のら猫の三文小説

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それぞれの挑戦 No.15

2013-01-18 00:02:48 | それぞれの挑戦 
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洋之助「結局、株は売らされる羽目になった。金にはなったけど、もう少し持っていたかった。

もう運用して荒稼ぎはする気もなくなったよ。長期的に運用していくよ。
みんなにも聞かれたけど、そう言ったよ。山師気分は抜けたつもりだったが、なかなか抜けていなかった事を痛感したよ。お祖母さんはよく知ってたよ。」



美佳「この頃お義母さんも妙子伯母さんも家でのんびりしている事多いでしょう。お祖母さんの話も良く出るのよ。お祖母さんは、お母さんから、若い時から天分に溺れやすいから、注意しなさい、人間はどんな人でも悪の部分持ってる。天分を持っている人は、その悪の部分も強いから、注意しなさいと言われていたらしいの。妙子伯母さんもお祖母さんから言われたらしいよ。

私から洋之助さんにそっと注意しなさいって。」

洋之助「私は父から、何にも言われてないよ。」

美佳「お義父さんは、そんな部分あまりない人じゃない。元々生真面目な人だし、お祖母さんの愛の部分とかお祖母さんの言った事を忠実に守る人だしね。妙子伯母さんは、貴方の事気にしてたよ。でもこの頃真面目になってるから、私からさりげなく言っておきなさいと言われたの。」

洋之助「どうも、ここの家は、極端に別れやすい。私と兄は全然違うしね。姉もおとなしいし、健介さんといれば楽しいと言ってるよ。母は元々張りつめたような感じで父を愛していたので、姉もそんな傾向が強かったけど、健介さんは現実的だしね。その影響もあって、少し穏やかな雰囲気に変わっていったよ。私は家族の中では、いつも違和感持っていたし、時代も儲けやすかった。でもあのまま突っ走っていたら、今は大損してたかもしれない。美佳さんが止めてくれた。」

美佳「私は何も言わなかったわ。」

洋之助「美佳さんは、お祖母さんに似てるから、お祖母さんの言っていた事を思い出す事が出来た。美佳さんが、私の幸運の女神のような気がするよ。」

美佳「でも私は悪党の洋之助さんが好きよ。貴方は貴方よ。ただ自戒しておく事は必要だけど。妙子伯母さんも自分の悪も見ながらも、自分らしくと言ってたよ。私もそう思うわ。私はお義兄さんはいい人と思うけど、緊張するのよ。この間ついに本当に意味で、心臓手術ができたと言っていた。妙子伯母さんやお母さんと話してたわ。次平先生の夢は、やっぱり次平の時代に実現できたと興奮して話していた。次平先生の夢とはなんなの。」

洋之助「曾祖父の次平先生は、心臓の先天的な異常も手術で治したかった。ただ麻酔の方法や血液循環の問題もあって、心臓内の手術はなかなか出来なかった。でも人工心肺で血液循環を迂回させたり出来るようになってきた。妙子伯母さんは、医療装置や機械を使って、心臓の手術もできるようになるだろうと言っていた。一時的に人工心臓も使えるかもしれない。心臓の手術についても医療器械などの進歩で進んでいくと考えているみたい。」

美佳「洋之助さんは、商売と女の事以外も知ってるのね。循環器というのはなぜ? それに心臓手術は戦前にも行われていたのでしょう。妙子伯母さんもしたと言ってたよ。」

洋之助「お祖父さんもお母さんそして兄や姉も医者なんだよ。身体の中を血液は回っているだろ。美佳さんの身体の隅々にも血液は回っているんだ。循環させる臓器だから循環器と言うの。心臓は血液を循環させているから、他の臓器と違って、暫くお休みしてくださいという事が出来ないんだよ。戦前の手術は、心臓の表面や外部の傷を治していたけど、心臓は動いていたんだよ。胃とか腸も大切な臓器だけど、人間はいつも食べてる訳じゃない。ある程度はお休みもできるだろう。そこが心臓と違うんだよ。」

美佳「次平先生はどんな人でも医療出来る事も考えていたのでしょう。一度うまくいったと聞いているけど。」

洋之助「それは一時的で、限定的なものだよ。日本でも、アメリカでも、寄付で無料診療している所もあるでしょう。でも一部の人だけの力では限界がある。お金持ちでもいつもお金有る訳じゃないし、多くの人が助け合う事ができれば、可能になるかもしれない。本当に困っている人もいるけど、中には狡い人もいるでしょう。本当に困っている人を考えていても、狡い人が悪用するかもしれない。厳しくすれば狡い人の悪用を防ぐ事を多少できるけど、本当に困っている人が利用出来なくなる事の方がずっと多いのにね。」

美佳「誰とは言わないけど悪党もいるしね。」

洋之助僕は、自分なりに、鉄平さんや純子お祖母さんそして多くの人の夢に挑戦していかなければならない。運用したり、株とかの売買で金儲けるだけではなくて、多くの人に仕事と夢を与えるようにしていかなくては。父はいい人だけど、僕も自分の考えを入れて、いい人だけじゃなしに多くの人を巻き込んで、夢を実現していくつもりなんだ。」

美佳「悪党もいい人を助けるのね。」

洋之助「僕はいい人とは言わないよ。でもお祖母さんは悪党の部分も、いい人の部分も持っていた人なんだ。僕は混乱期に金を儲けたよ。でもお祖母さんなら、もっと儲けながら、人を助けてかもしれない。それは分からない。お祖母さんは、大儲けした後の怖さも知っていた。僕は頭では分かっていたけど、実際には抜けきれなかった。美佳さんを好きになったり、偶然にもそうする事が出来ない状態に追い込まれてやっと冷静になれた。美佳さんは私にとって、救いの女神かもしれない。」

美佳「私も夢が出来たのよ。」

洋之助「美佳さんの洋服は僕が広めていくよ。」

美佳「それもそうだけど、別の夢も出来たの。私はあの保育所もおかげで助けられた。もしなかったら、私は大変だった。慶子さんにも話をしたの。私は自分の夢を追いかけるため、そして悪党との生活を楽しむための我が儘だったけど。 今後は、働く女の人がもっと出てくるわ。

夢を追いかける人もいるし、生活のための人もいるし、自分だけの事情を持っている人もいるでしょう。そんな人のために、あの保育所を少し大きくしたいの。私は我が儘な女だから、そんな崇高な思いはないの。でも少しずつ幾つか増やしていきたいの。慶子さんも手伝ってくれると言ってくれた。まだまだ判らない事も一杯あるから、無理をしないで、少しずつやっていきたいの。決して利益にはならないと思うけど。悪党も助けてね。」

洋之助「私も出来るだけの事はするよ。でも女の人が赤ちゃんを、子どもを育てるのは、当然と思う人はいるよ。それに赤ちゃんや小さい子どもを預かるのは、大変だよ。利益にはなりにくいし、難しい仕事だよ。そんな金なら私が稼ぐよ。」

美佳「お金の為じゃないのよ。私のためなのよ。世の中の半分近くは女なの。女だけでは子どもは出来ないわ。子どもが夜泣きしても、どれほどの男の人が世話しているの。少しでも女の人を助けるのは大切よ。今は、この一族のための託児所や保育所でしょ。この一族は女の人も働いてきたわ。働く女の人を助けたいのよ。私は、昔の自分の為に、そして自分と同じように働いていく人の為に、何かしたいのよ。まだどうするかもはっきり判らないけど、どうすればいいか考えていきたいのよ。」

洋之助「美佳さんも単なる不良ではいやになったと言う事か?人にふさわしい服装を考える事も大切だと思うけど。」
美佳「それはやっていきたいのよ。しかし私も何かしたいの、自分のために。託児所や保育所は色々と問題は多いと思う。家の近くになければならないしね。でも私は助かった。一人でもそんな人を応援したいのよ。少しずつしか出来ないけどね。

洋之助「僕も妙子伯母さんやお母さんとも話をしてみるよ。でも美佳さんがそんな事考えているなんて。」

美佳「やりたいたけの女とでも思っていたの。」

洋之助「そんな事はいってないよ。ただ商売だけで、僕は考える癖があるから、子どもを一杯集め、保育料を高くとれば、儲かるよ。でも子どもの数は安定しないし、緊急の用意もいるしね。ここの施設は結局、乳母や子守の延長だからね。多くの人の子ども預かるのは、大変と思うよ。」

美佳「そんな事は悪党も考えるのよ。利益なんか気にしてないけど、いつまでも赤字ではやっていけないから。」



妙子も洋次郎たちは、託児所や保育所は一時的なものと考えていた。結構経費もかかっていたし、知らない人に庭園の中に入るのも、好まなかった。ただ一族の中で、出産する人もこれからもありそうだった。取りあえず使用者を限定して、英才教育をする幼稚園との一体化を検討していくことになった。洋之助は自分の不動産会社の一つが都心の貸しビルを作り、家賃収入の三分の一を寄付する事にした。慶子も治部病院が内科、外科に深化していく過程で、小児科は置き去りになっていくようで寂しかった。美佳の小児科の専門病院の構想に共鳴して、治部病院と話をして、関連病院として治部小児科病院を洋之助と美佳の協力を得て作る事になった。洋之助は週数回ではあるが、小児科の医院も作り、保育所と幼稚園に併設する事にした。




洋之助「庭も減らされたり、金も要った。美佳さんも悪党だよ。」

美佳「私も、悪党かもしれない。悪党を好きになったから。でも二人で考えて行く事で道は開けるかもしれない。」

洋之助「補填するだけの事業は無理だよ。」

美佳「それは判ってます。でもこの一族の女には助かっているわ。株で損したと思ってよ。」

洋之助「僕は損した事まだないよ。」

美佳「いずれ、損するわ。百戦百勝は無理よ。いくら悪党でもね。」

洋之助「保育所に通う子どもをもう一人、作りたい。美佳さんは反対しないよね。」

美佳「悪党らしい発想ね。溜まってるの。」

洋之助「溜まってるよ。子宮直撃してあげるよ。僕は儲けないと、美佳さんを襲いたくなってくるようだ。」

その日の洋之助は、激しかった。美佳は突かれている内に、意識がなくなりかかった。そして、本当に子宮に直撃されている気がして、記憶が切れた。直ぐに意識が戻った。洋之助が電話を握っていた。

美佳「お義母さんに電話した?」

洋之助「これからかけようとしている所。」

美佳「もう大丈夫。」

洋之助「又泡吹いていたよ。本当に大丈夫。」

美佳「貴方が突きすぎているからじゃないの。本当に出来たような気がする。白い霧の中で鐘鳴ってたわよ。本当に悪い人ね。限度も考えてよ。壊さないで使ってね。いつまでも。」

洋之助「大切にするよ。僕の幸運の女神だから。」

二人は接吻して、抱き合って眠った。



初代の次平の残した各医院は、東京は大きくなっていたが、外科と内科に深化させていたので、総合病院には向かなかった。学校は、別の学校と併合して、新しい大学となった。大阪は、病院は新しい大学の付属病院となっていった。福岡は、製薬の援助で、大学と付属病院になった。それ以外の各地の医院は、製薬が病院としていった。



そして、二代目の次平が、心臓手術も行い、初代の夢は実現した。妙子はより安全な医療器械や医療用品の開発を進めていった。功一郎たちも応援してくれた。



美佳の考えていた保育所と幼稚園は、充実した設備をもつ、保育料が高く、一族及びそれに関係する人たち用が先行した。新しく、保育料を下げた託児所、保育所そして幼稚園を作っていった。美佳自身も服飾で忙しかったので、実際の運営は保育の専門家に任せていた。治部病院は内科と外科に特化していったので、慶子が洋之助や美佳らの支援を受け、作った治部小児科病院に専念していくようになり、結婚した女医などを雇いながら、乳児や幼児を預かる施設を訪問するようになった。



初代の次平の目指していた「だれでも、医療を遠慮なく、受けられるようにする。」そしして、鉄平たちの夢そしてお純の夢である「多くの人に仕事を与え、自分の能力にあって働いて貰い、個人の夢を叶えながら、社会の為に役立つ会社にする」事への挑戦はまだ続いていた。




それぞれの挑戦 No.14

2013-01-17 00:06:34 | それぞれの挑戦 
洋之助、混乱期に荒稼ぎしたお金は、
ホテル、土地や株などに化けてしまった。


 


洋之助「ホテルも建てたし、結局、荒稼ぎした金はほとんど無くなってしまった。」

美佳「良いじゃないの、ホテルも幾つか建てたし、土地や株に換わっただけでしょう。」

洋之助「製薬の人たちの土地も買ってしまった。でも買ってしまうと隣接する土地もつい買ってしまった。混乱期で買った株も、経緯もあって持ってるので、そんなに簡単に処理できない。運用して荒稼ぎも出来なくなった。スリースターも内部保留が少なくなって、建物の維持や立て替えにいるしね。そんなに運用できない。まだ儲かるのに。僕個人もそんなに残っていない。」

美佳「それは、もうこれからは、地道には働きなさいと言っているのよ。洋之助さんは絵が好きなの。この間、絵の保管庫もあったので驚いたの。」

洋之助「ある経緯で絵を買って、ある程度は売ったけど、忘れていた。保管庫が必要と言われ、作っていた。又売って金に換えるか。」

美佳「私は絵が好きなの。一度ちゃんと見せてよ。」 



(洋之助が言った、ある経緯とはなんでしょうか? 
それは礼子と宏一の仲を取り持った工作でした。宏一には、大きな銀行の頭取の一人娘との縁談が進んでいた。一族の銀行を大きくするためにも有効で、役所からのサポートも得られた。ただ礼子の存在を知った妙子が洋之助に頼んで工作させた。この一人娘には、好きな人がいて、才能溢れる新進画家だったが、経済的に苦しく、夢よりも現実を比べて、宏一との縁談を進めていた。

洋之助は、有名な画家の絵を安値で買いあさり、この画家の絵も買っていた。一躍脚光を浴びた画家も自信を持ち、この娘に結婚を申し込み、妙子もそ知らぬ振りをして、わざわざこの画家の絵を掲げた応接間でこの娘と会い、好きな人と一緒になる事の大切さを話した。宏と妙子は、大きな銀行の頭取にも会い、ビジネスでの協調関係を確認すると共に、結婚は破談にしてくれるように申し込んでいた。そのごこの大きな銀行と一族の銀行は合併したが、それはもう少し後の話である。

洋之助は経済が落ち着くと、すこしつづ、絵を金に変えた。ただ絵も保管が大切なので、わさわざ保管庫まで持っていた。)

美佳は、洋之助の所蔵していた美術品を見た。驚いた事に、有名画家の絵をかなり所持し、今は有名になった新進画家の絵もあった。



美佳「洋之助さんの好みは分からないわ。有名な画家なら手当たり次第に買っているだけね。でも新進画家も一人だけあるのね。」

洋之助「絵が好きで買ったというより、初め別の目的で絵を買った。買った時は敗戦後の混乱期で安かった。結構転売で儲かった。その残りだよ。売るつもりが忘れていた。」

美佳「美術館に寄贈した方がいいわよ。ある程度は、今の家やホテルにも置いて。」

洋之助「結構金になるよ。一部は売りたいけど。」

美佳「悪党もいいけど、少しは心入れ替えないと、駄目よ。私が整理して、美術館も整理するわよ。」
洋之助「美術館は税金対策のつもりだったのに。」

美佳「ある程度は売って良いわよ。悪党の顔も立ててあげる。」



美術館は専門の人を置き、増築した。各ホテルにも数点ずつ置いた。幾つかは、売ったけれども美術館の増築費用なども必要になり、洋之助が思う程には、金にはならなかった。洋之助は美佳に言った。

洋之助「結局、あんまり金にならなかった。美佳さんも悪党になったね。」
美佳「貴方に感染されたのよ。でも結構立派な美術館になったでしょう。」



子どもたちへの名義書換作業もある程度進んだ段階で、機械、鉄鋼、化学、商会そして銀行の各社は上場した。子会社も含めて株は分散化させるようにしてたが、かなりの株は売る事になった。製薬は知子たちが、紡績は洋次郎が反対した。両社とも堅実な気風であり、そのまま運営していく事になった。紡績と協力していく、服飾関係の会社は、洋之助は上場するを視野に入れていたが、まだ大きくなっていなかった。


それぞれの挑戦 No.13

2013-01-16 00:00:33 | それぞれの挑戦 
安部製薬は、江戸時代の薬種問屋から続いた製薬会社であった。



知子や孝太郎名義だけでなく、もうと亡くなっていた恵子名義や幸之助郎名義の土地なども残っていた旧薬草園などの土地の相続も解決していく必要があった。複雑な処理をして、多くの土地を洋之助の不動産会社に売り、知子や孝太郎たちから、最終的に子供たちは製薬の株を買い取っていた。一平と恵子会も作って、市橋一族の管理会社も作った。安倍鉄平も鉄平会に入った。管理会社と事業会社と洋之助の子分たちが個人名義で絡み合って、複雑な操作を行った。



知子「洋之助の奴、複雑にやるもんだろから、当事者でも分からなかった。」

元紀「顧問弁護士も今どうなっているか、よく分からないと言ってた。」

孝太郎「全然関係ない会社や人も出てきたけど、あれは何。」

知子「はっきり言えば、洋之助の子分と子分の会社だよ。利害もないしね。持ち逃げされないか心配だったけど、洋之助も別にエサやってるらしい。洋之助はなんか条件つけてたみたいだよ。その上別に不動産会社つくった。一平と恵子会は、純子会の流れかね。」

元紀「全部そうすれば相続税ももっと安くなるのに。」

知子「元紀、そんな事したら、目立つだけだよ。それに個人名義も持っていなければ。洋之助も考えているよ。儲けは六分目がいいの。」

元紀「洋之助君のような人も、市橋から出るかな。」

知子「元紀も孝太郎も聞いてね。お姉さんは、明治維新で今までの価値が変わる時に出てきた天才だよ。いつまで経っても、幼い感じがした容貌と言葉を隠れ蓑に使い、必死で計算し、才略を立てていた。大儲けもしたと思うよ。だがその反作用にも耐えて、結局姉さんなりの結論を得たんだと私は思う。綺麗事だけの人ではないんだよ。時代と天分が必要なんだよ。そんな人でも帰ってくる場所が必要なんだよ。それが洋介義兄さんだった。姉さんも普通の人のように、洋介義兄さんとの生活を楽しもうとしてたよ。もしそうしていたら、姉さんの天分が爆発していたかもしれないし、普通の生活を楽しめたかもしれない。天分があると言うのも大変なんだよ。

洋之助には、そんな姉さん譲りの才覚もあり、姉さんの蒔いた種も有効に使って敗戦という価値判断がひっくり返る時代に大儲けをし続けた。その反動も強かったと思うよ。ただ美佳さんが現れていて、美佳さんを好きになり、美佳さんの服を売りたいと云う思いで、普通の生活に戻れた。

天分は一種の劇薬だからね。使い方も難しいし、時代も必要なんだよ。私は姉さんも洋之助も見てきた。うまく行くには、多くの条件が揃う必要が有るんだ。普通の人は堅実が一番だよ。製薬は、姉さんにも洋之助にも恩恵受けてきたし、助けられてきた。でも、ここは堅実にやっていくしかないんだよ。いつも変動や混乱期ではない。普通の時代の方が多いんだよ。天分持っていても大変だし、天分持っていないのに、自惚れる事は最悪だよ。ここは堅実にやっていくしかないんだよ。孝太郎、判っているね。

孝太郎「私には、それしか出来ないよ。」



製薬についても処理するために、事業会社毎にしたり、子ども達毎にそれぞれ管理会社を作り、中継する会社や人が複数になり、5年ほど経つと、複雑な売買を繰り返して、大きな仕組みが出来できてきた。混乱期に洋之助の儲けた金は、多くは、土地や株に換わりつつあった。個人名義は、まだ相当残っていた。



安倍グループは本来製薬が中核であったが、鉄鋼に進出して、長男の鉄一が経営していた。鉄一が若くして、急死して、相続問題で揉めて、鉄一の妻照代も急死したので、相続は更に揉めた。鉄一の娘の春江は、鉄一が意に染まぬ結婚を押しつけてから、鉄一とは不仲だった。鉄一の長男の鉄造や鉄二郎とも不仲だった。春江は鉄鋼と縁を切りたいといって、鉄造や鉄二郎が買い取ったが、資金が足らず、グループ内の他の会社の名義は、恵子や純子に買い取ってもらったりした。それでも足らず、恵子や純子の鉄鋼の株を買い取って貰っていた。鉄鋼不況の時に合併し、純子に資本投入も依頼した事もあり、鉄造も鉄二郎の比率は下がっていった。鉄造と鉄二郎の息子は、戦争中に亡くなり、安倍は春江の婿養子に入った鉄平だけになっていった。




安部製薬の歴史




安部製薬は、安部鉄平が作り上げた薬種問屋を土台に、娘の恵子やその夫の市橋一平が製薬会社を作り、恵子と一平の息子の幸之助がそれを守り、恵子の最後の娘であった知子がそれを受け継いでいた。



恵子が会長で、一平が社長となっていたが、一平が65才になると、幸之助を社長として、自分は副会長となった。恵子と純子はよく話し合っていた。大震災や昭和恐慌もそれなりに対応して切り抜ける事が出来た。恵子は幾つかの会社の名義を持っていたが、純子は、母の恵子が製薬を大切にして、分散させる事を嫌っていた事は知っていたので、製薬の多くは幸之助や知子が継ぐようにしていた。純子は、製薬の株は一部しか継がなかった。



知子の兄の幸之助は医者であったが、知子とは20才離れていて、幸之助は開発担当の常務となり、やがて会社全体をみるようにしていった。幸之助には、二人の子どもがあった。孝太郎と佳恵であった。


知子は、男の子を出産した。鉄平と名付けられた。恵子の父親の名前を継いだ。製薬会社の創設者の名前だった。知子は乳児を抱えながらも、奮闘していた。一平と恵子は、看護婦を付けてくれた。知子は出産後も生でしたくなり、元紀に毎日のようにやっていた。元紀は、知子のような複雑な頭もなく、切り替えも出来なかったので、私立の法学部へ行くようになった。知子は、二人の子どもを産んだ。二人目も男で紀一郎と名付けられた。知子は、安倍製薬に入社して、恵子の側にいつもいた。

知子は、管理室長となっていた。母の恵子は知子が生まれる前から会長だった。知子は安倍グループの他の会社の役員となって、経営の勉強をしていた。



一平が亡くなり、母の恵子もやがては亡くなった。その後も何かと純子は幸之助に話するようになっていた。恵子は極めて、堅実で現実的対応をするタイプだった。関連会社も結構あったが、それぞれ堅実に運営していた。製薬は開発は積極的だったが、堅実な社風を維持していた。幸之助もその路線を継承していた。製薬は開発を中心に、堅実に運営していた。幸之助は多角していく純子の会社には、知子を役員に派遣して連絡役に使っていた。


純子は製薬の役員会には出たものの、意見があると知子に言うようにしていた。幸之助は慢心しそうになったら、知子から純子からの伝言を伝えていた。


幸之助「もう姉さんは何でも知ってる人だね。」

知子「どこまで知ってるか判らないけど、私も呼ばれると緊張するよ。製薬も大きくする考えも教えてくれたのに、兄さん断るなんて。」

幸之助あれは姉さんの誘いというより、私を試しているだけだよ。お母さんと良く似てるよ。この頃ようやく判ってきたよ。

知子「そうかな。」

幸之助私が考えているより、先を考えて大きな話をしてくれる。私がよく考えるようにとね。でも色々と助けてくれているよ。



幸之助は孝太郎を早く会社に入れて、少しずつ手元において勉強させていた。今度は知子は、孝太郎に勉強させるために、孝太郎を各会社の役員にしていた。製薬はそんな風に後継を育てていった。美子も病院も辞めて、製薬の研究を手伝うようになった。佳恵は医者になったが、同じ医師の杉野良平と暮らしていた。



幸之助は、第二次大戦中に亡くなり、製薬は知子が経営をみる事になった。製薬会社は関連会社や小さい病院を抱えていた。純子や恵子が話してあって、安倍グループを運営し、幸之助も純子に相談していたのだ。薬草園を多くは実験農場として、薬草だけでなく種苗の研究もしていた。戦争中や戦後もなんとか乗り切れた。純子は、戦前にも、東京近郊でも土地を確保しており、それを開墾して畑として、社員の仕事と食料も何とか確保していた。純子の子ども達は、洋一は鉄鋼の中核だったが、既に資本は分散していた。



純子は戦争中に亡くなり、グループ全体をまとめる人は、欠けていたが、混乱期の後、しばらくして朝鮮戦争特需もあり、各企業とも好調だった。純子の孫の洋之助は混乱期に一人稼いでいた。濡れ手の泡の稼ぎをして、戦後成金の一人にもなっていた。そんな洋之助に対して、意見できるのは、洋之助の伯母の妙子と知子程度だった。父の洋次郎は穏和ないい人だったし、宏も銀行の頭取でもあるが、学者肌だった。



製薬も、知子は60才に近づいていた。元紀は知子に頭が上がらなかった。息子の鉄平は鉄一の娘の春江の婿養子となり、春江の海運会社を継いでいた。春江は離婚し、離婚の時に小さい海運会社を分けて貰い、資本投入していた。戦前には、安倍海運は多くの船を持つ大きな会社になっていた。それだけに敗戦による被害は甚大で、鉄平は必死になって再建の糸口を掴もうとしていた。



孝太郎が知子を支えていた。佳恵と紀一郎は医者になっていた。孝太郎には、二人の男の子、良太郎と浩介がいた。佳恵は夫の医師の杉野良平との間に隆太郎と言う一人の男の子がいた。鉄平には妻和恵との間に一人の女の子、良子がいた。紀一郎には二人の子ども、紀太郎と紀子がいた。

 


洋之助は、全くの個人会社としても、複数の不動産会社や運用会社を含む会社群と美佳を社長とする治部洋服そしてその関連の直営店を始めとする関係会社そしてホテルも東京、伊豆、大阪、箱根、軽井沢そして千葉と6つ持つようになった。ホテルも個々の会社として一族にも少し持って貰い、株主優待の形で、宿泊できるようにした。知子や孝太郎の子どもたちから、贈与などで得た土地も買いとっていた。



製薬グループの知子や孝太郎たちの土地を洋之助が購入し、洋之助は製薬関係の管理会社も作る手伝いをしていた。

安倍海運は、戦前は多くの船を所有していたが、大きな船は、軍に取られ沈没されられていた。戦後残った船や国内の運送などで会社の再建を図っていた。洋之助が戦後成金になっていく途中で、鉄平と知り合い、幾つかの会社を作り、鉄平の安倍海運とも協力して、安倍海運の再建に協力しながら、洋之助も大きな利益を得ていた。春江は鉄鋼以外の安倍グループの株を持っており、幾つかはそれを譲り受けていた。

知子から譲渡された土地や幾つかの株を洋之助に売っていた。そして、船を作り、戦後復興の波にものり、安倍海運は大きくなっていた。洋之助は鉄平と親しくなる時に、一つの海運会社ではなく、幾つかの子会社をまとめていく形で再建していく事を提案していた。鉄平には、一人娘の良子しかいなかったので、今の内から、会社そのものを単一の大きな会社にする事を避けるように提言していた。良子の縁組みについても色々と調査していた。



洋之助は荒稼ぎする中で、無意識に純子の後を追いかけて、幾つかの会社の株を買い取っていた。鉄鋼株もそうだった。洋之助は、紡績の仕事をする内に、商会にも関与しだし、輸出する時に安倍海運を使い、安倍海運の再建に協力していた。鉄平はなにかと洋之助に相談していた。安倍海運は色々な物資を運んでいた。鉄鋼石もその他の鉱石も。鉄平も一族としての意識もあり、一族の会社には便宜を図る事も多かったし、助けられる事もあった。



それぞれの挑戦 No.12

2013-01-15 00:00:58 | それぞれの挑戦 
一族の貴金属会社と美術館が出来た。




作業を進めている時に、妙子たちは、蔵の中を調べてみる事にした。蔵は食糧難の時代に穀物倉庫のように使っていたが、奥においてあるものは、そのままであった。いつも気になっていた。

洋一も子どもの真智子が妊娠をしたりして、一族の保育所もあり、環境もいいこの場所に引っ越してきていた。いつも誰かが出かけているが、たまたまみんな揃っていた。妙子はみんなに声をかけて、整理してみる事にした。鉄平の分と先代の次平とに分けていた。



美術品も沢山出てきた。妙子たちは、鉄平さんも絵も好きだったねと言いながら、整理していると小判も出てきた。先代次平の所蔵品も沢山あった。小判も出てきた。美術品の価値は判らないので、専門家に鑑定してもらう事になった。



鑑定結果が出てくると、高価なものも多く、国宝級のものも出てきた。妙子は功一郎とも仕事上の付き合いもあり、功一郎も呼び、鉄平も呼んだ。洋次郎は知子や孝太郎も呼んでいた。



親戚が集まるので、鉄平達と次平達の法要を行い、食事も系列の料理店に準備させた。

妙子「鉄平さんの蔵には、先代の次平先生の所蔵品も入っていた。お母さんやお父さんの物もあったかもしれないけど、色々会ったのよ。それぞれ五百両ずつの小判も出てきたの。みんなの法要をしてどうするか考えて欲しい。」

功一郎「それぞれ時価は大変な価格みたいだけど、この蔵はもう洋次郎さんや妙子さんのものだと思う。」

知子「ここの家は空襲も合わず、みんなの会社も色々あっても、なんとかやっていけたのも、ここの小判が守っていたのかもしれないね。」

洋一「私もそう思うよ、これからもみんなの会社や家を守っていてくれるように、保管していこうよ。」

「でも小判は陳列する訳にもいかないよ。」

健介「美術品は、美術館でも作りますか。」

美佳「私、絵が好きなので、専門の人と相談します。」

功一郎「機械会社として美術品を、記念に数点か持っておきたいのです。そんなに高い物は無理ですけど。」
洋次郎「紡績もそうしますよ。」

妙子「美術館に寄付する前に言って来てね。化学でもそうするよ。宏さん、銀行もそうしたら。」

「そうだね。でも小判はどうするの。」

洋之助「貴金属の会社でも作って、保管させましょう。やり方は税理士でも相談するよ。みんなが株主になればいいと思いますよ。」



各会社が数点ずつ購入して、そのお金で美術館を作る事にした。小判は弁護士と相談しながら、相続した事にして、保管するための会社を関係者が作り、鉄平会と次平会と云う2つの貴金属会社を作った。



妙子はこれで片づいたと思っていたら、いつもお酒を届けている醸造元が、相談にきた。調べてみると純子名義のままにしている株や土地もまだあった。




妙子「グループ以外のお母さん名義の株は、どうしよう。まだあったのよ。戦争中に亡くなったでしょう。混乱期だったし、そのまま放置されているの。土地の名義もあるのよ。税金大したことないから、私が払っていた。それ以外にもあるのよ。お金も貸していたみたいだけども、お金の価値は全然変わっているし、お金はもういいと言ったら、それは困りますと言うのよ。判ったものは相続したけど、私もそのままにしてたし。」

洋一「別に配当くれる状況でもなかったしね。僕もそれどころでもなかった。」

洋次郎「私もそうだよ。」

妙子「土地は幾つかは洋之助に任せたけど、私も手が回らなかった。お酒のお純は、まだ生きてるのよ。毎年新酒持ってきてくれているでしょう。あの会社の好意と思っていたら、あの会社も代が替わって、「お純」も増産できるようになってるから、断りきれない所には売りたい。蔵も会社に吸収して、会社全体の一部の株にしたい。ご了承をと言ってきたのよ。あのお酒はこの家が買っていたと私は思っていたのね。蔵は、名前だけじゅなかった。お母さんの名義だったの。息子さんが後を継いで、ちゃんとしたいと考えてきたのよ。そんな事をこの頃言ってる所が何社かあるのよ。」

洋之助「そうなんですよ。私と商売している会社もそうだった。無理な注文も良く聞いてくれていた。お礼を言ったら、純子さんに助けられた会社ですから当然ですよと言われてね。つぶれかかった時にお祖母さんが援助したらしい。一族の管理会社も二つ作って、洋介会と純子会でもすればいいよ。」

洋次郎「そんな会社できたら、紡績にも出資してよ。紡績も出資するよ。みんな喜ぶよ。」

妙子「化学もまだ信者いてるから同じかもしれないね。」


洋一や妙子そして洋次郎たちは自分たちの家の管理組合をつくり、両親の管理組合も作った。見つかった純子名義や書き換えていない純子名義の株や土地は、最終的には純子会の名義にした。純子が援助していた多くの会社は、純子会に新しい株を割り当てた。紡績も化学も株を持ち合った。商会は遅れて知り、同様な処理をした。洋介会についても寄付したいと云ってくる人も出てきた。東京近在の料理店や貸しビルなどを純子会が買い取り、配当などの収益の一部を加えて、治部病院での医療補助に行う会社を作っていくようになった。各家の管理会社や相続する予定の子供たちの管理会社も、小さなビルや関係する小さな子会社も買い取っていった。



それぞれの挑戦 No.11

2013-01-14 00:24:19 | それぞれの挑戦 
妙子たち、相続問題を考える。



妙子は60才になると、実は洋一と洋次郎と、相続について話し合っていた。

妙子「集まって貰ったのは、我々の相続の事なの。お母さんは今頃から考えていたし、検討した方がいいと思うの。」

「今は、相続税の事もあるしね。」

洋次郎「健介くんや洋之助にも相談しないといけない。洋之助は、財産管理会社作った方がいいと言ってる。」
洋一「それはスリースター不動産があるじゃない。」

京子私には良くわからないけど、利益も配当も多いし、もう管理会社とは言えないと思うけど。

洋一「詳しいね。」

京子「私宛に入ってくるけど、商会と差が無いこともあるのよ。」

妙子洋之助が勝手に大きくしたからね。もう投資会社のようになっている。

真弓「洋之助は、小規模のホテルを又作ってます。」

妙子「あれはあいつが勝手にやってるのでしょう。」

洋次郎「洋之助は伊豆の海岸が好きだから、作ってるだけみたい。別荘作っても管理が大変だからといってホテルにしてる。会社としてやっているのか、個人でやってるのかよく分からない。あいつは会社を一杯持っているしね。」

妙子「宏一や洋之助などの子どもたちも呼ぶかね。ただ大筋では、銀行は宏一にしたいの。化学はまだ決めてないの。」

洋一「鉄鋼は俺の会社とは言えないよ。俺が社長やってるだけだよ。婿養子の清彦君が継ぐことにしたいけどね。」

洋次郎「洋之助が紡績は継ぐようにしたいけど、市川くんとの関係もある。」

真弓「病院と学校はどうするのですか?」

妙子「それはもう決まってるよ、次平君だよ。」

真弓「でも玲子さんもいるし。」

「まだ我々直ぐに死ねわけじやない。また相談しようよ。」

洋一「他の名義もあるよ。商会も分散してるし。少しは、美術品もあるし。」

「洋一さんの所の清美さんの旦那さんはまだ官僚なの。」

洋一「寺下くんは、もう辞めて、鉄鋼の関連会社の役員をしてもらってます。」



子どもたちも呼ばれた。

洋之助「父からも聞きましたが、分散して困るものは、財産管理会社に保管して、その名義にした方がいいのじゃないですか?市川さん。」

健介「それはそうですが、目的毎の会社にした方がいいですよ。お義父さんと伯母さんや伯父さん達で何社か作った方がいいと思います。税理士にも聞いて。」

宏一「会社としてみれば、商会は我々の比率は少ないです。化学も銀行も全部まとめれば、相当だが、分散すれば、少なくなります。」

清彦「私が言える立場では言うのもなんですが、個人名義では細分化しています。子どもが少なくなれば別ですが。」
寺下「私もそう思います。」

洋之助「複数作ったとしても、やはり相続税はかかるのでしょう。」

健介「それは当然です。ただ計算が複雑になります。上場していない会社の株は比率の問題もありますし。譲渡や贈与も本質的には一緒です。こんな事いったら何ですが、分かり難いので長期的にやっている人もいます。」

洋之助「贈与も税金いるけど、利害のない人と会社との売買は別ですね。」

健介「それはそうです。しかしあまり露骨にすると問題ですよ。」

洋之助「時間をかけて、複数の会社を使って、やりますよ。私は、自分が名前に出ない会社も持ってます。あれは色々と便利なんですよ。」



洋之助「銀行は宏一さんに継いで欲しいのでしょう、我々がまとまれば、なんとか押し切れる。ただもう治部、市橋そして安倍の一族という時代でもないです。それに株の名義と経営は分離しています。役員には成れても運営できるかは別の問題です。いずれ上場していくことになるのでしょう。株も分散化しなくてはいけません。」

妙子「お前はお母さんみたいな事いうのね。」

「でも洋之助君の言う通りになるよ。いずれはね。」

京子「でもやっぱり、今は一族に継いで欲しいですよね。」

健介「銀行、化学、商会、紡績、鉄鋼そして病院と学校があるのでしょう。病院は医療法人になってますし、学校は別法人です。スリースター不動産は、本来商会の資産を管理するための会社でした。紡績や化学なども同様の会社をつくるのですよ、そうすれば分散は避けられます。」

洋之助「私が今住んでいる家だけど、相続とは別に、ある程度僕に譲ってよ。お金は出すよ。」

妙子「出ていけとは言わないよ。私は土地だけだから。」

洋之助「それもあるけど、今は税や管理会社の問題もあるよ。現金の相続はやっぱり最後でしょう。伯母さんの家や玲子さんに必要な所は残し、残りの土地、庭園部分や残りの土地を玲子さんと宏一さんに譲渡や贈与してもらって、それを僕が買う。父の家もホテルにしてしまったので、相続や贈与してもらって、次平兄貴や慶子姉さんの分も僕が買う。洋一伯父さんは昔のお父さんの家や幾つかの地所も継いでいるから、それも同様にやればいいよ。

一番税負担の少ない方法を検討して貰います。金は一度に払う事もできる。貸付を入れてもいい。名義移転が進むにつけて、返済と売買が進んでいくやり方でもいい。そのお金で子ども達は、管理会社を作る。

伯母さん、伯父さんそしてお父さんたちから、会社の株を出来るだけ安く、別の会社や人を中継したりして、子どもたちの管理会社に、できるだけ安く売る。伯父さんや伯母さんたちは少しつづお金が入ってくる。時間をかけて、万一の為に、条件つけてもいい。

各家の管理会社は子ども達を対象に株を分けておく。伯母さんたちは、株や資産は少なくなってくが、お金は増えていく。そして子どもたちの管理会社では株と配当が入ってくる。スリースター不動産の株も子ども達に対して一定の比率で割り振っていきます。その後スリースターの保留金は配当に回していきます。私は、運用を子ども達ともに別の会社も作り、配当と利益を調整しながらやっていきます。子ども達の負担も少しは分担できると思います。今は製薬の人たちも株を持ってますので、了解をとって同様に指定された人への株を割り当てます。

最終的には、かなりの現金と少量の各社の株とスリースター不動産の株そして各家の管理会社の株などが伯父さん達に残ります。その後の贈与や相続は各家で考えていきます。相続税は払いますが、できるだけ少なくして、資産は外部に売却せずに済むと思います。

妙子「洋之助、お前はお母さんの悪党の部分引き継いでいるよ。」

洋之助「美佳さんには、いつも悪党と言われているよ。それ以外でも処分したいものがあれば、相談してよ。私の不動産会社か別会社作るかして、買った事にすれば、いいよ。」



洋一や妙子そして洋次郎は、子ども達に少しずつ土地を贈与していった。贈与された土地は洋之助が買い取った。税金を負担しても、かなりの現金が子ども達に入った。それで子どもたちは、管理会社を作った。



スリースター不動産は、知子たちも株をもっているので、洋之助は話をした。

知子「孝太郎、お姉さんの所の相続決まったよ。まあ想像通りだけど。管理会社の乱立らしいよ。洋之助が土地や株を買い取って、負担を軽くする。スリースターも相続するこども用の出資枠を設定して、配当を多く出す。製薬も同じように出資枠つけるけどどうすると聞いてきたよ。やり方も内緒にしてねと言って、洋之助が説明にきた。純子会という管理会社も作ったそうだ。お姉さんに援助して貰っていた会社もここに株を割り当てるようだよ。製薬の弁護士も早い方がいいと言ってる。製薬も同様にすればと言ってたわよ。製薬は関連会社も各社の株も多いし、名義も複雑だし。みんなで相談しよう。」

元紀「まだみんな若いよ、洋次郎さんは50過ぎじゅないの。妙子さんでも60才位でしょう。」

知子「10年位かけてやるつもりらしい、お姉さんの時も同じようだった。洋之助に頼んで、ここも一緒にすれば、やりやすいよ。」



製薬の市橋一族も、複数の管理会社を作った。旧薬草園や西日本に点在する土地は、多くは、個人名義のままであり、今はほとんど使われていなかった。スリースター不動産が、子どもたちへ名義を割り当て、配当を出し、子供たちが複数の管理会社を作った。