№42私の語る「システム」論から、改めて〈「さよなら中国...」中国人学者が言えなかった、外国人が大量出国する「本当の理由」とは?〉(『ニューズウィーク(日本版)』 によるストーリー ? 〉を捉え
2023-06-22 | 日記
№42私の語る「システム」論から、改めて〈「さよなら中国...」中国人学者が言えなかった、外国人が大量出国する「本当の理由」とは?〉(『ニューズウィーク(日本版)』 によるストーリー ? 〉を捉え直すとき
(最初に一言)の前に一言
今回記事も、これまでの拙著や拙論で論及してきた内容の「焼き直し」に過ぎないのだが、それでも私には昔を懐かしむひと時となるので、今回記事をまとめる作業も大切にしたいと考えている。
(最初に一言)
今回紹介する記事における最大の強調点は、「中国で先進国出身の外国人居住者が急減している──」「最大の理由は暗い先行きだ。現政権の下、中国の基本的人権状況は後退を続けている」云々に尽きるようだ。私はこれに対して、それでは今の中国と同じように覇権国(超大国)としての道を歩むことになった英国や米国の過去はどのような状況・状態にあったのか、この点に関して興味を抱かざるを得ないのだ。
早速こうした観点から、今の「システム」の段階における中国との比較論的考察を視野に含めた米国や英国の歴史を振り返って考えてみたい。おそらくそうした作業によって、これからの中国の「先行き」を、少しは見通すことができるのではないか、と私はみているのである。
すぐ上に引用貼り付けた中国に対する〈暗い先行きだ。現政権の下、中国の基本的人権状況は後退を続けている〉と、この記事の著者は指摘するのだが、そこには著者本人が歴史の歩みを見通せないという問題が密接に与っているように、私には思えて仕方がない。換言すれば、今の中国を覇権国へと導く歴史の大きな流れから位置付け直すことのできる視点というか視角を、もし論者がまったく持ち合わせていないとすれば、それはそれで私たちがその担い手であると同時に、当事者である歴史の宿痾を直視できないことを意味している。事実、この論者もその例外ではない、と私は言わざるを得ないのだ。
ここで私が言いたいのは、中国が覇権国となるか、ならないかという話ではない。中国がいま歩んでいる歴史は、そうした覇権国へと向かう道を、そのうちに含んでいるのではないか、その可能性をまったく否定するのは難しいのではあるまいか、ということだ。こうした視点なり視角を持つ限り、私たちは過去の覇権国となった諸国の歴史を、どうしても見ておく必要に迫られるに違いない、。
現時点から最も近いのは米国であり、その次は英国となる。米国が覇権国として台頭したのは、第二次世界大戦直後の1940・50年代である。それ以降の20年近くの間が米国の絶頂期であった、と私はみている。いわゆるこの期間に、米国社会は分厚い中間層の形成と、それによって支えられた堅固な国民国家の実現を見た。勿論、そうした国家に加えて覇権国家の実現も同時に見ることになる。
こうした歴史を辿る米国は、覇権国となる以前の時期において、たとえば19世紀末から20世紀の初頭にかけて、また1920年代から40年代前半にかけて、いわゆる市民革命の歴史から想像されるのとはほど遠い、国内および国外における基本的人権の弾圧や抑圧の面で、とても褒められた過去の歴史ではない。国内に限ってみても、労働者や退役軍人の抗議活動を、警察官や軍人を動員しながら、徹底的に取り締まったのである。この時期の歴史を調べれば調べるほど、今の中国の歩みと、「そっくり」なことがわかるに違いない。それは、対外的活動に関しても、推して知るべしというか、植民地や従属地、弱小国に対する収奪や侵攻の事例は枚挙に暇がない。
こうした観点から、英国の歴史を振り返るとき、英国は1840・50年代にかけて覇権国として台頭した。この英国も、覇権国となってから約20年の間は、まさに絶頂期を迎えるのだが、この間の社会の特徴は、いわゆるホワイトカラー層の中間層の出現であった。今日との単純な比較は許されないものの、それでもこうした中間層の登場は、英国が覇権国として君臨したある時期の特徴を示している、と私はみている。すなわち、この時期の英国は、いわゆる産業革命以降の工業化社会の恩恵を、すなわち差別と排除の関係を前提としてつくり出される「豊かさ」を、やっと享受できたと言えるだろう。
勿論その恩恵を支えたのは、国内経済活動だけではない。英国もまた、いわゆる世界の工場として、その経済活動をグローバルに展開していくのだが、その際、「貿易は国旗に従う」をまさに地でいくような形で、世界各地を侵略しながら、多くの植民地従属地を獲得していったのだ。1760・70年代を皮切りとした「産業革命」の前後の時期においても、こうした英国による、軍事力を介した「親分ー子分」関係の形成と発展の歩みは、継続されている。
この間の英国社会は、それでは豊かであったのかと問い直すとき、すなわち国民にその豊かさが分配されているかを問うとき、決してそうではなかったことがわかる。英国も、米国と同様に、覇権国として台頭するまでの間は、多くの国民は豊かさの恩恵から遠ざけられたままであり、劣悪な生活環境の下、貧困に苦しんでいたのだ。たとえば、それはエンゲルスの著作『イギリスにおける労働者階級の状態』の中にも、それは垣間見られる話である。
日々の生活に呻吟し続ける労働者や彼らの雇い主である中流層やその家族は、19世紀初頭の英国政治の寡頭支配に対して、彼らの生活改善や政治参加を求めて、何度も抗議活動を展開したのだが、ここでも少し前の中国の香港デモに対する対応と「そっくり」に、上からの容赦ない弾圧でもって鎮圧されたのだ。
こうした英国は、インドや中国に対する侵略戦争を繰り返す中で、それら地域の富を収奪しながら、英国の国民国家建設に邁進すると同時に、覇権国として台頭することができたのだが、こうした歴史を、その後の米国も「継承」したことがわかる。そして、今や、中国がその途上に向かっている、と私はみている。
ところで、今回記事で指摘されていた、中国の先行きが見えない、基本的人権状況の後退が続いている云々の話だが、もし読者が、かつての英国や米国の過去の歴史を、少しでも振り返るならば、たとえば1820年代の英国において、また1920年代の米国において、おそらく、今回記事の著者と同じように、先行きが見えない、人権状況の交替が続いている云々と、強調したであろう。
(最後に一言)
正直なところ、こんな類の記事ばかりで、私は面白くはないのだが、それでも読者には伝え直した方がいいと考えて、今回記事をまとめた次第。生きるために、生活のために、かきたくない記事を書き、嘘を平気で話している現在の学者とかジャーナリストを見るたびに、そこまでする必要がどこにあるのか、と思うのだが、これも人間関係のなせる業なのか、いずれにしても本当に惜しいとしか言いようがない。
あれほどまでにウクライナ侵攻を巡る報道が続いているにもかかわらず、その「真相」は見えてこない。むしろ、真相を隠すために、次から次のウソを垂れ流しているとしか思えない。その嘘の中には、事実も含まれてはいるが、それもウソ話のための飾りでしかない。
(最初に一言)の前に一言
今回記事も、これまでの拙著や拙論で論及してきた内容の「焼き直し」に過ぎないのだが、それでも私には昔を懐かしむひと時となるので、今回記事をまとめる作業も大切にしたいと考えている。
(最初に一言)
今回紹介する記事における最大の強調点は、「中国で先進国出身の外国人居住者が急減している──」「最大の理由は暗い先行きだ。現政権の下、中国の基本的人権状況は後退を続けている」云々に尽きるようだ。私はこれに対して、それでは今の中国と同じように覇権国(超大国)としての道を歩むことになった英国や米国の過去はどのような状況・状態にあったのか、この点に関して興味を抱かざるを得ないのだ。
早速こうした観点から、今の「システム」の段階における中国との比較論的考察を視野に含めた米国や英国の歴史を振り返って考えてみたい。おそらくそうした作業によって、これからの中国の「先行き」を、少しは見通すことができるのではないか、と私はみているのである。
すぐ上に引用貼り付けた中国に対する〈暗い先行きだ。現政権の下、中国の基本的人権状況は後退を続けている〉と、この記事の著者は指摘するのだが、そこには著者本人が歴史の歩みを見通せないという問題が密接に与っているように、私には思えて仕方がない。換言すれば、今の中国を覇権国へと導く歴史の大きな流れから位置付け直すことのできる視点というか視角を、もし論者がまったく持ち合わせていないとすれば、それはそれで私たちがその担い手であると同時に、当事者である歴史の宿痾を直視できないことを意味している。事実、この論者もその例外ではない、と私は言わざるを得ないのだ。
ここで私が言いたいのは、中国が覇権国となるか、ならないかという話ではない。中国がいま歩んでいる歴史は、そうした覇権国へと向かう道を、そのうちに含んでいるのではないか、その可能性をまったく否定するのは難しいのではあるまいか、ということだ。こうした視点なり視角を持つ限り、私たちは過去の覇権国となった諸国の歴史を、どうしても見ておく必要に迫られるに違いない、。
現時点から最も近いのは米国であり、その次は英国となる。米国が覇権国として台頭したのは、第二次世界大戦直後の1940・50年代である。それ以降の20年近くの間が米国の絶頂期であった、と私はみている。いわゆるこの期間に、米国社会は分厚い中間層の形成と、それによって支えられた堅固な国民国家の実現を見た。勿論、そうした国家に加えて覇権国家の実現も同時に見ることになる。
こうした歴史を辿る米国は、覇権国となる以前の時期において、たとえば19世紀末から20世紀の初頭にかけて、また1920年代から40年代前半にかけて、いわゆる市民革命の歴史から想像されるのとはほど遠い、国内および国外における基本的人権の弾圧や抑圧の面で、とても褒められた過去の歴史ではない。国内に限ってみても、労働者や退役軍人の抗議活動を、警察官や軍人を動員しながら、徹底的に取り締まったのである。この時期の歴史を調べれば調べるほど、今の中国の歩みと、「そっくり」なことがわかるに違いない。それは、対外的活動に関しても、推して知るべしというか、植民地や従属地、弱小国に対する収奪や侵攻の事例は枚挙に暇がない。
こうした観点から、英国の歴史を振り返るとき、英国は1840・50年代にかけて覇権国として台頭した。この英国も、覇権国となってから約20年の間は、まさに絶頂期を迎えるのだが、この間の社会の特徴は、いわゆるホワイトカラー層の中間層の出現であった。今日との単純な比較は許されないものの、それでもこうした中間層の登場は、英国が覇権国として君臨したある時期の特徴を示している、と私はみている。すなわち、この時期の英国は、いわゆる産業革命以降の工業化社会の恩恵を、すなわち差別と排除の関係を前提としてつくり出される「豊かさ」を、やっと享受できたと言えるだろう。
勿論その恩恵を支えたのは、国内経済活動だけではない。英国もまた、いわゆる世界の工場として、その経済活動をグローバルに展開していくのだが、その際、「貿易は国旗に従う」をまさに地でいくような形で、世界各地を侵略しながら、多くの植民地従属地を獲得していったのだ。1760・70年代を皮切りとした「産業革命」の前後の時期においても、こうした英国による、軍事力を介した「親分ー子分」関係の形成と発展の歩みは、継続されている。
この間の英国社会は、それでは豊かであったのかと問い直すとき、すなわち国民にその豊かさが分配されているかを問うとき、決してそうではなかったことがわかる。英国も、米国と同様に、覇権国として台頭するまでの間は、多くの国民は豊かさの恩恵から遠ざけられたままであり、劣悪な生活環境の下、貧困に苦しんでいたのだ。たとえば、それはエンゲルスの著作『イギリスにおける労働者階級の状態』の中にも、それは垣間見られる話である。
日々の生活に呻吟し続ける労働者や彼らの雇い主である中流層やその家族は、19世紀初頭の英国政治の寡頭支配に対して、彼らの生活改善や政治参加を求めて、何度も抗議活動を展開したのだが、ここでも少し前の中国の香港デモに対する対応と「そっくり」に、上からの容赦ない弾圧でもって鎮圧されたのだ。
こうした英国は、インドや中国に対する侵略戦争を繰り返す中で、それら地域の富を収奪しながら、英国の国民国家建設に邁進すると同時に、覇権国として台頭することができたのだが、こうした歴史を、その後の米国も「継承」したことがわかる。そして、今や、中国がその途上に向かっている、と私はみている。
ところで、今回記事で指摘されていた、中国の先行きが見えない、基本的人権状況の後退が続いている云々の話だが、もし読者が、かつての英国や米国の過去の歴史を、少しでも振り返るならば、たとえば1820年代の英国において、また1920年代の米国において、おそらく、今回記事の著者と同じように、先行きが見えない、人権状況の交替が続いている云々と、強調したであろう。
(最後に一言)
正直なところ、こんな類の記事ばかりで、私は面白くはないのだが、それでも読者には伝え直した方がいいと考えて、今回記事をまとめた次第。生きるために、生活のために、かきたくない記事を書き、嘘を平気で話している現在の学者とかジャーナリストを見るたびに、そこまでする必要がどこにあるのか、と思うのだが、これも人間関係のなせる業なのか、いずれにしても本当に惜しいとしか言いようがない。
あれほどまでにウクライナ侵攻を巡る報道が続いているにもかかわらず、その「真相」は見えてこない。むしろ、真相を隠すために、次から次のウソを垂れ流しているとしか思えない。その嘘の中には、事実も含まれてはいるが、それもウソ話のための飾りでしかない。
私たちは四六時中、こんな茶番なやり取りに付き合わされているのだとすれば、藪の中の真相はいつしか忘れ去られてしまい、その挙句に、まったく異なる真相がつくり出されるとしても、、もはや誰もそんな「操作」にさえ、興味も関心も抱かなくなるとすれば、そして今また、そんな歴史が繰り返されているのだが、もう不感症の域に、私たちはいるのかもしれない。
何度もこれまで論述してきたように、基本的人権と、その実現の歴史である普遍主義を巡る民主主義や専制主義に関する「歴史叙述の神話」を打破するのは、とてもではないが、私の生きている間には、無理だということだ。、勿論、それがどうしたということだが。
以下に、今回のブログで紹介した『ニューズウィーク(日本版)』誌の記事全文を引用貼り付けておきたい。
―ーー(引用貼り付け、始め)
「さよなら中国...」中国人学者が言えなかった、外国人が大量出国する「本当の理由」とは?
ニューズウィーク日本版 によるストーリー ? 28 分前
「さよなら中国...」中国人学者が言えなかった、外国人が大量出国する「本当の理由」とは?
c ニューズウィーク日本版
金融ハブの香港からも外国人は流出している PAUL YEUNGーBLOOMBERG/GETTY IMAGES
<2010~20年に中国におけるフランス人在住者は40%減、アメリカ人は23%減った。滞在に関する「煩雑な手続き」を中国の学者は理由に挙げるが......>
中国で先進国出身の外国人居住者が急減している──
先日、中国の著名な金融学者で言論人の王文(ワン・ウェン)が講演で、そんな興味深い指摘を行った。2010~20年にフランス人在住者は40%減。アメリカ人は23%減ったという。
王によれば、中国の総人口に外国人住民が占める割合は0.05%未満(韓国は約4%で、日本は約2%)。煩雑な手続きや外国人嫌悪が減少の原因だと語った。
王が口にできないもう1つの理由は、国家による締め付けだ。中国では、旅行者をはじめとする外国人が、配車アプリやチャットアプリにアクセスしにくくなる一方。
当局の管理体制が強化され、今では友人宅に1泊するだけでも、警察への届け出を怠ってはならない。ネット検閲もこれまで以上に浸透している。
だが03~18年まで中国で暮らした筆者の考えでは、減少の最大の理由は暗い先行きだ。現政権の下、中国の基本的人権状況は後退を続けている。
From Foreign Policy Magazine
【動画:4分53秒頃より】CNN記者を監視する中国当局者
See moment that shocked CNN reporter during interview deep in rural China/CNN
ジェームズ・パーマー(フォーリン・ポリシー誌副編集長)
―ーー(引用貼り付け、終わり)
何度もこれまで論述してきたように、基本的人権と、その実現の歴史である普遍主義を巡る民主主義や専制主義に関する「歴史叙述の神話」を打破するのは、とてもではないが、私の生きている間には、無理だということだ。、勿論、それがどうしたということだが。
以下に、今回のブログで紹介した『ニューズウィーク(日本版)』誌の記事全文を引用貼り付けておきたい。
―ーー(引用貼り付け、始め)
「さよなら中国...」中国人学者が言えなかった、外国人が大量出国する「本当の理由」とは?
ニューズウィーク日本版 によるストーリー ? 28 分前
「さよなら中国...」中国人学者が言えなかった、外国人が大量出国する「本当の理由」とは?
c ニューズウィーク日本版
金融ハブの香港からも外国人は流出している PAUL YEUNGーBLOOMBERG/GETTY IMAGES
<2010~20年に中国におけるフランス人在住者は40%減、アメリカ人は23%減った。滞在に関する「煩雑な手続き」を中国の学者は理由に挙げるが......>
中国で先進国出身の外国人居住者が急減している──
先日、中国の著名な金融学者で言論人の王文(ワン・ウェン)が講演で、そんな興味深い指摘を行った。2010~20年にフランス人在住者は40%減。アメリカ人は23%減ったという。
王によれば、中国の総人口に外国人住民が占める割合は0.05%未満(韓国は約4%で、日本は約2%)。煩雑な手続きや外国人嫌悪が減少の原因だと語った。
王が口にできないもう1つの理由は、国家による締め付けだ。中国では、旅行者をはじめとする外国人が、配車アプリやチャットアプリにアクセスしにくくなる一方。
当局の管理体制が強化され、今では友人宅に1泊するだけでも、警察への届け出を怠ってはならない。ネット検閲もこれまで以上に浸透している。
だが03~18年まで中国で暮らした筆者の考えでは、減少の最大の理由は暗い先行きだ。現政権の下、中国の基本的人権状況は後退を続けている。
From Foreign Policy Magazine
【動画:4分53秒頃より】CNN記者を監視する中国当局者
See moment that shocked CNN reporter during interview deep in rural China/CNN
ジェームズ・パーマー(フォーリン・ポリシー誌副編集長)
―ーー(引用貼り付け、終わり)