紡績の中央研究所は、世界でも有数の化学の研究所として知られていてその知財、特許やノウハウは世界で注目されていた。
幾つかの基本特許を持っていて、この特許からのロイヤリティーだけでも莫大な収入があった。
ただ紡績は難儀な会社で、新しい特許を独占的に使用する時は、世のため 人のためにならないと莫大なロイヤリティーを請求すると知られていた。単にゼニが儲かるだけでは駄目だった。
紡績は基本ビジネスとしてはそんなには伸びないが、固い商売をしていて、洋太郎が社長時代から始めた事務服、体操着そしてユニホームなどでは圧倒的なシェアがあって、伸びないものの商売は堅い。社内の人件費とか経費は、冗談のような労務対策、福利対策をしているのに、十分捻出できた。
中央研究所の経費は、既存のロイヤリティーでおつりがきた。
紡績の運用本部は債券運用で知られ、コレマタ大きな収入があった。洋太郎の父の洋之助が貯めた資産は莫大でそれを大きくしていた。最近では神之助グループとも協力して、利益は増えていた。
世のため、人のために研究しているのに、単なるゼニ儲けの道具として使われるのはアカンと云う社内のコンセンサスがあった。
根源は 御大といわれた洋太郎の強い意見があったのだが、今はそれが根付いて洋太郎はもとより、社長の清太郎までもいかず、あっさりと高額のロイヤリティーの申し込みを事務レベルの段階で断る会社だった。清太郎に直訴しても、世の為、人の為の事業が紡績の基本理念ですから、私が曲げる事は出来ませんと言われた。
ジブ総研の丹羽は、洋太郎にその精神を評価され、紡績の特許についても比較的使える立場だったが、紡績の精神を持っていた丹羽は、中小企業の振興のためには寛容だったが、大手企業相手には、紡績の精神論が表に出た。
ところがコイツは、紡績の精神論は出さないのに、紡績の特許を使って、合弁会社で成功していた。人を陥れたり、騙したり、世の中に波紋起こすような特許の使い方はしていないものの、ナンデあいつだけは紡績の特許を使えるのだろうと不思議がられていた。
実はブラジルとイギリスの息子たちが考えている間に、話は広がり、神子の側近と神太朗の側近、リトルチャの側近たちでもこの会社に出資していきたいとかの話が起こり、紡績や化学まで巻き込んで会社の規模は拡大して、協力会社は増えていくのであった。
この時に、新しい会社について、広く検討したのは結果としては大成功だった。