日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「システム」と「システム人」が恐れるものとは

2018-11-30 | 社会 政治

「システム」と「システム人」が恐れるものとは

大塚久雄著『社会科学における人間』(岩波新書黄色版)で描かれている「合理主義的人間」、つまり「ロビンソン的人間」であるが、それこそが「システム人」そのものである。そうした人間像を理想化して、世界中がそうした人間であふれるように、大塚は記念したのだ。

もっとも、フランシス・フクヤマと同様に、いやそれを言うならむしろマックス・ヴェーバーであるが、そうした合理主義的人間の成れの果てを、大塚も悲観的に描いていたのを忘れてはならないのも重要なポイントなのだが。

こうしたシステム人とそれを構成員とするシステムが最も恐れるのは誰か。ずっと以前に、尾崎士郎の『人生劇場』(新潮社文庫)で描かれている飛車角や吉良常である、と私は確信している。映画版では、鶴田浩二が飛車角を演じていたと思うが。

これを見た時に、私は直感したものだ。これなんだよ。これしかないんだと、システムとシステム人に対抗するには、たくさんの「飛車角」や「吉良常」のような生き方をする、それができる人間が必要不可欠なんだ、と。

そうした気分を味わったもう一つの作品は、吉村 昭氏の『敵討』(新潮社文庫)であり、これもまたテレビ化されて放送された。タイトルは「遺恨あり、明治十三年 最後の仇討」であった。相当な衝撃を覚えたものだ。

主人公の臼井六郎のような人間がもし今もこの「日本」に生きながらえていれば、彼のような人間のみがシステム人としての「日本人」を「解放」できる存在となれる、と私は考えるのだ。

もっとも、この手の人間存在をシステムとシステム人は許さないのも確かであるが。逆に言えば、こうした人間はシステムにとって脅威となるのだ。彼の手には、ただ小太刀しかないが、システムを倒すのはそれで十分すぎるのではなかろうか。武器ではない。武器が問題ではないのだ。あくまで六郎のような人間存在が重要なのだ。

吉村 昭氏は、この作品の中で、「あの戦争」以降の「日本」と「日本人」を告発しているように私には感じられた。「ハイド氏の裁判」で竹山道雄氏が告発した内容を、さらに吉村氏は別の角度から、鋭く問いただしているように思われた。より直截に言えば、前者が「システム」の抱える問題を描こうとしていたのに対して、後者は「システム人」の対極に位置する人間とその生き方を提示していたように思われる。

飛車角や六郎の前では、私も偉そうなことは決して言えないし、恥ずかしさだけを覚えるに違いない。いや、違いないではなく、そうなのだ。私自身の知り合いの中にもこの種の人間がいる。彼らは威張らず、社会の隅の方で、懸命に生きている。

不思議なものだ。システム人の私を今でも優しく見守り続けてくれている。とてもうれしいのだが、甘えるだけの自分自身に歯がゆい限りだ。おっと、今回はこれ以上は述べないでおきたい。また野暮な話になるかもしれないので。

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前回の続き

2018-11-29 | 社会 政治

前回の投稿記事において、私はシステムの歩みとその関係から「ゴーン氏の問題」を捉えることを述べたのだが、それはどんな問題においてもそうした訓練が大事だとする私の考え方である。

何度も同じことを言うのだが、誰かが悪いとか、良いとかの問題でもなければ、どちらの側が正しいとかの問題でもないのだ。システムは、システム人ならば次は何をするだろうか、その点を見極める訓練が大事だと私はいつも考えている。

勿論、何度も見当はずれの見方をしてしまうが、それは仕方がない。情報が不足しているからだ。システムはいつも、システムの維持と発展と安定のために、私たちをかく乱させるために、肝心の情報を私たちに提示しないからだ。

もし戦争にはならないとわかれば、武器も売れないだろうし、株式市場もそれほど影響は受けないから、システムの高度化には都合が悪いこととなる。

私たち庶民にはその方が都合がいいのだが、システムはそうではない。それゆえ、あたかも戦争が近い、いつも私たちが戦争状態に置かれているように、システムは私たちシステム人をそうした戦争・センソウを常につくり出す仕組みへと動員しているのだ。

しかも相当に質(たち)が悪い。「平和な民主主義」社会を守るためにと仰々しく宣いながら、システムそれ自体が世界中に戦争を拡大し続け、多くの血を流し続けているのだから。

もっとも、私たちシステム人も、当然のことだが、システムと同じ程度に、相当に質が悪いのは確かであり、何でもかんでもシステムのせいにして後は知らんふりなのだから。システムの中で生き続ける限りは、それも仕方がないことなのか。

それでは私は、なぜ日本に生まれてきたのだろうか。またどうして日本人として生きているのだろうか。

今の私はシステム人として生きる「日本人」であり、そうした「日本人」により構成されるシステムの一構成国としての「日本」で生きているのだ。なんともふがいない、情けない。どうすれば私は日本人として生きられるようになるのだろうか。システムを構成する「日本」ではなく、日本とするにはどうすればいいのだろうか。

とにかく厄介極まりない日常空間の中で私たちは生きている。そんな中で、安倍内閣の支持率が53%との世論調査結果が示された。さもありなん。何の不思議でもないだろう。次の参議院議員選挙、あるいは衆参同時選挙において、与党は大勝するのではないか、そんなことを思った次第である。

さて、今回はオムニバス風に記事を書いてみた。取り留めもない話で恐縮だが、ご一読いただければ幸いである。

①「個人請求権」の「個人」は「国民」と切り離せない「個人」であり、そこから「国家」と切り離せない、「システム」がつくり出す「システム人」に他ならない。

以前の記事ではあまり踏み込んだ話をしないでおいたが、やはり避けては通れないので、今回は野暮を承知で先の小見出しにある問題点を考えてみたい。

結論から言えば、悲惨な戦争を繰り返さないための、戦争犠牲者に対する謝罪としての賠償金とはならないどころか、、犠牲者自身がこのシステムの殉教者となるための請求であることを意味している。

システムは、こうした請求を喜ぶだろう。なぜなら請求によって日本と韓国の「国家と「国民」が相互にいがみ合い、対立、敵対し、お互いのナショナリズムに燃え上るからである。システムの維持と発展に必要不可欠な栄養素がこのナショナリズムなのだ。

それでは、個人請求権の「個人」は国家や国民といかなる関係にあるのだろうか。国家と国民の存在を基にして、そこから声をあげられる存在としての「個人」ではあるまいか。だとしたら、国家の請求権と個人の請求権を切り離して論じることができたとしても、その根は同じシステムがつくり出すことに変わりはないこととなる。

システムはわざわざこうした区分けをすることにより、後の憂いや諍いの素を残しておくのだ。その理由は先のナショナリズムとそこから起こる紛争、戦争を期待しているためである。

戦争はシステムの発展と拡大にとって不可欠なのだ。恐ろしいことだが、それはそうなのだ。

②マスコミの垂れ流す「民主主義」の位置づけ方の問題点

2018年11月11日(日曜日)の朝8時から始まる毎日テレビ放送の「関口宏モーニングショー」で、番組の後半部で米国の価値観である「民主主義」が危機に陥っている、との観点から米国社会の深刻な分断化が議論されていた。

「民主主義」は「暴力」とは相容れないとアナウンサーが語り、さもそれは常識であるかのような問いかけとして流されていたのがとても気になったのだ。付言すれば、「民主主義」と「帝国主義」とは相容れないとする見方とも共通している話である。

最初に価値観としての「民主主義」とわざわざ断っていたのに、その価値観である民主主義は暴力とは相容れないとの見方はどのようにも解釈できるだろうが、私たちは現実の社会で生きている限り、価値観である「民主主義」も実際のそれが現実社会において実現される「歴史」の中で、私たちはその価値観である民主主義を、「生き物」としての民主主義として再把握することが何よりも大切となることを忘れてはならないだろう。

先の番組で、民主主義をデモクラシーとしてギリシャに起源をもつとして描いていたが、こうした見方も当然ながら、価値として、また価値観として位置付けられる民主主義が、私たち世界の歴史の中で、実際どのようにして現実のものとして実現されてきたかを考察したならば、私たちがいま俎上に載せている米国の民主主義は自由主義と結び付けられた自由主義的民主主義であることがわかるのではあるまいか。

また、そこで寺島実郎氏があたかも当然のごとく語っていた民主主義対全体主義の位置づけ方も、民主主義なるものとされる価値観がどのようにして実現されてきたかの歴史過程を見るとき、やはりそうした二項対立的分類の仕方が抱える問題点が浮き彫りとなってくるだろう。

今回の米国中間選挙(2018年11月)結果を巡る議論の中で再燃された米国民主主義問題は、私たちの民主主義に関する論議がいかに浅薄であるかを物語っているのではあるまいか。

民主主義の実現過程の歴史的考察を的確に行っていたならば、例えば先の寺島氏がべき国の民主主義の黄金時代とされてきた1950、60,70年代をそれほど簡単には容認できないことに気が付くはずである。同時に、ニューディール期の米国に戻れとも語れないはずなのだ。

③こうした議論は、さらに戦後日本の再出発期に、丸山眞男と大熊信之との間で闘わされた「戦後民主主義」論争とも結び付けながら再考されるべき重要な話なのである。いわゆる「戦後民主主義は虚妄である」との大熊の主張に対して、「虚妄でもそれにかける」と反論した丸山の論争は、改めて戦後民主主義を、日本という「一国枠」の中の民主主義の歴史から解き放って、世界的規模での「関係枠」としての民主主義の実現の歴史の中で再考察される必要があることを、私はここでも強調しておきたいのである。

④また米中貿易戦争、米中覇権戦争に関する議論も、私たちの命と暮らしを守る普段の生活と結び付けて議論できるのではあるまいか。すなわち、私たちが日々その中で生きている民主主義社会と結び付けて語ることができるのである。

例えば、民主主義を「価値」とか「価値観」の次元でもっぱら話題とすることに終始したままで、換言すれば「神棚」に祀りあげただけで、私たちの生活の中に民主主義を掴め取れないのであれば、最初から生き物としての民主主義を確認できないままではあるまいか。

そんな民主主義を守れと叫んでも、その掛け声には説得力はないだろうし、何をそもそも守ればいいのかさえ、わからないはずである。

先の貿易云々の話は、私たちの日常の経済活動と密接に関係、関連しているものだ。そうした経済活動から経済発展の話に導けば、そこからさらに私たちが価値や価値観の次元で、その意味では政治哲学や政治思想のレベルで語ってきた民主主義の話題を、経済発展の話と結び付けて語ることが可能となるのだ。

まさにそれは社会科学における経済発展と民主主義に関する永遠のテーマとなってくるだろうし、また私がこれまで論及してきた「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の実現の問題と、そしてそうした営為の実現の舞台となる覇権システムと世界資本主義システム、世界民主主義システムの、さらにそうした三つのシステムから構成される一つのシステムの歩みとその関係が俎上に載せられることとなるのではあるまいか。

今日の朝のモーニングショーを聞きながら、上述したことを考えた次第である。私たちはこの世に生を受けた瞬間から、システムに「強制」的に組み込まれていくのである。システム人として。勿論、この強制を「自由」に置き換えても何ら問題はない。システムから見れば、強制とか自由とかそんなことはどうでもいいのだ。いずれにしても、システムに組み込まれている、動員、連行されていることに何ら変わりはないのだから。

従軍慰安婦問題や徴用工問題、「あの戦争」を始めとする「戦争」に関する問題は、先ずはこうした観点を踏まえた上で考察されない限り、いつも誰かがほくそ笑むだけの議論に終始するばかりであろう。ああ、また野暮なことを言ってしまったが。


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システム」の自己完結運動の歩みとその関係から「ゴーン氏解任劇・逮捕劇」を読み解くとき

2018-11-21 | 社会 政治
「システム」の自己完結運動の歩みとその関係から「ゴーン氏解任劇・逮捕劇」を読み解くとき

日産によるゴーン会長解任劇と東京地検特捜部による逮捕劇を、システムの観点から読み解くとき、いかなることが考えられるのだろうか。

先ずは1970年代以降のシステムの歩みとその関係を省略モデルで示しておく。なお、通時的モデルの話はここではしない。

{[B]→(×)[C→×[A]]}(共時態モデル、省略形。なお、このモデルが現実の世界に適合するのは2040,50年代頃である。詳しくは拙著を参照されたい。)であるが、私たちがマスコミ報道で見聞きしている情報はわたしのもでるのAにおいての出来事である。

もっとも、マスコミやその他の解説者の多くは、システムの全体の関係の中に位置するAについて、あるいはシステムの歩みとその関係に関して、まったく見ていないし、最初からそうしたセカイ・世界を理解できないのだが。

システムの歩みとその関係から見れば、Bグループの先頭に位置する次期覇権国の中国と、その中国を後押ししてきたAグループの先頭に位置するかつての覇権国の米国とが、覇権連合の形成と発展の歩みの中で構築している(先のモデルで描く)システムの歩みとその関係を、確固とした形にしようとしている。そのために、あれこれ手を変え品を変えて取り組んでいるのだ。

中国経済の発展と中国自動車産業の発展と中国市場のさらなる開拓の面で、フランス政府が筆頭株主となっているルノーとそれと関係した日産自動車と三菱自動車の連携構想とその実現に向けての歩みが、米国と中国が推進する21世紀以降の世界秩序の歩みと、すなわち私のモデルで描く1970年代以降のシステムの歩みとその関係に何らかの障害、妨害となると判断されて、今回のゴーン氏逮捕劇が演出されたのではあるまいか。

東京地検特捜部を動かしたのは日米合同委員会と、その背後に位置する米国であろうが、その米国と日米合同委員会を動かしたのは、米中覇権連合の歩みであったとみていい。さらにその米中覇権連合の歩みを導いたのは、1970年代以降のシステムの自己完結運動の歩みとその関係であったと言えるのではあるまいか。

今回もごくごく簡単なあらすじと要点のみで申し訳ないが、中国を含んだ、その意味では中東やアフリカ諸国、EUや、何よりも米国との覇権連合の形成と発展の歩みを含む「ゴーン解任劇・逮捕劇」を語らない限り、いつまでたっても私たちがその担い手となっている、すなわちその主権者でもある「システム」とその担い手としての「システム人」の「犯罪」を自らの問題として自覚するのは難しいのではあるまいか。

この枠組みに沿って情報収集してみれば、また違った世界を描けるのではないかと思うのだ。残念ながら、今の私の目ではそれがかなわない。誰かにそれを託したい。私ができることは手助けしたい。


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「システム」の自己完結運動の歩みとその関係の埒外(らちがい)に蹴り飛ばされる「日本」と「日本人」

2018-11-04 | 社会 政治
「システム」の自己完結運動の歩みとその関係の埒外(らちがい)に蹴り飛ばされる「日本」と「日本人」

(やはりこのブログ記事で示している私のモデルはわかりにくい。昨日の記事でも紹介している拙著のモデルをこのブログ記事に掲載する必要があるだろう。パソコンやアイフォンの使い方もままならぬ状況だが、何とか私の納得できる拙著のモデルを近いうちに掲載したい。)


結局のところ、「日本」と「日本人」は1970年代以降のシステムの自己完結運動の歩みとその関係の深化につれて、このシステムの外にかつての「日本」と「日本人」がそうであったように、蹴り飛ばされるのだろう。もう、その流れの中にある、と私は見ている。

Bの次期覇権国の中国が覇権国だった米国や英国の協力の下に、アジア諸国や中東、アフリカ諸国を傘下に従えながら、「日本」と「日本人」を嬉々として隷従させるであろう。その際、韓国や北朝鮮を子分として、従軍慰安婦問題、徴用工問題、歴史教科書問題、領土問題等々をカードとしてちらつかせながら、あの手この手で日本列島を戦渦に巻き込もうと迫るだろう。

勿論、その時も、戦前戦中と同じく、システムは「日本」と「日本人」の中からシステムの維持、発展とその強化のために、システムに奉仕する「売国奴」を、右翼や左翼の政治家やジャーナリストや学者の中から「選択」するだろうが。付言すれば、「売国奴」という呼び方はそもそもおかしい、間違った物言いである。システムとその下で生きている私たちシステム人は、「関係」の中でつくり出されてきたのだから、最初から何か他のものと境界が存在する〈一「国」〉人枠でとらえることができないからだ。〈「関係としてのシステム」〉人枠でしか存在していないのだ。

残念かつ悲しいことだが、仕方のないことだ。だからこそなのだ。今からそのことを意識した上で、従来の「右翼」や「左翼」とは異なる「歴史認識」に関わるもっと掘り下げた論を展開しておかねばならないのではあるまいか。

とくに「自由主義的民主主義」の「歴史」に関する「認識」は重要な問題である。それと関連して、自由、民主主義、人権、平和、法の支配といった普遍的価値と、そうした価値を近代以降、「人類普遍の歴史」として世界中にひろめて北「普遍主義」に関する歴史認識の再検討はすこぶる重要な私たち日本に暮らす者たちには真正面から向き合うべき問題ではあるまいか。

ところが、私たちはそれらの問題究明を見事に避けてきたのだ。日本のアジア侵略を声高に非難する論者の多くは、それこそ市民革命の母国とされたオランダ、イギリス、アメリカ、フランスの植民地支配を糾弾することには及び越しであった。というのも、市民革命において宣言された普遍的価値とその実現が、植民地主義と帝国主義の歴史によって汚されるのを恐れたからである。

そこから、両者の関係性を問うことを避けて、むしろ両者はべっの次元の問題であるとすり替えられたのだ。さらに、ナショナリズム(民族主義)の問題とも切り離されて、それぞれ別個の問題と位置付けられたのだ。驚くほどの知的怠慢、怠惰、いや知的詐欺であろう。

日本軍による従軍慰安婦問題がなかったとしたい「右翼」は、そのことでGHQの解放軍による日本女性を従軍慰安婦とした歴史がなかったとしたいのだろうか。その日本人女性をGHQに提供した日本政府の問題を不問にしようとしたいのだろうか。これは左翼の論者にも等しく該当することだ。

一方で戦後の日本人の「解放」とか、婦女子の「解放」とか、彼らの人権を重視するGHQが、他方でそれを蹂躙した歴史を、「水」と「油」の問題で、すなわち「正」と「負」の問題で片付けてはならないだろう。両者の関係を問う、問えるような「歴史」の「認識」こそが重要ではあるまいか。

こうした作業を、戦後の「日本」と「日本人」は避けてきたことから、今回の韓国最高裁の徴用工判決の背後にある歴史の歩みとその関係が見えないままなのだ。

システムの歩みはもはや安倍外交を「ウザイ(鬱陶しい存在)」としてしか見ていない。いや、「日本」と「日本人」の存在もそのように見られているのではあるまいか。お金だけ出せばいいとしか見られていないのだろう。口は出すな、と言われ続けていけば、必ずや腹を立てて、最後は戦争だ、となったとしたら、それは次期覇権国の中国がAの米国や英国の助けを借りながら主導するシステムの思うつぼではあるまいか。

ここで読者に切にお伝えしたいのは、私がなぜシステム論の立場からこのような論を展開してきたかという点に関してご留意されたいのだ。すなわち、私は中国脅威論やナショナリズムをことさら扇動したり高揚する論とは一線を画する立場に位置している。

より直截に言えば、中国を脅威としたり、韓国や北朝鮮を蔑視した論や、あるいは「日本を取り戻せ」と声高に叫ぶ論の危険性を私は問題視するのだ。それこそシステムの歩みが歓迎するものなのだ。システムの歩みとその関係は、絶えず戦争を欲しているのだ。

換言すれば、戦争に導く蓋然性の高い「平和」を、システムはシステム人として生きている「日本人」や「中国人」や「韓国人」や「北朝鮮人」や、あるいは「英国人」や「米国人」やその他の諸国民に提供してきたのである。「大西洋憲章」や「ポツダム宣言」、「日本国憲法」や「国連憲章」に謳われている「平和」はそれに他ならない。

何故そうなるのか。それはシステムが「金の成る木」として創造されたからだ。そのために、システムの高度化(低度化)が必要不可欠となる。つまり、システムが提供する普遍的価値や普遍主義は、平和や自由、民主主義が何よりも大切だ、かけがえのないものなのだと喧伝しながら、システムの歩みとその関係の秩序の維持、安定とさらなる発展、
すなわち高度化(低度化)のためには、この秩序に歯向かったり、抵抗したりう、従順でない反対者(国)や敵対者(国)に対しては、容赦のない弾圧を加えたり、戦争を仕掛けながら、何食わぬ顔で、それは「人権や民主主義や平和を守るため」だと訴えるのだ。

日本と日本人はそうした先を見通しながら、最悪の結果には至らない道を今から探すためにも、システムの歩みとその関係に関する歴史認識を深めておくことは時間の無駄ではないだろう、そう私はこれまで考えているのだが。


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「システム」の自己完結運動の歩みとその関係から見た韓国大法院の「徴用工判決」問題

2018-11-03 | 社会 政治
「システム」の自己完結運動の歩みとその関係から見た韓国大法院の「徴用工判決」問題

国会で安倍首相に向かって、「あなたは憲法を知らない」とか、「憲法を守れ」と、叫ぶだけでは何も野党としての責任を果たしたことにはならない。

私から見ると、憲法は(付言すれば国際法も然りだが)システムの歩みとその関係の下でつくり出されたものであるから、憲法を守ることは、システムとその関係を守ることに等しいのだ。

その際に大事なのは、その憲法の条文は変わらないとしても、その憲法が語られる舞台が1970年代以前と以降においては異なっていることが理解できなければならない。

すなわち、1970年代以前のシステムを舞台とした憲法と、それ以降の憲法では、等しく憲法を守れと主張しても、その内容は異なるのである。

システムの歩みとその関係を見ないで、すなわち私たちが歴史のどの段階に位置しているかを理解できないままに、憲法だけを切り離して護憲とか会見の議論をするのは無意味であり不毛な時間の無駄、税金の無駄なのだ。

換言すれば、私たちが例えば国会で論戦する中で、護憲とか改憲論議をしているそうした場面が位置している舞台を知らなければ、表面だけの話で終わってしまい、そこから何も先には進めないということなのだ。

そうした事例はほかにもたくさんある。移民や難民問題もそうであるし、社会保障や雇用の話もそうである。これらの問題が顕在化している舞台を、すなわち歴史のどの段階でそうした問題を取り扱っているかが理解できない限り、問題の根底にある正体をつかめないままだろう。

それは韓国大法院の「徴用工」判決と、その判決を巡る韓国と日本におけるナショナリズムの高揚状態にも等しく該当する。

1965年の日本と韓国両政府による国家レベルでの損害賠償請求権を無効とした合意に関して、同時に日本と韓国の平和条約の締結がなされたのがなぜ1965年であったのか、これに関してまずは答えておかなければならない。

システムの自己完結運動とその関係から見れば、1965年という時期は非常に重要な年であった。Aの覇権国の親分である米国が主導する形で、子分であるBの日本とCの韓国に手打ちをさせたのだ。その理由は「金の成る木」としてのシステムの維持・安定とさらなる高度化のために、どうしても内乱(内戦)または戦争が必要とされるために、そうした衝撃に耐えられるシステム内の安定化策が求められたのだ。

そのための戦争演出をシステム内のすべての者が理解できていたら、そもそもそんな戦争に巻き込まれることは少ないだろうが、理解できていたとしてもどうしてもそれに巻き込まれていくのもまた確かなことなのだが、システムはやはり演出された戦争であってもシステム全体の維持と安定のために、同時にまた更なる高度化のための戦争演出のために、。1965年の日韓平和条約を必要としたのだ。

その関連で、1960年の日米安保条約の再締結、田中耕太郎最高裁長官を使って、米国は日本政府に伊達判決を覆す砂川判決を下させることで、アジアにおける米国の覇権システムの秩序の安定を図ったのである。

アセアンの発足やアジア諸国における開発独裁体制の成立が1965年前後にみられたのは偶然ではない。システムの歩みの維持安定化がそれらを必要としたのである。同時にまた、それらと関連する形で、中国の文化大革命、ベトナム戦争がいわゆる「冷戦」をバックとして演出されたのだが、それらは金の成る木としてのシステムの高度化のために要請されたのだ。

そうした歴史の流れを日本の高度経済成長は支えた。そして戦後の日本の平和憲法はシステムの歩みを守り続ける中で、1965年体制を擁護したのである。Cの朴政権下の抑圧体制を、Aの米国の黄金期を迎えた民主主義と、その民主主義を戦後押し付けられたにもかかわらず模範としたBの戦後日本の民主主義が手に手を取って支えていくのである。誤解のないように言えば、システムの自己完結運動の歩みがそれらの諸国に、システムの維持、安定と高度化に都合のいいような政治体制を「選択」させていくのである。

当時の開発独裁体制下にある韓国において、個人の損害賠償請求権がたとえ行使できるとしても、当時の韓国の政治体制の下でそれが可能だったとは思われないのだが、当時の韓国人の個人の賠償請求権である人権の行使を抹殺するのに手を貸したのは米国の民主主義体制であり、戦後の平和憲法を擁く日本の民主主義体制であったことを忘れてはならない。そしてそうした韓国と米国と日本の政治体制を関係づけているのが、まさにシステムの自己完結運動の歩みとその関係であったことを銘記すべきなのだ。

こうした流れを踏まえるとき、今回の徴用工判決の背後にいかなるシステムの歩みとその関係が配置されているのか、その理解と確認がシステム人として生きながらも、日本に暮らす日本人としての私には何よりも重要な作業となるのだ。。

もうお分かりであろう。1970年代以降のシステムの歩みと関係を念頭に置いて考えてみれば、韓国最高裁の判決は、Bの次期覇権国の中国が、Bの韓国とCの北朝鮮とをAの日本と対立敵対させる形で、下されたものだと理解したほうがいいのではあるまいか。その際重要なのは、Bの次期覇権国とAの覇権国だった米国との間には、歴代の覇権国のバトンの受け渡しにもみられたように、「覇権連合」が形成され、発展しているという点である。

日本のかつての植民地支配の問題も判決の背後に確かに確認できるだろうし、また個人の損害賠償請求権は否定されないで残っているという事実も忘れてはならないことだが、今回の徴用工判決から私たちが学ぶべきことは、韓国云々の話ではないということだ。文大統領が板挟みというのも結構だが、その背後に、中国の存在と、米中覇権連合の歩み、そしてシステムの歩み、それは1965年体制をつくり出したシステムとは異なる、歩みがあることをまずは確認しておかなければならないだろう。

〈今回もまた拙著や拙論で述べた話の繰り返しで申し訳ないと思うのだが、それでも記事として掲載した次第です。
以下にモデルを再度、紹介しておきます。ただし、完全なものではないので、もしお時間のある方は、もう少し私の言わんとすることをモデルで描いた拙著(『21世紀の「日本」とーー』88-91頁)のモデルを参照してほしい。〉

1970年代までの「セカイ」とその「関係の歩み」(関係史)に関するモデル)

{[Aの経済発展→Aの民主主義の発展]→[Bの経済発展→(×)Bの民主主義の発展]→[Cの経済発展→×Cの民主主義の発展]}(共時態モデル)

(経済発展と民主主義の発展を、衣食足りて礼節を知る用語に置き換えてみた場合)
{[Aの衣食足りて→Aの礼節を知る]→[Bの衣食足りて・足りず→(×)Bの礼節を知る・知らず]→[Cの衣食足りず→×Cの礼節を知らず]}(共時態モデル)
(図式の関係を逆からみた場合)
{[Cの経済発展→×Cの民主主義の発展]→[Bの経済発展→(×)Bの民主主義の発展]→[Aの経済発展→Aの民主主義の発展]}(共時態モデル)

(経済発展と民主主義の発展を、衣食足りて礼節を知る用語に置き換えてみた場合)
{[Cの衣食足りず→×Cの礼節を知らず]→[Bの衣食足りて・足りず→(×)Bの礼節を知る・知らず]→[Aの衣食足りて→Aの礼節を知る]}(共時態モデル)

Ⅰ期の「段階」
権威主義的性格の政治→経済発展
Ⅱ期の「段階」
経済発展→分厚い中間層の形成
Ⅲ期の「段階」
分厚い中間層の形成→民主主義の発展(高度化)
(Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ期の段階はそれぞれ、前期、中期、後期の段階に区分される。)

(1970年代以降のセカイとその関係に関するモデル

{[Bの経済発展→Bの民主主義の発展]→[Cの経済発展→(×)Cの民主主義の発展]→[Aの経済発展→×Aの民主主義の発展]}(共時態モデル)

(経済発展と民主主義の発展を、衣食足りて礼節を知る用語に置き換えてみた場合)
{[Bの衣食足りて→Bの礼節を知る]→[Cの衣食足りて・足りず→(×)Cの礼節を知る・知らず]→[Aの衣食足りず→×Aの礼節を知らず]}(共時態モデル)
(図式の関係を逆からみた場合)
{[Aの経済発展→×Aの民主主義の発展]→[Cの経済発展→(×)Cの民主主義の発展]→[Bの経済発展→Bの民主主義の発展]}(共時態モデル)

(経済発展と民主主義の発展を、衣食足りて礼節を知る用語に置き換えてみた場合)
{[Aの衣食足りず→×Aの礼節を知らず]→[Cの衣食足りて・足りず→(×)Cの礼節を知る・知らず]→[Bの衣食足りて→Bの礼節を知る]}(共時態モデル)

(B、Cグループの場合)
Ⅰ期の「段階」
権威主義的性格の政治→経済発展
Ⅱ期の「段階」
経済発展→分厚い中間層の形成
Ⅲ期の「段階」
分厚い中間層の形成→民主主義の発展(高度化)
(Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ期の段階はそれぞれ、前期、中期、後期の段階に区分される。)

(Aグルプの場合)
Ⅰ'期の「段階」
民主主義の発展(高度化)→経済発展
Ⅱ'期の「段階」
経済発展→分厚い中間層の解体
Ⅲ'期の「段階」
分厚い中間層の解体→民主主義の発展(低度化)
(Ⅰ',Ⅱ',Ⅲ'期の段階はそれぞれ、前期、中期、後期の段階に区分される。(2))


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