「えー、ここからはですね、数々の伝説の野外ライブを開催して来た甲斐さんに
色々とお話を伺いたいと思います!」とDJ KOOさん
甲斐さんは「結局、僕らのウリが、あの…誰もやったことがない場所で
(ライブを)やるっていうのがウリだったんで
一番最初は、やっぱ2万人ちょっとですかね、集まって…うん」とお応えになってましたが
甲斐さんのおっしゃる「ウリ」というのは
当時のミュージシャンにとっての聖地だった武道館でライブを行うことは
ある種のステータスを意味する大きな出来事であるにも関わらず
メディアには、2~3行の記事としてしか取り上げられなかったことで
何かしらのニュースバリューをプラスしなければ…とお考えになった結果なんですよね?
そして…画面に「甲斐バンド初の野外コンサート
1980年8月 箱根・芦ノ湖畔で開催」とのクレジットが出て
「で、そこからまあ、翌年は花園ラグビー場っていう…(『ああー!』と拍手なさるKOOさん)
ここも結局、誰もやってないんですよね…(『そうですよね』)
まさか、貸してくれると、僕も思わなかったんで…」と話されたトコで
廣瀬智美アナウンサーが「あっ、そうですか?…こちらですね」とおっしゃると
「1981年9月 大阪・花園ラグビー場」というクレジットと共に、そのライブ映像が流れ始め
「あの…イヤ、実はその…『破れたハートを売り物に』っていう曲を
リリースした直後だったんですよ」と甲斐さん
「それを1曲目にぶつけたために…まっ、アフリカンパーカッションの…
こう…連打から始まるんですけど、そのために2万5千人が、どんどん前にやって来て…
(ワイプの中では、腕を広げ手前に招くようなゼスチャーをなさる甲斐さん(笑))
こんなに太い鉄のパイプが曲がるっていうくらい…(と両手で電柱ほどの太さを示され(笑))」
…と説明なさってましたが、例によって奥さんは「イヤイヤ!(暴動が始まったのは)
『破れた…』の時じゃなくて、2曲目の『翼あるもの』の時だから…
アレは『翼』の手拍子のリズムだって、映像観たら判るよね?」とブツブツ(苦笑)
当日、人波に流されて「神席」からかけ離れた場所に追いやられた恨みは根強いみたいです(笑)
ともあれ…「イヤ、とにかく5曲目で、僕(ライブを)止めて…で、20分くらい説得して…
(この辺りで、ビニールシートが飛び交う中、観客がステージに向かっている映像が終了)
やっぱり、前に来たものを後ろに下げるって
なかなか大変なんですよ…(『そうですよね』とKOOさん)…だからもう…うん
なだめ、励まし、脅し、すかし…みたいな(笑)
(『色んな手段を使って…(笑)』と廣瀬アナ)
色んな手口を全部やって…」と振り返っておられましたが
甲斐バンドが、花園ラグビー場をライブ会場として使用するのが初めてだっただけでなく
その後、他のミュージシャンが、使用することがなかったのは
この暴動騒ぎで、ラグビー場の芝が踏み荒らされたために
使用許可が降りなくなったせいなんですよね?(笑)
それはともかく…
廣瀬アナが「さあ!そして1983年の8月ですね、舞台は新宿副都心」と振られると
甲斐さんが「とにかく、その…東京のド真ん中で(ライブを)やろうというのがあったんで…
まっ、都庁が建ってる所が、ずっとさら地だったんですよ
で、僕、ずーっと、そこ、目つけてて…」とおっしゃった辺りで
「THE BIG GIG」のオープニング映像が流れ始め
画面には「1983年8月 東京・新宿都庁建設予定地」と「甲斐バンド ブライトン・ロック」の文字
ワイプの中で、DJ KOOさんが「うわ~!イエ~イ!ここですよ!スゲェ~!」とアガられ(笑)
廣瀬アナも「えーっ!?ホントに高層ビルの間!」とビックリ!(笑)
「ビートルズの『GET BACK』の逆版ですね!」というKOOさんの言葉に
甲斐さんは、笑ってKOOさんを指差しながら「逆版!逆版!(笑)」と頷かれてましたが
会場全体を俯瞰でとらえた映像に、お二人が「うわ~!」と声を挙げられたトコで
画面はスタジオに戻り、お二人の拍手が収まると
「アレ、夜になると全部…あの…こう…高層ビルに全部、照明当ててるんで…
(『ああっ!そっか!』とKOOさん)
だから、やっぱ素晴らしいロケーションですよね
僕、20世紀最大の、あのー、発明って何かと思ったら、建築(物)だと思ってたんで
建築の…高層ビルの中でやるっていうのが、その時ずっと考えてた狙いだったんで…」
…と説明なさってましたが、当時のインタビューや、ご自身のラジオ番組でも
「アメリカのハードボイルド作家、ロバート・B・パーカー氏曰く
『近代建築は20世紀で一番スゴイものだ』…っていうのがあるんだけど
ナンかこう…『BIG GIG』もね、高層ビル街の中で、2万人集まる空間っていうのがあった訳でしょ?
そこには2万人の人間の熱が吹き出す空間なんだっていう意味合いも含めてね
そんな『THE BIG GIG』っていうものが、俺の目から見て『近代建築イコールBIG GIG』
それは、この時代の中で、最大の風景であり、最大の照明であった…とね、そんな気がしたんだ
この時代の、この社会の中で、ひとつの『明かり』となるパワーがね
あったんだというように考えてるんだよね」と話されてました
ただ、花園ラグビー場でライブを行うにあたり
近隣住民の皆さんへの説明会を開かれた際には
「破れたハートを売り物に」を聴いて頂き「こんな感じの曲を演奏します」との説明に
「『河内音頭』みたいなもんやな」と、すんなりOKが出た(笑)のに対し
甲斐バンドの皆さんがニューヨークでレコーディング作業をなさっている間
「都有5号地」の使用許可を得るために、某イベンターの方が
区役所、警察署、消防署をたらい回しにされ、中止勧告を受けながらも
毎日毎日、足を運ばれるという苦労をなさったそうですし(汗)
奥さんは、その「最大の風景」「最大の照明」を味わった者の1人として
今もこのライブに携わられたスタッフの皆さんに感謝しているみたいです
そして再び、お三方がテーブルの前に立たれた映像になり
廣瀬アナが、先ほどと同様に「歌える!」と拳を握られ
DJ KOOさんも…と思いきや「甲斐よしひろさんは…」と甲斐さんを指し示され
「大人になられた(笑)」甲斐さんは「ソロ35周年!」と応えていらっしゃいました(笑)
その「ジングル」が終わると、またテーブルに着かれたお三方が映り
廣瀬アナが「…ということで、今日のテーマは『野外で聴きたい曲』
続いてはですね、松山千春さんの『長い夜』
そして、もう1曲はですね、加藤和彦さんの…
(と、ここで急に『おおっ!』と声を上げられる甲斐さん(笑))
『あの素晴らしい愛をもう一度』です」と紹介なさると
甲斐さんは「映像あるんですか!?映像!?…加藤和彦さんは僕の10代の神ですよ!」と食いつかれ
「…と言いますと?」という廣瀬アナの質問に
「もう、大好きでした!もう…もちろん『フォークル』から全部(レコード)持ってますけど
ソロの時代は、ホントにものすごい革新的なこと、やってたんで…」とお答えになり
「ハイ、サディスティック・ミカ・バンドもやってますからね」というKOOさんの言葉に
「そうなんですよ!ありがとうございます!(…と、KOOさんの方へ身を乗り出され(笑))
それ、僕、抜け落ちてましたね(笑)僕、ミカバンドなんですよ!
(『あっ!そうなんですか?』とKOOさん)
僕、はっぴいえんどとミカバンドが一番好きだったんですよ、日本のバンドで…ええ
その次に、四人囃子が来るんですけど…
(『へえー!先ほどお話されてた(はっぴいえんど)…』と廣瀬アナ)
ホントに、ミカバンドは異常でしたね…(『異常です』とKOOさん)…サウンド
(『カッコよかった!』)…あのグルーヴないですよね?」とコーフン気味に語られてました(笑)