「信条」や「理念」も、それを主張する者は生きるために衣・食・住の営為を当然の前提としていることから、必ず何らかのお金と絡む「利益」関係と結びつ飾るを得ない。そこから「親分ー子分」関係を基にした覇権システムがつくられていくのは必至となる。ー私の語る「システム」論から、改めて「リベラリズム」と「リアリズム」に関する議論を再考するとき
(最初に一言)
これまで何回かの記事でいわゆる「リベラリズム」と「リアリズム」あるいは「理想主義」対「現実主義」に関する議論を取り上げ、それを私の語る「システム」論からとらえ直す試みをしてきた。私の言わんとするのは、今回記事のタイトルで示したとおりである。もう少し丁寧に、それを逆から見れば、覇権システムの下でつくり出される衣・食・住の営為の利益・利害関係があり、同時にそれを正当化・合法化する信条や理念があるということである。換言すれば、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」が存在しているということになる。
私はこうした「システム」論を念頭に置きながら、従来の一国・一地域を単位とした議論に替えて、A、B、CあるいはB、C、Aから成る「システム」の関係論的立場から、これまでの政治学の代表的知見を捉え直す作業を試みてきた。たとえば、民主主義論、とくに自由主義的民主主義と帝国主義との関係、民主主義による平和、普遍的価値や普遍主義をはじめとした諸議論の抱える問題について、再考してきたが、そこにはリベラリズムとリアリズムの議論も含まれていた。
たとえば、自由貿易が進むにつれて、当事国間には平和がもたらされるとリベラリストが主張する場合、そもそも、その「自由」とか「平和」を期待して語る論者が、その自由貿易がどのような「空間」で行われているかについて、何を語っているのか、又は語っていないのかについて、読者は確認しておいた方がいい。私がここで言う空間とは、覇権システムと、それを前提としてつくられてきた世界資本主義システム、世界民主主義システムから構成される一つの「システム」なのだが、別にそうでなくても構わない。
私のような「システム」論から見るとき、以前の記事でも述べていたように、最初からリベラリズムの想定が甘すぎることがわかるに違いない。自己決定権の獲得とその実現に際して、その能力における格差というか、差別と排除の関係の中で、諸国家が存在することを余儀なくされていることを鑑みれば、リベラリズムの期待する方向に世界が進むとは、私には考えられないのだ。さらに、それ以前に、そもそもリベラリズムによって私たちが生きているこの世界を、その思い描くように塗り替えられるとは、私には考えられないのである。
それでは、リアリズムの描く世界ならば、私たちの平和や安全は保障されるのだろうか。これまた悲惨な世界でしかありえない、と私は言わざるを得ない。その前に、そもそもリアリストたちは、私たちが生きている現実の世界を的確に描くことができているのだろうか、と私は素朴に思わざるを得ない。誤解を恐れずに言えば、リアリストと称される論者は、私の「システム」論で描く覇権システムを理解してはいても、その覇権システムと世界資本主義システム、世界民主主義システムとの関係について、そしてそれゆえ、「システム」について、どこまで理解しようと努めてきたのだろうか。
覇権システムにおける覇権国の興亡史において、世界資本主義システムと世界民主主義システムの担う役割は、とくにその構造変容・転換・再編の歩みは大きな意味と意義を有している、と私はみている。すなわち、軍事力をつくり出す大きな要因としての経済力の背後には、覇権システムとそれを前提とした世界資本主義システムの歩みに加えて、世界民主主義システムの歩みとが密接にかかわっている、と私はみているのだが、果たしてリアリストの論者は、こうした民主主義との関連をどこまで彼らの力(暴力)に関する議論に組み込むことができているのだろうか、と私は疑念を持ってみている。
そこには、リアリストであれ、民主主義をはじめ普遍的価値に対しては甘いというか楽観的ではないかとの私の見方が前提にあるのは確かである。すぐ上でも述べたように、覇権システムにおける覇権国とその経済力、軍事力をつくり出すのは、私の語る「システム」を前提として、はじめて実現可能となるということである。それゆえ、民主主義と関係する世界民主主義システムの抱える差別と排除の関係は、世界の平和と戦争を考える際に、力(暴力)と並び、とても重要な問題を構成している、と私は考える。
E・H・カーも覇権国の歴史を持つ大英帝国の外交官であるために、彼が擁護する民主主義(の歩み)がどれほど、世界の平和に破壊的な影響力を持っていたか、もたらしたかについてのリアリスト的観察はできなかったはずだろう。同様に、それは米国のリアリストの論者についても該当する、と私はみている。というのも、民主主義の実現の歩みは、私の語る「システム」を前提として初めて可能となったからである。
その意味では、リアリズムの立場に位置した論者も、自由や民主主義、人権、といった普遍的価値とその実現としての普遍主義が抱え続けてきた暴力性に関する評価は、おそらくあまりにも楽観的すぎるのではなかろうか。 そうした関連から言えば、リベラリスト同様に、リアリストたちも、私の語る「システム」と正面から向き合うことはなかったと言わざるを得ない。
ここまでの議論を踏まえて、私の結論を述べるならば、リベラリズムであれ、リアリズムであれ、それらが私たちの生きている世界に何か著しい「変化」をもたらすとは言えない、と私はみている。私たちの現実の世界は、たとえて言うならば、無地のキャンパスにリベラリズムやリアリズムの色でもって物語となるような絵を描くことを許してくれるほどに、大らかでも単調な世界ではない。それは私の語る「システム」として描かれる世界であり、そこにはM・ヴェーバー流の官僚制化した歴史的制約が刻印されている。
私たちが政治学で語るリベラリズムやリアリズムは、この「システム」の前では何もできないままであり、それらが何か世界政治にさも影響力を持っているかのように、識者に語らせてきたのは、この「システム」がその都度自らに都合のいいように、換言すれば、「システム」の抱える「弱点」というか「上手くいかないようなその歩み」を、煙幕を張ってゴマカス際の「手段」として用いてきたからに他ならない。それゆえ、世界政治の不安定化や無秩序化はリベラリズムに直接原因なり、問題があるわけでもなく、逆にその安定化に、リアリズムが何か素晴らしく貢献したとみる必要もないということである。
(最後に一言)
以前のブログ記事でも述べていたように、E・H・カーの著作も、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉が、ある「段階」において、私たちシステム人に提供した「歴史叙述の神話」を構成する読み物とみなすことができるのではなかろうか。私はそう断言できるのだが、残念ながら、この神話の持つ影響力と浸透力は手ごわすぎるとしか言いようがない。それゆえ、私はカーはいつの時代のどこの国の外交官であったのか、という問いかけから始めることにしている。
確か、拙著の『「日本人」と「民主主義」』の前半部?において、カーの民主主義とナショナリズムの理解の仕方を批判的に検討していたと思うのだが、それを踏まえて「危機の20年」の原因としてカーにより位置づけ理解された、世界政治におけるユートピアん的政治の展開についての彼の批判的論評は、改めて再検証・再検討されるべきことに気が付くかもしれない。
前回記事の(付記)の②で取り上げた耕助氏のブログ記事の最後のくだりを、再度ここに引用貼り付けておきたい。ずっと以前に、ビル・トッテン氏としての日米間の貿易摩擦や日本の米国債保有等々の問題について、彼の著作からいろいろなことを学んだことを今でもはっきりと覚えている。
②民主主義、最も危険な宗教:パート3(耕助のブログ)
http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/321.html
投稿者 HIMAZIN 日時 2022 年 11 月 17 日 19:08:05: OVGN3lMPHO62U SElNQVpJTg
〈(阿修羅)総合アクセスランキング・瞬間〉の記事より
(最後に考えてみよう。この明白で致命的な欠陥は、(ユダヤ人所有の)メディアでは決して言及されず、(ユダヤ人が出版した)歴史や政治学のテキストでも議論されることはなかった。少なくとも私の知る限りでは。その代わりに、「民主主義」は、それを疑問視することが反逆的な冒涜となるくらい神聖な宗教に昇華されている。全人類の憧れを反映した普遍的な価値として、生まれたときから毎日絶え間なく宣伝されてきた。不思議だと思わないか?)
* 最後に、今回記事での米・中貿易戦争を介した自由貿易を巡るリベラリズムの見解を検討する際に、私のブログ記事を参照することで、リベラリズムやリアリズムに関する議論とその知見に対する見方や評価に、何某かの広がりが見いだせるとの厚かましい判断から、ここにその記事を引用。貼り付けておきたい。
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(記事の引用・貼り付け、始め)
(2018,10,12の記事より)
米中貿易センソウ・戦争というとき、「米」を構成するのは何なのか。「中」を構成するものは何なのか。ー最初から「純血種」の米国や中国ではなかったー
私たちは常に「関係」の中でつくられる「私(僕)」であり「私たち」であり、「日本」であり、「日本人」だから、もし日本と日本人を「取り戻す」とするならば、純血種たる日本と日本人となるべく、戦争とそれに伴うジェノサイドを果てしなく繰り返さざるを得なくなる。
そんなことは避けなければならないが、同時に堤未果氏の著書『日本が売られる』(幻冬舎) にある悲惨な現実に置かれた日本と日本人を救い出すことは急務であろう。私が拙著や拙論で展開してきた議論もそれに関連したものである。私の場合は、私のモデルで描くセカイとその関係、すなわちシステムの自己完結運動の歩みとその関係の中で、日本と日本人を取り戻そうとする運動は極めて困難であり、もしそれを意図すれば、戦争に至るのは必至であり、事実「あの戦争」となったということであった。
その戦争に至る間も、戦争中も、必ず「売国奴」が存在していて、その売国奴を操るシステムの存在があるということを忘れてはならない。それは戦後も一貫して今日まで続いている。
もし、日本と日本人を取り戻したいと願う者がいるとすれば、彼らは最低限、心掛けなければならないことがある。システムが仕向ける、仕掛ける戦争に、あの戦争も事実そうであったが、巻き込まれないことだ。今後の朝鮮半島の統一と、中国の覇権国としての台頭の動きの中で、ますます日本と日本人の命と暮らしは危うくなっていくであろうし、それこそ中曽根内閣から小泉、そして安倍内閣下の「売国奴」的政治の展開で、危機に瀕していると言っても過言ではないのだ。
もっとも、システムの歩みとその関係の中で生きているシステム人は、いつも「売国奴」として生きざるを得ないのも事実だ。関係の中である限り、そもそも純血種としては生きられなくなる。それゆえ、売国奴的人間であるのは避けられないにせよ、どこまで、どれほどシステムに対して抗えるかが大切となるだろう。無論、これも何度も指摘したように、ほとんど実現不可能なのだが。
ここまでの論の流れを踏まえて、最初に押さえておきたいポイントは、米国とか中国、あるいは日本というとき、それらの国家は、そもそも一つの「国」、一つの「民族」、一つの「国民」だけで「創造」されたのではない、との見方が大切であるということだ。
「西インド会社」として産声をあげた「アメリカ合衆国」
東インド会社は、英国がインドを拠点に中国を含むアジア支配のための英国が発明した支配の手段であったが、英国はそれを基にした西インド会社としてのアメリカ合衆国を、英国から「独立」させるための戦争という演出のもとに発足させた。
どうしてそんなことをしたのか。東インド会社を発足させた理由と同じである。1970年までのあのシステムの歩みとその関係をより安定的かつ堅固なものとするためであった。システムのさらなる発展と維持安定のためには、システムは自らセンソウ・戦争をつくり出すのだ。そのセンソウの中には日常生活に関連した企業間センソウ、受験センソウ、正規・非正規間センソウ、世代間センソウから、貿易摩擦センソウがあり、また戦争にはその強度さの度合いから目に見えにくい低強度の戦争から高強度の戦争がある。重要なのは、前者のセンソウと後者の戦争との間には垣根があるようでないことだ。両者は互いに行き来する関係にある。両者をつくり出すのは、まさにシステムの歩みとその関係に他ならないのである。
そうしたセンソウ・戦争により、システムの経済発展(「衣食足りて」の営為)は、さらに拡大していき、そのことがシステム全体の発展と維持、安定を導くこととなる。今日の米中貿易センソウもそうした理由から導かれる「演出」なのだ。悲劇的結末を導くのは、そうしたシステムの演出に巻き込まれて犠牲となる国家や国民と、そうした国家や国民によって、さらに巻き込まれていく、その他の植民地(従属地)とそこに暮らす人々の関係である。勿論、そうした関係をつくり出していくのはシステムの歩みとその関係であるのだが。
こうした歴史はシステムの誕生以来、600年以上にわたり続いているのだ。
つまり、米国はそもそも英国から「独立」した国家だと教えられてきたが、それではその当時の英国は、どのような関係の中でつくり出されてきたのだろうか。
英国も一つの国、一つの民族、一つの国民だけで創造されたわけでは倍ことがわかる。英国は植民地獲得戦争を繰り返しながら、昨日よりも今日、今日よりも明日というように、より拡大していく英国となっていったのである。
幕末から明治維新、そして明治、大正、昭和にかけての日本もまた同じような歴史を歩んでいく。すなわち、植民地獲得戦争を介して、より大きな日本を創造していったのではあるまいか。
戦後の世界ではそうした目に見える植民地(従属地)は消滅して、それらの旧植民地は「独立」していくと教えられてきたが、実際には戦後も戦前と同じよ言うな目に見えない植民地獲得センソウ・戦争を介して、より大きな国家の建設に邁進していったのである。逆から言えば、より小さな、弱い国家となっていくのだが、こうした目に見える、見えない植民地獲得センソウ・戦争は、どのような世界とその関係の中で行われているかということである。
それは、私がすでに何度も繰り返し述べてきたあのセカイとその関係、すなわち「三重の、三層の下位システム」から構成される「一つのシステム」を舞台として展開されてきたのである。そこでは、自由、民主主義、平和、人権、法の支配といった「普遍的価値」の実現のために、絶えず「勝ち(負け)続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争を不可避としてきたことだ。
このシステムの歩みとその関係の中で、英国も米国も、またスペインもポルトガルもオランダも創造されてきたのだ。日本も、中国も、韓国も北朝鮮も例外ではない。
回りくどい話となったが、それゆえ、米中貿易戦争という場合も、まずシステムの歩みとその関係を押さえておかなければならなくなる。そのシステムの歩みとその関係は同じものではなく、1970年代を分水嶺として70年代以降は今日私たちが位置付けられる今のシステムとその関係の下で、米中貿易戦争といわれている出来事が顕在化しているのである。
それゆえ、70年代以前のシステムがなぜ70年代を境として変容転換していくのかを理解しておくことが、米中貿易センソウ問題を考える上で有益となるだろう。
今日の強大国となった中国を誰が創造したのか
米国の中に中国とその関係諸国が含まれている。同様に、中国の中に米国とその関係諸国が含まれている。それゆえ、米中の対立という場合、その関係を的確に描くのは想像する以上に困難である。そうした問題を踏まえるとき、米中貿易センソウ・戦争がいかなるシステムの関係を舞台として行われているのかを、まずは確認しておくことが何よりも重要であろう。
(付論、1)
1970年代までの{[A]→(×)[B]→×[C]}(省略形、共時態モデル)で描かれるシステムのセカイ・世界においては、「日本」と「日本人」の歩む道は自らの頭で考えるまでもなく、米国の属国、属州としてふるまっていればよかったのだが、またそれ以上のことを欲したとしても何もできなかったであろう。
ところが1970年代以降の国際関係は、{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)で描かれるシステムの歩みとなるのだが、このシステムの関係(構造)とその歩みの行方を的確に理解するのはほとんど無理だ、と私は見ている。その理由に関してはこれまで拙著や拙稿において、繰り返して言及してきたが、当然ながら、このB(グループ)の頂点に次期覇権国の中国が位置し、さらにロシアやインドが、またCに位置する北朝鮮がBの韓国とやがて統一した朝鮮国を建設し、そうしたB、C、Aの関係の中で、Aを構成したかつての先進国の日本と日本人が、システムの歩みの中でかなり不利益を被らざるを得なくなる、との見方を21世紀のこの地点においても予測、予想できないとすれば、もうこれはどうにもならないだろう。
1970年までのシステムの歩みとその関係の中での日本の侵略戦争とそれに伴う植民地支配の賠償・補償問題と70年代以降のシステムの歩みとその関係の中では、その性質と対応の仕方は異ならざるを得ない。その関連から言えば、従軍慰安婦問題は、朝鮮半島の統一とそれを支持、監督する次期覇権国としての中国の登場で、これから正念場を迎えていくに違いない。ますます国際社会からの圧力を受けることが、予想されるし、それを覚悟しておかねばならない。
余談だが、そんな時に、大阪市長はなんと愚かなことをしてしまったのだろうか。米国サンフランシスコ市との姉妹都市関係を解消するとは。従軍慰安婦像の設置問題をあまりにも軽く見すぎている。歴史認識の問題が根底にはあるのだろうが、彼も先が見えていないことは確かだ。
沖縄の基地問題の意味と意義もこうしたシステムの変容・再編の中で、70年代以前と以後においては異なってくることを想定しておかなければならない。その関連から言えば、沖縄の基地反対闘争は、システムの歩みとその関係が作り出してきた「不条理」に対して向けられているということをしっかり自覚しておかねばならない。目の前の米軍や米国ではないのだ。
それを理解しないままでの在沖米軍基地反対運動は、在東シナ海・日本国内次期覇権国中国的圧力の前になすすべなく立ちすくむ日本と日本人とになるだけであろう。いや、もうすでにそうなっているし、どうにもならないのだ。反対運動をしてもしなくても、まったく関係のない所で、物事が動いている。誤解のないために付言すれば、私は確かにそう見ているのだが、それでも生きていく限りは目の前に歴然と存在し続けてきた米軍基地に対して、異議申し立てとしての反対運動を続けていくしかないし、それをやめてしまってはどうにもならないだろう。
(付論、2)
「関係」の中で生きている、生きていかざるを得ないということを、否が応でも身にしみて感じるとき、私たちは理解できるかどうかにかかわらず、またそれを意識するとしないに関わらず、常に条件反射的に、その関係はどのような仕組み(構造)から構成されているのか、その関係の中で自分はどれほどの力を持っているかを、いつも確認して行動することを迫られている。
ただし、問題はそうした確認がどれほどの範囲にまで及んでいるのか、その確認の内容はどれほど的確なことかに応じて、私たちの作為的あるいは不作為的な行動が、巡り巡って私たち自身の存在基盤それ自体を掘り崩し、危うくするすことになりかねないのである。
ところが、想像以上に、この確認作業は難しい。しかも時々刻々と変化していく状況下でそれを行わなければならないのだから、相当に厳しいことなのだ。もしこの確認ができていれば、無謀なことは慎むだろうが、時と場合によっては、そうした確認をした上でも、絶望的状況に陥った者は、敢(あ)えて暴挙としか思われない行動をとらざるを得ないこともまた確かなことではあるまいか。
日本の外交・安全保障の問題(その中には沖縄の基地問題が含まれている)を考える際も、職場や学校での嫌がらせやいじめやその他どうしようもない八方ふさがりの問題を考える際も、この関係とそこでの諸個人の「力(パワー)」における確認能力と行動力(打開力)の程度によって、個人や集団間の対応に違いが出てくるのは当然であろう。
沖縄県の決定は、日本のその他の46都道府県の県民との関係とその関係の中の沖縄県の力によって決まってくる。そうした両者の関係とそこから導かれる力を決定する大きな要因は、自身はさしあたりは問題の「当事者」とは思っていない取り巻きの人々の無理解と無関心である。何度も指摘したように、この無理解と無関心の態度こそが実はシステムの差別と排除の関係をつくり出す大きな原因となるのである。
沖縄の在沖米軍基地問題の解決を阻んでいるのは、沖縄以外に暮らしている私たちの無理解と無関心である。その私たちの中には、日本に暮らす者だけではなく、米国やその他システムを構成する諸国と諸国民が含まれている。
それは確かにそうなのだが、読者もこういわれると、とてもそんなことは無理だと思うだろう。沖縄に暮らすすべての者が基地問題に関心があるわけでもないことを踏まえれば、なおさらだろう。しかし、私がここで言いたいのは、たとえ私たちがそれを理解する市内に関わらず、意識するしないに関わらず、私たちはシステムの歩みとその関係を歴史のある段階で担い続けていることは否定できないのではないか、ということなのだ。この具体的例は枚挙にいとまがない。よく知られた事例の一つに、私たちのスマホに使われている紛争鉱物がある。スマホを日本で使いながら、私たちはアフリカ諸国の内戦や内乱、飢餓や貧困、そして抑圧政府の存在と移民、難民問題に深く関係している。
それでは私たちが無理解と無関心さを脱却して、沖縄を始めとする米軍基地を日本からすべてなくそうとした時、そこでも日米間の関係と、その関係の中での日本の力の程度が問題となってくる。
さらに、そうした関係と力の問題を考えるとき、私たちがどんな国際社会の関係の中で生きているのか、またそうした国際関係の中で日本の有する力はどのくらいかが、「日本」と「日本人」の行動とその決定能力を制約する要因となるだろう。
こうした観点から少し考えただけでも、普通に生きている人々が無理解、無関心の態度を装うことは容易に推察できるのではあるまいか。巻き込まれるのはできるだけ避けたいと考えて、行動していくはずだ。
しかしながら、ここで厄介なことは、私たちは日米安全保障条約、日米基地協定、日米原子力協定などにより、米国との運命共同体として行動する「にボン」と「日本人」となってしまっているのだ。たとえ、沖縄に無理解、無関心の態度をとっていたとしても、そんなことには全く関係なく、日米関係のしがらみの中で、沖縄と関わらざるを得なくなっていたのだ。
さらに厄介なのは、もし私のモデルで描く1970年代以降のシステムの歩みとその関係(構造)が、仮説を超えて現実のものとなった時に、私たち「日本」と「日本人」はもはやどうにもならないところまで追い詰められていくのである。
私が危惧するのは、戦後の日米関係の構築の中で、政府の御用マスコミ人・学者となった者以外に、反政府運動に身を挺した人たちも、そのほとんどが私のモデルのセカイとその関係に無理解、無関心なのである。彼らは、いまだに1970年代までのモデルのセカイの歩みとその関係を基にした議論を展開するばかりなのだ。
簡単に言えば、従来の日米関係を基本として、そこに中国を含む日中関係を「延長」した議論をするばかりなのだ。彼らは、決してシステムの姿を見ようとしないし、考えても来なかったのだ。付言すれば、最近の論壇で取り上げられている米中貿易センソウ・戦争問題を語る論者は、その問題の背後にあって、そうしたセンソウを導き出した70年代以降のシステムの歩みとその関係に関しては、まったく眼中にないかのような論を展開するばかりである。
米中貿易センソウ・戦争問題の何が問題なのかを語れないままに議論は終始するばかりだから、昨日と明日の関係を語れても、10年先、20年先の米中の関係を論じられないのだ。重要なのは、米中貿易センソウ・戦争が招来された「舞台」なのである。例えば、米中貿易センソウ・戦争を引き起こした舞台と、1980年代に特に激化した日米貿易センソウ・戦争を惹起させた舞台の間にどのような関係があるのか。たとえ同じ舞台だとしても、その舞台、すなわちシステムの歩みとその関係にみられる「段階」はやはり異なるのではないか。
{[B]→(×)[C]→×[A]}のシステムの関係の中の日米関係であり、日中関係であり、日ロ関係なのだ。ところが、日本のマスコミや学者の話には、システムの関係が大前提として据え置かれていないから、いつも話がころころと変わるし、「木」を見て「森」が語れないのだ。おかしなことだ。森というシステムとその関係がわからない、描けないのに、どうしてその木である日米関係が語れるのか。
彼らは日米関係を森に置き換えて語ってきたのだ。これこそ怖い話はないだろう。これは政府とその関係者だけに限定される者ではないのだ。在沖米軍基地闘争に関わってきた人たちも例外ではない。システムの歩みとその関係という「森」を見ようとしないで、基地反対闘争を行っているに過ぎない。
基地反対闘争に従事している人たちを悪く言うのは避けたいのだが、残念なことだ。勿論、悪いのは政府とその関係者であるのは言うまでもない。さらに悪いのは、言うまでもないことだが、私たち有権者である。
戦後70年以上にわたり、私たちは無数の「木」にもならない枝葉ばかりを見せられ、その間に、木も森も探せなくなってきたのではあるまいか。
さて、ここまで話してきたが、肝心なことを忘れてはならないだろう。それでは無理解から理解し、そして無関心から関心を持った時に、私たちは無理解、無関心な時とは異なる力を持てるのだろうか。それはできない。
しかし、たとえ力が持てないにせよ、やっとシステムの歩みとその関係を理解できる入り口に辿り着けるのではあるまいか。
勿論、それがどうした、ということにはまったく変わりはない。
(記事の引用・貼り付け、終わり)
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今何回か読み直してみたが、やはり4年以上も前の記事をまじまじと音声で確認するのは恥ずかしくなる。だが、そこでの私の主張は今も何も変わるところはない。ただ、もう少し丁寧に説明すべきであったと思う箇所があり、それは今さらながら読者には申し訳ないと思いつつも、今回記事での私の話を補足・補強するのに役立つことを信じて疑わない。