日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

私の語る「システム」論から、「国家」と、「政権」と「内閣」と「有権者(国民)」と「選挙」の関係について考えるとき

2020-10-31 | 日記


私の語る「システム」論から、「国家」と、「政権」と「内閣」と「有権者(国民)」と「選挙」の関係について考えるとき

(最初に一言)

これまでの話の流れを踏まえて、少し角度を変えて今回は語ってみたい。

「今回の論点」

私たちの選挙を介して、「有権者」を構成する「国民」はその時々の「政権」党を直接的につくることができると同時に、その政権党が中心となってつくられる「内閣」を間接的につくることができる。しかしながら、そのような主権を有する国民を構成する有権者とその有権者の意思を直接的間接的に体現する政権及び内閣は、それらが含まれる「国家」の内実なりその進路それ自体に影響を与えることはできない。その国家に影響を及ぼす力を有しているのは、私の語る「システム」だけである。

もう少しわかりやすく言うと、その「システム」を構成する下位システムの一つである「覇権システム」ということであり、さらに言えば、その頂点に位置する覇権国の米国ということになるだろ。既に多くの論者が指摘しているように、日本の最高機関である国会を超える存在として「日米合同委員会」があり、その上には米国が位置しているのである。

それゆえ、たとえ日本国民の意思が決定されたとしても、その決定が最終決定として認められるかどうかは、米国の意思にかかっているということである。少し補足しておくと、その覇権国である米国と言えども、覇権システム、そしてさらには「システム」とその歩みには、決して逆らえないということなのだ。したがって、当然ながら、日本国家も覇権システムと「システム」には逆らえないということになる。

換言すれば、いくら選挙で有権者の意思が反映された結果が得られようとも、国家に、すなわち、米国に、覇権システムに、そして「システム」に、私たち国民の意思は届かないということである。ここで付言しておくと、特定の時代における政権党や内閣の「暴走」と呼ばれる歴史的出来事は、、例えば議会制民主主義を否定したり主権者の声を無視ないし抑圧するのは、覇権システムないし「システム」とそれらによる影響を受けた「国家」に、とくに「システム」に原因が求められてしかるべきなのである。

確かに、私たちは日本国民として、国家の担い手であるのは間違いないことだが、私たち国民の選挙でもって日本という国家がつくられるわけではない。私たちの生まれる前に既に国家は、その関連から言えば、「システム」は、存在していた。選挙で国家の内実なりその方向性を決めることはできない。ところが、多くの国民は勘違いをしている。有権者が選挙で選択した政権党や内閣が、そのまま国家の意思につながる、すなわち国家の「運営」に与れると考えているのではあるまいか。

政権党や内閣と、すなわちその意味では国民と国家の両者の間には、超えがたい溝が存在しているということである。この点は非常に重要なところである。ごく簡単に言えば、「システム」とその歩みが「国家」をつくり出すのであり、そこで国民が創造されるのだ。日本の近代史を少し回顧してもわかるだろう。開国から明治維新の歩みの中で日本という国家、日本人という日本国民がつくられたではないか。

換言すれば、日本という国家を日本人が選挙でつくったのではないし、日本人という国民もまた選挙で創造されたのではない。この点をしっかりと押さえておく必要があるだろう。この関連で言えば、「第三の開国」と呼ばれる日本の「あの戦争」での敗戦と戦後のGHQ占領下での新生日本国家と日本国民の誕生も、また同様な経緯を辿っていることに気が付くのではあるまいか。

戦後の日本国家と日本国民は、覇権国の米国と、その米国を頂点とする覇権システムの下で、そして「システム」の枠の中で、誕生したのである。振り返れば、明治維新の際においてもまた同様に、当時の覇権国の英国とその英国が頂点に位置する覇権システムの下で、そして「システム」の枠の中で、明治の日本国家と日本人を主たる担い手とする見本国民が誕生しているのだ。

因みに、この二つの出来事は共に、{[A]→(×)[B]→×[C]}(省略形、共時態型モデル)で描かれる「覇権システム」、「世界資本主義システム」、「世界民主主義システム」の三つの下位システムから構成される一つの「システム」とその(関係の)歩みの中で引き起こされた「災厄」であったという点を、強調しておきたい。。いずれにせよ、決して、選挙によって日本国家と日本国民がつくられたわけではないということを、改めて確認しておく必要があるだろう。

ここでもまた付言しておきたい。それでは「選挙」がおこなわれたならば、良かったのかと言いたいわけではない。たとえ選挙がなされたとしても、私の語る差別と排除の関係からつくり出されてきた「システム」の正当性成り合法性を改めて問い直す、問いただす選挙では決してない。その意味ではたとえ成人男女のすべてが選挙資格を有する選挙であっても、かつての制限選挙のそれと同様に、かなりの問題を抱えているのである。

私の前回記事での日本国家が「ハゲタカ」国家と化した、「堕(落)した」云々の物言いは、「システム」とその関係史を少しでも垣間見ればすぐ様わかるように、いわゆる「市民革命」体制であっても、当時のAグループの「民主化の先進国」によるBやCグループに対する物的・人的資源の略奪を介した植民地化・従属地化による帝国主義的暴力的支配が物語るように、文字通りの「ハゲタカ」国家であったのである。

こうした「システム」とその関係」の歩みが創り出した近代憲法とそれが含む市民的人権の問題を考察・究明することに替えて、「違憲」とか「合法」といった類の議論に接するたびに、学問とか研究の名の下に隠ぺいしてきた災厄に対して、私たちが目を向ける日は来るのだろうか、と思わざるを得ないのである。とくに、会議騒動問題に接して、改めて強い失望を感じた次第なのだ。

何度も論じてきたように、私たちの人権は、また近代憲法は、私の語る「システム」を前提として、初めてその実現が可能となることから、「違憲」を糾弾して「合憲」状態を保つことに努めたとしても、それは「システム」の差別と排除の関係を決して廃するものとはならず、それゆえ、1970年代以降から続く「システム」の構造転換と変容による、{[B]→(×)[C]→×[A]}の今日の「システム」の歩みを支持し、その発展を支えることを意味している。そして、その中で、BやCによるAに対する差別と排除の関係の深化に伴う生活困窮者が増大したとしても、そうした彼らの助けを求める声には応じることはできないことを意味している。、

自業自得と言えばそれまでだが、それで放置するわけにも勿論いかないだろうから、何らかの対策を講じる必要があるのだ。しかしそれは簡単なことではない。「システム」とその歩みを、自公連立政権は逆戻しにはできない。覇権システムには逆らえない。他方、護憲を旨とした野党勢力も、その憲法を守ることを介して、結局は今日の「システム」の歩みを擁護することに手を貸す存在となる。

それゆえ、もはやこの日本の中には、生活困窮者とその予備軍の「後ろ盾」となるめぼしい政治勢力は見当たらないのである。先ずはこの点を確認をしておかなければならない。

(最後に一言)

昔というとオーバーだが、ここ2,30年の間に書いてきたた話を、気が付けば、また手を変え品を変え話している。本当に伝えたいことをかいつまんで、わかりやすくまとめるのは難しい。何時間も費やして、ああだこうだと、それでもなかなか満足のいくものはできない。また次回、挑戦するしかない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハゲタカ国家」と化した「日本」国家から私たち国民の命と暮らしをこれ以上、壊されないためには、何をなすべきなのか

2020-10-30 | 日記

 


「ハゲタカ国家」と化した「日本」国家から私たち国民の命と暮らしをこれ以上、壊されないためには、何をなすべきなのか

(最初に一言)

前回記事を踏まえて、今後取り組むべき問題について、最初に少し整理しておきたい。

最初に確認すべき点は、もはや既存の日本国家を前提とした議論は意味がない、無意味だということである。その理由は、「ハゲタカ国家」としての役割を担う以外に、「システム」とそのの歩みは、日本国家に許さないということである。もとより、これは日本だけに該当するものではなく、かつての先進諸国が甘受しなければならない宿命であるのだが。

それゆえ、もはや「(強い)国家を取り戻す」云々の論の前に、確認しておかなければならないことがあるだろう。すなわち、護憲にしろ、改憲にしろ、それを思案し実行する空間である日本国家がもはやそれ自体、「ハゲタカ」国家であり、日本の資産を切り取りしながら外資やそれと結びついた外国勢力に売り飛ばすと同時に、日本人の命と暮らしを奪い取り、その基盤を掘り崩す存在でしかあり得ないときに、私たちの議論が相も変わらず、やれ憲法をどうしろとか、民主主義を守れとか等々の論争にあけくれているとすれば、それこそもうどうにもならないことを自戒・自覚すべきではあるまいか。

したがって、ここで何よりも先に取り組まなければならない問題は、ハゲタカ国家と化した日本国家に替わる新たな存在としての国家または何らかの共同体を、どのように創り出したらいいのかというそれになるだろう。しかしながら、この作業は容易なものではないというのは、私たちがいま歴史のどの地点に位置しているかを理解すれば、すぐ様わかるに違いない。

私の語る「システム」論で何度も開陳してきたように、{[B]→(×)[C]→×[A]}のセカイ・世界の中で、かつての先進国グループはAに位置しており、そこでの特徴として描かれるのは、車の両輪にたとえて言うならば、もはや主権国家と国民国家の二つの国家建設を同時におこなうことは不可能だということなのだ。そこには分厚い中間層を担い手とする国民国家が、その中間層の解体かと断片化に伴い、もはや主権国家建設の道しか残されていないという事情に起因している。

しかもその主権国家はハゲタカ国家として存続し続ける一方で、その主権国家としての国家の存在は、財政基盤が十分ではないことと、国民の高齢化による社会保障費の増大と相まって、国家運営もままならない状況が深刻化する。そこに覇権システムの存在が立ちはだかることとなる。ハゲタカ国家と化した日本国家は、主権国家としての生き残りのために、覇権システムの要請に従わざるを得ないことから、いろいろな理由付けによって、軍事費の増大を抑えることは困難であることは容易に推察できよう。しかもこのハゲタカ国家は外資や外国勢力と手を結び、国民の命と暮らしを絶えず危うくさせる民営化路線を継続しながら、のうのうと、軍事力増強の理由として、国民の安全保障の実現のためだとの嘘をつき続ける始末である。

その際、注意しておくべき点は、日本がハゲタカ国家と化した堕した原因や理由を、時の政権担当の政党や内閣とそこで打ち出された政策ないし政治路線に、あるいはまた時の首相のリーダーシップに、もっぱら求めてはならないということである。これが一番肝心な問題だが、これについても何度も論じてきたように、1970年代を分水嶺としテ転換・変容していった「システム」とその歩みに、まずは注目・注視すべきである。ここにこそ、日本国家がハゲタカ国家と化した堕した主たる原因、要因が存在しているのである。

付言すれば、その行き着く先は、自己決定権における力と力の暴力・帝国主義関係として構成された覇権システムと、それを前提とする私たち人間社会における差別と排除の関係を基にして私たちの「衣食足りて礼節を知る」営為の関係がつくられてきたことであり、私たちが享受してきた自由や民主主義、人権、平和、法の支配といった普遍的価値とその実現(普遍主義)が、先の差別と排除の関係を前提としていたということに尽きるのである。

ところで、私たちが、あるいはその中の有志が、もし私たちの命と暮らしを守るために、新たな国家なり共同体建設を試みようとした際、当然ながら、それを牽制・妨害するのはハゲタカ国家とその既得権益に与る人々であるのは容易に推察できるだろう。さらに、先の「システム」とその歩みを支える覇権国とその支持勢力の存在によって、そうした新たなる共同体建設はさらなる介入・干渉政策に直面することも、容易に予想されるだろう。

さらに銘記しておかなければならないことは、どれほど日本の資産が食いつくされ、日本人の命と暮らしが蝕まれようとしても、我関せずといった人々(つまりは「システム人」である)が多数を占めるだろうということである。彼らは、その時々の利便と権益に揺り動かされ、結局は「システム」とその歩みを支えていくことに甘んじるのである。

こうした点を踏まえてもなお、新たな共同体を建設する強い意志を持ち続けられるかと自問自答するとき、思わず下を向かざるを得ないのではあるまいか。こんな無謀なしんどいことばかりが予想される試みに着手するよりも、従来通りに、護憲や改憲を、民主主義が危ない云々の見解を主張することの方がはるかに落ち着くことだと考えても、これまた仕方のないことではあるまいか。こうして、もう数十年が失われたのは言うまでもない。

既成政党も政党助成金や議員歳費を念頭においたとき、野党ですら、いや夜盗だからこそ、体制にべったりで、嫌われない程度にポーズとして政権を奪い返すという掛け声だけに終始するのが得策と考えてもおかしくないだろう。彼ら野党も既得権益に与る存在であり、最初から体制それ自体を変換しようなどさらさら考えてもいないのである。

こうした話と関連するのだが、新たな共同体建設の他に、新たな政党の組織化も急務となるのは言うまでもない。私をはじめ多くの読者もみなそうした方向を向いているに違いない。それが容易に現実化しないのは、政党結成のための条件(そこには議員資格要件や選挙費用を含む)のハードルがかなり高くなったことも考えられようが、何にもまして、上述した話が、ここでもまた登場することは言うまでもなかろう。


(最後に一言)

私もある時期から下を向いて止まったままである。誰も責められない「システム人」として、どっぷりとこの「システム」の体制の中で、既得権益に群がり、その恩恵に貪り与ろうとしている一人であることは間違いない。ただ、相手にされるだけの希少価値を、私は
持ち合わせていないということから、仲間として認められなかっただけの話である。

そんな話はどうでもいいこと。それにしても、私の前には大変な問題が巌の如く立ちはだかっている。それを前にして、もう下を向いたままでは恥ずかしい。その気持ちだけは昔と今も変わらないのだが。

*なお、前回と今回の記事で、日本国家がハゲタカ国家と「堕した」と表現しているが、そもそも「システム」の中で生きている限り、また、覇権システムを構成する主要な単位である主権国家とそれを基に作られる国民国家の性格を踏まえるとき、その生き方(つまりその形成と発展と変容の過程それ自体である)は「堕落」したものだと、私は考えてきたので、この物言いには、私自身も正直ある種の「引っ掛かり」を覚えるのだが、誤解を恐れずにここではそのように述べたことを、断っておきたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大阪都構想」問題の後ろにあるなんとももどかしい話ーもう何か「日本」がバラバ ラで、このまま解体・消滅しそうな雰囲気に包まれてしまってはいないだろうかー「ハゲタカ国家」と堕した日本国家の「民営化」路線

2020-10-29 | 日記

 


「大阪都構想」問題の後ろにあるなんとももどかしい話ーもう何か「日本」がバラバラで、このまま解体・消滅しそうな雰囲気に包まれてしまってはいないだろうか。ー「ハゲタカ国家と堕した日本国家の「民営化」路線の推進によって切り売りされる「日本」資産と奪い取られ、掘り崩される「日本人」の「命」と「暮らし」。

(最初に一言)

今回の見出しも、前回のそれに続く話だが、もう少し分かりやすくした次第。


私の「システム」論で描く70年代以降から今日に続くモデル({[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態型モル)をもとに世界の歩みを眺めるとき、図式のAはかつての先進国グループを構成していたのだが、このAではもはや「システム」の歩みにおける「高度化」は到底望むこともできないままに、ひたすらその「低度化」に身を任すしか他にはないのである。

すなわち、Aの「低度化」の歩みは、Ⅰ’期、Ⅱ’期そしてⅢ’期の特徴である、国民国家の中核を担っていた「分厚い中間層の解体」が進み、それに呼応して、国内・国際政治における国民国家の 比重の低下と主権国家として比重の高まりと、それに呼応した国家存在の形骸化が進行していく。端的に言えば、もはや国家は国民の命と暮らしを守るために存在しない(今のままではできない)のである。

おかしな話のように聞こえるかもしれないが、残念ながらそうなのだ。今話題の大阪市を廃止して4つの特別区に再編するといったいわゆる大阪都構想の是非を巡る住民投票が11月1日におこなわれるが、この問題もまさに私に言わせればこうした国家存在の形骸化を示しているのである。

70年代以前の「システム」の歩みは、{[A]→(×)[B]→×[C]}(省略形、共時態型モデル)で描かれるが、その時期の「システム」は「高度化」の歩みを邁進しているために、主権国家、国民国家の建設とその発展と維持安定に全精力を注ぎながら、分厚い中間層を形成していくことに勤めるのである。

勿論、これが可能となるのは、Aの先進国グループだけであったことを忘れてはならない。「システム」は「金の成る木」としての役割を果たすために、自己決定権における力と力の暴力関係を前提としてつくり出されてきた差別と排除の関係をテコとする「格差バネ」を行使して、Aにおいてのみそれが実現できるということになるわけである。

すなわち、何度も語ってきたように、こうした差別と排除の関係を前提として、私たちの自由や民主主義、人権、平和、法の支配といった普遍的価値の「実現」は初めて可能となるのである。戦後民主主義や、戦後日本の経済的繁栄もこうした仕組みの中でつくり出されてきたことを看過してはならない。

この時期の大阪市と大阪府は、先の「システム」の歩み({[A]→(×)[B]→×[C]}(省略形、共時態型モデル)で描かれたAグループの中に位置する日本という主権国家、国民国家の中に含まれた地方都市であるが、そこには、日本を前提とした枠の中での大阪市であり、大阪府であり、大阪市と大阪府であったのではあるまいか。

その当時の「日本」においては、いま話題となっている大阪市のカジノ構想とか外国人労働者の受け入れ問題等は、先ずは国家としての日本がその窓口となり、日本全体として、日本の国民の全体の問題として取り組んだはずではなかろうか。今やそうした「建前」すら見られないのだ。つまり、「国家」が「国民のために仕事をしていない」のである。もう少し言えば、もはや国家がそれをしたくてもできない構造の変容がおきているのである。逆に言えば、もし国家を国民に奉仕させようとしたいのならば、こうした流れを学習する必要がある。

今の「システム」の歩みにおいて、かつてのAの先進国グループの国家は、以前のような「官」(「公」)の存在ではなく、「民」として、「民営化された国家」として存在しているのだ。すなわち、かつて「外国資本」を「ハゲタカ」と呼んだが、今やこの日本という国家も「ハゲタカ」として、自国民である日本国民の前に立ちはだかっているのであり、大阪都構想の背後には、こうしたハゲタカ国家としての日本国家が控えていることを直視しておかなければならないのである。

それが意味することは、大阪維新や今の菅内閣云々だけに限定される問題ではなく、今後さらにこうしたハゲタカ国家を利用した「民営化」路線が進められていくということなのだ。それは、与党や野党に関係なく、今のままであれば、政権に就いた政党は、こうした道を歩むしかない。もう既に日本国内にも、外資、外国によって多くの不動産や債券が買い漁られている。それを私たちはただ漠然としたままに傍観している。

私たちも体の芯から「民営化された国民」になってしまったのである。そう、もはや国民などではない。もう「公」の存在としての国などは存在しないのである。これに対して、70年代以降の「システム」の歩みにおいて、その「高度化」をひた走るBグループやCグループは、これから「公」としての国家と国民を、Aの「民」としての役割を担うこととなった国家や国民の協力関係の下に、つくり上げていくのだ。

そこに、「公」と「民」の、換言すれば、「ナショナリズム」と「グローバリズム」の両者の間に、相互補完的関係がつくられているのである。私の見る限りでは、これらの関係を的確に理解することなく、ナショナリズムやグローバリズムを単純に敵対する関係と位置付けるだけの論考があまりにも多すぎるのは残念というしかない。いずれにせよ、中国やロシア、ブラジル、インド、アフリカ諸国、南米諸国で今後そうした傾向が強まる。今のタイの若者の騒動も、そうした「公」をつくる中での衝突として捉えられる。

私はこのブログ記事で何度も指摘してきたように、こうした国家や国民における「公」から「民」への変貌とそれを導く「システム」の歩みにおける転換・変容の動きを、先ずは押さえておかなければ、今後大変なことになると述べてきたのだが、あまり多くの方はそんなことには関心もなく、失礼ながら、表面的な皮相的な議論に終始しているように思われる。

今の大阪都構想問題を、私たちの明日にでも起こる問題だと、どのくらいの人が考えているだろうか。いやもう、外資や外国勢力と手を組んだハゲタカ国家の合作により、水道の民営化が着々と進められている。巨大な資本力を手にした世界的多国籍企業を前にして、地方の自治体だけでは守りようがないのに、つまり地方住民の命と暮らしを守られないのに、それに輪をかけて、もはやそうした流れに向き合える国家が存在していないのだから、どうにもならないだろう。

しかしながら、ここからが問題ではなかろうか。もはやハゲタカ国家の下で、国家も国民も民営化された状態に置かれてしまい、さらにこの流れはとめどなく進んでいけば、子や孫たち云々の前に私たちも危ない。少しでもこうした危険から身を守るためには知恵を出さなければなるまい。

そのために、私はこれまで「システム」論をもとに、ああだこうだと論述してきたわけだが、従来の政治理念やイデオロギーでは、もう守られないのは必至なのだ。その理由は、これまでの私の「システム」論における「システム」の転換・変容を見ていただきたい。いや守られないどころか守られていないし、殺され続けているではないか。

それは、こうした「システム」の転換・変容の下に、Aに住む私たちの命と暮らしを守ることなど到底期待もできないハゲタカ国家と、そうした流れの中で進行した国家と国民の「内実」を骨抜きにする民営化路線の下に、私たちがなすすべもなく立ち往生しているからである。何度も言うのだが、憲法を守れ、第9条を守れとか、あるいは戦後民主主義を否定して、改憲をして強い国家をつくれとか云々を語るのは、もうやめた方がいい。そんなことに時間を費やすのならば、別のことを考えるべきだ。

彼らは、お互い対立する見解を戦わせているように見えるのだが、そうではない。また、右とか左でもない、日本が一丸となって元気になる云々の見解も、同じで何も論じていない。私の語る「システム」論における「システム」と、その覇権システムと、つまり「親分」と向き合ってなど、これまで一時もないのだから、もう笑止千万なのだ。

(最後に一言)

臨時国会中継を聞いてまた思った。こりゃ、アー・「カン」・べ「えーだの」、だ。間違いないから、なんとかしなくちゃ、と。マジになると、体が、神経が持たないから、ヨモダ言わないとイー管。のらり、くらりが「えーだの」ー。それにしてもひどすぎる。こんな連中に税金とは。さすがにハゲタカ国家の国会議員だ。やめておこう。こんなアホ話をしても自分が腐るだけだから、「親分」とどう向き合い、戦えばいいのか、それだけに集中してみよう。

日本学術会議問題など簡単な話。政府は人事に介入しないで、新会員の加入を認めると同時に、もう会議に税金を投入しないことにすればいいのだ。新会員のうち、社会科学系の研究者の業績は普通レベルである。こんな連中がいくら集まったところで、どうにもならない。試しに少し真面目に彼らの著作を読んでみればいい。ハゲタカ国家とハゲタカ外資そして彼らと連携した外国勢力に抵抗できる知恵など何もないばかりか、むしろ逆に彼らの力を増強するのに手を貸すだけなのだ。皮肉なことに、菅内閣関係者には、とりわけその応援団を構成する研究者連中のレベルも所詮はその程度だということである。それが理解できないのだから。野党もまたそうなのだから、どうしようもない。まさに日本はお先まっ暗というしかないだろう。だからこそ、少しでもやれることはしておかなければならないのは言うまでもない。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覇権システムと、そして「システム」とどのように向き合い、戦えばいいのだろうか(2)

2020-10-25 | 日記


(最初に一言)

前回の記事で言い足りなかったことを最初に付言補足しておきたいので、前回記事の重要なくだりを二カ所引用して、そこに追加する内容を新たに指摘しておきたい。

先ずは一番目のくだり。

ここで注意、留意してほしいのは、私たちの「システム」それ自体の歩みの中でこうした流れが必然的につくり出されていくということを、最初に抑えておく必要があるということなのだ。覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの下位システムから成る「システム」の存在それ自体が、自ら先の関係をつくり出していく。そこには、「自己決定権」を巡る「力」の争奪戦における「差別と排除の関係」から「システム」がつくられてきたという歴史的な事情が与っている。(これについても、拙著やブログ記事を参照されたい。)

以上、最初の引用、終わり。

やはりこれだけではわかりにくい話である。既に何度もこの点に関して、私自身は言及してきたはずなのに、その都度、後になってから、もう少しあそこのくだりはこう表現すべきだったとの繰り返しで、どうしても言いたいように伝えられないから、読者にはいつも申し訳ないと思うのだが。

それで、今回は箇条書きで私の伝えたい論点をいかに述べておく。

①「システム」は、なぜ、1970年代を「分水嶺」とするかのように、{[A]→(×)[B]→×「C」}から、{[B]→(×)[C]→×[A]}へと構造転換・変容していくのか。

②その根源的理由は、「システム」が「金の成る木」としてつくり出されてきたということによる。

③そのために、「システム」は、覇権システムに象徴される暴力関係から「親分ー子分」にみる「自己決定権に」おける差別と排除の関係を「格差バネ」としながら、力の弱いところからいろいろな形に還元される資源を収奪する中で、親分に都合のいい「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係をグローバルにつくり出してきたのである。

④その形成に大きく与ったのが「親分」の力(暴力)であり、それを介して「親分」は無数の「親分ー子分」の関係を導くと同時に、それがいつしか一つに統合された覇権システムとなったのである。

⑤そうした覇権システムの下で、すなわち暴力に依拠した帝国主義関係の下で、{Aの衣食足りて→Bの衣食足りて・足りず→Cの衣食足りず}に描かれる世界資本主義システムがつくり出されてきた。なお、外側の記号{ }は、覇権システムを示している。

⑥さらに、覇権システムの下で、その暴力的帝国主義関係と、その下でつくり出された世界資本主義システムを正当化・合法化するために、{Aの礼節を知る→Bの礼節を知る・知らず→Cの礼節を知らず}で示される世界資本主義システムがつくり出されてきたのである。ここでいう「礼節」には、普遍的価値や普遍的人権、市民的自由・権利、法の支配などが含まれているのだが、この図式でもわかるように、そうした自由や人権は、最初から「格差」関係の下に置かれている。

⑦こうした覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの下位システムから成る「システム」は、その格差バネを介して、「金の成る木」としてその維持と安定、さらなる発展の歩み(高度化)を実現してきたのだが、1970年代頃になると、その格差バネが有効に聞かなくなり、そこから「金の成る木」としての「システム」はその再編成を迫られることになる。

⑧そこから、覇権システムの再編が試みられるのは言うまでもない。その意味することは、これまで歴代の「親分」を輩出してきたAグループには、もはやその親分が見当たらなくなり、そこからBグループ内に、その親分を見つけ出す動きが顕在化するところとなっていく。それは、米・中覇権連合の形成を導くこととなり、今は次期覇権国の中国に対して、現覇権国の米国が時に厳しく、時に優しく教育指導しながら、覇権国としての在り方を伝授している最中なのだ。

⑨それゆえ、70年代以降の覇権システムはなお盤石とは言えないのだが、それでも着々とその骨格とその肉付けは進んでいるのも事実である。

⑩この新たな覇権システムの下で、世界資本主義も再編され、新たな関係をつくり出していく。それは{Bの衣食足りて→Cの衣食足りて・足りず→Aの衣食足りず}の関係として描かれるのだが、ここで注意していただきたいのは、なおこの関係は実現半ばであるということである。そこからわかることは、Aのかつての先進国の住民の生活困難者の境遇はさらに悪くなるのが予想されるということだ。

⑪こうした覇権システムと世界資本主義システムの再編と手に手を取るように、世界民主主義システムも、新たに再編成されていく。それは、{Bの礼節を知る→Cの礼節を知る・知らず→Aの礼節を知らず}のモデルで示されよう。ここでも注意してほしいのは、なおこの関係はその実現の途上にあるということである。Bの中国は2,30年後には、名実ともに、いわゆる自由民主主義体制として位置付けられる国家となっているだろう。ここでも問題となるのは、Aのかつての先進諸国である。市民的自由や人権の保障もままならず、命と暮らしを守れない人々がますます増加していくのは必至である。

⑫「システム」は、このように新たなる再編成の下で、錆びかかっていた格差バネを有効に働かせながら、新たな差別と排除の関係の下に、「金の成る木」としてのその役割を担うこととなるのである。

以上が、前回の記事で補足しておきたかった第一点目のくだりに関する内容である。前回も強調したことだが、この「システム」の形成と発展、そしてその変容を見ていく際にわかるのは、「システム」の自己完結的歩み二こそまずは注目してほしいのである。あのM・ウェーバーの資本主義の見方とも通じるものがそこにはある。

すなわち、一旦動き出した「システム」は、あたかもひとりでに歩くようにその歩みを展開していくのであり、そこには自由主義や自由民主主義や社会民主主義や共産主義や保守主義や民族主義といった人為的理念なりイデオロギーを介して、外部から影響を及ぼすことなどできないということである。とくに1970年代以降の「システム」におけるAに位置した人々の命と暮らしを守る点では、何の役にも経たないということを、いや逆に、そうした政治理念やイデオロギーを振りかざすならばむしろ有害無益だということを自戒・自覚することが今は何よりも大切なのであることを、ここでも念を押しておきたい。。


それでは、次に2番目のくだり。先の一番目の話と見事に重なってくるのだが、かつての先進諸国グループに生を受けた私たちにとって、私たちの生存を危うくする脅かすものは、まさに70年代以降の「システム」の発展なのだ。別にどこかの国の直接的脅威が問題だという前に、まずはそこに目を向けるべきである。私たちの軍事力は私たちを守るために存在するのではない。「金の成る木」としての「システム」の維持、発展とその安定のために存在するものであり、軍事力のますますの整備それ自体が「金の成る木」としての「システム」には有効であり、必要不可欠な潤滑油となる。

こうした流れを踏まえて、前回の記事のくだりに目をとおしてほしい。

前回記事の二つ目のくだり、引用始め。

ずっと以前の記事でも指摘したように、私たちは{[B]→(×)[C]→×[A]}のAに位置している。「システム」は、もはや別にAに暮らす普通の国民の存在など気にかけてもいない。彼らが貯め込んだお金さえなんとかB、Cグループの経済発展に回してくれれば、それだけで十分かのように、Aの国民に向き合っているように、私には思われる。

換言すれば、「システム」は、たとえば{[B]→(×)[C]→[C']だけでも構わないのである。その他にも、Aを抜きにしたいろいろな関係が想定できるだろう。Aグループの指導者たちは、「システム」の要請に従っているかのように、Aの庶民に向き合っているのではあるまいか。これは相当に恐ろしい話なのだが、今の日本社会を見回してみるとき、庶民の命と暮らしはもはや風前の灯火と言えば、言い過ぎだろうか。私にはそうとも思えないのだが。

引用、終わり。

以上が前回のくだりの引用箇所であり、今回の記事で私が言及付言したい第2番目のところである。正直、相当に怖い、怖ろしい話であるが、読者も薄々は感じられているに違いない。毎日、この日本国内で犬猫が死ぬかのように人の命が失われている。このくだりも表現の難しい処である。犬や猫の命も元より大切であるが、そうした動物が毎日処理場で命を奪われている様を連想するのと同じように、人命も軽く扱われるようになって久しいのだが、私たちの身体のどこかで、もうどうしようもないという感情が生まれているとすれば、それはそれで問題であるのは間違いないことだ。

ところが、どうにもならない、どうしようもない空気が醸成されているのもこれまた、確かではあるまいか。私が診るに、私たちは体でもって、そういわゆる体感というそれであるが、私の「システム」論で語る「システム」の転換・変容を感じると同時に受け止めているのかもしれない。とくに年長者の者には、その中でも「団塊の世代」と呼ばれた高齢者には、それがわかるのではあるまいか。わかっているのに、どうすることもできないことに、またやるせなさを感じているのかもしれない。

私自身もどうにもならない、どうしようもないことに対して、歯がゆさや苛立ちを毎日覚え、それでまた落ち込むの繰り返しとなるのだが、私たち高齢者ならまだいい、もうそこにお迎えが来ているのが見えるから。しかし、私の私たちの子供たちや孫やそのまた先の子供たちの存在と彼らの明日の可能性を少しでも想像するとき、なんとかして此処で踏ん張り、踏み止まることは大事だろう。
   
そうした戦後生まれの彼らが平和憲法に胡坐をかいたままで、その「平和」の意味も六すっぽ考えないままに、ただただ平和は、自由は、民主主義は大事だと繰り返すだけで、その挙句が今日この日本の体たらくだとしたら、もう何をかいわんやである。それゆえ、私はそうした高齢者たちに呼びかけたいのである。

これからお迎えが来るまでの間、もう少し私たちのこれまでの生き方を振り返り、私たちが糊塗してきた問題に向き合い、それを後世の世代に伝え残すべきではないか、と。それを考えるとき、私にはどうしても避けて通れない問題があるのだ。それがほかならぬ「システム」とその宿痾に関係する問題であり、なかでも覇権システムとそれに関連した問題は、私がこれから、今まで以上に向き合い格闘すべきものなのである。

私たち日本人は、戦後この方「システム」によって押し付けられた「平和」憲法の下で、ここまで歩みを辿ってきたが、その「システム」はもはや日本と日本人の必要性を感じなくなってきているのである。もう不要とされているのだ。そうした状況におかれた日本と日本人が、否が応でも、対峙することを迫られているのは中国と中国人であるのは間違いないことだろう。

その意味でも、次期覇権国となる中国と覇権システムに関する理解を深めることは大切であろう。ところが、私たち日本人にとって、「覇権」という言葉に「親近感」を持てないのも事実だろう。そこには「平和」憲法と「第9条」とが深く関係しているのは確かであろう。誤解のないように付言すれば、「覇権」という言葉を、私はそれがいいとか悪いといった次元から用いてはいないし、先の「親近感」にしても、その意味は日頃からそうした言葉に慣れ親しんでいるかを意味するために使っただけのことである。

これからは、日本人には、この言葉とそれが意味する「親分ー子分」の「力(暴力)」関係について、それこそ今まで以上に、慣れ親しむことがより重要な勉強となるに違いない。今の会議騒動問題で盛んに飛び交っている表現の自由、言論の自由、学問の自由といったまさにそれらの「自由」の背後には、そうした自由をすなわち自己決定権としての「力」を、額面通りに発揮させる「親分」が存在しているのであり、両者は何ら矛盾しない関係に位置しているのである。先述した「礼節を知る」の礼節の中に、こうした自由や人権は含まれており、またそうした礼節と覇権システムの関係については、既に述べたとおりである。

会議騒動問題に関係した研究者の多くは大学という研究・教育機関に属している。この大学という空間もまた、私の「システム:論で語る例の「システム」を髣髴とさせるかのように存在しているのだ。すなわちかつての旧帝国大学を筆頭に、全国の大学間の序列化が編成されている。

話がややこしくなるのを避けるために、読者に想像力を働かせてほしいのだが、企業間にも大企業があり、その下に中小、下請け、孫請けといった序列関係があるだろう。官公庁においてもそうだ。警察という組織をみても、警察官僚から下はそれこそ多くの序列関係が形成されている。そうした序列関係の中で、それに呼応した「自由」が現実には享受されていくことから、そうした自由とは名ばかりの何も手にできない者の自由の方が多いに違いない。

それでは、どうして額面通りの「自由」が保障されないのだろうか。読者にはもうお分かりのように、そこにも「親分ー子分」の力の関係が歴然として存在していることによる。その力は往々にして「暴力」以外の何物でもなく、力の弱い立場に置かれた相手の自己決定権の能力(自由)を奪い取るのである。まさに、自らのそして家族の命と暮らしを守るために、親分とその仲間に対して逆らえないような関係がつくり出されていくのである。。

大学という空間、組織もまた警察組織や企業組織と同様に、小さな親分から大きな親分で構成された空間である。そして親分に群がる子分が集まり、「親分ー子分」関係としての大学、そして学会がつくられていくのである。その中にも派閥というか学閥間の争いは存在しているが、そうした何らかの閥×に加われない、最初から排除された根無し草の研究者や学閥の歴史とは無縁な大学で研究する大学院生は容易に職を得ることもままならず、彼らには表現や言論や学問がどうのといった仰々しい自由など存在していないも同然である、このような存在を看過してしまった自由論では、どうにもならないのではあるまいか。

最後になってしまったが、会議騒動問題を報道するメディアにも、先の序列化が存在しており、その先を辿っていくと、日本の大手メディアから彼らがその傘下に置かれている海外の大手メディアへとつながる、やはり「力」と「力」の「親分ー子分」関係としての「ミニ」覇権システムが存在していることに気が付く。

このような親分ー子分関係としての「力」を、暴力を背後にして、始めていわゆる表現、言論、学問の自由が、「自由」足りえるのである。付言すれば、米国の大手メディアのスポンサーは、ウォール街の国際金融資本勢力である。彼らが、覇権システムやシステムの歩みに深くかかわっていること、正確に言えば、深くかかわらされていることは、言うまでもない。

(最後に一言)

今日もお付き合いいただき感謝あるのみです。なお、タイトルを前回から変更したことを、ここで断っておきたい。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覇権システムと、その「親分」達とどのように向き合い戦えばいいのだろうか(1)

2020-10-24 | 日記

 


覇権システムと、その「親分」達とどのように向き合い戦えばいいのだろうか(1)

(最初に一言)

安倍晋三前首相の辞任表明前後から、そして今の菅現首相へと続くこの国の政治指導者のの政治手法を見るにつけ、いつの間にか、なんとも言い難い無力感、絶望感に襲われ続け、そしてそうした気分が常態化してしまい、何もやる気がおこらっず、もう何とでもなれといった厭世観が私の中で強まる一方で、やっとこさ自分をだましだましから元気で自信を叱咤激励しながら、ここまで舞い戻ってきた今日この頃である。

そしてその間、自分のこれまでのブログ記事を頭の中で思い起こしながら、なんとかして世の流れを掴もうと試みてきたが、予想どおり、私は社会との「ズレ」を感じざるを得ないのである。それは正確に表現すれば、単なるズレではない。修正とか手直しで取り繕えるようなものではなくなってしまった。「浦島太郎」云々と以前に述べたのはそういう理由からであった。

以下に、ここ数回のブログ記事をもとにして、先のずれとそれが意味する問題に関して、今回は少し論じてみたい。

私の語る「システム」論の立場から、私は近代以降の世界の流れを私なりに解釈してきたが、日本に暮らす私たちのような「かつての先進国グループの一員」は、今や政治の世界の大海原を乗り切れる羅針盤を手にすることなく、ただその時々の流れに身を任せて漂い続けるだけの憐れな存在となってしまった。

そうした様を見事に表している一つの例として、会議騒動を巡る政治劇がある。与党とその弁護団を構成する研究者グループと野党とその弁護団を構成する研究者グループの争いにおける両者の「主張」内容に、もはや新たな羅針盤を手に入れようとするあがきというか模索の姿勢を何ら感じることができないのだ。

1970年代までの世界を描いた「システム」({[A]→(×)[B]→×[C]}、なおモデルは省略形、共時態型モデル)であれば、A、B、Cグループ共に、Ⅰ期、Ⅱ期そしてⅢ期と「システム」の「高度化」に向かうあゆみが期待されていたのに対して、1970年代以降そして今日にかけての世界の動きは、「システム」のモデルで描くとき、{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態型モデル)で示されるように、以前の世界から転換・変容しているのである。(なお、詳しくは拙著や以前の記事を参照されたい。)

そこからわかるのは、Bグループの頂点に位置する中国や、その下に位置するロシア、インド、ブラジル、韓国、アセアン、Cグループに位置するアフリカや中東諸国、北朝鮮の諸国は、70年代以前と同様に、Ⅰ期からⅢ期へと「システム」の「高度化」が約束されているのに対して、かつての先進国グループを構成した先進諸国はもはや「システム」の「低度化」の歩みしか残されていないのである。

すなわち、Aグループにおいては、Ⅰ’期、Ⅱ’期そしてⅢ’期へと続く「低度化」の歩みを辿らざるを得ない。そこでは分厚い「壁」を備えた主権国家、国民国家はもはや取り戻すことはできないままに、分厚い中間層は解体され、格差社会の深化の下に、生活困難者が増加することが必至となる。

ここで注意、留意してほしいのは、私たちの「システム」それ自体の歩みの中でこうした流れが必然的につくり出されていくということを、最初に抑えておく必要があるということなのだ。覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの下位システムから成る「システム」の存在それ自体が、自ら先の関係をつくり出していく。そこには、「自己決定権」を巡る「力」の争奪戦における「差別と排除の関係」から「システム」がつくられてきたという歴史的な事情が与っている。(これについても、拙著やブログ記事を参照されたい。)

そうした「システム」の性格、性質を最初に理解したならば。もはやAグループにおいては、自由主義や社会民主主義や共産主義、保守主義、民族主義の出番はもうないはずなのである。ところが、多くの研究者は、私の語る「システム」を理解できないことから、たとえば福祉国家の後退、挫折、格差社会の到来とその深化の原因として、新自由主義やその推進者のネオコンが問題だとか、竹中平蔵や小泉前首相の「民営化」や「小さな政治」路線と財界優遇化政策が問題だとかのように、もっぱら語るのだ。そしてそこからその代替策、対抗策として、野党は「昔に戻れ」式の主張を展開することに終始するのである。

もとより、これらの話が全て間違いだと私は言うつもりはないのだが、如何せん、彼らのほとんどが「システム」の「自己完結的な歩み」に似た歴史を最初から見ていない、理解できていないことから、私の語る話がその分、彼らが中心となってリードしている現実の政治劇の世界とズレていくことになるのだろう。悲しい現実は、今の自公政権や菅内閣、そして野党とも呼べない「夜盗」に等しい政党が、「システム」の歩みを理解できないことなのである。

それゆえ、未だに70年代以前の頭の中身のままで、70年代以降の転換・変容した政治に向き合っている。そこにコロナ禍が拍車をかけてしまった。ますます私たちが歴史の、「システム」のどの地点に位置しているかの確認すらできないあり様なのだ。コロナ下での失業者を始めとする生活困難者の増加は、コロナ・ウイルスの蔓延やそれに伴うコロナ感染者の急増とコロナ対策に対応する政治の問題が確かに関係しているのは疑いない事実であるが、ここでも先の70年代以降の「システム」の歩みを的確に理解しておかなければ、さらに大変な事態を導くことは間違いない。

たとえて言えば、病人を前にして、その症状の診断や処方箋について適切なアドバイスができない医者のような国会議員で占められている国会だとすれば、病人である国民の治療は期待できないに決まっている。それゆえ、国民も期待などもうしないかのように、その代わりに私たちにも税金を還元しろという具合に、「イケイケ地獄」キャンペーンに熱中しているのかもしれない。

ずっと以前の記事でも指摘したように、私たちは{[B]→(×)[C]→×[A]}のAに位置している。「システム」は、もはや別にAに暮らす普通の国民の存在など気にかけてもいない。彼らが貯め込んだお金さえなんとかB、Cグループの経済発展に回してくれれば、それだけで十分かのように、Aの国民に向き合っているように、私には思われる。

換言すれば、「システム」は、たとえば{[B]→(×)[C]→[C']だけでも構わないのである。その他にも、Aを抜きにしたいろいろな関係が想定できるだろう。Aグループの指導者たちは、「システム」の要請に従っているかのように、Aの庶民に向き合っているのではあるまいか。これは相当に恐ろしい話なのだが、今の日本社会を見回してみるとき、庶民の命と暮らしはもはや風前の灯火と言えば、言い過ぎだろうか。私にはそうとも思えないのだが。

それでは、そんな庶民がどうして身を守ればいいのだろうか。どうやったら命と暮らしを守ることができるのだろうか。表現や言論の自由、学問の自由があれば、庶民は守られるのだろうか。立憲主義的デモクラシーや第9条に身を任していれば、庶民は大丈夫なのだろうか。

勿論、そんなことではどうしようもないことは庶民はよくわかっている。私もわかっている。ところが、そんな庶民の期待に反して、まずは表現や学問の自由が大事だと言わんばかりの野党をみていると、この人たちは一体何を守ろうとしているのか、と言わざるを得ないし、ますます支持する気もうせてくる。

それではどうすればいいのだろうか。「親分ー子分」関係から成る覇権システムと向き合うことを、そろそろ考えてもいい時期に来ているのかもしれない。そのために、まずは日本の「親分」の「力」に対してどう向き合えばいいのかを考えなければならない。その参考例として、日本の中世や近世の「一揆」があるのではないか。

(最後に一言)

やっとここまで何とかたどり着けたのだが、私の不勉強からまだよくわからないことが多すぎる。そもそも「一揆」と、「デモ」あるいは「抗議」とはどこがどのように違うのだろうか。次回はそうした点をもやもやさせながら、ゆっくり、ゆっくり、のらりくらり考えてみたい。ただし、どうなるかはまったくわからない。いつものように、「おあとがお悪いようで」読者にはご寛恕お願いしたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする