のら猫の三文小説

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香奈とコシロの子供たち No.219

2014-01-13 00:00:27 | 香奈とコシロの子供たち


そして未知の領域に



香奈は、自分亡き後のジブトラストの事を考えて、対策をとっていたが、120才になってもまだまだ元気だった。むしろ以前より若くなったような気がしていた。



もうそんなに後の事を考えなくなった。みんな、自分の役割は違うのだ、新しい世代もそれぞれの役割がある。みんなが自分の役割を果たしていけば、いいと思っていた。



香奈は、元気なうちは、頑張るのだと言いきかせていた。それに毎日充実していた。チャやココも、猫にしては超高齢だったが、益々元気だった。性格の悪いリトルチャも孫も出来て、少しずつ角がとれ、リトルホワイトはコシロと違い、遠くから香奈を見ているようだったが、目線は優しかった。



ナターシャはジブシティーに良くいったが、香奈に会うと笑顔で微笑んだり、お辞儀するような猫になった。チビ助はいつも香奈の側にいた。香奈が根を詰めないように、疲れないように気配りしていた。




神太朗の計画




神太郎は香奈の体制変更案に賛同して、ジブ傘下の企業と連絡を取り、アドバイスして、それぞれ企業価値を高めるようにしていた。神太朗は実業部門での協力関係を強め、ジブの実業部門ネットワークを高めて、各会社は更に発展しつつあった。



もはやジブトラストは、切った、張ったの運用会社を脱皮して、保有している企業を発展させる事によって、資産価値の向上を目指す集団にもなるべきだと神太朗は考えていた。



そうなれば神一の一族の銀行やもう一つの大きな銀行とも新しい協力関係も築けるとも考えていた。


なんやかやといいながら、ジブトラストグループには、関係する銀行が3行、証券会社ネットワークも神太朗の証券会社系列とスイスカナコイングループがあった。



為替専門の神帥たちが主力の会社も、神之助チームから独立した会社も取り込み、神之助は勿論、加代子や切人たちからも出資を集め、大きな為替専門会社になっていった。



ヨーロッパでも神之助チームから独立した人の会社を中心とした為替専門会社に神之助、神元そして切人たちが出資する為替専門会社がロンドンに出来、神太朗の証券会社系列になっていた。それ以外にも、スイスを拠点とするスイスカナコイン系列の為替専門会社もスイスカナコインのみならず、ジブスイス、ジブカミスイス、切人たちのスイスの会社、ジブトラストスイス金融センター等を関係する企業からの為替処理を行っていた。



商品関係では、相場関係から、農園から現物の食品原料の動きなどの実需の流れの調整を行う会社までも、アメリカとヨーロッパそしてブラジルを中心とした南米に本拠をおき、貴金属や資源なども香奈オフィスそして毛利貴金属などとも協力関係を築いていた。



もう関連する企業は滅多やたらに、多数存在していた。それに元々からの一族の会社もそれぞれ活発に活動していた。これらの企業が協調していくためにも、統合のシンボルとしての香奈の存在は大きかった。



香奈の判断であれば、ジブトラスト全体が従っていた。スイスカナコイングループは、香奈直轄に近く、香奈の了解があれば、協力してくれていたし、香奈から直接の指示でもあれば、全面的に協力を惜しまなかった。



実際、香奈がいなくなった時には、どうなるかまだ神太郎にはまとめていく自信はなかったが、香奈が健在である間にこの協力関係をより強力なものに進めていこうと考えていた。




一方、神子も香奈の存在がより一層大きく光り、その後が予測しにくい事に驚いていた。神子は20年位の先が読めたのに、まだ濃い靄がかかっていた。




神之助は円高の阻止を頼まれていたが、長期的にはやはり、円高だと思っていた。急激な円高は防いでいたが、やはり円資産を少しずつ増やしていた、神子にもそう言っていた。神子も、一時は子会社の配当率を下げて、海外子会社での保留を上げる事を考えていたが、以前のような配当率を維持して、日本に送金して貰うようにしていた。




香奈は、今日もチビ助をつれて、ジブトラストに通っていた。その後に、多くの子供たちと子猫の子猫や子猫の子猫の子猫たち、子猫の子猫の子猫の子猫たちが、研究所や大学院大学に通うために、ついている事も知っていた。もっと小さい子供たちも外で、元気に遊んでいた。香奈は、若い世代が多様な知識を身に付けて、新しい時代は新しい人たちが切り開く事を信じていた。



青不動さんも大元帥明王さんも今後の事は何も言わなかった。元々無口なお地蔵さんも黙っていた。でもお地蔵さんが地蔵堂で神香と一緒に歌っている「明日はきっといい日になる」や「明日も太陽は輝く」の歌声は、明るかった。




香奈を見守ってくれた猫のコシロは、60年以上生きた。コシロの子供のチャもココも元気で、チャやココにも子猫が出来、そしてこの子猫にも子猫が出来、その子猫にも子猫も出来、その又子猫にも子猫が出来ていた。




分岐状の水やリング状の水などに後押しされて、香奈は、これからもみんなの応援をして、力の限り、頑張ろうと思っていた。香奈は益々元気で忙しかった。



人は、勝手に生きてるのではない、この世でやるべき仕事をするために生まれてきたと言った神太朗の言葉を思いだしながら、今日ものんびり、頑張る香奈であった。


次平の挑戦は、子孫たちに引き継がれ、治部の挑戦は、まだまだ続いていた。