日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続・続)

2024-04-08 | 日記
私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続・続)ー私は一体どのような社会の実現を目指しているのか10ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう


(最初に一言)


 前回記事の内容を踏まえるとき、たとえ消費税を廃止したとしても、かつての豊かさを取り戻すことはできないことは容易に推察できるのではなかろうか。またそんな豊かさに、郷愁めいたことを感じていたら、それもオメデタイ見方としか言いようがないのだ。早速、前回記事の続きを述べるとしたい。


 戦後日本は一貫して、米国の世界戦略に組み込まれてきたのは今さら言うまでもなかろう。問題となるのは、そうした米国の世界戦略を米国に取らせたというか米国にそのような戦略を選択させたのは、それでは一体なんであったのかを考えなければならないだろう。それを考察する際、私たちがまず念頭におくべきは、米国が覇権国として戦後において台頭したということである。それゆえ、どうしても米国を覇権国として戦後に登場させたその原因成り背景をみておく必要がある。


 そこから、いわゆる覇権国の興亡史について学習しておくことが求められよう。またその際、覇権国の興亡史というか、覇権国が交替せざるを得なくなる理由について押さえておかねばならない。米国の前の覇権国は英国であったが、その英国は親分として世界に睨(にら)みを利かせる力というか暴力を失うに至ったことから、米国がその後を継いだとみていいだろう。そこから、またまた問うべき問題が出てくる。どうして覇権国はある時期になると、その力を失うのだろうか、という問題だ。


 それと関連するのだが、これまでの覇権国の英国が、ある時期というかある地点において、その力を失うのと呼応するかのように、次の覇権国となる米国がその力を獲得できるのかという問題も、私たちが向き合うべき重要なそれとなる、と私はみている。こうした一連の問題に向き合うためには、どうしてもそれなりの知識というか知見が必要となるのだが、管見の限りでは、こうした問題に十分にこたえてくれる研究所は少ないのである。とくに、その覇権国の興亡史に関する「動態的」研究は皆無と言っても構わないだろう。手前味噌ながら、拙著はそれにこたえようとしたささやかな研究である。


 話が少しややこしくなるので、ごくごく簡単に言えば、覇権国は一般に世界の警察官に譬えられているが、世界の政治・経済。社会・文化の在りようを大枠で管理・監督する役割を担っている。その中でも一番の務めは、富める者たちに都合のいいおカネの流れを、独占的に維持・運営・管理することである。そのためには、持たざる者たちからお金を収奪することが不可避となるのだが、そうした収奪を合法化正当化するだけの力(暴力)を掌握しているのである。


 それゆえ、ここでもまた、そうした独占的な力を覇権国が握るのを可能とさせている仕組みとは、一体何かを押さえておく必要があるに違いない。それを、私はこれまで語ってきたように、私の語る「システム」として位置づけ理解しているのだが、それは覇権システム、、世界資本主義システム、世界民主主義システムのみっの下位システムから構成される一つの「システム」として存在している、と私はみている。この「システム」を起点として、これまで読者に問いかけてきた一連の問題に応えられる、と私は考えている。


 さて、ここまでのくだりは省略しても構わないが、私が今回記事で述べておきたかったのは、私たちが今おかれている窮状は、消費税の廃止といった次元で済まされるものではなく、私たちの戦後の数十年の繁栄と豊かさをもたらした「システム」の下で、その意向を汲んで動いた覇権システムの頂点に位置した覇権国の米国により選択された世界戦略の展開によってもたらされたということから、名もなき、それほど豊かでもなくまた貧しくもない私たち普通の者たちが、今後において私たちの命と暮らしを守る安全保障を実現しようとすれば、どうしても先の米国の世界戦略を理解しなければならなくなるのだ。


 そのためには、同時にまた、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉について最低限のところは理解しておくことが大事となるのである。もし少しでもそれがわかれば、次期覇権国として登場するのは中国であることがわかるはずである。それだけでも知ることができれば、今の自公政権での軍事力増強路線の行き着く先が何をもたらすかについて、わかるに違いない。


 これまでの覇権国と次の覇権国とにおいて形成され発展してきた覇権連合の歩みを知るならば、今後の日本と日本人が米国によってはしごを外される公算は大であることは論を俟たない。かつての日英同盟の破棄は、英米覇権連合の形成と発展の渦中における出来事であった。今その意味では、米中覇権連合の歩みの中で、日米同盟の破棄が予想されてもおかしくはないだろう。なお、これに関しては、既に以前のブログ記事で詳しく述べている。


 私が残念に思うのは、令和新撰組も共産党も、こうした流れを理解できないということである。前回記事で私はよりましな野党として令和新撰組を挙げていたが、その次には共産党に、いくばくかの期待をしているのだが、だがこれら政党も、「日本の政治の〈可能性〉と〈方向性〉について語る」ことはできないのだ。もうどうしようもないのだが、それでも、ここらで〈真面目〉になってほしいものである。米国と中国はなんだかんだと言いながらも、着々と次の「落下点」というか「落とし所」を探りながら両国関係の連携強化を深めていることは、ダマスゴミと揶揄されるメディア情報からもうかがい知るところではあるまいか。


 (最後に一言)


 覇権システムと「システム」が米国をっかって世界戦略の展開を試みているのだが、今やその戦略は大きく転換している。いわゆる「グローバル・サウス」を前面に押し出す形で、お金の流れの維持・運営・管理を図っている。これまでの先進諸国は金融サービス化経済の下で、金融投資を中心とした経済によって彼らのお金をかつての途上国に回すことで、それら諸国の経済の活性化に貢献すると同時に、私たち普通の庶民のなけなしの富は吸い上げられていくのは必至となる、と私はみている。


 誤解のないように付言しておくと、消費税の廃止は確かに庶民の可処分所得を今以上には減らさないように、ある程度の期間は働くかもしれないが、その減らなかったお金が預金や投資に回されるとしたら、それはさらなる金融・サービス化経済に道を譲るだけとなり、それこそ「システム」にとっては願ったりかなったりとなるだけではあるまいか。


 ただでさえ、私たち庶民のお金は、岸田内閣の「自分たちさえよければ、それで万事良し」といった、親分に忖度した政治の選択の下で、米国やウクライナを始めとした諸国に、湯水のように注入されている最中ではあるまいか。そうした由々しき事態を、どうすれば少しでも避けられるのか。本来の政治はそれを考えるためにあるはずなのだが、それが裏金、裏金問題の追及に置き換わっている始末なのだ。


 その理由は、残念ながら明白だ。日本の国会で扱われるアジェンダは、覇権国の米国に、その関連で言えば、米中覇権連合もそこに加えられるだろうが、米国や中国のご機嫌を損なうような問題を、真面目には議論しない、できないということなのだ。それゆえ、いつも国会は、彼らの機嫌を取れる問題しか扱えないのだ。今回の裏金問題は、まったく彼らの機嫌を損なうものでもないのだが、こんな国会議員なんて、また国会も不要ではあるまいか。正直、もういらないのだ。


 もっとも、こんな軽率な発言は子供や孫の世代には、それこそ許されない私の責任放棄のそれとして捉えられるだろうが、とにかく、今回記事はこの辺で終わりとしたい。たとえ国会や国会議員がこの世からなくなったとしても、また日本や日本人が雲散霧消したとしても、私自身がこの世に生を受けて生きてきたという証を、何か残しておきたいと思うので、私なりに記事を書くことは続けていきたい。



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私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続)

2024-04-07 | 日記
私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続)ー私は一体どのような社会の実現を目指しているのか9ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう


*ずっと、私は以前の記事のというか、私のモデルで描く「システム」論で、繰り返し同じことを語っている。それは確かに違いないのだが、よくよく読んでみれば、そこに大きな違いもあることに気がつかれる読者がいるかもしれない。そんな読者に、死ぬ前に是非とも会いたいものである。

(最初に一言)


 「失われた30年」論などクソクラエではあるまいか。どうせ私の語る「システム」論で述べてきたように、「親分ー子分」関係に象徴される差別と排除の関係を前提として弱い者イジメをしながら手にした日本と日本人の豊かさなど、こちらからサヨナラすればそれでいいだけの話ではないのか!


 本当におかしな議論をし続けているのだ、私たちは。これまたトカゲのしっぽ切りの話で、誰かを悪者にして、そいつらの「悪事」の所為にして、私たち自身を無罪放免とするような誠にお恥ずかしい話を、この日本の言論空間で互いに繰り返しているだけにしか私には思えない。もっとも、私自身も、「システム」論云々といいながら、こうした論議に加わるしか仕方がなかったとのだが、そこからあろうことか、ミイラ取りがミイラとなってしまった感は拭えないだろう。


 ここらで、もう一度、初心に戻って論のやり直しというか、考え直してみたい。そうでなければ、とても私が望むような社会の実現など到底かなわなくなるからだ。それにしても、私たちは勝手すぎるのではあるまいか。失われた、失われたと連呼しながら、何が失われたかについては、あまり問い質そうとはしないのだから。それはすぐ上でも指摘した戦後において私たちが再出発して私たちがつくり上げた日本の繁栄とそれに伴い享受された豊かさに他ならない。


 その際、私は読者と共に問いたい。そこでの「私たち」とは日本人だけを意味しているのだろうか。また、「日本の繁栄とそれによって享受された日本の豊かさ」というとき、それは一体どのような国際関係の下で享受されたものなのかという問題について、問い直してみたいのである。すぐにわかるのは、「私たち」の中には、米国と在日米軍基地と米軍関係者が含まれていることだ。すなわち、当時の覇権国家である親分の米国の軍事力とその下で展開されていた米国の世界戦略と国造りならぬ「世界づくり」である。


 少しややこしくなったのだが、「私たち」の中には、当然こうした米国との何がしかの「ぐるみ」があったのは否定できないだろう。日本は米国の属国であるというとき、それは「私たち」の中に米国が含まれていることを語っていることなのだ。さらに、その米国が覇権国として戦後の世界で展開する世界戦略の一環として、日米安全保障関係を締結して相互の安全保障関係を構築してきた当事国の一方を占める日本の戦後の歩みと、戦後の日本の繁栄とそれによって享受された豊かさとが密接な関係にあったことは想像に難くないだろう。


 戦後の日本の「平和」を再考するとき、こうした覇権国である米国の世界戦略の展開とそれを支えた日米安保体制の存在によってその平和は実現可能となったというのも、先の戦後日本の繁栄と豊かさと並んで、これまた想像に難くないのではあるまいか。それゆえ、そうした繁栄と豊かさが1990年代以降から今日にかけて失われたとしたならば、むしろ喜ばしいことであったというべきではなかろうか。なぜなら、親分の米国と子分の日本が一緒になって、朝鮮戦争やベトナム戦争を始めとする数限りのない戦争を介在しながら、獲得してきた繁栄であり豊かさであったからだ。そこに、中東の戦火に今も苦しむパレスチナを始めとする湾岸諸国に暮らす人々の命と暮らしを犠牲としてきた歴史も含まれている。


 私が残念に思うのは、日本の野党勢力の中に、腰の据わった政党が存在していないということなのだ。私はそんな状況を踏まえながら、「令和新撰組」をそれでもマシな政党として持ち上げてきたのだが、このブログ記事でも時々指摘しているように、令和の「失われた30年」論は、あまりにもご都合主義的な表面的な議論であり、彼らは今回記事で述べた私の論を、正面から受け止めることはできないのではあるまいか。


 あまりにもその時々の選挙に勝てばよい、今の現有勢力を保てばいいといった方向へ、彼らが流れていかないことを、私は切に願うのだが。もっとも、このブログ記事は令和だけを批判するつもりはない。だが、その他の野党と名乗る政党は、申し訳ないのだが批判さえするのもはばかれるほどに、話にならないことを申し添えておきたい。




(最後に一言)


 前回記事において、私は「失われた30年」論を再考するためのたたき台として、「拾わされた30年」を対置させたのだが、その意は少し今回記事でお伝えできたかもしれない。私たちは戦後において、覇権国の米国からの有無を言わさぬ〈構造的圧力〉の下に、戦後の繁栄と日本社会の豊かさと平和を拾わされてしまったのだが、その結果として大やけどを負うことになった、と私はみている。


 ところが、そんな惨状を知ってか知らず七日、私たちは相も変わらずに「失われた30年」論を宣い続けている始末だ。もういい加減に、この辺でやめないか、これ以上、私たち自身をバカにする話は。



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私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき

2024-04-04 | 日記
私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るときー私は一体どのような社会の実現を目指しているのか8ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう




(最初に一言)


 前回記事の最後の方のくだりを以下に貼り付け引用することから、今回記事は始めてみよう。




―ーー引用貼り付け、始め


 すなわち、戦争はまさに自己決定権の獲得とその実現を巡る争奪戦であるという事実であり真実であるということだ。勝者は敗者を彼らの自由に扱うことができる。つまり勝者に従属させることができる。彼ら敗者を奴隷とすることもできる。勝者は彼らに都合のいいような「衣食足りて礼節を知る」営為の関係を敗者との間において創ると同時に、その営為の関係を敗者や従属者たちに押し付けるのだ。当然ながら、その営為の関係は、敗者には受け入れ難い「衣食足りて」の営為であり、また「礼節を知る」の営為であるのは否定できない。


 そこから差別し排除する側と差別され排除される側の関係がつくられていく。その関係の中で前者は親分としての地位を、後者は子分としての地位をそれぞれ引き受けることになる。これこそが私たちの古代ギリシャの時代から21世紀の今日まで続く眞實・事実として描かれる社会ではあるまいか。先ずはこうした点にこそ私たちは目を向けるべきなのだ。それはロシアのウクライナ侵攻とウクライナに味方する米英諸国連合においても、イスラエルのガザ攻撃とその両者にそれぞれ味方する勢力関係においても、何ら変わるところはない、と私はみている。


―ーー引用貼り付け、終わり




 戦後の敗戦からGHQ主導の占領政策の下での日米関係に象徴的な「親分ー子分」関係を前提としながら戦後の覇権国であった米国の子分としての日本が辿ってきた独立後の高度経済成長に見る「拾わされた30年」とその後の「失われた30年」はすぐ上に引用貼り付けしたくだりを、まさに彷彿とさせる歴史であった、と私は捉えている。すなわち、日本の1960年代から90年代に至る高度経済成長は親分の米国に都合のいい「衣食足りて」の営為を、子分の日本との間においてつくり出した経済紙であったと言えるのではあるまいか。


 すなわち日本から見れば、それは親分の米国の指導の下で子分の日本が「拾わされた30年」であったということなのだ。その間において、覇権国である親分の米国と子分の日本は、1970年代に至るまで続く〈「システム」とその関係の歩み〉の維持と発展に邁進していたのだが、戦後の日本社会の高度経済成長に支えられた豊かさと平和は、いわばそうした〈「システム」とその関係の歩み〉の形成と発展の中で初めて実現されたと言わざるを得ない。その意味では、戦後日本社会の「拾わされた30年」は、「親分ー子分」関係を前提としてつくり出された差別と排除の関係として描かれる{[A]→(×)[B]→×[C]}の図式で表される〈「システム」とその関係の歩み〉の中で獲得されたと同時に、日本と日本人はそうした差別と排除の関係を積極的に支えることに与ったのである。




 こうした「拾わされた30年」は、1990年代以降から今日に続く「失われた30年」として、いわば真逆の出来事・流れと置き換わるのである。それをつくり出したのは、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉に他ならない。すなわち、そこには、{[A]→(×)[B]→×[C]}から{[B]→(×)[C]→×[A]}へと転換・変容する〈「システム」とその関係の歩み〉が見て取れるのである。


 こうした私のような見方を前提とするとき、私たちに提供されている「失われた30年」を巡るほとんどの「情報」は、「嘘」というか「真実」と呼ぶには程遠い、と私は言わざるを得ないのだ。それは「歴史」の全体像をまったく描くことのない、点と点、線と線を繋いだ出来事の羅列に依拠した「物語」であるからに他ならない、と私はみている。すなわち、今回記事の冒頭において、私が引用貼り付けした前回記事のくだりにあるように、「歴史」をどのように位置づけ理解するかに関する見取り図を、私たちが手にしていないことによるのである。


 たとえば、戦後の日米関係という時、それは紛れもなく「親分ー子分」関係であるにもかかわらず、そうした視点を故意に欠落させた戦後史を私たちは語ってきたのではあるまいか。それゆえ、当然ながら、覇権国としての親分が子分との間につくり出してきた差別と排除の関係に対しても、すこぶる言及は少ないか、あったとしても直視することを避けるような叙述となる傾向にある、と私はみている。そこから、今日の中東関係においても、私たち日本と日本人が直接的な当事者であるとの意識が醸成されないのだ。


 それは戦後日本の高度経済成長とその恩恵としての日本社会の豊かさ、さらにはそこから享受してきた私たち日本と日本人の「平和」が、戦後のイスラエル建国とそれに伴うパレスチナの血に塗られた、今日まで続く数えきれない死者の山によってもたらされたという、まさに「親分ー子分」関係を前提とした差別と排除の関係に依拠して手にしたものであることを自覚できないのである。こうした歴史観の貧弱さを何ら恥じることなく、「失われた30年」を巡る議論に明け暮れているのが、今の日本社会ではあるまいか。


 それゆえ、失われた30年をつくり出した「犯人」探しは、まるで他人事の話となるのは必然であろう。たとえば、新自由主義、ネオコン、小泉・竹中による民営化路線、自公政権による消費税の導入、等々と枚挙に暇がない。だがこうした犯人捜しは、私たち自身が担い支え続けてきた「親分ー子分」関係とそれを前提とした差別と排除の関係の集合体である覇権システムと「システム」にまでたどり着けないのであれば、どうにもならない時間の無駄と言わざるを得ない。


 それにしても私たちは相当なペテン師ではあるまいか。この世に生を受けてある程度物心がついたならば、私たちは私たちの周りの人間関係を学習して、それに従いながら行動するはずだ。これは日本と日本人に限らない。世界に共通することであろう。何度もこのブログ記事で私はトマ・ピケティの著作である『21世紀の資本』を紹介したが、そこに描かれていたのは、フランス革命前夜から今日に至るフランス社会における格差はほとんど変わることなく継続してきたということであった。


 富める者と貧しき者との格差は、二つの世界大戦期の前後の期間を除き、ほとんど一貫しているというのが彼の見方であり、それはこれまでの先進諸国においても共通しているとのことであった。そして。ピケティは、その格差の解消策として「民主主義を取り戻す」ことを提唱していた。


 私はこうした彼の見解を、今回記事の冒頭で述べていた私の歴史を捉える全体像の中で捉え直してみればどうなるのかに関して、これまたブログ記事で論を展開していた。そこでの私の関心は、たとえフランスを初めとしたかつての先進諸国において、常に止める者と貧しき者との格差が存在していたとしても、それらの先進諸国は、{[A]→(×)[B]→×[C]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉に示されるように、BやCに位置した諸国とそこに暮らす人々を差別し排除してきたのは確かではなかったろうか。それこそ植民地主義とか帝国主義と呼ばれてきた「歴史」である。


 それゆえ、フランスの富める者によって差別され排除されてきた貧しき者たちだとしても、彼らフランスの貧しき者たちも、富める者と一緒になって、BやCの諸国とそこに暮らす者たちを差別し排除する側に位置してきたのもまた確かではなかろうか。彼ら貧しき者たちも、戦後世界のイスラエルとパレスチナにおける差別と排除の関係を直接的に担い、支えてきたという点では、日本を含めた他の先進諸国とそこに暮らす人々と同じような存在であったということは論を俟たない。


 それゆえ、ピケティが、あるいはまたその他の政治学や経済学の研究者たちがこぞって、「民主主義を取り戻せ」と述べるとき、この民主主義はこうしたイスラエルとパレスチナの差別と排除の関係を担い支えるようなそんな民主主義であろうか。その前に、ピケティを始めその他の研究者たちが考える民主主義は、そもそもこうしたパレスチナとイスラエルの関係をつくり出すことを許さない民主主義なのだろうか。これに関しても、私たちは当然ながら検証・検討すべき問題であるはずなのだが、それを試みた形跡は未だないのである。それほどに私たちの学問は、覇権システムと「システム」の維持と発展に奉仕するものでしかないと言わざるを得ないのである。


 そこには、私がこれまで何度も語ってきたように、植民地主義や帝国主義と民主主義の関係を問い質すことを可能とする「知」の枠組みが出来上がってはいないということが大きく与っている、と私はみている。最初からそうした関係を問うこともなく、帝国主義と民主主義を「水」と「油」の関係として、二項対立的に位置づけ理解してきた私たちの社会科学の学問的伝統が存在しているのである。


 もとより、それは覇権システムと「システム」とその利害関係者グループには、好都合のそれであったのだがら、彼らがそうした伝統をこれまで絶やすことなく存続させるために努力を惜しまなかったということができるであろう。彼らはそれゆえ、大学を始めとした研究機関やメディアにおいてそうした伝統を揺るぎのないように、常に教育するのを怠らなかったのだ。


 残念ながら、戦後の「左翼」を構成した知識人も、こうした帝国主義と民主主義の両者の関係を問い質すことはなかったことから、その意味では「右翼」の知識人yと同様に、覇権システムと「システム」を担い支える役割を甘受するところとなったのである。「システム」の高度化の時期には、それでも彼ら左翼的知識人の果たす役割は無かったとは言えないにしても、1990年代以降のかつてのAグループが直面する「システム」の低度化の時期にあっては、何ら社会に対する効果的な発言をすることはできなくなっていったのだ。それは安倍元首相が普遍的価値観を大事にして国際的協力関係を強化する云々の議論と比べてもあまり大差のない議論しか提供できなかったところにも垣間見られるのではあるまいか。


 すなわち護憲派と安倍元首相の政治的距離はたとえうわべのそれであったとしても、国民にはそう伝わったはずである。何より、日本共産党が共産主義を捨てて?、自由と民主主義を守る政党へと転換したことは、そうした左翼と右翼との政治的イデオロギーにおける同質性を示していると言えるのではあるまいか。ここにも、先の帝国主義と民主主義の関係を問い質すことができなかった「知」的能力の貧弱さが露呈されていると言わざるを得ない。


 そして、それはさらに、私たちにとって深刻かつ重大な問題を、つまりは禍根を残すような問題を放置したのだ。先の帝国主義と民主主義の関係を問えないことから、私たちは私が描く〈「システム」とその関係の歩み〉を捉えることができないのだ。これについては、以前のブログ記事でも述べていたが、ここでそのくだりの一部を引用貼り付けておきたい。


―ーー引用貼り付け、始め


 №.105私の語る「システム」論から、改めて日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える際の留意すべき点を述べるとき―孫崎享氏と植草一秀氏の「主張」を導きの糸としてー(続)




(最初に一言)


 前回記事の補足を今回記事ではしておきたい。




 前回記事の最初の方のくだりで、私は以下のように述べていた。ーーー私の「システム」論で語るモデルに関連して言えば、1970年代までの{[A]→(×)[B]→×[C]}のAにこれまでの覇権国と中心国が、Bに半周辺国が、Cに周辺国が、また1970年代以降の今日に続き形成され発展中の{[B]→(×)[C]→×[A]}のモデルでは、Bにかつての半周辺国が、Cに周辺国が、そしてAに(かつての)覇権国と中心国が、それぞれ位置している。ーーー、と。


 このくだりで述べていたのは、1970年代以降のモデルで描くBの半周辺国の中から、今後の覇権国が台頭してくるということであり、1970年代までのAの(かつての)覇権国・中心国(グループ)からはもう二度とは出てこないという話であった。これに関しては、既に何度も論述してきたが、詳しくは拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」』(晃洋書房2014年)の88-91頁の図式のモデルを参照されたい。


 また、前回記事で彼らの論考を取り上げて批判的に論評していた孫崎亨氏や植草一秀氏は、私から見ても良心的な物書きであるのはよく理解しているのだが、彼らが描く物語からは、決して次の覇権国としての中国の台頭云々に示される、そこへと至る私たちの歩みに関する仮設さえ描くのは非常に困難であるという話を、前回記事でしていたのだ。その大きな理由としては、彼らは当然のことのように日本国憲法を、また市民革命にその起源をもつ普遍的価値を支持・礼賛?することによる、と私はみている。


 もっとも、それは彼らだけに該当するものではない。彼らと対立する論者にも、そして私たちを日々「洗脳」し続けるメディアも、従来の社会科学や人文科学に従事する研究者も例外ではない。これまでの民主主義論や資本主義論に依拠する限り、私たちの明日の姿を見通すことのできる仮説を提示するのは、ほとんど絶望的であると言うしかないのだ。それは、「システム」を守護する利害関係者には大変に都合のいいことであるに違いない。


 すぐ上のくだりに関して、少しここで付言しておきたい。アの安倍元首相でさえ、普遍的価値を前提とした自由、民主主義、人権、法の支配、平和といった共通の価値観云々とことあるごとに強調していた。その意味では、誤解を恐れない言えば、表面的には、共産主義よりも自由民主主義万歳を強調していた共産党とほとんど同じ地平に立っていた、と私はみている。元々、日米安保体制の相手側の米国は市民革命のモデル国であり、自由民主主義の模範とされていた。


 その米国は、その一方において、覇権システムにおける覇権国として弱肉強食の世界の頂点に立って世界の安全と平和に「親分」としての立場からにらみを利かせていたのである。こうした米国の市民革命起源の普遍的価値と普遍主義の歴史と、覇権システムにおける覇権国としての力(暴力)の行使の歩みを結び付けて考察することは是非とも必要な作業であったはずなのに、どういうわけなのかそれが見事にスルーされ続けてきたのである。


 もし仮に、自由と民主主義、人権、法の支配、平和といった普遍的価値の実現の歩みとしての普遍主義と、覇権システムにおける力(暴力)の行使とそれを介した「支配―従属」関係の歩みが表裏一体の関係にあるとすれば、私たちの日本国憲法の支持・礼賛の態度は再考されるべきであるはずなのだ。ところが、これまた何度も述べてきたように、民主主義の実現の歩みと帝国主義の歩みは、個々バラバラの次元で語られてきたことから、両者の相互関係についての考察は何も深まることはなかった。というより、むしろそれらの関係考察から背を向けてきたのである。


 私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉は、実はその普遍主義と重なることから、もし民族主義を組み込んだ(前提とした)自由民主主義と帝国主義との両者の関係を描くことができないのであれば、それは同時に普遍主義について正鵠を射る論の展開は期待できないことを意味する。さらにそこから、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉についても述べることはできなくなるのだ。


 それは、何を意味するのだろうか。すなわち、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスそして米国へと続く歴代の覇権国の興亡史を描くことができないというばかりか、次期覇権国はどこの国となるのか、それははたして中国となるのか等々の私たちにとって大切な議論さえ、満足にできないことを意味するのだ。それこそ、私の語る「システム」とその利害関係者層にとっては、これほどにはないと思えるほどの好都合な、それこそ「システム」の提供する学問・研究であるに違いない。以下、略)


―ーー以上、引用貼り付け、終わり


 すぐ上に引用貼り付けた記事のくだりを踏まえながら、さらに論を展開してみたい。〈「システム」とその関係の歩み〉における構造転換・変容を位置づけ理解することができなくなることによって、いかなる事態が引き起こされるのだろうか。そもそも、そうした構造転換・変容が何故1970年代を分水嶺とするかの如く始まったのだろうか。こうした問いかけに応えるためにも、今回記事で引用貼り付けしたくだりにある私の問題提起に、先ずは耳を傾けてほしい、と私は切に訴えたいのである。


 たとえ仮に、同じく「親分ー子分」関係を前提とした差別と排除の関係として描くことができるとしても、〈「システム」とその関係の歩み〉の「内実」は大きく異なるはずであるのだが、それさえ掴み切れないということなのだ。それは譬えて言うならば、大海原を航海中の小さな帆船が羅針盤もなく、ただその時々の潮の流れや風の向きや強さに従って航行しているというか、漂流している様に等しい。まるで今の日本であり先進諸国の姿である。


 それゆえ、私たちが今「システム」とその関係の歩みのどの地点というか「段階」に位置しているのかさえ理解できなくなる。否、今もできないままなのだ。それゆえ、私にはとても私たちがマトモな政治談議など、どうしてできる者かと思わざるを得ないのだ。案の定である。私たちが今おこなっている「日本の政治の〈可能性〉と〈方向性〉について語る」機会はまったくと言ってよいほどに、活かされてはいない、と私はみている。つまり、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉として位置づけ理解できる歴史の大きな流れが、すなわち、{[B]→(×)[C]→×[A]}として描かれる世界・セカイが、そもそも議論の前提として俎上に載せられていないのである。


 それに代えて、私たちが目の当たりとしている光景は、自民党の裏金問題を巡り繰り返される与党と野党の攻防劇である。税金に関する問題であることから、その問題の重要性を私も否定はしないのだが、そんな茶番劇の興行だけでもって、次の総選挙での政権党の選択の材料にしろと言われても、おそらく国民の多くはシラケるだけではあるまいか。メディアも愛も変わらず、国民生活に重要な問題はほとんどカスにしかならない情報提供しかしないとなれば、私たちはますます政治に背を向けるだけである。


 もっとも、メディアがそんな情報しか垂れ流さないのは、これまでと同じであり、また彼らのスポンサーが誰かも周知の事実だから、メディアだけを責めてもほとんど意味はないだろう。最も非難・批判されるべきは私たち国民の側にあるのは言うまでもない、と私はみている。確かに、たとえ選挙で政権が交代して、私たちが直接米国やイスラエルに対して物申す存在になったとしても、どうにもならない暴力の、覇権システムの、「システム」の巨大な壁の前で立ちすくむしかないように思えるからだ。


 私も、これまで何度も私の語る「システム」論において、そうした厳しい現実を論及してきたのは間違いないことだ。確かにそうであるのだが、同時にまた、私は〈「システム」とその関係の歩み〉の担い手である名もなき貧しき私たち一人一人のシステム人こそが、同じく「システム」の最大最強の利害関係者グループである世界的大富豪や多国籍企業の経営者や大株主よりも潜在的には、覇権システムと「システム」の維持・運営に与る大きな「力」を秘めている、と私はみているのである。


 それゆえ、私は言いたいのだ。是非とも選挙に行って投票すべきである。もしできるのであれば、自ら行動しながら、その場合の行動とは、ネットで投票を呼び掛けたり、少しでもましな野党共闘を提言したりしながら、そこから本格的な一枚岩の存在として自立できる政党の結成に向けての動きを支援する呼びかけであるのだが、とにかくできることを無理しない形でしていくことだろう。




(最後に一言)


 政権交代を実現して、直接的に米国やイスラエル、あるいはロシアや中国の抱える暴力というか軍事力というか力の巨大な壁の前で立ちすくむことができるまで、私たち名もなき貧しきシステム人が政治的な「知」と「暴力」というか「力」を、自ら手にするまでに「成長」できれば、もう私は何も言うことはないのである。


*今回記事もまた、誤字脱字があるに違いない。読者には申し訳ないが、判読お願いしたい。



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