私の語る「システム」論から、「国家」と、「政権」と「内閣」と「有権者(国民)」と「選挙」の関係について考えるとき
(最初に一言)
これまでの話の流れを踏まえて、少し角度を変えて今回は語ってみたい。
「今回の論点」
私たちの選挙を介して、「有権者」を構成する「国民」はその時々の「政権」党を直接的につくることができると同時に、その政権党が中心となってつくられる「内閣」を間接的につくることができる。しかしながら、そのような主権を有する国民を構成する有権者とその有権者の意思を直接的間接的に体現する政権及び内閣は、それらが含まれる「国家」の内実なりその進路それ自体に影響を与えることはできない。その国家に影響を及ぼす力を有しているのは、私の語る「システム」だけである。
もう少しわかりやすく言うと、その「システム」を構成する下位システムの一つである「覇権システム」ということであり、さらに言えば、その頂点に位置する覇権国の米国ということになるだろ。既に多くの論者が指摘しているように、日本の最高機関である国会を超える存在として「日米合同委員会」があり、その上には米国が位置しているのである。
それゆえ、たとえ日本国民の意思が決定されたとしても、その決定が最終決定として認められるかどうかは、米国の意思にかかっているということである。少し補足しておくと、その覇権国である米国と言えども、覇権システム、そしてさらには「システム」とその歩みには、決して逆らえないということなのだ。したがって、当然ながら、日本国家も覇権システムと「システム」には逆らえないということになる。
換言すれば、いくら選挙で有権者の意思が反映された結果が得られようとも、国家に、すなわち、米国に、覇権システムに、そして「システム」に、私たち国民の意思は届かないということである。ここで付言しておくと、特定の時代における政権党や内閣の「暴走」と呼ばれる歴史的出来事は、、例えば議会制民主主義を否定したり主権者の声を無視ないし抑圧するのは、覇権システムないし「システム」とそれらによる影響を受けた「国家」に、とくに「システム」に原因が求められてしかるべきなのである。
確かに、私たちは日本国民として、国家の担い手であるのは間違いないことだが、私たち国民の選挙でもって日本という国家がつくられるわけではない。私たちの生まれる前に既に国家は、その関連から言えば、「システム」は、存在していた。選挙で国家の内実なりその方向性を決めることはできない。ところが、多くの国民は勘違いをしている。有権者が選挙で選択した政権党や内閣が、そのまま国家の意思につながる、すなわち国家の「運営」に与れると考えているのではあるまいか。
政権党や内閣と、すなわちその意味では国民と国家の両者の間には、超えがたい溝が存在しているということである。この点は非常に重要なところである。ごく簡単に言えば、「システム」とその歩みが「国家」をつくり出すのであり、そこで国民が創造されるのだ。日本の近代史を少し回顧してもわかるだろう。開国から明治維新の歩みの中で日本という国家、日本人という日本国民がつくられたではないか。
換言すれば、日本という国家を日本人が選挙でつくったのではないし、日本人という国民もまた選挙で創造されたのではない。この点をしっかりと押さえておく必要があるだろう。この関連で言えば、「第三の開国」と呼ばれる日本の「あの戦争」での敗戦と戦後のGHQ占領下での新生日本国家と日本国民の誕生も、また同様な経緯を辿っていることに気が付くのではあるまいか。
戦後の日本国家と日本国民は、覇権国の米国と、その米国を頂点とする覇権システムの下で、そして「システム」の枠の中で、誕生したのである。振り返れば、明治維新の際においてもまた同様に、当時の覇権国の英国とその英国が頂点に位置する覇権システムの下で、そして「システム」の枠の中で、明治の日本国家と日本人を主たる担い手とする見本国民が誕生しているのだ。
因みに、この二つの出来事は共に、{[A]→(×)[B]→×[C]}(省略形、共時態型モデル)で描かれる「覇権システム」、「世界資本主義システム」、「世界民主主義システム」の三つの下位システムから構成される一つの「システム」とその(関係の)歩みの中で引き起こされた「災厄」であったという点を、強調しておきたい。。いずれにせよ、決して、選挙によって日本国家と日本国民がつくられたわけではないということを、改めて確認しておく必要があるだろう。
ここでもまた付言しておきたい。それでは「選挙」がおこなわれたならば、良かったのかと言いたいわけではない。たとえ選挙がなされたとしても、私の語る差別と排除の関係からつくり出されてきた「システム」の正当性成り合法性を改めて問い直す、問いただす選挙では決してない。その意味ではたとえ成人男女のすべてが選挙資格を有する選挙であっても、かつての制限選挙のそれと同様に、かなりの問題を抱えているのである。
私の前回記事での日本国家が「ハゲタカ」国家と化した、「堕(落)した」云々の物言いは、「システム」とその関係史を少しでも垣間見ればすぐ様わかるように、いわゆる「市民革命」体制であっても、当時のAグループの「民主化の先進国」によるBやCグループに対する物的・人的資源の略奪を介した植民地化・従属地化による帝国主義的暴力的支配が物語るように、文字通りの「ハゲタカ」国家であったのである。
こうした「システム」とその関係」の歩みが創り出した近代憲法とそれが含む市民的人権の問題を考察・究明することに替えて、「違憲」とか「合法」といった類の議論に接するたびに、学問とか研究の名の下に隠ぺいしてきた災厄に対して、私たちが目を向ける日は来るのだろうか、と思わざるを得ないのである。とくに、会議騒動問題に接して、改めて強い失望を感じた次第なのだ。
何度も論じてきたように、私たちの人権は、また近代憲法は、私の語る「システム」を前提として、初めてその実現が可能となることから、「違憲」を糾弾して「合憲」状態を保つことに努めたとしても、それは「システム」の差別と排除の関係を決して廃するものとはならず、それゆえ、1970年代以降から続く「システム」の構造転換と変容による、{[B]→(×)[C]→×[A]}の今日の「システム」の歩みを支持し、その発展を支えることを意味している。そして、その中で、BやCによるAに対する差別と排除の関係の深化に伴う生活困窮者が増大したとしても、そうした彼らの助けを求める声には応じることはできないことを意味している。、
自業自得と言えばそれまでだが、それで放置するわけにも勿論いかないだろうから、何らかの対策を講じる必要があるのだ。しかしそれは簡単なことではない。「システム」とその歩みを、自公連立政権は逆戻しにはできない。覇権システムには逆らえない。他方、護憲を旨とした野党勢力も、その憲法を守ることを介して、結局は今日の「システム」の歩みを擁護することに手を貸す存在となる。
それゆえ、もはやこの日本の中には、生活困窮者とその予備軍の「後ろ盾」となるめぼしい政治勢力は見当たらないのである。先ずはこの点を確認をしておかなければならない。
(最後に一言)
昔というとオーバーだが、ここ2,30年の間に書いてきたた話を、気が付けば、また手を変え品を変え話している。本当に伝えたいことをかいつまんで、わかりやすくまとめるのは難しい。何時間も費やして、ああだこうだと、それでもなかなか満足のいくものはできない。また次回、挑戦するしかない。