日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

№58私の語る「システム」論から、改めて「処理済み原発汚染水の海洋放出」と「ブリックス加盟国の拡大」を考えるときー二つの出来事は、覇権システムの、それゆえ「システム」の暴力・暴力性を見事に示している

2023-08-29 | 日記
№58私の語る「システム」論から、改めて「処理済み原発汚染水の海洋放出」と「ブリックス加盟国の拡大」を考えるときー二つの出来事は、覇権システムの、それゆえ「システム」の暴力・暴力性を見事に示している(続)




(最初に一言)


 今回記事は、前回記事でうまく伝えられなかったと思う記事の「補足」をしてみたい。とは言え、いつも私の考えていることを、的確に伝えられたと思う記事は、残念ながらほとんどない。毎回、記事投稿後に、「あそこのくだりは言い足りなかった」とか、「それはやはり、少し違っている」とか等々、きりがないのだが、私自身の能力を踏まえるならば、これまた仕方あるまい。それと、もう私は私の語る「システム」論を読者に提示してきたので、それを21世紀を読み解く羅針盤として、この先おこるであろう由々しき出来事とその災厄を、少しでも免れるための安全保障策を考えてもらえれば、それでいいのだ。その他のことは、私には枝葉末節なことに過ぎない。




 前回記事で、私が最も読者に伝えたかったくだりは、〈*私の記事の読者であれば、ここでの「暴力・暴力性」に対して、私が何の感情も抱いていないことを、理解していると勝手に思うのだが、良い悪いの話をしているのではなく、また、どこかの国や人々(政治や経済や社会の指導者も含む)が良い悪いといった話でもないということを、あらかじめご理解してほしい。ちなみに、システム人として、私自身の担う暴力・暴力性を。私は当然ながら、自覚・自戒しているのだが、如何せん、それを制御できないままにある。〉であった。さらに、その中でも、〈ちなみに、システム人として、私自身の担う暴力・暴力性を。私は当然ながら、自覚・自戒しているのだが、如何せん、それを制御できないままにある。〉のくだりは、私がものを書く際に一番こだわっているというか、留意している点である。




 いずれにしても、今回の東電・日本政府による処理済み汚染水の海洋放出という直接的暴力には、同じくそれを封じ込めるための直接的暴力の行使以外には、何ら有効かつ効果的対応策はないのだ。それは覇権システムにおける「常識」である、と私はみている。自己決定権の獲得とその実現に際して、暴力と暴力を介した争奪戦においては、力のない弱い者は、強い者に屈服せざるを得ないのだ。たとえ、言論・報道や集会・結社の自由権を行使して、海洋放出を封じ込めようとしても、無益であり無駄なことなのだ。


 それは別の異なる直接的暴力の行使しかないことを意味しているが、力のないものにはそれができないのだ。ただそれだけである。私たちは対話とか討議に基づいて、情報の科学的分析であるとか、その結果の公開を繰り返しながら、できる限り多数の者が納得のいく結論に到達することを夢想しているが、私たちはその前に、私たちがまずは覇権システムという暴力的・私的空間の中で生きていることを銘記しておかなければならないのである。


 何度も言うように、この覇権システムを前提としながら、私たちの「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係(空間)がつくり出されてきたのであるから、たとえどのような礼節を駆使したとしても、覇権システムの前では手も足も出ないのだ。それを示しているのが、プーチンのウクライナ侵攻であり、それに至る米ソの「冷戦」の「開始」とその「崩壊」、そこから続く米国とNATOのウクライナの切り崩し工作ではなかったろうか。


 これらの出来事は、すべてが覇権システムの次元で引き起こされたものであり、それゆえ、その沈静化は、その始まりと同様に、これまた力というか暴力の行使でもってシカ、実現できないのである。それが存在することによって、はじめて停戦(休戦)や和平へのプロセスが見えてくるのだから、残念と言えばそうなのだが、これまた仕方のない現実ではあるまいか。


 今回の海洋放出も、まさにこれらの流れと軌を一にしている。それゆえ、現状を封じ込めることのできる暴力が出現しない限りは、海洋放出は続くのは必至であろう。放出は30年間にわたり続くとのことだが、これまた何度も言うように、中国が2040,50年代までには次期覇権国として台頭するであろうことから、中国の力の下で、放出(計画とその実施)は、その変更を余儀なくされる公算が強い、と私はみている。


 ところで、今回の放出の件で、日本政府は「汚染水」の「安全性」は科学的に立証されたものであるから、海洋放出も「安全」であると主張している。これに対して、放出に反対する側は、その科学性と安全性を真っ向から否定している。私自身も、政府の科学的云々や安全性の主張には、勿論のこと反対の立場なのだが、上述したように、覇権システムを維持・発展・強化させる側は、圧倒的な力でもって、後者の反対側の訴えを、容易に退けてしまうことから、勝敗は最初から見えている。




(最後に一言)


 これに関連して言えば、私の語る「システム」論とそこで提示されている普遍的価値や普遍主義に関する私の主張も、これまた覇権システムの、そして「システム」の維持・擁護・推進派によって、見事に無視され続けている。その中に、今回海洋放出に反対する人々が多数、存在しているのも確かなことなのだ。彼らは未だに、憲法とそこに体現されている普遍的価値と覇権システムとが、車の両輪の如く相互に支え合っていることに気がつかないのである。換言すれば、以前の拙論でも指摘していたのだが、原発反対論者が憲法を熱烈に擁護するといった「矛盾」を、自覚できないままなのだ。


 もっとも、「それがどうした」、でもある。圧倒的な覇権システムと「システム〉の力というか暴力を前にしたとき、「気がつこうが、つくまいが、自覚しようが、するまいが」、まったくそんなもん、屁の突っ張りにもならないのは、これまた確かなことだから。



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№57私の語る「システム」論から、改めて「処理済み原発汚染水の海洋放出」と「ブリックス加盟国の拡大」を考えるときー二つの出来事は、覇権システムの、それゆえ「システム」の暴力・暴力性を見事に示している

2023-08-26 | 日記
№57私の語る「システム」論から、改めて「処理済み原発汚染水の海洋放出」と「ブリックス加盟国の拡大」を考えるときー二つの出来事は、覇権システムの、それゆえ「システム」の暴力・暴力性を見事に示している


*私の記事の読者であれば、ここでの「暴力・暴力性」に対して、私が何の感情も抱いていないことを、理解していると勝手に思うのだが、良い悪いの話をしているのではなく、また、どこかの国や人々(政治や経済や社会の指導者も含む)が良い悪いといった話でもないということを、あらかじめご理解してほしい。ちなみに、システム人として、私自身の担う暴力・暴力性を。私は当然ながら、自覚・自戒しているのだが、如何せん、それを制御できないままにある。




(最初に一言)


 私の語る「システム」において、すなわち、{[B]→(×)[C]→×[A]}のモデル(なお、モデルは省略形、共時態系)で描かれる「システム」の、Aの真ん中から下の方に位置する日本と、BやCに位置する中国やインド、ロシア、ブラジル、南アフリカ諸国での注目する出来事があったばかりだが、それらは覇権システムの歩みと密接に関係している、と私は考えている。




 「日本」と「日本人」に、そもそも「処理済み原発汚染水の海洋放出」など、できるはずはなかろう。世界の「世論」を相手に、これほどのタイソレタことができるのは、当然ながら「後ろ盾」が存在しているからに他ならない。覇権国の親分である米国なしには、日本や日本人が単独でそれを画策などできる力も勇気もないはずだ。逆に言えば、覇権国家としての米国から、そして「システム」から、あれやこれやの注文を受けて、日本と日本人がその処理をせざるを得なくなっているのが、現状ではあるまいか。


 覇権システムにとって、それゆえ「システム」にとって、原発という「核」は、必要不可欠な道具であることから、簡単には手放すことなどできるはずもない。たとえ、原発の使用済み核燃料の最終処理場や最終処理方法が、「未定」であったとしても、金の成る木としての「システム」がそれを必要とする以上は、なりふり構わず、いくらでも都合のいい理由付けをして、最後までやり通すのは、間違いないことだ。それを、私たちはこの日本のフクシマで目の当たりにしている。


 この覇権システムの暴力・暴力性を前にして、「システム」の提供する政治体制の一つである自由民主主義体制は、確かに、その暴力・暴力性に対して、集会や言論・表現(報道)の自由でもって、異議申し立ての抗議活動を展開することを許してはいるものの、それらの自由をいくら行使したところで、覇権システムの、また「システム」の暴力・暴力性には、歯が立たないのは明白ではなかろうか。


 これに対して、同じく覇権システムを構成する中国やロシアの暴力・暴力性を、自由民主主義体制下の政治的自由がいくら批判しても、これまた通用しないのは、無理もないことではなかろうか。覇権システムの暴力・暴力性を前提としてつくり出された「システム」が提供する自由民主主義体制下の「自由」なのだから、その自由と覇権システムの暴力・暴力性は矛盾するどころか、相互に補完する関係にある、と私はみている。




 先頃のブリックス会議における新加盟国の発表は、私の語るB、C、Aから構成される「システム」のB、Cにおける経済発展と民主主義の発展の段階に見る「高度化」の歩みを示す一つの例である、と私は理解している。個のブリックス会議の新たな拡大は、当然ながら、各加盟国の軍事力やその技術のさらなる発展を促すことから、覇権システムの暴力・暴力性に貢献することは言うまでもなかろう。


 その際、この新生ブリックスの拡大の動きを、「システム」の観点からとらえ直すならば、それは欧米諸国との対立衝突を導く存在であるというよりは、むしろ、これまで支配的であったA、B、Cから構成されていた旧「システム」の老化に対して、新陳代謝の働きによって活気づける起爆剤として、B、C、Aの新「システム」の高度化に益するものとして、その意味では「システム」のさらなる発展に利するものとして、捉えることができるのではあるまいか。


 そうしたことを踏まえるならば、この新ブリックスの船出を、中国主導で欧米諸国と対立し、米中の対立を象徴する出来事として、見るのではなく、旧覇権国の米国と、新覇権国の中国との米・中覇権連合の下での新「システム」のさらなる発展の動きとして、位置づけ理解し直すべきではないか、と私はみるのだ。


 いずれにしても、厄介なのは、新「システム」におけるAに位置する諸国とそこで暮らす人々である。確かにBやCの諸国とそこに位置する人々も、表面的には大変なので、同じような境遇に甘んじていると見られても仕方のないことだが、それは未だに、新「システム」の高度化に向けての動きが緩慢であり、目に見えるほどの高度化の恩恵に接することができないことに由来するものなのだ。それゆえ、これから10年から20年の間にかけて、高度化の実現が目に見えるにつれて、B、Cの諸国の豊かさとその恩恵に与れる人々が増大するのは、これまでの英国や米国の覇権国に至る歴史からも想像できる、と私は考えている。


 それゆえ、問題となるのは、かつてのAの諸国とそこに生きる人々である。新「システム」から見れば、もうAは「不要な存在」なのだ。ただ、Aの資本と技術、有能な人材に関わる「人間」以外は、要らないのである。それゆえ、欧米諸国でも、この日本でも、要らない人間に対する仕打ちは残酷である。その代表的例が、欧米諸国での移民流入を積極的に促すことによって、以前の国家とその歴史・伝統を蚕食しようとしているのだ。誤解のないように述べると、移民者には何の罪もない。彼らもただ「システム人」として生きているだけだから。


 だが、そんな彼らは極右派の攻撃の対象とされ、またそうした移民排斥の動きによって国内のこれまで保たれていた「平和な民主主義」的社会は破壊されていく。無論、その平和な民主主義の社会とは、私の語る差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきた「システム」の下で手にしてきたイビツナ平和であり、民主主義であるのは言うまでもない。とにかく、欧米諸国は、新「システム」の高度化の歩みの中で、崩壊そして解体へと向かう道を辿っているのは間違いない。


 そして、この日本も、またこれから世界の使用済み核のゴミを受け入れる国へと、ますますその道を辿っているように、私には思えて仕方がないのだ。先の海洋放出は30年間続くらしい?。、それまでには、中国は新覇権国の新親分として世界に君臨しているだろうから、日本は中国には逆らうこともできなくなっているに違いない。少し先に訪れるであろう「この地点」における中国と日本の関係を、すなわち親分である中国と子分である日本の関係を斟酌することができていれば、と思うのだが、これまた詮無いことなのだ。


 もし、それができるのならば、それこそ、海洋放出などすることもないから。それを思えば、「あの戦争」とその敗北後の米国に従属するばかりでここまで生きてきた日本と日本人の、筆舌に尽くしがたい途方もないマヌケさを思い知るばかりである。いろいろな理由や理屈はあるのだが、米国との戦争に踏み切り、勿論、その前には中国とであったが、途中でその戦争をやめることもできないままに、米国のというか「システム」の既定路線であった原爆投下まで続けさせられた。その米国の占領統治下の憲法を受け入れ、ありがたがった日本人だから、覇権システムが、「システム」がどうのなんての議論になど関心はないのだろうが、お粗末極まりない。




(最後に一言)


 海洋放出に至る話は、以前の記事で述べていた。私は悲しいかな、この問題を、自分が納得して、自分が徹底的に調べ上げた上で、語ることができないので、最後まで戦えないのだが、それでも言えるのは、覇権システムと、「システム」を考察すれば、やはり原発推進論者の説く「安全性」の胡散臭さはすぐわかる。だが、同時に、海洋放出は日本と日本人の問題をはるかに超えた、覇権システムの、そして「システム」の監督事項とされる問題であることを理解すれば、もうどうにもならないこと、と私はみている。


 何度でも言うが、たとえ選挙で別の政権が誕生したとしても、何もできないのは、民主党政権下の原発事故対応を思い浮かべればわかるに違いない。たとえ野党が結集しても、日本国民が団結しても、何も変えることはできないのだ。なぜなら、私たちは、明治維新以降、私の語る「システム」という「私的空間」で生き続けており、そこには一切の「公」的空間など存在していないからだ。私的空間で繰り返される選挙活動をいくら展開しても、表現や言論の自由を唱えてみたところ、何もその私的空間には変化はもたらされない。それに対して、ここで営業の自由とか私有財産権の自由を考えるならば、これらの自由こそが、まさに私的空間をつくり出す一番大事な自由であることに気がつくのではあるまいか。これまた、いまさらながらの、当たり前だのナカムラモンドになるだけだろうが。


 それにしてもだ。私たちは、白黒とか善悪の二元・二項対立論に陥ってはダメ、とロシアのウクライナ侵攻でさんざん議論してはいたのだが、ここにきて、新生ブリックスが登場すると、何か以前の欧米支配とその秩序とは異なる、希望の持てる新たな秩序ができるかもしれない云々の議論がネットで散見されるのだが、これまた覇権システムを看過した話ではあるまいか。それに関連して言えば、「多極化の動きが始まった」等々の話もあるが、覇権システムという、そして「システム」という枠の中での話であることを、ゆめゆめ忘れてはならないだろう。


 最後に、今日の記事の最後にだが、私は「何もできない」とすぐ上で述べたのだが、その物言いは確かに無責任のそしりを免れないのだが、これまた仕方がないことだ。「システム人もつらいよ!」である。



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№56私の語る「システム」論から、改めて「敗戦(終戦)記念日」前後における「あの戦争」の記憶を辿る日本人の集団的・自己欺瞞?の「演出」について再考するとき(続)

2023-08-21 | 日記
№56私の語る「システム」論から、改めて「敗戦(終戦)記念日」前後における「あの戦争」の記憶を辿る日本人の集団的・自己欺瞞?の「演出」について再考するとき(続)




(最初に一言)


 前回記事も、またまた以前に述べた話の焼き直しであったが、それでも私自身のボケ防止において、少しは役に立っているのは間違いない。今回記事も、その予防を兼ねて、前回記事の内容を再度、確認してみたい。




 前回記事の強調点を、箇条書きでまとめると以下のようになる。


①私たちの「不戦の誓い」で祈念される「平和」は、自由や民主主義人権といった普遍的価値を構成するものである。


②そうした普遍的価値が提唱されたのはいわゆるフランス革命に代表される市民革命においてである。


③普遍的価値は、ただいくらその価値や価値観が素晴らしいと礼賛しても、それが現実に実現されないのならば、まさに絵に描いた餅でしかない。


④普遍的価値を現実に実現する歩みである普遍主義を考察するとき、それは大きく二つに分類されていた、と私はみている。


⑤その一つは、いわゆる「正常な発展」を辿ったとされる諸国であるが、これは先の市民革命を経験した英・米・仏・蘭に代表される。


⑥これに対して、「不正常な発展」を辿ったとされる諸国がある。そこには、戦前の独・伊・日が含まれている。


⑦前回記事でも少し触れたのだが、どうして⑤⑥のように、正常と不正常の違いが生じるのか。これまでの知見に従えば、その違いは、普遍的価値を前提として、あるいはそれを尊重・重視して、共同体が、その際それは主権国家を前提とした国民国家とされるのだが、国家の舵取りを担ったことが大きな要因とされる。


⑧これに対して、不正常な発展を辿った共同体は、その普遍的価値を軽視あるいは否定して、国家の舵取りを担ったから、とされている。


⑨ここで、私が再度、問いかけている問題は、そもそもそれでは、その普遍的価値を重視して国家の舵取りができたのは、なぜなのかとの問いである。換言すれば、そうした普遍的価値の実現に成功した共同体は、どのようにして、その実現に成功したのか、という問いである。


⑩その際、普遍的価値を実現できた共同体は、その主権国家や国民国家をどのようにして実現できたのだろうか。この問いかけにもこたえなければならないはずだ。と言うのも、共同体を前提として初めて普遍的価値の実現が可能となったから、可能となるような歴史を辿れたからだ。


⑪その関連で言えば、植民地や従属地に甘んじた共同体は、市民革命を実現したとされる共同体によって、主権を奪われたり、否定された歴史を辿ったということであるから、そもそも⑤の諸国は、これらの共同体に対して、彼らが重視した普遍的価値を許さなかったということになるのだが、それはどうしてなのか。この問いにもこたえなければならない。


⑫私が考えるには、⑤の共同体が掲げる普遍的価値は、最初から差別と排除の関係をその裡(うち)に含むものではなかったのか、ということである。⑤の共同体がその絶対王政期につくり出した植民地や従属地との差別と排除の関係は、市民革命時も、その後も維持・継続したことを鑑みるとき、それは現実には、普遍化を許さない価値であり、それゆえその実現の歩みである普遍主義においても、差別と排除の関係は存続するのは当然なことであったのではなかろうか。


⑬それゆえ、普遍的価値の一つを構成する平和をいくら祈念したとしても、差別と排除の関係はなくなることはなく、結局のところ、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉が発展することになり、それゆえ、「システム」内での共同体間と、その構成員間の対立と衝突、そして戦争を引き起こすこととなるのだ。


⑭これらに付言して再度述べるとき、丸山眞男氏は、民権と国権の両者が「幸福な結婚」を経験した⑤と、そうではなかった⑥の例を紹介しているのだが、そこでもやはり同じように、どうして⑤の諸国は、幸福な、つまりは正常な発展ができたのかについては、その理由を論述していないのだ。それは⑥の諸国は、どうして不幸な、不正常な発展を経験したのかについても、同じである。




(最後に一言)


 本当におかしなことなのだが、肝心な問いに関して、これまであまりにも「スルー」し続けてきたのはなぜなのか、それを私たちは考えた方がいいのだが、私のこんな問いかけなど、多くの人たちには決して共有されないのも承知しているので、これくらいにしておく。


 それにしてもだが、英・米・仏・蘭に代表される普遍的価値を世界に向かって高らかに宣言したはずの共同体が、どうして世界中の多くの共同体を侵略したのか。そうした侵略を経験したはずの共同体の中から、どうしてまた同じような侵略が繰り返されるのだろうか。私たちは、こうした問いかけを踏まえながら、自由主義、民主主義、民族主義、帝国主義の歩み(歴史)の中に見いだされる「混然たる一体的関係」(司馬遼太郎)について、どうしても掘り下げて論じ直すことが必要ではなかろうか。


 何度も言うようで恐縮だが、私の語る「システム」論で描かれるモデルの〈「システム」とその関係の歩み〉は、司馬が問いかけた先の関係を、私なりに描いたものであることを、ここで指摘しておきたい。なお、これについては、拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」-「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』(晃洋書房、2014年)を参照されたい。




(付記)


 前回拙著の刊行から、もうかれこれ10年を迎えるのだが、次の作品を未だ完成できない我が身の能力のなさに、恥じ入るばかりの今日この頃でもある。もう、このまま終わってしまうのか、それでいいのか、当然ながら、よくはないのだが、もう今さら何を主張しても、「糠に釘」のような「システム」の中で、との思いが強まるばかり。まあ、それはそれで、たとえ同じことの繰り返しでも、書きたいと思う間は、書き続けたい。それも正直な思いである。


*(付記)の(付記)


 今日は8月21日の早朝だが、昨日の昼頃から、丸山氏の名前をまた間違えたのではないかと、少し頭の中では思っていたが、先ほど確認してみると、案の定そうであったので、訂正しておいた。


 また、司馬遼太郎氏の「混然たる一体的関係」の私的は、その通りだ、と私も道灌なのだが、誤解のないように述べておくと、いわゆる「司馬史観」と揶揄された彼の歴史の見方には、私も納得はしていない。それはそうなのだが、この一体的関係という観点から、自由主義、民主主義、民族主義、帝国主義の歴史を、それこそ一体的関係として描き直す必要性の私的は、『昭和史』(岩波新書、青版)の中で、「あの戦争」の「三つの性格」として提示した個々バラバラの歴史観と比べても、はるかに優れている、と私はみている。なお、これについては、拙著『「日本人」と「民主主義」』(御茶の水書房 2009年)を参照されたい。



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№55私の語る「システム」論から、改めて〈敗戦(終戦)記念日」前後における「あの戦争」の記憶を辿る日本人の集団的・自己欺瞞?の「演出」について再考するとき

2023-08-15 | 日記
№55私の語る「システム」論から、改めて「敗戦(終戦)記念日」前後における「あの戦争」の記憶を辿る日本人の集団的・自己欺瞞?の「演出」について再考するとき




(最初に一言)の前に


 私の父は、毎年この時期になると、いつも以上に何かに取り憑かれて、苦しんでいたのを記憶している。学徒動員で招集され、戦場へと送り出されて負傷し、その後また戦地へ。それから敗戦を迎え、94歳で没するまで、「戦争」と向き合いながらの人生を送っていた。とてもつらい人生であったはずだ。


 戦争について多くを語ろうとはしなかった父であったが、万歳万歳と旗を振りながら駅のホームから見送ってくれた大勢の人も、敗戦後の出迎えには、手のひらを反すように冷淡であり、ほとんど誰も駅にはいなかったことを、話してくれたのを思い出す。誰もが空に喰わずの生活で、余裕などなく、ましてや敗戦の兵士に、家族でもない他人が温かい感謝の気持ちなど示すはずもなかったろう。


 そんな父は、あの戦争を巡る書籍にいろいろと目を通しながら、「これも嘘が多い」、「これは硫黄島の穴の深さとか形を知らない人が書いている」とか、独り言のように語っていたのを、私は今でも記憶している。すべてにおいて、戦争を記憶してそれを後世に伝えるのは、至難の業であるに違いない。


 同じ戦場で長期間一緒であったはずの兵士たちでさえ、それぞれの記憶は異なるのは容易に推察できる。父は「本当のことは、しゃべれないものなんだ」、と言っていたのだが、今思うと、たとえそれを語ってくれたとしても、聞き手の私が、どこまでその内容を、汲み取ることができるのか、正直わからないのである。


 これは深刻な問題ではなかろうか。今の時代を生きている若者たちにとって、あの戦争をどんなに学んだとしても、どれほどのことが獲得できると言えるだろうか。命の大切さについて、私たちはいろいろと学んでいるのだが、それでも平気で学校や職場ではいじめが問題で自殺者が絶えないのも事実ではあるまいか。人殺しはダメであると教えられても、それでも、そうした現実・現場に直面せざるを得ない私たちである。


 友達を詐欺商法に誘い、彼や彼女がそれによってどのような命の危険にかかわることがあっても、それでも我関せずという人たちが増えているのは間違いない、と私はみている。そんな私たちが殊勝にも、この時期だけは人の命の重さを思い知るなんてことは、やはりないというべきではあるまいか。


 今の若者を始め、私たちの日常は、多くの者には余裕はなく、それこそ生き死にと背中合わせの環境の中で、日々の生活を送っているのではあるまいか。私がこれまで問い続けてきたのは、いわゆる戦場での「人殺し」と、私たちの日々の暮らしの中での「人殺し」とは、どのようにつながっているのだろうかとの問題であった。殺される側からすれば、戦場であっても、家庭や学校、職場であっても同じではないのか。


 否、決してそれが「同じ」であってはダメであり、許されないはずなのだが、悲しいことに、家庭や学校や職場で、同じ人間であるはずの何某かの関係のある者同士で、殺し・殺される事件や事故が「多発?」しているのであるから、これはもう異常でしかないはずなのだ。ところが、私たちは、これまた日々のニュース報道で、淡々と受け止めるばかりなのだ。こんな人間集団が、どうして戦争を二度と繰り返さないなんて確約できるだろうか。と言うのも、いつも、日々の暮らしの中で、「戦争・センソウ」が繰り返されているからなのだ。


 またまた、普通の読者には「トンデモ」論であったかもしれないが、私には、こんな空間では、いつ暴動がおこったとしても不思議ではないのだが、それが起きないから、不思議なのだ。誤解のないように付言すれば、私は決して暴動をけしかけるつもりはさらさらないのだが、これほどまでに〈陰鬱な閉鎖的空間〉(この別の名が「リベラルなデモクラシー空間」である)が蔓延すれば、それはますます多くの人たちの心身を、内に向かって破壊していくばかりとなるのを、私は危惧するのだ。何かの「ガス抜き」でもあればまだしも、それさえもないとすれば、これはもう「大変だ」の域を超えているのではあるまいか。


*こうした問題は、私の語る「システム」論で示すB、C、Aから構成される「システム」のAにおける「低度化」の深化の歩みと結び付けて考察することが大切である、と私はみている。先に言及した「暴動」が、いつ何時「システム」の高度化のために、「システム」が用意周到に計画している「戦争」へと誘導されることだけは、私たちは心しておく必要があるのだが、「システム」の仕掛ける戦争が、そんな「心構え・心がけ」でもって、「予防・防止」できるのならば、苦労はしないし、私も、こんな記事を書く必要もないだろう。


 それでは、いつものように、続きを書いていくのだが、戦後生まれの戦争を知らない私の「あの戦争」論であるから、直接の戦争に関する話は書けるはずもないことを、ここで断っておきたい。ただし、私は私の語る「システム」論の観点から、どうして私たちが、あの戦争へと突き進んでいったのかについて、多くを語ることができる、と今でも信じて疑わない。




(最初に一言)


 毎年のことだが、私は「8月15日」前後の、日本人の集団的・自己欺瞞を演出する「あの戦争」を巡る「催し」と、それを伝えるメディア報道にはうんざりなのだ。これではいつまで経っても、「普遍的価値」と「普遍主義」は疑問視されるどころか、ますますご安泰となるだけではないのか。




 まあ、私がいくらこんな愚痴を言っても、そうした指摘を理解しないばかりか、もう「あの戦争」へと至る「歴史」の「全体像」を、すなわち普遍的価値の実現としての普遍主義の歴史として描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉を、換言すれば、{[Aの経済発展(衣食足りて)→Aの民主主義の発展(礼節を知る)]→(×)[Bの経済発展(衣食足りて・足りず)→Bの民主主義の発展(礼節を知る・知らず)]→×[Cの経済発展(衣食足りず)→Cの民主主義の発展(礼節を知らず)]}を、俎上に載せて検証・検討する作業など望むべくもないように、私には思われて仕方がない。


 それゆえ、私のモデルで示される一番外側の覇権システムや、あの戦争時の連合国を形成した英・米・仏等の自由民主主義体制から構成されるAグループと、独・伊・日等の全体主義・軍国主義体制のBグループとの関係や、さらにはA、B両グループにより植民地や従属地に組み込まれていたCグループとの関係について、捉え直す試みは、最初から私たちの視野の外に置かれることになる。それに替えて、私たちが熱心にこれでもかと、重箱の隅をほじくるかの如く、毎年取り組んできたのが、あの戦争に動員された若者や、その家族の当時の証言と、その紹介である。


 無論、こうした作業が有意義であり、当時の日本の環境を知る上で大切であるのは言を俟たないのだが、その日本がどうして戦争へと突入せざるを得なかったかを問うのならば、もう少し大きな分析枠組みが必要となるはずに違いない。私がいつも不思議に思うのは、最初からそうした作業を忌避するかのように、あらかじめ、メディア報道の進め方が決められているように思われて仕方がないのだ。


 その目的は、視聴者が、日本は悪、米国は善といった二項対立的な捉え方で満足するように、導かれている。そこからさらに、米国の広島・長崎の原爆投下に至る歴史を、私の語る「システム」の維持と発展と切り離して取り上げることから、最初から自由な民主主義国である解放軍は「正義」であり、それに対して軍部が指導した当時の日本は救いようのない、「退治」されても当然であるかのように扱われているのではあるまいか。このように、最初から日本だけに問題があったかのように、話が設定されていて、それに沿うような形で、あの戦争の歴史が語られるのだから、これではあの戦争の抱える問題が、日本と日本人の〈普遍的価値の実現に至る〉「不正常な発展」に、もっぱら求められたとしても、なんら不思議ではないだろう。




 私は当然ながら、こうした演出に対して、異議申し立てをせざるを得ないのだが、私の立場はますます不利となるばかりなのだ。ただでさえ、私たちの近代史や現代史を捉える目は、私から見れば、あまりにも英米仏の歴史には甘すぎるのに対して、日本の歴史は彼らとは異なり、「正常な発展」の実現に失敗したばかりか、近隣諸国を、日本の侵略戦争によって苦しめたとして、一方的に断罪されてしまうのだ。


 私は侵略の歴史を否定はしないし、それを受け止めている。だが、私たちは、未だになお、英・米・仏における普遍的価値の実現に至る「正常な発展」の歩みと、独・伊・日のそれに至る「不正常な発展」の歴史とを、個々バラバラに取り上げて論じるだけであり、両者を関係づけた議論なり考察を試みてはいないのだ。私たちの研究は、英・米・仏の三つの、正常な発展の歩み(コース)が、最初に設定され、れらの歩みを、私たちの到達すべき目標として、そこから外れた歩みは、不正常な発展として位置づけ評価されてしまうのだ。


 そこには、正常とされる歩みと不正譲渡される歩みとが交錯した歴史が、取り除かれているのだ。その上、さらに、その正常な発展を辿ったとされる諸国が植民地や従属地をつくり出した歴史も、それら諸国の正常な歩みから削除されてしまっているのである。こんなにも、おかしな歴史の描き方、捉え方があるだろうか。


 私の語る「システム」論は、そうした正常な発展とされる歴史と、不正常な発展とされる歴史と、それら二つの歴史の踏み台とされた植民地、従属地の歴史とを、相互に関係づけたモデルである。すなわち、〈「システム」とその関係の歩み〉として描いたモデルだ。それは、{[Aの経済発展(衣食足りて)→Aの民主主義の発展(礼節を知る)]→(×)[Bの経済発展(衣食足りて・足りず)→Bの民主主義の発展(礼節を知る・知らず)]→×[Cの経済発展(衣食足りず)→Cの民主主義の発展(礼節を知らず)]}として示されるのだが、この中のAが「正常な発展」を歩んだ英・米・仏諸国である。そしてBが不正常な発展を歩んだとされる独・伊・日諸国であり、Cはそれら両グループの植民地・従属地となった諸国である。


 このモデルから理解できるのは、あの戦争へと至った原因は、このモデルで描かれる差別と排除の関係が根底にあるということである。正常とされる発展も、不正常とされる発展も、ひとしく差別と排除の関係を前提としながら、Cを植民地・従属地の地位に甘んじ指せる関係を強いていたのだ。さらに、Aの正常な発展は、Bにそれを許すことなく、差別し排除しながら、不正常な発展の歩みを辿らせていたのだ。この両者間においての対立・衝突が、そして戦争へと至るのは、Cを巡る争奪戦も重なることも相まって、時間の問題であったことは、容易に推察できるのではあるまいか。




(最後に一言)


 元より、最初から「正常な発展」などできるはずもなく、そこに至るまでには、相当な不正常な発展の歴史を経験したはずである。この両方の視点というか視角を含み持つ、私の語る「システム」論のAは、たとえ正常とされたとしても、BやCに対する差別と排除の関係を組み込んだうえでの正常であることを、銘記してほしいのである。それは果たして正常なのだろうか、正義だなんて簡単に言えるのだろうか、と。


 こうした点を鑑みながら、今目下形成・発展途上にあるB、C、Aから構成される1970年代以降から今日に、そしてこれからも当分の間続くであろう〈「システム」とその関係の歩み〉を捉え直すとき、私たちはどのように歴史を、すなわち差別と排除の関係の歴史を、位置づけ理解すればいいのだろうか。これまた難しい問題であるのは確かなことだが、もうそろそろ、ロシアや中国における〈普遍的価値の実現に至る〉発展を、不正常な発展としてもっぱら批判・非難することは、できれば差し控えたほうがいいのではあるまいか。それら両国を批判し非難する私たちの物差しである普遍的価値の実現に至る「正常な発展」とされる正常さがどれほど異常?であるか、それを判断する余裕を持ちたいものである。



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№54私の語る「システム」論から、改めて「自己決定権」の獲得とその実現に際して、「差別と排除の関係」を組み込んだ「近代なるもの」とその「思想」の抱える暴力・暴力性の宿痾を再考するとき(続・続・続)

2023-08-12 | 日記
№54私の語る「システム」論から、改めて「自己決定権」の獲得とその実現に際して、「差別と排除の関係」を組み込んだ「近代なるもの」とその「思想」の抱える暴力・暴力性の宿痾を再考するとき(続・続・続)
  


(最初に一言)の前に二言三言


 私の話は繰り返しが多いことに加えて、わかりにくいことから、読者にはいつも申し訳なさを感じているのだが、今回記事もそれを踏まえて何とか努力してみたい。


 私の言いたいことの一つは、普遍的価値(理念の次元)と普遍主義(現実の次元)を十分に理解した上で、護憲や第9条の護持することが何を意味しているのか等々について、考えてほしいということである。


 たとえば、安倍元首相は口癖のように、普遍的価値を共有する諸国と連帯しながら、アジアと世界の平和を脅かす諸国に対抗するために、軍備増強や集団的安全保障の必要性を唱えていた。また敵基地先制攻撃とその能力向上を図ることも務めていた。こうした普遍的価値を共有する諸国との連帯と、それら諸国のへいわを防衛するということが、私の語る「システム」の高度化に役立つのは、明白ではなかろうか。


 金の成る木としての「システム」にとって必要不可欠な戦争を、またその準備のための軍事費の増大を要求・要請する運びとなるからだ。その証左というかそれを物語る格好の例が、先頃の台湾での麻生氏による発言である。「システム」は今後もますますこうした「有事」をつくり出す意図的な世論醸成のための先制攻撃を繰り返すのは目に見えている。そして、いつも、自由で開かれたインド・太平洋云々だとか、自由、民主主義、人権、平和の普遍的価値観を共有する諸国の武力での安全保障の必要性云々を主張してやまないのだ。


 こうした例でも示される普遍的価値と覇権システム(の防衛)との関係は、それこそ「システム」の歓迎することなのだ。さらに、私たちの歴史の中で繰り返されてきた普遍主義の歩みがそこに重なるのだから、普通の庶民の命と暮らしを守ることがどれほど至難の業化は、容易にわかるに違いない。そして、今、私の語るB、C、Aから構成される「システム」がその高度化のためのさらなる段階に向かって、すなわち中国を次期覇権国として台頭させるために、その歩みを進めている最中なのだ。


 何度も言うように、私たちはこうした「システム」の歩みの前ではほとんど何もできないのである。だが同時に、たとえそうであったとしても、その歩みを必要以上に進めることに手を貸すことはないのである。たとえば、第9条を自ら手放すこともないし、敵基地先制攻撃能力の向上云々の議論の輪の中に加わる必要もさらさらない、と私は強調しておきたいのである。


 そんなことに、わざわざ私たちが率先して関わらなくても、遠からず、「システム」は私たちを戦争の渦の中に呑み込む公算は高いからだ。それを踏まえた上で、私たちは護憲や第9条の有する力を考慮しなければならない、と私は考えるのだ。平和憲法んに象徴される市民革命時の普遍的価値は、その実現としての普遍主義の歩みの中で、必ず私の語る「システム」をつくり出すだろうから、護憲や第9条をいくら掲げてみたところで、それは所詮は最初から、その先は見えすぎているのだ。だが、すぐ上でも述べたように、それでも、その使い道はあるのも確かである。


 だが、それはそうだとしても、私たちを取り巻く環境は日増しに危険水域に。私たちが足を踏み入れるそのスピ―ドを増している。世論調査でも、憲法改正に国民の半数は同意しているし、敵基地攻撃に関しても、国民の多くは、さほどの危機感を感じていないようなのだ。こうした今の私たちの状況・状態を鑑みるとき、野党の果たすべき責任は重大であるのは間違いないのだが、同時に過度の期待を抱くことも、もうすべきではない、と私は思うのだ。私たちの現在の姿を、そのまま野党は体現せざるを得ないからだ。


 それを踏まえた上で、私たちはいま一度、政党政治に向き合うべきだろう。それを断った上で、私が期待するのは、たとえどれほど現実には難しい問題であるとしても、現状の覇権システムとは異なる新たな覇権システムの構築を模索する試みである。今の覇権システムは、当然ながら日米関係を中心としているのだが、そこに日中関係の軸も加えた覇権システムの可能性を、私たちは真剣に考えるべきではあるまいか。


 元より、米・中覇権連合の発展とその強固な歩みを忘れてはならない。それゆえ、米国にいちいち報告しながら、中国との関係を進めていくしかないのだが、その経緯をアジアや中東・アフリカ諸国を始め、世界中に日本の姿をさらすように展開していくことである。隠し事を持たないことが、これからの日本の生き残りには必要だ、と私はみている。このように書きながら、私はおそらくこんな新たな覇権システム云々の論に対して、護憲や第9条論者がアレルギーを示すのは承知の上だが、護憲や第9条の歴史自体が、日米関係を、覇権国として台頭していた米国を頂点とした覇権システムを、そして「システム」を前提としていたことを踏まえれば、簡単に覇権や覇権システムに背を向けてはいけない、と私は言わざるを得ないのだ。


 もう、この辺でやめておきたい。できないことと承知で少し話したのだが、私の語る「システム」において、日本と日本人の位置している地点は、相当に危ういところだということだけは、お互いに共有しておきたいものだ。すなわち、安全保障の面において、私たちの生存と存続それ自体が危機に面していることを、先ずは、私たちの共通課題とすべきなのだ。


 消費税や国債発行の問題も確かに重要だが、それを有権者に語る前に、やはり先ずは、私たちの安全保障を実現するためには、どのような覇権システムの下で、これからの時代を、どう生きればいいのか、その確認をお互いが共有できるように、政党は語るべきだ、と私は思うのだ。とくに野党は、政権を目指すのであれば、なおさらではあるまいか。残念ながら、護憲や第9条論者や、従来の左翼というか自公政権に反対する人々は、こうした私たちにとって、一番大切な問題に向き合おうとしないのだ。


 これでは、もう、最初からどうにもならない。「他人様の核の傘の下」で生き続けた結果の成れの果てが、この日本と日本人だということであるのは間違いなかろう。この自覚と自戒のない者に、麻生氏の「戦争を覚悟する」云々発言や、覇権システムの、「システム」の差別と排除の関係の宿痾を批判・非難する資格はない、と私は強調しておきたいのである。本当にもうやめておこう。誤解されるだけだと思うので。




(最初に一言)


 前回記事もまた、これまで論述してきたことの繰り返しというか、ほんの少し、論じ方を変えたに過ぎないものであったが、私のこれまでの主張が凝縮されていた内容の一端を構成している。いわゆる自由、民主主義、人権、平和といった普遍的価値を実現する歴史は、普遍主義のそれであるが、その際、私の語る@システム:で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉をつくり出すことになることから、どうしようもない差別と排除の関係に体現される暴力・暴力性の宿痾を導くことになる。


 そうした「システム」の歩みの中で、「あの戦争」となるのだから、「きけわだつみのこえ」の中で若者たちが書き残した手記に示される次の世代に伝えようとしたメッセージは、40代半ば頃の私にとって、とてもつらいものとなったことを記憶している。それもあったのだろうが、私はどうしてもあの戦争の犠牲者となった人たちに、どうしてそんな戦争の渦中に彼らが巻き込まれなければならなかったのか、その原因成り理由をさらに探求することになったのだ。それが、普遍的価値と普遍主義に関する研究、そして私の語る「システム」論の提示へと、私を誘うことになったのである。




 ところで、普遍的価値に依拠して社会を世界を変革しようとする試みは、絶対王政を打倒したとされる市民革命以降、今日においてもまったく変わらない、と私はみている。それは、たとえば、ブルジョアジ―が指導する社会を、プロレタリアートが主体となって維持・運営する社会主義社会の実現を目指す革命の理論的指導者においても、変わらないとされていた、と私はみている。それゆえ、彼らは、私の語る「システム」の前で、どうしても行き詰まらざるを得ないのだ。


 付言すれば、フランシス・フクヤマ氏の「歴史の終わり」は、たとえこれから先の歴史が続くとしても、その歴史は「自由主義(自由主義的民主主義)」の段階を超えるものでは到底なく、その意味では、歴史は自由主義」を最後の段階として終焉すると論じていたが、。私の語る「システム」論との関連から見れば、〈「システム」とその関係の歩み〉は、自由主義の段階においても、その後の社会主義の段階がもし訪れたとしても、「システム」と、その差別と排除の関係は、そのまま継続するとの意味において、私は彼の論に、同意する。


 今日の地点において、私も含めたほとんど大多数の者たちは、同じくこの「システム」の前で、どうしようもなく立ち止まったままなのだ。それでは従来の生き方に替わるよりましな生き方があるのかと問われれば、それは、〈(2023,8,8)№51私の語る「システム」論から、改めてーーー〉で紹介したトルストイ、ガンジー、田中正造に代表される思想とそれに依拠した生き方であるのは間違いなかろう。ほんらいならば、SDGsの時代を推奨する今こそが、そうした生き方を模範とすべきなのだが、これもまた、「システム」の狡猾なウソであることから、どうにもならない。


 だが、残念ながら、この生き方を、私たちが受容して実践するのは、ほとんど困難であるだろうし、それは不可能だろう。こんなにも簡単に「できない」なんてことを言うのは、差し控えたいのだが、それこそ、「システム」は許すはずもない。そしてそれを担い支えるシステム人の私たちも、きれいごとを言う割には、性根は相当なワルだから、果てしない欲望に身も心も捧げるだけなのだ。それを踏まえるとき、私たちは、私の語る「システム」の中で生きるしかないということになる。




(最後に一言)


 今回記事も、相当に疲れてしまった。何かしっかりとした展望があるのならまだしも、それがないというのが、正直なところだ。それでいて、エラソーな物言いをするのだから、本当にどうかしている、と言われても仕方なかろう。だが、それでも何かを伝えておきたいのだ。そのほとんどが、どうすることもできない話ばかりだとしても、そうなのだ。



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