のら猫の三文小説

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新しい子猫たち No.107

2014-04-30 00:00:28 | 新しい子猫たち 

カヨコファイナンシャルが、ほとんどの株式を保有していながら、非常勤の役員も派遣しなかったのには、訳があった。この会社は、古い小さい工場を持つ、小さい会社なので、それこそ非上場だった。経緯もあって、神太朗系列の証券会社名義として株式を保有する事もなかった。


出資額も、カヨコファイナンシャルの全体の資金力からみれば、端金程度の小額である事は事実ではあったが、それよりも、加代子が強い思い入れを持った工場だったとの事が原因だった。触らぬ神に祟りなしと云う思いが、加代子の会社の幹部たちにあった。



加代子のアメリカの会社の幹部

「どうしましょう、ほとんどの株式を保有しているし、若いビジネススクールを卒業した兄ちゃんでも、偉い先生に頼んで、一人でも派遣しておきましょうか?」


加代子のアメリカの会社の責任者

「止めときな。そんな奴が利益を上げようと変に頑張ると困るよ。加代子さんに、なぜそんな奴を雇ったとこっちが怒られるよ。アイツは、うまく逃げたよ。」


加代子のアメリカの会社の幹部

「アイツに、形だけの非常勤の役員でも兼任させましょうか?」


加代子のアメリカの会社の責任者

「そんな役員、アイツは引き受けないよ。考えてもみなよ。加代子さんが、あんな思い入れをもっている工場だよ。加代子さんは、あそこで作った家具を大事にしていたよ。何かあったら、大変と思って逃げたんだよ。アイツは本当にズル賢い奴だね。本当にいい家具を作るために、経験のある工場長に全て任せるのがいいとかうまい事を言って、さっさと逃げた奴だよ。アイツが逃げたのに、我々がコミットする危険を犯す必要はないよ。我々も本当にいい家具だけを作り続けるように、経験のある人に、全て任せていると云う事にしておく方がいい。香奈オフィスの子会社からの採掘権の金も入り、少しは配当として貰うようにしたとか言ったね。」


加代子のアメリカの会社の幹部

「採掘権やホテルからの利益を含めて、利益の五分の一程度は、配当に出すとか言ってました。採掘権からの収入は、期間も限定されるので、製造設備の充実とか、販売網の強化とに少し使い、今後困らないように、準備金として貯めておくとか言ってました。配当は三分の一とかそれとなく、示唆したんですがね。もっと配当をよこせとかいいましょうか?」


加代子のアメリカの会社の責任者

「余分な事は言わない方がいい。又本業で、赤字になったら、困るじゃないか。あんな会社にこれ以上金を出す羽目になるよ。神太朗さんに聞いたら、ジブアメリカは、定期的に会社の業績を確認するために、非常勤の役員を派遣したとか言っていたよ、それでいいよ。出資した金も我々としては大した金じゃないしね。多少は、配当をくれるんだからね、」

新しい子猫たち No.106

2014-04-29 00:00:29 | 新しい子猫たち 



その高級家具などを販売している部署もその会社の組織ともした。その古い小さい工場は独自の努力で成績を上げるように、小回りの効く会社にしたとの理由もつけた。こうして、あの家具製造会社は、実質的に古い小さい工場を切り離した。その古い小さい工場を売却したような金とジブアメリカから新しく増資してもらった金で、新しい工場を拡張する金とした。






しかし、その秀才は甘かった。古い小さい工場では、高級家具以外にもナンダカンダと木で作った生活雑貨みたいなものを製造しだしていたが、話題になった事が宣伝効果になり、その高級家具が急に売れ出して、赤字どころか黒字転換してしまった。おまけにハイキングコースや自然公園を整備しようとしたが、ひょっとして、あの山に話題のレアメタルでも出たらと、甘い期待を持って、香奈オフィスのアメリカの子会社に資源探索を頼んだ、どちらにしても山の整備も必要だった。それが、あの話題のレアメタルが出た。小さい水溜りのような泉まで見つかった。


その水を調べてみると、あの分岐上の水もリング状の水もそこそこあった。実は、別のレアメタルまで見つかっていた。香奈オフィスのアメリカの子会社は、そんな事までは言わなかった。契約でもあの話題のレアメタルが見つかるかどうか探してくれという資源探索の依頼だった。契約以外の事は言う必要もなかった。勿論、奈津美には直ぐに全部、報告した。それはそれだった。


奈津美は、長期的な全面的な採掘契約を直ぐに結べ、出来るなら、そんな山々はそっくり買い取れ、金はいくらでも準備すると指示した。あの話題のレアメタルが出たので、結構高い金を出して、全ての鉱物の採掘権を20年間、吃驚するような高い値段で買い取りたいと言った。本当は全ての山をそれこそ目の飛び出るような値段で、全ての山を丸ごと買いたいと香奈オフィスのアメリカの子会社は言ったが、やはり、その古い小さい工場には、高級家具を作るための材木を取るための山は必要だった。それに全面的な使用権とか採掘権とかには少し抵抗もあった。


やはり、工場長いや社長も、田舎の人とは言え、ナカナカの交渉力があった。ナンダカンダの交渉の結果、契約の値段は上がった。そして20年間ではなく30年間にして、レアメタルの種類、採掘量に拘らず、思い切り吹っかけたような高額の採掘料を一定の価格で支払う、その代わりに、山の全面的な採掘権、すべての鉱物の権利を与え、そして、現在の木を伐採して、その材木はあの古い小さい工場に、香奈オフィスの費用で運び入れる事までを条件として、山の独占的な使用権も与える事で落ち着いた。


香奈オフィスのアメリカの子会社の人は、なかなか交渉がお強いといいながら、奈津美からの指示の最低条件はクリアーした事にホッとした。香奈オフィスは、本格的な採掘の準備をするので、町の人たちに、結構高いバイト代を払い、木を切り倒した。そしてその材木は、全て、その古い小さい工場に渡した。あの古い小さい工場では、原料となる材木はそれこそ山のように補充できた。その古い小さい工場で使用する、何年分の材木は、そっくり、手に入れたようなものだった。


香奈オフィスのアメリカの子会社は、水溜りのような泉の水の事は、そのまま話した。その水溜りのような泉は、香奈オフィスが採掘権を買い取った山ではなく、隣の山だったし、その山には、あの話題のレアメタルも、もう一つのレアメタルもそんなにはないとロボット君は言っていた。


ただロボット君は泉の下なんぞは調べていなかった。ロボット君は、水が苦手なのだった。確かにその山には大した量のレアメタルはなかった。ただ泉の下には、それこそ純度の高いレアメタルが集中してごっそりあった事は分からなかった。


香奈オフィスが採掘権を買った山は、山全体にそれこそ、純度の高いレアメタルがあるとロボット君は言っていた。香奈オフィスのアメリカの子会社は、採掘権を取り、邪魔な木もなくなったので、改めて詳しくボーリング調査をした。あの話題のレアメタルは、ロボット君の言う通り、やっぱり純度が高かった。しかも山全体にあの話題のレアメタルが見つかった。それも大量にあった。その上、もう一つのレアメタルも予想以上にあった。


もう一つのレアメタルを探索し、確保しておく事は、香奈オフィス内部では、奈津美からの極秘指令でもあった。奈津美は、アメリカでの毛利レアメタルの子会社を作り、その山の盆地みたいな所に精錬や分別保管などをする施設を作る事にした。この山からのレアメタルで、アメリカでの需要を相当長期間供給する事もできそうだった。奈津美は、状況をみながら、精錬や保管のための設備を作ったので、ここを毛利レアメタルのアメリカの拠点としたいとか言って、もっと長い契約期間にしたり、買取交渉を進めるように指示していた。


工場長いや今は社長は、その水溜りのような泉の近くにパワースターとエンジェルスターを回りに植えてもらう事にした。植えようとしている内に、水溜りのような泉は水が噴出し、水溜りではなく、広い泉になった。そしてパワースターとエンジェルスターを植えた。そしてこの泉の水を、水処理して、町に引いて、工場とその小さい町で使用する事にした。みんなでその水を大事に使おうと思った。そうした設備に必要な金は、香奈オフィスのアメリカの子会社から貰った金の一部で十分賄えた。


この工場長いや社長も、あの話題のレアメタルの事や水の事は、知っていた。大きな広い山々だったが、鉱山みたいなものに貸し出してしまったので、ハイキングコースと自然公園は断念したが、材木を取るための山の端っこで、公園みたいなものは作った。それを町の人に開放する事にもした。ただあの水の事は話題になり、客も来ると思い、その小さい町にも小さいホテルを計画した。水処理の金とか公園を作るために、金を使ってしまったので、小さいホテルにしようと思った。町の人の雇用も多少は出来ると思っていた。


すると、エレガントホテルのアメリカの子会社が、どこから聞いたのか分からないが、その社長に言い寄ってきた。建築や運営は全て面倒を見るし、町の人も雇用する。エレガントホテルとしても、幾らか出資して、ホテルを建てると言っていた。カヨコファイナンシャルもエレガントホテルも、いわば同一系列の資本でもあるので、その工場長いや社長は、全て任せた。


エレガントホテルのアメリカの子会社は、自分たちの資本も結構入れて、結構立派なホテルを建てた。あの水に含まれている、分岐状の水とか、リング状の水とかをうたい文句にして、客を集めた。アメリカではそんな所は少なかった。それだけで、客は来た。おまけに、バスの便を約束しながら、ぐずっていたバス会社も直ぐに定期バスも出した。さすがアメリカだった。


あの古い小さい工場では、あの泉の水で高級家具の表面を拭いていた、あの高級家具の品質は何故か上がり、置いているだけで、気持ちが和らぐ家具とか云われだして、そこそこ売れた。採掘権の金も入り、値段が比較的安い、木を使った生活雑貨も売れ出していた。働く人も不足したので、町の人にも手伝って貰った。つまり、新しく社員を増やした。


エレガントホテルも約束した事なので、ホテルでも町の人を雇用して、ホテルもそこそこ繁盛し、小さい町も活気が出てきた。そして、子会社だった筈の古い小さい工場は、高収益の会社になり、町の人にも株を持ってもらったので、配当も出そうと思った。


カヨコファイナンシャルから、ジブの伝統は、利益を三分の一に分け、配当、工場を増設したり、修繕したりするための内部保留、働いている人への還元にそれぞれまわしていると聞かされていた。しかし、社長は慎重だった。採掘権からの収入は、30年間でいつまでも続くものでもないと思った。一挙に報酬を上げても、維持できないと困るので、一部は働いているへの給料を当分支払い続けるための準備金とした。30年間貯めれれば、今後もそこそこ安心だと思い、準備金とした。本業からの利益も多少は出ていたので、みんなの給料も少し上げた、配当も三分の一ではなく、五分の一にした。


古い工場の修繕をしたり、新しく作っていた生活雑貨品の作業場を広げたり、営業部隊も少し増員して、販売場所を増そうと思っていた。それでも、結構高い配当にはなった。


その公園には、色々な木で作った遊覧器具とか彫刻とかモニュメントなんぞを置いて、ウードパークとした。この町もそこそこ有名になった。そして、この古い小さい工場は、少しつづ設備を改善させながら、高級家具と木で作った生活雑貨を、ボツボツと製造していった。


採掘権としての収入は、ゴッソリ入っていたが、本業としては、決してドーンとは儲からなかった。それでもなんとか多少の黒字は出ていた。採掘権からの収入やホテルからの収入は、配当にも使い、みんなへの雇用準備金として貯めていた。ただ製造設備の充実にも少しつづ使っていた。


高級家具がドーンと売れる時代でもなかった。ボツボツしか売れなかった。ただ木で作った生活雑貨は、少しつづ販売量が増えていった。利益も少しつづ増えていった、配当は、利益の五分の一を守り続けた。


こうして、この古い小さい工場は、少しつづ設備を増やしながら、その小さい町も少しつづ大きくなっていった。カヨコファイナンシャルとしては、配当としてそこそこ貰っても、大資本となったカヨコファイナンシャルとしては、端金だった。株式のほとんどを保有しながら、役員も派遣しなかった。ジブアメリカは、傘下の会社を監視する事が本職みたいなものだったので、非常勤の役員を派遣して、毎回ではないが、重要な役員会には出て、成績や財務状況を確認した。


新しい子猫たち Np.105

2014-04-28 00:00:13 | 新しい子猫たち 



この会社の役員会には、カヨコファイナンシャルからの役員もいた。その役員は頭の切れた、もっと有名なビジネススクールを出た秀才だった。当然このリストラ計画に賛同していた。もっと金を儲けて、配当を一杯もらう事が出来ると思った。



加代子の会社も、株を多く保有していた会社に派遣するために、優秀な人を雇って、派遣していた。加代子の会社は株屋しかいない会社だった。経営手法などはそんなに分からなかった。今までの株屋以外にも、経営手法に詳しい優秀な人材を抱える必要があると思って、こんな秀才たちを、アメリカの加代子の会社が作ったアメリカ経済研究所の偉い先生の紹介で、その偉い先生のビジネススクールの卒業生を雇っていた。



大きな会社では、株屋の幹部とそうした経営手法に詳しい秀才を派遣して、幹部はその秀才たちに色々と聞きながら、会社の状況を把握していた。しかし、幹部の数も限定されていたので、小さい会社には、そんな経営手法に詳しい秀才だけを派遣していた。





あのテレビの放送はたまたま、神三郎もみていた。その時は、加代子はお仕事だった。翌朝、加代子が神三郎から、その話を聞いた。加代子は、その日は大きく儲ける筈が儲けられず、機嫌が悪かった。何しろ加代子にしては珍しく、小さい利益を確定させた直後に大きく先物の価格が跳ね上がり、悔しい思いをした。直ぐに跳ね上がった先物価格は、結局、加代子の売った価格より下がったので、加代子の選択は間違っていなかったが、大きく儲けられる所が儲け損ねた、加代子としては面白い事ではなかった。そして取引もスクエア、つまり売り買い同数の状態で相当利益が出ていた。こんな時にはスクエアを崩し、利益をもっと大きくするのには、直感と運が必要なのだ。こんな日は早めに取引を止めるのが正解と思い、早めに取引を止めて、アメリカの会社の責任者と一緒に家に帰ってきた。



アメリカの会社の責任者は、株式取引では天才と言われていたが、あまりにも一杯の株を保有してしまい、特にする事もなかったので、加代子と打ち合わせとか言って、その時は日本に来ていた。加代子のジブトラストの部屋で、株式相場を眺めていただけだった。その時は上がったと思ったら、直ぐに下がり、ウダウダしていた相場だった。突然ガセネタみたいな噂で、一斉に株価が動き、アメリカの会社の責任者もおやと思っていたら、直ぐに下がった。そんな時では調整売買すら出来ないので、加代子と一緒に加代子の家に帰った。



そしてレストランから朝の飯を運んでもらっていた。みんなで食堂のようなレストランに行く事も多いが、たまには加代子の家の食堂でみんなで一緒に食べた。焼きたてのパンと色々な料理、良い香りのポット入りのコーヒー、神三郎用の特製和風朝定食などが、大量にレストランから運ばれていた。加代子の家は大家族なのだ。みんなで色々な話をした。そんな時に神三郎から、そんな話を聞いた。



加代子は、実はその会社の高級家具を気に入っていた。わざわざアメリカから運んでもらって、家に置いていた。そんな計画なんぞ叩き潰すように、アメリカの会社の責任者に言った。そんな経営者こそリストラしなさいと、真剣な表情で言った、あの古い小さい工場があの会社の宝なのよ。あの工場が欲しくて買収したのよ。あの工場だけを別会社にして、カヨコファイナンシャルが買い取ってもいいと思う程なのよとも言った。



アメリカの会社の責任者は、アメリカの会社の幹部にそのまま連絡した。そして、まさか、ウチからの役員がこんな計画に賛同した事はないだろうねとも言った。幹部もこんな小さい会社なんぞは気に留めなかったが、派遣していた役員に聞いた。加代子の会社から派遣されていたその秀才は、経済的な合理性からみたら、当然の計画ですよと言った。



幹部は言った。お前も首になるだろうね。加代子さんは、あの計画に怒っているらしいよ。加代子さんに逆らったら、ここの会社ともオサラバだね



加代子の会社は高給を出している会社だった。その秀才は頭の切れた人で、変わり身も早かった。いや、あの計画には問題もあって、その問題を過小評価していました。早速見直します、あの人の計画に、よく考えもせず、賛同していた事は私の誤りです。臨時株主総会では、私の再生計画も出して、あの古い小さい工場の再生計画を独自に提案しますとほざいた。



その秀才は、結構頭が切れて、変わり身の早い人なので、その町に行って、この工場閉鎖反対計画の主導者みたいな人にもあって、この古い小さい工場で、今まで通り高級家具を作り、木の暖かさを強調した色々な生活雑貨も作り、材木を取っていた大きな山々も整理して、材木を取る以外にも、ハイキングコースとか自然公園なんぞも作る計画を作りあげた。



何しろ広い大きな山だった。不便な田舎でも、ジブ関係の交通会社にも無理を言って、バスも出してもらう事にもした。この裏切り者は、臨時株主総会で加代子の会社からの代理人みたいな奴に、その計画を発表させて、その計画を推進できる人間として、自分の名前を言わせた。そしてあの工場は、工場閉鎖反対運動の主導者みたいな人をあの工場に迎えて、あの町と一緒に繁栄できる方法を検討してもらうとも言った。



そして、ジブアメリカ、神太朗傘下の証券会社、カヨコファイナンシャルそしてほんの少し株を持っていた町の人たちの賛成を得て、圧倒的な差で、この裏切り者を除いた、この秀才とそれに賛同していた役員たちの解任の決議とあの裏切り者の計画が承認された。



役員は基本的には契約社員みたいなものだった。株主総会の決議で解任されれば、それで終わりだった。これらの役員たちは、一掃された。裏切り者も頭の切れた秀才だったので、色々と工作して、あの古い小さい工場は別会社にする構想を考えた。



その古い小さい工場が、自由に、伸び伸びと高級家具を作っていける環境にする事をうたい文句にした、その会社が、ほんの少し出資して、カヨコファイナンシャルが圧倒的に多く出資し、ジブアメリカも神太朗のご機嫌を取ろうと少し出資した。そうして新しい子会社が出来ていた。





カヨコファイナンシャルの幹部たちは、その時日本に行っていたアメリカの会社の責任者から、加代子の意向を聞いていた。そんな古い小さい工場や田舎の山々なんぞは二束三文だと思いながらも、結構な額の出資を、直ぐに承認した。何しろ加代子は怖いのだ。そんなセコイ金がドーダコーダと意見を言う人は、加代子のアメリカの会社の幹部の中にはいなかったし、第一そんな人は幹部にはなれなかった。



ボーとしている時の加代子は、加代子のアメリカの会社の幹部たちの意見を、そっくり認めてくれた。ほとんど加代子はボーとしていた。しかし、たまには、真剣な表情になる。取引する時以外でも真剣な表情になる時もあった。真剣な表情で、加代子が言うと、カヨコファイナンシャルは、それにみんな従う会社だった。



何しろ今度の加代子は、真剣な表情だったとアメリカの会社の責任者は言っていた。アメリカの会社の責任者も、この世界では有名な株屋で、大抵の事には驚かないが、加代子が真剣な表情になると、何にも言わず従った。加代子の神がかり的な取引で、10億の個人的な運用から、カヨコファイナンシャルをアメリカ最大の運用会社にまで押し上げた。



加代子は、神様みたいに神格化された伝説的な存在だった。確かに加代子が神がかりになると、それこそ神をも恐れない儲けをする人だった。加代子の怖さ、凄さは、みんな身に染みて知っていた。加代子と反対方向の取引を行い、多くの金を失う人たちも見てきた、加代子は、加代子に逆らう人たちを容赦なく、食いちぎってきた人だった。アメリカの加代子の会社の幹部たちも、それぞれ取引では、天才と言われていた人たちで、加代子の取引の凄さを知り、加代子の会社に集まってきたような人たちでもあった。



普段はボーとしているような加代子が取引となるとシャキと真剣な表情になり、大胆な取引を次々と行い、巨万の富を築いてきたのを、間近に見てきた。真剣な表情の加代子に逆らう怖さは、十分すぎる位、知っていた。





こうして出来たこの新しく作った会社に、あの裏切り者の秀才は、古い小さい工場と材木を取るための広い大きな山々を売却した。そうすれば、その古い小さい工場を処分した事とあまり変わらなかった。今までの工場長を社長にして、工場閉鎖反対運動の主導者も会社に入れ、そんな人たちにみんな任せて、自分は、この新しく作った会社の役員にすらならなかった。おまけに、あの町で、昔から家具製造会社の株を持っていた人たちに、この新しく作った会社の株と交換してもいいよと言った。ほんの少ししか持っていなかった、この古い小さい工場の会社の株は、ほとんど無くなってしまった。



そうして、自分は一掃された秀才の考えていた計画に専念する事にした。

追放されたあの秀才の構想力は見事だった。




裏切り者の秀才は、一人でつぶやいていた。




あの秀才は、まだ世の中を知らなさすぎる、権力者の大きな方針に逆らう事なく、上手く自分の意見を通して、仕事をするのが、本当のエリートなのだと。


新しい子猫たち No.104

2014-04-27 00:00:38 | 新しい子猫たち 

ある小さい家具製造メーカーの話 その一


これは、ある小さい家具製造メーカーの話であった

。手作りに近い高級家具を作っている会社がアメリカにあった。そこそこ有名だった。本当は創業者一族が頑固にコツコツと経営していた会社だった。材木を切り出すための大きな広い山も幾つか持っていた。ただ、家庭的な企業でもあったので、働いていた従業員にも、少しづつ株式を分け与えていた。



時間が経つと、創業者一族も多くは都会に出て分散してしまっていた。経営者もいつもいつも創業者一族に適切な人がいるとも限らず、いつしか創業者一族でもなくなった。そんな小さい会社は本来上場できる筈もないのに、その高級家具が当時有名になり、何故か上場までしてしまった。上場したので、創業者一族も相当売らされ、株式は分散化してしまった。



その家具はその当時は結構有名だったし、高級家具以外にも現代的なシステムデスクなんぞも売り出し、業績もよく、案外高値で取引され、創業者一族で、もはや会社とは何の関係もない人たちが更に株を売って、株式は更に分散してしまった。



ただ、高級家具がバンバン売れる時代はやがて少しづつ過ぎていき、成績も低迷し、現代的な家具がそこそこ売れていたので、ようやく黒字になっているような会社であった。もはや創業者一族の保有株は非常に少なくなっていたし、経営者はいつしか伝統に胡坐を組む、ボンクラになり、更に成績は低迷していた。当然株価も低迷していた。



そんな会社を何故か、加代子が選び、過半数の株まで持ってしまっていた。流石にこんな小さい会社は、神太朗は、ほとんど気にしなかった。



たまたま、香奈と同じビジネススクールを出たばかりの秀才が、完全にジブトラスト傘下になったこの家具製造会社の経営をしたいと香奈に手紙を出した。香奈は、そのナンタラと言うビジネススクールの卒業生としては、伝説的な成功者と言えた。香奈は、その手紙をたまたま見て、そのガッツと会社を大きくすると云う、その秀才の構想力に感心して、神太朗に推薦した。神太朗も、そんな小さい会社には関心もなく、その秀才にこの会社の経営を任せた。当然神太朗の基本方針は伝えた。人員整理を含むリストラと云う選択肢はないよと伝えた。



この秀才にとっては、初めは小さい家具製造会社でも 業績を伸ばし、利益が出れば、ジブ系列の大きな会社の経営者にステップアップできると考えた。その秀才は、会社の業績や業界の動向を更に綿密に解析して、利益が低迷し、ほとんど赤字の手作りの高級家具部門を廃止して、利益率が高く、回転率も高い、現代的な家具製造に特化し、更にオフィス用品にまで展開していく事が、会社の業績を伸ばす早道だと思った。



ただ、手作りの家具を作っていた古い小さい工場を閉鎖しても、人員整理をすると、神太朗に言われた事に逆らうので、現代的な家具を作っていた大きな工場を拡張して、そこで働いてもらう事にした。それでもその古い小さい工場には、正社員だけでなく、パートとかアルバイトみたいな人も雇っていた。そんな人の雇用なんぞ気にしていては、経営なんぞは出来ないので、それは解雇する事にした。材木などを運んだりする人たちの雇用なんぞも気にしなかった。高級家具の工場を閉鎖すれば、もうそんな高価な材木は要らないのだ。何しろその古い小さい工場は、交通の便利の悪い、アメリカの田舎みたいな小さい町にあった。そんな田舎なので、運送費も高く、高級な材木を使っていては、コストが高くついた。



それでもそんな事は神太朗は知らなかった。何しろ小さい会社だった。ただこの小さい町は、その古い小さい高級家具を作る工場とともに、長い間、支えあってきた。町の人も、この会社の株をほんの少しではあるが保有していた人たちもいた。何代にも渡って、その古い小さい工場に勤めている一家もいた。



ダンスパーティーやバーベキューパーティー、そして感謝祭とかクリスマスなどの祝日も会社と地域の人がともに、小さいパーティなんぞを開いて盛り上がってきた。そんな工場の閉鎖なので、町の人は吃驚して、工場を閉鎖しないでくれと、デモをした。その小さい古い工場が町を支えてきた、町が潰れるとも言っていた。



たまたま、そのデモをアメリカのテレビが放送していて、神太朗がそれを見て、吃驚した。その計画を詳しく説明しろとその秀才とジブアメリカの人をジブ本体に呼んだ。



その秀才の考えた計画は、現代的な家具だけでなく、やがてはオフィス用品まで広げて、今までの家具製造会社から脱皮していく、ビジネススクールの講義みたいな計画書を出した。雇用を大事にして、古い小さい工場で働いていた人にも、現代的な工場で手伝ってもらうともいった。ただ遠く離れた、現代的な工場で勤められない人は、その人の勝手だし、パートとかアルバイトは、契約が切れたらいつでも首に出来るから、パートとかアルバイトなのだとも言った。



神太朗は、カチンときた、



現代的な家具から手を広げてオフィス用品まで製造し、新しい工場を拡張していく構想は評価し、その計画は認めよう。必要なら金も出そう。しかし、小さい古い工場の作る高級家具についても、それを大事にして、赤字が出ているなら、それをどのように改善していくかを考えるのが、本当の経営者の役目なのだ、計画を考え直せと強く言った。



ジブアメリカの人は、神太朗が強く言った事に驚いた。神太朗は、温和な人で、今までそんなに強い口調で発言する事は、ほとんどなかった。



しかし、その秀才は平気だった。神太朗は経営の実態を知らない、単に理想的な事を言っているだけだ、ビジネスは厳しいものだ、その秀才は自分の考えが、経済的には当たり前の事を言っていると思っていた。赤字の出ている古い小さい工場の今後など考えるのは、時間と人そして金の浪費だと思った。



結局、ジブトラストは資本なので、利益が出て、配当を上げれば、そんな事はすぐ忘れると思った。それが資本と云うものなのだ。自分の作った計画が、経済合理性からみれば、常識なのだ。普通なら閉鎖する工場の社員なんぞ解雇するのが当然なのに、神太朗がうるさいので、他の工場で雇用する。これで文句はあるまいと思った。



神太朗の言った事を一緒に聞いていた、ジブアメリカからの役員は、計画そのものは確かに合理的なものとは思ったが、神太朗の忠告に逆らうと怖いよと言って、その計画に反対した。しかし、現代的な経営感覚では、こんなリストラは当然なのだと言って、この計画を押し進め、頭の切れた役員たちも賛同した。




神太朗にジブアメリカから連絡が入った。
神太朗は、珍しく激怒した。
神太朗は、もうこんな奴を相手にする事すら、時間の無駄だと思い、ジブアメリカに臨時株主総会を開催させた。



新しい子猫たち No.103

2014-04-26 00:00:18 | 新しい子猫たち 

ジブスタイルマネジメント





神太郎は、純子の「会社は人を雇用するための組織で、人を雇用して、社会の役になる製品を作る組織である、利益は会社が存続するのに必要なものに過ぎない。会社は利益を求めるための組織ではない。」との言葉を昔から、イヤになるほど、洋太郎から聞かされてきた。



若い頃の神太郎は、単純に利益第一主義に走るなと純子が言っていたのにすぎない。利益は、会社にとって重要なものだと思っていた。

それが神太郎も歳を取るようになり、色々な意味を考え出して、雇用優先の経営が本当に会社にとっても、社会にとっても必要なものだと思い始めていた。



そうして、雇用優先のジブスタイルマネジメントを、神太郎は企業分析所の研究や色々な経済分析ともに多様な検討から、考え出していったものだった。





このジブスタイルマネジメントが有名になったのは、ある小さい会社での出来事からだった。