エンジェルホープジャパン病院の外科は世界最高水準にあると知られ、ガン治療ではそこに遺伝子治療を入れて、遺伝子修復しながら、一気に病巣をカットして、その後も遺伝子修復と、免疫系統の強化を目指していた
ガン治療は、世界では群を抜いていた。
神三郎自身は、学会とは無縁の人だったが、杉山たちは盛んに発表し、外科でも手術報告はしていた。
神三郎ははじめは冶部病院にいたが、そこの学閥、ナンタラ学会とかの抗争には嫌気をさしていて、神三郎は東大の医学部の外科に勤めていて、医学部内部の抗争にも嫌気をさして学校とか学会とは距離を置いていた
冶部病院には冶部一族は多く勤務していたが、冶部病院系の外科もジイサン、バアサンたちは、神三郎との距離感で、ある人は軽く手伝うが別の人は無縁とかに別れていた。
今度は敷地内のジブトラスト直営の病院の医師として、エンジェルホープ病院との協力業務として手伝うので、何の遠慮も要らなかった。
神三郎も父親の神太朗に言われた事もあって、礼を尽くした対応をしたし、内科のジイサンも医系グループの長老として、ジイサンたちに、神三郎を手伝うという意識を持てとジイサンやバアサンたちにいっていた。
ただ冶部病院に長く勤務していた外科のジイサン、バアサンたちは、学会の長老としても知られていた。すべての分野での学会との調整が行われるようになっていった。