ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

新・シビレる言葉3

2019-03-18 15:50:00 | 日記
甲斐さんオススメの映画「南極料理人」は
「南極」で「料理」を扱っているにも関わらず
「寒い」「美味しい」というセリフが1度も出て来ません(笑)


探検家の角幡唯介さんは、著書「探検家の憂鬱」の中で…
「冒険の現場というのは、概ね退屈で
冒険に行くだけでは、面白い文章が書けないことが多い」…と記されていて


苛酷を極める北極探検についても…
「『雪の上を歩いた。寒かった。飯を食った。寝た。』の22文字で済む
これが何十日も続くのが冒険で
だから、遭難でもしない限り、面白い話にはならない」…とおっしゃってます
まあ「スコップさん」達は遭難しちゃったから
「大冒険」の物語が出来ましたけど…(笑)


「私たちの日常も日々無事に過ごすだけで大仕事なのに
それを言葉にすると凡庸になる」との言葉も
小学校の夏休みの絵日記を思い出せば納得だし(笑)
「南極料理人」たちが、毎日毎日繰り返し感じるであろう
2つの言葉を口にしないのも、苛酷な状況が日常になっているからでしょうね?


歌人の穂村弘さんは…「面倒くさいという気持ちに、どうしても負けてしまうのだ
これはもう一種の犯罪…他人ではなく自分自身に対する犯罪だ
片付けのように、しなければと判っていても
このままだと危ういとの予感があっても
目先の面倒くささに負け、ついに動かない


小銭を落としても、ちゃんと捜さずに『なかったこと』にしてしまう」と記されてますが
「ふだん出来ないことは、災害のような非常時には尚のこと出来ない」
…と、社会学者の遠藤恵子さん


また、日本国憲法をそのまま書籍化した本のデザインを手がけられた
松永真さんも…「ごく当たり前のことをきちんとしてさえいれば
妙な変化球に勝つチャンスは十分ある」…と
日々の積み重ねが「いざという時」に活きて来る…という
判っちゃいるけど耳が痛い言葉を呈されてます(苦笑)


作家の津村記久子さんは…「生活をすることとは
今日の自分と明日の自分との終わりのない交渉なんだな
昨日怠けたツケが今日に来るように
昨日の自分が味方になってくれないこともあれば
まめに置き傘をしておく自分の用意の良さに驚くこともある


未来の自分を『文句言いの疲れた客』と見なし
『明日のあんたは、今日よりつらそうだから
このくらいはやっておいてあげる』という風に動くと
憂鬱の数も少しは減る」とおっしゃっていて


甲斐さんが、ジムで泳がれたり、トレーニングをなさる際に
一応の目標を設定されてはいても
体調によっては達成できないことがおありらしく
そういう時は「明日の分量を残しつつ止める」のが
ストレスを残さず、毎日続けて行く秘訣であり
義務や努力ではなく、好きだから長く続けられる


…といったことを話されていたことを思い出し
三日坊主や飽き性では右に出る者はいない…と言われたボクが(笑)
このブログだけは続けている理由が判ったような気がします(笑)


ライターのトミヤマユキコさんが…
「私、結婚は、自分の人生に飽きないためにしたんです
家族という他者の前で、妻でも母でもない
『むき出しの個人』を立ち上げる工夫を楽しんでいる
たわいない話でいいから、キャッチボールを続けるスキルが大事なんです」


…と話されると、その対談相手の漫画家・龍波ユカリさんは…
「記念日を祝うって、テスト前だけ勉強するようなものですよね
記念日を無視したくはないけど、その日に何かイベントをして
SNSに『夫に感謝』と書き込んで
それを『愛の証明』とするのは、性に合わないし
『世間一般で合格印を貰えるラブラブの形』は演じられない」と返されていて


お二人とも、肝が据わっておられるというか
結婚は「ゴール」じゃなく、生活は「短期決戦」ではないということに
最初からきちんと向き合って選択なさった感じがして
ご主人はどんな方なのか?と考えていたら…


甲斐さんが…「結婚は、1年勝負じゃないんだしね
最初に、これが理想だ、最高だって思ってても
そんなもん、一緒に暮らしてみなきゃ判らないことが多いんだから」
って、おっしゃってたなあと…(笑)


ただ、評論家の三浦雅士さんによれば…
「自己認識とは、大なり小なり自分を騙すこと」らしく
「人間は言語を持つことで、解釈する術を得たが
解釈であるからには『認識』と『騙し(装い)』の区別は難しい
そして『商業』とは、騙されるのを覚悟で『信用』し合うこと
『宗教』とは、騙されていいと思い切れること」みたいです


例えば、ウォルト・ディズニーは…「いったんディズニーランドに入ると
そこは昨日と明日とファンタジーの世界です
ここには、現在は全く存在しないのです」…との宣伝文句の通り
少しでも「夢の国」を乱すものを許さなかったようで


設計にあたり「給水塔がそびえ立つなど言語道断だ」と、やり直しを命じたとか
施設内に自分の車を駐車した従業員を
「君の車のおかげで、全体のイメージが台無しだ!」と叱りつけた…等々
「ミッキー達が本当にいるかのような世界」を守るエピソードが多数ある


…といった話を聴いて「そんなこと当然でしょ」と思われた方は
商業的にも宗教的にも、積極的に「騙されたい」と
考えていらっしゃるんじゃないかと…?(笑)
もっとも、我が家には、ディズニーとは別の宗教に
喜んで騙されている者がおりますが…(笑)
コメント
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