ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ヒットソングを創った男たち1

2022-03-25 19:56:00 | メディア
「Happy Go Lucky!」への投稿メッセージの中に、この本の名前が登場してましたが
我が家にも同じ本が眠っておりましたので(笑)
この機会に、長岡さんへのインタビュー部分をご紹介します♪

ページのトップには…「長岡和弘…1951年、長崎県出身
74年、甲斐バンドのベーシストとして『バス通り』でデビュー
79年にバンドを脱退し、翌80年、キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)に入社
制作ディレクターとして、石川ひとみ、谷山浩子、中島みゆき
斉藤由貴、チャゲ&飛鳥、BaBeらを担当する

2000年に独立し、制作会社のjomonを設立
aiko、ベッキー、半崎美子など、多くのアーティストを手がける一方
映像音楽プロデューサーとしても『ラストソング』『リング』『らせん』など
数々の映画やアニメ作品に関わる

2013年、故郷の大村市に拠点を移し、ハウステンボス株式会社の社長付顧問として
音楽制作やイベントのプロデュースに従事
2016年『シーハットおおむら』館長に就任し
音楽・文化・スポーツ等のイベント企画の開催・運営にも取り組んでいる」
…というプロフィールと、笑顔の長岡さんのお写真が掲載され

その下段に…「70年代はバンドマンとして、80~90年代はレコード会社のディレクターとして
2000年以降はフリーの音楽プロデューサーとして、活動領域を広げながら
第一線を走り続けているヒットメーカーがいる
アーティスト作品のみならず、映画やアニメーションなどの映像音楽や
イベント企画のプロデュースでも手腕を発揮している長岡和弘である

『裏切りの街角』(75年)や『HERO(ヒーローになる時、それは今)』(78年)など
ヒットを連発した人気バンドを脱退した長岡は、ディレクターに転身すると
石川ひとみを『まちぶせ』(81年)でブレイクさせるなど、新人時代から活躍

アイドルポップスでも、ニューミュージックでもヒットを放ち
独立後も新しい才能の発掘・育成や、後進の指導にあたっている
近年は生まれ故郷の長崎県大村市を活動拠点に
多忙な日々を送るマルチプロデューサーに話を聞いた」…との前置きが記されてます

そして…「長岡さんは福岡大学を卒業後、甲斐バンドの一員としてデビューしていますが
やはり筋金入りのロック少年だったのでしょうか?」…という質問に
「長崎で生まれ、佐世保から流れるFENを聴いて育ちましたが
祖母が芸者だったので、家の中で芸事が多かったんです」と長岡さん

「晩御飯が終わると、昔、芸子さんだった人たちが集まって来て
三味線に合わせて歌ったり、踊ったり…
昼間は商店街のおばちゃんだったりする人たちが、そういう時はすごく綺麗なんですよ
そんな環境だったので、自然とエンターテイメントが好きになって行ったんです」

…とお答えになっているんだけど、奥さんの父方のおばあちゃんは
芸子さんたちの三味線のお師匠さんで、見番(芸子さんたちの待機所)近くに住んでいたらしく
ご近所には元芸者さんのおばちゃんたちが多数いらしたそうで
長岡さんがおっしゃる雰囲気は「ナンとなく判る」んだとか…

それはともかく…「その内、兄貴がギターを弾き始めましてね
その伴奏を命じられて、ベースやドラム、ギターを演奏する内に音楽って楽しいなあと…
一度、みんなの前で演奏した時、殊の外ウケたのも気持ち良かったんですよね」
…って、これは「Happy Go Lucky!」でも話されてましたよね?

続いて…「ギターもドラムも演奏できる長岡さんが
甲斐バンドのベーシストに就任した経緯は?」との質問には
「バンドを組む時って、ギターやボーカルはすぐ決まるんです
自己顕示欲の強い人が真っ先に手を挙げますから(笑)」
…って、この「俺が、俺が」のお話も、つい最近聴いたような気が…?(笑)

「一方、ベースは大体最後で、バンドのまとめ役になることが多い
『俺が、俺が』というタイプは少ないような気がします
私自身、ベースをやりたかった訳ではないんですが、性格的には向いていたんでしょうね
自分たちのオリジナル曲が出来た時、ベースラインを作って行くのも楽しかったですし…」と長岡さん

ちなみに、我が家の住人は「まとめ役」に向いてるかどうかはさておき
もしバンドを組むなら「絶対ベースがいい!」と申しております(笑)
ボーカルやギターほど目立たないながら、いないと困る…という感じが気に入ってるらしい(笑)
まあ、映画やドラマを作るなら、監督や俳優ではなく
かといって、照明さんや大道具さんでもなく
「脚本家がいい」っていうのと同じ感覚みたいです

ともあれ、長岡さんは…「私は下手だから、カッコいいフレーズを思いついても
上手く弾くことが出来なくて、当時は細野晴臣さんや後藤次利さんの演奏を聴いては
『すごいな!でも自分にはとても無理だ』と思っていました

ですから、バンドをやっている間は一生懸命弾きましたけど
1位を獲るとか、何か形になる結果を残せたら
それをきっかけに辞めるのがいいなと考えていたんです」…と続けられていて
甲斐バンドを脱退なさったのは、ご病気のせいばかりではなく
そういうお気持ちもあってのことだったんだなあと…

インタビュアーの方が「プレイヤーではなく
ディレクターの道を志すようになったのは、それが理由でしょうか?」とお訊ねになると
長岡さんは「そうですね、ディレクターは演奏しなくてもいいですから…
私はベースを弾いていた時、他のメンバーのことばかり気になっていたんです

自分は下手なくせに、人に対しては『もうちょっと、こうやればいいのに』って…(笑)
それは、子供の頃、芸子さんたちの歌や踊りを見ていたからだと思うんですが
『こうした方が独創的でカッコいいんじゃないか』とか
『パフォーマンスはこっちの方が視覚的に目立つ』みたいなことが自然と浮かんで来たんですね」とお答えになり

「ベーシスト出身のディレクターが活躍されているのは
一歩引いて物事を見られる資質を備えているからかも知れませんが
長岡さんの場合、幼少時の体験も大きく影響していた訳ですね
ちなみに、甲斐バンド時代のディレクターはどなたでしたか?」との言葉に…

「最初は、東芝EMIの若手だった中曽根純也さん、原沢和美さん、斉藤隆さんの3人が
同時に担当してくれて、他にもシンコーミュージックにいらっしゃった兼松光さんが
原盤制作プロデューサーとして手伝ってくれました
皆さん、それぞれ持ち味がありましたけど、意見がまとまりにくいこともあって
4枚目のアルバム『この夜にさよなら』(77年10月)から、新田和長さんに代わったんです
そうしたら、やり方が全然違うんですよ

中曽根さんたちは、非常に真面目にやって下さっていたんですけど
新田さんはスケールの大きな方で、就任早々
『僕は、甲斐バンドのことをすごい才能で素晴らしいバンドだと言って回るから
君たちは、新田和長っていうプロデューサーは
とにかくすごいぞって言ってくれる?』とおっしゃって…
そういうことを言うディレクターはいなかったから新鮮でしたね

『HERO』が起用されたセイコーのCMも、確か新田さんが取って来てくれたタイアップで
当時、民放で同時放送されていた『ゆく年くる年』で一斉に流れたんです
その話を聞いた時は、甲斐バンドを知って貰うのに、これ以上の方法はないと思ったし
そういうことに長けた新田さんは、すごいプロデューサーだと思いましたね」と話されてましたが

ナンせ東芝EMIで、後の「ニューミュージック」部門を立ち上げられたり
チューリップを担当なさっていた時には「心の旅」のリードボーカルに
姫野達也さんを抜擢なさった方ですからねぇ…
甲斐さんから「グレートマジンガーより偉大な」と称された中曽根さんも分が悪いかも…?(失礼!)

そして、インタビュアーの方が「甲斐バンド時代に接したディレクターや
プロデューサーのやり方を見て、学ぶ部分もあったのではないでしょうか
長岡さんの場合、アーティスト側の気持ちも判る訳ですから
当時の経験がディレクターになった時に役立ったのではないかと拝察します」とおっしゃると

長岡さんは「確かに色んな方から色んなことを言われる中で
『あの人の言い方は判りやすいな』みたいなことは感じていましたね
例えばレコーディングでは、録り終わった直後
『一生懸命やったけど、今のはどうだったんだろう』って思ってるんだけど
ディレクターの中には、目を閉じたまま何も言って来ない人もいる

その時間が私にはすごく長く感じられたし
『はい、もう1回行きましょう』と言われた時は
『どこがいけなかったのか、言って欲しいな』と思っていました
中には、細かく注文をつけて来る人もいましたけど
どういうやり方がいいかは、アーティストの性格によりますよね

私は煽てられると木に登るタイプですが(笑)貶されて伸びる人もいる
ディレクターやプロデューサーは、そこを見極めた上で
相手によって、やり方を変えなくてはいけない訳です
バンドを例にすると、どのバンドもメンバーのレベルは同一じゃありません
突出した人もいれば、私みたいな下手くそもいる

でも、下手な人に『練習しろ』と言うのは逆効果なんですね
本人は自分のレベルに気づいているし、ミュージシャンって、デリケートな人が多いから
それは、鬱病の人に『頑張れ』と言うのと一緒
むしろ『何を悩んでるの?ちゃんと弾けてるじゃない』って声をかけた方が
『そうか、簡単なことだったんだ』って、クリア出来たりもするんです

当時は、歌を録る時に、1日30回も歌わせるような
体育会気質のディレクターもいたようですけど
そういう話を聞くと、集中力も声も続かなくなるのに
どうして無駄なことをさせるんだろうと思っていました」と返していらっしゃいましたが
完璧主義の某バンドリーダーの方を思い浮かべたのは、ボクだけでしょうか?(苦笑)
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Happy Go Lucky!(2/10)その2

2022-03-24 19:58:00 | メディア
BaBeの「シー・ハズ・ア・ドリーム」を流されたあと
「この作品はね、当時、ミュージカルのダンサーに憧れて
舞台でスポットライトを浴びて踊るっていうね
そういう『フラッシュ・ダンス』っていう映画だったかな?そんな映画もヒットして
若い女の子たちと、男の子たちもダンススクールに、よくね、通ってたんですよ」と長岡さん

『フラッシュ・ダンス』と言えば、以前に甲斐さんが、主演のジェニファー・ビールスのことを
「ローマの休日」の頃のオードリー・ヘップバーンや「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグ
「卒業」のキャサリン・ロスなど「時代を象徴するかのような、あでやかな花」であった
女優さん達の跡を継ぐ「80年代のアダ花」に挙げていらしたんですが

「ただ、思うのは、演技以前の問題で、ああいう風に輝ききっている人っていうのは
ある種、プロになり切れないところがあって
あの映画1本で辞めるなんていうことも考えられないことではないんだよね
あの生彩、あの弾けるような存在感、これからも出てて欲しい女優です、彼女は」

…と期待なさっていたにも関わらず、次作が大コケしてしまい(苦笑)
長らくスクリーンから遠ざかってしまったんですよね?(汗)
まあ、その後、テレビドラマで復活を遂げたみたいだけど…

それはさておき…「まあ、トゥシューズを鞄に入れてね
朝早くから眠い目をこすりながら、アルバイトに通って、レッスン代と生活費を稼ぎ
自分の夢に向かって頑張ってると…こういう姿を舞台にして描こうと、ね?

ほいで、実際、このBaBeってグループの2人の女の子の1人は
玉川高島屋の…デパートの売り子だったし…ブティックの店員さんだった
もう1人はね、三鷹のすかいらーくのウエイトレスやってたんですよね

ナンか、その仕事、ずっと続けながら(芸能活動を)やれば
売れるかなと思ったんですけど…うーん…
ヒットチャートに顔出して、ずっと歌ってたらね
他のアイドルと差別化できて、面白いかもねと思ったんですね

ところがね、あのー、すかいらーくの店員だった彼女がね
『ベストテン』に出た翌朝、新宿駅のホームで、うとうとと寝てたら
あの…周辺の騒がしさに、こう…目を覚ましたらね
すごい数の人たちがね、取り囲んでたんだって!(笑)

『あっ!夕べ、テレビに出てた子だ!』ってことで、もうバレちゃって
それで…パニックになった時に、それで、バイト辞めました
でも、プロモーションビデオではね、実際に…
えー、ああいうファーストフードのレストランで…デニーズみたいな所でね
バイトしてるシチュエーションのPV撮ったりもしました

ナンかこう…自分の好きなことを…たぶんね、親の反対、押し切ってやってるんで
仕送りもないことだろうし、極貧のね、生活の中でも夢を諦めずに追いかける姿っていうのをね
この『シー・ハズ・ア・ドリーム』っていうタイトルに込めて…
私、これね、私の力作なんです!この歌ね、この作品…

今でもね…今は、ダンスのヒップホップとか、流行は変わってますけど
夜に、ガラスは鏡の代わりになるじゃないですか(『見たことあります』と友廣さん)
練習代、払えないので、その鏡の前で、若者たちが
一生懸命、携帯から音楽流しながら、グループで踊ってますよね
もう、シーハット(おおむら)ね、毎日それです、あのガラスの前で…
それでね、私、いつも『頑張れ!頑張れ!』とエール送ってます

自分もね、まっ、高校・大学時代にバンドやってて
きっとこんな感じだったんだろうなあと思うんですよね、バンド馬鹿みたいなもんでね
自分の選んだことだから、弱音を吐くことはあっても
夢を簡単に諦めることは出来ない!と…(『大事ですねぇ、うーん…』)…そう!

友廣さんも、スポーツとか部活で、そんなメッチャ頑張った時あるんでしょ?
(『そうですね、ハイ、学生時代ありますね
もう、今、絶対に出来ないと思うけど…(笑)』)
そうですか(笑)それでいいですよね、思い出は…

もう、だからね、そんなね、バカになれて夢中になれるものがあるっていうのがね、ステキです
(『そうですね、大人になってから思いますね
その経験が生かせてるなという感じがしますね』)
キラキラしております、ハイ!青春グラフティーでした」

…と、かつて、不安を抱えながらも、夢を叶えるために
頑張って来られた方らしい振り返り方をなさってましたが
甲斐さんも、脱サラされて照和に戻られた際に
「ああ、これから俺は、毎日お腹を空かせることになるんだろうな」と思われたり

「せっかく就職して落ち着いたと思ったのに
おふくろには、また心配をかけることになってしまった」ことが申し訳なくて
「せめて家を出よう」とお考えになったり…と
プロになろうとお決めになった時に
様々な障害というか、マイナスの部分を凌駕するくらい「音楽が好き」でいらした訳で

その好きな道、ご自身で選ばれた道を歩まれ、長いキャリアを重ねられて
「ずっと好きでいられるっていうのも才能なんだよ」…という名言を発しておられました
学生時代に夢中になったものがあるだけで、それが、その後の人生の拠り所になったり
輝きだったりするんだから、現在進行形で好きなものに携わっていらっしゃるって
どんなに充実して豊かなことなんだろうなあと…

それはともかく…「みんながね、色々…リクエストとかあれば、お応えしますので
是非、皆さん、送って下さい。お待ちしております」と長岡さん
(…って、そういえば、奥さんは例の歌詞の件を投稿したんだっけか?(笑))

「さて、今夜のね、お別れの曲です…(『早っ!』と友廣さん(笑))
あとで説明しますけど、良い曲です…お聴き下さい」と
エリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」を流され

曲明けに…「この曲は、クラプトンが『ラッシュ』って映画のね、サントラを担当して
主題歌として、この曲を作ったんですね、1992年に…
実は、その1年前に…実は、自分の最愛の息子を亡くしたんですよ
で、その死を悼んで作った曲なんですねぇ…

クラプトンはね、こう…イタリア人の女優で、ロリー・デル・サントという人の間に
コナーくんって子供…息子がいたんですよ
非常に…とっても自分に似ている子で、とっても可愛がっていたんですけども…
ところがね、4歳のコナーくんは、アパートの53階の窓から落ちたんです
それで…転落して亡くなったんです…大変ショックだったと思います

1年後に、この仕事をよく請けられたなと思いますけどね
歌詞がねぇ、泣かせるんですよ、もう最愛のね、自分の息子に対して
『お父さんのこと まだ覚えているかい?』って
『僕たちの心はまだ繋がってるかな?』ってね
『悲しみを乗り越えて 前に お父さんは進まなきゃいけない』と…

『君がいる天国めざして いつか僕も行くんだけどね』ってね
『悲しみに沈む時 手を差しのべてくれるかい?』って
『心が折れそうな時に支えてくれるかい?』って
『お父さんは昼も夜ももがいているんだ 天国にいる君を思いながら…』って
こんなね、息子を亡くした心情を美しいメロディーに乗せて優しく歌ってる…涙、涙の曲です

(『それをこう…考えて聴くと、またちょっと違って来ますよね』)
そうそう、悲しく優しい名曲ですね…もう、ウッウッウッ…と、こうね
しんみりとして来ましたけども、また来週ですね」
…と、今回は長岡さんが「お別れコメント」を口になさって
友廣さんが「ホントですね、早いもので、また来週ということでございます」と締められ放送終了…

ちなみに…甲斐さん絶賛の、クラプトンのドキュメンタリー映画
「12小節の人生」でも、もちろん、この件は登場するそうですが
奥さんは、やはり「愛しのレイラ」誕生のエピソードについて
クラプトン自身が語ったシーンが印象的だったらしい

まあ、友廣さんがおっしゃったように、その曲が出来た経緯を知って聴くのと
知らないで聴くのとでは、感じ方が違うという意味では、どちらの曲も同じなんでしょうけど
いかんせん、奥さんが初めて「愛しのレイラ」を聴いたのは、小学校低学年の時だそうで
そんなエピソードなど関係なしに、ただただ「何、この曲!?」とブッ飛んだっていう
そのインパクトをずーっと引き摺ってるがゆえの感想じゃないかと…?(笑)

もっとも、甲斐バンドや甲斐さんの曲に関しては
その曲がリリースされた時代の空気や、その曲をお書きになった甲斐さんの動機と共に
リアルタイムで聴いて来られたことの幸運を嬉しく思っているみたいです(笑)
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Happy Go Lucky!(2/10)その1

2022-03-23 22:55:00 | メディア
この日も友廣皇子さんがアシスタントを務められていて
いつものように、番組コンセプトを紹介なさったあと
「さて、今日の1曲目は、コアーズで『ブレスレス』をお聴き下さい、どうぞ!」と長岡さん

曲明けには…「このね、コアーズってグループは、ボーカル、ドラムス、ギター
そしてフィドル…って、バイオリンのことですけどね
これ、4人姉妹…きょうだいなんですよね(『へえー!そうなんだ』と友廣さん)
あの…えーと…弟さん(お兄さん?)みたいな人が、ギター弾いててですね、他は3姉妹…

で、コアーっていうファミリーで構成されてるんですね
ナンとかコアーさんなんですよね、アイルランド出身で…
だから、曲の演奏とかサウンドね、他の曲聴けば判ると思うんですけど
どこかね、ケルト民族風なところが、いっぱい入ったのが特徴の歌なんですよね

これをね、すごい見事にこう…ポップスというトコに収めるのが、スゴイところですね
(『すごい綺麗でしたねぇ』)…そう!プロデューサーが素晴らしい!…と思ったら
やっぱり、これは、デヴィッド・フォスターなんですね
『このヤロー!』ですよね、ホントね(笑)…(『このヤロー!…(笑)』)

デビューした頃の写真はね、いかにもアイルランド出身っていうね、田舎娘なんですけどね
今ね、こう…ヒットしてからは、さすがこう…ファッションとかメイクとか、洗練されて
馬子にも衣装じゃないけど、綺麗になって、都会っ子になってますよ
一時、私は、部屋でも車でも仕事場でも、ずーっとコアーズばっかり聴いてましたね
(『大好きだったんだー!?』)…うん!」と明かされてました(笑)

「さて!次の曲なんですけど…これね、私ね、昨年末にね、NHKで特集やってんの、聴い…
うっかり聴いて、見て、すっかりハマってしまいました(笑)もう、ビックリ!
まふまふです!まふまふで『命に嫌われている。』どうぞ…」と曲を流されたあと

「ね?これ…私ね、こういうSNS系とかTikTokとか、あのー、そっから…
そういうトコから流行る曲は、あんまり好きじゃないんですよ
『だからどーした!』みたいな…『そんなこと歌にしてナンになる?』みたいなね、そんなの…
こう…私にとって、もう…まっ、彼もそんなもんだろうと思って見てたんだよ
ところがね、ちょっと違った(笑)

日本語でね、こう…描かれた歌詞がスゴイんですよ!
こう…ものすごいヒステリックなボイスで歌うでしょ?
あそこに、良い歌詞が詰まってたりするんですよね
私とはね…今の私と世代が違うので、彼が描こうとしてる世界観が全く…
共有するものが全くないんですけども…

私が若い…10代から20代30代くらいに、こう…生きていて思ってたことって
いっぱいあるんですけどね…社会の中での自己矛盾、不安、不条理、絶望感…
もう、そういう言葉では、なかなか書けなかった、世界に対しての主観がね
すごい上手く書いてあるんですよねぇ…
私の歌に彼がいたらね、すごい応援したと思うんですね」とおっしゃってましたが

この曲の冒頭は…「♪死にたいなんて言うなよ。 諦めないで生きろよ。
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな♪」…という歌詞で始まっていて
「ん?アレッ?」と食いついた我が家の住人(笑)
どうやら、かつて甲斐さんが「漂泊者」をお書きになる前に、よく口になさっていたという言葉…

「偉そうなヤツが、よく言うじゃないか『くじけるな!立ち上がれ!』って…ふざけんなよ!
聖人君子じゃないんだから、俺たちはくじけるよ!
くじけるに決まってるじゃないか!そう思わんか?俺は、みんな、くじけていいと思うよ
くじけて、くじけて、腰まで泥だらけになって、その泥の中から這い上がってくればいいよ
そうすると、またそこでくじけるよ、もう1回
そしたら、また這い上がればいいじゃないか

くじけるな、立ち上がれっていうのは、綺麗事すぎるよね
俺たちは、きっとどこかで泥まみれになってるしね
どっかで風にさらされ、雨に打たれてるからさ
そういう人間の弱い思いが判ったところで、ハードに生きて行きたい訳よ
ハードな生き方の中にこそ、本当の優しさっていうのがあると思うよ」…を思い出したらしい(笑)

それはさておき…「うーん、新発見でした!すごい良かった!」と友廣さん
ただ、長岡さんは「そう!ビジュアルもね、華奢でね、アニメから飛び出したようなカッコしてる
多彩なね、歌声がね…中でも、さっきの(曲の)ね、ヒステリックな声は
ちょっと、皆さん…アレは大変だったと思うね(笑)」…と話されていて
確かに、早口でまくし立てるように歌う高音部では、ちょっとボリュームを落としました(笑)

ともあれ…「そこはね、彼が全部、自分でプロデュースしてるんですよ
動画も、コンサートの舞台、照明、演出…全て、全部1人でやって…(『スゴイですね!』)
そう!プロダクションとかね、メーカーには最初から所属しないで
ひたすら、自分を表現する方法、突き進んで、今のスタイル築く…みたいな…スゴイ!立派です!

でもね、若者の中にはね…大谷(翔平)選手もそうですけど
こんなね、桁外れの天才みたいなの、時々いますね…(『出来ちゃう人』)
うん、これね、昨年末の大発見で、とっても…結構、私、楽しんだんですね…(『へえー!』)
紅白にも出てましたね、CDもすぐ買いました(笑)」…と、かなりお気に入りなご様子(笑)

そして、ここで短いインターバルがあり…友廣さんが「さあ、では、ここでですね
えー、メッセージをご紹介したいと思いま~す!」と告げられ
「ヒットソングを創った男たち」という本に掲載されていた
長岡さんのインタビューをお読みになった方からの投稿を読み上げられたんですが

投稿者の方がお好きだったという女性ユニット「BaBe」を
長岡さんが手掛けていらしたことに驚かれたそうで
彼女たちのビデオの中にある「披露宴で踊りまくるシーン」に
長岡さんが出演なさっていたのか?…も含め
レコーディング時のエピソードなどをお聞かせ頂きたい…といった内容に

「これね…ありがとう…私が見つけてプロデュースしたアイドルなんですよ」と長岡さん
「『BaBe』ってね、あのー、当時『Wink』とか居ましたね
あのー、そういうのも居ましたけども、とにかく…
若くて元気で活発なタレントを作ろうと思って、プロデュースしました

あのー、結婚式の…ビデオのね…プロモーションビデオの台本も全部、自分で…私が書いたんです
あの結婚式の会場(のシーン)って、ウチの会社…レコード会社の社員がほとんどなんですけど
私は、撮影スタッフだったんで、あの中にはいないんですけどね

あのー、有名な人もいっぱい混ざって…(『へえー!』)…
有名なダンサーがいたんです、あん中でね…まっ、ちょっと聴いて貰おうかな
BaBeで『シー・ハズ・ア・ドリーム』」を流され
そのあと、BaBeのお二方や、この曲に対する思いを語られたんですが、それはまた次回に…
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Happy Go Lucky!(2/3)その3

2022-03-22 16:16:00 | メディア
長岡さんと、この日のリモートゲスト・平戸祐介さんが、同じ長崎出身者として
九州の首都・福岡や、東京・横浜の方々との違いについて話されていて…

「おまけに、長崎にはね、キーボードがいないんですよ
ギタリストはね、九州にいっぱいいるんですよ
キーボードが少なくてね、バンド組む時にね
キーボードなしのバンドがいっぱいいるんですよ」と長岡さん

「ああ、そうなんですね」という平戸さんの言葉に
「イヤ、東京とかね、あっちはね、子供の時からピアノ教室とかね、音楽教室に通ったりとか
裕福なんでしょうね?…まっ、いいや(笑)」と、おっしゃってましたが
じゃあ、財津和夫さんは、九州では「レアな存在」っていうことでしょうか?(笑)

ちなみに…甲斐さんは、甲斐バンド解散後のソロツアーで
メンバーのお一人でいらした、ピアニストの島健さんに
「ピアノとかキーボードやってるヤツって、頭オカシイよね(笑)」という言い方で
その技量やセンスを絶賛なさっていたそうです(笑)

ともあれ…長岡さんが「まっ、ね?…今、アルバムを出されたばっかりなんですよね?
(『えっとね、アルバムがですね、3月の…えっと、23日に出ます』と平戸さん)
あっ、3月23日って、もうすぐ出るんですね?あと、ひと月後くらいか…
これは、ずっとためてた作品とか…?」とお訊ねになると

平戸さんは「うーん…そうですね、コロナ…まっ、今もそうなんですけれども
コロナ禍でですね、まあ、今はライブが思うように出来ないという環境の下ですね
で、何が出来るかということで考えた時に
もう、作品作るしか、まあ、ないんですよね
要は、作品作って、ためて行くっていう作業しかなくって…

で、要は、前作を…えーと、出したのが2019年なんですよ
で、2019年にリリースしたと同時に、コロナが始まってしまいまして…
(『発表するチャンスがなくなった?』と長岡さん)…そうなんですよ

で、もうコロナ禍になって、もう…じゃあ、もうね
『気持ち切り替えて、制作するしかないな』ということで
このコロナ禍(の間)ずーっと、制作してたんですが、それが、結果として
その3月にリリースされるアルバムに注入されているというところですかね」とお答えになり

「ナンか、巣籠もり…重要だったりとか、結構…巣籠もりしたおかげで
結構ね、熟成度が高いんですよ」という長岡さんの言葉に「そうなんですよ!」と頷かれ
「ね?まっ、平戸さんは結構、演奏とかアレンジも行われてた?」との質問には

「そうですね、あのね、僕、結構ありますよね
特にね、今、僕が取り組んでいるものは、ジャズと…
まあ、ヒップホップだったり、クラブミュージックを結構、融合してるので
あのー、ピアノの…っていうか、キーボードの高音とかね、えー、その音の並びと
えーと、まあ…要は、ベースですよね、下のベースの鳴りが
えー、どういう風な塩梅に聴こえて来るのかなあ?とか

あとはもう、ベースラインがカッコいいラインかなあ?とかね
えー、まあ、そういう…(『判ります!』と長岡さん)
その辺をね、あのー、結構こだわりはありますよね」と熱心に話されてましたが
何より長岡さんの「判ります!」の力強さが印象的でした(笑)

その長岡さんは「でも、あの…聴いてると
キーボードがナンか、フェンダーのローズ系のエレピが多いですよね?
生ピ…だから、こう…夜っぽい音楽が多いんですよ、何となく…
で、今回のアルバムでね、女性ボーカルが結構入ってて、ナンか、すごいイイな!と思って
バリエーションが広かった感じがしましたよ、僕は…」と感想を述べられ

「イヤー、もう、先輩にそう言って頂けると…」という平戸さんの言葉が
照れくさくていらしたのか?少しカブセ気味に
「えー、まっ、さて…その『デジマ・ミュージック・ヘリテイジ』のね
あの…ちょっとね、平戸さんから、開催日時とか、時間・場所・料金などが…
そこら辺あったら、ちょっと説明してくれませんか?」と告知を促され

平戸さんが「そうですね、あのー、日時はですね、えー、もう決まっておりまして
えー、3月5日の土曜日に、えー、史跡・出島にて開催が決定しておりまして…
(『史跡・出島ってのは、あそこの…あの…こう…?』と長岡さん)

そうです、あの『出島』ですね、ハイ…出島で開催が決定しておりまして…
全バンドがですね、4組ですね、ハイ、まず私のバンドが出てですね
そして、福岡から、あの…5人組のバンドなんですけれども

えー『メイド・イン・ヘップバーン』っていうね
えー、ちょっと名前がユニークなバンドなんですけども
ジャズと…まあ、ヒップホップだったり、ブラックミュージックを融合した
えー、バンドなんですよね、結構おしゃれなバンドですね

それで、えー、あとは…まっ、僕が『クオシモード』の時代からですね
盟友と言ってもいいユニット『ソッフェ』のね、キーボード…ピアノ担当していた
YOYO『ピアノマン』っていうね方がいるんですけれども、その方が、えー、出てくれまして
まっ、その『ピアノマン』と、サックス奏者の浦ヒロノリさん

(『あっ!知ってます、浦さんね、うん』と長岡さん)
そのデュオが、ラインナップとして挙がって来ております、ハイ
そして、最後にまた、私の…ホントにボスにあたる方なんですけれども
『Kyoto Jazz Massive』で、沖野修也さんが、DJとして参加して頂いてます

えーとですね、時間がですね、今ちょっと暫定で、ちょっと申し訳ないんですけれども
えー、一応、5時半くらいが開場と考えております」と説明なさると
「じゃあ、結構ね…4組出るからアレですね、あのー、たっぷり聴けますね
ナンか食事とかしながら観れるんですか?」と長岡さん
「そうですね、そこがね、やはりコロナ禍でもあるので、ハイ
そこは、状況を見つつ…という感じになるかめ知れませんね、ハイ

料金は…えーと、料金の方はまだですね、あの…ちょっと、チケットの方はまだ販売が
今日、この時点では発表されておりませんので、えー、詳細は、情報も併せて発表…
SNS、そしてホームページなどで、えー、発表したいなと思っております」
…という平戸さんの言葉に「ちょっと、コロナとか気になるとこではありますけどね
あの…実際、私たちも、ぜひ観たいと思ってるんですよ、ホントに…」と返されると

平戸さんは「ぜひね、長岡さんにベース弾いて欲しいですよ!
(『めっそうも…ダメ!ダメ!もう…(笑)』と長岡さん(笑))
イヤー!だって、長岡さんのベースはもう絶品ですからね
(『イヤ、恥ずかしい!恥ずかしい!』)
イヤ、もう伝説のアーティストですから!」

…と、当日、長岡さんが会場におみえになったら
ホントに、ステージにお招きになりそうな勢いで話されてましたが(笑)
残念ながら、このイベントは「マンボウ」のおかげで、無観客開催となり
その模様は、YouTubeで生中継されたみたいです

そして、平戸さんのゲストトークコーナーが終わり…
「という訳で、平戸祐介さんでした、ね?
長崎出身の才能あふれるアーティスト、多いですよ!長崎出身…
もう九州ってね、やっぱ個性的で才能ある人、多いですね、すごい嬉しいですよ」と長岡さん

以前に、この番組で披露なさった岡本太郎さんの「ハンカチ」エピソード(笑)を
お聴きになった方からの投稿にお応えになったあと…
「さて、早いですねぇ!今夜最後の曲になりましたよ、ねぇ?
今日最後の曲は、珍しいノルウェーの歌手です
ジャケット見て、あまりにも美しかったんで、ジャケ買いしたんですね

歌手の名前も読めなかった!歌声はね、美しいですよ、ホントに…
名前がね、シセル・シルシェブーって読むんですよ
これ、竹内まりやさんもカバーしてました、お聴き下さい」と
「ドリーム・ア・リトル・ドリーム・オブ・ミー」を流され

曲明けに、友廣皇子さんが「お聴き頂いたのは、シセル・シルシェブーで
『ドリーム・ア・リトル・ドリーム・オブ・ミー』でした!」と告げられると
「ほら、舌噛みそうでしょ?シセル・シルシェブー…(笑)」とおっしゃって
「頑張って練習しました!」という友廣さんに
「10回言って下さい、ちゃんと(笑)」と茶々を入れられ(笑)

「彼女はね、1985年にCDデビューしました
ノルウェーではね、国民的歌手で『クリスタルボイス』
って聴いたら判りますけどね、透明感のあるね
1994年のリレハンメル冬季オリンピックのテーマ曲も歌ってるんですね
日本でもね『サマー・スノー』っていう、TBSのドラマの主題歌、歌ってたんですよ

…と紹介なさったトコで「という訳で、もっと話していたいんですが
また来週ということでございます」という友廣さんの「お別れコメント」が入り放送終了…
ちなみに…「サマー・スノー」は、堂本剛さん主演の「ひとつ屋根の下」っぽいドラマで(笑)
小栗旬さんと池脇千鶴さんが、弟・妹役で出演なさってました
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Happy Go Lucky!(2/3)その2

2022-03-21 20:15:00 | メディア
「さあ、それでは、ここでゲストコーナーです!」という友廣さんの振りに
「ハイ、今日はね、昨年から今年3月開催に向けて、いよいよ、こう…近づいて来たんですけども
出島の『ミュージック・ヘリテイジ』のメインアーティスト平戸祐介さんとの対談…
で、今、電話でお話しします」と長岡さん

「こんばんは!平戸さん、長崎出身の平戸さんは、平戸出身ですか?(笑)」とおっしゃると
平戸さんは「こんばんは!よろしくお願い致します
それ、私はですね、残念ながら長崎市の出身です(笑)」と返され
「あ、そうですか、そうか…じゃあ本名ですね?『平戸』ってのはね」という長岡さんの言葉にも
「そうです、芸名じゃありません(笑)よく言われるんですけど、それ…」と
確かに、言われ慣れておられるご様子…?(笑)

そして、長岡さんから「えっと、いきなりですけど、まず、あの…
平戸祐介さんのご紹介も兼ねて1曲…えー、曲をお聴かせします!曲は…?」と促されて
「あのー、3月にですね、新しいアルバムが出るんですけども
その中から1曲、お聴き頂きたいと思います
平戸祐介で『Evil Vibrations』という曲をお聴き下さい」とQ出しをなさってました

番組冒頭の「マイ・シャローナ」とは違い(笑)フルサイズで曲が流れたあと
長岡さんは「平戸さんの音楽ってのは、ジャンル分けするとしたら
ジャズとかフューチャー…どこになる…どのアレになるんでしたっけね?」とお訊ねになり
「うーん…まあ、非常に難しいですよね…というのは、まあ、ジャズっていうのが
今もう、現代においてですと、広い定義で言われることがね、あのー、多いんですけれども…」

…と平戸さんがお答えになっている途中で「日本人ってさ、日本人って
すぐジャンル分けしますよね?(笑)」…それ、ご自分が質問なさったあとに言います?(笑)
平戸さんが「あっ!ホントですよね、なので結構もう…」と続けられるのへ
「整理整頓が好きな割には、散らかってるんですよ(笑)
曖昧なの、ファジーなの多いんですよね?」とカブセられ(笑)
平戸さんは「おっしゃる通りです(笑)」と大笑い(笑)

まあ、かつて甲斐さんも、甲斐バンドを「フォークグループ」だの「フォークロックバンド」だのと
ジャンル分けされることにウンザリなさっていたみたいですし
演歌・歌謡曲の全盛時代に「裏切りの街角」がチャートインした時などは
完全に「歌謡曲」扱いになってしまい(汗)
「歌謡曲で結構!」と発言なさったこともおありだったんですよね?(苦笑)

ともあれ…長岡さんが「ね?もう、私はね、実はね、平戸さんがこう…そういう…
こういうね、ソロ活動される前のユニットで
あの『クオシモード』よく知ってるんですよね」と話を向けられ
「ハイ、あのーですね、ベーシストの須長くんがね」という平戸さんの言葉に
「そう!須長くんはね、須長和広っていうんですよ!僕と一緒です!
下の『かずひろ』一緒でね、すごい親近感をね

私のプロデュースする作品で、沢山レコーディングさして貰ったんですよ
コンサートでもね、ステージで何回も演奏して貰いました。すごいイケメンくんで…」と返されたトコで
「そうなんですよ!それで、あのね、僕もね、聞いた記憶があるんですよね
『長岡さんっていう方に、すごくお世話になってるんです』って言って…」と反応なさると

「そうですか!僕もね、そのユニットのリーダーが平戸さんであることは知ってたんですよ
『長崎の人なんだ』って…『あっ!そうなんだー!』ってね、うん
だから、こう…私がね、長崎に戻ってから…
昨年でしたっけね?初めてお会いしたのはねと平戸さんとの関係に触れられ
平戸さんも「イヤー、そうですね、お会いできまして、嬉しかったですね」とおっしゃってました

「その時にね、出島の『ミュージック・ヘリテイジ』っていうイベントをね、始めるんだって…
これ、平戸さん、この『デジマ・ミュージック・ヘリテイジ』について
ちょっと説明して貰えませんか?」と、ようやく?本題へ…(笑)

平戸さんが「そうですね、まっ、端的にですね…まあ言うと
この『デジマ・ミュージック・ヘリテイジ』って音楽事業なんですけれども
まあ、要は、音楽・アートで長崎を…えー、元気にして行きたいというイベントなんです

えー、昨年ね、あのー、長崎(出島?)VOFグループと一緒に、私が手を組みまして
えー、始まった音楽部門なんですけれども
私はもう、ジャズピアニストという側面からですね、えー、音楽を母体として
アートだったりとか、ファッションであったりとか、あと、はたまた教育とかですね

えー、まあ色んな…まあ、音楽とコラボレーションできる…えー、ものとコラボレーションしながら
で、長崎…長崎でしか見れない、えー、まっ、ハイクオリティなものをどんどん
長崎の方に見て頂こうと…えー、いう事業というか…」と説明なさると

「これ、長崎って、その…今、あの…平戸さんがいらっしゃる
東京とか横浜とか、あっちの方から見ると、こう…どんなですか?
そういう音楽のレベルとか、その…みんなの熱心度っていうか…」と質問

平戸さんが「まあ…長崎ですよね?イヤー、でもたぶん、そこは、たぶん…
長岡さんと感じてること、たぶん一緒だと思うんですけどねぇ…」と言葉をお選びになると
「僕なんて、ほら、長崎戻って来てね、合唱とかね、ブラスバンドのね
『すごいなあ!』と思うこと、よくあって
『えっ!?こんなにちゃんとしてるんだ』と思って驚きましたけどね」とフォロー?(笑)

すると…「そうなんですよね、だからね、あのー…
一生懸命立とうとして下さっている先生だったりとか、教育者っていうのは
長岡さんがおっしゃるように、いらっしゃるんですよね
ただ、えー、それが全体的にこう…行き渡る…行き届いてるか?というと、そうではなくって…

うーん…だから、やっぱり、その…まっ、プロと、またアマチュアの垣根もまだありまして
えー、だから、そこら辺がね…その辺が、こう…非常に上手い具合に融合できるようになると
長崎の音楽も…また、アートが出来るまで、どんどん外堀が出来るんじゃないかな?っていう
期待感はあるんですけどね」と、今度はちゃんとご意見を述べられて

長岡さんの「あと、こう…ナンか自己主張が、ちょっと足んない…引き気味ですね」との言葉に
「ああ!長崎の人、優しかけんがねぇ(笑)」と長崎弁も披露(笑)

すると…長岡さんは「目立ちたがり屋がいない(笑)…(『そうなんだ!?』と友廣さん)
そう!そう!もう東京行くとね『俺が!俺が!』みたいな…
イヤ、福岡もそうだけどね『俺が!俺が!』が、いっぱいいるんですよね(笑)」と
奥さんの予想した通りに話が進み「絶対、甲斐さんの顔を思い浮かべてるよね?(笑)」とクスクス(笑)

平戸さんは「イヤ、そうなんですよ!イヤ、だからね、長岡さんね
私も、あのー、バンド活動、長くやってたんですけれども
やっぱりね、長崎の人って、そうなんですよね
こう…でしゃばらないというか…(『そう!そう!奥ゆかしいんです』と長岡さん(笑))
そうなんですよね(笑)だからね、もう場合によっては
ちょっと下に見られたりとか、すぐナメられたりとか…」と声を大になさってましたが(笑)

これは「九州あるある」…っていうか、福岡の皆さんは
「福岡が九州の首都」と思っていらっしゃるらしく(笑)
他の九州の県や、その県民の皆さんを少し下に見ておられるようで
他の県民の方々からは「福岡の人は、いっつも偉そうやもんね」と陰口を言われてる
…といったウワサを裏づけるご発言じゃないかと…?(笑)

そういえば…「今の甲斐バンド」のお三方は、全員「福岡出身」でいらっしゃいますね(笑)
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