日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

(追加修正版)「民主主義」研究から私が受ける印象を一言で表すとき、それはあまりにも「優しくない」、それどころか「冷たすぎる」と。そう私が感じるのは何故なのか

2020-12-31 | 日記

 

10 「民主主義」研究から私が受ける印象を一言で表すとき、それはあまりにも「優しくない」、それどころか「冷たすぎる」と。そう私が感じるのは何故なのか

私たちの〈民主主義〉論は、力のないものや社会的階梯の劣位におかれた者に対して、どうして優しくないのか。まるで健常者が視覚障碍者がどんな思いで道路を歩いているのかを何ら考えないのと同じような議論に終始している。

あれほど列強に、しかもその中には市民革命の母国であり、当時の民主化の先進国であったイギリスやフランスアメリカに半植民地状態にされたのに、そうした諸国の民主主義(三民主義)の実現の歩みを見習うのが当然であるかのように、「加害者」の歩みの後を、ひたすら追ィ求めるのが良いかのような研究しか見当たらないのは、いったいどうしてなのだろう。

私たちは差別と排除の関係を前提とした民主化研究に異議申し立てさえしないのだ。とくに私が拘泥してきたのは、日本と日本人の「歴史」、たとえば、東京裁判において、「平和に対する罪」、「人道に反する罪」によって、戦勝国によって日本と日本人の「戦争犯罪」が裁かれた歴史を、どのように捉え直すかの問題であった。

そうした歴史を、21世紀においても、このまま甘んじて受容するだけの存在であるとすれば、これほど情けない、惨めな姿をさらし続けることはないだろうし、そうした裁かれ方に対して、」民主主義(論)」研究の立場から、まともな反論なり疑義が提示されないとしたならば、なおのこと、私には看過することの許されない研究上の問題として、東京裁判とそれに関連した問題は、今なお鮮明に取り組むべき課題として位置付けられる民主主義研究上の課題でもある。と同時に、その問題の究明とそれと結びついた新たな民主主義論の提唱こそが、日本国家の安全保障と日本人の命と暮らしを守ることに与るのである。それをここに確認したうえで、さらに論を展開していこう。

どうして、先の民主化の先進国であるイギリスやフランスアメリカは、ドイツやロシアの日本を始め、アジアやアフリカ諸国・諸地域に対する侵略と植民地化・従属地化に伴う自己決定権(主権や自由権・人権)の侵害を阻止ないし妨害するのではなく、逆に彼らと一緒になって、そうした侵略を推進したのかに関して、より掘り下げた考察が求められたはずだったのに、そうした問題には向き合わなかったのである。

こうした民主主義研究にみられる「怠惰な姿勢」は、日頃は差別や排除、いじめ問題に対して人一倍、熱心に啓発活動を展開している健常者が、差別や排除、いじめの加害者である健常者と同様に、健常者にとっては何の違和感も抱かれない普通の道路が、実は目の不自由な者に対して、どれほどの脅威や苦痛を強い続けているかについて、まったく何の問題を感じられないのと同じ態度であるのに見事に呼応しているのではあるまいか。

それではここで、8及び9で紹介した私のモデルとそれに依拠した私の見解を踏まえて、以下に、拙論(中国ナショナリズムーーー)で論述した内容を、ここに引用・解説すると同時に、7,8,9のくだりと結び付けて再度、中国ナショナリズムにおける従来の研究の抱えてきた問題点を考察していきたい。

なお、拙論の「国権」と「民権」の「共時的」関係は、上述の国際関係の中で、共時的関係論的に位置付け直した孫文の三民主義のくだりと結び付けるとき、拙論の「国権」は孫文の「民族主義」に、「民権」は「民権主義」「民税主義」と呼応している。さらに、小熊の〈民主〉と〈愛国〉と結び付けるとき、拙論の「民権」に小熊の〈民主〉が、「国権」に「愛国」がそれぞれ呼応している。

このようにみてくるとき、小熊や佐伯、西尾等の「戦後民主主義」論が、日本と日本人にとって、はるかに大事な上述した問題と、結び付けて格闘してこなかったことを、改めて確認できるのではあるまいか。

(今回は、ここまで)

 


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 中国の「ナショナリズム」研究にみられる問題点 そ

2020-12-29 | 日記

9 中国の「ナショナリズム」研究にみられる問題点

それではこれらの話を鑑みながら、以下に中国におけるナショナリズム研究を概観しながら、さらに論を展開していこう。ここでその前に、私が中国のナショナリズムを、どのように位置付け理解しているのか、それから述べておこう。

①私は、中国のナショナリズムを、まずはその実現の歩みとして位置づけ捉えておきたい。そして、同時にまた、孫文の三民主義とその実現の歩みを念頭におくとき、中国のナショナリズムの実現の歩みは、他の二つの要因である民権主義と民生主義との「三位一体的」関係として再構成されるべきであると理解するのである。

②それらを踏まえるとき、中国のナショナリズムの実現は、[(中国の)衣食足りて→(中国の)礼節を知る]の図式で描かれるであろう。その際、両側の[ ]は、民族主義をの実現を、その両側の民族主義を示す記号の中にある、〈中国の衣食足りて〉が民生主義の実現に、〈中国の礼節を知る〉が民権主義の実現に、それぞれ呼応していると見てほしい。

③それを確認した時に、そこから考えなければならないのは、そしてここが何よりも重要な論点となるのだが、中国のナショナリズム(三民主義)の実現を捉える際に、中国が関係するその他諸国の三民主義の実現と、どのような関係の中に位置づけられているかを、見ておく必要があるということである。

④たとえば、アヘン戦争以降、第1次・第2次世界大戦の終結に至るまでの中国はイギリスやフランス、アメリカそしてドイツやロシア、さらには日本や朝鮮と言った諸国の三民主義の実現の歩みの中で、中国のナショナリズムの実現を目指していたのだが、これらを先の図式を使って描き直すとき、いかなる各国の三民主義実現の関係史モデルが描かれるのだろうか。

⑤まずは19-20世紀転換期ころの欧米列強の三民主義の実現の歩みは、大別して二つの図式で描かれよう。その一つは、イギリスやフランス、アメリカといった諸国の三民主義の実現の歩みを、それら諸国をAグループとした際に、[Aの衣食足りて→Aの礼節を知る]で示すことができよう。

⑥その他のドイツやロシア、オーストリア等の欧州諸国をBグループとするとき、[Bの衣食足りて。足りず→礼節を知る。知らず]として図式できる。そして中国を始め。朝鮮やその他のアジア・アフリカ諸国の三民主義の実現の歩みは、それら諸国を℃グループとした際に、[Cの衣食足りず→Cの礼節を知らず]として描けるだろう。

⑦ここで注意しておきたいのは、あくまでもこのモデルは相対的な実現の歩みを示すためのモデルであるということである。あくまでも便宜的なモデルであることを断っておきたい。それぞれのグループ内においても、その上位、中位、下位に区分されるだろうし、Aの衣食足りて→Aの礼節を知ると図式したとしても、その実現の「段階」がどの程度であるのかは、正確にはわからない。ただ言えるのは、CよりはBの方が、またBよりはAの方が相対的により段階が上位に位置しているということである。

⑧ここで「上位」に位置しているという意味は、決してそれが素晴らしいと直ちに言えることではないことである。というのも、この三民主義の実現の歩みは、別言すれば、差別と排除の関係をつくり出す能力において、Aの方がBよりも、またBの方がCよりもより上位に位置しているということを示すものだからである。

⑨そうした差別と排除の関係においてより優位下地点を占めることができたのは、力と力の親分ー子分関係をつくり出す自己決定権の争奪戦において相手側をより多く支配し従属させる能力が備わっていることを示す者と言えるだろうが、それは覇権国がその他の中心国と共に、自分たちの下位に準周辺国、周辺国をつくり出し、覇権システムを形成し、発展させてきたことの証でもある。それを図式して示したのがAとCの一番外側に{  }で表したものである。

⑩これらをすべて踏まえて描いた国際関係における核国の三民主義の実現の関係の歩みとして、以下のような図式となる。
すなわち、{[Aの衣食足りて→Aの礼節を知る]→{Bの衣食足りて・足りず→Bの礼節を知る・知らず}→[Cの衣食足りず→Cの礼節を知らず]}で描かれる。(なお、逆からのモデルはここでは省略していることを、ここで断っておきたい。)
ここにあるBは、AとCのいわば中間の状態にあることを意図して、衣食足りて・足りず、礼節を知る・知らずと表わしている。あくまでも、便宜的なものだということを、ここでも断っておきたい。

⑪こうしたモデルを手掛かりとして、中国のナショナリズムの、つまりは三民主義の実現の歩みを再度、位置付け理解するとき、中国はまずはこの図式のC(の地点)に組み込まれながら、中国におけるナショナリズムの実現の歩みに着手することとなったと理解できるのではあるまいか。

それでは、こうした点を鑑みながら、従来の中国ナショナリズムに関する知見を整理すると同時に、そこに見いだされる問題点を列挙してみたい。

(今回はここまで)


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どうしてこれほどまでに無残な「日本」と「日本人」と堕してしてしまったのか

2020-12-28 | 日記

どうしてこれほどまでに無残な「日本」と「日本人」と堕してしてしまったのか

前回記事の終わりで、私は戦後日本の論壇と言語空間の知的堕落とそれによって導かれた知的閉塞について悲憤慷慨する旨を吐露していたが、それは決してオーバーな物言いではない。

私たちが自分自身の手で私たち自身の存在を葬り続けてきたことを思うとき、なおまだ怒りは収まらない。本当に不思議な国の「日本」であり、どう仕様もないほどに可哀そうな「日本人」ではあるまいか。思えば、戦後この方、戦後論壇とその言語空間の中で、こんな「日本」と「日本人」が生産、再生産されてきたのだ。

(小括)

それでは、戦後論壇とその言語空間の何が問題として告発・断罪されるべきものであったのかについて、「民主主義」論の観点から考察してみたい。前回までの話を踏まえてここで(小括)の形で、それを整理要約しておきたい。

①戦後日本の論壇における「民主主義」論は、孫文の三民主義で語られていたように、民主(民権)主義を、ナショナリズム(民族主義)や経済発展(民生主義)と、まったく結び付けられない、いやむしろ、それらから切り離した議論に終始していた。さらに、その上、ほとんどの論者は民主主義を、理念や価値レベルの次元でしか捉え理解できなかったのである。

②また、戦後論壇における民主主義論は、孫文の三民主義が「一国枠」の中で位置付け理解されていたと同じように、民主主義論も一国枠で語られたままで、そこからさらに、関係論的な民主主義論や三民主義論へと至る研究の流れに導かれるものとはならなかったということである。

③こうした民主主義論や三民主義論には、、私が先述した理由から、それらの考察の際には必要不可欠な要因として付け加えた帝国主義、すなわち、自己決定権の獲得とその実現を巡り繰り返される「差別と排除の関係」をつくり出す親分ー子分関係の力と力のぶつかり合いとしての暴力関係を基に形成され、発展・強化された覇権システムの観点からの民主主義論、三民主義論の展開は、ほとんど期待できないままにあったということである。

④そうした傾向は、戦後日本の論壇においても、また中国のナショナリズム研究にも、民主主義研究においても、見事に垣間見られたということである。その結果として、民主主義、ナショナリズム、帝国主義の「結合」に関する研究は、ほとんど不問に付された研究領域として片隅に放置されたままで、今日に至ったのである。 

⑤と同時に、そうした戦後論壇における知的怠慢とそれと結びついた知的閉塞の中で、私たちは、私たちが生きていく際に重要な命と暮らしを守るための安全保障に必要不可欠な視点・視角を醸成することのないままに、今日にまで至ったということなのである。

⑥たとえば、「第9条」を守れという立場をとるにせよ、私たちが国際関係の歩みのどの舞台(地点)に位置しているかの確認もしない・できないままに主張するのだから、それではそのための現実的な取り組みをどのように始めればいいのかについての提言などできるわけもなかろう。いや、そもそも今の国際関係の歩みの中で、とくに日米関係の中で、「守れ」云々のスタート地点にすら立てていないことを知るべきであろう。


8 「日本の国防が大事だ」、「日本人の命と暮らしを守る」といった類の掛け声が虚しく響くのはどうしてなのか。誰もそんな戯言を信じていない。

それでは、すぐ上で、私が簡潔に要約した「小括」の内容を踏まえた上で、前回記事の終わりで、「そうした知的汚染が戦後何十年にわたり、私たちの民主主義認識と理解の仕方をむしばみ続けてきたことを思うと、それはまたさまざまな歴史認識問題にも波及するのだが、私にはその脅威というか恐怖は筆舌に尽くしがたいものがある。まさに至極無念なのだ。」、と述べていたくだりに関して、以下にさらに具体的な形で論を掘り下げていくことにしよう。。

そうした話の「たたき台」として、ここで従来の中国のナショナリズムに関する研究(そこには中国革命についての研究も含まれる)に関して、私たちがこれまで教えられてきた「情報」をここに紹介しながら、前回の孫文の三民主義の実現に関する私の話と「コラボ」させながら、私たちの民主主義論の問題点とその陥穽について論究してみたい。その際、拙論〈中国の「ナショナリズム」に関する一考察 : 「国権」と「民権」の共時的関係史の観点から(1)(2)[『外大論叢』神戸市外国語大学研究会第65冊(4)2015年]を手掛かりとしながら、関係論的観点から、ナショナリズムや民主主義に接近することの重要性とその意義を確認したい。

①その拙論の最初の問題提起は、要約すると以下のような問いかけがなされていた。中国軍による尖閣諸島や日本の領空におけるたびたびの侵犯が一方で見られるにもかかわらず、他方において、日本国内の動産・不動産が次々に購入されている事態を、私たちはどのように理解すればいいのだろうか、という内容である。

②すなわち、私たちは常日頃、日本政府によって国防の重要性とそのための安全保障整備に関わる対策の必要性を聞かされ続けてきたのだが、いつの間にかあまりにも簡単容易なほどに国家主権を揺るがせかねない中国を始めとした他国の侵犯の波の中に巻き込まれてると同時に、そうした国防の安全保障を自ら進んで放棄するかのように、中国やその他外国の資本や中国人や他国の国民の国内流入を、積極的に進めている

③正直なところ、私には二律背反的に思われる二つの出来事が、日本の安全と日本人の命と暮らしを守る観点から行われているとは思えないのだ。こうした話は、今日のコロナ禍でよく聞かされてきた経済も大事だが命も大事であることから、この両者のバランスをうまくとることが大切云々の話ともどこかで重なってくるようにも思われる。

④とくに、日本と中国の関係に絞ってみた時、私には理解しがたく思われるのは、先の二つのバランスなど到底取れないということだ。つまり、対中国についての国防と日本人の命と暮らしに関する安全保障は、軍事的な側面においても、また経済的な側面においても、もはや絶望的なくらいに、日本と日本人を守れない、と言わざるを得ないのだ。

⑤ところが、こうした日中関係が認識理解できないのである。すなわち、日本の防衛と日本人の命と暮らしを守ることが、もはやできない地点までに来ているということを、私たちは確認できない状態に置かれているということなのだ。未だに、何か事あれば、日米安保体制の下で、米国が助けてくれるとか、まだまだ中国の後塵を拝してはいないといった現実を直視できない議論が日本国内では支配的なのも否定できない。

⑥こうした日本と日本人の現状を的確に捉えられない原因としては、私たちの国際関係を見通す知的レベルの問題が密接に与っている、と私はみている。上述したように、戦後論壇とその言語空間におけるあまりにも貧弱であると同時に、また不毛な民主主義論二も相当に深く関係しているのは間違いないであろう。


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国際関係における差別と排除の関係を維持し発展・強化させることに手を貸している〈民主〉(デモクラシー)と〈愛国〉(ナショナリズム)

2020-12-26 | 日記

それでは、このようなイギリスの中国に対する民族主義関係、民権主義関係、民生主義関係にみられた「支配ー従属」の抑圧関係に対して、中国はは、中国が力をつけることで打破するしかない。つまり半植民地状態から国家主権を回復(創造)するしかない。問題はどこで、すなわち歴史のいかなる「舞台」でそれがおこなわれるのかということである。それは私が言う先のシステムとその関係の歩みにおいてに他ならない。

つまりは、中国が力をつけるためには、自分たちの舌に差別され排除される地域とそこに暮らす人々を、いま以上につくり出すことに成功しなければならないということになる。これまた大変なことではあるまいか。中国より上の側に位置する国やその国民は、より多くの差別され排除される関係をこれまで以上に維持し強化しようとするだろうし、逆に、中国の下位に位置する国もまた、中国と同様に、上位に位置した国を見習い行動することが予想されることから、中国は下からの突き上げに対しても、向き合いそれを抑え込む必要があるからである。

ところで、こうした国際関係の中における中国の動きは、戦前、戦中、そして戦後の日本にもそのまま該当するものである。戦争中も勿論、GHQの占領下においても、逆コース以前も、逆コース以後もまたなんら変わらないことである。それは、小熊が指摘した「第一の戦後」の時期も、「第二の戦後」の時期も、まったく変わらない。正確に言えば、1970年代以前と以後において、その関係の構造は変化しているものの、〈「システム」とその関係の歩み〉における差別と排除の関係はなんら変わらないことを、ここでも私は強調しておきたいのである。


4 従来の「(戦後)民主主義」論において不問に付されてきた問題と民主主義論における陥穽

①「弱肉強食」の国際関係を強調する論者は、どうしてそこから、その弱肉強食の関係における力と力のぶつかり合いを介した親分(支配)ー子分(従属)の暴力(帝国主義)関係と「普遍的価値」「普遍主義」との関係を考察しないのだろうか。つまり帝国主義と「(世界)民主主義(システム)」の関係に目を向けることができたならば、「自己決定権」と帝国主義との関係を、換言すれば、国家次元における「主権(国権)」と「主権(国権)」の関係における、国民(個人)次元における「自由権(人権)」と「自由権(人権)」の関係に垣間見られるであろう弱肉強食の帝国主義関係を、確認できたに違いない。

②ところが、弱肉強食の世界が結び付けて語られるのは、もっぱら「世界資本主義システム」との関係においてだけなのは、一体なぜなのだろうか。そこには話の分かりやすさがあるのかもしれない。たとえば、私たちは大企業と中小・下請けの経済関係を漠然と語ったとしても、そこには何か力のある企業と、逆に、力の弱い、無い企業間の弱肉強食関係をイメージするのはたやすいのに対して、国家間や国民(個人)間における力と力の関係を、弱肉強食の関係として、ストレートに語ろうとはしない。

③その理由を考えていくとき、やはりそこには主権や自由圏(人権)を、別の国家や別の国民(個人)との関係から直ちに理解できないような、何かの思考回路がつくられてしまっているのではあるまいか。先の経済関係における弱肉強食関係は現実に存在しているのに対して、政治における主権や自由圏(人権)は、どういうわけなのか、そうした世界とは無縁のものとして、捉えられている。

④つまり、主権や自由権における力と力の格差関係は、国家間や国民(個人)間の関係から直接導かれるのではなく、国家や国民(個人)の経済的な力と力の格差関係によって導かれるものだとする認識や理解の仕方が存在しているのではあるまいか。まさに存在が意識を規定するではないが、経済関係からの影響を受けるとする見方である。

⑤付言すれば、逆に「意識」が「存在」に影響を与える云々の話を、私はここでしているのではない。存在(経済)と存在(経済)の二国間・多国間関係が見い出せるように、同じく「意識(民主主義)と「意識(民主主義)の二国間・多国間関係も見い出せるに違いない、と私は考えてきたのである。そこから世界民主主義システムという話へとつながっていく。

⑥いずれにしても、経済関係の、すなわち資本主義の経済関係に関する研究が、「史的レベル」での世界資本主義システムといった論に至るまでに展開されたのに対して、ナショナリズム(主権や国民)と密接に関連した民主主義の研究は、思想や価値に依拠した研究がほとんどであったということも手伝って、未だに「史的レべル」の研究にまでは至ってはいないのが現状なのである。

⑦それゆえ、主権と主権の、自由権(人権)と自由権(人権)との力と力の弱肉強食的な帝国主義関係を主張したり、そうした研究の重要性と意義をいくら叫んだところで、虚しく響く遠吠えにしか聞かれなかったに違いない。これに関して、私は以前の記事の中で以下のように論じていた。タイトルは、〈「ナショナリズム」と「グローバリズム」の関係をどう見ればいいのか(続、追加・修正版)〉である。ここでは、その中の最後のくだりにある一番肝心な箇所を引用しておきたい。

(引用箇所)

それゆえ問題となるのは、先述したように、こうしたB、C、Aの関係から成る「システム」とその関係の歩み〉が「力」と「力」の競い合い、ぶつかり合いに示される「親分ー子分」の「帝国主義的」関係を前提とした「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず」の営為の実現の歩みに他ならないことから、どうしても差別と排除の序列の関係をつくり出さざるを得ない、と言っても過言ではない。

そうした序列の関係を基にして、「市民的自由」の実現に必要不可欠な「人権」の序列化が当然のことのように、構造化されていく。すなわち、いくら普遍的価値の尊重を声高に叫んだとしても、その価値の実現に重要な人権の序列化が、換言すれば、私たち一人一人の「命と暮らしを守る」能力に換言される自己決定権における「力」の序列化が避けられない深刻な現実問題として導かれるのである。これこそが問われなければならない喫緊の問題なのだが、こうした思考の域に到達する可能性を秘めた「ナショナリズム」と「グローバリズム」の関係についての考察に至るまでには、なおかなりの時間を要する地点で地団太踏みながら佇(たたず)む以外に仕方がないのか、と私は内心いら立つ思いを感じているのだ。

(以上、引用終わり)

⑧ここでの私の強調点は、従来の民主主義論にみられる、私が問い直そうとしている、問い質そうとしている覇権システムとの結びつきとその関係から導かれる問題に対して、あまりにも無頓着過ぎることに対する批判的主張にあったのである。それはここで紹介している小熊の議論をはじめ、佐伯啓思や西尾幹二らの見解にも共通していた。

⑨それゆえ、私には戦後民主主義の擁護者であれ、またその批判者であれ、両者ともに民主主義論の入り口で留まったままの論争に終始していることに苛立ちを覚えた次第である。それこそ、戦後一貫して、論壇は思想・思考の停止状態にあったと言っても過言ではない、と私はみている。

⑩その結果として、今日の悲惨な知的状況・状態が導かれたとみている。たとえば、貧困や格差問題に対する民主主義論の立場から、ほとんど提言が出されない始末であった。と言うのも、民主主義(研究)が価値や思想次元の域を一歩も出ることのない言論空間であったことから、なんら展望の持てる議論はできなかったのである。

⑪それでは、これまでの議論を踏まえて、今日の民主主義論に求められているのは何か、その問題について考えてみたい。直截に言えば、それは、「民主主義」を動態的に語れる、考察することの必要性であり、同時に、そうした作業を可能とさせる民主主義に関するモデルを構想することが、何よりも求められているということである。

⑪従来の民主主義論は、あまりにも静止的・静態的であったのではあるまいか。それは当然と言えばそうであった。民主主義の定義にしても、ほとんどが価値次元における内容に終始していたために、その民主主義の実現において、民族主義や帝国主義がどのように関係しているのかという問題に関しても向き合うことは難しい話であった。

⑫それゆえ、イギリスの民主主義の実現とそのイギリスの従属地となっていたインドや中国における民主主義の実現がどのような関係にあるのかという問題に関しても、いきなりイギリスの帝国主義と中国やインドの民主主義の実現の不可能性といった議論しか提起できないお粗末さであったのである。

⑬それゆえ、司馬遼太郎の望んだ自由主義や民主主義や民族主義、帝国主義の渾然たる関係を考察し論及することなど最初から期待できない知的状態にあったのである。残念ながら、こうした知的怠惰(怠慢)状況は今も何ら変わるところではないのだ。否、むしろそうした考察なり論及を妨げる議論が言論空間を独占したままで、その意味では知的閉塞感が漂っていると言わざるを得ない。それでは、あの学術会議の会員拒否にあった研究者は、こうした状況を打開できるのだろうか。これまた残念ながら、絶望的なのである。


6 国際関係における差別と排除の関係を維持し発展・強化させることに手を貸している〈民主〉(デモクラシー)と〈愛国〉(ナショナリズム)

①こうした差別と排除の関係に手を化しているのが、民主と愛国との結合であり、それはまたシステムとその関係の歩みを維持し発展・強化させることに与るのである。
こうした点に関して、もう少し掘り下げた論をいかに展開してみたい。さきに述べた対米従属論から、私たちはよく「属国」論の話を平気で、つまり何か強大な覇権国の米国に従属した憐れな国のように、「日本」と「日本人」を捉えている傾向が読み取れるのだが、もし、対米従属論から、「対・覇権システム従属」論へとさらに論を展開していくならば、私たちの「日本」と「日本人」が覇権システムに従属することで、確かに覇権国やその他の中心国に対して、従属する傾向を認められると同時に、当の日本と日本人が、自分たちよりも力の劣る国や地域とそこに暮らす人々を「従属」させている、別言すれば、支配していることに気が付くかもしれない。

②つまりは、日本と日本人は覇権システムの中で生きることによって、自分たちよりも力のある国に対しては従属すると同時に、逆に弱い立場にある国に対しては支配するという、支配ー従属の関係を維持し発展させているということなのだ。こうした覇権システムの中で、自分たちの自己決定権(つまりは国家レベルで言えば主権であり、国民レベルのそれは自由権である)の獲得を図りながら、同時に、民主主義とナショナリズムのより良い・快適な状態を確保するということを介して、先の覇権システムの差別と排除の関係を、つまりは支配と従属の関係を深化させていくことを意味するのではなかろうか。

③その意味において、〈民主〉と〈愛国〉の関係は、覇権システムにおける力と力の親分ー子分関係に象徴される帝国主義的関係とも相互に補完した関係を構成することになるということではなかろうか。そして、こうした関係からつくり出される戦後民主主義は、小熊や佐伯や西尾の肯定的あるいは否定的評価の次元を超えた、そうした評価で甘んじることを許さないような、「民主主義」(論)が抱え続けてきた差別と排除の関係を、私たちの眼前にさらけ出すのではなかろうか。

④それゆえ、私には不思議なのだ。どうしてこのような内容の著作が注目されるのか、と。確かに戦前、戦中、戦後(第1と第2)における世代間における民主主義とナショナリズムに対する受け止め方の違いを丁寧に区分けすることには一定の意味と意義はあるのかもしれないだろうが、それ以上の重要性を輪達しは認められないのだ。

⑤裏返して言えば、私たちの民主主義やナショナリズムの理解の仕方、戦後認識のみならず歴史認識における問題が改めて問い直されるべきことを、小熊の著作は私に問いかけているように思われるのだ。小熊によれば、保守とされる論者や戦後世代の人々の戦後認識が正確ではない、誤っているとの問題意識と問題提起に対して、私はそれ以上に、小熊の世界認識(国際関係認識)や民主主義やナショナリズムについての認識や理解の仕方に対して、大きな疑義と疑問を呈せざるを得ないのである。

⑥と同時にまた、小熊の著作を支持するいわゆる左翼的立場の読者に対しても、私は彼らの民主主義やナショナリズムに対する見方に対して違和感を禁じを得ない。当然ながら、そうした民主主義やナショナリズム認識に依拠した彼らの歴史認識に関しても、私は異議を唱えざるを得ないと言わざるを得ない。

⑦左翼とされる論者も保守・右翼とされる論者も同様に、親分ー子分の暴力関係から構成される覇権システムと真正面から向き合うことなく、前者はひたすらそうした関係を毛嫌いし、後者は逆にそれを何ら疑うことなくその懐に安住するかのような付き合い方をしてきたのではあるまいか。

⑧覇権システムに象徴される暴力関係に対して戦後の日本人はあまりにも無頓着過ぎたのかもしれない。暴力で屈服され、その後も米国に従属することを強いられてきた、その反動が逆に第9条に体現される非武装平和主義に向かわせてしまい、戦後の日米関係の下で、その後も一貫して国際関係における力と力のぶつかり合いを直視することのない状態へと日本と日本人を追いやってしまった。

⑨残念ながら、小熊の著作にもそれが垣間見られる。と同時に、佐伯や西尾の著作にも、覇権国の米国の暴力に対して緊張感が欠けるきらいが見いだせるのはどうしてなのだろうか。

⑩佐伯の戦後民主主義批判は、覇権システムと、すなわち、システムとその関係の歩みの中でつくり出された戦後民主主義批判とならなかったことから、覇権システムに象徴される親分ー子分関係の暴力関係を基にした差別と排除の関係を内に含む戦後民主主義批判とまで至らなかったのだ。

⑪同時に、左翼の戦後民主主義に対する擁護は、先の覇権システムの暴力関係と結びつかないそれであったがゆえに、徹底したその擁護にまでは至らなかったのである。両者はそれこそ汚いものにふたをしたままのそれぞれに都合のいい主張であったのだ。


7 戦後日本の論壇とその言語空間の中で知的・精神的に汚染され続けてきた「日本」と「日本人」

こうした両者の著作にあふれた日本の言語空間がいかに汚染されていたかは火を見るより明らかではなかろうか。そうした知的汚染が戦後何十年にわたり、私たちの民主主義認識と理解の仕方をむしばみ続けてきたことを思うと、それはまたさまざまな歴史認識問題にも波及するのだが、私にはその脅威というか恐怖は筆舌に尽くしがたいものがある。まさに至極無念なのだ。

(今回はここまで)


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小熊英二の「(戦後)民主主義」認識に対する私の素朴な疑問・疑義について(3)

2020-12-26 | 日記

3 私からの問題提起ーなぜ「民主」と〈愛国〉の「結合」にそこまで拘泥するのか。両者の結びつきを前提とした「戦後民主主義」を、どうして「左派」的論者は肯定的に評価するのか。「右派」的論者による「戦後民主主義批判」に対する小熊の批判にみられる問題点はどこにあるのか。

さて、ここまで小熊の著作に関して、小熊氏本人のコメントと二つの書評から、小熊が『〈民主〉と〈愛国〉』の著作において、何を問題提起していたのかについて、改めて確認してきたのだが、それを踏まえて、小熊の問題提起に対する私の疑問、疑義を示しておきたい。


①「戦後認識」が問題というよりも、「(戦後)民主主義認識」にこそ問題がある

小熊は「戦後の認識が間違っていた」ことを、特に問題視している。取り分け、「第一の戦後」世代の知識人に認められていた〈民主〉(デモクラシー)と〈愛国〉(ナショナリズム)を結び付けて語っていた戦後民主主義」論に対する「第二の戦後」世代の知識人における誤った、誤解した戦後民主主義に対する批判を、ことさら論難してやまないのだが、その前に小熊自身の民主主義やナショナリズムに関する認識や理解の仕方が十分に語られていないことが、私には不可解なのだ。

換言すれば、〈民主〉と〈愛国〉が結合した「戦後民主主義」の抱える問題点を批判的に問い質す知的作業をどうして省略してしまったのか、それが不思議なのである。そこには小熊の民主主義に対する思い込みや無理解(無知)が見え隠れしていると言えば、それは言い過ぎなのだろうか。

つまり、佐伯や西尾らの戦後民主主義批判が誤っていたことを指摘することにより、すなわち、「愛国」と結びついた戦後民主主義の再評価によって、またそこから、従来の戦後認識の間違いを是正できたとしても、一体それによって、私が批判し続けてきた「世界民主主義システム」とその構成要素であった日本のある時期の「戦後民主主義」の何が問い直されるのか、私には理解できないのである。


②私たちはどうして「対・米・従属」論から、「対・覇権システム・従属」論へとさらなる論を展開できないのかーー「属国」論から「属覇権システム」論を目指して

この点については以下において、もう少し論及してみ対と考えているのだが、それとの関連から、ここで押さえておきたい論点がある。それは(三つ目の記事)において指摘されていた右翼的・左翼的論者の発する「対米従属」批判に関する問題である。簡潔に言えば、対米従属を批判することは直ちに覇権システムへの従属批判へと私たちを導くのかという問いである。

さらにそこから覇権システムの中でそのシステムに従属して生きることを前提とした、世界資本主義システムへの従属を、また世界民主主義システムへの従属を批判的に考察する方向へと私たちを導くのかという問題である。対米従属を批判してそこから「自由」になるということと、覇権システムへの従属を批判してそこから自由になることは、どのように関連しているのだろうか。

私から見れば、右翼的論者や左翼的論者における対米従属批判を俎上に載せる論者が、どういうわけなのか、さらにその先にある覇権システムへの従属を視野に含む従属批判へと、私たちを導かないことに、私は不満を抱かざるを得ないのである。当然ながら、そこからさらに先にある、すぐ上で指摘したように、世界資本主義システムと世界民主主義システムへの「従属」を批判的に論じることなどは不可能なこととなる。

こうした点を鑑みるとき、結局のところ、小熊の著作からは日本と日本人が向き合わなければならない、民主主義とナショナリズムとの結合によってつくり出されてきた「危機」を、確認・理解することさえできない、と私は言わざるを得ない。それは同様に、小熊に批判された佐伯啓思や西尾幹二に対しても向けられよう。それでは、ここで民主主義とナショナリズムが結合せざるを得ない話から述べてみよう。


③孫文の「三民主義」に従って、中国が民主主義の実現を目指すときに、その障壁を構成するのは一体なんだろうか

そもそも民主主義の実現を語る際に、孫文の三民主義は重要な手掛かりを与えてくれる。すなわち、民族主義、民権主義、民生主義は、孫文においてはセットとして、そのいずれが欠如してもダメなものだとする理解が存在していた。小熊の言う民主派民権主義に、愛国は民族主義に、それぞれ該当する。

ここで少し付言しておきたいのは、孫文の語る三民主義の実現には、まさに孫文の暮らす当時の中国が置かれていた国際関係(環境)を抜きにしては、そもそも最初から何も語っていないのと同じだという点を押さえておく必要がある。(小熊の著作もこうした文脈に照らすとき、あまりにも内向きというか日本という閉鎖的空間における独りよがりな物語だということになる。民主と愛国を語るのであれば、それは関係論的枠組みを持たない限り、何も語ったことにはならないものなのだ。)


④三民主義を語る際に忘れてならないもう一つの重要な要因として、「帝国主義」(関係)がある

その関連で言えば、孫文の三民主義とその実現を考慮する際には、あと一つ付け加えておかねばならない重要な要素というか要因があるのだ。すなわちそれは、親分と子分の力と力の暴力関係を前提とする覇権システムに体現される「帝国主義」(関係)ということである。

これに関して、私は何度も論述してきたのだが、当時の中国もそうした親分である覇権国のイギリスに武力でもって侵略され、子分として覇権システムに組み込まれたのだが、同時にそのシステムの下でつくり出された世界資本主義システムと世界民主主義システムの中に組み込まれてしまった(従属させられた)のである。(これもまた、私が何度も指摘してきたように、いわゆる「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の世界的な営為の関係である。)

この三つの下位システムから成る一つのシステムとその関係の歩みの中に、孫文の中国も呑み込まれた(すなわち「従属」せざるを得ない)ということになる。それゆえ、孫文の三民主義の実現は、最初から少し考えてみただけでも理不尽極まる深刻な問題をはらまざるを得ないことになる。

というのも、孫文の中国は先のシステムとその関係の中に置かれているのだが、その関係自体が力と力のぶつかり合いである親分ー子分の暴力関係を前提としており、さらに、そうした暴力関係の下で、先の資本主義や民主主義の世界的なネットワークの関係がつくり出されていることから、孫文の語る三民主義は、こうしたシステムとまずは向き合い戦うことを余儀なくされるに違いないからなのだ。

別言すれば、覇権国のイギリスは、覇権システムの中で、覇権国イギリスに都合のいい経済発展(「衣食足りて(足りず)」の営為)と民主主義の発展(「礼節を知る(知らず)」の営為)の仕方を、既につくり出しているのだが、その覇権国イギリスの民族主義と、民権主義と民生主義は、孫文の中国のそれらと、どのような関係を持っているのだろうか。素朴に考えれば、両者は真っ向から対立し敵対するに違いない。

しかしながら、力と力の暴力関係に敗北した中国は、自分たちの上位にあるイギリスが当然とする「秩序」の中で生きることを強いられることから、孫文の三民主義も同様に、イギリスのそれに従い、イギリスに差別され排除されるそうした三民主義の実現に甘んじざるを得ない。すなわち、半植民地状態の民族主義であり、不十分な民権主義であり民生主義ということになるに違いない。
      
(以上、ここまで)


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