日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

〈「コロナ以後の世界」は大きく変わる〉と言われるのに、どうして私の〈晩酌の「白酒」〉は、大きく変わらないのか。

2020-05-07 | エッセイ
〈「コロナ以後の世界」は大きく変わる〉と言われるのに、どうして私の〈晩酌の「白酒」〉は、大きく変わらないのか。

もう「コロナ以後」がどうとか、こうとかの話が、メディアをにぎわしている。その中に、コロナ以後の世界は大きく変わる云々の話がある。本当にそうなのか。私はもういい加減にそんな話はやめてほしいと、願うばかりである。

それでは、コロナ以前の社会はどうだったのか。「1%対99%」の格差社会と言われていた。それではコロナ以後の世界は、「99%対1%」の世界にでもなるというのか。もしそうなるのであれば、99%に位置する者からすれば、「大きな変化」だと言っても構わないだろう。

勿論、そんなことにはならない。むしろ1%の中でも、99%に落ちてくるものがいるだろうが、基本的には、おおざっぱな表現の仕方ではあるが、ごく一部の超富裕層、そして富裕層から、中間層、下層へと至る区分にあまり変動はないだろう。

それでは何をもって、大きな変動というのだろうか。確かに、AIを始めとして、私たちの技術革新の波はすさまじい勢いだ。テレワーク、ライン授業、その他の第4次革命がもたらした新しい変化が、このコロナ騒動の自粛の中で、私たちの生活や経済活動や教育活動に大きく貢献していることは、間違いないだろう。

ただし、そうした大きな変化が、先の格差構造の大きな変化につながるのかと言えば、勿論、それはそうではない。むしろ技術革新は、コロナ以前における私たちの格差社会の構造を、とくにかつての先進諸国においては、ますます深化させていくことにつながるとみた方がいい。

そうした意味では、コロナ以前も以後も、私たちの社会の「中身」は、それほど変わるものではない。先進諸国に暮らす者にとっては、良くなることはない。逆に、これまでの中心諸国や、後進諸国においては、少し希望が見えるかもしれないが、つまり、分厚い中間層の形成はまだこれから先だということを鑑みた場合の話だが、それでも、私たちの社会階層の序列に際立った変化がみられるとは、私には思えないのだ。

換言すれば、外部の、外面的な世界における変化、例えば上でも紹介したように、第4次革命に伴う、大きな変化はみられたとしても、そのことが、私たちの社会の内部の、内面的な「中身」の変化をもたらすとは思われないのである。そう考えていくとき、「コロナ以後の世界の大きな変化」を喧伝する論者等は、一体何を歓迎しているのだろうか。誰のための「代弁者」として行動しているのだろうか。

ところで、最近の私は、50度前後の「白酒」を飲みながら、痛風の再発に恐れおののいている始末だが、コロナ以前も、以後も、その中身が変わるとは思えない。そこに大きな変化があっては困るのだ。(この私の気持ちは、私とは住む世界が全く違う超富裕層も、上述した「1%対99%」の文脈では、同じではあるまいか。)もっとも、技術革新の恩恵を受けて、その中身を入れる外部の瓶や外側の箱は、変わるかもしれない。ひょっとすれば、そこに、すなわち外部の外面的なところでは、それこそコロナ以後に、大きな変化が現れるのかもしれないが。さらに、意地の悪い言い方をすれば、技術革新は、いつも生まれている。その程度と規模は異なるにしても。

最後に一言

そうした点を踏まえた上で、私は思うのだ。相変わらず、コロナ以前も以後も、私の言う、{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)の何ら変わり映えのしない世界が、続いていくだけである、と私は、今日も「白酒」を飲みながら、「やっぱりお酒はこれに限る」と、もう夢の中である。そういえば、白酒で思い出したが、Bの先頭は中国であった・

最後に一言

このすぐ上の私の夢の中云々を不謹慎という読者がいたら、まだ救いだろうが、そういう者が一番、駄目なんだろう、私と同じだから。私の知人が、「どうしてみんな怒らないのか、なぜ暴動が起こらないのか」と、私に聞くから、それは、「お前さんが、その中にいないからだよ」、と、返したんだが。それもまた、私に対しても、その通りなのだ。


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