のら猫の三文小説

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香奈とコシロの子供たち No.206

2013-12-31 00:00:37 | 香奈とコシロの子供たち

リトルキャットは、辺郎のアジア快適

や神帥の食品会社まで巻き込んで、

巨大なブランドへ!



このワンポイントアクセントは、辺郎のアジア快適の製品のメインマークにもなり、ナターシャブランドの洋服とバッグそしてグッズは人気になっていき、快適ルートでアメリカにも販売し、アメリカでは、やたらと人気がでた。



辺郎は、一々商標料やデザイン料を払うのではなく、リトルキャットエイジアンコーポレーションをアジアの快適と株式会社リトルキャットとの間で対等出資した合弁会社を作って、この会社に、利益に応じたランセンス料を支払う事で、海外での商標権やデザイン権の管理をリトルキャットから譲り受けた。



アメリカでは、衣料用品にとどまらず、神帥の食品会社がリトルキャットとの合弁企業の、リトルキャットフーズを作り、同じようにライセンス料を支払う事で、海外での食品分野での商標権やデザイン使用権を獲得した。神帥の食品会社は、品質はいいものの、デザインや訴求力に弱かった、神帥の食品会社のメインブランドになった。



商才のあった羽郎は、神帥とのコネも活かし、リトルキャットフーズとブラジル食品研究所との協力関係も強めた。単なる商標やデザインを付けた食品ではなかった。新しい技術、そうして多様な原料を使った一大食品ブランドになった。



そうして、リトルキャットが、衣料から食品まで広がる大きなブランドになっていこうとは、この時は誰も予想しなかった。



ナターシャもモデルだけではなかった。デザイナーでもあった。猫のくせに器用にデザインを作った。こうして、リトルキャット運用会社は基本的には、現物株の保有もし、運用もしていたが、子会社というか合弁会社のリトルキャットは、不動総合企画が不動マンションの住民の再生を図りながら、運営して、辺郎のアジア快適、神帥の食品会社などと協力していき、大きな会社へと成長していくのであった。



リトルキャット運用会社は、出資した資本に対する配当を、株式会社リトルキャットは、合弁企業からの配当、商標権とブランド使用料そして国内販売を安いよと分け合ったが、この海外ライセンス料として、信じられないような大金が入ってくるようになっていった。



ジブシティーのリトルキャット直営店は、やがて大きなビルに本店を構え、金持ち連中が綺麗なモデルを連れて買いあさるようなブランドショップになるとは誰も思わなかった。



安いよでも同様の製品も売っていたが、その他の格安品も、当然安いよにも置いていた。安いよスーパーの包装紙より、デザインに凝ったリトルキャット本店の包装紙や紙バッグの方が人気が出た。



聖子は、危機感を覚え、製品を一般品と高級品とに分け、一般品は安いよと快適ルートの独占とし、反対に高級品は、グランドリトルキャット製品として、リトルキャットの独占とする案を出し、それが成功して、住み分けが出来て、リトルキャットも安いよも大いに儲かった。



アメリカとヨーロッパでは、リトルキャットの直営店といいながら、快適の現地法人がこっそり運営委託までした。幸夫は、ファション関係の総合服飾を目指していた。



羽郎はそれを知って、同様の運営委託を請負、南アメリカで、同様の直営店を作る事をリトルキャットに提案して、南アメリカの快適の資本までこっそり入れた。



アジアとインドを預かる辺郎は、高級ブランド品の直営店を運営するのは、躊躇していたが、自分たちが作っていた商品が多いので、ジブ現地法人なども誘い、自分たちも出資して、直営店を作り、運営委託を請け負う事になった。



リトルキャットは、リトルキャット運用会社も出資していたが、結局、不動と快適と言うまったく違う企業風土を持つ企業が運営している会社になり、一部ではジブ現地法人まで資本参加もした。やがて、独自のブランド品になっていった。


香奈とコシロの子供たち No.205

2013-12-30 00:00:51 | 香奈とコシロの子供たち

実業にも進出! 

不動マンションの住人が頑張りだした。



猫カフェで働いていた人は暇だった。猫好きな人たちと色々と話をした。猫の写真を取ったり、猫のイラストなんかをする人もいた。ナターシャはやはり、人気があった。負けずに、その他の女の、いや雌の猫も来て、競争になった。配偶猫は色々と系統が変わり、猫のファションショーにもなった。益々猫好きの人が来て、リトルキャット運用会社の株主は増えた。株主になる出資金は、安かったので、猫カフェの終身会費みたいなものだった。


元気な年寄りたちは、猫たちと触れ合うだけでなく、少し猫グッズなどを作ろうと言い出す人もいた。最初は、細々とした内職みたいなものだったが、作ったら、売ってみたくなり、小さい直営店をつくり、売り出した。少しずつ人気が出てきた。


正人は、リトルキャット運用会社の純資産が500億以上あれば、そんな経費は気にせずに出した。正人にとっては、リトルキャット運用会社は、500億円の別財布のつもりだった。陽太は、不動マンションで暇を持て余していた人を応援に出した。バイト代目当てと暇つぶしの積もりだったが、なぜか、元気になった人たちが、頑張りだし、自分たちの経験のある範囲で多様な製品を作りだした。


不動グループの企業で、シャツも作ったし、カバンも作った、ネットでも売ったし、直営店でも頑張りだした。それを見ていた神二郎が、不動総合も出資して、リトルキャット運用会社と不動総合企画との対等の出資で、資本金100億程度の株式会社リトルキャットを作ろうと言い出し、リトルキャット運用会社で運用しないお金が一杯あったので、正人は大して深く考えずに出資して、本格的な業務を行う事になった。


実際の運営は、リトルキャット運用会社の人も手伝ったが、ほとんど不動総合企画の人が運営し、不動マンションの住人が働いた。神二郎は、この株式会社リトルキャットで、不動マンションの人の雇用を維持し、再生に役立てようとした。



ナターシャは、写真やイラストになり、評判だったし、ラブリーキャッツと云う写真集も作った。優花も調子にのって、善作に詩を書かせて、「ナターシャは諦めない」とか云う歌も作った。当然、神香も善作に少し詩を変えさせた「明日も太陽は輝く」と云う歌を作った。それを両面A面扱いでCDをリリースした。



正人は、得意の絡め手を使い、リトルキャットプレゼンツといいながら、色々なルートを使い、工作した。こんな事は正人は得意だった。これがヒットとした。



正人に媚びようとして、「ナターシャ」と云う、資産家の綺麗な女の子が、両親が破産した後、苦労してデザイナーとして活躍するドラマまで作る奴まで現れた。主題歌から出来たドラマだった。



それがアイドルなんぞを起用したりして、ヒットした。陽太まで、再チャレンジ社会の必要性をあっちやこっちで講演して、この二つの歌を、再チャレンジ社会のテーマソングにもした。



調子に乗って、洋服などは快適に頼めばいいと、事もあろうに、聖子に相談した。さすがに聖子は直感的に金になると判断した。株式会社リトルキャットは、ワンポンイトの刺繍やデザインなどを商標登録までした。



不動マンションの人が初めはバイトで、次には社員でと、株式会社リトルキャットは、単なる老人クラブ会社でもなくなった。



聖子も、あっさりと委託製造を受けて、製造単位の少なかった辺郎の小さい工場で作らせた。聖子は、ブームに乗って、儲けようと考えた。辺郎を甘くみすぎた。



辺郎は刺繍も丁寧にして、洋服などもさり気なく刺繍を入れたりした。生地も色々と凝った、縫製もしっかりしていた。布製や革のバッグまで作った。辺郎のアジア快適の製品は仕事は丁寧だが、デザインと云う考えが弱く、面白味がなかった。



リトルキャットの老人たちや猫好きの人たちのデザインは、結構しっかりしていた。販売は株式会社リトルキャット、製造はアジア快適のこの製品は、一過性のブームではなく、やがてどんどん伸びていった。



香奈とコシロの子供たち No.204

2013-12-29 00:00:36 | 香奈とコシロの子供たち




ジブシティーは中心部は車乗り入れを禁止していたし、製薬の工場も中心部へは車も出せず、市外へ出る出入り口だけが車が入れた。エンジェルホープジャパン病院もわざわざ専用の車の引込み線まで持っていた。



それでも香奈は事故を心配して、香奈専用ブライベートラインから猫専用のキャットラインをリトルキャット運用会社のビルの中まで延長した。更に子猫たちの事故を防止するために、午後7時でリトルキャット運用会社も猫カフェも閉じるようにいった。



香奈の家の猫の部屋にリトルキャット運用会社用のパソコンを置いて、後はここでやりなさいと言った。なんだかんだと騒いでいたので、チャもココも当然、リトルキャット運用会社の事を知った。逆上するココにチャは言った。




チャ「子猫たちも自由が欲しいのだよ。香奈さんは増資しろと言ってくれ、500億増資してくれるらしいよ。猫軍団の将来はやっぱり、新しい猫たちが作るんだよ。

ココ「でもあの子らは、まだリスク管理がちゃんと出来ていないよ。心配だよ。」

チャ僕たちは、以前のように取引するしかないけど、いつまでも生きていけるわけでもない。子猫たちは子猫たちで考えていくんだよ。僕も元気なうちは、ちゃんと頑張るよ、しかし、子猫たちは子猫たちの生き方があると思うよ。

ココ
「それはそうかもしれないわね。私も自分のやり方で教えていくわ。」



猫カフェは、猫たちだけでは当然出来なかった。香奈は、正人にちゃんと、組織を作れとも言った。正人はもうひとつの大きな銀行の隠れた大物だったので、人も斡旋して、組織は作った。


しかし老人たちもそれなりに組織が出来て、リトルキャット運用会社は株主も増えてしまった。そうなると、人も増員して、カフェも維持しなくてはいけなかった。


猫カフェとリトルキャット運用会社だけで、ビルの一階部分を独占した。変な奴らが来ないようにした。維持費や人件費もいった。子猫たちは稼いでいたので、金はなんとかなったが、多くの人が少ない出資金ではあったが、株主になってしまったし、配当率も5%とは言えなかった。利益の10%程度は、配当した。雇った人の給料も少しあげた。



一方、流石にあの老人への運用手数料は、高額の役員報酬に変わっていった。高額の固定給に計上利益比例で多少の付加給をつけた。猫のお世話料としては巨額とは言えた。それに配当もあった。猫カフェの運営のために雇われた人もいた。雇われた人たちも、来ていた老人たちと相談した。




リトルキャット運用会社は、自由に取引ができても、子猫たちは、身に染み付いたリスク管理も忘れなかった。香奈は増資させたが、子猫たちは、キャッシュポジションを大事にして、先物、デリバティブも当然取引したが、国内株はココの安定株と成長株中心の堅い取引が多かった。



キャットコイン運用会社では、子猫たちはみんなで検討して、資金を半分つづ、国内組とスイス組に分けた。リトルキャット運用会社は、二つのグループに分かれて、運用するように決定した。



ただ、リトルキャット運用会社専用のパソコンが香奈の家にあれば、物の通りとして、午後7時以降にしか使われない筈はなかった。スイス組は、実質的に、二つの財布で取引する事になった、そんなに運用会社に行けなかったリトルチャは、自分のやりたいように、リトルキャット運用会社では取引し、スイスカナコインでは、リスク取りを十分とりながら取引した。初期のカミカミとジブトラストのようになった。



猫たちは、運用枠を国内組と海外組の中でもそれぞれに資金を公正に分け合ったが、スイス組の中で、リトルチャは、為替もデリバティブも商品相場も担当するからと言って、自分たちのグループにも半分以上の専用枠も取り、自分たちのグループの稼いだ金をリスキーな勝負、投機のような取引に使った。利益は驚異的に伸びた。猫たちは儲けていったので、元々、作るつもりもなかったヨーロッパの財産管理会社への出資の時に、香奈ファイナンシャルから借りた借金も少しづつ返していった。


人件費と言っても、あの老人とか役員報酬たったが、それも払った。事務所の家賃も払った、情報システム料も払った。そして税金も払った。利益の10%を借金返済に使った。



借金返済といっても財産管理会社のための借金だったので、準備金に貯めるのは、利益の半分ではなく、40%は準備金に貯めた。ヨーロッパの財産管理会社は、単に貯めておくための会社でもあったので、配当もくれず、リトルキャット運用会社は一般株主もいて、利益の10%は配当した。利益の40%だけが運用枠拡大に使われる事になった。そんなに運用する金は増える筈もなかった。香奈も正人もそう思っていた。それが狂った。何しろリトルチャは、年間では運用枠の10倍を遥かに超える利益を上げた、運用する金は、急速に増えていった。



運用する金が増えてくると、リトルチャは、正人と話をした。リトルキャット運用会社に、運用子会社を幾つか作って欲しい。取引窓口の分散化を図りたい、そして手口を判りにくくして欲しいと言った。正人も、もう一つの銀行の退職者向けのポストが出来るので、その提案に乗った。そしてリトルチャのグループで複数の子会社を作る事になった。会社の所在地は、初めは、ジブシティーの同じビルの一室だった。代表者は、当然猫たちではなく、もう一つの大きな銀行の退職者の名前が並んでいた。彼らは単なる経理係にして、次の再就職先が決まるまでの止まり木のつもりで引き受けていった。



リトルチャの運用資産が、膨らんでいくにつれて、当然運用会社は増え、もう一つの大きな銀行関係の外国人までにも、止まり木が増えていった。リヒテンシュタイン、ロンドン、チューリッヒ、シンガポール、ニューヨークそして挙句にはケイマンまで作った。



もう一つの大きな銀行の退職者たちもなんやかんやと仕組みを考えた。そんな事でもしないと暇だった。幾つかの運用会社は、別の運用会社に運用を委託させるなどの複雑怪奇な仕組みも作った。



ごきげんソフトとも、ネットワーク網や資金の出し入れなどについて、細かく協議した、実際の運用は、香奈の家で、たまにはジブシティーのリトルキャット運用会社で、リトルチャが総合指示を出して、統括していた。正人は、色々なルートの人に、職と云うか止まり木を提供して、影響力を高めるともには、経理操作も複雑になった。リトルチャは、仕掛けがしやすくなった。



香奈とコシロの子供たち No.203

2013-12-28 00:00:49 | 香奈とコシロの子供たち





一方、リトルホワイトの指摘ももっともだと思い、優花にも注意した。優花も猫カフェに行っていた竹花から同じような指摘も受け、お元気レストランのランチ専門レストランとネットカフェとを融合させたものを新たに作る事にするといった。


竹花の爺さんは、そんなに猫が好きではなかったが、陽太がいる不動財団本部に通うようになり、あのおっさんが運営していた「お元気レストラン」の気障たらしい高級感が気に入らず、優花が直接運営する猫カフェ風の店に行っていた。


猫好きでない人にとっては、猫たちと飯を一緒に食うのが気に入らず、注意の上にも注意と、優花に言っていた。現在の寿クラブは、食事を提供しない猫カフェとして、猫用のビッフェは以前の休憩室に移す。



既にリトルキャット運用会社から法人契約で、ビッフェ維持の年間契約を結んでおり、猫たちの中には、契約不履行だといいそうな、法律にうるそうな猫もいた。リトルホワイトの親父猫だったリトルチャもそういう事にはうるさい猫だった。正人からも、やんわりとそう云われたので、猫ビッフェへの食事提供は維持する事になった。



そんな時、単にネットカフェのような喫茶店の筈だったが、実はノーパン喫茶とアダルトゲームを融合させた店が、警察の立入り調査を受けた。ウェイトレスの姉ちゃんが、トイレでなにかをしゃぶって、金を貰っていた。



姉ちゃんがしゃぶる前に、あまりに小さいので、思わず含み笑いをした。された兄ちゃんが怒った。ボッタクリだと警察へ訴え、自分も恥をかいたが、警察も一応調べた。店の関与があるかないかとか言われた。警察も、アホから云われた事に真剣に捜査する程ヒマでもなく、形だけの捜査だったので、直ぐに立ち消えになり、経営者はさっと店を閉じ、姿をくらました。



実は、お元気レストランのあのおっさんが、他人名義でやらせていた。優花はあのおっさんに、チクリと一言はいった。「危なかったわね、あの人は、多分ダミーだろうね、実質的な経営者とか言われる前に騒ぎが収まってよかったね。、それにレジャーランドの安全対策もしっかりしないと大変だよ、ケチくさい事をしていると返って大変になるわよとも言った。



あのおっさんは、手抜きしていた安全対策を厳重にした。優花も見る所はみていた。あのおっさんも優花に頭が上がらなくなった。元々優秀で、商売上手なおっさんではあったので、優花も脅しながら、使う事にした。このおっさんの作ったレジャーランドは、結構有名になっていた事も関係しているのかもしれなかった。日本のみならず、世界から客を集めるレジャーランドになっていた。怪しげな店は、偶々同じビルで、結構広いスペースだったので、優花の直轄ランチ専門お元気レストランに改装された。




お元気レストランと猫カフェは分離した。猫ビッフェも以前の休憩室に移動した。猫カフェと社長室の間には猫用出入り口をつけた。そしてネット用のパソコンも、お元気レストランに多く移動して、本当の猫カフェになった。



取引猫の休憩室とそれ以外の猫の遊び場にもなった。変な奴が来ないように、この猫カフェはリトルキャット運用会社の株主専用室とした。出資は一万円として、猫カフェでの自販機は無料だった。



子猫たちにしてみれば、人カフェのようなものだった。人好きの猫たちが、人と触れ合う事で、猫たちの安らぎを得る場所に作ろうとしたようなものだった。やっぱり、切った張ったの生活では、安らぎが欲しかった。保養施設では、リトルホワイトが何かとうるさく、アーダコーダとうるさく指示していたので、保養施設組も、時々、家で休息したし、好きな時だけ人に交わり、後は猫ビッフェもある休憩室でも休めるリトルキャット運用会社に遊びにきた。




「財団の奴らは、飯食うためだったので、優花ちゃんのランチ専門お元気レストランに行ってるよ。あいつらはそんなに猫好きじゃなかったみたいだね。それでも食後にネットゲームなんぞより、猫カフェに行って、猫たちとのんびりしようとする奴らもいるよ。リトルキャット運用会社の株主になれば、ただでドリンクも飲めるらしい。」
香奈
「猫たちにとっても、変な客がこないように考えたよ。正人に言って、猫カフェにも見張り番を置く事にしたのよ。子猫たちも時には、自由に伸び伸び、人と触れ合う場所が欲しいとか言っているらしい。保養施設も、リトルホワイトがうるさく指示しているらしいのよ。あれも仕事と言っているらしい。私の家でのんびりしていればいいのにね。飯もちゃんと食わせているのに、ここの鯛の活け作りは絶品なのにね。外にいるとなにかと心配なのよ。」

「それでも家にじっとしてろと云うのも大変だよ。私もここの会議室を使う事が多いけど、時々、ジブシティーの財団ビルには行くよ、香奈さんの専用ラインは便利だよ。猫もそう思うのも判るよ。」
香奈
「あんな余計なものは、無駄だと言ったのよ。使うのは、雨の日ぐらいだよ。でも研究所に通う子供たちも結構使っているよ。」




本当の寿クラブは、優花が新しく作ったお元気レストランの中に出来た。ここの寿クラブは、老人では時間当たり100円の有料だったが、飲み物も飲めたし、新聞も読めた。ネットも出来た、長時間割引や一ヶ月コース割引まであった。



お元気レストランの優花直轄レストランとしてリニューアルしていた。料理は猫のおこぼれのシーフードだけでなく、肉や野菜料理なんぞも考えた。レストランの客も、寿クラブを利用できた。サービスランチセットは作った。つまり、優花が以前運営していたレストランと良く似てきた。



優花は陽太が新しく不動マンションを作る場所の近くには、展開していくつもりだった。あのおっさんが取った経営手法はもっともな点もあった。安いよとも協力して、冶部食品や岡崎交易とも連絡していけば、もっと安く、豊富な原料を入手できるのだと気づいていた。



あのおっさんは、お元気レストランを気障たらしい高級レストランチェーンにした。確かに利益率は高かった。猫カフェのようだった新鮮シーフードレストランは、それには負けるものの、赤字ではなく、むしろそこそこの利益だった。



優花は初心に返り、ちょいと安くした新しいレストランチェーンを、寿クラブとともに「お元気復活レストラン」としてもう一度作り直すつもりに、優花はなっていた。ランチ専門なんぞはすぐに、お客の要望とでも言って看板を変えればいいだけだった。優花も会長室で、書類に判子を押して、時間をつぶしたり、ウロウロして、店やレジャー施設に行って、時間をつぶす生活から、復活していた。



香奈とコシロの子供たち No.202

2013-12-27 00:00:57 | 香奈とコシロの子供たち

躍進するリトルキャット運用会社





しかし香奈は、甘かった。猫たちは稼いでいた。そんな借金を簡単に払いきるとか、スイスカナコインや香奈ファイナンシャルの運用手数料の5%が巨大な金額になると云う事はまったく予想していなかった。



ただ香奈は用心深く、リトルキャット運用会社に出資させた金額の中で、運用する金額は口座残の半分以下になるように、ごきげんソフトにシステムを変更させた。つまり、新しく増資するお金の半分の250億はリトルキャット運用会社の運用しない金とするようにして、資産の分散化も図っていたのだった。それは香奈国内でも同様だった。



香奈は、最近特にキャッシュポジョンを重視するようになった。株は急落する事もあるし、運用もいつ大損するかもしれない。キャッシュポジョンを50%以上取っていれば、対応しやすいと考えるようになっていた。



ただ例外もあった。スイスカナコインは、香奈の隠し口座から由来する会社であった。香奈の隠し口座と金の保管のために出来た会社でもあった、香奈は、スイスカナコインがいくら稼いでいても、スイスカナコインには、キャッシュポジョンを十分取れとは言わなかった。新規事業のための借金なんぞは認めなかったが、スイスカナコインは各部門の内部保留の中で自由に運用、投資、新規事業への展開などをさせていた。



スイスカナコインは、コッソリートの証券会社を買収して、コッソリート一族への配慮から、証券会社は儲けた金の三分の一程度は配当に回していた。スイスカナコイン自身は、配当は雀の涙程度しか出さず、スイスカナコイン傘下の会社も、内部保留に努めていた。株式を保有していた上場企業には、当然利益の三分の一程度の配当を出すようには言った。やっぱり、それはそれだった。


スイスカナコインは儲けた利益の一定比率は、金を買うための準備金とはしていたが、それ以外では、ジブスイス財団や学校などを維持する金も要ると云って、キャッシュポジョンなどは特に求めてはいなかった。




香奈は、リトルホワイトの親父猫であるリトルチャには話して、


リトルキャット運用会社へ増資はしたけど、キャッシュポジョンは、50%となるように設定したよ、


と言った。


それでもリトルチャは


「助かりました。金がなくてチマチマした勝負ばっかりしていたりので、やっと自由に出来ます。リスキーな勝負には利益の中でしますよ。なーに、直ぐに金は増やしますよ。私の実力を見ておいてください。スイスカナコインでは、親父の指示通りにリスク管理ばっかりしているから、イマイチ利益が上がらないのですよ。」


と生意気にも香奈に言った。