いま世界で起きていることー「システム」の歩みとその「関係」から見るときー(2)
(記事の要約)
①システムは戦争を本格化させようとしている。
②今後何が起ころうと、何があっても、決して米国と中国に逆らってはならない。お金で済むのならば、そうすべきだ。これは外交の鉄則である。
③イメージとしては、第Ⅰ次世界大戦から第Ⅱ次世界大戦の両戦間期に、私たちは置かれているとみていい。
④日本と日本人の立ち位置が悪すぎる。
安倍内閣は最悪だが、その内閣を選択したのは私たちだから、私たちも再s区の存在だという自覚が必要。
⑤米国にも中国にも、ロシアにも振り回され続けるのは必至だが、戦争に巻き込まれることだけは避けなければならないのは当然。(もっとも、この言い方はおかしい。巻き込まれる云々以前に、既に巻き込まれている。なぜならシステム人として生きているからだ。)
⑥それを踏まえた上で、システムの誘いに乗らないためには何をしてはいけないかを、まず確認する必要がある。
⑦何をすべきかなど考えてはいけない。システムの中での日本と日本人の立ち位置を理解したなら、そもそもそんな偉そうなことはできないことに気が付くはずだ。
⑧私がこのブログに書く目的は、とにかく多くの人たちにシステムの歩みとその関係を知ってほしいからだ。
⑨それができればきっと何をしてはならないかが見えてくる。(例えば、覇権国となる中国のすぐ横で軍事大国化を目指すのは愚の骨頂だ。今の自衛隊は、災害対策に専念することで十分なのだ。と言うのも、福島原発事故後、日本と日本人は「核攻撃」の被害に直面し続けているのだ。災害対策と言っても、今の日本のそれは、ある面では相当な軍事対応・行動の意味を含んでいるのではないか。第9条の条項と矛盾しないで、自衛隊を強化させる方法は考えられる。このような物言いをすると、システムはその通りだと、おそらく頷(うなず)くかも知れないいうだろうが、今の日本はそうした核の被災国だという点だけは銘記しておかねばならない。それゆえ、自衛隊の出動は早急に、なのだ。集団的自衛権の行使云々の話などに首を突っ込む前に、本来ならやるべき問題だったと。
)
私のモデルは何度も言うように「仮説」である。しかし、私は必ずこの仮説が現実のものになるだろうとの思いを、1994年3月19日号の『週刊ダイヤモンド』に掲載された投稿論文「夏目漱石の苦悩に学ぶ日本経済の構造転換ー「民主化」の先進国が辿る経済衰退史」をまとめた際に強く抱いたことを、つい昨日のように覚えている。
勿論そうならないことを望んではいるが、残念至極だ。ただし、そんな世和事を言う時間はあまりない。
しかし、そうは言っても、現実には国会で多数を占めない限り何もできないし、それを考えただけでもどうにもならない話となりそうだが、それでも何とか打開策を考えたいし、最後までそうすることだけはあきらめたくないのだ。
私がこのブログで記事を書くのは、顔も分からない「読者」がもしかして、さらなる考察を深めることにより、従前とは違ったメッセージを世界に発信してくれるかもしれないと、記念するからだ。そちらの方が、国会で多数を占める云々の話よりもはるかに健全ではあるまいか。
昨日の記事でも述べたように、私はシステムの観点から世界を、また日本を考察することが大事だと考えてきた。とにかくその都度その都度の便利な物言いや味方を避けるためにも、どっしりと腰を据えた地点に自らを置きたいのだ。
例えば、私たちは領土問題に関してお互いに嘘ばかりを言い続けてきたのではないか。もともと「北方領土」問題は戦争の敗北した後には存在していなかったし、ポツダム会議でソ連の領土に含まれるものとされていたのではなかったか。
そウした「歴史」を確認した上で、1956年の日本とソ連間での領土に関する協議や外務省のホーム頁で発表されていた「北方領土は日本固有の領土」だとの見方を、私たちは冷静に斟酌しなければならない。国際関係における力関係が背後にあって、条約もその時々の力関係の中でその解釈も変更されるし、場合によれば、まったくその効力が失われることもある。
システムは領土問題をいつも利用してきた。そこで、システムはある時は米国を使い、またある時はソ連を使い、そして中国を、また北朝鮮を使い、私たちの頭を混乱させ、ナショナリズムの渦に放り込もうと画策するのだ。
システムはその自己完結運動の歩みとその関係をじっくりと検証され丸裸にされるのを恐れている。
それゆえ、私たちは、その都度、システムの歩みとその関係を冷静に再考しながら、眼前で展開される出来事から距離を置いて、判断することが求められる。
先の北方領土問題で私が懸念するのは、安倍外交の弱腰を批判して、野党やマスコミが、最初から本当ならば、本来は、ありもしなかった「四島」を返還しろとの大合唱をする危険性である。
また「二島」返還を先行して云々の話も、そもそもおかしいのだ。こんなおかしい話に私たちは今おかれているにもかかわらず、それをおかしいと批判する声が聞かれないのだ。
また、私のようにそれはおかしいという物言いをすれば、必ず「非国民」のレッテルが貼られてしまう。これもおかしい。
なぜなら、グローバル化の掛け声の下、移民法や水道事業の民営化の名のもとに、日本と日本人の安全と富を外国に、外国人に売り渡す行為こそが、本来ならば、正真正銘の非国民的行為だとして糾弾されるべきはずが、そうはならないのだ。
日本と日本人をバラバラにしている安倍内閣が、「日本を取り戻す」の掛け声の下で、北方領土問題や北朝鮮による拉致問題を解決しようとしているのだから、これこそ本末転倒の話ではあるまいか。
ところで、こうした話を熱くなって語る「私」を、システムはにんまりしながら眺めているのだ。これならまだ十分にうまくやれる、と。システムは、システムが提供するマスコミを使いながら、連日のように、私たちの命と暮らしにかすりもしない出来事を、面白おかしく、また肝心な話は注意深くそらしながら、私たちの思考を曇らせていくのだ。
(記事の要約)
①システムは戦争を本格化させようとしている。
②今後何が起ころうと、何があっても、決して米国と中国に逆らってはならない。お金で済むのならば、そうすべきだ。これは外交の鉄則である。
③イメージとしては、第Ⅰ次世界大戦から第Ⅱ次世界大戦の両戦間期に、私たちは置かれているとみていい。
④日本と日本人の立ち位置が悪すぎる。
安倍内閣は最悪だが、その内閣を選択したのは私たちだから、私たちも再s区の存在だという自覚が必要。
⑤米国にも中国にも、ロシアにも振り回され続けるのは必至だが、戦争に巻き込まれることだけは避けなければならないのは当然。(もっとも、この言い方はおかしい。巻き込まれる云々以前に、既に巻き込まれている。なぜならシステム人として生きているからだ。)
⑥それを踏まえた上で、システムの誘いに乗らないためには何をしてはいけないかを、まず確認する必要がある。
⑦何をすべきかなど考えてはいけない。システムの中での日本と日本人の立ち位置を理解したなら、そもそもそんな偉そうなことはできないことに気が付くはずだ。
⑧私がこのブログに書く目的は、とにかく多くの人たちにシステムの歩みとその関係を知ってほしいからだ。
⑨それができればきっと何をしてはならないかが見えてくる。(例えば、覇権国となる中国のすぐ横で軍事大国化を目指すのは愚の骨頂だ。今の自衛隊は、災害対策に専念することで十分なのだ。と言うのも、福島原発事故後、日本と日本人は「核攻撃」の被害に直面し続けているのだ。災害対策と言っても、今の日本のそれは、ある面では相当な軍事対応・行動の意味を含んでいるのではないか。第9条の条項と矛盾しないで、自衛隊を強化させる方法は考えられる。このような物言いをすると、システムはその通りだと、おそらく頷(うなず)くかも知れないいうだろうが、今の日本はそうした核の被災国だという点だけは銘記しておかねばならない。それゆえ、自衛隊の出動は早急に、なのだ。集団的自衛権の行使云々の話などに首を突っ込む前に、本来ならやるべき問題だったと。
)
私のモデルは何度も言うように「仮説」である。しかし、私は必ずこの仮説が現実のものになるだろうとの思いを、1994年3月19日号の『週刊ダイヤモンド』に掲載された投稿論文「夏目漱石の苦悩に学ぶ日本経済の構造転換ー「民主化」の先進国が辿る経済衰退史」をまとめた際に強く抱いたことを、つい昨日のように覚えている。
勿論そうならないことを望んではいるが、残念至極だ。ただし、そんな世和事を言う時間はあまりない。
しかし、そうは言っても、現実には国会で多数を占めない限り何もできないし、それを考えただけでもどうにもならない話となりそうだが、それでも何とか打開策を考えたいし、最後までそうすることだけはあきらめたくないのだ。
私がこのブログで記事を書くのは、顔も分からない「読者」がもしかして、さらなる考察を深めることにより、従前とは違ったメッセージを世界に発信してくれるかもしれないと、記念するからだ。そちらの方が、国会で多数を占める云々の話よりもはるかに健全ではあるまいか。
昨日の記事でも述べたように、私はシステムの観点から世界を、また日本を考察することが大事だと考えてきた。とにかくその都度その都度の便利な物言いや味方を避けるためにも、どっしりと腰を据えた地点に自らを置きたいのだ。
例えば、私たちは領土問題に関してお互いに嘘ばかりを言い続けてきたのではないか。もともと「北方領土」問題は戦争の敗北した後には存在していなかったし、ポツダム会議でソ連の領土に含まれるものとされていたのではなかったか。
そウした「歴史」を確認した上で、1956年の日本とソ連間での領土に関する協議や外務省のホーム頁で発表されていた「北方領土は日本固有の領土」だとの見方を、私たちは冷静に斟酌しなければならない。国際関係における力関係が背後にあって、条約もその時々の力関係の中でその解釈も変更されるし、場合によれば、まったくその効力が失われることもある。
システムは領土問題をいつも利用してきた。そこで、システムはある時は米国を使い、またある時はソ連を使い、そして中国を、また北朝鮮を使い、私たちの頭を混乱させ、ナショナリズムの渦に放り込もうと画策するのだ。
システムはその自己完結運動の歩みとその関係をじっくりと検証され丸裸にされるのを恐れている。
それゆえ、私たちは、その都度、システムの歩みとその関係を冷静に再考しながら、眼前で展開される出来事から距離を置いて、判断することが求められる。
先の北方領土問題で私が懸念するのは、安倍外交の弱腰を批判して、野党やマスコミが、最初から本当ならば、本来は、ありもしなかった「四島」を返還しろとの大合唱をする危険性である。
また「二島」返還を先行して云々の話も、そもそもおかしいのだ。こんなおかしい話に私たちは今おかれているにもかかわらず、それをおかしいと批判する声が聞かれないのだ。
また、私のようにそれはおかしいという物言いをすれば、必ず「非国民」のレッテルが貼られてしまう。これもおかしい。
なぜなら、グローバル化の掛け声の下、移民法や水道事業の民営化の名のもとに、日本と日本人の安全と富を外国に、外国人に売り渡す行為こそが、本来ならば、正真正銘の非国民的行為だとして糾弾されるべきはずが、そうはならないのだ。
日本と日本人をバラバラにしている安倍内閣が、「日本を取り戻す」の掛け声の下で、北方領土問題や北朝鮮による拉致問題を解決しようとしているのだから、これこそ本末転倒の話ではあるまいか。
ところで、こうした話を熱くなって語る「私」を、システムはにんまりしながら眺めているのだ。これならまだ十分にうまくやれる、と。システムは、システムが提供するマスコミを使いながら、連日のように、私たちの命と暮らしにかすりもしない出来事を、面白おかしく、また肝心な話は注意深くそらしながら、私たちの思考を曇らせていくのだ。