「システム」の自己完結運動の歩みとその関係から見た中・日経済協力構想実現とその帰結(3)
昨日の続き
今日は私の見方をより分かりやすく伝えるために、天木直人さんのブログ記事を引用、参照しながら述べてみたい。
(「阿修羅、拍手ランキング」から引用)
社説で取り上げなかった朝日と一面トップで報じなかった東京 天木直人
http://www.asyura2.com/18/senkyo252/msg/759.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 10 月 27 日 10:10:15: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
社説で取り上げなかった朝日と一面トップで報じなかった東京
http://kenpo9.com/archives/4356
2018-10-27 天木直人のブログ
今度の安倍訪中をどう見るか。
結論から言えば、よかった、よかったと大いに評価すればいいのだ。
日中関係に改善が見えたからではない。
安倍首相の対中政策に改善が見えたからである。
たとえそれがパフォーマンスや自己保身であっても、安倍首相が自らの歴史認識や対中敵視を封印して、ここまで日中友好を演出したことは評価すべきだ。
やればできたじゃないか、もっとはやくそうすればよかったのに、と褒め殺せばいいのだ。
ここまでやって、再び、歴史認識問題や尖閣問題で中国を敵視するような言動をすれば、その時こそ中国は倍返しで安倍政権に牙を剥くぞと脅かせばいいのだ。
いずれにしても、もはや安倍首相は逆戻りできなくなった。
日中関係改善の罠にみずから飛び込んでいったということだ。
そのことは既に書いた。
私がここで指摘したいのは、大手メディアが社説で今度の安倍訪中をどう評価したかである。
ほとんどの社説は、程度の差はあるが、限定的に評価していた。
そんな中で、唯一産経だけが全面否定したのには笑ってしまった。
すなわち、今度の安倍首相の訪中と関係改善を、「誤ったメッセージを国際社会に与えた」、「ムードの流された関係改善は砂上の楼閣だ」、とまで酷評したのだ。
産経は正直な新聞だ。
よほどしゃくにさわったのだろう。
それにしても、安倍首相がせっかく苦労して演出した安倍外交を、ここまで批判するとは、忖度できない産経にむしろ好感すら覚える。
それにくらべ朝日は面妖だ。
今度の安倍訪中を社説で取り上げなかった唯一の大手紙が朝日だった。
きょう10月27日の朝日の社説は、山さつき地方創生相大臣の国税庁への口利き疑惑と、英国のEU離脱問題である。
そっちのほうが安倍訪中より重要だというのだろうか。
安倍訪中はすでに社説で書いたというのだろうか。
あるいは後日、あらためて書くというのか。
あるいは日米同盟優先の朝日だから書きづらいのか。
そして、最後に東京新聞について触れておく。
産経、朝日を含め、すべての大手紙が安倍訪中を一面トップで大きく取り上げたのに、きょう10月27日の東京の一面トップは安倍訪中ではない。
政府(経産省)は、福島復興の象徴である洋上風力発電施設を、採算が見込めないため撤去することを検討している、という記事である。
安倍嫌いで、中国嫌いの東京新聞にとっては、安倍訪中より日本の自然エネルギー問題の方がより重要だと言わんばかりである(了)
(「阿修羅、拍手ランキング」から引用)
読売と毎日が報じた安倍首相の訪中成果改ざん発言 天木直人
http://www.asyura2.com/18/senkyo252/msg/789.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 10 月 28 日 09:30:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
読売と毎日が報じた安倍首相の訪中成果改ざん発言
http://kenpo9.com/archives/4358
2018-10-28 天木直人のブログ
鳴り物入りで行われた安倍訪中も終わった。
その安倍訪中をきのう10月27日の大手紙は一斉に社説で限定的に評価した。
前進した事は良かったがすべてはこれからだと。
棚上げした困難な問題を克服できるかはこれからだと。
経済協力だけで乗り切れるのか、米中対立が激しくなる中で日本は板挟みになるおそれはないかと。
それでも最悪の関係から一歩前進した事は評価できると。
私もそう思う。
誰もが考える評価であり、誰もが抱く懸念だ。
そんな中で、ひとり産経の社説だけが、「今度の安倍訪中は砂上の楼閣に終わる」と否定的に評価をした。
それからわずか一日たって、やはり産経が正しかった。
そう思わせるスクープ報道を、奇しくもきょう10月28日の読売と毎日が書いた。
その要旨はこうだ。
つまり、安倍首相は李克強首相、習近平主席との会談の後、自らのツイッターやフェイスブックで書き、ご丁寧にフジテレビのインタビューでも自慢した。
今度の訪中では、今後の日中関係の道しるべとなる三原則を確認したと。
その三原則とは次の三つだ。
1.競争から協調へ
2.日中はパートナーであり、互いに脅威とならない
3.自由で公正な貿易体制の維持
本当に、この三原則で合意したなら、今度の安倍訪中は歴史的な前進である。
ところが、三原則で合意したとは、中国外務省の発表にはどこにも出て来ない。
李克強首相も習近平主席も、三原則などという言葉を発していない。
どうなっているのか。
そこを同行記者団からつかれた西村康稔官房副長官は、「三原則という言い方はしていない」と釈明し、外務省幹部も、「原則は呼びかけたが三原則という言葉は使わなかった」と重ねて否定したというのだ。
これは重大な食い違いである。
なぜ、このような食い違いが起きたのか。
それは明らかだ。
安倍首相としては、過去の四つの歴史的基本文書につぐ五番目の文書をつくりたかったが間に合わなかった。
そこで、口先だけでも三原則の合意が出来たと改ざん発言して、今度の訪中の成果を前のめりに誇大宣伝したかったのだ。
その矛盾を突かれ、なぜ西村官房副長官や外務省幹部は、安倍首相の発言を否定せざるをえなかったのか。
もちろん、それは事実に反するからである。
しかし、それだけではない。
来年6月に期待される習近平主席の訪日の際にはこの三原則を文書にして第五の基本文書を何としてでも作りたい。
そう安倍首相から西村官房副長官や外務省は厳命されている。
しかし、果たして中国がそれに応じるか保証はない。
後退した表現に終わると日中関係が前進どころか停滞したと受け止められる恐れがあるからだ(毎日)。
おまけに、はたして習近平主席は来年6月に訪日するのか。
今回の首脳会談で安倍首相は招待したけれど、習近平主席は確約しなかった。
きょうの読売と毎日のスクープ報道が教えてくれた事。
それは今度の安倍訪中は、安倍首相お得意の、事実を改ざんしてまで宣伝する日中友好関係の構築外交に過ぎなかったのだ。
「砂上の楼閣」だと書いた産経の社説が正しかったのだ。
ところが、この改ざん発言を、産経は書かない。
インタビューまでしているのにである。
やはり産経はダメ新聞である(了)
(引用はここまで)
最初に断っておくが、天木氏の記事を引用したのはあくまで私の見方との違いを述べるのに分かりやすいと思ったからで、市の記事内容の論評や批判ではない。むしろ、こうした見方もできると教えられた次第だ。
私が強調したいのは、安倍首相がどう考えようが、また今回の訪中が彼のこれまでの言動とたとえどれほど乖離したものだろうが、日本の外務省がこれから先の展望を読んでどのように行動しようが、『産経』の言うように、たとえそれが「砂上の楼閣」であり、 誤ったメッセージを中国や国際社会に発信したとしても、今回の中・日両国による第三国に対する経済協力関係の世界的表明は、私のモデルで描くセカイの歩みとその関係を維持、発展させ、今後ますます強固にしていくことを宣言したものに他ならない、と私は見ている。
つまり、安倍首相が語ったとか、語らなかったとかと議論される「三原則」がどのように中国側に思われようが、認められなくても、そのような次元と関係なく、システムの自己完結運動とその関係は深化していくのである。
つまり、システムの歩みとその関係の今後の展開において、中国の共産党や習近平主席ががどうしようが、日本がどう動こうが、その動きを阻止できないのだ。それが一番深刻な問題なのだ。確かに「一帯一路」構想は中国がその実現の主要な担い手であるように思われるのだが、システムを構成するB、Cグループの高度化に向けての動きが、すなわちⅠ期の段階からⅡ期の段階へ、そしてⅢ期の段階へと向かう動きの中で、システムが中国共産党と習近平主席にそうした政治(外交)路線を選択させるのだ。
そうした動きを受けて、システムはAグループの米国や日本やEUに対して、B、Cグループの高度化を支えていくように、Aグループにおける低度化を促すような政治路線を選択させていくのである。この中には、例えば、「新自由主義」路線も含まれている。
私から見れば、ほとんどの論者の議論は木や葉を見て、それが何か大事なことであるかのように論じているのだ。何度も言うが、森を見ていないし、森が描けないままなのだ。日本共産党の志位委員長の中国の覇権主義批判も、覇権主義が悪いというだけであり、その先の話につながらないのだ。すなわち、なぜ中国がそうした覇権主義の行動に出ているのか、という分析に至らない。システムの歩みとその関係が、1972年のニクソン訪中以後の中国にそうした覇権主義の道を選択させていることを理解できたならば、中国の覇権主義批判をもう少し違った観点から論及できていたであろう。勿論、たとえ描けたとしてもその結末はどうにもできない、ならないものだが。
Aグループが直面しているⅡ’期やⅢ’期の段階においては、中間層が解体されて、国民国家自体の紐帯が弱体化していき、国民自体がさらなる分極化、断片化へと導かれていく。当然ながら、そうした声を代弁し、代表する政治集団は、左右に激しく分裂した立ち位置を取るだろう。
ただしここで注意すべきは、ブラジルのトランプは米国のトランプとは、その立ち位置が異なっていることだ。前者は、Ⅰ期の前期から中期、そして後期を経てⅡ期の前期の段階において登場するのに対して、後者は、Ⅱ’期からⅢ’期の段階に登場するのである。いずれもシステムの自己完結運動の歩みが、歴史のある段階にそうした役者と彼らが引き受ける役割を提供するのである。
付言すれば、戦争屋とかCIAとか軍産複合体は、システムが歴史のある段階に登場させた役者であり、彼らの担う役割もシステムが決めるのだ。この点を注意しておかないととんでもない議論が展開されることとなる。たとえば、米国のトランプ大統領の出現で、戦争屋とか軍産複合体が壊滅されていくとか、そこから「平和」が到来するとか。こうした議論もまた森が見えていないことを示している。
今回もまた、これまでの拙著や拙論で論じてきたことの繰り返しで申し訳ないのだが、ご寛恕のほどを。
昨日の続き
今日は私の見方をより分かりやすく伝えるために、天木直人さんのブログ記事を引用、参照しながら述べてみたい。
(「阿修羅、拍手ランキング」から引用)
社説で取り上げなかった朝日と一面トップで報じなかった東京 天木直人
http://www.asyura2.com/18/senkyo252/msg/759.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 10 月 27 日 10:10:15: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
社説で取り上げなかった朝日と一面トップで報じなかった東京
http://kenpo9.com/archives/4356
2018-10-27 天木直人のブログ
今度の安倍訪中をどう見るか。
結論から言えば、よかった、よかったと大いに評価すればいいのだ。
日中関係に改善が見えたからではない。
安倍首相の対中政策に改善が見えたからである。
たとえそれがパフォーマンスや自己保身であっても、安倍首相が自らの歴史認識や対中敵視を封印して、ここまで日中友好を演出したことは評価すべきだ。
やればできたじゃないか、もっとはやくそうすればよかったのに、と褒め殺せばいいのだ。
ここまでやって、再び、歴史認識問題や尖閣問題で中国を敵視するような言動をすれば、その時こそ中国は倍返しで安倍政権に牙を剥くぞと脅かせばいいのだ。
いずれにしても、もはや安倍首相は逆戻りできなくなった。
日中関係改善の罠にみずから飛び込んでいったということだ。
そのことは既に書いた。
私がここで指摘したいのは、大手メディアが社説で今度の安倍訪中をどう評価したかである。
ほとんどの社説は、程度の差はあるが、限定的に評価していた。
そんな中で、唯一産経だけが全面否定したのには笑ってしまった。
すなわち、今度の安倍首相の訪中と関係改善を、「誤ったメッセージを国際社会に与えた」、「ムードの流された関係改善は砂上の楼閣だ」、とまで酷評したのだ。
産経は正直な新聞だ。
よほどしゃくにさわったのだろう。
それにしても、安倍首相がせっかく苦労して演出した安倍外交を、ここまで批判するとは、忖度できない産経にむしろ好感すら覚える。
それにくらべ朝日は面妖だ。
今度の安倍訪中を社説で取り上げなかった唯一の大手紙が朝日だった。
きょう10月27日の朝日の社説は、山さつき地方創生相大臣の国税庁への口利き疑惑と、英国のEU離脱問題である。
そっちのほうが安倍訪中より重要だというのだろうか。
安倍訪中はすでに社説で書いたというのだろうか。
あるいは後日、あらためて書くというのか。
あるいは日米同盟優先の朝日だから書きづらいのか。
そして、最後に東京新聞について触れておく。
産経、朝日を含め、すべての大手紙が安倍訪中を一面トップで大きく取り上げたのに、きょう10月27日の東京の一面トップは安倍訪中ではない。
政府(経産省)は、福島復興の象徴である洋上風力発電施設を、採算が見込めないため撤去することを検討している、という記事である。
安倍嫌いで、中国嫌いの東京新聞にとっては、安倍訪中より日本の自然エネルギー問題の方がより重要だと言わんばかりである(了)
(「阿修羅、拍手ランキング」から引用)
読売と毎日が報じた安倍首相の訪中成果改ざん発言 天木直人
http://www.asyura2.com/18/senkyo252/msg/789.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 10 月 28 日 09:30:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
読売と毎日が報じた安倍首相の訪中成果改ざん発言
http://kenpo9.com/archives/4358
2018-10-28 天木直人のブログ
鳴り物入りで行われた安倍訪中も終わった。
その安倍訪中をきのう10月27日の大手紙は一斉に社説で限定的に評価した。
前進した事は良かったがすべてはこれからだと。
棚上げした困難な問題を克服できるかはこれからだと。
経済協力だけで乗り切れるのか、米中対立が激しくなる中で日本は板挟みになるおそれはないかと。
それでも最悪の関係から一歩前進した事は評価できると。
私もそう思う。
誰もが考える評価であり、誰もが抱く懸念だ。
そんな中で、ひとり産経の社説だけが、「今度の安倍訪中は砂上の楼閣に終わる」と否定的に評価をした。
それからわずか一日たって、やはり産経が正しかった。
そう思わせるスクープ報道を、奇しくもきょう10月28日の読売と毎日が書いた。
その要旨はこうだ。
つまり、安倍首相は李克強首相、習近平主席との会談の後、自らのツイッターやフェイスブックで書き、ご丁寧にフジテレビのインタビューでも自慢した。
今度の訪中では、今後の日中関係の道しるべとなる三原則を確認したと。
その三原則とは次の三つだ。
1.競争から協調へ
2.日中はパートナーであり、互いに脅威とならない
3.自由で公正な貿易体制の維持
本当に、この三原則で合意したなら、今度の安倍訪中は歴史的な前進である。
ところが、三原則で合意したとは、中国外務省の発表にはどこにも出て来ない。
李克強首相も習近平主席も、三原則などという言葉を発していない。
どうなっているのか。
そこを同行記者団からつかれた西村康稔官房副長官は、「三原則という言い方はしていない」と釈明し、外務省幹部も、「原則は呼びかけたが三原則という言葉は使わなかった」と重ねて否定したというのだ。
これは重大な食い違いである。
なぜ、このような食い違いが起きたのか。
それは明らかだ。
安倍首相としては、過去の四つの歴史的基本文書につぐ五番目の文書をつくりたかったが間に合わなかった。
そこで、口先だけでも三原則の合意が出来たと改ざん発言して、今度の訪中の成果を前のめりに誇大宣伝したかったのだ。
その矛盾を突かれ、なぜ西村官房副長官や外務省幹部は、安倍首相の発言を否定せざるをえなかったのか。
もちろん、それは事実に反するからである。
しかし、それだけではない。
来年6月に期待される習近平主席の訪日の際にはこの三原則を文書にして第五の基本文書を何としてでも作りたい。
そう安倍首相から西村官房副長官や外務省は厳命されている。
しかし、果たして中国がそれに応じるか保証はない。
後退した表現に終わると日中関係が前進どころか停滞したと受け止められる恐れがあるからだ(毎日)。
おまけに、はたして習近平主席は来年6月に訪日するのか。
今回の首脳会談で安倍首相は招待したけれど、習近平主席は確約しなかった。
きょうの読売と毎日のスクープ報道が教えてくれた事。
それは今度の安倍訪中は、安倍首相お得意の、事実を改ざんしてまで宣伝する日中友好関係の構築外交に過ぎなかったのだ。
「砂上の楼閣」だと書いた産経の社説が正しかったのだ。
ところが、この改ざん発言を、産経は書かない。
インタビューまでしているのにである。
やはり産経はダメ新聞である(了)
(引用はここまで)
最初に断っておくが、天木氏の記事を引用したのはあくまで私の見方との違いを述べるのに分かりやすいと思ったからで、市の記事内容の論評や批判ではない。むしろ、こうした見方もできると教えられた次第だ。
私が強調したいのは、安倍首相がどう考えようが、また今回の訪中が彼のこれまでの言動とたとえどれほど乖離したものだろうが、日本の外務省がこれから先の展望を読んでどのように行動しようが、『産経』の言うように、たとえそれが「砂上の楼閣」であり、 誤ったメッセージを中国や国際社会に発信したとしても、今回の中・日両国による第三国に対する経済協力関係の世界的表明は、私のモデルで描くセカイの歩みとその関係を維持、発展させ、今後ますます強固にしていくことを宣言したものに他ならない、と私は見ている。
つまり、安倍首相が語ったとか、語らなかったとかと議論される「三原則」がどのように中国側に思われようが、認められなくても、そのような次元と関係なく、システムの自己完結運動とその関係は深化していくのである。
つまり、システムの歩みとその関係の今後の展開において、中国の共産党や習近平主席ががどうしようが、日本がどう動こうが、その動きを阻止できないのだ。それが一番深刻な問題なのだ。確かに「一帯一路」構想は中国がその実現の主要な担い手であるように思われるのだが、システムを構成するB、Cグループの高度化に向けての動きが、すなわちⅠ期の段階からⅡ期の段階へ、そしてⅢ期の段階へと向かう動きの中で、システムが中国共産党と習近平主席にそうした政治(外交)路線を選択させるのだ。
そうした動きを受けて、システムはAグループの米国や日本やEUに対して、B、Cグループの高度化を支えていくように、Aグループにおける低度化を促すような政治路線を選択させていくのである。この中には、例えば、「新自由主義」路線も含まれている。
私から見れば、ほとんどの論者の議論は木や葉を見て、それが何か大事なことであるかのように論じているのだ。何度も言うが、森を見ていないし、森が描けないままなのだ。日本共産党の志位委員長の中国の覇権主義批判も、覇権主義が悪いというだけであり、その先の話につながらないのだ。すなわち、なぜ中国がそうした覇権主義の行動に出ているのか、という分析に至らない。システムの歩みとその関係が、1972年のニクソン訪中以後の中国にそうした覇権主義の道を選択させていることを理解できたならば、中国の覇権主義批判をもう少し違った観点から論及できていたであろう。勿論、たとえ描けたとしてもその結末はどうにもできない、ならないものだが。
Aグループが直面しているⅡ’期やⅢ’期の段階においては、中間層が解体されて、国民国家自体の紐帯が弱体化していき、国民自体がさらなる分極化、断片化へと導かれていく。当然ながら、そうした声を代弁し、代表する政治集団は、左右に激しく分裂した立ち位置を取るだろう。
ただしここで注意すべきは、ブラジルのトランプは米国のトランプとは、その立ち位置が異なっていることだ。前者は、Ⅰ期の前期から中期、そして後期を経てⅡ期の前期の段階において登場するのに対して、後者は、Ⅱ’期からⅢ’期の段階に登場するのである。いずれもシステムの自己完結運動の歩みが、歴史のある段階にそうした役者と彼らが引き受ける役割を提供するのである。
付言すれば、戦争屋とかCIAとか軍産複合体は、システムが歴史のある段階に登場させた役者であり、彼らの担う役割もシステムが決めるのだ。この点を注意しておかないととんでもない議論が展開されることとなる。たとえば、米国のトランプ大統領の出現で、戦争屋とか軍産複合体が壊滅されていくとか、そこから「平和」が到来するとか。こうした議論もまた森が見えていないことを示している。
今回もまた、これまでの拙著や拙論で論じてきたことの繰り返しで申し訳ないのだが、ご寛恕のほどを。