ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

Happy Go Lucky!(1/27)その2

2022-03-17 22:11:00 | メディア
長岡さんのお友達で「九州教具グループ」の社長でいらっしゃる
船橋修一さんのゲストトークコーナーの続きです
「私が知ってるのは(船橋さんは)好奇心で生きて、好奇心で働いてる
そんな人がね、大村にいるの、ビックリです!」と長岡さん

船橋さんのプロフをググってみたら…1959年、長崎市生まれ
長崎造船大学卒業後、ネバダ州立大学へ留学
帰国後、コンピューターシステム販売会社に就職し、バイク用品のブティック経営、飲食店を経て、1987年九州教具入社」…となっていて
いわゆる叩き上げで、社長になられた訳じゃないみたいです

で…「ちょっと訊きたいんですけど、この数年のね、コロナで
事業経営とかって大変だったと思うんですけど、大変化があって…
(『あ、もう大変でしたねぇ』と船橋さん)
ねぇ?どんな対応を…どう乗り切って…
ナンか、患者さんも出たりして、大変でしたよね?」とお訊ねになると

船橋さんは「そうですね、あのー、2年前の4月15日になりますけどね
長崎市の第1号のコロナ陽性者って、私のトコの
『ウィングポート長崎』の宿泊者のお客さんから出たんです
(『あっ、他所から来た人で、宿泊してて…あっ、そうなんだ!?』と長岡さん)

で、あの…休館したんです。休館して、あのー、まっ、結構長いこと休館してですね
あのー、ナンとか調整して…えー、リオープンしたんですけどね
まあでも、翌日…4月の15日の夜8時に連絡があって、翌朝8時25分…
たまたま、このNBCラジオの私の番組が…あのー『しゅうちゃんの朝かラ!エッセイ』(笑)
…っていうのがあったんですけど、その番組をですね、生放送に切り替えて貰って…

あのー『我が社のウィングポート長崎から、コロナが出ました!』っていう…
ハイ、もうNBCさんが全面的に協力してくれてですね、いち早く報告が出来て
あのー、事なきを得…事なきを得なかったけど、ナンとか最小限に…」と明かされ
…って、船橋さんが冠番組をお持ちで、パーソナリティをなさってることにビックリ!(笑)
道理で…というか、ナンか落ち着いた話し方をされるなあと思っておりました(笑)

ともあれ…「まだ(コロナ禍は)続いてますけどね
オミクロンとか、ナンか次から次に出て来ますよね、想定外の…」と長岡さん
「ちょっとね、今からね、あのー、船橋さんの思い出の…きっかけになった思い出の…
(『話がガラッと変わってね(笑)』と橘ほなみさん(笑))
一緒に聴いてみようと思うんですけど、ちょっと曲名を教えて下さい」と振られ

船橋さんが「ハイ、あのー、ジャーニーの…これ、1981年の曲だと思うけど
『ドント・ストップ・ビリーヴィン』」と告げられると
「そうですか、ちょっと聴いてみましょう」と曲を流されたあと
「これね、アメリカを代表するロックバンドで
日本では、ナンか、ALFEEがこんな感じですね」
…と説明されてましたが、それって合ってますか?(笑)

まあ、船橋さんは「そうですね、あのー、ホント流行りのロックって感じでした」と返され
「70年代に大活躍したバンドなんですよ、プログレ・ハードロックバンド…
あの…この時に何歳だったんですか?」という長岡さんの質問に
「この時、21だったですね」とお答えになり

「長崎にいたんですか?」には「いえ、アメリカにいました。ネバダ…ネバダのリノって所です
ネバダ大学で、ホームステイしてて…えー、車にも…えー、シボレーのシェビーバンの…
デカいバンで行ったり、あのピアジオっていうスクーターで行ったりしてましたよ」と話されると

今度は「へえー!この曲は、どんな思い出があるんですか?」と訊かれて
「イヤ、あのー、その頃、ものすごく流行ったっていうのもあるんですけど
これ、歌詞がですね…田舎から女の子が、デトロイトから男の子が、都会に行って
いわゆる『ストリート・ライト・ピープル』…
いわゆる街のね、光った子になって行く…っていう話なんだけど

僕も(日本に)帰って来て、サラリーマン…まっ、辞めて
起業した時にも、やっぱり聴き返して…えー、常に聴いたって感じかな
あのー、僕、もう大学…アメリカの大学終わってから1年くらい
バックパッカーやってたんですけど、その時も聴いてたんですよねぇ」とお答えになったものの

「別に、恋の思い出があるとか、そんなんじゃないんですか?(笑)」と長岡さん(笑)
もしかしたら、一番お訊きになりたかったのは、そっち方面?…と思っていたら(笑)
船橋さんが「イヤ、恋の思い出ありますけどね、ありますよ(笑)」と乗っかられ(笑)
「ナンか、こうね、髪のこの辺が黄色くなって…(笑)」という長岡さんの言葉に
「ハイ、目は紅色の子ばっかりで…(笑)」と返されたトコで
橘さんが「男性の憧れですね(笑)」とツッコミ(笑)

それはともかく…長岡さんが「そうですかー!ナンか、事あるごとに…こう…一番こう…
人生の中で、ポイント、ポイントで出て来るんですね、この曲が…」とおっしゃると
「ああ、そうです!今でも車乗ってると、よく聴きますね、今日も聴いてました(笑)」と船橋さん
「人生のね、こう…進路を決めた時も、こういうのがあったりするんですか?
やっぱり、決断した時に…」という長岡さんの質問に

「そうですね、アメリカに行った時、非常にまだ寂しくて
右も左も判んない時に、これが耳に入って来た…まっ、これでジャーニーが好きになって
で、日本に帰っても聴いたんですけど…まっ、脱サラする時
起業する時もこれ聴いてた」とお答えになると

長岡さんは「イヤー、そうかー、色々思い出があるんですね
パーッとフィードバックしますね、じゃあ…」と返されたんですが
やはり音楽に携わっておられる…提供なさる側の方にとっては
人生の節目節目に音楽が寄り添っていたということが、何より嬉しいことなのかなあと…?

ともあれ…「まあ、今年もね、たぶんこれからも大変忙しく、好奇心強く
事業と趣味と活動されると思うんですけどね
お互いに健康第一で、あの…活力のある長崎県と大村市を目指して頑張りたいと思ってますね
ほんで、まあ一番…日本の中の西の端にある、この長崎県にいて、仕事しながら…
こう…今から先、長崎にいて仕事するのに、どんなことで…
今必要で、大切かなあって思うことあります?」と長岡さん

船橋さんが「そうですね、よく、あのー…例えば、長崎にいて、生まれて育って
『長崎に残って仕事をして欲しい』って、よく聴きますよね?
でもですね…まっ、それも大事かも知れないけど
私、元々ですね、長崎で生まれ育って、長崎が嫌いだったから、出て行っちゃうんですよね」
…と話されると「俺と一緒だ!(笑)」と大笑い(笑)

更に、船橋さんが「でしょ?(笑)極端に出て行っちゃって
そして、色んなトコ見て…見た時に『良い街だなあ』と…」とおっしゃると
「あっ!おんなじです!こう…1回出ると良いんですよね
良い所と悪い所が、ハッキリ判るんですよね」とハゲ同

船橋さんも「そうです!そうです!1回出ると、よく見えますよね
それで、色んな国に行ったり、バックパッカーしてる時も『どっから来たんだ?』って言われて
『長崎』って言うとですね、知らない人いないんですよ
どこにあるかは知りませんよ?日本のどこにあるかは知らないけど
『長崎』っていう、この街の名前は知ってるっていう…それは幸せだなって思いました」と返され

「なるほど!そういう体験を若い人たちにして貰いたいですね」という長岡さんの言葉に
「そうです、だから1回…私としては1回…
もう、そんなに長崎がつまらないとか、ナンもないと言うんだったら、1回出てみろと…
どこでもいいよと…福岡でも東京でも、どこでもいいから出て行って…
日本の中でもいいから、外から…出て行って見ろ」と熱く語っておられましたが

これって「25歳までに、1度は海外へ行った方がいい」という甲斐さん説…
いったん日本から離れて、俯瞰で冷静に自分の生まれ育った国を見ることで
よりよく日本の良さが判ったり、自分のルーツを掘り下げて考えることが出来る
といった意味で…と同じなんじゃないかと…?
そう言えば、かつて「家出のススメ」をなさったことが…?(笑)

でも、長岡さんが「『イヤ、やっぱりウチがいいな』と思ったりもするんですよね
ありがたみが判ります、ホントに…」とおっしゃると
「今は、ここが故郷で良かったなと思いますよねぇ」と頷かれてました(笑)
そして「ホント!ホント!僕もそう思います、ホントに…
今夜のゲストトークは『九州教具』代表取締役社長の船橋修一さんでした
ありがとうございました!」でゲストコーナーは終了♪

最初は、いわゆる「芸能人」ではないゲストって…と思っていたんだけど(失礼!)
なかなかどうして、これまでのゲストの皆さんに負けず劣らず
興味深いお話が聴けて楽しかったです♪
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