日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

№42私の語る「システム」論から、改めて〈「さよなら中国...」中国人学者が言えなかった、外国人が大量出国する「本当の理由」とは?〉(『ニューズウィーク(日本版)』 によるストーリー ? 〉を捉え

2023-06-22 | 日記
№42私の語る「システム」論から、改めて〈「さよなら中国...」中国人学者が言えなかった、外国人が大量出国する「本当の理由」とは?〉(『ニューズウィーク(日本版)』 によるストーリー ? 〉を捉え直すとき




(最初に一言)の前に一言


 今回記事も、これまでの拙著や拙論で論及してきた内容の「焼き直し」に過ぎないのだが、それでも私には昔を懐かしむひと時となるので、今回記事をまとめる作業も大切にしたいと考えている。




(最初に一言)


 今回紹介する記事における最大の強調点は、「中国で先進国出身の外国人居住者が急減している──」「最大の理由は暗い先行きだ。現政権の下、中国の基本的人権状況は後退を続けている」云々に尽きるようだ。私はこれに対して、それでは今の中国と同じように覇権国(超大国)としての道を歩むことになった英国や米国の過去はどのような状況・状態にあったのか、この点に関して興味を抱かざるを得ないのだ。




 早速こうした観点から、今の「システム」の段階における中国との比較論的考察を視野に含めた米国や英国の歴史を振り返って考えてみたい。おそらくそうした作業によって、これからの中国の「先行き」を、少しは見通すことができるのではないか、と私はみているのである。


 すぐ上に引用貼り付けた中国に対する〈暗い先行きだ。現政権の下、中国の基本的人権状況は後退を続けている〉と、この記事の著者は指摘するのだが、そこには著者本人が歴史の歩みを見通せないという問題が密接に与っているように、私には思えて仕方がない。換言すれば、今の中国を覇権国へと導く歴史の大きな流れから位置付け直すことのできる視点というか視角を、もし論者がまったく持ち合わせていないとすれば、それはそれで私たちがその担い手であると同時に、当事者である歴史の宿痾を直視できないことを意味している。事実、この論者もその例外ではない、と私は言わざるを得ないのだ。


 ここで私が言いたいのは、中国が覇権国となるか、ならないかという話ではない。中国がいま歩んでいる歴史は、そうした覇権国へと向かう道を、そのうちに含んでいるのではないか、その可能性をまったく否定するのは難しいのではあるまいか、ということだ。こうした視点なり視角を持つ限り、私たちは過去の覇権国となった諸国の歴史を、どうしても見ておく必要に迫られるに違いない、。


 現時点から最も近いのは米国であり、その次は英国となる。米国が覇権国として台頭したのは、第二次世界大戦直後の1940・50年代である。それ以降の20年近くの間が米国の絶頂期であった、と私はみている。いわゆるこの期間に、米国社会は分厚い中間層の形成と、それによって支えられた堅固な国民国家の実現を見た。勿論、そうした国家に加えて覇権国家の実現も同時に見ることになる。


 こうした歴史を辿る米国は、覇権国となる以前の時期において、たとえば19世紀末から20世紀の初頭にかけて、また1920年代から40年代前半にかけて、いわゆる市民革命の歴史から想像されるのとはほど遠い、国内および国外における基本的人権の弾圧や抑圧の面で、とても褒められた過去の歴史ではない。国内に限ってみても、労働者や退役軍人の抗議活動を、警察官や軍人を動員しながら、徹底的に取り締まったのである。この時期の歴史を調べれば調べるほど、今の中国の歩みと、「そっくり」なことがわかるに違いない。それは、対外的活動に関しても、推して知るべしというか、植民地や従属地、弱小国に対する収奪や侵攻の事例は枚挙に暇がない。


 こうした観点から、英国の歴史を振り返るとき、英国は1840・50年代にかけて覇権国として台頭した。この英国も、覇権国となってから約20年の間は、まさに絶頂期を迎えるのだが、この間の社会の特徴は、いわゆるホワイトカラー層の中間層の出現であった。今日との単純な比較は許されないものの、それでもこうした中間層の登場は、英国が覇権国として君臨したある時期の特徴を示している、と私はみている。すなわち、この時期の英国は、いわゆる産業革命以降の工業化社会の恩恵を、すなわち差別と排除の関係を前提としてつくり出される「豊かさ」を、やっと享受できたと言えるだろう。


 勿論その恩恵を支えたのは、国内経済活動だけではない。英国もまた、いわゆる世界の工場として、その経済活動をグローバルに展開していくのだが、その際、「貿易は国旗に従う」をまさに地でいくような形で、世界各地を侵略しながら、多くの植民地従属地を獲得していったのだ。1760・70年代を皮切りとした「産業革命」の前後の時期においても、こうした英国による、軍事力を介した「親分ー子分」関係の形成と発展の歩みは、継続されている。


 この間の英国社会は、それでは豊かであったのかと問い直すとき、すなわち国民にその豊かさが分配されているかを問うとき、決してそうではなかったことがわかる。英国も、米国と同様に、覇権国として台頭するまでの間は、多くの国民は豊かさの恩恵から遠ざけられたままであり、劣悪な生活環境の下、貧困に苦しんでいたのだ。たとえば、それはエンゲルスの著作『イギリスにおける労働者階級の状態』の中にも、それは垣間見られる話である。


 日々の生活に呻吟し続ける労働者や彼らの雇い主である中流層やその家族は、19世紀初頭の英国政治の寡頭支配に対して、彼らの生活改善や政治参加を求めて、何度も抗議活動を展開したのだが、ここでも少し前の中国の香港デモに対する対応と「そっくり」に、上からの容赦ない弾圧でもって鎮圧されたのだ。




 こうした英国は、インドや中国に対する侵略戦争を繰り返す中で、それら地域の富を収奪しながら、英国の国民国家建設に邁進すると同時に、覇権国として台頭することができたのだが、こうした歴史を、その後の米国も「継承」したことがわかる。そして、今や、中国がその途上に向かっている、と私はみている。


 ところで、今回記事で指摘されていた、中国の先行きが見えない、基本的人権状況の後退が続いている云々の話だが、もし読者が、かつての英国や米国の過去の歴史を、少しでも振り返るならば、たとえば1820年代の英国において、また1920年代の米国において、おそらく、今回記事の著者と同じように、先行きが見えない、人権状況の交替が続いている云々と、強調したであろう。




(最後に一言)


 正直なところ、こんな類の記事ばかりで、私は面白くはないのだが、それでも読者には伝え直した方がいいと考えて、今回記事をまとめた次第。生きるために、生活のために、かきたくない記事を書き、嘘を平気で話している現在の学者とかジャーナリストを見るたびに、そこまでする必要がどこにあるのか、と思うのだが、これも人間関係のなせる業なのか、いずれにしても本当に惜しいとしか言いようがない。


 あれほどまでにウクライナ侵攻を巡る報道が続いているにもかかわらず、その「真相」は見えてこない。むしろ、真相を隠すために、次から次のウソを垂れ流しているとしか思えない。その嘘の中には、事実も含まれてはいるが、それもウソ話のための飾りでしかない。

 私たちは四六時中、こんな茶番なやり取りに付き合わされているのだとすれば、藪の中の真相はいつしか忘れ去られてしまい、その挙句に、まったく異なる真相がつくり出されるとしても、、もはや誰もそんな「操作」にさえ、興味も関心も抱かなくなるとすれば、そして今また、そんな歴史が繰り返されているのだが、もう不感症の域に、私たちはいるのかもしれない。


 何度もこれまで論述してきたように、基本的人権と、その実現の歴史である普遍主義を巡る民主主義や専制主義に関する「歴史叙述の神話」を打破するのは、とてもではないが、私の生きている間には、無理だということだ。、勿論、それがどうしたということだが。


以下に、今回のブログで紹介した『ニューズウィーク(日本版)』誌の記事全文を引用貼り付けておきたい。


―ーー(引用貼り付け、始め)


「さよなら中国...」中国人学者が言えなかった、外国人が大量出国する「本当の理由」とは?
ニューズウィーク日本版 によるストーリー ? 28 分前


「さよなら中国...」中国人学者が言えなかった、外国人が大量出国する「本当の理由」とは?
c ニューズウィーク日本版


金融ハブの香港からも外国人は流出している PAUL YEUNGーBLOOMBERG/GETTY IMAGES


<2010~20年に中国におけるフランス人在住者は40%減、アメリカ人は23%減った。滞在に関する「煩雑な手続き」を中国の学者は理由に挙げるが......>


中国で先進国出身の外国人居住者が急減している──


先日、中国の著名な金融学者で言論人の王文(ワン・ウェン)が講演で、そんな興味深い指摘を行った。2010~20年にフランス人在住者は40%減。アメリカ人は23%減ったという。


王によれば、中国の総人口に外国人住民が占める割合は0.05%未満(韓国は約4%で、日本は約2%)。煩雑な手続きや外国人嫌悪が減少の原因だと語った。


王が口にできないもう1つの理由は、国家による締め付けだ。中国では、旅行者をはじめとする外国人が、配車アプリやチャットアプリにアクセスしにくくなる一方。


当局の管理体制が強化され、今では友人宅に1泊するだけでも、警察への届け出を怠ってはならない。ネット検閲もこれまで以上に浸透している。


だが03~18年まで中国で暮らした筆者の考えでは、減少の最大の理由は暗い先行きだ。現政権の下、中国の基本的人権状況は後退を続けている。


From Foreign Policy Magazine


【動画:4分53秒頃より】CNN記者を監視する中国当局者
See moment that shocked CNN reporter during interview deep in rural China/CNN


ジェームズ・パーマー(フォーリン・ポリシー誌副編集長)


―ーー(引用貼り付け、終わり)



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№41私の語る「システム」論から、改めてかつての「分厚い中間層の復活」を断じて許さない、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉から、改めて日本における

2023-06-09 | 日記
№41私の語る「システム」論から、改めてかつての「分厚い中間層の復活」を断じて許さない、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉から、改めて日本における積極的経済(財政)政策について考えるとき




(最初に一言)


 やっと「本題」に立ち戻ることができた。令和新撰組やMMTを推奨する論者に代表される積極的経済政策を、今日の時点で採用することの問題点について、〈Action(活動) 週刊 経団連タイムス 2022年6月30日 No.3550 報告書「中間層復活に向けた経済財政運営の大転換」-21世紀政策研究所研究主幹(第一生命経済研究所首席エコノミスト) 永濱利廣〉を参照しながら、考えてみたい。


 あまり好きな言い方ではないのだが、その際、今日の地点において、積極的経済政策を選択することによって、誰が得をして、誰が損をするのか、換言すれば、誰がより豊かになり、誰がより貧しくなるかという点にこだわってみたい。それは同時に令和の期待するように、「格差」や「貧困」等々の問題解決の一助となるのかどうかを検討する上でも、必要な作業となる、と私はみている。


 これに関して付言すれば、私はすでに、私の語る「システム」の今日の段階を考慮するならば、かつての先進諸国の一員であった日本で積極的経済政策を採用下ならば、それは貧しい者たちをさらに貧しくさせるだけである云々と論じていたのだが、この点も含めて、今回記事では、もう少し論及してみたい。


 先述した経団連の報告書の要旨を、箇条書きする形で抜き出してまとめるとき、以下のようになる。(なお、詳しくは、少し前の記事で引用貼り付けていた資料を参照してほしい。)


①日本経済の長期低迷の原因→政府の無為無策(もちろん、このようなストレートな物言いはしていない。)


②長期低迷から脱して経済成長を実現するには→→従来型の思考を破棄して、抜本的な検討が必要


そのために、21世紀政策研究所は「経済構造研究会」を立ち上げ、6月2日、その成果を報告書「中間層復活に向けた経済財政運営の大転換」として取りまとめ、公表した。


③長期低迷の背景・要因→需要不足と中間層衰退の悪循環


④悪循環の最大の原因→従来型の成長戦略が志向した緊縮的な財政運営→成長に必要な財政支出がなされず、マクロ経済が支出と所得(分配)の両面で下押しされ続けた。その結果として、企業→需要不足による国内マーケットの縮小→設備投資の減少→海外進出の加速→さらなる需要不足→賃金低迷 


そこで悪循環の打破が求められる


⑤悪循環を打破するには→経済が正常化するまで積極財政を継続する必要→これに対して、これまでの政策は、政府債務の拡大を理由に緊縮的な財政運営


⑥だが、政府債務(負債)の裏には必ず資産がある。事実、政府債務が拡大するなかで民間金融資産も増加を続けてきた。


⑦日本で財政危機が生じる可能性は極めて低い。政府支出の制約となるのはインフレであり、相対的に低インフレの続く日本では財政支出の余力は大きい。


⑧それゆえ、必要なのは政府投資の活性化→中間層復活のためには、財政支出による需要増加を賃上げにつなげる必要がある。高圧経済(経済の過熱状態をしばらく容認すること)を形成し、労働需要を積極的につくり出すほか、公共部門の賃上げや雇用拡大を進め、民間部門に賃金上昇圧力をかけることも有効だろう。


⑨さらに、日本各地で財政支出によって供給された資金を、それぞれの地域内で循環させる観点から、地域経済の活性化を進めることも重要である。




 さて、ここに示した報告書の要旨の内容に関して、それらが私の語る「システム」の「どの段階」で行われることになるのか、その確認がどうしても必要であり、重要な作業だということを、ここでも私は強調しておきたい。勿論、私の「システム」がわからなくても、それは別に構わない。


 私が読者に考えてほしいのは、私たちが今おかれている経済環境は、ひとえに日本政府がその「経済政策の選択を誤った」ということに求めるだけで、それで事足り得るものなのだろうか。すなわち、もし的確な経済政策の選択を、日本政府がおこなっていたならば、今日に続く長期低迷は免れたとみてもいいのだろうか。本当に、そのような経済政策の選択云々の次元の問題で、簡単に片づけてしまってかまわないのだろうか。本当に、それで問題解決となるのかどうかを、いま一度ここで考え直してもいいのではあるまいか。


 日本政府の緊縮政策が日本の長期低迷の原因であるとするのならば、それでは日本の高度経済成長は、緊縮ではなく積極的経済政策のおかげであったとみることになる。だが、その日本の高度経済成長は、朝鮮戦争やベトナム戦争の「戦争特需」と、これまでもよく結び付けられて論じられてきたのではあるまいか。


 そこには、当時の世界システムにおける米国の「後押し」があったことを鑑みれば、ただ日本の経済政策と日本の成長の両者を結び付けるだけの議論では、相当に物足りなさを感じてしまうのだ。そこから見えてくるのは、日本を始めとしたかつての先進国グループにおける経済成長の問題を、もっぱら経済政策と結び付けて語るのは、何か大事な問題を看過してしまう危険性があるのではないかということなのだ。


 これまで先進諸国が享受してきた豊かさとそれを保障してきた分厚い中間層の形成という関係は、日本だけではなく、かつての先進諸国全体においても顕著にみられる現象であったことを、先ずは確認しておく必要がある、と私はみている。そうした先進諸国の中において、日本だけがそれでも長期にわたり経済成長ができないでいるのかという問題は、両者の関係性を踏まえてもなお、切り離してみなければならない、と私は強調しておきたい。


 もっとも、前者の問題、いわゆる先進諸国における相対的な経済力、さらには国力の衰退という問題を前提として、それとの関連から後者の問題は、考察されなければならない。というのも、たとえ日本と異なり、他の先進諸国の経済成長が著しいと言うときも、それにもかかわらず、それら諸国では、もはや分厚い中間層の「復活」は見られないということを踏まえるならば、そこで見られる経済成長の内実を、どうしても再検討すべきではあるまいか。


 ここで、もし先進諸国の経済的また国民国家としての以前の国力の衰退という問題が俎上に載せられるとき、どうしても先進諸国と途上国との関係から、日本の長期にわたる低迷問題を考察しなければならないとの見方が出てくるのではあるまいか。いわゆる南北関係が、これまでの関係から逆転する方向へと向かい始めるのも、こうした先進諸国の経済停滞・衰退の歩みと関係してくるのではあるまいか。少なくとも私はそのようにみているし、これまでそのように論述してきたのである。




 何度もブログ記事で展開してきたように、私は。1970年代を分水嶺とした〈「システムとその関係の歩み〉における構造転換・変容を、日本経済における長期に及ぶ低迷問題と結び付ける必要性を説いてきた。それに対して、多くの論者は、日本だけが長期にわたり低迷しているのに対して、英国も米国も、またフランスもドイツも、その他の先進諸国も、経済成長を続けてきたという点に、もっぱら傾いた議論に終始してきたのではあるまいか。


 ここで忘れてならないのは、そうした先進諸国においても、かつての国民国家とそれを支えてきた分厚い中間層が解体しているという事実を、そしてそこから格差や貧困問題が顕著となっているということである。これらの点について、ここでもう一度、銘記しておかなければならない、と私は強調しておきたい。


 私に言わせれば、経済の研究者はあまりにも歴史の大きな流れに疎いというか、そもそも、そんな勉強すらしていないのではないか、と言わざるを得ないのだ。あたかも時代環境がなにも変わらないかのような条件設定をしているとしか、私には思えないのだ。先進諸国において分厚い中間層の形成が見られた時期は、米国が覇権システムの頂点に君臨していた覇権国であった時期でもある。


 そして、何よりも、そうした分厚い中間層の形成によって、彼らがその担い手となる差別と排除の関係の象徴である南北関係をつくり出すことができたのではなかったか。先進諸国がケインズ主義的積極的経済財政政策を採用しながら、福祉国家の建設に向かう時期こそ、その南北関係に見られるカクサ(格差)が、まさに頂点に達していた時期と重なることを、ここで思い出してほしい。




(最後に一言)


 なお、まだまだ言い足りないことばかりなのだが、分厚い中間層の復活は決して実現しない。その大前提である国民国家の復活も、その実現は無理なのだ。そのためには、前回記事でも述べていたように、覇権システムをつくり出す関係が、1970年代以前と変わらないで存続するということが大前提であり、また同時に、米国が覇権国として、その他の先進諸国が非覇権中心国として、A、B、Cから構成される「システム」のAに位置してBやCに位置する中国やロシア、インド、さらには中東やアフリカ諸国に対して、差別し排除する側に位置していなければならない。


 いわゆるブリックス諸国の台頭を少しでも頭に思い浮かべるならば、もはやそんな前提云々など、どうにもならないことがすぐわかるはずだ。もうこのくらいにしておきたいのだが、先述した経団連の報告書の要旨の内容にある⑨は、特に警戒を要する提言である。今の日本をはじめ先進諸国は、それはウクライナを見てもわかるように、ヒト・モノ・カネの大移動によって、日本の地方においても、世界的多国籍企業とその株無視である投資家が、「暗躍」しているのだ。


 そこに地方政界は、未だに統一教会、創価学会を始めとした宗教界の影響力は大きく、また政治それ自体が自民党の支配下におかれている地域が一般的ではあるまいか。そこにこれから維新が加わるとなれば、⑨の提言は、地方の活性化どころか、ますますハゲタカ資本の群雄割拠によって、窮乏化するのは火を見るよりも明らかだろう。大阪万博とか、カジノとか、オイシイ金儲けの話ばかりではないか。


 それにしてもなのだが、この経団連の提言内容と、令和新撰組の主張は酷似している。私の語る「システム論から、これからの世界・セカイを捉えるとき、普通の庶民の生活が向上することはないから、もう何をかいわんやなのだが、それにしても、それにしても、なんだよな、なんだろな。



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№40(追記・修正版)私の語る「システム」論から、改めてかつての「分厚い中間層の復活」を断じて許さない、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉について考察す

2023-06-07 | 日記
№40(追記・修正版)私の語る「システム」論から、改めてかつての「分厚い中間層の復活」を断じて許さない、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉について考察するとき(続・続・続)




(最初に一言)


 前回記事において、私は、私の語る「システム」論でのいわゆるDSの占める位置について、名もなき貧しき普通の庶民から成る「システム人」との関係を、少し論じていたのだが、あとから読み直したとき、やはり何か誤解を与えかねないと感じたので、今回記事において、19世紀中ごろ前後の時期の覇権国として君臨していた英国と当時の中国と日本の関係を念頭におきながら、もう少し踏み込んで論じ直してみたい。




 私の語る「システム」はこれまた何度も述べてきたように、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」として位置づけ理解される、と私は論じてきた。


 ここで簡単に、それぞれのシステムを、私のモデルで示しておきたい。


①覇権システム
 {[ ]→(×)[ ]→×[ ]}


*なお、本来の図式はすぐ上のモデルで描かれるのだが、ここでは、行論の都合上、読者にわかりやすいように、誤解を恐れないで、Aを英国に、Bを日本に、Cを中国として位置付けている({[A]→(×)[B]→×[C]})ことを断っておきたい。そのために、以下の④の省略形として描かれる図式⑤と同じように見えてしまうのだが、後においても言及しているように、両者の意味している内容は異なっていることを、ここでも指摘しておきたい。 


②世界資本主義システム
 [Aの経済発展]→(×)[Bの経済発展]→×[Cの経済発展]


③世界民主主義システム
 [Aの民主主義の発展]→(×)[Bの民主主義の発展]→×[Cの民主主義の発展]


これらの①②③の図式を一つの「システム」として描き直すと、以下のモデルで描かれる図式となる。


④私の語る「システム」
 {[Aの経済発展→Aの民主主義の発展]→(×)[Bの経済発展→Bの民主主義の発展]→×[Cの経済発展→Cの民主主義の発展]}
なお、この図式の逆から描かれるモデルは省略しておく。
 
 私はこれまで、④の図式の省略形として、
⑤{[A]→(×)[B]→×[C]}の図式で描いてきた。①の覇権システムのくだりでも述べていたように、ここにある⑤の図式はあくまでも④の図式の省略形であることを断っておきたい。私はこれまで、記事においてその都度、論の流れの中で、⑤は④の省略形であると断ってきた。




 それでは、これらの図式を参照しながら、前回記事で論じた内容に関して、再考してみたい。前回記事で語っていた歴史の中心的原動力として私が位置づけ理解している普通の名もなき貧しき庶民とは、私にとっては「有害無益」な存在である「システム人」として理解されるのだ。彼らこそが、DSの陰に隠れて歴史をつくり出してきたともいえるのではあるまいか。DS論に対して私が抱いている危惧は、その論ではこうしたシステム人の担った役割があまりにも過小評価されてしまい、すべてをDSの責任に求めるような論じ方をしてしまい、本来ならば裁かれるべきシステム人であるにもかかわらず、無罪放免してしまっている、と私はみている。


 名もなき普通の庶民がその大半を構成するシステム人として、彼らは①②③④で描かれる差別と排除の関係を、差別し排除する側も、逆にそうされている側も、担い支えているのだ。①②③の図式に位置した19世紀中ころ前後の期間を生きていた英国人の多くは、Bの日本やCの中国に暮らす人々を、④で描かれる差別と排除の関係の中に引きずり込みながら、それを前提として彼らの国力と経済力、政治外交力を増大させることができたのだ。それによって覇権国にまで上りつめることができたAの英国のシステム人は、BやCからヒト・モノ・カネを収奪し続けたのである。


 資本主義とか民主主義をその目指すべき理想や価値のレベルにおいて論じるだけでは、決して見えてこない差別と排除の関係を描き出すには、私のような「史的システム」の次元からの考察が、どうしても必要なのだということを、私は読者に訴え続けてきた。普遍的価値とされるものが、たとえどんなに素晴らしく見えようとも、それらを実現する際に、①②③④の図式で描かれる差別と排除の関係を前提としなければならないことに気が付いた途端、その普遍とされる価値は色あせたものとして、はっきりと見えてくるに違いない。


 そして同時にまた、そこから私たちが後生大事にしてきた普遍的価値は、それは日本国憲法が体現する価値でもあるのだが、①②③④の関係をつくり出してきた「システム」によって提示されたことにも気が付くはずである。そうしたことを鑑みた場合、名もなき貧しき普通の庶民の果たした役割がいかに大きなものであったかを知ることとなる。そうした①②③④の関係から構成される「システム」の歴史をつくり出すには、覇権国やDSの力だけでは、どうにもならないことは明らかではなかろうか。


 ところが、システム人の彼らは、決まって言うのだ。「私たちは無力で何もできない」、「上から言われた通りにしなければ、命を奪われる」、「私たちは騙されていたのだ」云々、と。本当に恐ろしい庶民ではあるまいか。DSがどれほど協力・強大な力を持っていたとしても、彼らの存在抜きには①②③④で描かれる図式の世界はつくることはできなかったのだ。その意味では、彼らもDSと並び、いやそれ以上に、歴史に対する責任を引き受けなければならない存在であるのは確かである、と私はみている。




 ところで、私の語る「システム」は、すなわち④で描かれる関係であるが、この「システム」の形成と発展そしてその変容において、確かに覇権国や、その国民、覇権国の中の有力な大企業や世界的多国籍企業やその株主としての世界金融資本、そこにはDS論が唱えるDSも含まれるのだが、これらの「役者」が当初は「主役」と言うか創造主として、④の関係をつくり出したと言えるかもしれないが、私が前回記事でも指摘していたように、それにもかかわらず、①②③④の図式で描かれる「システム」は、彼ら個々の主役の思いや願いを超えて、一人歩きをしていく、と私はみているのである。


 それは、まさにM・ヴェーバーの描いた資本主義の歴史と、すなわちその形成、発展とその変容の歩みと重なっている。その関連から、私は、①②③④の「システム」の歴史も、それらの創造主の意図した歴史とは異なる、彼らがコントロールできないように、「システム」それ自体の発展と変容を辿っていく、と私は言わざるを得ないのだ。その何よりの具体例として、覇権国は未来永劫、覇権国の地位に踏みとどまることはできないということだ。覇権システムと「システム」からの指示を受けて、それに従って行動せざるを得なくなる。


 さらに、①②③④で描かれる図式の世界は、1970年代以降、これまでとは異なる{[B]→(×)[C]→×[A]}の「システム」へと構造転換・変容する。それによってこれまでB、Cグループとそこに暮らす人々を差別し排除してきたAの豊かさを享受してきた人々は、その富を手放すことになる。誰が、自ら貧しくなるような、差別され排除される関係を主体的に選択するだろうか。それはAの国民も政治家や政党も望みはしないはずだ。ところが、彼らが意図しないにもかかわらず、結果として見た場合には、あたかも意図したかのようになっているということなのだ。


 すなわち、現実にはそのような方向へと「システム」は構造転換・変容したことから、、かつてのAの人々は、彼らの以前のような豊かさを維持するのは、もはや困難となってしまった。そこには、DSやAの覇権国を含むそのたの国家と国民や政治家や政党等々の思惑を超越した大きな力が働いたとしか、考えられないのではあるまいか。


 その際、これに関連して言えば、こうしたAの諸国が貧しくなる流れを、いわゆる新自由主義とそれを推進する政治家や政党が、あるいはDSが画策した云々の議論がある。これに対して、これまた何度も繰り返して述べてきたように、私はそれはあくまでも「システム」の構造転換・変容が、結果としてその転換・変容の流れを手助けさせるように、彼らに、そうするように指示しただけである、とみている。


 そこで私が強調したいのは、DSや新自由主義を志向する政治家や政党には、「システム」の構造転換・変容を導き出せる力はないということである。換言すれば、雇用の流動化を介して進行した格差社会や労働者の生活破壊や生活破綻をもたらしたのは、何よりも、{[A]→(×)[B]→×[C]}から{[B]→(×)[C]→×[A]}へと、「システム」それ自体による構造転換・変容であったということなのだ。


 何度でも言うのだが、ここを押さえていない限り、私たちは今日の格差社会とか貧困問題を、たとえば日本ではやれ小泉が竹中が悪い云々の議論に、もっぱら終始してしまい、その挙句に、肝心の私たち庶民であるシステム人が、先の差別と排除の関係である「システム」を担い支え続けてきたという責任を取らない、引き受けないままとなる。もっとも、小泉や竹中の「悪行」も私は許せないのだが、おそらく彼らも、覇権システムや「システム」の持つ暴力的破壊性には従うしかなかったのは、システム人の典型ではなかろうか。


 私たちが1970年代まで担い支えてきた「システム」は、AのBやCに対する差別と排除の関係を維持し存続させることで、金の成る木としての「システム」の金儲けを機能させることを可能とさせてきた。そしてそれによって、私たちAグループとその一員であった日本と日本人は、戦後の平和と豊かさを享受してきたといっても過言ではあるまい。その意味においては、日本国憲法は、そうしたAのBやCに対する差別と排除の関係の「象徴」であったのだ。


 ところが、その「システム」の金儲けの手段として有効である格差バネが働かなくなる。換言すれば、これまで続いていた差別と排除の関係では、これ以上の金儲けができなくなったということだが、その結果として、「システム」はこれまでのAのBとCに対する差別と排除の関係から、BのCとAに対する別の新たな差別と排除の関係へと、自己変革・刷新・再編していくことを余儀なくされる、と私はみている。




(最後に一言)
 
 そうした「システム」自体による構造転換・変容の歩みが、私たちシステム人の力の及ばないところでおこなわれているにせよ、またそうした「システム」の歩みに対する私たちシステム人の力が、いかに非力であるとしても、それにもかかわらず、その「システム」を担い支えているのは、庶民である私たちシステム人であることも、同時にまた疑うことのできない事実なのだ。


 ところが、この庶民はまるでそんな自覚はないし、、ましてや自戒などあろうはずもない。彼らの唱える「民主主義万歳」や「全体主義から民主主義を守れ」云々の声で叫ばれる当の「民主主義」なるものが、①②③④の関係を前提としない限り、決して実現できな、と私が力説したところで、これまた理解不可能なのだから、もうこれ以上、何も言うこともできない、と私は意気消沈している。


 最後になってしまったが、鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」の歌詞を今一度、確認しておきたい。一番の歌詞だけだから、続きは読者の方々で調べてほしい。見事に、今を描いているのではあるまいか。


ーーー


古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ
新しいものを欲しがるもんでございます。
どこに新しいものがございましょう。
生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、
右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。」
何から何まで 真っ暗闇よ
すじの通らぬ ことばかり
右を向いても 左を見ても
ばかと阿呆の からみあい
どこに男の 夢がある


ーーー


(付記)


 私も相当に古いことを、いまさらながら確認した次第。



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№39私の語る「システム」論から、改めてかつての「分厚い中間層の復活」を断じて許さない、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉について考察するとき(続・続)

2023-06-06 | 日記
№39私の語る「システム」論から、改めてかつての「分厚い中間層の復活」を断じて許さない、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉について考察するとき(続・続)




 (最初に一言)


 結局のところ、私の語る「システム」論と、そこから推察・推論されるであろう出来事を描くことができないことから、21世紀も20年過ぎてしまった今日の地点においても、未だに私たちの多くの人々の思考パターンは1970年代までの{[A]→(×)[B]→×[C]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉を前提とすると言わざるを得ないのである。換言すれば、もう「高度化」の段階から、「システム」はその「低度化」の段階をひたすら深化させていることを、私たちの多くが理解できないままにあるということなのだ。、


 その結果として、左翼というか革新というか、少しでも庶民の生活をよくしたいと思い考え行動する人たちは、彼らの志向する方向とは逆に、庶民の生活環境をますます悪化させる状況・状態を導くことに与る、と私はみている。ケインズ主義的な積極的経済・財瀬政策の選択は、私の語るB、C、Aから成る「システム」のB、Cの高度化に貢献すると同時に、Aの低度化を深化させることに手を貸すだけであり、これまで豊かな社会を享受していた人々の生活破綻・破壊を加速させるのだ。


 それゆえ、もし庶民生活の崩壊をくい止めようとするのならば、これまでの「大きな政府」路線とは異なる道を模索しなければならないことになる。もっとも、この道も相当に困難であるばかりか、もしあえて「システム」の低度化の段階の深化を前提としながら、その実現を目指すならば、それは戦争国家に導く軍事・防衛費の増額を柱とした方向へと舵を切ることになる。その結果として、ますます金の成る木としての〈「システム」とその関係の歩み〉を強固にしていくだけであり、さらにAの低度化の深化が促されることとなる、と私はみている。




 これまでの記事でも繰り返し述べていたように、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉の中のAに生きているかつての先進諸国グループとその一員である日本と日本人にとっては、もはや打つ手はないのだ。それは、なにもコロナ禍とかロシアのウクライナ侵攻により導かれたのではない。差別と排除の関係から構成される「システム」の中で生きている限り、遠からず、私たちが向き合うことを余儀なくされるであろう災厄であった、と私は言わざるを得ない。


 ところで、これに関して付言しておきたいことがある。人間がつくった「システム」ならば、その問題点を探し出して、どうにか克服できると考える読者もいるだろう。こうした見方に対して、私は何度もこのブログ記事において、M・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、彼が説いていた考え方に依拠しながら、たとえ創始者の思いと考え方が何であれ、一旦動き出した「資本主義システム」は、その創始者とされる敬虔な禁欲的プロテスタントの手を離れて、彼らのコントロールも及ばぬような方向へと動いていくといった解釈を援用しながら、私の語る「システム」論を練り上げたのだ・。


 それに関連して言及すれば、DS論に対して私が抱く違和感は、こうしたヴェーバー流の見方に大きく影響されている。私の語る「システム」の重要な構成要素は、覇権システムにおける覇権国とその国に拠点を置く世界的多国籍企業を含む大企業と、それらを支配する世界的金融資本であることは間違いないのだが、だからと言って、すべてにおいて彼らの思惑通りに世の中が動いているとは、私には到底考えられないのだ。


 彼らが「システム」の中に位置する様々な諸国家や諸国民に対して、また「システム」それ自体に及ぼす影響力がたとえどれほど強力であるとしても、「システム」は、彼らの指示や支配を超えて、「システム」なりに独自の形成と発展そして変容を繰り返していく、と私はみている。その際の中心的原動力は、ほかでもない、私たち普通の非力な庶民であり、彼らの意図しないにもかかわらず結果として見た場合に、あたかも意図したかのように行動する彼ら庶民を担い手とする「システム人」の存在こそが、歴史を動かす原動力となっている、と私は言わざるを得ないのだ。


 それゆえ、私はDS論を参考にしながらも、すべてにわたってそれを支持することはできない。むしろ、そうしたDSの支配を超越した「システム」を、すなわち私の語る「システム」に置き換える必要性を強調したいのである。歴史は、覇権システムとそれを基にした世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」の形成と発展そしてその変容に従いながらつくり出されてきた、と私はみている。


 そうした「システム」を構成する担い手の一つとして、DSは位置づけ理解されるべきなのだ。DSを歴史を動かす原動力とすべきではない。確かに重要かつ大きな影響力を持つことは否定できないものの、あくまでも歴史の最大の中心となる原動力は、名もなき貧しき庶民から構成される「システム人」であることを忘れてはならないのである。彼らが本来の力を発揮するならば、彼らがたちどころにDSにとって代わって中心的存在になるのは明らかであろう。だが、残念ながら、歴史を振り返って、未だ彼らが歴史において、その当然の座を占めたことはない。




 さて、その〈「システム」と関係の歩み〉だが、これまた繰り返し論述してきたように、今まさに新たな「システム」の高度化の実現のために、米国から中国へと覇権国の交替を導くための最終局面を迎えている、と私はみている。それに関連して言うならば、英国から米国へと覇権国が交替した1940年代に至るまでの20年近くの間の時期を振り返るとき、そこでも「システム」の高度化実現に向かう動きを確認できる、と私はみている。


 そこで私が言いたいのは、そのために「戦争」が必要とされたということなのだ。私の語る「システム」は金の成る木としてのそれであり、それゆえ、いつも戦争や紛争が「システム」の形成と発展そして変容の歩みにおいて、組み込まれていたということを、ここでも思い出してほしいのである。


 そもそもが自己決定権の獲得とその実現を巡る争奪戦を介した「親分ー子分」関係を基に導かれたナショナリズムの歩みと、そうしたナショナリズムの世界的ぶつかり合いからつくり出されてきた覇権システムとその頂点に位置する覇権国と、その興亡史を回顧するとき、戦争や紛争が常に用意されてきたことを確認できるに違いない。それと同時に、私たちが実現してきた「平和」は、そうした覇権システムと覇権国の存在と何ら矛盾することのないそれであったということにも気が付くはずだ。


 この覇権システムや覇権国とその興亡史を前提としながら、私たちの言う資本主義や民主主義が実現してきたということに、今一度、読者には想像力を働かしてほしいと、私は切に願うのだ。すなわち、覇権システムの親分である覇権国とその仲間内に、都合のいい「衣食足りて」の営為とそのネットワークが世界的に形成されてきたということを、その過程において、「衣食足らず」の営為も、また両者の中間に位置づけられる「衣食足りて・足らず」の営為の世界的ネットワークが形成されてきたということを、想像してほしいのである。同様に、「礼節を知る」営為に関連した世界的ネットワークの形成に関して等々も、である。


 これらを総合して踏まえるとき、今の私たちが置かれている世界は極めて危ない事態に向かっているということだ。そして、何度も言うのだが、もはや「人為」の次元ではどうにもならない、戦争を不可避とする米国から中国への覇権のバトンの受け渡しの時期における「システム」の高度化の最終局面の段階に差し掛かっているということである。


 今の私たちにできることはただ一つだ。できるだけこの悪い事態を先送りすること、先延ばしすることだけである。勿論、私の語る「システム」はそれとは逆の方向へと、私たちを誘おうとしているのは明らかであろう。始末の悪いことに、私たちの多くはそうした戦争へとひた走る流れを歓迎するように、動いているのだから、もう何をか言わんやなのだ。




(最後に一言)


 私が令和新撰組に期待し、支持しているのは、こうした戦争へと向かう流れに対して、何とかして抗おうと躍起になっているからだ。彼らの奮闘ぶりを見ながら、私も何とかしたいのはやまやまだが、とても無理だとしか言いようがないのも事実である。それゆえ、なんとかして子供や孫の世代が生き残れる手立てを、と思案しながら、このブログ記事を書いているのだが、これまたどうにもならない。



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№38私の語る「システム」論から、改めてかつての「分厚い中間層の復活」を断じて許さない、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉について考察するとき(続)

2023-06-03 | 日記
№38私の語る「システム」論から、改めてかつての「分厚い中間層の復活」を断じて許さない、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉について考察するとき(続)




(最初に一言)


 前回記事の最後で、ーーー以下に引用貼り付けた経団連の記事に関して、次回の記事では、もう少し考察してみたい。ーーーと述べていたので、早速それらの記事の内容を、私の語る「システム」論から、掘り下げてみたい。




 今回記事では、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉のAに位置する日本において、積極的経済政策と消極的(緊縮)経済政策に見い出されるそれぞれの問題点について、ごく簡単に述べておきたい。


 先ずは積極的経済政策の問題点についてだが、〈ヒト・モノ・カネの大移動が常態化した日本国内で、いわゆる外資というかハゲタカ資本によって、必要不可欠であった有形・無形の財産が買い漁られてしまったと嘆く声をよく聞いたものだが、「対日政策要望書」によって、日本の国内産業とその従事者を保護してきたさまざまな規制が撤廃されたり、緩和され続けている。


 こうした状況なり状態の中で、日本国内に大量のお金が溢れ出すと同時に、政府や地方自治体関連の公共事業のを発注がおこなわれるとき、その当然なる帰結として、米国を始めとした多国籍企業や国際金融資本が、それらを独り占めしてしまうのは誰の目にも明らかではなかろうか。


 それゆえ、老朽化した建物、道路や橋梁、トンネルや水道管を始め、その他もろもろの補修や改修、解体及び建設工事を視野に含む財源捻出と結びついた国債の発行や政府債や地方債の発行の必要性が唱えられるのだが、それは国内の地場産業を潤し、国内製造業の復活を導くよりも、それ以上の恩恵を外資にもたらすのは必至であろう。その結果として、世界的な多国籍企業の下請け化がますます日本国内で加速していく、日本と日本人をさらに貧しくしていくことになる、と私はみている。


 そこから見えてくるのは、いわゆるMMTなる積極的経済政策を説く理論は、日本国内の外資やその傘下にある日本の大企業にとってはもろ手を挙げて歓迎される理論であるということである。それゆえ、その理論は、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉のAに位置する日本やかつての先進諸国においては、その理論は中小企業や普通の庶民の生活向上に貢献しないばかりか、ますますB、C、Aから構成される「システム」の下で、さらに厳しい状況・状態を強いることになるだけである、と私は言わざるを得ないのだ。


 おそらく、「システム」は、この手の積極的経済政策を提唱する論者を、緊縮的消極的経済政策論者と真っ向から対峙させるように配置することに余念がないのだが、私の「システム」論から捉え直すとき、残念ながら前者は後者とともに、同じ穴の狢だということになるということである。


 こうした点を踏まえながら、令和新撰組の経済政策の目玉とされる一定の制限の枠内におけるインフレ率を前提とした積極的な国債発行という主張は、それだけでは全く何も語っていないというしかあるまい。さらに、ここまでのくだりからも明らかなように、令和の庶民に対する思いとは裏腹に、結果としてはその庶民を裏切ることになりかねない、と私は危惧するのだ。それは三橋貴明氏や藤井聡氏、中野剛志氏らにも共通して言えることだ。




 それでは次に、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉のAに位置する日本において、消極的(緊縮)経済政策を採用することの問題点について、以下に述べてみたい。


 令和の山本代表は、ことあるごとに日本はこの30年にも及ぶデフレ政策をとり続けてきたとして、日本政府、自公政権とその無策を糾弾してやまない。これに対して、私は次のようにみている。私の語る「システム」の下で、「システム」は日本の政治に対してそうした消極的経済政策をとることを強いてきたということであり、その意向を受けての結果として、自公政権は自民党はそのようなデフレ政策をとってきたということである。


 換言すれば、これまで豊かであった先進諸国を進んで貧しくなるように「システム」は導いているのだ。そのための緊縮政策だ。誤解のないように直ちに付言すれば、覇権システムを前提とした緊縮政策であり、それは社会保障火を始めとした国民の命と暮らしを守る生活関連支出の切り捨てを断行する一方で、防衛(国防)費だけは絶えず増大させる、そうした緊縮策であったということである。


 それゆえ、普通の国民の生活は苦しくなっていくのは必至である。それは、経済成長が日本よりも高く持続してきたとされる欧米先進諸国や北欧の諸国においても例外ではない。今後、B、Cのグループを構成する諸国が豊かになるにしたがって、Aのかつての先進諸国は勿論、日本の普通の国民の生活も苦しくなるのは必至だろう。だが、それにもかかわらず、日本や先進諸国を構成するAグループにおいて、各国政府の選択する政治は、もはや「大きな政府」ではなく、「小さな政府」でしかない、と私はみている。もっとも、これまで何度も指摘したように、その政府は、強い国家、増大する国防・軍事費と矛盾しない小さな政府である。




 (最後に一言)


 なんとも厄介極まりない局面を、私たちは今後も迎えることになりそうだ。そんな事態において、冷静な議論など期待できないのかもしれない。本当はもっと考えることが大事なのだが、私たち有権者は、10万円や20万円を今すぐにでも給付しなければならないといった声に耳を傾けてしまう。そうした議論ももちろん大事だが、私は、子供や孫の世代に対して、その教育費を直ちに無償にする政策を、国民の最重要争点となりうる政治を期待してやまない。


 さらに言えば、無償とされた教育を受けた彼らが、願わくば、自己決定権の獲得とその実現のための争奪戦を介してつくり出されてきた差別と排除の関係から構成される{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉の中で、絶えず生産・再生産される生活困窮者・生活破綻者を簡単に見捨てない、切り捨てることのない空間を当然とする社会の実現に邁進してくれれば、と。(続)



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