欺みたいな雰囲気にして、つまり価格が乱高下させ、疑心暗鬼の状態にして、狼狽売りや買いを誘い込み、ストップロスなどの過度の行き過ぎた価格にして大儲けをすると云うものだった。






それは修正して、心理的な要素も残しながら、安値で仕込み、ビットタロウの理論の上がる直前に、リトルチャ独特の荒業で、値段を乱高下させた。リトルチャ直属の商品相場のチームが、新しく組織されて大儲けをした。






神之助も、リトルチャと話をして、ビットタロウ理論を知った。神之助は、元々数学科の出身で、商品相場が、神之助の原点と言えた。為替と債券のプロみたいになったが、本来は商品相場が神之助の原点だった。神之助もビットタロウの考え方を取り入れて、神之助独自の仕掛けを考えた。リトルチャの仕掛けとの距離間も取った。






リトルチャはヨーロッパ、スイスを中心にして、神之助は日本、アジアそしてアメリカを中心として、それぞれの仕掛けを考えた。リトルチャは、研究は大切でも相場は生き物だと知っていた。リトルチャは、ビットタロウに研究だけでなく、リトルチャの投機の秘術を教えるために、リトルチャ直属の商品相場などの特別運用チームのサブリーダーにした。






そして、リトルチャの相場秘術を教えられて、ビットタロウのシステム取引のプログラムは改良され、儲けは何倍にもなった。ロスカットの設定も数段に複雑なものになった。






ビットタロウは、香奈とリトルチャからの運用委託をあくまで、自分のシステム運用で行っていたが、リトルチャの特別運用チームは、システム売買でなく、複雑な取引をしていた。リトルチャの運用チームは、いわば投機筋のプロ集団だった。普段はチンタラと取引していてもチャンスとみれば、襲い掛かるように儲けた。投機の儲けは、最後の瞬間で何倍にも膨れ上がるものだった。






神之助は、神之助チームの商品相場チームに担当させた。リトルチャや神之助たちが、商品相場で大儲けしている事は、加代子の会社の責任者も知った。






加代子の会社は、実業にシフトして、先物やデリバティブ中心の取引をしていた。加代子の会社の責任者も、取引の天才だったが、先物系ではなく、株式取引の天才だった。株ゴロとも言えた。商品相場にもそれなりの関心もあったし、知識もあった。加代子は、株先物が原点みたいな人だったので、取引は減ったとは言え、のんびりと先物取引が出来たが、加代子の会社の責任者は、やたらと制約も多く、取引も制限されていた。






もうチンタラと、少しつづ調整売買をする程度の事しか出来ず、実業の事も勉強もしたが、やっぱり、山師は山師だったので、実業での出番は少なく、実業の会社での名目的な役員なんかは、他の幹部にまかせていた。要するに暇だった。加代子の会社は、莫大な配当が入り、加代子の会社の責任者だったので、利益比例として、報酬もそこそこ貰っていたが、山師の出番はなかった。






そんな時に、リトルチャと神之助チームが商品相場で再び活発になった事を知り、そこに参加する事にした。加代子の会社の責任者も、商品相場のチームを率いて、ビットタロウの理論を勉強して、神之助とリトルチャの仕掛けに参加する事にした。






こうして三つのグループが商品相場に本格的に復帰した。資金的には、昔のように大きな資金は使わず、個人の運用枠の中で余裕資金を使う、限定的なものであったが、それだけに大儲けできる場面を探して、仕掛け出した。






個人の運用枠と言ってもそれなりに巨大なものだった。それぞれ実業のチームとも関係もあって、なんでもかんでも荒らしまわる事もできなかった。それでも、大儲けするので、利益が利益を呼んで、商品相場での儲けは急増した。






ビットタロウの理論は、債券市場にも向かっていた。債券では為替の問題もあった。神之助もリトルチャも今やそれが本職みたいなものだった。加代子の会社の責任者は、為替には素人みたいなものだったが、加代子のアメリカの会社では、債券の独自のチームも作っていた。為替は荒らしまわる事もしないものの、債券でも、これらの三つのチームは、共同戦線を組み、時々ビットタロウの理論に基づき、時々大儲けした。






ビットタロウは、自分の理論に基づく運用を香奈国内の香奈特別枠とリトルチャの特別運用枠の中で自分の理論に基づいて、システム運用をしていた。ビットタロウは、自分の研究成果をそんなに誰にも話さなかった。儲かる理論を売って金にするよりは、自分で儲ける方がずっと良かった。






リトルチャや神之助そして加代子のアメリカの会社の責任者は、この理論に自分たちの経験を加味し、それぞれ独自の理論と仕掛けを考え出した。ビットタロウも、リトルチャの特別運用チームのサブリーダーでもあり、その運用も参考にして、摩訶不思議な理論を更に精緻にしていた。






今回の仕掛けは、昔みたいな正規軍の経済戦争みたいなものではなかった。いわばゲリラみたいな戦いだった。少人数でも出来た、神元も、商品相場や債券で、神元の直轄チームを率いて、参戦してきた。従来の大儲けとは違うものの、それなりの儲けをするようになった。とても実業中心で、大人しいジブではなくなってしまっていた。



新しい子猫たち No.135

2014-05-29 00:00:29 | 新しい子猫たち 

ビットとマクロは、




8ビットや16ビットの昔のコンピューターならいざ知らず、複雑になった今のコンピューターで機械語が簡単に使える大天才だったが、やはり男、いやオスだった。






いくら脳細胞が高度に発達した猫と言っても、夜遊びもするようになり、女の子、いやメス猫と付き合うようになった。




付き合ったメス猫が悪かった。




手練手管に長けたメス猫ではなく、恐ろしく頭の良いメス猫だった。ビットもマクロもパッパラパーみたいなメス猫には、興味を待たず、頭のよさそうなメス猫に惹かれた。






ビットが惹かれたメス猫のサラは、言語学者の人に飼われていた猫だった。飼主が本を読んだり、著書を書いている時もじっとみていた。






この言語学者は、頭が良く、有名な大学の教授だったが、敷地外の人なので、やはりある程度の歳になると、亡くなった。






子供たちは、頭が悪く、サラには、そんなノータリンたちを飼主と認められず、家を出た。そしてビットと出会い、香奈の家に来た。そして分岐状の水やリング状の水を飲み、忽ち、もっと賢くなった。






そんなビットとサラの間にも子供たち、いや子猫たちが出来た。ビットタロウとビットハナコが出来た。この子猫たちとサラは、分岐状とリング状の水が溢れるように多い、牛乳を飲んだ。そして子猫たちはすくすく育った。






ビットタロウは、オタクのようなコンビューターが好きな猫ではなかった。やたら弁がたった、人付き合いも猫付き合いもこなした。






リトルチャはビットタロウの賢さに驚き、リトルチャチームの次世代を任せられる猫と期待して、まだ子猫だったビットタロウを経済学基礎研究所に勉強に行かせる事にして、ピットとサラに口説いた、サラはまだ幼いビットタロウを案じて、一緒に経済学基礎研究所に行った。






行った研究室も悪かった。経済学なのか、数学なのか判らない死語みたいになった計量経済学の研究室だった。






あらゆる経済の現象が、数学の方程式を解く事で解明できるとほざいていたおっさんの研究室だった。






おっさんは、数学科を優秀な成績で卒業して、もう一度経済学を勉強した変り種として知られていた。






おっさんの理論は、みんなに馬鹿にされた。結構偉いのに、大学には居られず、気の毒に思った知加子が引き取り、経済学基礎研究所で、一人で研究していた。






経済学で数学的な解析の重要性は知られていたが、今や数式を解く事で、経済事象を説明できると思う人はいなかった。






このおっさんは、元々数学では天才と言われていた。サラは、このおっさんの怪しげな経済学の理論には、ついていけないものを感じたが、数学については、非常に興味があり、一生懸命に勉強した。






このおっさんは変わり者だったので、猫だからと馬鹿にせず、直ぐにサラの才能に気づいた。数学のナンタラ関数論と言うものに、二人いや一人と一匹で取組んで、このおっさんは、元々優れていた数学の世界に、戻っていった。






経済学基礎研究所なのに、このおっさんの研究室は、数学研究室みたいなものになった。怪しげなおっさんの理論とは別に、やはり経済学では、数学的な解析は必要だったし、このおっさんが怪しげな理論を振り回さなくなったので、他の経済学の研究者も、このおっさんとサラの数学的な解析能力を頼りにした。






サラの数学的な解析能力は、ビットも刺激を受け、ビットのプログラムは更に精緻になった。元々処理速度が速いプログラムだったが、そこに数学的な要素も加わり、すべてのメモリーをフルに使えるわうになった。これは通信では特に有効だった。通信では、ある程度無駄というか、空白のような部分も一緒に送信していたが、フルに情報を伝達できるようになった。






通信機器のあのおっさんも刺激を受け、更に通信では革命的にも言える。コンパクトで大量な通信ができるようになった。コネコ通信だけでなく、あのおっさんの会社まで、それを利用して、リトルキャット系列での通信機器の販売まで好調になった。






一方、ビットタロウは、このおっさんの怪しげな経済理論に興味を持った。このおっさんの理論では、ややショートカットしすぎた部分があり、近似値を使いすぎて、結論が少しずれていた。それが怪しげな理論としか評価されない原因でもあった。






あのおっさんが、今や数学に興味が移っても、ビットタロウは、この理論の修正を一人で、いや一匹で行った。そして、この理論を商品相場や債券相場に応用してみた。






ビットタロウは、この理論を香奈に得意げに話し、その摩訶不思議な理論に興味を持った香奈は、元々プログラムでの投資には興味のあった事もあり、ビットタロウ専用のパソコンを用意して、香奈国内で、特別にビットタロウ運用枠を与え、やらせてみた。






ビットタロウの取引は、一種のシステマチック取引、つまりコンピューターの計算による自動取引だった。それがそこそこ儲かった。香奈はビットタロウが稼いだお金なので、儲けた利益は、香奈特別基金にもまわすように、正人に言った。正人はココのチームの運用利益と同様に処理した。




つまり、儲けた金額の5パーセントを香奈特別基金に運用手数料として渡し、経費や税金などを引いて、純利益相当の50パーセントをビットタロウの運用枠拡大とした。






それでも香奈はビットタロウにもご褒美がいると思い、何が欲しいとビットタロウに聞いた。香奈は、ビットタロウに鯛の活作りやヒラメの刺身などをあげるつもりだった。






香奈の家の猫たちは、儲けていたので、週に2回は、鯛の活造りとかお刺身とか、カニの身だったりする特別メニューが出ていた。それにジブシティーのリトルキャット運用会社での猫たちの部屋ではいつでも猫ビッフェも用意されていた。






ただ猫ビッフェは離れていたので、人見知りのする猫とか内気な猫など、行けない猫たちもいた。ビットタロウは、香奈にお願いした。香奈の家の離れにも猫ビッフェが欲しい。みんなと一緒に食べたいと言った。






香奈は感心して、正人に庭に猫たちの猫ビッフェを作らせた。設備の金、維持する金なんぞは香奈の頭にはなかった。香奈にとっては取るにたらない金だったし、香奈の家の庭は広かった。






料理は香奈の家の隣のレストランから運ばせた。そしてこれが、やがて猫たちのレストランのようになった。それにお手伝いさんにも結構好評だった。あっちこっちと餌を置く必要もなくなり、掃除も簡単になった。猫トイレも自動トイレとなりあっちこっちに置いているので、掃除の手間も簡単だった。






この猫ビッフェは、猫たちにとってもは、大好評だった。猫たちの中には、内気な猫とか先を争って食べる事が出来ない猫もいた。いつも補充されている猫ブッフェはそうした猫たちにとっては大変便利だった。いつも自由に食べる事ができた。






ビットタロウがお願いした事だったので、ビットタロウの人気が上がり、ビットタロウ、ありがとうと言う猫たちもいた。そんな騒ぎをリトルチャがみていた。






リトルチャは食べたければ、自分で勝手に注文して食べる猫だったが、そうした気配りの出来る猫も高く評価していた。ただリトルチャは実力主義なので、単に気配りの出来る良い猫だけではなく、ビットタロウの研究がどれほどのものか試してみたくなった。



新しい子猫たち No.134

2014-05-28 00:50:14 | 新しい子猫たち 

コネコソフトやコネコ通信は、幾つかの会社が、寄り集まったような会社だった。法律ゴロみたいな奴を中心に、利にさとい、頭の切れた連中が管理、経理、営業に集まり、盛んに儲け口を探し、無口な不動マンション出身者を中心に、フィールドワークをして、実際のシステム維持の仕事をコツコツとした。






そこそこの技術開発力をもった連中が、研究所に集まった。営業は盛んに難しい仕事を見つけてきた、それが利益が大きいからだった。そしてそんな仕事をこなしてきたから、コネコソフトとコネコ通信が大きくなっていた。






そんな事は管理や営業のトップたちは、十分知って、猫たちの技術開発力には、万全の信頼を持っていた。お飾りに作った研究所の人間たちで太刀打ちできないほど難しかった。






研究所のトップは、猫たちが集まるリトルキャット情報処理研究所にこっそり行って、相談した。研究所のトップといっても猫たちへの連絡役にすぎなかった。






ただあの法律ゴロみたいな奴らよりは、技術には詳しいので、色々な依頼は、法律ゴロみたいな奴が言うよりは、スムーズに頼めた。忽ちの内に、そんな仕事も出来た。






ただ、いつも猫たちに、頭を下げて頼むのは、結構、外部から優秀と言われていたコネコソフトやコネコ通信の研究所のトップにとって、面白い仕事ではなかった。






ラッセルタロウは、親に似て職人肌の猫だったので、何も言わなかったが、ビットやマクロは、歳も若く、こんな事も出来ないのと言った表情もした。






それにリトルチャの手前、リトルキャット情報処理研究所の技術開発費は安くなかった。先進的な技術開発だったので、当然と言えば当然だった。コネコソフトとコネコ通信の研究所はいわば、飾りのようなものとして、法律ゴロみたいな奴たちの管理グループは考えていた。当然難しい仕事とか、大掛かりなシステムの検討とかは、リトルキャット情報処理研究所に頼む事になっていたし、普通の仕事や研究についても、リトルキャット情報処理研究所の審査を受け、承認も取る事になっており、コネコソフトとコネコ通信の社内規定でも、そうなっていた。






リトルキャット情報処理研究所に、一定の金が入るようにとのリトルチャの考えもあった。ただ簡単な仕事は、勿論の事、普通の仕事や研究は、自分たちでもちゃんとしたいと思うのも人情だった。






生意気なビットとマクロも少しは世の中の事も判り、いい仕事や研究をしていると、ちゃんと理解して、凄いですねと人間達を誉める程度の芸もできるようになった。






ただプログラムは、大幅に書き換えられている事が、始めは多かった。猫たちは、機械語でプログラムを組んだ。人間達は、ネコネコCで組んだ。ネコネコCは、幾つかの機械語命令をモジュール化した言語だった。






ネコネコCで組んだプログラムは、幾つかの重複があった。ラッセルタロウはネコネコCなんて考えなかった。もっとすっきりしたプログラムを組んだ。ビットは、それを基にネコネコCを更に綿密にしていった。






いつまでもラッセルタロウやビットたちが全部のプログラムを監査できるとは限らなかった。ネコネコCは、猫たちの考えを人間達に変換させ、プログラムの作成能力を高めるためのものでもあった。






ただこんなやり取りが続いている内に、ネコネコCは、より体系だった言語になり、研究所の人間たちのプログラム能力も高くなった。それに学術ゾーンは、この拡大敷地内にあった。人間達も少しは賢くなった。






コネコソフトとコネコ通信の成績は、ドンドンと伸びた。リトルチャの影響力の強い会社なので、報酬は、利益比例だった。幹部たちの報酬の利益比例の割合は高かった。






ただ上場企業でもあり、世間にアピールするために、配当と役員達の報酬とは、ある程度の相関関係を持つようにしていた。会社の利益が上がり、株主に渡す配当も上げるので、役員報酬も上げると言えば、みんな納得した。






法律ゴロみたいな奴も幹部たちも、多少株を持っていたし、報酬も上げたかった。内部保留も増えてきたしと言って、配当も高くして、自分たちの報酬も上げた。リトルチャも、配当が高くなっていく事は、自分たちの会社への収入が増えて、小細工も出来やすくなるので、歓迎した。コネコソフトとコネコ通信は高配当銘柄と言われるようになっていった。






結局、株価はもっと高くなり、値動きの振幅も当然大きくなった。リトルキャット系列の企業で、香奈国内の企業ではあるが、子会社の子会社の関係会社と言う事になり、利害関係会社として、香奈国内は名目上外れて、自由に売買できた。






そんな値動きのする会社を、ココは見逃さなかった。買ったり、売ったりした。ただやっぱり孫たちの会社だったので、どうしても買いが多く、売るのは控えめになるのは、相場猫のココでもやむを得なかった。それでなくても、ココの運用枠は多かった。






それに話題だけでなく、コネコソフトとコネコ通信の業績は好調だった。浮動株は、もっと少なくなり、株価も、もっと上がり、振幅も、もっと大きくなった。






ジプトラストも利害関係会社から外れていた。神子もこんな値動きのある株は、見逃さなかった。神子も資金は豊富だった。買ったり、売ったりした。神子は予測の名人でもあった。結局は上がる株と思った。






当然買う量は多く、売る量は少なかった。浮動株は、もっと少なくなり、業績は、もっと上がり、株価も、もっと上がり、振幅も、もっと大きくなった。ナンダカンダとしている内に、ジブトラストと香奈国内の保有株は増え、株価も恐ろしく高くなり、一株何百万もする株になった。



新しい子猫たち No.133

2014-05-27 00:00:53 | 新しい子猫たち 

そして、コネコソフトとコネコ通信は、上場した。それも新しく、株式保有比率の分散化の規定が緩い特別なハイテクを中心とした新しい銘柄を集めた特別銘柄として、上場された。




みんなの想像を越えて、高値をつけた。




ジブ系列のジブテレコムも少し保有株を売らされ、あのおっさんの通信機器メーカーも保有株はそれなりに売らされ、リトルチャの子会社の子会社の関係会社は、相当保有したものの、やはり大分売らされ、リトルキャット情報処理研究所も保有株は、少し売らされた。それぞれ、それなりの利益が入った。




一応、創業者相当の規定で税率は緩和されたものの、やっぱりごっそり税金を取られる筈だった。リトルチャの配下は優秀だった、入ってきた金で新しいリトルキャット通信を、ジプテレコム、あのおっさんの会社そして株を売らされた関係会社、リトルキャット情報処理研究所がそれぞれ出資して、作った。そしてもう一つの通信衛星を打ち上げた。






金はそれだけでは足らず、リトルチャの例の銀行から借りた。そうすれば、新しい会社は赤字スタートなので、新規投資の免除枠以外に、ベンチャー企業優遇税制なんぞも使い、税金は下がった。






リトルキャット通信は、コネコ通信への回線リセールもして、コネコ通信の回線網は更に拡充していく事になった。






ジブの関係企業は割り当て価格は高くなったものの、それぞれに分散して少量ずつ保有して、ほとんどはじっと保有していた。




ジブ以外の企業や海外の法人も多少保有したが、それぞれコネコソフトのシステムを利用したり、コネコ通信からパテントを供与して貰っていた企業なので、ほとんどじっと保有していた。






一般公募の株式は、それほど数が多くなく、応募が殺到して、抽選でようやく当たった人たちなので、ほとんどは売らなかった。






初値は高値がついた。一般公募の株はそれほど多くない上に、将来上がると思った人が多く、浮動株はそんなになかった。結局、株は上がり続けた。






やたら一株当りの価格は高くなった。株なので、それなりに上がったり、下がったりしながら、上がり続けた。運営を任された法律ゴロみたいな奴らもそれなりに、株式も保有していた。




流石に保有する株式は、想像を超えて上がったものの売るような事はしなかった。業績も好調だったので、社会的責任などとほざいて、配当を高くした。