日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

〈「システム」とその関係の歩み〉を理解することによって、少しわかってきたこと(2)

2021-03-20 | 日記

〈「システム」とその関係の歩み〉を理解することによって、少しわかってきたこと(2)

前回記事をごく簡単に要約すれば以下のようになる。

①私たちの生きているこの世界で引き起こされる「モメゴト」(そこには、個人間、男女間、夫婦・親子・兄弟・姉妹間、老・若・男・男・女・女間、市民間、国民間、国家間、階級間、民族間、あるいは、民族対国家、市民対国家、「私」対「公」の、さらにはその他のありとあらゆるバリエーションを伴う問題が含まれている)は、すべて〈「システム」とその関係の歩み〉から起因している。

②それゆえ、〈「システム」とその関係の歩み〉を理解するためには、その最初の担い手が「システム人」であるということを自覚し、確認できなければならない。そのシステム人を基本的単位として、そこから、先のモメゴトの各々の担い手が創られていく。それゆえ、たとえば、親子問題、階級問題、民族問題にみるモメゴトを考察するためには、それらが派生するに至った最初のシステム人にまで立ち戻らなければならない。というのも、それができて初めて、〈「システム」とその関係の歩み〉が見えてくるからである。

③具体的に言えば、システム人にまでさかのぼることができなければ、〈「システム」とその関係の歩み〉の全体像を捉え、それを理解するのは難しくなり、それゆえ、たとえば、民族間のモメゴトを導く原因を、民族や国家間の次元でしかとらえなくなってしまい、それどころか、民族や階級、国家、国民の「創造主」が、〈「システム」とその関係の歩み〉であることに、思いもよらなくさせてしまうからである。

④親子間のモメゴトを語る際にも、話は同じである。そもそもその親子は、システム人として、〈「システム」とその関係の歩み〉を担い続けていることから、最初からシステム人同士によってつくられてきた自己決定権の獲得を巡る争奪戦における力と力の暴力関係と密接不可分の差別と排除の関係を刻印されている。それゆえ、表面的には親子間のモメゴトとして見える問題は、実はシステム人を担い手とする〈「システム」とその関係の歩み〉に起因するモメゴトであるということなのだ。

⑤システム人として、〈「システム」とその関係の歩み〉を担い続け
る限り、親子間のモメゴトを解決することは困難なのだ。さりとて、そのシステム人をやめることは簡単なことではないし、おそらく死ぬまで、そうしたシステム人として生を全うするに違いない。

⑥それゆえ、少なくとも、親が子供に対してまた子供が親に対して、謝罪なり責任を背負うといった表明をしようとするとき、親として、あるいは子供としての役割からではなく、システム人としての立場から、そうした謝罪なり責任に向き合ってほしい、と私は考える。(私はこう述べながら、「お前の頭は大丈夫なのか」と心配される読者がいるとすれば、その方にいらぬ心配をかけて申し訳なく思うのだ。)

というのも、そうすることによって、初めて〈「システム」とその関係の歩み〉の中で、私たちは生きていることを確認・再確認できるであろうし、またそこから、私たちが組み込まれている〈「システム」とその関係の歩み〉とは異なる別の舞台というか環境の中の親子関係の構築を目指すことができる、少なくともその第一歩につながる、と私は思案するからである。

⑦前回における「先住民族」としての「アイヌ民族」を出自とした女性に対する謝罪に関する私の話は、こうした①から⑥の話の流れを受けて語られたものである。

それゆえ、ここにきて私が確認できたことは、私は私の語る「システム」論と、それをもとに紡ぎ出してきた〈「システム」とその関係の歩み〉について、読者に理解していただくことが、どうしても必要不可欠なこととなってくる。急がず、焦らず、少しずつ、とにかくまとめていきたい。そうは言うものの、時間はあまり残されてはいないのだが。これまた、仕方がない。

(最後に一言)

次回作の序章の小見出しは、〈なぜ、今21世紀の「孫子の兵法」を語る必要があるのか〉といったところだろうか。それにしても、米中関係に見る「モメゴト」の中で、「日本」と「日本人」はあからさまな中国敵視・敵対の意思・態度表明を迫られ、そこから、さらなる日中間のモメゴトが積み重なっていく今日的状況において、私たちが「してはならないことは何か」、それを考えていくしかあるまい。

とは言え、もう、米国からの脅しによって、してはならないことをしているし、無力な日本が自分の意思を表明することも容易ではないし、さりとて、中国にすり寄ることも。これまた簡単な話ではない。

ただ、言えることは、最悪のシナリオを考えておくことが必要だろう。それは何か。米中が手に手を取り合って、日本と日本人をモメゴトに引き摺り込んで、日本と日本人の富を奪い取るだけ奪ってしまうというシナリオだ。

私の語る「システム」論に示される〈「システム」とその関係の歩み〉を踏まえれば、1970年代以降、「米・中覇権連合」の形成と発展の中で、着々とそれが実践されてきているということだ。そして始末の悪いことには、日本のリーダーがそれに手を貸しているのだから、それこそ、もうどうにも止まらないわけだ。

それでは、私たちはどうだろうか。国会中継を見聞きしながら、議員連中の無能さ加減をこき下ろして、留飲を下げることしかできないとすれば、これまた私たちも同じく、手を貸しているのに等しいのではあるまいか。と述べた瞬間、またつらいやら、情けないやら、悲しいやらで、この辺で終わらざるを得ない。

 

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