日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

オニクタラムの「歴史」の描き方について語るとき

2021-02-25 | 日記

オニクタラムの「歴史」の描き方について語るとき

(最初に一言)

〈阿修羅〉に掲載されたぺリマリさんの太田竜氏の記事に触発されました。太田氏や鬼塚氏の歴史叙述を思い出し、私も少しまた、元気が出てきたようです。私自身の「歴史」の描き方というか理解の仕方について、このブログ記事において、述べてみたくなりました。とは言え、もう既にいろいろと語っていましたから、また重複する話も出てくるでしょうが。太田氏や鬼塚氏の「密教」の語り方を踏まえて、私なりの「顕教」的立場から、歴史を描いてみたいと思います。

そこで、まず2016年の拙稿のある個所を、これからの話の「たたき台」としたいと考えて、以下に貼り付けたので、もしよけれ、ばぼつぼつ、お付き合いお願いします。なお、(注)は気にしないでください。

(以下、引用始め)

システム」に「歴史」を語らせる
              (一)
以下の私の「仮説」は前掲拙著でも論じていたように、M・ヴェーバーが彼の著作(マックス・ヴェーバー著 大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波書店 1989年)において、プロテスタントの宗教的倫理と資本主義の勃興とその発展を結び付けながら、システムとしての資本主義の自己完結運動の歴史を描いた着想と、永井陽之助が彼の著書(永井陽之助著『平和の代償』中央公論社 1967年)で指摘した「制約」を元に、そこから「歴史的制約性」という考え方に、私はたどり着いた。私たちが創り出したシステムが、ある時期からそのシステムを構築した創始者達(私はそこに、覇権国やいわゆる「シティ」や「ウォ―ル・ストリート」の国際的な金融勢力の存在も含めている)の思いや願望をよそに、システムそれ自体の「命と暮しを守る」自己完結的な運動を始め出し、そうして私たちはそのシステムの形成と発展とその変容の歩みの「制約」の中で生き続けるしかないというシステム中心史観と呼べる見方である。(20)
こうした見方からこれまでの私たちの歴史とそれに関する歴史叙述を見直していくと、いくつかの神話が創られてきたことに気が付くのである。こうした点を念頭に置きながら、まずはシステムそれ自体に語らせてみよう。
システムが、ここでいうシステムとは、既に指摘していたように、覇権システムそれ自体を意味するものではない。「三つ」の帝国主義関係としてのシステムが総体として「一つ」のシステムを構成していると位置づけられるものである。私が何度も言及しているところのあのセカイとその関係の歩みとして位置付けられるシステムである。システムは、その誕生からその死滅に至るまで、自己完結運動を繰り返すと捉えたとき、そのことが歴史に与える意味は一体何であろうか。そこから以下のようなシナリオが考えられる。
まずこのシステムの中で生きていくのは、相当に大変であることが予想されるだろう。「勝ち続けなきゃならない」システムである。Aの[ ]→(×)Bの[ ]→×Cの[ ]の中で、先ずは、[ ]で示される共同体の、つまり主権国家、国民国家の建設に成功しなければならないことが理解される。それができないで、負け続けることはCグループに絶えず甘んじることを意味する。勿論、だからと言って、Cグループから、BそしてAグループに「上昇」することも厄介であろう。このシステム自体が差別と排除の関係から成り立っていることから、そうした差別と排除の関係を打ち破る力を持たない限り、それは実現不可能である。Aグループに属する国も最初からそこに当然のように、位置していたわけではない。この「勝ち続けなきゃならない」システムの中に放り込まれた国は、自らの力で、差別と排除の関係を打破して、Aグループを目指したのである。(もっとも、この見方は逆である。システムとその自己完結運動の歩みが、このシステムに組み込まれた共同体に、そうしろと命じるのである。)その意味では、差別と排除の関係を打ち破る力が最も大きかった国が、Aグループの先頭に位置できたといえるだろう。これが私のモデルのセカイとその関係の歩みを自己完結的に支えるプレイヤーである親分となる。この親分の下で、子分が創られていく。正確に言えば、子分を造りながら親分になる。つまり覇権国となる。(もっとも、ここでもすぐ上で指摘したように、システムが、その自己完結運動の歩みが、覇権国の登場を求める。つくり出すのである。)その覇権国となる中で、つまり「親分―子分」関係を形成する中で、覇権システムが創られていく。親分にとって、子分の存在は重要ではあるが、しかし、いつも物分かりのいいだけの子分だけであれば、このシステムは緊張感をなくし、システムそれ自体の力を弱めてしまうだろう。と同時に、極度の緊張が続くとなると、それはシステムの安定を損なうこととなる。そうした点で、このシステムは、相互に差別と排除の関係に位置する三つのグループに分かれていくことが予想される。先のモデルにあるように、Aグループ、BグループそしてCグループである。システムの存続と安定のために、適度の緊張をシステムに与えるために、用意される「嫌われ役(敵役)」は、Bグループのいずれかの国が引き受けざるを得ない。Aグループにそうした国を置いてしまうと、その緊張は逆にAグループをかく乱させ、システム全体の安定を損なう恐れが出てくるだろう。その為に嫌われ役は、Bグループか、Cグループに位置づけられるだろう。と同時に、そうした嫌われ役を牽制し、行き過ぎたストレスとならないように、同じBグループの中に、Aグループの指導、支持を受けた監視役を担う国が創り出されることも、システムはその自己完結運動のために忘れていない。(21)
同様に、システムは自己完結運動を順調に促すために、Aグループから複数の次期覇権国候補を用意するような歩みを創り出す。なぜなら、システム全体の永続的な維持安定には、一国の覇権国だけでは到底無理だということであり、そのために複数の覇権国がその役割であるシステムの維持、安定に奉仕しなければならなくだろう。そこから歴代の覇権国の興亡史の歩みが導き出される。(22)そのことは覇権国の重要な役割として必ず次期覇権国を見つけ出し、覇権のバトンの禅譲が求められるということである。それではなぜ、覇権国の興亡史がAグループだけでなく、Bグループへと継承されていくのかという問いにも答えておかなければならないだろう。
              (二)
こうした一連の考察と問いかけに対して、システムは、その自己完結運動の歩みは、私たちにどのような答えを示すのだろうか。それを論究する前に、次の私の問いかけに耳を傾けてほしい。なぜシステムは、1970年代を分水嶺として再編、変容したのか、なぜ1970年代以降の歩みが生み出されなければならなかったのか。戦後の廃墟の中から歯を食いしばって日本国民一丸となって実現した戦後の繁栄と「平和な民主主義」社会の果実を、あっという間に、しかも自ら進んで手放すかのような歩みを、(その歩みはまさに1990年代以降に顕著となるが)突き進んでいったのは一体なぜなのか、という問いである。システムとその自己完結運動からみた場合、いかなる答えが返ってくるのだろうか。
こうした問いかけに対して、私は戦後日本におけるGHQの占領政策や戦後の平和憲法や民主主義と高度経済成長に関する従来、常識的とされてきた諸議論を徹底的に、かつ根底から見直す、捉え直す必要性を感じている。システムとその自己完結運動の観点から、従来よく論じられてきた勝者とか敗者がどうのとか、押しつけられたのは当時の為政者であったとか、戦後民主主義は日米の合作であったとか、戦後民主主義の下で高度経済成長が初めて実現した云々の次元でもって論究されてきた諸見解に向き合うとき、私たちはいかなる声を聴きだせるのだろうか。結論を先取りいて言えば、こうした見解に対して、私たちは、もうそろそろ「さよなら」をいうべき時が来たことを、読者に伝えたいのである。すなわち、そうした主張は、歴史の歩みを的確に描こうとする人々の目を曇らせることにもっぱら与るだけに過ぎないのだ、と。それゆえ、残念ながら、私たちは戦後70数年にわたって、「木を見て森を見ない」ままに、歴史を語ってきたのである、と。
ところで、上記の問いかけは、次のような話と重なってくる。すなわち、システムの「命と暮らしを守る」安全保障の観点から、「民主主義の発展」の歩みを考えるとき、私のモデルで描く1970年代までの民主主義の発展の歩み、つまりⅠ期からⅡ期そしてⅢ期に至る歩みが、「一つ」のサイクルとして位置づけられる。つまり、[権威主義的性格の政治→経済発展]の段階から[分厚い中間層の形成→民主主義の発展〈高度化〉]の段階までのそれである。このように、民主主義の発展の歩みは、低度化の段階から高度化の段階に至って、「一つの波」を終える。と同時に、またそこから新たなる「第二の波」というかサイクルが生み出される、と私は理解している。ここでいう第一の波、第二の波という表現は、言うまでもないことだが、S・ハンチントンのそれとは異なるものである。(23)
ここで考えなければならないのは、民主主義の発展の歩みは低度化から高度化の段階に達したときに、なぜそこで一応その歩みが終焉して、再度また形を変えながら、低度化から高度化へと向かうのかという問題についてである。換言すれば、それこそこの問いは、私のモデルで描くセカイが1970年代を分水嶺として{[A]→(×)→[B]→×[C]}から{[B]→(×) [C]→×[A]}へと変容するに至るのかという問題でもあるからだ。(24)
本稿で以下に語られる大きな二つの流れ―それらは、いわば本論文において、縦軸と横軸を構成している。前者は、私がこれまで語ってきた話の一つであるシステムそれ自体の「命と暮らしを守る」次元のものであり、後者はそのシステムを構成する各々の主権国家、国民国家を前提とした「民主主義の発展」の歩みに関わるものである。以下でも詳しく語られるように、1970年代を分水嶺として、覇権システムは、個人や諸個人の集団やそうした諸集団から構成される共同体(国家)の「命と暮らしを守る」安全保障に呼応する形で、そのシステム全体の「命と暮らしを守る」ために、その意味では、システム全体が一つの共同体として位置づけられるのだが、システムの改編を図るのだが、それは主権国家、国民国家を担い手とした「民主主義の発展」の高度化の段階において、あたかも「成人病」の患者が身体のあちこちが種種の病気の合併症から見動きが取れなくなってきた、自らの身体を改造する必要に迫られていく歩みと相互に補完的な関係を取る歩みでもあった。大きく肥大化した身体をスリムにすることを余儀なくされる、そうした歩みである。私は、その病気の原因は、大きくなっていくその歩みそれ自体にあったとみている。換言すれば、覇権システムの形成と発展の歩みと、それを前提としながら、その内部で主権国家、国民国家を担い手とした(経済発展と)民主主義の発展の歩みそれ自体に内在していたと診断するのである。すなわち、上述してきたように、覇権システムをその内に含む「三つ」の次元から構成された「一つ」のシステムとその自己完結運動である。この点に関して、以下でも詳しく論及していくが、ここでそれを別の観点から述べてみよう。
            (三)
ここでの縦軸と横軸の二つの軸からなるシステムは卑俗な言い方をすれば、システムそれ自体が、いわゆる「金の生る木」なのである。すなわち、民主主義の発展の高度化を目指す歩みは、同時に、覇権国を頂点に抱くAグループがB、Cの両グループに対して差別と排除の関係を下に、収奪して利益を獲得していく歩みと重なるのである。これに関しても、既に形を代えて拙論において開陳し続けてきたが、その中にはたとえば西川潤『飢えの構造(改訂版)』で紹介されていたフランス革命の推進者(担い手)と、当時の三角貿易とそれを介した富の流れとが結び付けられていたくだりを、私のモデルのセカイの中に、いま一度おき直して考察したことがある。(25)こうしたことを私が考えるに至ったのは、その意味では、民主主義の発展の段階が高度化することは、システムとして、また制度としての「一つのシステム」にとって、利益になるということである。それゆえ、常に高度化の実現を確保しなければ、システムは制度として、その命と暮らしを守ることができなくなる。それゆえ、そこからシステムは、覇権国の興亡史を演出する必要に迫られることとなった、と私は仮説を立てたのである。そしてスペイン、ポルトガルから始まって、アメリカに至る覇権国の興亡史の歩みが1970年代まで続いたのである。その間に、システムは、Aグループの覇権国を中心としながら、{[A]→(×)[B]→×[C]}のシステムの関係史の中で、絞れるだけ利益を収奪したのである。そしてもはやそれが難しくなるにつれて、システムは1970年代以降に、今度は新たな覇権国を見つけ出し、その覇権国の指導の下で、新たなシステムの形成と発展に乗り出すのである。それが、{[B]→(×)[C]→×[A]}のシステムの形勢となり、そのシステムの差別と排除の関係を高度化して、つまり強度化して、そこでの利益の収奪が極限に達するまで、民主主義の発展の高度化が目指されることになるのである。それゆえ、Bグループの中で、これからは覇権国の興亡史が繰り返されることとなり、その第一番目として中国が登場したと位置づけられるのではあるまいか。
これらの話を踏まえて、もう少し論を展開していこう。私の脳裏にまだ離れずに残っている記憶、それはお立ち台の上で踊り続ける一群の女性たち。まさに日本のバブルの象徴であった。お金が余りすぎてしまったのだ。いろいろな事情により、実体経済に投下されずに、行き場のないお金が、土地や株などに投資され、そこから投機ブームが起こり、バブルとなる。それをひき起した少し前の事情を考えれば、それは1985年のプラザ合意に行きつく。円高で国内製造業の勢いを削ぐ、そして輸出より、輸入を盛んとしていく流れである。そこからさらにそうした原因を探していくと、1980年のレーガン政権の登場となる。いわゆる、「小さな政府」を創り出す政権である。そこで減税と金融緩和による消費の拡大、輸入体質が強化されることとなる。つまり、従来の製造業の振興ではなく、金融・サービスを振興させる流れが出来上がる。なぜそうした流れが- - -と考えていくと、1978、79年の中国の改革開放政策との関連性が、そして1979年の米・中国交正常化と結び付いていく。そこからさらに遡ると、1971年の「ニクソン・ショック」と中国の国連加盟とニクソン訪中に辿りつく。そこからさらに、欧米先進諸国のいわゆる「先進国病」と先進諸国の経済停滞、低迷の長期化となる。
さらに、こうした原因を遡るとき、私がこれまで繰り返し論述してきた覇権システムとその秩序をもとに織り成されてきた経済発展と民主主義の発展の関係史で描かれるセカイに、すなわちシステムとその自己完結運動として描かれる{[A]→(×)[B]→×[C]}から{[B]→(×)[C]→[A]}(省略形、共時態モデル)へのシステムの再編、変容に、行きつくのである。それゆえ、こうしたシステムとその自己完結運動に、これまで私たちが教えられ、受容してきた歴史の再検討、再検証をさせるならば、従来とは全く異なる歴史叙述となるのは必至である。Aグループの日本の「踊り場の女の子」を生み出したのは、そしてその後の格差社会の中で呻吟し続ける多くの生活困窮者を生み出したのは、私たちがこれまで創り出してきた(経済発展と)「民主主義の発展」の歩み、それ自体であるということなのである。
 こうした私の「仮説」と、S・ハンチントンが彼の著作(S・P・ハンチントン著 坪郷實 中道寿一 薮野祐三訳『第三の波-20世紀後半の民主化』三嶺書房 1995年)で論究した民主化の「第1の波」とその反動の波(第1の逆行の波)」と第2、第3のそれぞれの波を結びつけて論じるならば、第1の波は、パクス・ブリタニカの盛衰の歩みに、第2の波は、パクス・アメリカーナの盛衰期に、そして第3の波はパクス・チャイナの盛衰期に(もちろん、中国はまだ覇権国の地位についていない、その途上にあるのだが)、それぞれ呼応している、とみている。また、第1の反動の波は、英米覇権連合の形成と発展の時期に、第2の反動の波は、米中覇権連合の形成と発展の時期に呼応している。この覇権連衡の形成と発展の時期は、現覇権国がその力を喪失していく中で、次期覇権国もまだその力を十分に備えていない時期であり(それゆえ多くの論者はこうした歩みを的確に理解出来ないことから、私がここで言う覇権連合の形成期を「多極化」とか「無極化」と呼ぶのであろうが、歴史の歩みを学んでいないと言わざるをえないのだが)、国際政治の不安定期であることから、そうした民主化の反動の波が導かれると、私は理解している。ハンチントンのいう民主化の第3の波は、まさにパクス・チャイナの盛衰期と重なることを銘記しておく必要があるだろうし、こうした歴代の覇権国の盛衰(興亡)史と、私のモデルのセカイの変容、転換とは密接に関連していることを、ここでも留意しておきたい。(なお。これについては、前掲拙著『21世紀の日本と日本人と普遍主義』の88-91頁、とくに91頁のモデルを参照されたい。)
              (四) 
さて、ここで上述した「金の成る木」の話を、システムとその自己完結運動の再編、変容({[A]→(×)[B]→×[C]}から{[B]→(×)[C]→×[A](省略形、共時態モデル)と結びつけて論じておきたい。先述したように、私の仮説は、このモデルのセカイとその関係の歩みは、すなわちシステムとその自己完結運動は、まさに「金の成る木」であり、そのために1970年代までのシステムとその自己完結運動が貢献したのだが、1970年代を境にして、その金の成る木の役割、すなわち、AグループのBやCグループに対しての「富の吸い上げポンプ」(26)としての役割をもうこれ以上、担えなくなったことである。{[A]の民→(×)[B]の民→[C]の民}の関係が力を失い、富を吸い出すことができなくなったということである。換言すれば、市民的権利の関係がシステムの想定するようには、その機能を果たせなくなったということである。以下に詳しく論及するように、ここにAからBグループへの覇権のバトンの禅譲が行われる必要が生じることになる。
当然ながら、システムはその自己完結運動を円滑に導くために、覇権国の米国にこれまでのような金の成る木を、Bグループの次期覇権国を中心とした勢力に、担わせるように迫るのである。こうしたシステムの自己完結運動が、以下のくだりで私が描いた歴史を創作、演出させるのである。
ベトナム戦争がなぜ1965年から75年まで米国主導で行われたのか。私のモデルのセカイの{[A]の経→(×)[B]の経→×[C]の経}と{[A]の民→(×)[B]の民→×[C]の民}の関係における力の優劣関係を、つまりは格差を最大にすることであった。その結果として、約10年以上続く戦争を必要としたのである。逆に言えば、もしシステムとその自己完結運動が格差を最大限にできる期間が5年で済むのなら、そうなったということである。軍産複合体が、軍需産業が戦争は金儲けとなるから、「長期化」させたわけではないことに、注意すべきだと、システムとその自己完結運動は、私たちに語るのである。システムとその自己完結運動は、先に紹介した経済発展の関係を最大限にするために、米国を戦争体制(軍産複合体国家)へと導いた。またこうしたセカイとその関係の歩みは、すなわちシステムとその自己完結運動は、西側先進国に福祉国家を創り出した。福祉国家は、北の先進国と南の途上国との格差が最も拡大する関係の中で導き出された、北の先進国のAグループの民主主義の発展段階として位置付けられるのである。
そうした仕組みを完成するために、アジアでは開発独裁体制の下での経済発展が準備された。Bの経済発展の「段階」として理解される。日本の高度経済成長は、このBグループの経済発展と結び付けられる形で、Bの先頭に立ちながら、同グループ内のソ連を牽制し、「封じ込め」る形で、システムの安定的な発展を支えるのである。このBグループの経済発展は、中国の文化大革命と連動する形となるように、システムによって導かれたのである。こうしてAグループの主導するシステムが富を最大限に搾り取り出す、システムとしての機能がその役割を終えることとなる。
そしてそのことは、覇権国の交代を意味していたが、もはやAグループの中には次期覇権国の資格を備えた国を見つけられなかった。Aグループの覇権国米国の重要な役割は、次期覇権国を見つけ出し、その国に覇権のバトンを禅譲することであった。その期待に応えるために米国が探し出したのが中国である。(もっとも、ここでも正確に言えば、システムが米国にそうするよう迫ったのである。)そのために中国では、ちょうどベトナム戦争と連動する形で、文化大革命が準備されたのである。文革により、中国は、主権国家、国民国家としての基盤を強化すると同時に、やがて改革・開放の波に乗って、米国を中心とした西側先進国からの巨大資本の流入とそれがもたらす中国国内に与える衝撃とそれにともなう社会の混乱と不安定化に持ち堪えるだけの力を備えた国家を、システムとその自己完結運動は必要としたのである。その為に、中国は文革という名の[権威主義的性格の政治→経済発展]の「段階」の政治を引き受けさせられたのである。付言すれば、こうした中国の[権威主義的性格の政治→経済発展]のⅠ期の「民主主義の発展」段階を、日本はちょうど高度経済成長を実現する形で相互に支え合う関係を創り出しながら、システムとその自己完結運動の「順調」な歩みを導くことに寄与した。日本はこの時期、[経済発展→分厚い中間層の形成]として描かれる「民主主義の発展」のⅡ期の段階にあり、米国はⅢ期の[分厚い中間層の形成→民主主義の発展(高度化)]で示される「民主主義の発展」の段階をたどっていた。システムとその自己完結運動は、このような形で中国と日本と米国の民主主義の発展における関係史をつくり出したのである。
この間、米ソ冷戦とソ連の米国と拮抗するイメージを醸成した超大国との位置づけ方(27)は、米ソの対立と敵対の関係をいたずらに煽り立てることに、西側陣営の軍事産業の振興を助けることで、米国同様の軍産複合体の形成を西側陣営にも作らせることにより、システムとその自己完結運動は、すなわち、モデルで描くセカイとその関係の歩みは、A、B、Cの各グループにおける経済発展と民主主義の発展にみられる差別と排除の関係を、さらに拡大、強固にすることで、1970年代以降のシステム内における再編、変容を促すことに寄与したと考えられる。
              (五)
さて、ここでこれまでの議論を踏まえながら、もう少しだけ論の補足をしておきたい。私のモデルで描くセカイとその関係の歩みが「一つ」の「システム」として、その形成と発展に向けた歩みが実現するためには、まず何よりも、モデルの一番外側の記号({ })で示される覇権システムの構築が重要となる。その覇権システムの中心的指導国は、覇権国である。この覇権国はAグループから登場するのであるが、その意味では、Aグループ内における力の優劣関係が覇権国を創り出す大きな要因を構成している。と同時にAグループ内で覇権国とその他の中心国として力の優劣関係が生み出されるに際して大きな影響を与えるのは、Cグループとの関係構築が大切なことが予想されるだろう。
簡単に言えば、Cグループ内の政治共同体との関係から一番搾取できた国がAグループでの覇権国となる公算が高くなる。たとえば、イギリスは当時の世界で豊かであったインドや中国との力の優劣関係を構築する中で、両国(地域)をCグループに組み込むことに成功した結果、このシステムを強固にすると同時に、Aグループにおける覇権国としての力を獲得できた。もっともここには、オランダとの覇権のバトンの継承に見るもう一つの重要な覇権国の興亡史における力の優劣関係の構築がともなう。
ここで簡単にシステムとその自己完結運動という観点から、歴史を振り返ってみよう。Aグループのイギリスはイギリスよりも先に覇権国として君臨していたオランダとの覇権国の興亡史における「三位一体的」相互補完的関係の中で力をつけていく(28)のと関連して、先に見たインドと中国に対する東インド会社を中心とする東洋貿易で、力の優劣関係の構築に成功していった。こうした関係構築の過程で、イギリスはやがて「パクス・ブリタニカ」として語られてきた「覇権国イギリスの秩序の下での平和」を構築したわけであるが、そのパクス=平和とは先のモデルのセカイとその関係の歩みが順調に発展していくことを意味していた。その意味において、この平和の構築には常に戦争が必要とされた。戦争により多くの共同体が植民地、従属地として、Cグループに組み込まれていきながら、覇権国とその他のAグループの力を高め、そのことがBグループに対する力の優劣関係を維持、継続させながら、全体として見た場合に、「一つのシステム」のセカイとその関係の順調な歩みを導き出したのである。
こうしたセカイとその関係の歩みの中に、オスマントルコ帝国の支配下にあったエジプトも、開国以降の日本も力の優劣関係の中で、結局のところ組み込まれていくのだが、両者がその後たどった道は大きく異なるのである。エジプトはイギリスとの力の優劣関係を介して、Cグループに組み込まれていく(29)のに対して、日本は日清戦争、日露戦争の勝利や日英同盟の締結を介して、何とかBグループに組み込まれたのである。Aグループの覇権国であるイギリスがCグループのインドや中国との間に構築した力の優劣関係は、「1 はじめに」でも述べるように、「三つ」の次元から構成、構築されていたが、同じくBグループの日本がAグループのイギリス、アメリカの協力や後押しを介して、Cグループの韓国(朝鮮半島)、中国東北地方との間に形成発展させた力の優劣関係と同じ関係であった。こうして、イギリスとインド、中国との関係に代表されたAグループとCグループとの関係は、日本と韓国、中国東北地方との関係に代表されるBグループとCグループとの力の優劣関係と関連、関係づけられながら、先に示した一つのシステムの構成、構築する関係として位置付けられるのである。
このシステムの「平和」的安定的発展(いわゆる「ヨーロッパにおける長い平和」)が19世紀末から20世紀初頭の世紀転換期において、Bグループに組み込まれていたドイツ帝国に主導される三国同盟陣営により、挑戦を受ける。第一次世界大戦である。(もちろん、システムとその自己完結運動の歩みが第一次世界大戦を引き起こした、要請したのである。システムとその自己完結運動の原動力としての差別と排除の関係を、戦争によってさらに強化させることで、システムとしての金の成る木としての機能を高めるように、導いたのである。)自己完結運動のである。結論を先取りして述べると、「総力戦」の様相を呈した第一次世界大戦により、ヨーロッパ諸国の戦争被害は甚大であったものの、このモデルで描くセカイとその関係の歩みそれ自体に、大きな打撃とはならなかった。確かに一時的には、このセカイとその関係の歩みは一時的には中断を余儀なくされたが、なお、このシステムは、そのシステムとしての機能のレベルの面では、十分に作動していた。その象徴が戦後のヴェルサイユ講和条約の締結とヴェルサイユ体制の発足、さらにはワシントン体制の成立を見たのである。
と同時に、そうはいっても、Aグループの覇権国イギリスのシステム構築と安定化に向けての力の衰えは隠せなかった。Aグループ内における覇権国の興亡史がなお見えないままで、そのセカイとその関係の歩みは続けられたことから、一つのシステムとしての力の優劣関係にも従前のような安定性が見られなくなかったのである。その「しわ寄せ」は、Bグループで顕在化した。それは一つにはこのシステム内で、Bグループが受ける構造的圧力が一番大きいことが考えられるだろう。Bグループを構成する諸国は、隙あらばなんとかAグループへと上昇して、Aグループへの仲間入りを考えるだろう。そのためには、どうしてもAグループとCグループとの間に構築されてきた力の優劣関係にくさびを打たなければならない。そのことは、BグループのCグループに対する力の優劣関係をこれまで以上に拡大することを意味した。当然ながら、それはAグループとBグループとの対立、衝突を意味したであろう。
Aグループ内にもいつも小さな対立、衝突はあるものの、BグループによるAグループがこれまで支配してきたCグループを横取り、分捕ろうとする動きに対しては、一致団結しながら、彼らAグループの既得権益を擁護しようとする。システム自体が金の成る木であるから、覇権国とAグループは簡単には彼らの地位を譲り渡さない。これを死守するために、AグループはCグループとの連携を強化しながら、Bグループにぶつかろうとするから(システムとその自己完結運動におけるこうしたぶつかり合いを私たちの歴史では第一次世界大戦、第二次世界大戦と呼んできたのだが)、そのぶつかり合いにおける圧力は、すなわち{[A]→×[C]}の{[B]→[C]}に対する構造的圧力は相当に強力なものとなるだろう。Aグループが支配、保持しているCグループの範囲は、Bグループのそれよりも力の優劣関係において勝っている。そうした構造的圧力に対抗するために、Bグループの政治支配の様式は、国民の挙国一致体制をつくり出すために、どうしても抑圧的体制にならざるを得ない。Cグループの政治支配の様式も、抑圧体制であるが、Bグループの抑圧体制はそれ以上に破壊的、強力とならざるを得ない。Cグループの抑圧は{[A]→×[C]}の民主主義の発展の関係からつくり出されるのに対して、Bグループの抑圧は、{[A]→×[C]→(×)[B]}の関係として描かれる民主主義の発展の段階と関係してくるのである。戦前の枢軸陣営と呼ばれたドイツ、イタリア、日本もファシズム陣営として、またソ連も全体主義体制として、このBグループに位置していたが、そうした諸国が強力な抑圧体制をとったのは、決して偶然のなせる業ではなかったのである。こうした一つのシステムを構成したセカイとその関係の歩みの中で繰り広げられる「三つの」力の優劣関係としての「帝国主義」関係がそうした政治体制を選択させてきたのである。(30)
 何度も言うのだが、その普遍主義がどのような生活空間の中で実現してきたのかの確認が大事だと私は考えている。逆に見れば、いかなる仕組み(構造)の中から、これまで私たちが大切だと教えられ、受容してきた普遍主義がうみ出されてきたか、創作されてきたのかに関する「気づき」が大切ではあるまいか。(8)と私のこれまでの研究は語ってきた。(私が主張してきたのは、普遍主義を創り出し、支えてきたのはまさに{[A]→(×)[B]→×[C]}、{[B]→(×)[C]→×[A]}のモデルで描かれるセカイとその関係(史)モデルにすべて描かれている。私が論究してきたことは、そうした気づきを容易に許さないセカイがあり、その世界の中でこれまでずっとおこなわれてきたのが、まさに普遍主義という歴史認識や見方に関する叙述とその神話の創作であったということである。

(最後に一言)

少し長くなって申し訳ありませんでした。次回の記事投稿は、少し時間がかかるかもしれませんが、なるべく努力してみます。次回の話は、今日のたたき台を踏まえて、それに関連した話を、これまでのブログ記事から取り出して編集してみようと、今は考えています。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太田竜氏、鬼塚英明氏による〈日本とそれを取り巻く世界〉の描き方から学ぶべきこと

2021-02-24 | 日記

太田竜氏、鬼塚英明氏による〈日本とそれを取り巻く世界〉の描き方から学ぶべきこと

もう〈阿修羅〉から太田竜氏を取り上げた記事が消えてしまった。「瞬間」だから致し方がないとしても、残念。

私からすれば、世の中を善・悪に二分して、自分たちが勝手に標榜するその「善」とされる立場から、社会の出来事に対して、悲憤慷慨するだけの、そしてそれで留飲を下げることができればもうそれで済んだことにしてしまう、あるいは、ひたすら批判だけで、自分たちのビジョンを何一つ示さないだけで終わってしまう記事ではなく、歴史を鳥瞰的に捉える内容の記事に接したいものだ。

今それを言った瞬間に、そのまま私自身に厳しく跳ね返ってくる。この歳になると、それはもうコタエル。何をしてきたんだろうか、と。それ以上に恥ずかしくなるばかり。まぁ、それはそれ、今さら仕方がない。

太田氏や鬼塚氏の歴史を捉える手法のすべてに対して、私は納得してはいない。とくに、ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティに関する話は、正直なところ、私にはまだまだ理解する能力はないし、これは誰かほかの人に頼むしかない。

それはそうだとしても、幕末と開国以降の日本が、明治から大正、昭和、平成、そして令和へと、どのような変遷をたどって北か、また辿らざるを得ない流れに関して、鳥瞰的に描いてくれていたように思われる。

その際、彼らは、歴史を動かす中心に、「ユダヤ金融勢力」を据えながら、その勢力がつくり出そうとする「歴史」の歩みの中で、役者としての日本の演じる、引き受けるべき役割を語っている。日本がその歴史の中に、どのように巻き込まれ、翻弄されてきたかを語っている。

私たちの歴史教育は、戦前と戦後は「断絶」しているとか、いや「連続」していたとか、GHQの占領政策は「冷戦」の開始とともに、「変質」したとか、さらには、戦後の日本政治を語る際に、「護憲・リベラル」の流れと「改憲・非リベラル」の流れ云々と言った具合に、わかりやすく、また都合のいいように、対立した歴史として「二分」して語ってきた。

これに対して、太田氏と鬼塚氏は、それらの対立や区分を論評する作業の前に、まずそうした内容を、すべて含みこんだ、善悪の二元論的な価値判断を回避して、一つの大きな「歴史」の流れを提示している。

たとえば、〈阿修羅〉「総合アクセスランキング瞬間」に掲載されていた〈政治の大変調と憲法軌道<本澤二郎の「日本の風景」(4003)〉において紹介されていた自民党政治を、「清和会」と、「護憲・リベラル」に区分して両者の違いをことさら強調する論に対して、太田氏や鬼塚氏は、日本国内だけに視野を限定すれば、なるほど見事に対立する、真逆に位置付けられる二つの自民党内の派閥グループであっても、ユダヤ金融勢力が創作したシナリオの歴史を演じることにおいては、両者仲良く協力関係にあったということを、教えてくれるのだ。

たとえば、護憲・リベラルに位置付けられている吉田茂や池田勇人と、改憲・非リベラルとされる岸信介、佐藤栄作は、「あの戦争」中に、満州帝国でアヘン取引に仲良く従事して、多くの人間を苦しめたのは「周知の事実?」ではなかったか。

換言すれば、護憲・リベラルは良くて、改憲・非リベラルは悪いといった単純な見方に対して、護憲であろうが改憲であろうが、リベラルだろうが、非リベラルだろうが、ともに相当に大きな問題を抱えているということに、私たちは目を向けるべきなのだ。

お二人の研究は歴史のいわゆる「密教」に関してのものだったのに対して、私のそれは歴史の「顕教」に関わるものであった。最初の頃、私はその「トンデモ」論に驚き、笑うしかなかったのだが、次第に学ぶにつれて、同時に、彼らのユダヤ色を取り除きながら、彼らが言わんとする歴史の見方に慣れるにつれて、私の「民主主義」や「普遍主義」に関する「トンデモ」論と、相通じる何かを感じることができるようになったのだ。(誤解のないように一言。「トンデモ」論と述べているが、そこは推して知るべし。

私は、50歳前後から、すぐ上で指摘した太田氏や鬼塚氏の日本近代に関する見解を、私の「システム」論に至る話とコラボさせながら、新たな歴史(論)を構想してきたのだが、今でもそれが懐かしく思えるのだ。

私は、「ユダヤ金融勢力」というのに替えて、例の〈私の語る「システム」論〉にあるように、「システム」を据えたのだ。

私のその「システム」の枠組みを前提として、その枠の中で、太田氏や鬼塚氏の歴史の描き方と「コラボ」してみれば、一つの大きな流れとその問題点というか宿痾について、さらに理解できるとみている。

付言すれば、私はその際、ユダヤ金融勢力とかフリーメーソン、イルミナティを強調しない、というかそこから直ちに歴史を語ることをしない、というか、そうした情報に関しては自分自身で検証していないので、なんとも言い難いところである。

それでは、こうした太田氏や鬼塚氏、そして私の研究を絡めて世の出来事を見渡すとき、以下に紹介する堤未果氏の最近の著作内容との「つながり」というか「歴史」の流れを理解する上で役立つかもしれない。

堤氏の著作については、ネットで紹介された内容を、そのまま張り付けておくので、すぐ上で指摘した歴史の流れに興味のある方は、目をとおしてほしい。

以下、ネットの紹介、始め)

国連本部・米国野村証券で働いた著者が
アメリカで見たもの

「不当な暴力をなくしたい」という思いから、国連やNGOで勤務。
その後、その思いをよりスムーズに実現するために、お金のルールを方法論として身につけようと、米国野村証券に務めるようになりました。
しかし、一生懸命働けば働くほど、見えてくるのは、マネーゲームに興じる浅ましい人々の姿と、株式会社に乗っ取られたアメリカの姿だったと言います。
そしてそれは、1980年代以降アメリカ型の資本主義に経済構造を変えられた日本にも大きな影響を与えているのです、、、

 日本で巨額のお金が動くところには、
アメリカの民間金融企業の影がある

事実・・・日本人の巨額の貯金に狙いをつけたアメリカの民間金融企業出身のある人物から、経済財政・郵政民営化担当大臣を務めていた竹中平蔵氏に手紙で細やかな指示が送られており、それに付き従う形で小泉政権は郵政民営化を達成した(日本の郵政事業は解体され、ゆうちょ銀行は安全な日本国債での運用を減らし、米系企業の債権や株式の比率をどんどん上げて、アメリカに貢献しています)

 事実・・・運用比率が1%上がると1兆円を超える資金が市場に流入すると言われるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の株式保有率の上限を撤廃した安倍政権は、運用委託先も大きく変更して、アメリカの民間金融企業を中心に据えた(政権支持率を株価に支えられている安倍政権と、運用受注で年間数億円の手数料が流れ込む外資系金融機関および海外投資家は、この政策に大喜びです)

 事実・・・アメリカの民間金融企業日本法人の元副社長が、15年6月、ゆうちょ銀行の副社長に就任し、今度はソフトバンクの副社長を務めている(ちなみに孫正義氏の二人の娘のうち、一人がアメリカの民間金融企業に勤務しているそうです)

 事実・・・輸入農産物に使われているモンサント社の危険な除草剤「グリホサート」は、ヨーロッパも、ロシアも、中国も買ってくれず、世界中で使用禁止が相次いでいるというのに、ただひとり日本だけは残留基準を現行の5倍から150倍に大幅緩和している(モンサントの親会社・バイエルには、当然のようにアメリカの民間金融企業が融資を行っています)

 事実・・・2018年12月に水道法が改正されたことにより、自治体所有の水道の運営権を企業が買いやすくなるようになった。その水道の運営権売却の規制緩和を決める会議のメンバーの一人は、なぜか利害関係者であるフランス最大手の水企業ヴェオリア・ウォーター社の社員だった(なお、2012年の段階で、アメリカの民間金融企業はヴェオリアを買収済みです)

 政府、企業、金融機関の
「お金」と「人事」を見れば世界が見える

これらは、私たち日本人の生活が、アメリカの企業たちに握られているという事例のほんの一部にすぎません。

こういう「事実」をマスコミが報じることはありませんが、安心してください。政府、企業、金融機関の「お金」と「人事」を丹念に追えば、きっと真実が見えてくるはずです…

詳細は以下の通りです…

株式会社アメリカの日本解体計画?

「お金」と「人事」で世界が見える

※本書は2020年1月に実施された講演内容に最新かつ詳細な情報を加筆修正しています。

はじめに

ウォール街から見た世界

※1.情報を掲載するにあたり、細心の注意を払っていますが、掲載されたすべての情報の内容の正確性,完全性及び安全性等を保証するものではありません。

この街には、ものすごい量の札束が毎年毎年降り注いでいる
ウォール街が世界を動かしている

第1章
アメリカのみならず世界を動かす“神々”

桁違いの年収を稼ぐ花形の職業「ロビイスト」
マスコミは人にフォーカスする
大恐慌前にアメリカを覆っていた狂気が再び息を吹き返した
政界と経済界を高速で行き来する「目に見えない回転ドア」
アメリカのみならず世界をも動かすウォール街の“神”
金融危機を引き起こしたウォール街を誰も取り締まれない
オバマは回転ドア人事を防ぐことができたのか
チェンジの裏舞台では、回転ドアが高速回転していた
メガバンクは税金で救済され、金融業界の責任は追及されなかった
お金の流れと人事を見れば、真の権力構造が見えてくる
アルファベット3文字の怪しい金融商品
多額の報酬に笑いが止まらない人、すべてを失った人

第2章
日本の四大VIP客

※1.情報を掲載するにあたり、細心の注意を払っていますが、掲載されたすべての情報の内容の正確性,完全性及び安全性等を保証するものではありません。

ウォール街が大事にする日本のVIP客とは
郵便貯金と簡保のマネーを開放するための民営化だった
私たちの年金の運用は、半分が株で運用されている
スタートアップ企業に投資するソフトバンクの巨大ファンド
WeWorkはテクノロジー企業か、不動産賃貸企業か
「真っ赤っかの大赤字」に陥ったソフトバンク
ソフトバンクの希望をつなぐ後継者の正体
巨額のお金が動くところには、ゴールドマン・サックスの影がある
日銀がソフトバンクの株を大量に買っている?
「今だけ金だけ自分だけ」が繰り返される
ソフトバンク問題に、アメリカの中枢が関わっている可能性

第3章
株式会社アメリカ

※1.情報を掲載するにあたり、細心の注意を払っていますが、掲載されたすべての情報の内容の正確性,完全性及び安全性等を保証するものではありません。

株式会社アメリカの国旗デザイン
ワシントンD.C.に降り注ぐ大量の札束が見えてきましたか
ウォール街は、共和党、民主党の両方にチップを置く
絶対にクリントンが勝つはずだった……
ヒラリーの本音が暴露された
トランプ政権になって、ウォール街は政治の中枢から離れたのか

第4章
「日本の宝」が売られていく

※1.情報を掲載するにあたり、細心の注意を払っていますが、掲載されたすべての情報の内容の正確性,完全性及び安全性等を保証するものではありません。

株式会社アメリカが狙う「宝の山」
日本の水道が、ハゲタカに狙われている
ウォール街が推す「これから有望になる投資商品」とは
邪魔な法律を取っ払うためには、圧力、交渉のみならず強硬手段も使う
アメリカがいつまでたってもイラクから出ていかない理由
17年前のマスコミの嘘が、トランプ大統領を誕生させた
戦争が、何よりも儲かるビジネスである理由
イラク戦争を始めたのは、石油資源だけが目的ではなかった
イラク戦争を始めた三つ目の理由は水だった
芸能人のスキャンダルの裏側で大変なことが起こっている!?
日本のロビイスト「有識者会議」の正体
日本の水を狙っているのは、アメリカだけではない
命の水を扱う企業が、核のごみビジネスをも手掛ける怖さ
水源だけじゃない、中国が爆買いする日本の土地
世界中で大問題になっている除草剤が日本で普通に売られている
外国企業が参入することは、日本の発展のためになるのか
マスコミを信じるランキングで日本は世界一位
社会の表と裏をしっかり見たいなら、お金の流れを見る
大手マスコミだけじゃない、SNSも大衆操作ツールである
SNSは思考より感情を捉え、冷静さを失いやすい
シリコンバレーの企業は、次第に政治的な存在になりつつある

第5章
ウォール街と対極の価値観を持つ

※1.情報を掲載するにあたり、細心の注意を払っていますが、掲載されたすべての情報の内容の正確性,完全性及び安全性等を保証するものではありません。

デジタル断食のススメ
NHKが何を報道したかではなく、何を報道していないかを見る
ニュースがある事件一色になったら、その裏で何かが起きている
自分の直感を信じる
ウォール街が一番怖がっているもの
助け合いの精神「お互いさま」が、日本人のDNAに刻まれている
「日本売り」を食い止めることは手遅れか
今私たちが心に刻むべき「国家百年の計」とは
「お互いさま」の精神を世界中に広げ、貴重な資産を次世代に残そう

内容を聴いた方の声

※本書は2020年1月に実施された講演内容に最新かつ詳細な情報を加筆修正しています

 「視聴代金以上の価値」

By 船橋キタロウ様

自宅で晩酌しながらのネット視聴でしたが、始まるとすぐに呑むのを止め聴き入りました。私には視聴代金以上の価値がありました。
若いころの私はアメリカの豊かさに憧れていましたが、実態を知れば知るほど、この国にベッタリと盲目的に追従していくことは日本にとってますます危険と考えるようになりました。

※お客様個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

 「マスコミはもちろん、YouTubeでも流せないのでは…」
By AK様

堤さんの書籍は読んでいますが、それでもかなり濃密でショッキングな内容でした。これは、マスコミはもちろんのことYoutubeですら流せないかなと思います。この講演を全国民が聞いたら、流石に無関心ではいられないと思います。政治もマスコミも一気にひっくり返るんじゃないでしょうか?日本やばい、何とかしないと思いつつ、そこに対して無力な自分。とりあえず、ネットや周りとの会話の中で拡げていくしかないかな。

※お客様個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

 「堤氏の話は現場で見たリアリティがある」
By funabow様

堤氏の勇気には感服しました。そしてウォール街で直接見聞きしたリアリティが素晴らしい。そこにはどんな人間がうごめいているのか、なかなか知る機会が有りませんでした。感謝します。有り難うございました。

※お客様個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

 「ショッキングな内容です」
By N.NAKA様

アメリカの主権の実体がウォール街にのっとられていたことが、とてもショックでした。日本の現政権がアメリカべったりでは、グローバル化が進むのは当然であり、日本的なものが失われるのも当然だと思いました。そして、アメリカに追従するために、新自由主義が蔓延し、日本の主権が財務省にのっとられるのも必然のように思います。デフレ脱却という大きな目標のためには、我々一人ひとりが周囲の人に話すなど、できることを行っていき、それを大きな潮流にもっていくことが大切だと思います。

※お客様個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

 「感激です」
By Kinncyan様

感激です。見事に世界を支配しようとする者が誰であるか? の問いに答えて頂いたと思いました。本当に世界の人々が、この様な視点を持つようになれば・・・と考えます。

※お客様個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

 「日本への熱い想いを感じました」
By 大石様

情報が凄いのはもちろんですが、クールな話し方の裏にある「日本を取り戻そうという。みんな立ち上がろう。」という思いが伝わりました。私も、もっとアクションを起こさなくてはと思いました。

※お客様個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

 「具体的な会社の名前があんなに出てくるとは…」
By ふっちゃん様

思った以上につっこんだお話が聞けたので、驚いてしまいました。あんなに具体的な会社の名前も出てくるとは思いませんでしたよ。 お話を聞いていると、もうかなりグローバリストの介入が進んでいるんだなと思いました。でも、各地でその危険に気づいた人たちが、頑張っているのも知っているので、私もできる限りのことをして、日本の国を守らなければいけないなと感じました。堤先生の著書も読ませていただきます。

※お客様個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

 「もうアメリカという国はない」
By トッポ様

「株式会社アメリカ」は、あまりにもショッキングだった。確かに身の回りを見渡せば、Apple、Amazon、Google、Adobe、Facebook…流行り、便利、カッコいいの代名詞のように近くにあり抵抗なく自分も好んで使っている。これからの近未来にインフラを多国籍企業に牛耳られたら、と考えると恐ろしくなる。水道民営化や種子法廃止による影響を少しでも止められるようにできないものか。日本に起死回生のチャンスはあるのか?頑張ろう日本!

※お客様個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

 「情報収集の精密さに感服です」
By チャイヤ様

わずか1時間なのに、内容のすごさに お腹いっぱい。まさに国際ジャーナリストの鑑です。 こんな情報をよく手に入れましたね。未来にむけてとても深刻で・重要な問題です。以前から水道法や種子法の改正工作は三橋先生から伺っていましたが、ロスチャイルドの手下のゴールドマンサックスが日本の政・官に潜り込み法改正の工作をしている事までは知りませんでした。合衆国ももはや巨大国家などと考えていたら本質を見抜けませんね。 それにしても日本の中央はどんな弱みで売国奴的行為をやらされているのかもっと具体的に知りたいですね。 終戦後のドサクサに紛れてGHQが種まきでもしてたのでしょうか?マスコミなら絶対報道しない・国民が絶対知るべき深刻なテーマです。

※お客様個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

 「勇気ある行動、ありがとうございます」
By 鈴木和子様

自分の知識をはるかこえてました。 わかっているつもりでしたが、まだまだ知識不足を痛感しました。恐ろしい現実に69歳何ができるか、今は分かりません。これから探っていくつもりです。勇気ある行動、本当にありがとうございます。

※お客様個人の感想であり、成果や成功を保証するものではありません。

著者紹介
NYで9.11を目の当たりにし、ジャーナリストになることを決意
国際ジャーナリスト

堤 未果 TSUTSUMI MIKA
2歳で渡米して以来、アメリカは憧れの存在だった。
自由の国で、貧乏でもマイノリティでも誰にでもチャンスがある。実際に住んでみると女性差別やアジア人差別もあったが、それでもチャンスだけは無限にある。そう信じていた。
ニューヨークの大学院では国際関係を専攻し、「不当な暴力をなくしたい」という思いから、国連やNGOで勤務。
米国野村証券に務めたのも、その思いをよりスムーズに実現するために、お金のルールを方法論として身につけたかったからだという。

転機は、9・11アメリカ同時多発テロ。
2001年9月11日。テロリストにハイジャックされたと言われる旅客機が世界貿易ビルに衝突。当時、米国野村証券に務めていて、そのオフィスが世界貿易センターの隣、世界金融センタービルの20階にあった。

テロを目の当たりにした心理的なショックはあったが、ただそれだけでなく、テロ直後にマンハッタンには2000台、アメリカ全体では3000万台の監視カメラが設置されるようになった。会話も盗聴され、インターネットも当局がチェックするように。

対テロ戦争が国の最優先事項になり、テロ対策という名のもとに警察の権限が拡大し、国の体制を批判するような記者やジャーナリストは次々に逮捕されていった。知り合いの大学教授も突然解雇されたという。
 
自由の国だったアメリカが一夜にして“全体主義”国家のようになってしまった。自身が大好きだったアメリカはどこに行ってしまったのか。私が信じていたものは何だったのか。突然起きた変貌に、パニックとなった。

それから日本へ帰国後、物を書くことを決めた。
目の前で私の大好きなアメリカが壊されていることが許せなかった。

そしていろいろなことを調べていると気づいたという。
これはアメリカだけの問題ではない、私のかけがえのない故郷である日本も同じように壊されていると。 

資本主義が進化した、アメリカ発の「強欲資本主義」が、いま自国アメリカだけでなく世界中を飲み込もうとしている。そして日本もそのターゲットのひとつになっている… 

そのことへの怒りとそれらの脅威から地域共同体を守ろうとする現地の人々の想いが、自身が取材を続ける原動力になっている。 

 

(最後に一言)

堤氏の著作は、以前に読んでいた堤氏の著作の内容と、切り口は変わっていない?ように思える。太田氏や鬼塚氏と私と、堤氏の違いは、一言で言えば、堤氏がかつては素晴らしい「自由の国」の米国が存在していたのに、それがある日、突然、醜い姿の「全体主義」の米国となったとみているところ。こうした見方は、あのシェルダン・ヲーリンの米国社会を、「逆さまの全体主義」社会として描く手法と類似している。

米国の自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値は、ある時期までは素晴らしく、それがいつの間にかおかしくなってしまった、もはや米国社会には、民主主義は有効に機能していない云々の見方である。

太田氏や鬼塚氏、私はそのようには決して理解していない。それでは、「9・11」以前の米国、たとえば、日本に開国を迫り、明治以降も日本やアジア諸国をはじめ、ラテンアメリカ諸地域に対する人権抑圧や蹂躙の歴史はどう理解すればいいのか。そのほか、言えば、それこそたくさんある。

そもそも、米国を造ったのは誰なのか、英国との関係は、建国以降の米国にどのような影響を与えてきたのか、等々。しかし、同時に、今日の米国社会で進行している、日本にも密接に関連する深刻な問題の存在を、具体的に教えてくれるのも事実だ。

堤氏の著作をもとに、そこから今度は逆に、太田氏や鬼塚氏そして私の見解を再考してもらえれば、そこから、日本に暮らす私たちが、ひょっとして、もっと深刻な、それこそ開国以降の、そして今日にまで続いている「問題」が見えてくるかもしれない。
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太田竜氏と広瀬隆氏と護憲派との関係について考えるとき

2021-02-21 | 日記

太田竜氏と広瀬隆氏と護憲派との関係について考えるとき

昨日の〈阿修羅〉のぺリマリさんの太田竜氏に関する記事に刺激され、同時に忘れていたことを、気が付かないままにあった点を気づかされて、今回も私の気になっていたことを書き留めておきたい。

「反原発」あるいは「脱原発」は、「護憲」の立場では決して実現できない。昨日のブログ記事で紹介していたぺリマリさんの太田竜氏の記事の中にあった国際連合の人権云々に関して、私はそれと結び付けて日本国憲法の人権の問題点を考えることも大切だと述べていた。

国連の推奨する人権は、近代憲法の、また市民革命時のそれである。同じものだ。太田氏は、国連の人権の背後にユダヤ・フリーメーソン・イルミナティの存在を見ていた。彼らが原発を推進してきたのだ。

護憲派の人たちが推奨する人権は、その関連から言えば、ユダヤ勢力が提唱する人権に他ならず、その人権を保持、護持したままで「(反・脱)・原発」など不可能なのだ。

学術会議問題で話題となった「立憲主義デモクラシー」を訴える研究者も、結局はユダヤ勢力と手を結んでいる、手を貸しているということなのだ。

ただし、誤解のないように申し添えておきたい。私は、太田氏と異なる観点から、市民革命から今日に至るまで存続してきた「人権」の問題を批判的に考察・論評してきたが、それでも、太田氏が言わんとすることに少なからず、共感している。

広瀬隆氏も、反原発を熱心に訴えてきた闘士の一人であり、ユダヤ勢力に関連した著作も多いのだが、太田氏とは異なり、護憲派に属する、と私はみている。付言すれば、小出裕章氏も日本国憲法を礼賛していた。

もとより、反原発、脱原発を思考する人々も一枚岩ではないのだが、一枚岩とならないような布石が打たれていたことを、つくづく最近になって気が付くのだ。

〈阿修羅〉に掲載されている記事をみても、まさしくそうである。それはそれで構わないことだが、私は、上で述べていたように、反原発・脱原発を実現するためには、ユダヤ勢力が推奨する「人権」を守り続けていては、到底不可能だと言いたいのだ。つまり、護憲の立場を標榜する限り、それは無理だということを。

ここで、また誤解のないように一言付言すれば、私はユダヤ勢力が後押しした、彼らが背後に控えているから、私たちがいま享受している人権を駄目だと批判しているのではない。私たちが後生大事にしてきた人権が、先述の小出氏の言葉を借りれば、「人を人として扱わない」、換言すれば、差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきた人権であるからに他ならない。

なお、小出氏にとっては、「人を人として扱わない」のが「原発」だったのだが、私からすれば、近代的人権も、まさにそうだということだ。そのような人権を絶対不可侵の如く取り扱ってきた私たちの世界は、絶えず第2、第3の「原発」を作り続けるであろう。

それに関連して付言すれば、「持続可能なーーー」とか、「グローバルーーー」とか、最近、特に怪しく響く動きが目立っている。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太田竜氏を取り上げた記事を読んで

2021-02-21 | 日記

太田竜氏を取り上げた記事を読んで

私は「〈阿修羅〉総合アクセスランキング)瞬間)」に投稿された記事をよく読んでいる。それが私の楽しみの一つとなっているが、最近また面白く、またいろいろ教えてもらえる記事が多くなってきた。

赤かぶ、日刊ゲンダイ、田中龍作ジャーナル、植草一秀をはじめ、多くの記事が掲載されている。こうした記事に目をとおすことで、マスコミが垂れ流す世の中の出来事に関する情報に対して、自分なりのバランスを、私はどうにか取ることができている。

今日の記事で私が注目した一つに、「ぺリマリ」さんによる太田竜氏の紹介記事があった。懐かしい名前である。鬼塚英明氏と同様、太田氏からも、それこそたくさんのことを学んだ。

今日の記事の中でも、国際連合が掲げる「人権絶対主義」への懐疑と、そうした人権がどこに由来するかの出自に関して語られていた。そうした文脈から、日本国憲法の人権や平和を再度、問い直すことも大事ではないかと思った次第。

ただし、私は太田氏とは異なる観点から、人権や平和、自由、民主主義、法の支配といった普遍的価値を批判的に考察し、論評してきたのだが。まぁ、そんなことはここでは問題ではなかろう。

太田市の著作の名前はもう思い出せないが、確か原発とエコロジーに関しての分厚い著書を読んだことを覚えている。

ぺリマリさんの紹介している記事を、是非ともご一読してほしい。最後の読者の記事に関する感想欄も含めて。藤原肇氏の著作も懐かしい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「感じる心」が自然に反応して、「良かった」という、ただ、それだけだったのだが。

2021-02-20 | 日記

「感じる心」が自然に反応して、「良かった」という、ただ、それだけだったのだが。

今日の朝に投稿した「下書き」の記事を削除した。悪しからず。私も何も確かめないままに、記事を書き、投稿したから、悪かったのだが。

「いいものはいい」、ただそれだけの話なのに、後から何か聞きたくない、見たくない者がどんどん増えてくるから、辛いよなぁ。

「いいなぁ」という「感じる心」が働くだけで、それを創り出す者に、障碍があろうがなかろうが、学歴があろうがなかろうがは、まったく関係のない話。

どんなに努力しても、叶わぬ夢は、できないことは、それこそたくさんあるし、嫌になるほど絶望するしかない。そして、どうにもならないで、野垂れ死にしてしまうとしても、それはそれ。

ただ。黙々と生き抜くだけ。その姿こそが、私には何にもまして尊い、掛け替えのない生き方、生きる姿なのだ。ただ、それだけ。

世の中に受け入れられて、評価されれば、それは、それで面白いことだろうが、受け入れられない定めにあると悟れば、その定めに従って生きるしかあるまい。

「森」さんは駄目だが、「橋本」さんは認めてしまう、そんな世の中に評価されたとしても、それはバカにされているという証(あかし)以外の何物でもなかろう。

ただそれだけの世の中ということだけ。それはそうなのだが、何か気分は悪いよなぁ。まぁ、そんなこんなで生きていくしかないだろう。今日の記事は、自分に言い聞かせているような、いやそうだよ、そうなんだ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする