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日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「障碍者」自身が横断的に連帯して、それこそ「ワン・チーム」となり、自らの代表者を議会に送れないでいる現状こそが、障碍者にとっての「障害」ではあるまいか。

2019-12-26 | 社会 政治

「障碍者」自身が横断的に連帯して、それこそ「ワン・チーム」となり、自らの代表者を議会に送れないでいる現状こそが、障碍者にとっての「障害」ではあるまいか。

これまでの私の「健常者」そして「中途視覚障碍者」としての経験から、私が何より不思議に思うのは、障碍者自身が連帯して自らの利害を体現した自らの政党を組織して彼らの代表者を議会に送り込めていないという現状である。これをどう評したらいいのだろうか。弱者とか劣位者が自らの言葉でもって自らの現状とその問題点を検証しながら、同時にその改善策なり打開策を社会に対して提示できないままに、既成政党(ここには、自民党や公明党は勿論のこと社民党や共産党も含まれる。そして最近になってその注目度が一段と高まっている「令和新選組」も含まれる。障碍者自身がその令和新選組から議会に送られた障碍者を傍観者の如く見ていては駄目なのだ。本来ならば、彼らは障碍者自身が組織した政党(「(仮称)バリア・フリーの会」の代表者でなければならないのである。)に自らの足場を掘り崩されていることに気が付きもしないでいるということなのだ。

同時にまた、そのことがどれほど弱者や劣位者をさらに不自由な、不利益な状態に甘んじさせることに導いたのだろうかと考えるのだ。そこには様々な理由なり事情があるのは元より確かなことだが、私は、視覚障碍者を始めとする各種の障碍者が、彼ら障碍者自身が抱える問題を、あくまで彼らが所属する協会を始めとするそれぞれの団体や彼ら自身の障害の特徴によって形づけられる各々独自のここバラバラの問題だと位置付け理解するだけにとどまり、そこから各種の障碍者が連帯して、自らの障害とは異なる相手の抱える障害とその問題を、彼らに共通する自らの問題として共有できる「ワン・チーム」として取り組めるような障碍者問題の所在とその解決・解消に至る政策提言にまで至らなかったことが大きな要因というか、それこそまさに障碍者にとっての「障害」であった、と言わざるを得ないのである。

ところで、前回の記事は、そうした私の問題意識を反映した提言に他ならない。私は愛媛県の特別支援学校の関係者を念頭に置いて記事に指摘したような内容をまとめた次第だが、そうした話の実現さえ、これまで何の進展にも至らなかったことを踏まえるとき、前回の記事も、今回の記事も相当に大ぶろしきを広げたものだということは言を俟たない。

ただし、これまでの数回の記事に置いて述べていた「もし盲学校が視覚障碍者やそこに集う生徒やその保護者や関係者云々」にとって安心・安全を保障する「終の棲家」となるためには、視覚障碍者の利害にのみ拘泥していては勿論、その先の展望は見込めないのである。いろいろな障害を抱える者同士が自分よりもさらに大きな障害に悩み苦しんでいる障碍者の抱える問題をわがことのように思い考えながら、そうした者たちの「自立」のために、一体何ができるのかを先ずは思いいたることから始める必要があるのだ。

そうした障碍者同士の連帯が実現する途上において、必ずや健常者の中における「弱者」とか「劣位者」とは誰なのかも、自ずと区分けされてくるに違いない。あくまでそうした問題は机に向かって考える学者の(言うまでもなく、研究者の仕事も大切だが)それではなく、障碍者の連帯を実現していく運動の中で、直感的、本能的に嗅ぎ取られるものであるだろう。(これこそがオニクタラムの訴えたい人間にとって一番大切な「感じる心」なのだ。)そこから少しずつこれまでとは違う連帯の必要性なり必然性も理解できるのかもしれない。

ここまで論じてくる途中で、何度も私自身のこれまでの人生における不甲斐無さや非力さや程(ほど)よくあきらめる性格を思い浮かべながら、記事をボツにしようと何度も思ったものの、私などとは比較できない次元の異なる能力を有したリーダーが必ずこの世に生まれてくるとの思いから、あえて恥ずかしくなるような、いやすこぶる恥ずかしい話を披歴した次第である。私事で恐縮だが、クリスマス・イブの24日の深夜、私の父は天に召されてしまった。そんな事情も手伝ったのか、「システム」論者の私には似つかわしくもない記事の内容となってしまった。これから先も生きている限りは私のシステム論の話を最後まで極め通していきたいが、それと同時に、それ以上に、前回と今回で述べた話をなるべく具体化していくように努めたいと考えているが(こうした気持ちが強くなるのもこれまた私がシステム論者であることの表れなのだが)、はたしてどうなるものやらーーー。

 


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「私」よりも「劣位」に置かれた人たちをいつも見守りながら、彼らとその家族が生きていてよかったと最後に思える「公」的空間である「バリア・フリーの社会」を実現

2019-12-23 | 社会 政治

「私」よりも「劣位」に置かれた人たちをいつも見守りながら、彼らとその家族が生きていてよかったと最後に思える「公」的空間である「バリア・フリーの社会」を実現することが私の夢であり、そのために「(仮称)バリア・フリーの会」から一人でも多くの市会、県会、国会議員を輩出する必要がある。

私は特別支援・愛媛県立松山盲学校で学んでいる一人の生徒である。私のこれまでの経験と、盲学校での体験を踏まえていま強く思うのは、県内の各種の特別支援学校に学ぶ生徒と、その保護者、特別支援の教員とその関係者で一つの団体が組織化され、障碍者とその家族と特別支援学校の先生方がそれぞれの悩みや希望を語り合い、そこから社会に対しての要求・要望を発信・提言しながら賛同者を募り、市会、県会、国会へ私たちの代表者を送り出すことである。同時に、そうした運動を全国の都道府県における各種の特別支援学校の関係者に呼びかけながら、「バリア・フリーの会」という「自前」の代表者を議会に送り出す障碍者の全国組織を結成することである。

既に以前のブログ記事においても、類似の話を紹介していたのだが、やっと最近になって、私自身の決心が固まったので、ここに改めて簡単に大枠を述べてみた次第である。多くの協力者が必要であり、この会の哲学というか理念を考えなければならないのは論を待たないのだが、それよりもいま一番大事なのは、県内の肢体不自由者、知的・精神障害者、聾唖者、視覚障碍者等の障碍者とその家族やその関係者が「一動」に会した集会を催すことではなかろうか。そこで「私」が学校生活を含めた日常生活の中で思い悩み感じている出来事や体験を自らが当事者となってお互いに語り合い、そこから社会に対する要望なり要求を発信し、発言すると同時に、自らがそうした問題の解決・解消に対処するための行動指針を作成することではなかろうか、と考えるのだ。む問題を

この最初の、ほんの一歩さえ、とてつもなく困難で実現不可能に思われる話なのだが、またそれゆえこうした話をブログ記事で語るのも「お前は何様なのだ」とおしかりを受けるのも必至なのだが、私もいい歳で、父親同様にいつお迎えが来るかもわからないので、あとで後悔はしたくないと思い、思い切って呼びかけた次第である。

中途視覚障碍者の自分やその他の障碍者を構成する「私」(この私の中には言うまでもなく覇権国を主導する人々が含まれている。この人たちは今日の「格差」社会でよく指摘されている1%対99%の図式で語られる1%であり、いわゆる「障害学」で「社会環境」との関連から語られる「マジョリティー」の中に位置する「マイノリティー」であることを看過してはならない。)の命と暮らしを守るためには、私が記事に置いて紹介したシステムの歩みとその関係モデルで描かれるように、「勝ち続けるために」自分よりも劣位に置かれた人間を踏み台として這い上がっていく、行かざるを得ないそうした社会とその社会の哲学・理念であるこれまでの欧米の覇権国を中心としてつくり出されてきた自由、平等、民主主義、市民的権利、平和といった普遍的価値ではなく、「私」よりも劣位に置かれた者たちの命と暮らしを先ずは何よりも保障する、そうした「バリア・フリー」価値に依拠した社会の実現を目指すことが大事である、と私は考えるのである。今回の記事はそうした観点から述べたものであり、「もし盲学校が終の棲家ーーー」で展開される内容と、今後の話の中で結び付けられるように、と今の私の頭の中では構想されたものであることを断っておきたい。

 

 


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もし盲学校がそこに集う生徒や保護者にとっての「終の棲家」であれば、とオニクタラムは考えるーーー盲学校という「空間」から「正義(論)」を再考察するとき④

2019-12-18 | 社会 政治

もし盲学校がそこに集う生徒や保護者にとっての「終の棲家」であれば、とオニクタラムは考えるーーー盲学校という「空間」から「正義(論)」を再考察するとき④

私も老いてしまった、と最近よく思う。それが証拠というか証といえばいいのか、それはさておき、とにかく「自分だけは」何とかこれから先も、死ぬまでは安心、安全に生きられたらいいのに、と心の中のどこかで計算している自分を見つけるのである。怖ろしく傲慢で勝手な自己中そのままの私が老いさらばえた体の中で、すくすくと成長している。

「ちょっと待てよ」、とどこからか声がする。「お前の妻は、子供は、孫は、それに今にもお迎えが来そうな、施設のベットの上で、喉(のど)に痰を絡ませ時々あえいでいるお前の親父は、どうするのか、彼らの安心安全の確保をまさか忘れたわけでもあるまいが」、との私を叱咤する、いや嘲笑(あざわら)うかのような声が聞こえてくる。声の主は誰かとあたりを見回すと、何とそれは私の中に自然と巣くうようになったあのシステムではないか。

そんなバカなことが。とかく人生とはそんなバカなことの連続かもしれない。思い起こせば、私には情というか、感情が人一倍薄いのだ。父の死にそうな姿をベットのそばで見守る中で、やっとこの人に慈しまれ大事に守られながら今日に至ったのだと、今さらながら感じる愚かな息子だった、と私はつくづく思うのだ。

そんな私でも、この盲学校に入学して以来、最も衝撃を受けた瞬間が、そう、全身の震えを覚えると同時に、私の心のどこかで戦闘モードのスイッチがオンとなった瞬間がある。おそらく死ぬまでこの時を忘れないだろう。

とは言いながら、正確な日付はもう忘れてしまっていたので、後から調べてみると2019年11月19日の火曜日であることがわかった。その日の朝礼時では「人権教育週間」ということで、「同和問題」に関する講話があったのだが、私の「存在」が全否定されたと思った瞬間だったのである。「安心・安全の盲学校」とは言うものの、私にとってその日の朝のほんの10分間にもみたない出来事は、忘れられない者となったが、それはまた、まさに私が生きてきた、生き続けなければならない、私の存在理由を鮮やかに教えてくれた瞬間でもあったのだ。それゆえ、私は素直に感謝した次第なのだ。

その朝礼時の話題は「差別」に関するもので、以下の資料に従って話は進められた。少しそのさわりを紹介しておく。資料はまず、「差別解消推進法」について、という題目でもって始まる。そしてすぐその次に、「差別の解消の推進に関する法律(差別解消推進法」が2016年(平成28)年12月9日に成立し、同月16日に公布・施行されました。全6条からなる法律で「差別」の名称を冠した初めての法律です。---、と資料の話は続いている。

以下では、私が私自身の存在を全否定されたと思われるくだりを紹介しておきたい。換言すれば、私のこれまでの研究内容を真っ向から否定する話であり、逆に言えば、私が真っ向から否定してきた内容であったのだが、多くの日本人が、いやそれは日本人に限らず、世界中の多くの人々も何ら疑うことのない話だろう。それでは、そのくだりを抜粋引用しておく。先の資料のすぐ後に以下のくだりが続く。---差別の問題(同和問題)は、日本社会の歴史的発展の過程で形づくられた身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の人々が長い間、経済的、社会的、文化的に低位の状態を強いられ、日常生活の上で様々な差別を受けるなどの、わが国固有の重大な人権問題である。---

また〈1965(昭和40)年 「同和対策審議会答申」〉には以下のくだりがある。ーーー同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。これを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり同時に国民的課題である。ーーー

そして、こうした文脈の下で、〈1969(昭和44)年 「同和対策事業特別措置法」(10年間+3年間延長)において、以下のような取り組みがなされることとなる。それはーーー地区の住宅の改善や道路・公園の等の整備、産業の振興を目的とする施設の建設などを行い、実態的差別の解消を目指した。---

そして最近では、〈「差別の解消の推進に関する法律」(平成28年法律第109号〉の(目的)第1条に以下のくだりがある。すなわち、---この法律は、現在もなお差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重要な課題であることに鑑み、差別の解消に関し、基本理念を定め、ーーーと続く。

そしてその(基本理念)において、以下のように語られている。ーーー第2条 差別の解消に関する施策は、全ての国民が等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、差別を解消する必要性に対する国民一人一人の理解を深めるように努めることにより、差別のない社会を実現することを旨として、行われなければならない。---

私は先にも述べたように、腹立たしい思いを感じたのだが、同時に子供から大人に至るまでこの種の「洗脳教育」を受けてきたのか、と今さらながら貴重な体験をしたのである。障碍者が集う学校で、障碍者や弱者を差別、排除する関係を前提としてその「理念」が実現される「普遍的価値」を思想的武器としながら、同和問題や障碍者問題に立ち向かうべきだとする、そうした教育の愚かしさに何の疑問も抱かない空間が「普遍主義」の名の下に、世界の隅々に拡大していると考えると、それはぞっとするものではなかろうか。まさに事実は小説より奇なりなのである。

私はこれまでの拙著や拙論で、私たちが何ら疑うことなく礼賛し、後生大事に守り続けた自由、民主主義、市民的権利、平和といった普遍的価値やそれを世界中に伝播させようとする普遍主義なるものは、1970年大以前では、{[A]→(×){B]→×[C]}の、そして70年代以降は、{[B]→(×)[C]→×[A]}の関係を前提として初めて実現される理念であるというものであった。その実現は、1970年代以前までは、Aにおいて、そして70年代以降はBにおいて許されるのである。なお、先の図式で示される関係は省略形、共時態モデルであり、70年代以降に関しては、なおその関係は実現途上にあることを断っておきたい。詳しい図式とモデルに関しては、拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」-「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』(晃洋書房 2014年)の88-91頁を参照されたい。なお、このブログ記事でもそのモデルを紹介している。

最後にまとめれば、理念(普遍的価値)は先の二つの関係を前提として初めて実現されると同時に、そうした関係を基にして、理念が創造されたということなのだ。そしてその二つの関係は、親分ー子分の帝国主義関係を前提とする覇権システムと、そのシステムと連動してつくり出された世界資本主義システムと世界民主主義システムの三つのシステムから成る一つのシステムとして描き出されるのであるが、そこからも分かるように、その関係は見事に差別と排除の仕組みを組み込んだ関係であったということである。

このような差別と排除の関係を前提として実現される「理念」がどうして差別や障碍者差別の問題を解消することに役立つだろうか。また、格差問題の解消に役立つと考えられようか。そんなおかしなことはないのだ。現実はその逆であり、普遍的価値を守ること、そしてそれを世界第二拡大させることは、差別と排除の関係をますます固定化させ、さらなる差別と排除の関係をつくり出していくのである。

今回の記事は、もう少し掘り下げて論及していきたいのだが、今日はここまでにしておきたい。


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もし盲学校がそこに集う生徒や保護者にとっての「終の棲家」であれば、とオニクタラムは考えるーーー盲学校という「空間」から「正義(論)」を再考察するとき③

2019-12-14 | 社会 政治

もし盲学校がそこに集う生徒や保護者にとっての「終の棲家」であれば、とオニクタラムは考えるーーー盲学校という「空間」から「正義(論)」を再考察するとき③

するとシステムは、私に向かってすぐさま言い返してきた。「語隋のままに、お前もこの頃はたいそう疲れたみたいで、頭の中も相当にいかれた様だが。今さらそんな戯言を吐いてどうするのだ。お前ほんまにシステムの勉強をしてきたのか」と、いたく私にあきれるような仕草であった。

誤解のないようにここで断っておきたいが、システムは勿論、人間でもなければ、影も形もない。話すこともできない。普通の幸せな人には絶対にわからないし、おそらくそんなことを想像もしたことがないに違いないだろうが。だが、哀れな私は、もう何十年にわたり、システムが亡霊の如く身の回りに居ついてしまい、片時も私のそばを離れないのだ。そんなかんので、今では四六時中、私はシステムと話しているし、そうすることが域外でもあるのだから、これもまた不思議なことである。だが、それも事実なのだから、仕方がないのである。

私には、システムが私に返した話の意味は手に取るようにわかる。システムが何よりあきれ返ったのは、盲学校という空間が、たとえどんなに安心安全なそれであろうとも、盲学校がその中に位置する「日本」という空間が、そしてそこに暮らす「日本人」が今後どれだけ持ちこたえられるか、いやもうすでに、北斗のケンシロウのきめ台詞、そう「お前はすでに死んでいる」かもしれない空間とその中にいる人々を想定するとき、そしてシステム論者の私は、悲痛なうめき声を発しながら、これまでそれこそこれでもかと我が半生をかけて叫び続けてきたのだから、当然システムは私が血迷ってしまい、戯言を発したとすぐさま感じ取ったのだ。

私はたとえ戯言だとしても、やはりここから再度出直してみようと考えたのである。勿論先は見えないし、見えたとしても碌な話にならないから、見えないふりをしながら、とにかく続けてみたいのだ。システムがその都度、皮肉を込めてやり返してきても、我関せずという具合で、話を進めてみたいのだ。

 


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もし盲学校がそこに集う生徒や保護者にとっての「終の棲家」であれば、とオニクタラムは考えるーーー盲学校という「空間」から「正義(論)」を再考察するとき②

2019-12-14 | 社会 政治

もし盲学校がそこに集う生徒や保護者にとっての「終の棲家」であれば、とオニクタラムは考えるーーー盲学校という「空間」から「正義(論)」を再考察するとき②

前回の最後のくだりにおいて、次回の記事からは「フィくション」で語ってみたい云々の話で終わっていたのだが、やはりそれはまたそれで責任の所在があいまいとなるし、私自身も何かしらやりにくさを感じてしまったので、今まで通りに私を責任主体となるように論じていきたい。さすがに「フィクション」は荷が重すぎるし、「事実は小説よりも奇なり」と言うこともあるだろうから、とにかく読者にはご勘弁いただきたい。

私は昨年の4月からこれまでの間、休学していた時期も含めて、盲学校での生活をシステムとの関係からいろいろと考えてきた。システムの制約性貼るものの、とにかく盲学校という空間の中にいったん身を置いてしまえば、その間は飢えることもなければ、交通事故からいろいろな大きな事故にはめったに遭遇することもない。それゆえ、安心・安全も確保されている。「特別支援」という冠が盲学校の前におかれていることもあり、先生方も生徒には格段の注意を払って指導監督されている。

また、盲学校には寄宿舎も完備されていて、月曜から金曜日の放課後に、各寄宿生がそれぞれの自宅に戻るまでは、寝る部屋も朝夕の食事も提供されていることから、至れり尽くせりの空間が確保されているのである。

そして、ある日のことである。「システム論者」の私が以下のようなことを、システム(ここでいう「システム」とは例の三つの下部システムから成る一つのシステムである)に嘯(うそぶ)いたのだ。ーーーこの「至れり尽くせりの空間」が、もしそれを望む人とその家族のすべてに24時間、毎日、そして死ぬまで確保されるとしたら、その空間に生きる人たちは、ひとまず盲学校の「外部」に暮らす誰それに「危害」を加えることなく、また「迷惑」もかけることなく生活していけるに違いない、と。---

 


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