のら猫の三文小説

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新しい子猫たち No.577

2015-09-30 00:04:33 | 新しい子猫たち 

香奈は若いときは、欧州では有名な仕手筋として知られ、カナスジと云う言葉はそのまま、欧米で通用する程、儲けたし、タックスヘイブンや税率の安い国に資産管理会社を複数設置して、そのルートを使うなどの対策は自然と取れた。

ジブトラストの海外はこうした香奈オフィスからの移行組で、そもそも成り立っていた。とても公明正大な女とは言えなかったが、原理原則には頑固だった

元々ジブトラストから財団への寄付は、免税がドーダ、無税扱いがドーダとは関係なしに始まっていた。ジブトラストの遺伝子分析センターも、胎児性の遺伝子疾患をナントカしようして始まった。当初は、大きな負担だったが、ジブトラストが膨張していく段階でもあったし、香奈とか正子の当初メンバーの強い支持で支えられた。

遺伝子分析センターが育種そして、植物の遺伝子研究を進めて、利益が出るようになっても、その姿勢は変わらず、変に金儲けを意識するなと言っていた程だった。

正しい事をするという強い意志はなかったが、この世に生まれてきたい子供たちが生まれる事を手助けしていこうとするのは、元来治部一族の資産管理組織でもあったジブトラストのいわば、金儲けではないが本来的な使命だと香奈は信じていた。

だからこそ、ジブトラストは存続できている。恵もその目的を知っていて、組織の充実に努めてきた。治部一族の無税扱いの資産管理財団にするつもりは毛頭なかった。そんな事に全精力を使ってきたのではなかった。それは香奈と恵との共通認識でもあった。

単に金儲けだけしている大きい組織が長年存続しているか、いわば一瞬の栄華になっているのではないか、ジブトラストがそうならなかったのは、みんなの努力もあるが、その姿勢がジブトラストを支えてきたと、香奈は本心から思っていた。それは香奈が守り本尊の青不動さんから学んだ事でもあった。いわば世の中に必要とされているから、存続できている。金さえ儲けていればいいのではないとも思っていたのだった。


新しい子猫たち No.576

2015-09-29 00:00:10 | 新しい子猫たち 

恵の財団は、広範囲な社会福祉事業を展開していた。初めはそれこれ、大きな赤字だった。何しろ恵は初期段階ではシステム維持、人員確保、設備投資は惜しまずに金を出した、スタッフの育成にも金を出し続けた。



ただ中にはそうした事業に感謝する人もたまにいて、お返しとして元気になった時に、寄付を財団にしてくれた。ジブトラスト関係の企業も寄付はしていた。何しろ減らすと神太朗オフィスとか、ジブトラストの管理から、なんで減らしたとかの質問がくるかもしれなかった。ゼニには汚い、いや細かい、神子系列の企業ですら、寄付は多少は続けていた、



ジブトラストは利益が膨大に膨れ上がっても、利益の一定比率の寄付は持続した。財団も恵は無駄使いには厳しく、社会保障のための事業展開のゼニは惜しまずにだしたが、無駄使いはしなかった。結果として、財団の保留金は膨れ上がっていた



ゼニが貯まると運用に回して、結局は損するのが常識だったが、香奈から運用は損する事もあるのよと言われた、恵は黙って貯金しつつげた、内国債券の一部は貯金よりも利子が高い時には一部回したが、それも債券の利子が低くなってきて、比率はずっと下がった。



金融機関との交渉する奴らもいて、預金金利は、交渉次第となった。銀行の信用にも絡んでいて、ジブトラスト金融センターともアドバイス契約までしていた



そうした巨額の保留金のある財団に対して、財団の通常必要経費を超える、寄付をする事さえあるのはジブトラストの管理の天下りの新参者には理解できなかった。



ジブトラストの世界各地の内部保留金の調整の時は、無税扱いの枠超えて、寄付する事すらあった。



管理の部長は香奈には、けっして言わなかったが、ある高級官僚崩れ、いや高級官僚だった奴が香奈に、おそるおそる言ってしまった。財団が新規事業をするので、無税扱いの比率を超えて寄付の額を増やす事になった時だった



財団は内部保留も大きい、無税扱の比率をこえると、税金に払うお金が増えるだけです



香奈は税金がどーだでは寄付はしているつもりはない。ジブトラスト発祥以来、続けてきた。新規事業で財団が出費が増える時には過去にも増やしてきた。それがあるからジブトラストは存続できた。



管理の部長が慌てて、この人はまだジブトラストの基本をよく知らないのです、教育不十分でしたと謝った。温厚で部下に仕事を全面的に任せる人と言われていた部長から、ネチネチと、ジブトラストの歴史まで言われて、いった奴は閉口してしまった。それ以来、ジブトラストから財団への寄付について、口出す奴は、いなくなった。


新しい子猫たち No.575

2015-09-28 00:01:14 | 新しい子猫たち 

香奈は、ジブトラストがどれ程、利益が出ようと、ジブシラストから、恵への財団への寄付の比率は変えなかった。









財団で必要とする資金が足りない、初期の頃は寄付を増やした事があったが、ジブトラストの利益が急増して、爆発的に増えてからは、もう一定比率を維持していた。









恵も財団としてけっして無駄使いはしなかった。ジブトラストからの寄付が膨大になろうとも無駄使いはしなかった。必要となる経費はケチらなかったが、経費で酒のむ事は許さなかった。









飯食うのは限度を決めて認めたが酒飲みながらする会議など認めなかったし、夕方になれば晩飯を食う経費は認めるものの、酒飲む事を経費には決してしなかった。









財団が膨張するにつれて、それは鉄則となった。恵教政治連盟もそれを従っただけの話だった。









恵の財団は初期の頃は、治部一族の無税扱いの資金管理財団とか言われていたが、母の子のための施設が全国に散らばって、公的な施設ともみなされるようになるにつれて、そんな声もいつしか消えた。









公的施設なら金をとるが、恵の財団では、低所得の人たちは無償になった。公的施設よりはゼニは安く、施設は完備していた。日本の公的施設の中核となるのに時間はかからなかった









恵の財団が特定社会保障財団となって、財源も制限を受けなくなって、寄付も利益の特定比率までは無税扱いになったが、これもジブトラストから財団にしていた比率を準じたものだった。









むしろ、こうした施設の監督主体の厚生労働省の奴らとジブトラストに最初の天下りが入るようになって、協力して最初にした仕事の成果ともいえた。それまでは税金関係なく、財団への寄付は続けていた。









ただ香奈は、香奈オフィス時代から、税金の安い、タックスヘイブンに資産管理会社を置いて、そこから運用を受ける形にするなどの節税対策は、もはや身に染みついていたので、そうした対策は常にしていた事はいうまでもなかった。









ただ表面的には利益の一定比率を恵の財団に寄付する事はけっして変わらなかった。


新しい子猫たち No.574

2015-09-27 10:56:27 | 新しい子猫たち 

敷地内の長老たちは俊治がなんとか普通の人間に戻っていた事を喜んでいた。それに別の女性と結婚して子供も孫までいるらしい。なんといっても神香の子供の一人の父親は俊治だったのだ。

ただ、一人、涙ぐんでいた、女性がいた。お地蔵さんのコレクターとして世界的に知られていた、真理だった。

元々 真理がお地蔵さんを集めだしたのは、真理はもう百年以上前になるが、ある格好だけの金持ちの男の子供を身ごもった。

その男は、ある大物財界人の娘の婿になる事がきまり、真理はいやいやながら、中絶させられていた。真理が勝に会う、大分前の話だった。

勝はちゃんと話を聞いていて、たとえ、子供がいたとしても僕の気持ちは変わらなかったといってはくれたが、真理が社会的にも有名になり、華やかな治部一族の一員とみられていくのに、反して、心の中で中絶してしまった子供の事が気になっていった。

その謝罪の思いでお地蔵さんを集めだし、子供の命は貴方のものではないと云う運動に資金を少しつづ提供していった。

それが香奈が知り、その運動を手伝い、恵も手伝っていった。敷地内でも何人かこの運動を手助けしていき、香奈の父親が知り、ちゃんとした財団に、ゼニの手助けは、洋之助がするようになった。

今は恵が統率している財団の前身はそうしてできていた。

いわば真理の涙と後悔が、財団を大きくしていったのだった。香奈がジブトラストとして応援するようになったのもこうした事情があったのだった。

真理はどんな人も立ち直る時がくる、私が殺したあの子も世の中のためになっていたかもしれないと、涙ぐんでいた。

お地蔵さんたちは、あの子はもうとっくに許しているよ。あの子は、結果として、何人の子供を、この世に出したのかもしれないと言ってくれたが、真理の心は晴れなかった。


新しい子猫たち No.573

2015-09-25 00:04:54 | 新しい子猫たち 

この時のコンサートは凄かったが、治部一族にとっては大切な顔合わせでもあった。有志会員たちが神香ファンクラブの会員を招待するのが、このコンサートの一応の建前ではあったが、この時は敷地内の各系統の長老たちを優先して、会場整理として有志会員たちの一部を使い、本当の音楽ファンは極く一部になっていた





俊治は敷地内から出ていたので、普通のように歳をとっていたが、不思議の里の長老たちは、むしろ若くなっていたので、俊治には判らなかった





香奈は名前は有名だけど、リアルに見たり会う人は、世界の政財界のトップに限られ、写真も昔の写真で、全然若くなっているのが不思議で、普通の人には判らなかった





むしろ、このコンサートは、敷地内の治部一族にとっては、昔の俊治からどう変わったのかを見るためでもあった。





神一の嫁はんの知加子は俊治の親戚ではあったが、神一どころか、神太朗さえ、このコンサートには出れなかった、もっと各系統の最長老たちしか出なかった。





その中の一人でもあった恵は、俊治が立ち直った事を早速理解して、日本の財団としても、香港の俊治の財団との協力ができるかどうかを調べるように、指示を出していた





その他の長老たちも、色々な形で俊治の財団をフォローできるかどうか、関連企業に調査を命じていた





俊治の財団が単に香港だけでなく、色々なアジアの社会保障関係財団の中核になっていくとはこの時は誰も分らなかった。