日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

(追加版)英国のEU離脱(ブレグジット)の動きとG7のイタリアの「一帯一路」への参加支持表明は「システム」とその関係の歩み〈{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)〉から導かれたのだ

2019-03-30 | 社会 政治
(追加版)英国のEU離脱(ブレグジット)の動きとG7のイタリアの「一帯一路」への参加支持表明は「システム」とその関係の歩み〈{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)〉から導かれたのだ

1970年代以降のシステムとその関係の歩み〈{[B]→(×)[C]→×[A]}〉から英国の「ブレグジット」と、G7のイタリアによる中国主導の「一帯一路」への参加支持表明の動きを読み解くとき、そこにはシステムとその関係の歩みを、今後ますます揺るぎのない流れとして定着させたいとする強い「意志」と「力」が働いていることを私たちは確認できるのではあるまいか。

簡単に言えば、先のシステムとその関係の歩みの形成とその維持と発展を滞りなく順調に進めていくために、システムとその関係の歩み〈{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)〉のAグループを、とくにその中での米国やEU諸国を、とりわけドイツやフランスを、システムとその関係の歩みが文字通りうまく展開していくために、そのことの具体的意味はまさにBの先頭に中国が位置して次期覇権国として世界に君臨しながら、システムとその関係の歩みを円滑に指導し監督していくことだが、そのためにもシステムとその関係の歩みは、Aグループがシステムの意に反する形で強大化したり意に反する動きをしないためにも、Aグループ内の動きをけん制しながら、システムの歩みを阻害したり妨害しないように統率することが何よりも重要なことなのだ。

そのAグループ内で、米中覇権連合を推進している米国と、またその米国とかつて米英覇権連合を形成していた英国をを除き、AのEUの巨大化を封じ込める必要があることから、ドイツとフランスの動きを想定内に抑える必要があることから、EUの動きをけん制するために、まずは英国を介してEUの団結に風穴を開けたのだ。それがブレグジットだとすれば、今回の中国とイタリアの共同歩調はその次のEUへの揺さぶりをかける一手として理解できるのではあるまいか。

こうした文脈の下で、ニクソン訪中とその後の米中和解、改革開放、ソ連のアフガニスタン侵攻とソ連の解体と冷戦崩壊、EU発足へと向かう流れを振り返れば、そこに70年代以降のシステムとその関係の歩みを形成し、発展させながら、システムの歩みを盤石なものにしていこうとするある種の意志と力が働いていたことに気が付くのではあるまいか。

その関連から言えば、ベトナム戦争、イラク・イラン戦争、イスラム勢力の台頭、アフガニスタンでのタリバン勢力の伸長とソ連のアフガン侵攻とそれに伴うソ連国力の衰退と解体(ソ連の解体によるロシア連邦の成立とウクライナの独立によるロシアにおける工業化の挫折とそれによるBグループ内での中国の優位を図る)、中国の改革開放の動きとその後の中国の世界の工場に向かう動き、それを受けての日本の高度経済成長を終焉させるプラザ合意へと向かう流れ、さらに中国製品の受け皿としてのECからEUへとヨーロッパの統一市場の誕生の流れ、中国国内での新疆ウイグル族、チベット族などの少数民族への弾圧を介した中国国民国家化への動き、湾岸戦争そしてその後の米国主導の中東諸国に対する(中国の経済発展のための石油利権獲得のための)戦争への動きが、システムの歩みの「段階」ごとにその都度、同時並行的・進行的に展開しながら、まさに{[B]→(×)[C]→×[A]}のセカイを、現実の世界につくり替えていく歩みであったことを改めて今日の時点から確認できるのではあるまいか。

そして今は、先にも示したように、「一帯一路」構想の実現を進める中での、AのEUの巨大化、強大化への動きを封じ込めるために、EUに対するあの手この手を使っての揺さぶりとして、とくにドイツやフランスにおける21世紀版ドイツ帝国やフランス帝国の誕生の可能性を阻止するために、念には念を入れてイギリスを使ってのブレグジットであり、また先頃のG7のイタリアを利用しての実利を伴う牽制球として、揺さぶりをかけているとみた方がいいだろう。勿論、揺さぶりがその効果や成果を上げるに越したことはないのだが、揺さぶるだけでもシステムとその関係の歩みにとっては相当に大きなプラス材料となる。いずれにせよ、70年代以降のシステムとその関係の歩みを首尾よく実現させていくためにAの米国やEUや、またドイツやフランス、日本は存在しているのであり、決してシステムの歩みを阻害したり妨害するために存在しているのではない。主客の転倒は許されないのだ。

とにかくEUは、70年代以降のシステムとその関係の歩みのために利用できる範囲で使われているのだ。あくまでも主導権はシステムとその関係の歩みにあり、そのためのEUであり、またドイツやフランスなのである。B、C、Aの関係の中でAが強大化したり、システムの歩みにそぐわない形でAグループやAのEUが自己主張することは断じて許されないことなのだ。

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英国のEU離脱(ブレグジット)の動きとG7のイタリアの「一帯一路」への参加支持表明は「システム」とその関係の歩み〈{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)〉から導かれたのだ

2019-03-30 | 社会 政治
英国のEU離脱(ブレグジット)の動きとG7のイタリアの「一帯一路」への参加支持表明は「システム」とその関係の歩み〈{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)〉から導かれたのだ

1970年代以降のシステムとその関係の歩み〈{[B]→(×)[C]→×[A]}〉から英国の「ブレグジット」と、G7のイタリアによる中国主導の「一帯一路」への参加支持表明の動きを読み解くとき、そこにはシステムとその関係の歩みを、今後ますます揺るぎのない流れとして定着させたいとする強い「意志」と「力」が働いていることを私たちは確認できるのではあるまいか。

簡単に言えば、先のシステムとその関係の歩みの形成とその維持と発展を滞りなく順調に進めていくために、システムとその関係の歩み〈{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)〉のAグループを、とくにその中での米国やEU諸国を、とりわけドイツやフランスを、システムとその関係の歩みが文字通りうまく展開していくために、そのことの具体的意味はまさにBの先頭に中国が位置して次期覇権国として世界に君臨しながら、システムとその関係の歩みを円滑に指導し監督していくことだが、そのためにもシステムとその関係の歩みは、Aグループがシステムの意に反する形で強大化したり意に反する動きをしないためにも、Aグループ内の動きをけん制しながら、システムの歩みを阻害したり妨害しないように統率することが何よりも重要なことなのだ。

そのAグループ内で、米中覇権連合を推進している米国と、またその米国とかつて米英覇権連合を形成していた英国をを除き、AのEUの巨大化を封じ込める必要があることから、ドイツとフランスの動きを想定内に抑える必要があることから、EUの動きをけん制するために、まずは英国を介してEUの団結に風穴を開けたのだ。それがブレグジットだとすれば、今回の中国とイタリアの共同歩調はその次のEUへの揺さぶりをかける一手として理解できるのではあるまいか。

こうした文脈の下で、ニクソン訪中とその後の米中和解、改革開放、ソ連のアフガニスタン侵攻とソ連の解体と冷戦崩壊、EU発足へと向かう流れを振り返れば、そこに70年代以降のシステムとその関係の歩みを形成し、発展させながら、システムの歩みを盤石なものにしていこうとするある種の意志と力が働いていたことに気が付くのではあるまいか。

その関連から言えば、ベトナム戦争、イラク・イラン戦争、イスラム勢力の台頭、アフガニスタンでのタリバン勢力の伸長とソ連のアフガン侵攻とそれに伴うソ連国力の衰退と解体、中国の改革開放の動きとその後の中国の世界の工場に向かう動き、それを受けての日本の高度経済成長を終焉させるプラザ合意へと向かう流れ、さらに中国製品の受け皿としてのECからEUへとヨーロッパの統一市場の誕生の流れ、中国国内での新疆ウイグル族、チベット族などの少数民族への弾圧を介した中国国民国家化への動き、湾岸戦争そしてその後の米国主導の中東諸国に対する(中国の経済発展のための石油利権獲得のための)戦争への動きが、システムの歩みにおける「段階」ごとにその都度、同時並行的・進行的に展開しながら、まさに{[B]→(×)[C]→×[A]}のセカイを、現実の世界につくり替えていく歩みであったことを改めて今日の時点から確認できるのではあるまいか。

そして今は、先にも示したように、「一帯一路」構想の実現を進める中での、AのEUに対する揺さぶりとして、とくにドイツやフランスの動きを封じ込めるために、イギリスを使ってのブレグジットであり、また先頃のG7のイタリアを利用しての揺さぶりをかけているとみた方がいいだろう。70年代以降のシステムとその関係の歩みを首尾よく実現させていくためにAの米国やEUや、また日本は存在しているのであり、決してシステムの歩みを妨害するために存在しているのではない。

とにかくEUは、70年代以降のシステムとその関係の歩みのために利用できる範囲で使われているのだ。あくまでも主導権はシステムとその関係の歩みにあり、そのためのEUであり、またドイツやフランスなのである。B、C、Aの関係の中でAが強大化したり、システムの歩みにそぐわない形でAグループやAのEUが自己主張することは断じて許されないことなのだ。

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(追加・修正版)中国主導の「一帯一路」構想の実現をシステムとその関係の歩みから読み解くとき

2019-03-29 | 社会 政治

(追加・修正版)中国主導の「一帯一路」構想の実現をシステムとその関係の歩みから読み解くとき

前回の記事に少し追加したい重要な箇所があるので、今回の記事では下記の植草一秀氏の論考を私のシステムとその関係の歩みの中に置き直して読み解く形で、前回記事の追加捕捉をしておきたい。

正直なところ、もう何度も何度もこんな作業はやめにした方がいいと思い続けている。そのせいか前回の記事は丁寧さを欠いてしまった。あまりくどい話は読者もうんざりではないか、と。そんな時に今回この記事に転載した植草氏のブログ記事が目に留まり、やはりこのままでは死ねないと感じた次第なのだ。そこで市の記事を①から⑮に分けて、それらに関する論評を試みた。

私が危惧するのは、今日とくに問題視されている中国主導の「一帯一路」構想の実現を推進する勢力の中に、植草氏が氏の同記事で問題視している〈日本を実効支配し続けてきた米官業既得権勢力〉が組み込まれているとすれば、私は確実にそうだとみているのだが、植草氏の分析視角と分析枠組みではとても語ることのできない「不都合な真実」から私たちの目が閉ざされてしまうのではないかということだ。

私はこれまで何度も述べてきたように、私たちを支配しているのはシステムとその関係の歩みだということである。同時に、そのシステムの自己完結運動の歩みは、絶えず誰かを差別し排除する関係をつくり出してきたが、1970年代までのシステムとその関係の歩みは、70年代以降のそれとは異なるということである。

それを前提としながら植草氏の①のくだりを見るとき、植草氏の立ち位置がはっきりとしない、換言すれば、歴史的制約性を何ら感じることもない自由な空間で私たちがあたかも生きている、生きらえているかのような論となっていることである。すなわち、私たちは{[A]→(×)[B]→×[C]}の世界の中で生きることを迫られてきたということである。1970年代までは、そうしたシステムとその関係の歩みを担い支えてきたのだ。またその後の2,30年間は{[B]→(×)[C]→×[A]}のセカイが形成される中においても、なお70年代以前の歩みは色濃くその名残を示していた。

①の「日本の主権者は国民である」とのくだりは、{[A]→(×)[B]→×[C]}のセカイの中で、別言すればそうした歴史的制約性の中で、初めて実現可能となる「日本」と「日本人」であり、また「国民」となるということを銘記しておかねばならない。幕末以降の日本の歴史を振り返るとき、明治維新で「日本」と「日本人」が誕生したが、なおその日本国家と日本国民は、明治初頭の時期には、システムとその関係の歩みにおいて、Cグループの中位から上位、あるいはよく言って、Bグループの下位から中位をさまよう存在だったのである。

そうした関係の中で、戦前の日本はAグループへの仲間入りを目指し、そのためにⅠ期、Ⅱ期へとシステム歩みの高度化を目指したのだが、Ⅰ期の後期からⅡ期の前期にうまく上昇する前に、大戦とその敗戦によりその歩みは頓挫してしまう。先のシステムとその関係の歩みにおいて、日本と日本人は米国主導のGHQの占領下に置かれ、Cグループの一角を占めるのである。②はこうした関連から見直されるべきではあるまいか。

このシステムとその関係の歩みを前提としながら、明治以降の日本の民主化は推進されていく。それゆえ、覇権システムの中で民主主義や民主化が実現されていくことの問題をいつも念頭に入れておかねばならない。「平和な民主主義」社会の実現のためには、この覇権システムとそれを前提として提供される世界資本主義関係システムと世界民主主義関係システムの中で、つまりはそうした歴史的制約性の中で、「日本」と「日本人」は、私たち「国民」は、もちろん国民を「市民」と言い換えても同じことだが、「勝ち続けなきゃならない」のであるから、自由な平和な民主主義ということ自体が眉唾物であり、どうにもならない代物だということであった。こうした点を押さえておかなければ、私たちの国際政治や国際関係の話は所詮、幼稚な類でしかなくなるだろう。③④⑤のくだりはこうした話と結び付けて考えるべきではあるまいか。

日本の戦後の民主化は1947年までは「正常な」コースであったのが、47年以降は「逆」コースとなる云々の話に終始してしまうことにより、その結果、システムとその関係の歩みの抱える問題が全く見えてこないということとなるのだ。45年から47年までの「逆」ではない日本の民主化が隣の韓国や北朝鮮と、あるいは東南アジアやその他の旧植民地や独立できない諸国や諸地域とどのような関係にあったかをまったく視野の内に含むことのできない民主主義や民主化論となってしまうのは、ごくごく当然の成り行きではあるまいか。⑤⑥⑦⑧⑨も、こうした話の流れの中で再考してほしい箇所である。

⑩から⑮までのくだりを読みながら、すぐに思うことは、70年代以前のシステムとその関係の歩みと70年代以降のそれとの連続性と明確な違いを踏まえておかなければならないという点である。すなわち、日米関係は、70年代以前と米国の「属国」、「従属国」化に甘んじざるを得ないという観点からは,その連続性、共通性を保持しながらも、70年代以降においては、そこに新たに台頭してくる中国という要素を抜きには語れなくなるのではあるまいか。すなわち、米中覇権連合の形成と発展の下に、70年代以降の{[B]→(×)[C]→×[A]}のセカイで描かれるシステムとその関係の歩みの中に、「日本」と「日本人」は組み込まれていくのである。それゆえ、70年代以降においては、「主権」を有する日本国民は、米国の支配の下に置かれるだけではなく、やがては中国の支配の下にも置かれていくのである。

その意味では、「一帯一路」構想の実現は、まさに「日本」と「日本人」が次期覇権国として世界に君臨する中国と、その背後で中国との覇権連合を推進してきた現覇権国である米国との支配ー従属関係に組み込まれていくことを意味しているのだ。そして、私たちはそうした支配関係から逃れることはほとんど不可能というか、できないのである。というのも、私たちは、{[B](の共同体としての「主権・国民」国家)→(×[C](の共同体としての「主権・国民」国家)→×[A](の共同体としての「主権」国家)}の覇権システムを前提としながら、{[B]の経済発展(衣食足りて)→(×)[C]の経済発展(衣食足りて・足りず)→×[C]の経済発展(衣食足りず)}の世界資本主義システム関係が提供する「衣・食・住」の日用品を生活必需品として購入し続けるからに他ならないからである。そうした世界資本主義システム関係を、{[B]の民主主義の発展(礼節を知る)→(×)[C]の民主主義の発展(礼節を知る・知らず)→×[A]の民主主義の発展(礼節を知らず)}の世界民主主義システム関係が合法化、正当化しながら維持、発展させているのである。

付言すれば、このシステムとその関係の歩みにおける差別と排除の関係は、1945年以前においても、また45年から47年の「逆」ではない時期においても(つまり「日本の敗戦当初、GHQを主導したのはGS=民政局である。ホイットニー、ケーディス、マッカートに代表されるGSが占領政策を主導した。この過程で、財閥解体、農地解放、労働組合育成などの戦後民主化措置が一気に実行された。」としても)、47年以降の「逆コース」においても(つまり「米国の対日占領政策が大転換したのだ。GHQの主導権がGSからGⅡ=参謀二部に移行した。GⅡを仕切ったのがウィロビー少将、ポール・ラッシュ中佐のラインである。」としても)、またF・ルーズベルト大統領の米国でも、またトルーマン大統領下の政権期でも、ひとしく例外なく存在していたのだ、ということを確認しておきたい。ただし、1970年代以前のシステムとその関係の歩みは、{[A]→(×)[B]→×[C]}(省略形、共時態モデル)であったことを忘れてはならないが。 

前回の記事でB、CがⅠ期、Ⅱ期、Ⅲ期へとシステムとその関係の歩みを「高度化」させる一方で、AはⅠ’期、Ⅱ’期、そしてⅢ’期へとその「低度化」の様相をますます深めていくと述べたが、2040、50年代のB、C、Aの関係において、これまで先進国グループに位置していた諸国は経済格差においても、人権の格差においても今以上に。相当に深刻な状況を迎えるのは必至であろう。それをできる限り軽減していくためにも、是非とも私がこれまで述べてきた話を、とくにシステムとその関係の歩みに関する話に耳を傾けてほしいのだ。

それでは、このシステムの担い手は誰なのか。もとより、そこには巨大資本の保有者や世界の財閥関係者が含まれているが、もちろん植草氏の言う米官業既得権益勢力関係者も含まれているが、私たち主権者である国民や「世界市民」と公言する人たちも、彼らに勝るとも劣らない推進者であり、まぎれもない今日のシステムとその関係の歩みの担い手なのである。

やれ「竹中だ」、「小泉だ」、「新自由主義だ」、「郵政民営化だ」、「米官業既得権勢力だ」、「民主主義が破壊されている、民主主義を取り戻せ」云々の話で決して済まされるような次元の問題ではないのだ。私はこれまでの拙著や拙論でも一貫してそう論じてきた。もっとも、そうは言っても、私の論よりは、はるかに植草氏の論の方が読者には受け入れやすいのもまた間違いないことだろう。それは仕方がないとしても、私はこれからも書いていきたいと思うのだ。

追伸、S君ありがとうございました。

(以下に、植草氏のブログ記事を張り付けておく。なお、記事にある①から⑮の番号は、私が勝手に付けたものであることを断っておきたい。)


植草一秀の『知られざる真実』

マスコミの伝えない政治・社会・株式の真実・真相・深層を植草一秀が斬る

〈2019年3月27日 (水)〉
日本を実効支配し続けてきた米官業既得権勢力

①日本の既得権者とは誰か。 憲法は日本の主権者は国民であり、国権の最高機関である国会には国民の代表者が送られることを定めている。 国民の代表者が集う国会での多数勢力が内閣を組織し、行政を担う。 本来は、主権者国民のための政治が実現するはずである。 ②ところが、現実には、これが実現していない。 特定の勢力が政治を支配し、特定の勢力の利益だけが追求されている。 この構造を打破しなければならない。③1945年に日本は敗戦した。 敗戦後の日本を支配したのはGHQで、その実態は米国だった。 米国による日本支配が実行され、形式上は1952年に日本は独立を回復した。 しかしながら、米国は日本支配を継続した。 その延長線上に現在の日本がある。 ④1945年から1947年にかけて、日本は急激に民主化された。GHQ主導でドラスティックな民主化が実現した。この過程で日本国憲法が制定された。
日本国憲法は日本民主化の過程で生み出された最大の財産=遺産である。
⑤留意しなければならないことは、GHQの対日占領政策が1947年に劇的な転換を示したことだ。
日本の敗戦当初、GHQを主導したのはGS=民政局である。
ホイットニー、ケーディス、マッカートに代表されるGSが占領政策を主導した。
この過程で、財閥解体、農地解放、労働組合育成などの戦後民主化措置が一気に実行された。
⑥この民主化過程がなければ、日本に民主主義が埋め込まれることはなかっただろう。
NHKの改革も構想された。
NHK改革が実現していれば、日本の政治刷新ははるかに容易になっただろう。
しかし、NHK改革は具体化した段階で破壊された。
⑦戦後日本の屈折点は1947年である。
米国の対日占領政策が大転換したのだ。
GHQの主導権がGSからGⅡ=参謀二部に移行した。
GⅡを仕切ったのがウィロビー少将、ポール・ラッシュ中佐のラインである。
⑧米国ではルーズベルト大統領が死去し、トルーマン大統領が後継大統領に就任していた。
トルーマン大統領は米国の外交方針を「ソ連封じ込め」に転換した。
1947年3月12日にトルーマン大統領は、議会への特別教書演説で共産主義に抵抗する政府の支援を宣言した。
⑨対日占領政策の基本路線が「民主化」から「非民主化=反共化」に大転換したのである。
⑩この転換に取り残されたのが日本国憲法だった。
日本国憲法制定を主導したのはGSだったが、日本国憲法が施行された時点でGHQの実権はすでにGⅡに移行していたからである。
⑪現時点において、対米従属勢力が日本国憲法改定を唱え、対米自立派が日本国憲法を守ろうとするのは、このためである。
これは矛盾でなく、日本国憲法の制定過程によって生じた「ねじれ」である。
⑫1947年以降、日本民主化は中止され、非民主化=反共化の嵐が吹き荒れた。
米国で1950年から54年にかけてマッカーシズム旋風が吹き荒れるのに呼応して、日本ではレッドパージの嵐が吹き荒れた。
⑬日本は「逆コース」に転じてしまった。
その流れが現在まで残存している。
⑭「逆コース」後の日本で実権を握ったのが、米国を頂点とする利権複合体である。
官僚機構、大資本、電波産業、そして利権政治勢力が手を結び、日本を実効支配し続けてきた。
⑮この権力構造の打破が求められている。
米国による支配、官僚機構による支配、大資本による支配。
この基本構造を打破することが「日本政治刷新」の意味だ。


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中国主導の「一帯一路」構想の実現をシステムとその関係の歩みから読み解くとき

2019-03-26 | 社会 政治
中国主導の「一帯一路」構想の実現をシステムとその関係の歩みから読み解くとき

先ごろのマスコミ報道によれば、中国とG7の一角を占めるイタリアが「一帯一路」構想の実現に向けて共同声明を出した云々の話である。イタリアが中国を支持したことから、EU諸国や米国そして日本にも何らかの動揺が見られる云々のことだ。そうした報道をシステムとその関係の歩みの中で捉え直してみるとき、以下のように考えることができるのではあるまいか。(既に拙論で述べたことだが、ここでごく簡単に言及しておく。)

すなわち、中国が主導してきた「一帯一路」路線の背後に、1970年代以降のシステムとその関係の歩みが、すなわち{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)で描かれるセカイが見事に浮き彫りとなっていることが理解されるのではなかろうか。換言すれば、70年代以降のシステムとその関係の歩みが中国の「一帯一路」構想を創造し、その実現を図ってきたということである。その際、注意すべきは「一帯一路」構想はユーラシア大陸を基にした陸の道と海の道の21世紀のシルクロード抗争として語られているが、B、C、Aのセカイがその背後にあることから、Cのアフリカ大陸やAのアメリカ大陸も、それゆえアフリカ諸国や南北アメリカ諸国もそこに含まれていることを銘記しておくことである。

その歩みの起点となったのは1970年代初頭の「ニクソン・ショック」と「ニクソン訪中」である。ここに米中覇権連合が形成されると共に、先のモデルで示したセカイを70年代から今日にかけての現実の世界とすべく、米中覇権連合の下で様々な政治・経済・外交路線が選択されていくのである。「一帯一路」構想の実現はそうした路線の一つを構成しているのである。

その関連で言えば、もはや「日本」と「日本人」がとやかくそれに口をはさむことはできないのが現実なのだ。安倍首相が反対はしないがけん制する云々などの物言いは笑止千万の戯言である。こんな話をまともにするのもおかしなことだが、マスコミの報道はいつも頓珍漢なことばかりだ。

今後の世界の歩みは先のシステムとその関係の歩みが示すように展開していくだろうが、それは同時に、B、CグループではⅠ期、Ⅱ期、Ⅲ期へとその高度化の歩みが、またAグループにおいてはⅠ’期、Ⅱ’期、Ⅲ’期へとその低度化の歩みが相互補完的な関係を構成するように進んでいくだろう。

付言すれば、経済格差の問題や安倍のミックスの評価に関する議論は、こうしたシステムとその関係の歩みを前提としない限りは何も語れないということなのだ。私からすれば、そうした意味のない話ばかりが横行していて、これまたなんとも悲しいばかりである。


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「在沖米軍基地」の中に、あるいはその背後に「覇権システム」の存在をどれだけ感じられるか、想像できるか、それが肝心な問題である。(続)

2019-03-19 | 社会 政治
「在沖米軍基地」の中に、あるいはその背後に「覇権システム」の存在をどれだけ感じられるか、想像できるか、それが肝心な問題である。(続)

さすがに疲れてしまった。むなしいことばかりを書き続けている。ただ少し目を休めたので、今日また前回の続きを書いてみた。やはりむなしさばかりが募るのだが、とにかく書いてみた。読者には申し訳ないが、お付き合いお願いしたい。

これまでの議論を踏まえて少しまとめてみると、在沖米軍基地問題を基地肯定派の立場から「理論武装」するならば、それはいわゆる現実主義からの応援歌となるだろう。しかし、それは私たち、失礼、私のような日本を離れられない、海外で自由気ままに生きられない者にとっては、ほとんど助けにならないどころか命をちじめる役に立たない代物なのだ。(付言すれば、システムとその関係の歩みを理解できない理想主義も、また同様に命取りの話とならざるを得ない。)国力とか、国益とか、また国家とか国力とか国益を前提とした勢力均衡の原則、現代的には集団的自衛権の行使に匹敵するが、何も役立たないのだ。1970年代以降のシステムとその関係の歩みの中で、Aに位置した、それも注意からどんどんその地位を加工させている日本にとっては、有害無益なものなのだ。

それゆえ、沖縄米軍基地問題は、手前味噌な議論だということを重々ここで断った上で言うのだが、やはりシステムとその関係の歩みを基にして論じることが必要なのだ、と私は指摘しておきたい。そればかりではない。前々回の藤原の議論も、またそうだ。現実主義と理想主義を前提としてそれを批判的に考察しながらそこから導き出した見解も、同じように役には立たないのだ。そもそも国際政治や国際関係を捉える前提がおかしい、怪しいのだから。例えば、誰がスポンサーなのか。彼らに軍資なり武器を提供しているのは誰なのか。必ずその背後には「対称」的世界の国家が存在している。そもそも「対称」的とか「非対称的云々の見方は果たして妥当なのか。Aの国家、とくにAの覇権国とCの国家はそもそも「非対称」的存在ではないのか。何故それを直視しないままに、対等な存在として並列的に描いてきたのか。覇権システムの背後で誰かが笑ってはいないだろうか。

ところで前回の話の流れを少し整理しておきたい。これまで私が述べてきたことは、問題となるのは、理想主義や現実主義の立場や見方がおかしいとかいいとかの次元の問題ではなく、そもそもそれらの主義に関した議論が、本来ならば当然の如く前提とされなければならないはずのシステムとその関係の歩み(在り方)と結び付けられないままに切り離されて語られてきたということである。従来の国際政治学や国際関係の議論は、理想主義と現実主義を考察する際、それを語る論者自身がシステムとその関係の歩みのどの地点、段階に位置しているかを不問に付したままに論じられてしまい、その結果として、システムとその関係の歩みによって描かれる世界の抱える差別と排除の関係を無批判のままに肯定、正当化するように関わってきたのではあるまいか。例えば、マスコミ報道によるイエメン内戦の政府軍と反政府軍の武力衝突を、その背後に控えたスンニ派のサウジアラビアとその支持勢力としての米国と、シーア派のイランとその支持勢力としてのロシアとの代理戦争として描いているが、これもまた1970年代以降の{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)で示されるシステムとその関係の歩みの中で捉え直さない限り、いつまでたっても先のマスコミ報道の域を出ることはないのではあるまいか。

前回、前々回の記事紹介の中で藤原が指摘した信条であれ、利益であれ、また軍事力とその行使であれ、システムとその関係の歩みとしての歴史を舞台として、前提として創造されてきたのである。信条や利益は、また軍事力は各々単独でつくられ、一人歩きできる要因、要素ではない。それらは私たちの日々の生活の中からつくり出されてきた、生み出されてきたのである。それゆえ、私たちの生活関係が、どのような仕組みを基にしてつくられてきたか、創造されてきたかについて語っておかねばならないだろう。ところが藤原をはじめ、政治学者の多くはこうした作業を経ないままに、やれ理想主義とか現実主義を語ってきたのである。

何も難しい話ではない。たとえば、福沢諭吉のように、世界とその関係を「文明ー半開ー野蛮」のそれとみるのか、I・ウォーラステインのように「中心ー半周辺ー周辺」のそれとみるのか、とにかく、各人が世界がどのような関係から構成されているかに関して、彼らの見解を提示しておかなければならないだろう。この世界構成に関する見方がないままにどうして信条や利益や軍事力云々の話ができるのだろうか。もしそれができるとすれば、それは宇宙人のような存在が語る話となる。藤原の先の議論もその例外ではないのだ。最低限のところ、「先進国(先発国)ー中進国(中発国)ー後進国(後発国)」の関係を前提とした信条、利益、軍事力の行使云々に関する論の展開は必要ではなかろうか。

たとえば、CがⅠ期の段階にあるときに理想主義を語ることは、Cにおいては得策ではないが、逆にAにおいては、そうしたCの選択はAの高度化の歩みには、またシステムの歩みにおける高度化においても、好都合なものとなる。結局のところ、Cの理想主義は、システムとその歩みの関係の中で、頓挫するだろうし、そのためにCはⅠ期の段階の政治(すなわち、{[権威主義的性格の政治→経済発展]}に終始することとなるが、その政治はCにおいては、AとBとの関係の中において高度化を図る上で選択される最善の現実主義的な政治手法となるに違いない。

1970年代以降のシステムとその関係の歩みにおいて、例えばAが理想主義的政策を選択することは、Ⅰ’期、Ⅱ’期そしてⅢ’期とシステムの低度化の歩みを不可避とする中で、国際関係において、ますますAの地位を不利にするのに与るが、逆に、B矢Cにおいてはシステムの高度化を至上命題としていることから、彼らのⅠ期、Ⅱ期、Ⅲ期の段階における政治手法は、まさに現実主義的な政治だとみなされるに違いない。

戦後日本における理想主義を考えると、敗戦以降の日本は米軍主導のGHQの占領下におかれていた。独立もしていない当時の日本で理想主義的態度を持つ日本国民の存在それ自体が本来はありえないこととしても、それを可能にさせたのは、システムとその関係の歩みにおいて主導的地位に位置していた覇権国の米国の存在であったことを忘れてはならない。
圧倒的軍事力を持つ覇権国の米国とその物理的暴力と、占領下に見られた日本の理想主義的態度の情勢の間にはいかなる関係がみられるのだろうか。その際、Aの米国の現実主義と理想主義の関係、Cの日本の現実主義と理想主義の関係、Aの米国の理想主義とCの日本の理想主義の関係、Aの現実主義とCの現実主義の関係、Aの理想主義とCの理想主義、Aの理想主義とCの現実主義との各々の関係における、それぞれの立ち位置とその関係は、システムとその関係の歩みから見るとき、どのように論じることができるのだろうか。
おそらくこうした問題意識の下で、上述した理想市議と現実主義の関係を問うていくならば、これまで何度も指摘してきたように、システムとその関係の歩みを真正面に据えた議論が先ずは何よりも優先されることに気が付くはずだ。

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