日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

私の語る「システム」論から、改めて「原発安全・神話」と「コロナワクチン・安全神話」を垂れ流す≪政・官・産・軍・学・報≫の利害集団とそれを取り巻く国民の関係について考えるとき

2022-11-27 | 日記

私の語る「システム」論から、改めて「原発安全・神話」と「コロナワクチン・安全神話」を垂れ流す≪政・官・産・軍・学・報≫の利害集団とそれを取り巻く国民の関係について考えるとき


(最初に一言)

 今日は、最初から気が重い。どんな内容になるか、それは書き手が私だから、おおよそまたまた暗い話となるであろうことはわかるのだが、それ以上にどうしようもないというか、どうにもならない私(たち)自身の何とも言い難い臆病さ・不甲斐なさにあきれてしまうと同時に、またまた打ちのめされてしまうことが予想されるからなのだ。


 今回は、最初に結論めいたことを書いておきたい。記事タイトルの中にある〈「原発安全・神話」と「コロナワクチン安全・神話」を垂れ流す≪政・官・軍・産・学・報≫の利害集団〉は、誰のために働いているのか、誰に奉仕しているのかと問われるとき、私は躊躇なく、それは私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉であると、そしてそれはまた、米国の≪政・官・軍・産・学・報≫の利害集団も同じくである、と言うであろう。その際、いずれの国の利害集団が上位に位置しているのかと問われれば、これまた即座に米国のそれを挙げるだろう。

 私たち日本の選挙で選ばれた議会とその代表者は、それゆえ私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉のために働き、かつ奉仕していると位置づけ理解できるのだが、そこからまた、日本の≪政・官・軍・産・学・報≫の利害集団と、そしてその日本の上位に位置する米国の利害集団とも密接な関係の下におかれている。もう少し直截に言えば、日本の国会と首相は、地方議会とその首長は、米国の利害集団の力の前に、そしてそれと共通の利害関係を有する海外の利害集団の支配に屈することを余儀なくされざるを得ないことがわかる。

 それゆえ、議会を含む日本の≪政・官・軍・産・学・報≫の利害集団〉
において、こうした米国をはじめ海外の巨大な利害集団が関係している事件や出来事を、注目すべき話題・争点として、積極的に俎上に載せて討議・討論することは差し控えられるだろうことは予想に難くbない。たとえば、原発の危険性や処理済み汚染水の海洋放出や放射性廃棄物の処理場建設問題やコロナワクチンの有害性や副作用、ワクチン接種後の死亡者や後遺症に苦しむ患者数等々の問題は国民の目から遠ざけられる傾向が強い。

 そうした現実の流れに呼応する形で、原発を安全だ、安全だと吹聴して、日本国中を安全神話に覆い隠した挙句、あのフクシマ原発事故とその結末を、私たち国民は、今なお記憶にとどめているはずだ。騙されてしまった。私たちは信じていたのに、嘘をつかれていた。多くの国民はこんな自己欺瞞の自己弁護を繰り返すばかりであった。それが証拠に、舌の根の乾かぬ内に、そのフクシマでも原発再稼働を容認する始末だから、その他の日本の原発再稼働の行方は、押して導氏だろう。

 これが私たち国民のいわゆる「民意」ということだ。恐ろしいと言えばそうだが、そうした無責任さを私たちはお互いに確認し合いながら生きているということだ。原発は、確かに日本各地で建設されているが、その多くは日本列島の海岸線に接した過疎の町村であり、人口密集地である大都会ではそのまさかの時の危険性を考慮して建設が避けられてきたことから、原発事故は、例えば東京や大阪の人々には対岸の火事でしかなかったと言えるだろう。それに似た関係を、沖縄在沖米軍基地と本土の人々の間にも垣間見ることができるかもしれない。

 だが、米軍基地問題は、沖縄だけではなく、日本の各地で徐々に深刻な問題を引き起こし始めているのではなかろうか。それを情報提供に与る報道責任主体であるメディアが、先に指摘した事情によって知らせないのだ。自分たちの首をかけてまで、報道の仕事に携わる者はそうそういるはずもない。さらに、そんなことを許す上司もいない。だが、この逆の報道は、最近やたらと目につくようになっている。いわゆる「ヨイショ」報道だが、これを若いアナウンサーにさせている。

 同じことは、今のコロナワクチンとその副作用によって苦しんでいる人々が日本国内でどのくらい存在しているのかについての情報提供も、NHKはじめ大手メディアは取り上げようとはしない。そもそもワクチンで死亡した人の数さえ、正確な情報が提供されることもない。これに関して付言すれば、原発に関しても、その作業員の健康であるとか、放射線被曝の影響等の問題に関して、メディアはほとんど報道を避け続けてきた。

 今の福島原発作業員の放射線被曝限度は、原発事故後の特例による原発作業員の被曝限度の上限引き上げに伴い、さらに危険な状態にさらされていることは容易にわかる。また原発事故とそれに伴う死者数、その後の放射線被曝による死者数や癌の発症をはじめとした福島県民やその近隣県民の健康被害の実態調査報告も、一般の国民が常識として共有できる頻度での情報提供はなされていない。ここにはっきりと見えてくるのは、率先して首相や首長をはじめとした政治家が国民や県民の命と暮らしを守るために、自ら情報を収集し、それを国民の前に知らせようとする姿勢がほとんど見えないということだ。これは今のコロナワクチンによる死亡者や後遺症患者の健康実態調査に関する不作為問題にも該当する。

 それにしても、ずっと以前から悲惨な原発事故を予想して、警鐘を鳴らしていた少数の研究者が存在していたが、国民はその声に耳を傾けようとはしなかった。メディアがそうした彼らの存在を知らしめなかったと言えばそうとも言えるのだが、事故直後に彼らの声を聴いた国民も次第にまた彼らの声に背を向け始めたことを鑑みれば、メディアともっぱら結び付けるのも、少し間違っているかもしれない。勿論、メディアにおいて、彼らを露出させないように努めていたことも過小評価してはならないとは思うのだが。

 今また、コロナワクチンの安全神話を批判して、それに警鐘を鳴らしてきた研究者がいる。彼らの存在を知ろうと思えば、若者をはじめSNSを操作できるものならば、知ることは可能だし、そうした反対意見を基に各地域で集会を開いて学習することも可能に違いない。だが、これもまた先の運動へと続きそうにない。 おそらく、また国民の大多数は原発事故後もそうであったように、同じ繰り返しとなるに違いない。

 すなわち、安全だと言われてワクチンを打ったのに、どうして後遺症に悩み続けるのか。どうして死ななければならないのか。私たちは騙されていたのだ、と政府や医療機関や医療従事者を激しく論難することになるかもしれない。だが、国民がまず批判し非難すべき対象は、別に存在しているのではあるまいか。


 政治成る者は、そしてその直接的関与者である政治家や政党は、私たちの日常の悩みや要望をくみ取りそれを議会に届けて、さらなる国民の議論の輪をつくり上げることを期待されているのだが、当の政治家や政党は、それでは一体、何をしているのだろうか。残念ながら、もう政治家に、政党に、そして議会に、私たちはほとんど期待できないというしかない。それを如実に示しているのが、私たちの国政選挙に対する向き合い方だ。さらに、そこに地方選挙も加えていい。その卑近な例を挙げれば、先の愛媛県知事選挙と松山市長選挙であったと私はみている。

 その選挙戦で浮き彫りとされたのは、誰も愛媛県内におけるコロナワクチンの死者数や副作用に苦しむ患者の実態調査とその公表を提案する者はいなかった、と私は記憶している。その意味では、愛媛におけるコロナとワクチン問題について、真剣に取り上げようとしなかったということである。

 さらに、伊方原発問題がある。1号機、2号機の廃炉事業と3号機の再稼働による「低レベル」放射性廃棄物の保管のためのタンク設置が検討されその事業が本格化すると言われているが、やがて伊方原発内での廃棄物貯蔵問題が深刻となることが予想されるのだが、これらの問題を県民の前で問うことを、現県知事は〈賢明にも〉避けていた。そのため、そのツケを後の世代の県民が背負い・支払わなければならなくなる。

 いずれにしても、首長の態度がそうなのだから、ほとんど県民の耳目を集めるには至らなかった。これでは、その内に、伊方に海外からの放射性使廃棄物の処理が任されるという事態に迫られるのを避けるために県民が一丸となって拒否することなどとてもできない相談だろうし、むしろ進んで受け入れる可能性も高いかもしれない。今から検討しておかねばならないのだが、これまた難しいの一言。すぐ下でも述べるように、これらの問題の背後には、海外の多国籍企業の存在が関係している。

 今の日本はそれこそ米国からの「対日要望書」に象徴されるように、何でもかんでも言いなり状態にあると言っても過言ではない。海外の巨大な勢力を要する多国籍企業が、この愛媛にも触手を伸ばしてきていることは、松山市の水道事業を見てもわかることだ。フランスに拠点を持つこの世界的多国籍企業は水だけでなく、原発関連の事業も手掛けていると言われている。日本政府とその官僚や国会議員でも、ほとんど太刀打ちできないこうした勢力に対して、どうしてこの松山市や愛媛県が対抗できると考えられるだろうか。

 松山市長選挙は対立候補者の存在もなく、無投票に終わった。愛媛県知事選挙では、共産党の候補者が立ったものの、これもまた戦前から結果は見えていた。しかも県知事選の投票率は33%と、史上最低だった。こうした背景として、日本がこれまでそうであったように、日本の代表者を選んでも彼や彼女に最終決定権があるわけでもなく、米国の指示に従うしかないという現実同様に、愛媛や松山の首長がだれであれ、彼らがその最終決定賢者ではないという現実が、既に見えてきたのではあるまいか。

 そうした時間の経過の中で、私たちが直面する〈政治〉問題は、本来ならばより深刻かつ甚大な影響を、私たちや私たちの子供や孫の世代にも及ぼすと同時に、筆舌に尽くしがたい禍根を残す恐れがある、と私は思うのだ。しかしながら、それらの問題が日本や米国、さらには海外の≪政・官・軍・産・学・報≫の利害団体からの有形無形の圧力によって、私たちがああだこうだと論じられない次元の問題へと昇華されてしまったと言うしかないのではあるまいか。

 その結果として、わざわざ選挙で代表者を直接選ばなくても構わないような本来は行政機関で処理検討可能な問題しか残らないことになってしまう。ここに政治成る者が雲散霧消してしまった。その意味では、松山市民や愛媛県民がたとえ何をしようと欲しても、多国籍企業の要求する、あるいは容認する事業以外はできなくなった、と言うことに他ならない。

 伊方原発の核廃棄物処分・処理施設等の問題は、今後の原発存続も含めて、おそらく私たちの頭のずっと上で決められることになるのかもしれない。それは松山市の水道事業に関しても、同じことが言えるだろう。私たちに残された議会政治とは、国政も地方政治も、ただの追認機関と堕してしまうだけである。それゆえ、もう市会議員や県会議員、さらには国会議員の定数は削減されてもいいことになるし、極論すれば、もう議会や議員の手による政治の時代はとっくの昔に終わっているということだ。


(最後に一言)

 私たちの命と暮らしを守る安全保障の問題に置いて、いま私たちが真剣に取り組むべき課題は、クマやイノシシ、サル等の脅威から、どのように私たちの身を守るかという問題ではなかろうか。これらの防衛問題に、迅速かつ巧妙に太刀打ちできない集団が、仮想敵国と私たちがわざわざ名指しした諸国と、どうして対峙できるだろうか。できるはずはないし、する必要もないのだ。私たちの能力に丁度あっているのは、クマやイノシシと言ったところではあるまいか。

 これらの動物は、私たち人間の勝手な生き方の犠牲となっているのも事実だから、簡単に殺処分していいわけでもない。だからこそ、彼ら動物が生き残れる環境対策も視野に含めた私たちの防衛策が是非とも重要な問題となるはずだが、ここでも私たちの動きは遅すぎるのだ。ひょっとして、彼らの能力の方が、はるかに上であるかもしれない。悪い冗談で済ませればいいのは勿論だが。

 

 


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私の語る「システム」論から、改めてウクライナの「民主主義」について考えるときーウクライナの「民主主義」実現に至る歩み(としての「民主化」)を「測定」する「物差し」に見いだされる問題点とは何か(続)

2022-11-24 | 日記

私の語る「システム」論から、改めてウクライナの「民主主義」について考えるときーウクライナの「民主主義」実現に至る歩み(としての「民主化」)を「測定」する「物差し」に見いだされる問題点とは何か(続)


(最初に一言)

 政治学で論じられている民主主義は、R・ダールの「ポリアーキー」に依拠している。そこから米国の人権団体が提唱する民主主義も大きな影響を受けている。それをごく簡単に要約して言えば、いわゆる英・米・仏の市民革命に至る歴史と、そこで謳われた「人権宣言」の内容を基にして、民主化や民主主義の「定義」がつくられたと言っても過言ではない。

 それゆえ、その「物差し」はあまりにも「独りよがりな歴史」を、これら市民革命の母国の植民地や従属地とされた地域が、そこでの民主主義、民主化のあるべき姿として、かつての宗主国を範とした民主主義の歴史を受け入れさせられることで、二重の意味において、侵略の歴史を強制される、と私はみている。だが、このような私の物言いを一笑にふすかのように、21世紀の今も、英・米・仏諸国は自らの民主主義実現の歴史を礼賛してはばからない。


 かなり古い岩波新書の青版に、カナダの政治学者のマクファ―ソンによる『現代世界の民主主義』という著作がある。彼はそこで、今の私たちの民主主義が存続した理由として、先ず自由主義が社会に浸透して、それを多くの者が受け入れるようになったからとの解説をしている。

 17,18世紀から19世紀初頭にかけて、教養と財産のある今でいうところの「1対99」の1%に該当する超富裕層がその中心を担った社会が存在していたと述べる。その社会の基本的原則は、選択の自由であり、それと結びついた市民的自由があり、その名の下で、複数政党制を基に代表者を選出して、彼らが自由主義的資本主義的市場社会の維持と管理に与る政治の仕組みをつくったと指摘していた。

 当然ながら、その自由主義的資本主義的市場社会は、当時のグローバル化の波の中で、ヨーロッパとアフリカ、アジア、アメリカ大陸を結び付ける中で、私のモデルで描く〈Aの[ ]→(×)Bの[ ]→×Cの[ ]〉に示されるナショナリズムの歩みの関係の下での主権国家・国民国家の建設を巡る自己決定権の獲得とその実現を介した争奪戦の中で「親分ー子分」関係を基にした覇権システムの形成と関連付けて位置づけ理解しなければならない。

 同時にまた、その覇権システムの形成と発展を前提としながら、〈Aの経済発展→(×)Bの経済発展→×Cの経済発展〉の、換言すれば、〈Aの衣食足りて→Bの衣食足りて・足りず→Cの衣食足りず〉の営為の関係の輪がつくり出されていく。また、それと関連して、〈Aの民主主義の発展→(×)Bの民主主義の発展→×Cの民主主義の発展〉の、換言すれば、〈Aの礼節を知る→Bの礼節を知る・知らず→Cの礼節を知らず〉の営為の関係の輪がつくられていく。

 こうした三層の差別と排除の関係の次元から構成される一つの「システム」を前提として、先のマクファ―ソンの指摘した選択の自由を基にした社会、言論、出版の自由、結社の自由、私的財産権の自由、複数政党制を当然とする自由主義の社会が出現する。その社会は、すべての者は自由であるが、その中でもある者は他の者よりも、もっと自由、逆から言うと、不自由・非自由であるとされている。付言すれば、今日の社会のように、1%の超富裕層の手にする自由と、99%の持たざる者が手にする自由の関係だろう。

 こうした特権層には有利で、持たざる者には不・非自由なとしか言いようがないはずの「自由主義」社会が先に出来上がっていた。そして、その社会とその維持と管理の仕方について、当初はそこから除外されてその参加を認められないでいた多くの者たちが、その社会の維持と運営に直接、加わることを許されるようになる。そのような意味での「民主主義」社会が実現・成立することとなった。

 その意味では、私たちが今日呼ぶ民主主義社会の民主主義とは、ただ単純に、かつては少数の特権的な階層しか参加を許されなかった自由主義社会に、歴史のある時期から、より多くの普通の庶民が参加できるに至ったという、頭数が増えたことを意味しているに過ぎない。それ以外にはほとんど意味はないのだ。そこには、最初に自由主義社会が成立して、それが社会に浸透して、その社会を多くの者が受容するようになった後から、その社会の維持と管理・運営に、これまで参加を認められなかったその他大勢の者も、それを容認されるに至ったという話である。

 これらの話を踏まえるとき、民主主義について考察するということは、実は自由主義についての考察に他ならないということである。そして、その自由主義とは、その実態は、不・非自由・不当な格差に満ちた社会としか言いようがない。それにもかかわらず、私たちは、それを自由主義の社会として持ち上げてきたのだから、私たちの頭はどうにかなっているのではあるまいか。ここにも、私はこれまで私たちが何ら疑問も呈することなく受け入れてきた「歴史叙述の神話」が大きく与っていると言わざるを得ない。

 民主主義とはまさに都合のいい魔法の言葉である。民主主義という言葉でもって、私たちの生きている自由でも何でもないこの不・非自由極まる自由主義社会の抱える様々な問題を隠蔽できるのだから、これほどありがたい、お金のかからない商品もないのではあるまいか。

私たちの住んでいる今の社会は民主主義社会と言えばそうだが、それは自由主義的民主主義社会であり、さらに言えば、弱肉強食の世界を賛美する自由主義社会だということである。そして、民主主義という用語を私たちはいろいろな日常の場面において見聞きすることによって、そこに隠されている自由主義的民主主義の自由主義とそれに端を発した問題を忘却すると同時に、本来は自由主義社会と結びついていたはずの普遍的価値や普遍主義の抱える問題を民主主義が作り出したものだと見誤ることになる。

 その関連で言うならば、「大衆民主主義」を批判する論者は、大衆が担い手となった民主主義の抱える問題をあれこれ議論するのだが、その際も、忘れてならないのは、大衆民主主義とは、〈大衆・自由主義(的)・民主主義〉であるということなのだ。自由主義の、とくにフランスの自由主義を信奉する論者たちは、その自由主義を守るべく、大衆や民主主義を俎上に載せて批判・非難する傾向が目立つように、私には思われて仕方がない。自由主義には甘すぎるのだ。そのせいか、自由主義は「変質」してしまったという趣旨の論に傾きやすく、、最初から自由主義を神棚にあげたままで、それ自体の検証・検討には背を向ける傾向が大なのだ。

 いわゆる市民革命に端を発した自由主義は、私の語る「システム」を前提として創造されたということを、私たちは改めて確認すべきではあるまいか。日本と日本人をあの戦争へと導いたのは、英国をアヘン戦争へ導いたのは、そしてロシアをウクライナ侵攻へと導いたのは、米国をウクライナの政治に不当に介入させたのは、1%の超富裕層が支持し礼賛し続けてきた自由主義社会とそれをつくり出す構造(私のモデルで描く{[A]→(×)[B]→×[C]}、あるいは{[B]→(×)[C]→×[A]}の〈「システムとその関係〉である)ではなかったろうか。

 私たちは〈「民主主義」を守れ〉と為政者から、また私たち自ら言い聞かされ、言い聞かせることで、実はいつも私の語る〈「システム」とその関係〉を担い支え続けたのではあるまいか。それゆえ、私たちは常に「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち(負け)続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウと背中合わせで生きることを余儀なくされるのは当然のこととなるということではあるまいか。。

(最後に一言)

 さすがに、こう何度も私の語る「システム」論から、改めて―――となると、もう読者も辟易している?のではあるまいか。それは申し訳ないのだが、私からそれを取ってしまうと、何も残らないので、というかもうこれしかないので、それはただただご寛恕願うしかあるまい。こんな文章をまとめるだけでもあっという間に5時間近くかかってしまう。長い場合は、それこそ書いた後で寝込んでしまうときもある。私にはかなりの重労働だ。だが、それでも書きたいというか、伝えておきたいというか、そんな気持ちが続く限りは、書き残しておきたい。

 それでどうなるものでもないし、どうにもならないことは重々、よくわかっているつもりだし、何の影響力もない。それゆえ、虚しいと言えばそれはそうだが、何も書かないでいる自分という存在と比べてみると、その虚しさにもいろいろあり、どちらがどうのではなく、やはり書いてみたいというか、書き終わって、今日も何か書いたなぁ、という感じというところ。


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私の語る「システム」論から、改めてウクライナの「民主主義」について考えるときーウクライナの「民主主義」実現に至る歩み(としての「民主化」)を「測定」する「物差し」に見いだされる問題点とは何か

2022-11-23 | 日記

私の語る「システム」論から、改めてウクライナの「民主主義」について考えるときーウクライナの「民主主義」実現に至る歩み(としての「民主化」)を「測定」する「物差し」に見いだされる問題点とは何か


(最初に一言)

 前回記事で引用・貼り付けていた〈(阿修羅)総合アクセスランキング・瞬間〉の記事
「民主主義、最も危険な宗教:パート3」(耕助のブログ・投稿者 HIMAZIN 日時 2022 年 11 月 17 日)で、耕助氏が最後のくだりで述べていたーーー「民主主義」は、それを疑問視することが反逆的な冒涜となるくらい神聖な宗教に昇華されている。全人類の憧れを反映した普遍的な価値として、生まれたときから毎日絶え間なく宣伝されてきた。不思議だと思わないか?ーーーの話から、今回記事を書いていきたい。


 この指摘はとても重要である。政治学研究者の多くもこうした思いの中で生きてきたのではあるまいか。それゆえ、あたかも「宗教」とされて神棚に祀られてしまい、疑うことも許されない普遍的価値としての民主主義について、私たちはほとんどその実像を知らないままで生きてきたと言っても過言ではあるまい。それが証拠に、今次のロシアのウクライナ侵攻を巡るメディアの報道において、民主主義が攻撃されている、自由と民主主義を守るために、私たちはウクライナを擁護して、ロシアの専制主義に立ち向かおう等々のメッセージを、何の疑問もなく受け入れるだけではあるまいか。

 私がこれまで民主主義について抱いてきた素朴な疑問は、普遍的価値としての民主主義を多くの論者は俎上に載せながら、その価値としての次元から、現実の民主主義体制として語られるようになる、その間についての話(研究)が、あまりにもおろそかにされ過ぎてきたということなのだ。普遍的価値としての民主主義が現実の政治の中で私たちが担う民主主義の体制として実現・成立するには、いかなる歴史をたどるのかについて、ほとんど語られないのである。

 誤解の内容に付言しておくと、たくさんの話があるにもかかわらず、それらが民主主義を語る際に、どういうわけなのか結び付けられないままで、個々バラバラの話として片付けられてきたのではあるまいか。そこには、民主主義を語るために必要とされるはずの分析視角とか分析枠組みがこれまで用意されないままにあったということが関係している。その理由の多くは、先の耕助氏の言及に見られる如く、不要とされてきたのではあるまいか。 たとえば、その一番の例は上述したウクライナを巡る報道であろう。


 それではここで、ここまでの話を踏まえながら、ウクライナの民主主義の実現のために、どのような「歴史」が前提とされてきたかについて、少し振り返ってみたい。ウクライナの民主主義体制の実現・成立に向けて、21世紀に入ってからも、少なくとも二度の大きな民主主義に至るための民主化革命を経験せざるを得なかったのだが、この革命は、ウクライナ国民だけによって、ウクライナという空間の中で引き起こされたのではなかったことに気が付くに違いない。そこには、最低限において、米国とロシアが関係していたことがわかる。

 すなわち、それはウクライナの民主化の実現は、ウクライナ「一国・一国民」だけでは語れないということを意味している。そこには米国やロシアの民主化へと至る歩み(米国をはじめとしたかつての先進国の民主化を論じる際に銘記しておかなければならない重要な論点の一つに、「高度化」の段階だけでなく、「低度化」の段階に至る歩みも含めておく必要がある。)も絡めて、関係づけて描かない限りは、どうしても正確なウクライナの民主化へと至る歴史を語れないということである。ここで、一国枠的な民主主義論は通用しないということに気が付くと同時に、関係論的な民主化研究の必要性にも目が開かれることとなるに違いない。

 ところが、それが許されるとき、あるいはそんな関係論的研究が生まれた時に、厄介な問題が導かれることになるのも、また確かなことだろう。それこそ、誰しもわかることだ。どうして、自由と民主主義という普遍的価値がこれほどまでに崇高であるとか大切だとする米国が、わざわざウクライナくんだりの政治に口をっこみ、あろうことか、そこでの民主化の実現のための米国流のシナリオと資金を提供しなければならないのか、ということに気が付く。

 しかも、ウクライナでの「民主主義的手続き」を経て選ばれた大統領が、ロシアびいきで、米国の言うことを聞かないとなると、すぐさまロシアの悪口をことさら叫び、ロシアは人殺しだ、ロシアの介入があった選挙は不当だとして、自らも介入して、それこそ米国べったりの大統領をつくってきたにもかかわらず、自分たちのやったことは、民主主義を守るために当然だ云々の主張を繰り返すばかりだから、政治の主役となるはずのウクライナ国民は、まるで傍観者として位置しているかのような始末ではあるまいか。

 ここでそうした事例に関連して在沖米軍基地問題を巡るこれまでの沖縄県知事選挙とその結果に見る日本の民主主義を考えるとき、ここでもウクライナと同様に、米国が、米国の民主主義が沖縄の、日本の民主主義の実現に密接に絡まっていることがわかる。同時にまた、その民主主義と、在沖米軍基地問題を介して、米国の、そして日本の軍事力の問題が、すなわち覇権システムと結びつく問題が、ここでも関係していることに気が付くはずである。

 民主主義の実現には軍事力というか力(暴力)の存在が、密接不可分な関係として結び付けられていることに、私たちは目を向けるべきであろう。決して、そこから目をそらせてはならないのだ。何度もこれまで語ってきたことだが、戦後の日本の民主化には、占領軍としての主力を担った米国の軍事力を抜きには語れない。それは、日本国憲法の成立においても、第9条の掲げる「平和」においても、ひとしく例外ではない。

 それではこれらの点を踏まえて、先のウクライナの話に戻るとしよう。ウクライナにおけるウクライナを戦場とした戦争は、それを介してウクライナとロシアと米国の(そしてその米国の背後にはNATOが位置しているが、)これら三国(地域)間における新たな「平和」を模索するための戦争であると同時に、その平和を介した民主化実現に至る歩みが、今まさに展開中であるとして、位置づけ理解されるのではあるまいか。(日本の開国以降から明治維新、第一次世界大戦、第二次世界大戦と「あの戦争」、そして敗戦による占領、占領下の民主化実現の歩みと重ねてみるとき、今のウクライナを巡る国際情勢を「より親しみをもって眺める≪不謹慎な物言いで申し訳ない≫」ことができるのではあるまいか。)

 なんと愚かしい話であろうか。たまらないほど、お粗末で、ひどい現実を前にして、私たちは今も生きている。普遍的価値として素晴らしいとされる民主主義を、現実政治における民主主義体制の実現・成立の次元にしていく上で、ウクライナでは、米国民主主義によるあからさまな主権侵害がなされたということだ。それは米国のナショナリズムによるウクライナのナショナリズムに対する、換言すれば、前者の主権国家による後者の主権国家に対する侵犯・侵略に他ならない。

 それを、米国はウクライナの民主主義の実現のための、同時にまたロシアからの不当な介入圧力をけん制するために必要であったとして、強弁してはばからない。勿論、ロシアもロシアの「国益」に即した介入をウクライナに冷戦崩壊後もし続けているのは疑いようがない。

 いずれにしても、ウクライナにおける普遍的価値の現実レベルでの実現を目指すとき、ウクライナは、私の語る{[B]→(×)[C]→×[A]}のモデル(省略形、共時態型)で描く、覇権システムとそこでの主権国家・国民国家の実現のために繰り返される力(暴力)と力(暴力)を介した自己決定権の獲得とその実現の歩みとしてのナショナリズム、それらを前提として、「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の世界的関係のネットワークの中で生存を強いられている。それこそ「平和な民主主義」社会の実現のために、ウクライナ国家とウクライナ国民は、「勝ち(負け)続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウの真っただ中に置かれているということなのだ。


(最後に一言)

 上述した話は、もとよりウクライナに限られた話ではない。この日本と日本に暮らす私たちにも例外なく等しく該当していることは、間違いないのだ。だが、私たちに提供される国家・政府筋からの情報は、あたかも大日本帝国崩壊前夜の満州国に似て、明日にもソ連による侵攻が間近に迫っているにもかかわらず、肝心な情報は国民には一切知らされないままで、我先に遁走し始めたトップの姿を彷彿とさせるかのように、21世紀の今も何も変わっていないように、私には見えてしまう。

 これは、同時にまた、私たちの政治や政治家に対する姿勢が何も変わっていない、変えられなかったことを言い表している。つらい話だ。もう、この辺で今日はやめておこう。

 


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「信条」や「理念」も、それを主張する者は生きるために衣・食・住の営為を当然の前提としていることから、必ず何らかのお金と絡む「利益」関係と結びつ飾るを得ない。そこから「親分ー子分」関係を基にした覇権シ

2022-11-22 | 日記

「信条」や「理念」も、それを主張する者は生きるために衣・食・住の営為を当然の前提としていることから、必ず何らかのお金と絡む「利益」関係と結びつ飾るを得ない。そこから「親分ー子分」関係を基にした覇権システムがつくられていくのは必至となる。ー私の語る「システム」論から、改めて「リベラリズム」と「リアリズム」に関する議論を再考するとき


(最初に一言)

 これまで何回かの記事でいわゆる「リベラリズム」と「リアリズム」あるいは「理想主義」対「現実主義」に関する議論を取り上げ、それを私の語る「システム」論からとらえ直す試みをしてきた。私の言わんとするのは、今回記事のタイトルで示したとおりである。もう少し丁寧に、それを逆から見れば、覇権システムの下でつくり出される衣・食・住の営為の利益・利害関係があり、同時にそれを正当化・合法化する信条や理念があるということである。換言すれば、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」が存在しているということになる。


 私はこうした「システム」論を念頭に置きながら、従来の一国・一地域を単位とした議論に替えて、A、B、CあるいはB、C、Aから成る「システム」の関係論的立場から、これまでの政治学の代表的知見を捉え直す作業を試みてきた。たとえば、民主主義論、とくに自由主義的民主主義と帝国主義との関係、民主主義による平和、普遍的価値や普遍主義をはじめとした諸議論の抱える問題について、再考してきたが、そこにはリベラリズムとリアリズムの議論も含まれていた。

 たとえば、自由貿易が進むにつれて、当事国間には平和がもたらされるとリベラリストが主張する場合、そもそも、その「自由」とか「平和」を期待して語る論者が、その自由貿易がどのような「空間」で行われているかについて、何を語っているのか、又は語っていないのかについて、読者は確認しておいた方がいい。私がここで言う空間とは、覇権システムと、それを前提としてつくられてきた世界資本主義システム、世界民主主義システムから構成される一つの「システム」なのだが、別にそうでなくても構わない。

 私のような「システム」論から見るとき、以前の記事でも述べていたように、最初からリベラリズムの想定が甘すぎることがわかるに違いない。自己決定権の獲得とその実現に際して、その能力における格差というか、差別と排除の関係の中で、諸国家が存在することを余儀なくされていることを鑑みれば、リベラリズムの期待する方向に世界が進むとは、私には考えられないのだ。さらに、それ以前に、そもそもリベラリズムによって私たちが生きているこの世界を、その思い描くように塗り替えられるとは、私には考えられないのである。

 それでは、リアリズムの描く世界ならば、私たちの平和や安全は保障されるのだろうか。これまた悲惨な世界でしかありえない、と私は言わざるを得ない。その前に、そもそもリアリストたちは、私たちが生きている現実の世界を的確に描くことができているのだろうか、と私は素朴に思わざるを得ない。誤解を恐れずに言えば、リアリストと称される論者は、私の「システム」論で描く覇権システムを理解してはいても、その覇権システムと世界資本主義システム、世界民主主義システムとの関係について、そしてそれゆえ、「システム」について、どこまで理解しようと努めてきたのだろうか。

 覇権システムにおける覇権国の興亡史において、世界資本主義システムと世界民主主義システムの担う役割は、とくにその構造変容・転換・再編の歩みは大きな意味と意義を有している、と私はみている。すなわち、軍事力をつくり出す大きな要因としての経済力の背後には、覇権システムとそれを前提とした世界資本主義システムの歩みに加えて、世界民主主義システムの歩みとが密接にかかわっている、と私はみているのだが、果たしてリアリストの論者は、こうした民主主義との関連をどこまで彼らの力(暴力)に関する議論に組み込むことができているのだろうか、と私は疑念を持ってみている。

 そこには、リアリストであれ、民主主義をはじめ普遍的価値に対しては甘いというか楽観的ではないかとの私の見方が前提にあるのは確かである。すぐ上でも述べたように、覇権システムにおける覇権国とその経済力、軍事力をつくり出すのは、私の語る「システム」を前提として、はじめて実現可能となるということである。それゆえ、民主主義と関係する世界民主主義システムの抱える差別と排除の関係は、世界の平和と戦争を考える際に、力(暴力)と並び、とても重要な問題を構成している、と私は考える。

 E・H・カーも覇権国の歴史を持つ大英帝国の外交官であるために、彼が擁護する民主主義(の歩み)がどれほど、世界の平和に破壊的な影響力を持っていたか、もたらしたかについてのリアリスト的観察はできなかったはずだろう。同様に、それは米国のリアリストの論者についても該当する、と私はみている。というのも、民主主義の実現の歩みは、私の語る「システム」を前提として初めて可能となったからである。

 その意味では、リアリズムの立場に位置した論者も、自由や民主主義、人権、といった普遍的価値とその実現としての普遍主義が抱え続けてきた暴力性に関する評価は、おそらくあまりにも楽観的すぎるのではなかろうか。 そうした関連から言えば、リベラリスト同様に、リアリストたちも、私の語る「システム」と正面から向き合うことはなかったと言わざるを得ない。


 ここまでの議論を踏まえて、私の結論を述べるならば、リベラリズムであれ、リアリズムであれ、それらが私たちの生きている世界に何か著しい「変化」をもたらすとは言えない、と私はみている。私たちの現実の世界は、たとえて言うならば、無地のキャンパスにリベラリズムやリアリズムの色でもって物語となるような絵を描くことを許してくれるほどに、大らかでも単調な世界ではない。それは私の語る「システム」として描かれる世界であり、そこにはM・ヴェーバー流の官僚制化した歴史的制約が刻印されている。

 私たちが政治学で語るリベラリズムやリアリズムは、この「システム」の前では何もできないままであり、それらが何か世界政治にさも影響力を持っているかのように、識者に語らせてきたのは、この「システム」がその都度自らに都合のいいように、換言すれば、「システム」の抱える「弱点」というか「上手くいかないようなその歩み」を、煙幕を張ってゴマカス際の「手段」として用いてきたからに他ならない。それゆえ、世界政治の不安定化や無秩序化はリベラリズムに直接原因なり、問題があるわけでもなく、逆にその安定化に、リアリズムが何か素晴らしく貢献したとみる必要もないということである。


(最後に一言)

 以前のブログ記事でも述べていたように、E・H・カーの著作も、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉が、ある「段階」において、私たちシステム人に提供した「歴史叙述の神話」を構成する読み物とみなすことができるのではなかろうか。私はそう断言できるのだが、残念ながら、この神話の持つ影響力と浸透力は手ごわすぎるとしか言いようがない。それゆえ、私はカーはいつの時代のどこの国の外交官であったのか、という問いかけから始めることにしている。

 確か、拙著の『「日本人」と「民主主義」』の前半部?において、カーの民主主義とナショナリズムの理解の仕方を批判的に検討していたと思うのだが、それを踏まえて「危機の20年」の原因としてカーにより位置づけ理解された、世界政治におけるユートピアん的政治の展開についての彼の批判的論評は、改めて再検証・再検討されるべきことに気が付くかもしれない。

 前回記事の(付記)の②で取り上げた耕助氏のブログ記事の最後のくだりを、再度ここに引用貼り付けておきたい。ずっと以前に、ビル・トッテン氏としての日米間の貿易摩擦や日本の米国債保有等々の問題について、彼の著作からいろいろなことを学んだことを今でもはっきりと覚えている。


②民主主義、最も危険な宗教:パート3(耕助のブログ)
http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/321.html
投稿者 HIMAZIN 日時 2022 年 11 月 17 日 19:08:05: OVGN3lMPHO62U SElNQVpJTg
〈(阿修羅)総合アクセスランキング・瞬間〉の記事より

(最後に考えてみよう。この明白で致命的な欠陥は、(ユダヤ人所有の)メディアでは決して言及されず、(ユダヤ人が出版した)歴史や政治学のテキストでも議論されることはなかった。少なくとも私の知る限りでは。その代わりに、「民主主義」は、それを疑問視することが反逆的な冒涜となるくらい神聖な宗教に昇華されている。全人類の憧れを反映した普遍的な価値として、生まれたときから毎日絶え間なく宣伝されてきた。不思議だと思わないか?)


* 最後に、今回記事での米・中貿易戦争を介した自由貿易を巡るリベラリズムの見解を検討する際に、私のブログ記事を参照することで、リベラリズムやリアリズムに関する議論とその知見に対する見方や評価に、何某かの広がりが見いだせるとの厚かましい判断から、ここにその記事を引用。貼り付けておきたい。
 
ーーー

(記事の引用・貼り付け、始め)

(2018,10,12の記事より)
米中貿易センソウ・戦争というとき、「米」を構成するのは何なのか。「中」を構成するものは何なのか。ー最初から「純血種」の米国や中国ではなかったー

私たちは常に「関係」の中でつくられる「私(僕)」であり「私たち」であり、「日本」であり、「日本人」だから、もし日本と日本人を「取り戻す」とするならば、純血種たる日本と日本人となるべく、戦争とそれに伴うジェノサイドを果てしなく繰り返さざるを得なくなる。

そんなことは避けなければならないが、同時に堤未果氏の著書『日本が売られる』(幻冬舎) にある悲惨な現実に置かれた日本と日本人を救い出すことは急務であろう。私が拙著や拙論で展開してきた議論もそれに関連したものである。私の場合は、私のモデルで描くセカイとその関係、すなわちシステムの自己完結運動の歩みとその関係の中で、日本と日本人を取り戻そうとする運動は極めて困難であり、もしそれを意図すれば、戦争に至るのは必至であり、事実「あの戦争」となったということであった。

その戦争に至る間も、戦争中も、必ず「売国奴」が存在していて、その売国奴を操るシステムの存在があるということを忘れてはならない。それは戦後も一貫して今日まで続いている。

もし、日本と日本人を取り戻したいと願う者がいるとすれば、彼らは最低限、心掛けなければならないことがある。システムが仕向ける、仕掛ける戦争に、あの戦争も事実そうであったが、巻き込まれないことだ。今後の朝鮮半島の統一と、中国の覇権国としての台頭の動きの中で、ますます日本と日本人の命と暮らしは危うくなっていくであろうし、それこそ中曽根内閣から小泉、そして安倍内閣下の「売国奴」的政治の展開で、危機に瀕していると言っても過言ではないのだ。

もっとも、システムの歩みとその関係の中で生きているシステム人は、いつも「売国奴」として生きざるを得ないのも事実だ。関係の中である限り、そもそも純血種としては生きられなくなる。それゆえ、売国奴的人間であるのは避けられないにせよ、どこまで、どれほどシステムに対して抗えるかが大切となるだろう。無論、これも何度も指摘したように、ほとんど実現不可能なのだが。

ここまでの論の流れを踏まえて、最初に押さえておきたいポイントは、米国とか中国、あるいは日本というとき、それらの国家は、そもそも一つの「国」、一つの「民族」、一つの「国民」だけで「創造」されたのではない、との見方が大切であるということだ。

「西インド会社」として産声をあげた「アメリカ合衆国」

東インド会社は、英国がインドを拠点に中国を含むアジア支配のための英国が発明した支配の手段であったが、英国はそれを基にした西インド会社としてのアメリカ合衆国を、英国から「独立」させるための戦争という演出のもとに発足させた。

どうしてそんなことをしたのか。東インド会社を発足させた理由と同じである。1970年までのあのシステムの歩みとその関係をより安定的かつ堅固なものとするためであった。システムのさらなる発展と維持安定のためには、システムは自らセンソウ・戦争をつくり出すのだ。そのセンソウの中には日常生活に関連した企業間センソウ、受験センソウ、正規・非正規間センソウ、世代間センソウから、貿易摩擦センソウがあり、また戦争にはその強度さの度合いから目に見えにくい低強度の戦争から高強度の戦争がある。重要なのは、前者のセンソウと後者の戦争との間には垣根があるようでないことだ。両者は互いに行き来する関係にある。両者をつくり出すのは、まさにシステムの歩みとその関係に他ならないのである。

そうしたセンソウ・戦争により、システムの経済発展(「衣食足りて」の営為)は、さらに拡大していき、そのことがシステム全体の発展と維持、安定を導くこととなる。今日の米中貿易センソウもそうした理由から導かれる「演出」なのだ。悲劇的結末を導くのは、そうしたシステムの演出に巻き込まれて犠牲となる国家や国民と、そうした国家や国民によって、さらに巻き込まれていく、その他の植民地(従属地)とそこに暮らす人々の関係である。勿論、そうした関係をつくり出していくのはシステムの歩みとその関係であるのだが。

こうした歴史はシステムの誕生以来、600年以上にわたり続いているのだ。
つまり、米国はそもそも英国から「独立」した国家だと教えられてきたが、それではその当時の英国は、どのような関係の中でつくり出されてきたのだろうか。

英国も一つの国、一つの民族、一つの国民だけで創造されたわけでは倍ことがわかる。英国は植民地獲得戦争を繰り返しながら、昨日よりも今日、今日よりも明日というように、より拡大していく英国となっていったのである。

幕末から明治維新、そして明治、大正、昭和にかけての日本もまた同じような歴史を歩んでいく。すなわち、植民地獲得戦争を介して、より大きな日本を創造していったのではあるまいか。

戦後の世界ではそうした目に見える植民地(従属地)は消滅して、それらの旧植民地は「独立」していくと教えられてきたが、実際には戦後も戦前と同じよ言うな目に見えない植民地獲得センソウ・戦争を介して、より大きな国家の建設に邁進していったのである。逆から言えば、より小さな、弱い国家となっていくのだが、こうした目に見える、見えない植民地獲得センソウ・戦争は、どのような世界とその関係の中で行われているかということである。

それは、私がすでに何度も繰り返し述べてきたあのセカイとその関係、すなわち「三重の、三層の下位システム」から構成される「一つのシステム」を舞台として展開されてきたのである。そこでは、自由、民主主義、平和、人権、法の支配といった「普遍的価値」の実現のために、絶えず「勝ち(負け)続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争を不可避としてきたことだ。

このシステムの歩みとその関係の中で、英国も米国も、またスペインもポルトガルもオランダも創造されてきたのだ。日本も、中国も、韓国も北朝鮮も例外ではない。

回りくどい話となったが、それゆえ、米中貿易戦争という場合も、まずシステムの歩みとその関係を押さえておかなければならなくなる。そのシステムの歩みとその関係は同じものではなく、1970年代を分水嶺として70年代以降は今日私たちが位置付けられる今のシステムとその関係の下で、米中貿易戦争といわれている出来事が顕在化しているのである。

それゆえ、70年代以前のシステムがなぜ70年代を境として変容転換していくのかを理解しておくことが、米中貿易センソウ問題を考える上で有益となるだろう。

今日の強大国となった中国を誰が創造したのか

米国の中に中国とその関係諸国が含まれている。同様に、中国の中に米国とその関係諸国が含まれている。それゆえ、米中の対立という場合、その関係を的確に描くのは想像する以上に困難である。そうした問題を踏まえるとき、米中貿易センソウ・戦争がいかなるシステムの関係を舞台として行われているのかを、まずは確認しておくことが何よりも重要であろう。

(付論、1)
1970年代までの{[A]→(×)[B]→×[C]}(省略形、共時態モデル)で描かれるシステムのセカイ・世界においては、「日本」と「日本人」の歩む道は自らの頭で考えるまでもなく、米国の属国、属州としてふるまっていればよかったのだが、またそれ以上のことを欲したとしても何もできなかったであろう。

ところが1970年代以降の国際関係は、{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)で描かれるシステムの歩みとなるのだが、このシステムの関係(構造)とその歩みの行方を的確に理解するのはほとんど無理だ、と私は見ている。その理由に関してはこれまで拙著や拙稿において、繰り返して言及してきたが、当然ながら、このB(グループ)の頂点に次期覇権国の中国が位置し、さらにロシアやインドが、またCに位置する北朝鮮がBの韓国とやがて統一した朝鮮国を建設し、そうしたB、C、Aの関係の中で、Aを構成したかつての先進国の日本と日本人が、システムの歩みの中でかなり不利益を被らざるを得なくなる、との見方を21世紀のこの地点においても予測、予想できないとすれば、もうこれはどうにもならないだろう。

1970年までのシステムの歩みとその関係の中での日本の侵略戦争とそれに伴う植民地支配の賠償・補償問題と70年代以降のシステムの歩みとその関係の中では、その性質と対応の仕方は異ならざるを得ない。その関連から言えば、従軍慰安婦問題は、朝鮮半島の統一とそれを支持、監督する次期覇権国としての中国の登場で、これから正念場を迎えていくに違いない。ますます国際社会からの圧力を受けることが、予想されるし、それを覚悟しておかねばならない。

余談だが、そんな時に、大阪市長はなんと愚かなことをしてしまったのだろうか。米国サンフランシスコ市との姉妹都市関係を解消するとは。従軍慰安婦像の設置問題をあまりにも軽く見すぎている。歴史認識の問題が根底にはあるのだろうが、彼も先が見えていないことは確かだ。

沖縄の基地問題の意味と意義もこうしたシステムの変容・再編の中で、70年代以前と以後においては異なってくることを想定しておかなければならない。その関連から言えば、沖縄の基地反対闘争は、システムの歩みとその関係が作り出してきた「不条理」に対して向けられているということをしっかり自覚しておかねばならない。目の前の米軍や米国ではないのだ。

それを理解しないままでの在沖米軍基地反対運動は、在東シナ海・日本国内次期覇権国中国的圧力の前になすすべなく立ちすくむ日本と日本人とになるだけであろう。いや、もうすでにそうなっているし、どうにもならないのだ。反対運動をしてもしなくても、まったく関係のない所で、物事が動いている。誤解のないために付言すれば、私は確かにそう見ているのだが、それでも生きていく限りは目の前に歴然と存在し続けてきた米軍基地に対して、異議申し立てとしての反対運動を続けていくしかないし、それをやめてしまってはどうにもならないだろう。

(付論、2)

「関係」の中で生きている、生きていかざるを得ないということを、否が応でも身にしみて感じるとき、私たちは理解できるかどうかにかかわらず、またそれを意識するとしないに関わらず、常に条件反射的に、その関係はどのような仕組み(構造)から構成されているのか、その関係の中で自分はどれほどの力を持っているかを、いつも確認して行動することを迫られている。

ただし、問題はそうした確認がどれほどの範囲にまで及んでいるのか、その確認の内容はどれほど的確なことかに応じて、私たちの作為的あるいは不作為的な行動が、巡り巡って私たち自身の存在基盤それ自体を掘り崩し、危うくするすことになりかねないのである。

ところが、想像以上に、この確認作業は難しい。しかも時々刻々と変化していく状況下でそれを行わなければならないのだから、相当に厳しいことなのだ。もしこの確認ができていれば、無謀なことは慎むだろうが、時と場合によっては、そうした確認をした上でも、絶望的状況に陥った者は、敢(あ)えて暴挙としか思われない行動をとらざるを得ないこともまた確かなことではあるまいか。

日本の外交・安全保障の問題(その中には沖縄の基地問題が含まれている)を考える際も、職場や学校での嫌がらせやいじめやその他どうしようもない八方ふさがりの問題を考える際も、この関係とそこでの諸個人の「力(パワー)」における確認能力と行動力(打開力)の程度によって、個人や集団間の対応に違いが出てくるのは当然であろう。

沖縄県の決定は、日本のその他の46都道府県の県民との関係とその関係の中の沖縄県の力によって決まってくる。そうした両者の関係とそこから導かれる力を決定する大きな要因は、自身はさしあたりは問題の「当事者」とは思っていない取り巻きの人々の無理解と無関心である。何度も指摘したように、この無理解と無関心の態度こそが実はシステムの差別と排除の関係をつくり出す大きな原因となるのである。

沖縄の在沖米軍基地問題の解決を阻んでいるのは、沖縄以外に暮らしている私たちの無理解と無関心である。その私たちの中には、日本に暮らす者だけではなく、米国やその他システムを構成する諸国と諸国民が含まれている。

それは確かにそうなのだが、読者もこういわれると、とてもそんなことは無理だと思うだろう。沖縄に暮らすすべての者が基地問題に関心があるわけでもないことを踏まえれば、なおさらだろう。しかし、私がここで言いたいのは、たとえ私たちがそれを理解する市内に関わらず、意識するしないに関わらず、私たちはシステムの歩みとその関係を歴史のある段階で担い続けていることは否定できないのではないか、ということなのだ。この具体的例は枚挙にいとまがない。よく知られた事例の一つに、私たちのスマホに使われている紛争鉱物がある。スマホを日本で使いながら、私たちはアフリカ諸国の内戦や内乱、飢餓や貧困、そして抑圧政府の存在と移民、難民問題に深く関係している。

それでは私たちが無理解と無関心さを脱却して、沖縄を始めとする米軍基地を日本からすべてなくそうとした時、そこでも日米間の関係と、その関係の中での日本の力の程度が問題となってくる。

さらに、そうした関係と力の問題を考えるとき、私たちがどんな国際社会の関係の中で生きているのか、またそうした国際関係の中で日本の有する力はどのくらいかが、「日本」と「日本人」の行動とその決定能力を制約する要因となるだろう。

こうした観点から少し考えただけでも、普通に生きている人々が無理解、無関心の態度を装うことは容易に推察できるのではあるまいか。巻き込まれるのはできるだけ避けたいと考えて、行動していくはずだ。

しかしながら、ここで厄介なことは、私たちは日米安全保障条約、日米基地協定、日米原子力協定などにより、米国との運命共同体として行動する「にボン」と「日本人」となってしまっているのだ。たとえ、沖縄に無理解、無関心の態度をとっていたとしても、そんなことには全く関係なく、日米関係のしがらみの中で、沖縄と関わらざるを得なくなっていたのだ。

さらに厄介なのは、もし私のモデルで描く1970年代以降のシステムの歩みとその関係(構造)が、仮説を超えて現実のものとなった時に、私たち「日本」と「日本人」はもはやどうにもならないところまで追い詰められていくのである。

私が危惧するのは、戦後の日米関係の構築の中で、政府の御用マスコミ人・学者となった者以外に、反政府運動に身を挺した人たちも、そのほとんどが私のモデルのセカイとその関係に無理解、無関心なのである。彼らは、いまだに1970年代までのモデルのセカイの歩みとその関係を基にした議論を展開するばかりなのだ。

簡単に言えば、従来の日米関係を基本として、そこに中国を含む日中関係を「延長」した議論をするばかりなのだ。彼らは、決してシステムの姿を見ようとしないし、考えても来なかったのだ。付言すれば、最近の論壇で取り上げられている米中貿易センソウ・戦争問題を語る論者は、その問題の背後にあって、そうしたセンソウを導き出した70年代以降のシステムの歩みとその関係に関しては、まったく眼中にないかのような論を展開するばかりである。

米中貿易センソウ・戦争問題の何が問題なのかを語れないままに議論は終始するばかりだから、昨日と明日の関係を語れても、10年先、20年先の米中の関係を論じられないのだ。重要なのは、米中貿易センソウ・戦争が招来された「舞台」なのである。例えば、米中貿易センソウ・戦争を引き起こした舞台と、1980年代に特に激化した日米貿易センソウ・戦争を惹起させた舞台の間にどのような関係があるのか。たとえ同じ舞台だとしても、その舞台、すなわちシステムの歩みとその関係にみられる「段階」はやはり異なるのではないか。

{[B]→(×)[C]→×[A]}のシステムの関係の中の日米関係であり、日中関係であり、日ロ関係なのだ。ところが、日本のマスコミや学者の話には、システムの関係が大前提として据え置かれていないから、いつも話がころころと変わるし、「木」を見て「森」が語れないのだ。おかしなことだ。森というシステムとその関係がわからない、描けないのに、どうしてその木である日米関係が語れるのか。

彼らは日米関係を森に置き換えて語ってきたのだ。これこそ怖い話はないだろう。これは政府とその関係者だけに限定される者ではないのだ。在沖米軍基地闘争に関わってきた人たちも例外ではない。システムの歩みとその関係という「森」を見ようとしないで、基地反対闘争を行っているに過ぎない。

基地反対闘争に従事している人たちを悪く言うのは避けたいのだが、残念なことだ。勿論、悪いのは政府とその関係者であるのは言うまでもない。さらに悪いのは、言うまでもないことだが、私たち有権者である。

戦後70年以上にわたり、私たちは無数の「木」にもならない枝葉ばかりを見せられ、その間に、木も森も探せなくなってきたのではあるまいか。

さて、ここまで話してきたが、肝心なことを忘れてはならないだろう。それでは無理解から理解し、そして無関心から関心を持った時に、私たちは無理解、無関心な時とは異なる力を持てるのだろうか。それはできない。

しかし、たとえ力が持てないにせよ、やっとシステムの歩みとその関係を理解できる入り口に辿り着けるのではあるまいか。

勿論、それがどうした、ということにはまったく変わりはない。

(記事の引用・貼り付け、終わり)

ーーー

 今何回か読み直してみたが、やはり4年以上も前の記事をまじまじと音声で確認するのは恥ずかしくなる。だが、そこでの私の主張は今も何も変わるところはない。ただ、もう少し丁寧に説明すべきであったと思う箇所があり、それは今さらながら読者には申し訳ないと思いつつも、今回記事での私の話を補足・補強するのに役立つことを信じて疑わない。


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私の語る「システム」論から、「西側のリベラリズムの善意・寛容」云々の論を再考するとき

2022-11-19 | 日記

私の語る「システム」論から、「西側のリベラリズムの善意・寛容」云々の論を再考するとき


(最初に一言)

 前回記事と同様に、今回記事も以前の記事の引用貼り付けを主とした論考であることをはじめに断っておきたい。だが同時に、それだけ重要であり、私の主張したい論点が此処には込められているということでもある。いずれにせよ、中野剛志氏にはお礼を申し上げるしかない。氏の論考、ここでは解説文であるが、いつも大いに刺激されるばかりで、私の士気も高まるのだ。

 今この記事を読み直すとき、ロシアのウクライナ侵攻を考える際に、何かのつながりを思い起こさせる内容となっていることに、改めて気が付いた次第だ。手前味噌ながら、今一度、是非とも読んでほしいと切に願っている。本当ならば、国会はこうした移民問題に関わる議論で大いに盛り上がってほしいのだが、それをもはや期待するのもやめておきたい。いずれにせよ、マレーによる問題提起は、私たちの命と暮らしを守るための安全保障の問題とも密接に関係している。結論は容易に引き出せないだろう。勿論、私なりの持論を展開してはいるが、それだけに過ぎない。


ーーー

(記事の引用・貼り付け始め)

(2018,12,16の記事より)
移民という「自死を選んだ」欧州ー「リベラリズムによる全体主義」-を「システム」の歩みとその「関係」から見るとき

最初に断っておくが、まだ私はこの記事〈移民という「自死」を選んだ欧州から学ぶこと「リベラリズムによる全体主義」がやってくる(2018年12月15日 土曜日、『東洋経済』オンライン)〉で中野 剛氏が紹介、解説しているダグラス・マレーの著作を目にしてはいない。幸いにこの記事にある中野氏の著書の要約説明があるので、今のところはそれで十分だろう。

この記事を読みながら、私が危惧する、懸念した点は、著者のマレーやおそらく中野氏もそうだが、「リベラリズム」を神棚に上げていることだ。結論を先取りして言えば、欧州の、あるいは欧米先進国の、そして日本の「自死」を招いた「真犯人」は、まさに私たちが、それこそ「保守」も「革新」もまた「中道」もこぞって理想化し、礼賛し続けてきた当の「リベラリズム」であったのだ。すなわち、自由、民主主義、人権、平和、法の支配といった普遍的価値とその価値を世界中に広めようとした普遍主義だったのだ。

同時に、リベラリズムが現実にどのような関係からつくられてきたかを問う視点が最初から欠落している点だ。たとえば、福沢諭吉の『文明論之概略』にある「文明」、「半開」、「野蛮」の関係から「寛容」なあるいは「健全」とされてきた「リベラリズム」を位置付けた時、どのように理解できるかという問題である。

また「リベラリズムによる全体主義」がやってくる、という見方はある点で、シェルドン・ウォーリンによる「逆さまの全体主義」という論稿に類似している。そこでもやはり、「寛容」な、もう少しはっきり言うと「健全」な「リベラリズム」という見方が想定、前提されているのだ。付言すれば、ウォーリンとは思想的立ち位置は異なっているが、こうした寛容な健全なリベラリズムの文脈に照らすとき、私たちはアラン・ブルームの著作『アメリカン・マインドの終焉』を忘れてはならないだろう。いずれまた別の機会に取り上げて論じてみたい。

さて議論の最初から抜け落ちている問題がある。それはそもそも誰にとっての「寛容」な「健全」な「リベラリズム」だったか、という視点である。また「寛容」とか「健全」といった言い方からはどうしても印象的、感傷的な、つまり主観的な見方しか出てこない。

確かに、欧州世界においてそのリベラリズムの歴史が輝かしい時代があったことを私たちはこれまでの歴史で学んできたが、それも欧州を、また先進国を、非欧州世界から、後進国から切り離した「一国(地域)」からなる欧州、先進国におけるリベラリズムとして描いた結果としてではなかったか。

私のモデルに依拠して換言すると次のようになるだろう。すなわち、{[A]→(×)[B]→×[C]}(1970年代までの共時態・省略形モデル)のA、B、Cの関係からつくり出されてきた「寛容」な「健全」な「リベラリズム」であったにもかかわらず、そのシステムの関係から勝手にAだけを取り出してきて、あたかもAが独力で、独自の力で寛容な健全なリベラリズムをつくり出してきたかのように位置づけ解釈しているのである。

こうした自分勝手な「歴史」の見方は、「欧州の自死」や「リベラリズムの自死」という位置づけ方にも同様に投影されている。すなわち、1970年代以降の世界の歩みを示した私のシステムの歩みとその関係で示した{[B]→(×)[C]→×[A]}(共時態・省略形モデル)の関係からつくり出された「欧州の自死」や「リベラリズムの自死」状態であるはずなのに、これまた同様に、そのシステムの関係から勝手にAだけを取り出して、いわばAだけの閉ざされた空間でナルシスト的観点から、欧州の出来事を分析しているのだから、BやCにおいては、独りよがりな話としか映らない。ましてやシステム全体からとらえた「自死」でもないのだ。

(ここで少し付言しておくと、「欧州の自死」あるいは「リベラリズムの自死」(「リベラリズムの全体主義」)の「出来事」は、私のモデルで描く{[A]→(×)[B]→×[C]}から{[B]→(×)[C]→×[A]}へと、システムの歩みとその関係が変容・再編する動きと結び付けて論じられるだろう。)

当然の結果として、「欧州の自死」や「リベラリズムによる全体主義」云々の議論はシステムの全体を鳥瞰できないままに置かれてしまうのである。

そのために、Aのいわゆる「寛容」な「健全」なリベラリズムの形成と発展がAの植民地主義や帝国主義と、またBやCに対する「寛容」な「健全」な「リベラリズム」による暴力的支配や抑圧、衝撃とその苦悩の歴史、もっと直截に言えば、なぜaの「寛容」な「健全」なリベラリズムは、BやCにおいてその寛容な健全なリベラリズムの成長を許さなかったのか、それどころかなぜ植民地や抑圧地として従属させてきたのかという視点が、結び付けられないままで語られてきたからである。次元の異なるものとして私たちが両者を各々別個に語っていたからこそ、「寛容」であり、「健全」だったのではあるまいか。

また同時に、植民地主義や帝国主義時代に、欧州や欧米世界による「侵略」の下に、非西欧社会はそれこそ「自死」を迫られ続けていたのではあるまいか。開国以降の日本もそうであり、明治維新の時代にその自死を免れるために、国内では琉球民族やアイヌ民族に自死を迫り、また対外的には、朝鮮半島をはじめ中国東北部、台湾やアジア諸国や諸地域に対して自死を迫ったのではあるまいか。

ところで、そうした欧米先進国や日本による中東やアフリカ諸国、アジア諸国に対する自死を迫った原因の一つは、表層的には当時の欧米先進国や日本の「移民」であった。確かに表面的にはそうだ。しかしそうした移民の背後には彼らの政府、国家があり、彼らはそうした国家の後押しを受けて移民となった、あるいはならざるを得なかったのだ。

さらにそうした移民を送り出した国家の背後には、それをせざるを得ないような当時の、また当該時代の国家間の、国際間の、ヒト、モノ、カネの様々な「関係」が存在していたのだ。私はこれまでの拙論において、その関係を、システムによる「構造的圧力」として
論じた。

今日のAの欧州におけるBやCからの「移民」流入による欧州の自死を考える際も、どのような関係の下で、そうした移民としての存在が導かれたかの考察が必要であるのは論を待たないだろう。こうした観点から中野氏によって紹介される、先のマレーの論点を見直すとき、彼の分析はやはり表面的な域を出ていないようにしか思えないのだ。

勿論、そうは言っても、中野氏の解説にもあるように、保守派のジャーナリズトと目されている彼の欧州社会における移民流入にによる欧州文化の自死に関する分析や解釈、リベラリズムによる全体主義への道筋の説明は一読に値するだろう。

またその問題と関連した人種主義的難題、人種差別や排除に関する微妙な細心の注意を要する問題への対処に関して、欧州政治家の過去の帝国主義に対する贖罪意識とか、マスコミ関係者や知識人にみられる寛容なる態度とか人権意識、さらには欧州の思想や哲学上の問題と結びつけて、移民問題を取り上げているのは、中野氏の指摘するように、鋭い分析であるかもしれないが、それにもかかわらず、どうしても自分勝手な、独りよがりな議論に陥っているようにしか、私には思われないのである。

こうした点を踏まえた上で、もう少し論及していこう。たとえば、欧州の指導者が中東やアフリカ諸国からの大量の移民受け入れを「選択」したことにより、その結果として欧州の自死が導かれたとする見方に関して、私はやはり違和感を禁じを得ない。

ここで付言すれば、こうしたマレーによる見方はまた、新自由主義的政策を導入したことにより、これまで豊かであった私たち欧米先進諸国の豊かさが奪われったとする議論にも垣間見られるものだ。

例えば、ロバート・ライシュやポール・クルーグマンの著作で言及されていることを思い出すといい。彼らは、米国の富が70年代以降の一連の新自由主義者の政治家によって導入された新自由主義政策によって分厚い中間層の富が奪われたと述べていた。

ニューディール期以降の米国の黄金期のアメリカ資本主義と民主主義社会の果実が、新自由主義的政治家の政策によって奪われてしまった、と新自由主義者の政治家と政策をやり玉に挙げていた。

ここでも私は、こうしたライシュやクルーグマンによる新自由主義批判の問題点を、上述したように、A、B、CからB、C、Aの関係で示されるシステムの歩みとその関係における変容と再編の動きと結び付けて分析、考察すべきだと考えているが、これに関しては既に拙稿でも論じている。

ところで、先のマレーは「保守」とされていたが、ライシュやクルーグマンたちは、リベラル派とみなされていた。思想信条の違いはあれ、リベラリズムを神棚に上げていることでは、保守または「右派」もリベラル派も、また革新または「左派」も同じなのである。

付言すれば、こうした右派、リベラル派、左派による「リベラリズム」、「普遍的価値」や「普遍主義」を疑いもなく信奉、礼賛してきた問題こそが、俎上に載せられるべきなのだ。日本共産党の普遍主義に対する見方は、まさに安倍首相のそれと同じではないか。

勿論、彼らは安倍首相は言うだけで、普遍的価値の実現を目指すことはしないと反論するかもしれないが、私が拘泥し続けてきたのは、普遍的価値の完全なる実現は、別減すれば、日本国憲法を守り、その擁護の徹底化は、1970年代以降にあっては、{[B]→(×)[C]→×[A]}の世界を実現することであり、それこそAのかつての先進国の格差社会はますます深刻化していくことを意味するとの主張であった。

すなわち、普遍的価値や普遍主義を構成する関係は、私のモデルで描くシステムの歩みとその関係を前提にしているからだ。それはぞっとする内容ではあるまいか。この関係が見えないからこそ、米国の民主主義は1940,50,60年代は素晴らしかったとか、同時期は米国民とその中間層の生活は守られていたとか、それゆえニューディール期の米国に戻れとか、分厚い中間層を取り戻せばいいとか云々の議論を平気でできるのではあるまいか。

いずれにせよ、欧州の自死、米国をはじめ先進国の自死には、移民流入によるものと、新自由主義の導入によるものが関わっていると彼らはそれぞれ見ている。それゆえ、この両者の関連性を検討しなければならないだろう。そのためにも両者の関係、関連を問うことのできる分析視角と分析枠組みが求められるだろう。

こうした問題提起に関して、私のモデルは有益であると確信しているのだが、それは私たちの「存在」とその「歴史」を、「差別と排除の関係」からとらえ直しているからである。そうした関連から言えば、トランプによる移民排斥を批判するリベラル派や左派、そして右派の論者は、自分たちはトランプのような差別や排除を主張する者ではないとか、自分たちはもっと寛容であると思っているだろうが、果たしてそうだろうか。

リベラリズムとか、それと関連した多様性とか寛容は、私が何度も語ってきたように、AB、Cの関係やB、C、Aの関係から構成されるシステムの歩みとその関係を前提として実現されてきたのだから、それこそ、相当な差別と排除の関係の中で、右派もリベラル派も左派も、保守も革新も生きてきたのだから、目糞鼻糞を笑うではないが、同床異夢の関係にあるのである。

すなわち、私たちはいわゆる近代化の流れの中で、ただ一つの生き方」だけを「選択」するように迫られてきたのである。多様な生き方とか、言論や表現の自由をお互いに理想としながらも、ただ一つのシステム、すなわち「覇権システム」「世界資本主義システム」「世界民主主義システム」の「三つの下部システム」から構成される「一つのシステム」の歩みとその関係を担う「システム人」としては、同じ思想、考え方をしている、あるいはそのように飼い馴らされていくのだ。それが異なって見えるのは、システム人として担う役割がそれぞれの「段階」で異なっているからに他ならないのである。

つまり「リベラリズムによる自死」とか「リベラリズムによる全体主義」がやってくる云々以上に、私たちはこれまでずっとあのモデルで描く「ただ一つのシステムの歩みとその関係」に強制的に、あるいはそれを自由と呼ぼうが、連行、動員されてきたのだから、その意味ではすでに「全体主義」社会というか、この世界に暮らす人々を「ただ一つの生き方」しか選択できないような空間の中に、システムは吸い込み続けてきたのである。

ところが、こうした状況、状態の中に私たちは久しく甘んじざるを得ないでいるにもかかわらず、私たちの存在とその生き方を何ら疑うことのないままに、自由主義だとか、全体主義だとかの議論に終始するのだから、これでは先の展望はまったく開けないのではないか・私たちがこうした「ただ一つの生き方」しか許容されない、「ただ一つのシステム」の中で「システム人」としてしか生きられないという問題それこそが、最も恐れなければならない「自死」に関する問題であるはずなのだ。

こうした問題意識をもって世界を語り合うためにも、欧州や米国の黄金時代が、また寛容な、健全なリベラリズムの時代が、どのような世界の関係の中でつくり出されてきたかを、改めて問い直す必要があるのではなかろうか。私のシステム論はそうした問いかけに応えるものであった。

最後に、大事な問題がある。過去の帝国主義に対する、欧州知識人や政治家の罪悪感から、彼らが移民導入に反対できなかったとする見方である。もしこういう問題設定をするのならば、その前に、植民地主義や帝国主義の時代に、寛容やリベラリズムを大事にしてきた彼らやその親たちの世代はBやCに対する加害者としての自らの寛容なリベラリズムの歴史に対して、、良心の呵責を覚えなかったのか、と問わざるを得ないのである。

私はこの種の議論にも不満なのだ。そこには、結局のところ、彼らの寛容な健全なリベラリズムの抱えてきた問題を、便利な議論によりすり替えている、隠蔽しているようにしか思えないのだ。つまり、リベラリズムを神棚から引き下ろして、それを徹底的に検証する作業に背を向け続けてきたということである。

問われるべき問題は、その「寛容」な健全なリベラリズム」と見なされてきたものそれ自体であったにもかかわらず、マレーーの著作の内容は見事にそうした問題を隠ぺいしたかのように思える。もっともそうだからこそ、マレーの著作はベストセラーになったのではあるまいか。

つまり、欧州の政治家の移民導入の容認とか、過去に対する贖罪意識とか、人種差別云々の問題でもって、もっぱら語り尽くされないのだ。寛容な健全なリベラリズム、自由、民主主義、人権、平和、法の支配といった普遍的価値と、そうした価値を世界に拡大することを謳った普遍主義にあるのだ。

欧州の思想とか哲学が行き詰って、「疲れ」てしまった云々の中野氏によるマレーの指摘に関して、私が感じたのは、フランスの哲学者もそれこそ最近の著作ではトマ・ピケティ、彼は哲学者ではないのだが、彼の著作『21世紀の資本』もそうであったが、「存在」を語るにしても、「自由」を論じるにしても、その多くが「パン」と結び付けられない哲学であり、思想であり、またたとえ結び付けられていたとしても、A,B,Cの関係性を問えない議論がほとんどなのだ。

結局のところ、私たちはこのようなマレーの著作で提示されている内容を巡りまた論争を繰り返すのがせいぜいなところなのだろう。決して、普遍的価値や普遍主義を神棚から降ろして考察することはないのである。私が思うに、欧州の思想や哲学の問題は、それは欧州に限られないのだが、普遍的価値が抱える欺瞞性やうさん臭さに対して真っ向から切り込む作業に背を向けてきたことが、マレーの指摘した「疲れ」云々の話に結び付くのではあるまいか。

もっとも、現状では、思想や哲学上の問題を含めて、人文科学や社会科学の抱える問題を洗い直す、そんなことが許される余裕も時間もないだろう。と言うのも、移民による「犯罪」と「破壊」は確かに存在しているし、それがまさしく圧倒的に暴力的であるのも確かである。

それゆえ、そうした眼前の出来事を巡り、私たちはどう対応、対処すべきかに関して、今後ますます時間と労力を費やすのは必至であろう。

その際、移民の暴力を非難する論者が人種差別主義者として批判、非難される、同時にまたそのことから、移民の暴力を非難、批判する声が小さく、また消え去り、移民の暴力を許してしまい、なすすべもなくなってしまう、とのマレーの指摘はその通りだが、同時に、そうした人種差別に対する非難や批判の仕組みを利用して、移民の安い労働力を確保、利用することで、つまり彼らを差別し排除しながら搾取することで金儲けをする多国籍企業やその株主たちは、そうした移民の犯罪を告発しようとするジャーナリストや政治家や大学の研究者を解雇して、むしろ加害者の人権を擁護するように働くだろう。

そこには、営業の自由、通商の自由、私的財産権の自由といったリベラリズムを構成する重要な「自由権」が大いに与っていることを銘記する必要がある。すなわち、ここでも再確認できるのは、リベラリズムが深くかかわっていることである。

そのことは、私のモデルで示す{[B]の民主義発展→(×)[C]の民主主義の発展→×[A]の民主主義の発展]}の世界的な民主主義システムの関係の中における、もう少し丁寧に言えば、{[B]の民主主義の発展→×[A]の民主主義の発展}、また{[C]の民主主義の発展→×[A]の民主主義の発展}の関係における、{[A]の民主主義の発展→(×)[A]’の民主主義の発展→×[A]”の民主主義の発展]}の関係における{[A]の民主主義の発展}の段階に位置できる富裕層を描いていることを意味している。

ここで注意してほしいのは、私のモデルで描く「民主主義の発展」とは、「自由主義」と結び付けられた「自由民主主義」のそれである。それゆえ、このモデルで示される「民主主義の発展」を「自由主義の発展」と、すなわち「リベラリズムの発展」と置き換えてもらっても、何ら問題はないのである。

こうした点を踏まえれば、移民対策は、先進国における低所得層や貧しい中間層の生活を防衛することと密接に関係していることに気が付くだろう。そのためには普遍的価値の見直しが急務なのだ。営業の自由や私的財産権自由のの修正や制限は不可欠な問題である。その関連で言えば、今こそ「改憲」が、あるいは「創憲」が急務なのだ。

富裕層から貧しい者への富の配分を許す、そうしたリベラリズムの見直しこそが、本来試みられるべき移民対策なのだが、AのA”に位置する人々は、B矢Cからの移民による直接的暴力や職を奪われたり、彼らのなけなしの貯金を移民対策の費用として取られる一方で、Aの富裕層からも生活困窮者へと押し下げられる圧力を受けるのだ。

それを図式して表したのが、先のB、C、A間における、またA、A’,A”間における「民主主義の発展」の、換言すれば「自由主義の発展」における関係に他ならないのである。

その意味では、マレーの考察に対して、これまでも述べてきたように、「欧州の自死」や「リベラリズムによる全体主義」の主たる要因は、移民受け入れから導かれたというよりも(勿論、移民流入が大きく影響していることを私も否定はしないが、それはあくまでも、システムの歩みとその関係における変容と再編から派生した結果としての出来事であるに過ぎないのであり)、何度も言及してきたように、自由や民主主義、人権といった普遍的価値の実現を導いてきた、自由主義的民主主義の、つまり自由主義の実現を導くA、B、C間における、またB、C、A間における「自由」と「人権」の実現に見る差別と排除の関係であったと言わざるを得ないのである。

さらに、こうした論に関連して言うと、「加害者の人権が擁護される」というとき、忘れてならないのは、まさに1970年代までのAに位置していた欧米先進諸国の植民地主義や帝国主義の歴史の中でつくり出されてきた「寛容な健全なリベラリズム」の実現の下に享受してきた人権、市民的自由や市民的権利が、マレーが指摘している中東・アフリカからの移民=加害者の人権の擁護の歴史に関する前史を構成してきたということである。

私たちがこうした点を学習し理解しない限りは、システムは私たちを微笑みながら見ているだけではあるまいか。残念ながら、私のような者がいくらそう述べたとしても、私たちにはそうした学習や理解はおそらく到底受け入れられないだろうると言わざるを得ないのだ。それに対して、マレーのような議論がますます耳目を集めていくのは否定できないと思うのである。正直これまた悲しく寂しい限りである。

(以上、引用・貼り付け、終わり)

ーーー


(最後に一言)

 前回同様に、今回記事も以前の私のブログ記事を貼り付けて、読者に斜め読みでも構わないから、今一度目を通してほしいとの思いから投稿した次第だ。これまた、前回同様に長い文章で、読者には申し訳ないと思いながら、私の明日にも確信が持てないことから、今できることを、できる限りにおいてできる時にと判断して、かくなった次第。


(付記)

 〈(阿修羅)総合アクセスランキング・瞬間〉で以下の記事(①,②、③)を見つけたので、ここにそれらのタイトルとその一部内容を、引用・貼り付けておく。。

①ウクライナについて、イランと長期的な戦略を練るロシア(locom2 diary)
http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/322.html
投稿者 HIMAZIN 日時 2022 年 11 月 17 日 19:11:28: OVGN3lMPHO62U SElNQVpJTg

(最近では、Wall Street Journalが報じた、イランによるサウジアラビアへの攻撃が数日後に迫っているという根拠のない報道を受けて、米国は芝居じみた行動に出た。西アジア地域の米軍は警戒レベルを上げ、ワシントンはあらゆる事態に備えることを宣言した。しかし、不思議なことに、リヤドは動じず、イランからの脅威を回避するための米国の保護提案に関心を示さない。明らかに、サウジアラビアとイランの国交正常化プロセスは、相互の安全保障上の懸念に関する微妙なやりとりを前面に押し出したものであり、双方とも膝を打つような反応を示すことはなく、支持を得ている。このようなパラダイムシフトは、ロシアにとって有利に働く。サウジアラビアとの戦略的石油同盟に加え、ロシアは今、イランとの戦略的パートナーシップを深めている。)

②民主主義、最も危険な宗教:パート3(耕助のブログ)
http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/321.html
投稿者 HIMAZIN 日時 2022 年 11 月 17 日 19:08:05: OVGN3lMPHO62U SElNQVpJTg

(最後に考えてみよう。この明白で致命的な欠陥は、(ユダヤ人所有の)メディアでは決して言及されず、(ユダヤ人が出版した)歴史や政治学のテキストでも議論されることはなかった。少なくとも私の知る限りでは。その代わりに、「民主主義」は、それを疑問視することが反逆的な冒涜となるくらい神聖な宗教に昇華されている。全人類の憧れを反映した普遍的な価値として、生まれたときから毎日絶え間なく宣伝されてきた。不思議だと思わないか?)

③なぜ原発爆発直後の記者会見で東電・小森常務は泣き崩れたのか 
http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/169.html
投稿者 魑魅魍魎男 日時 2020 年 11 月 14 日 05:36:36: FpBksTgsjX9Gw 6bOWo@mx6bKSag

(さて問題はその致死量である。数人が死に至る放出量であったら、大の男が記者会見で泣き崩れることはない。東電の内部文書では、この事故による死者は1000万人規模であると推定していると言われる。おそらく小森常務はそれを知っていて、「大変なことをしてしまった」と号泣したのだろう。福島原発事故後もうすぐ10年になるが、この事故が原因ですでに500万人は亡くなっているだろう。まさかと思うかも知れないが、500万人は全人口の25分の1である。原発事故後、あなたのまわりで25人に1人、寿命とはいえない若さで亡くなっていませんか、ということだ。そう言われてみれば納得するだろう。この記者会見での小森常務の号泣は大変重要な意味をもっているのである。だからこそ、メディアは報道しなかったのだ。)

 

 


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