日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「主因」は「システム」。「ハイド氏の裁判」で告発された問題そのものである。(2)

2018-02-27 | 社会 政治
「主因」は「システム」。「ハイド氏の裁判」で告発された問題そのものである。(2)
 前回の話を以下に具体的な形でお伝えしたい。それにしてもだ。報告書とは名ばかりのものではないか。当該問題と、その背後にある問題を何も語っていない。語ろうともして宇ない。まるで、東京裁判で、数名の戦犯を儀式の生贄にして、後は我関せずの仕方と形は同じである。戦争の原因がわずか数十名の者達を列挙するのみでで片付けられるはずもない。ましてや「文明に対する罪」「人道に対する罪」で裁くとなれば、ハイド氏のみならずジーキル博士にも大きな原因を見出せるのは間違いないではないか。
 私は「主因」は「システム」とみているのだが、そこまで掘り下げて語るのはここではしないつもりだ。しかし、そうは言っても、あまりにも報告書で指摘されているように、主たる原因が5人の中学生だとしても、その5人の生徒をそこまでのさばらせた主たる原因は何だったのかを当然探す必要は残されているのではあるまいか。報告書を作成した者たちと。その作成を依頼した市の教育委員会の構成員たちも、ここで主たる原因だと名指しされた者たちと比べても、その質(たち)の悪さでは一歩も引けを取ることのない悪人たちではあるまいか。
 と同時に、この報告書で指弾されてしかるべき「真犯人」が放免されていることにも目を向けなければならない。先ず、主たる原因はこの学校にリーダーシップが存在していなかったことだろう。そのリーダーシップの主たる担い手は、形式上、組織上は、どう考えても南相馬市の教育委員会ではあるまいか。市の教育長が責任を負うべきなのだ。それでは教育長を任命した責任者はだれなのか。仮に市長であるとすれば、市長を選んだ責任はだれが引き受けるべきなのか。最低限、南相馬市の市民が主たる原因となるだろう。
 南相馬市の市民全体がこの5人に対して何ら有効な他愛策をとれなかったとすれば、相当におかしな話ではないか。だが、現実にはどうしようもなかったのに違いない。換言すれば、市民がどうすることもできないほどの力を、このわずか14,5歳の生徒らが保持していたということである。それではなぜ彼らにそれができたのか。そこには市民がこのいじめ問題に対して無関心、無気力となるような力が働いていたのだろう。自分たちには関係ない、関係したくないという力である。関係した途端、それによって、自分たちも不利益を受ける(出世しない)、何らかのいじめ状態に置かれることは必至となるに違いない。
 市長はもっと上からの圧力におびえ、市の教育庁や教育委員会も、校長も教頭も、学年主任も、担任も、自殺した少女の周りの生徒たちもまた同じような圧力におびえて行動したに違いない。その親たちも同じであろう。結局、かわいそうなことにこの少女の周りには、親身になってかかわろうとしたものが少なすぎたということだろう。
 「ハイド氏の裁判」で描かれていた東京裁判で主たる原因というか真犯人として裁かれた者たちも、東条や荒木以下の数名であった。彼らにすべての責任を引き受けさせ、まるでトカゲのしっぽきりで終わらせてしまった。こんなおかしな判決もなかったのだが、一部のもの以外はほとんど誰も意義を挟まないで看過してしまった。裏返せば、彼ら一部の者たちを戦犯にまつりあげた圧力が存在していて、その圧力に逆らえなかったということだろう。もし逆らえれば、自分たちの生存も危ういし、生きていくことさえも危惧されたに違いない。ましてや現状の地位や生活上の権利さえも奪われかねないことを思い知らされていたに違いない。
 それではその「圧力」とは、いったいどこから来るものなのだろうか。ここでこの問題をさらに考察するためにも、私自身の体験をもとに話を進めたい。私は中途視覚障碍者として白杖を持ち歩道を歩くたびに、何度も「いじめ」を受けている自分に気が付き、そのたびに落ち込んでしまうのだ。情けないというべきか、腹立たしいことの連続、継続なのだ。私はいつも泣き寝入りのまま。目の不自由なものにとって、点字ブロックは命の綱だが、なんとそこに無造作に放置された自転車やバイク、果ては車まで邪魔している。私も継続していじめにあっている。
 こうした私のいじめ問題に関する報告書が出されたとした時、主たる原因は点字ブロックの上に自転車を放置したり、車を駐車する心ない数人の仕業だと断定して、それで終わりになるのだろうか。そうしたいじめを数少ない良心的市民が自らの心のうちにしまい込み、多くの者にそうした問題を周知させる努力を怠ったとして、彼らだけにいじめの責任を負わせてそれでお開きとして問題は解決されるのだろうか。お笑い草だ。しかしながら、いつでもそうなのだ。中途視覚障碍者となった私は、健常者の時以上に、こうした問題を感じることができるようになった。
 誰も私を助けてくれないのだ。寂しい限りだが、現実なのである。ただ、自殺した少女と異なるのは、私が歳をとって少し図太くなっていることと、何よりも、私の横で私の抱えている問題を共に受け止めてくれる歩行訓練士の先生や、一緒にいじめを経験している仲間がいるからだ。
 もし何の準備もないまま、こうしたいじめに遭遇していたら、おそらく、とてもつらい思いを一人で抱え込んでしまってただろう。私は歩道を歩く際に、そこがいろいろな人生の場面として置き換えて考えるのだが、そこには学校現場も含まれている。いじめられていることに悲しくなったり、どうにもならないままに絶望感をいだいたりするのは当然だとしても、そうした現場に居合わせながら何もかかわろうとしないで、賢くふるまう質の悪い人間だらけしかいないことに気が付くことのほうが、もっと悲惨なのだ。誰も体を張って助けてくれない。その場その場でいいことを言うけど、ただいうだけで行動しない。みんな自分がかわいいから、どうにもならない。
 そうした現実を前提とした対応をすべきなのに、きれいごとばかりの儀式の連続で、お茶を濁すことばかり。おそらく、読者にとっても、ここまで述べたくだりに関しては、その見方に賛成か反対は別にしても、想定内のことだろう。

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「主因」は「システム」。「ハイド氏の裁判」で告発された問題そのものである。(1)

2018-02-23 | 社会 政治
「主因」は「システム」。「ハイド氏の裁判」で告発された問題そのものである。

 南相馬中の2年生女子の自殺問題で、のいじめ問題で市の教育委員会が第三者委員会の最終報告書の答申を受けて会見したとのニュース記事があった。それによれば、いじめの主原因は複数の男子生徒による継続的いじめであったとのこと。担任教師らがいじめを止められなかったことについては、一部の教師らが問題を抱え込んでいて、学校の対応能力のなさが指摘された。
 最初から予想された結論で、どうにもならない他人事の話じゃないかと、私は言わざるを得ない。本当にこんな結論でいいのか。いいわけあるまい。おそらく多くのものも納得はしていないだろう。ただ、やはり結論というか、だれが悪者だったかを公にしないといけないから、いわばもう儀式になっているだけなのだ。
 いつもそうなのだが、この種のいじめ問題に直面するたびに、私は竹山道雄の「ハイド氏の裁判」を思い出す。竹山が1946年当時に日本社会に問題提起した論点がそのまま何ら再考されることなく。この21世紀にまで持ち越されている。そう私は見ている。残念ながら、告発されている問題は今も何ら変わっていないのだが、私たちはいつも表面的な小手先ばかりの、その場しのぎの回答しか出そうとしない。出さないし、出せない。いつも「仕方がない」「どうにもならない」、と「システム」に言わされ続けてきたにもかかわらず、立ち止まってシステムの問題を真正面から問い直そうとはしない。(なお、ここでいう「システム」とは私がこれまで論述してきた内容を指している。これについては、私の拙論を参照してほしい。)誰もいじめで自殺した者たちのために、学校をしばらく(1週間は最低でも必要だろうが、そんなことには当然ながらならない。その「当然」を問わない、とえない「学校」やその「教育」など、本来ならこちらからおさらばしたいはずなのだが、これもまた当然ながら難しいこととなるに違いないが、それでもできるものならばなんとか)休校にして、彼らに対して鎮魂歌をささげようなどとはしない。それは電通の過労自殺した彼女に対してもそうだった。
 私たちが礼賛してやまない「平和な民主主義」社会の実現のために、「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイがあり、またそこでの戦争・センソウを引き受けなければならないとしたら、その社会はおよそ尋常ならざる社会であるはずなのだが、私たちはそうした社会で平気な顔をして生きることを生れた瞬間から強いられてきた。本当に恐ろしい話なのだ。それゆえ、そうした感覚を当然とした私たちが日本国憲法「前文」で描かれている「普遍的価値」や「普遍主義」といった美辞麗句で満ちた空虚な世界を何ら疑問視することなく受容できたのだ。こうした人間集団を「発達障害」の集まりだとして、私なら診断する。とてもじゃないが、こうした社会が「正常な発達」をしているとか、「ノーマルな社会」だとされるのならば、その空間は苦痛でしかあるまい。そうした社会だからこそ、冒頭で紹介した報告書しか提出できないのだろう。 


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日本国憲法「前文」変奏曲ニ短調の調べ

2018-02-09 | 社会 政治



「中途視覚障碍者となった私が日本国憲法前文を読み返しながら感じること」

 久しぶりに憲法前文を聞いてみたが、その際いろいろなことが思い起こされた。まず、今の私は障碍者という立場で、自分一人ではすべてのことができない。一人で外を歩くのが難しいし、いつも不安であり、誰かに頼らざるを得ないから、少しでも私より力のある人にすがらざるを得ない。
 つまり自立できない自分に気が付くのだが、日本国憲法が施行された当時の日本は、ある意味では私と同様に、自立した存在からほど遠い、すなわちGHQの、事実上は米国の占領下に置かれていた。簡単に言えば、何もできない、独立もしていない状態に置かれていたのである。つまり、日本国もなければ日本人もまだ創られていないのが実情であったはずなのだが、驚くことに、当時の日本と日本人はあたかも「健常者」の存在であるかのように立ち居ふるまっていた、そうすることを米国に強いられていた。
 憲法前文が高らかに世界に向けて発せられた頃、日本と日本人を取り巻く諸国と諸国民の多くは悲惨な境遇に甘んじていたのではあるまいか。市民革命当時の英国、米国、仏国が普遍的人権宣言を謳歌した当時の世界も同様な状態にあった。少数の文明先進国が多くの従属地、植民地を従えながら、人類永遠の理想を掲げていたのだから、笑止千万な話なのだ。まさに日本国憲法もそれ自体、普遍的価値をちりばめた普遍主義を標榜していたが、そうした宣言とは裏腹に、日本の「侵略」戦争によって傷つけられた、その傷も癒えないアジアの隣人たちの悲惨な境遇に背を向けながら、自分たちが世界の平和と繁栄のあるべき姿を示すことのできる地位にあると、なんとも現実を見ない哀れな恥ずかしい生き様をさらしていたかということを、中途視覚障碍者となった今の私は思うのである。
 憲法が施行された1947年5月3日の約1年前にはW・チャーチルの「鉄のカーテン演説」がなされ、すでにいわゆる東西「冷戦」状態が演出されていたし、朝鮮半島では今日に続く南北の対立と内戦状態が恒常化していた。また中国国内も内乱、内戦状態が顕在化していたし、インドは英国が、ベトナムは仏国が、インドネシアは蘭国が、またフィリピンは米国が隷従状態に置こうと努めていたし、中東やアフリカ諸国も米英仏蘭の主導する帝国主義の渦の中に巻き込まれ、息も絶え絶えの状態に置かれていたのではなかったのか。
 なんとも能天気なお目出たい日本と日本人ではなかろうか。当然ながら、日本と日本人には自分たちの「業」がまったくと言ってよいほどに見えていない、見ようともしなかったのである。それゆえ、平気な顔でこれまでずっと「日本は唯一の被爆国」ですと宣い続けられたのであろう。当時の日本はいまだ大日本帝国建設途上の日本なのだ。被爆したのは大日本帝国下の日本だった。加爆したのは米帝国建設途上の米国であり、当時は唯一の原爆投下国であった。日本と日本人はずっとこの当たり前すぎる二つの出来事を世界に向けて発信しないできたのだ。
 勿論、言い訳もできよう。そう、まだ日本は占領下にあり、独立のできないし力もない。米国の管理下にあり、その意味では米国の属国であり、51番目の州としての存在だったのだから、と。しかし、52年以降の独立後もやはり同じ境遇にあっつたのではないか。そこから一歩も足を踏み出せないままだったのではないか。
 アジアや中東地域をはじめ紛争や圧政下にある諸国とそこに暮らす人々との関係には目を向けない憲法の前文ではあるまいか。そんな憲法前文を安倍首相をはじめ日本人の大多数は絶賛してきたのだから、彼らが点字ブロックや音響信号機のない道を、細々とした不安な気持ちで歩く視覚障碍者の存在に気が付かない、見えないのも当然かもしれない。ここには共通した関係が見えるのではあるまいか。両者ともに、差別と排除の関係を構成している。
 駅のホームから視覚障碍者が転落してもかまわない態度を示していることに気づかない、気づこうと努めない。だから転落防止柵も作らない。冷たい人間ではないか。その集団であり、国民ではないか。なぜこうしたことが続くのか。そこには普遍的価値や普遍主義が関係していないだろうか。そうした普遍主義を支える仕組みが存在しているのではあるまいか。この点に関しては、健常者の頃に、すでに論及していた私だが、今更ながら普遍的価値や普遍主義の抱える問題点に気がついた次第である。もっとも、「不人情」なのは日本と日本人だけではない。普遍主義の本家本元である欧米先進国もその例外ではない。アジアやアフリカ、中南米諸国の人々を自分たちの快適な生活のために、都合のいい時には、自分たち先進国の「衣食足りて礼節を知る」営為のシステムに強制的に連行・動員しながら、アジアやアフリカ、中南米諸国出身の彼らが困り果てて何とか受け入れてほしいと命からがら訴えても「アメリカ・ファースト」「フランス・ファースト」「欧米白色人種・ファースト」(これらの「ファースト」は、実は「グローバリズム・ファースト」の裏返しにしか過ぎない同床異夢の「ファースト」であることに注意すべきである。)と、けんもほろろに追い返す始末である。なんと勝手な理屈にならない、情けない物言いではなかろうか。
 さらに、今や「近代化の道」(この「道」を、政治学は「正しい軌道」とか「正常な発展」として、「アブ・ノーマルな軌道」や「不正常な発展」に対峙させる形で位置付けてきた。そこには「健常者・発達健常」と「障碍者・発達障害」の二項対立関係と呼応した発想を感じ取れる。)をひた走る中国やインド、ブラジル、ロシアや中東・アフリカ諸国も同様に、差別と排除の関係を支える仲間の輪に加わってしまった。アジア的人権やアフリカ的人権を掲げて普遍主義に対抗していたいわゆる文化相対主義を標榜した諸国も、今では健常者の列に伍しているではないか。
 中途視覚障碍者の私には、健常者の立場にも、また先天的な視覚障碍者の立場にも、正直なところ、積極的に立つことができないでいる。そこには、逆に両者から進んで私を受け入れようとはしない、受け入れられない、中途視覚障碍者としての私の存在が関係してくるのである。どうすれば、健常者でもない、中途視覚障碍者でもない、先天的な視覚障碍者でもない、各々のバリアとしての存在をフリーにしていくことが可能なのだろうか。今、私はこの課題に静かに向き合っている。


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