聖子と有希の利益競争激化
聖子の安いよ、快適グループは、聖子の貢ぎ病が治ったものの、治部洋服グループとの競争になってきた。治部洋服グループは、海外の有名ブランドを手に入れだして利益率が上がっていた。有希は、商会の情報も入れ、孫の尚子や尚子の夫の柿崎孝も使い、洋服以外でもバックや財布などの皮革製品も売り出し、和服も売り、利益を上げだしていた。
お酒の名前みたいなグループとブランド品の世界市場でも争っていた。快適洋服は売り上げ規模は大きく、アメリカ、ヨーロッパはもとより、アジアや南米、インド、アフリカにも進出していた。しかし玩具や生活雑貨などを含めて低価格品が多く、利益率は低かった。機能性を特徴に利益率の高い製品も出して競争していた。何でも手を出す聖子の性格もあり、農園や養殖場まで手を広げ、いくつかの鉱山や偶然出た油田も香奈オフィスと共同出資し、貿易の窓口や工場建設などを受け持つ快適交易まで傘下に持っていた。聖子は、貢ぎ病の時にかすり採っていた利益の5パーセントを本体指導料と云う名前にして聖子ファイナンシャルに集め、資源関係の利益も加え、全体的な資金の流れも管理していた。
只、聖子は、資金回収は、急がず、配当も出資金の10パーセントにほぼ固定し、利益は現地に再投資していた。企業を新しく出す時は、快適とジブトラストだけの出資とせずに、現地資本も加えていた。その方が現地の事情にも詳しく、現地でも売りやすいし、運営にも参加してもらえた。
聖子はどこで儲けてもそれでよかった。そうした会社群は、大きくなる毎にその成長は加速していた。各地の思惑もあり、もはや自動的に大きくなる体質ではあった。だだ利益率が低いだけに、利益コントロールが重要であった。娘婿の幸夫を各地の快適グループの視察に派遣し、管理も少し行き届いて、利益も上がってきた。
有希は、利益比例の給料の給料ではあったが、比例率は低く、会社の保留金も重視し、配当も重視し、会社内部保留、配当、社員還元の三分配をぽぼ維持していた。ジブトラストからの出資もほとんどなかった。聖子は、社員還元は程々にしたものの、配当率は悪く、配当はどんなに利益が出ても、ジブトラストの求める最低ラインの出資金の1割に固定して、内部留保を重視する姿勢は変わらなかった。
聖子は社員割引と言う制度を作り、社員に売れる製品を作るように言っていた。社員も客であるとして、社員に売れるような製品を製造していった。生産地周辺で消費できる製品を求めてきた。ジブトラストからの出資も多かったし、現地資本も積極的に導入した。多くの人と資金を集め、成長しようとしていた。
有希と聖子は、会社としても個人としても服飾関係の利益は競っていたが、その内容には差があった。治部洋服グループの配当は高く、有希の収入は、配当にも依存していたが、聖子は利益比例の収入、つまり、聖子指導料として、かすりを取っている収入に多く依存していた。
有希は治部洋服グループの会長で、聖子が役員と云う関係も続いた。有村の息子も安いよ、快適洋服グループに入り、ジブトラストにも入り、ジブの管理も兼任していた。有希も聖子も現金主義ではあったが、もはや札束を家に運ぶ事はせず、ジブトラストに保管させていた。
ジブトラストは、香奈や正子のお金だけでなく、有希や聖子のお金も預かっていた。ジブトラスト本体内に有村親子が管理する聖子ファイナンシャルの事務所が間借りする形となっており、有村親子によって、聖子のお金は、定期的に、聖子ファイナンシャルへ出資する手続きを取っていた。正子のお金も、多くはカミカミファイナンシャルに出資していた。有希のお金は、有希の個人会社ユキエンタープライズに出資され、治部洋服グループに直接出資したり、共同出資して、有名ブランドを買うお金に回っていた。そして香奈のお金は香奈ファイナンシャルに出資されていった。ジブトラストの管理は、色々な仕事を代行していた。
香奈は、父の恭助が遺産として受け継いだ長府や各地の土地や和子の諏訪の土地のように遺産として貰っていた不動産は、勝と小百合と一緒に出資した毛利不動産にまとめていた。菊子も少し持っていた土地を出資した。長府や諏訪以外にも、母の和子が祖母の静香や曾祖母の珠代からの受け継いだ土地もあった。土地だけでは有効利用が出来ないので、毛利不動産は、香奈ファイナンシャルからのお金を追加して、株式会社毛利ビルを作った、建ててしまったビルは、ジブトラストのビル管理業務に管理を委託していたが、土地の有効利用を考える専任のスタッフを持つようになった。その毛利ビルが、毛利不動産の土地の有効利用を進めていた。中には、ニコニコホテルを入れたビルも作った。
治部一族の不動産関係は、ビルの管理は、ジブトラストが主体であるが、昔からの商会の不動産を保有し、管理するスリースター不動産、名古屋の複合ビルを管理するスリスター中部不動産、名古屋のホテルの土地を管理する、恵たちの系統のマチコジブ記念不動産などもあり、ジブタウンを中心とする各地の商業ビルを運営する冶部ビル会社とその子会社たちや香奈ファイナンシャルが出資する毛利ビルそして赤ちゃんスキ不動産など、複雑な会社群だった。
実際の不動産の売買は、主にしていたのは、洋之助が作っていた治部東京、治部大阪そして治部西日本であったが、ほぼ地域毎に担当していた。そして敷地内の土地や家を中心として、治部ホーム不動産があった。赤ちゃんスキ不動産は乳幼児施設や財団のサポートのための賃貸住宅ビルなども保有していた。 冶部ビルは不動産の管理と
云うよりは、商業ビルを運営して、直営店も持ち、ビルとしての不動産価値を高める工夫をしていた。
貿易関係も商会がメインではあるが、食品や農作物の貿易実務を行う岡崎交易と北米中心の衣料やグッズ中心のジブトレーディングそして聖子の快適関係の交易を管理する快適交易などがあった。資源やエネルギーは資源開発や香奈オフィスまで関係していた。そして安倍海運グループが実際の海運業務を担当していた。