のら猫の三文小説

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香奈とコシロの子供たち No.208

2014-01-02 00:00:16 | 香奈とコシロの子供たち

株式会社リトルキャットは、大きくなった。




リトルキャット運用会社も資金力を急速につけ、思い切りデカクなっていったが、それ以上に株式会社リトルキャットは大きくなっていた。


やがて、不動総合企画グループを代表する会社群の1つになり、デザインや商標権などのソフト力と不動総合の息のかかった企業とも協力して、新しい素材や多様な製品も販売する会社になっていった。



神二郎が目指していた、再生を援助して自立の手助けを図る目的なんぞと云うレベルは、とっくに超え、世界的な企業群になっていくとは、誰が予測出来ただろうか。



リトルキャットの名の基に、本来は企業風土の違う羽郎の南アメリカそして神帥のアメリカとアジアの辺郎との間で、協力したネットワークが結ばれ、やがてアフリカやヨーロッパまで巻き込んでいった。



リトルキャットそのものは単なるデザインや商標関係だけでも、それぞれ自立していたような快適グループもリトルキャットのデザインや商標権を使用する事で、快適グループの間での協力関係も生まれていた。



これは所謂資本関係を伴わない、緩やかな結合と云うか協力関係のようなものだった。リトルキャットで働いている人は、一時は不動マンションに住んだ事がある人も一杯いたが、それ以外の人も増えてきた。新しい不動マンションの住人の再生もリトルキャットの発展と共に進んでいった。



リトルキャット運用会社の運用利益は巨額だったが、所詮株屋で、誰も知らなかったが、子会社とも云えた、リトルキャットの名前は世界中に知れ渡っていくのであった。




寿クラブのような猫カフェは、老人以外にも猫好きを集め、リトルキャット後援会のようになり、リトルキャットのデザイン室にもなり、リトルキャットブランドの発生の地と言われるようになっていったのは大分先の事である。あの老人は、国際的な謎の実業家と呼ばれるようにもなっていった。