日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

№27私たちの言論空間は、(第9条も含む)「護憲」や「改憲」を巡る議論において端的に象徴されるように、「私的空間」を前提とするものであり、「こうてきくうかん」の創造を目指すものではなかったことを、

2023-03-31 | 日記

№27私たちの言論空間は、(第9条も含む)「護憲」や「改憲」を巡る議論において端的に象徴されるように、「私的空間」を前提とするものであり、「こうてきくうかん」の創造を目指すものではなかったことを、私の語る「システム」論から、改めて考えるとき


 やはり行き詰ってしまった感ありだ。その理由はいたって簡単。私はほとんど「実践」にかかわる能力・時間・余裕が、これまでほとんどなかったことから、それを具体的に語れないことから、先へは進めないのだ。それをしてしまうと、嘘で嘘を塗り固めた話に終始してしまうから、それはとてもできない。木の花ファミリ―にかんしても、それはいつも「ような」といった表現でしかない。私の最初の方でのブログ記事で述べていた〈新しい「クニ」造り〉の「クニ」を念頭に置いたコミュニティが、正確な位置づけであるのだが、これも所詮は構想の域を超える代物ではない。

**それを踏まえて少し付言しておくと、私の「クニ」では農業を主体とした第1次産業を中心として、その周りに第2次、第3次、第4次、第5次―産業が取り囲む関係を構成している。これに関しては以前のブログ記事を参照されたい。それらのコミュニティでも、人間関係の基本となるのは、差別と排除の関係を許さない「私」と「私」と「私」を担い手とした「(こう・きょう・的)くうかん」(造り)である。
 

これらの点を断った上で、今回記事を書き進めているのだが、やはり歯切れは相当に悪いというしかあるまい。ただし、それを踏まえた上で大事な点をここで指摘しておきたい。私が一番理想的なコミュニティとして位置づけ理解している「こうてきくうかん」を創造する運動において、私的空間と、「私」と私的権力との関係をうまく処理するのはとても重要であると同時に、必要であるということである。具体的には、そこからの寄付や援助その他の強力は欠かせないことから、その関係を断ち切らないことが大切となる。

 こうした私の物言いそれ自体が、矛盾じみた話だと思われる読者もいるに違いなかろうが、とにかく、私の語る「システム」の中での「こうてきくうかん」造りであることを悟ってしまえば、それは至って当然のことではあるまいか。私的権力に最初から嫌われ、踏みつけられてしまうならば、元もこうもないからだ。さらに、こうした「こうてきくうかん」造りは、結局のところ、残念ではあるのだが、社会の一隅を照らす動き以上には、大きく成長することはない、と私はみている。だが、同時にそれを目指す動きはそれにもかかわらず、尊い営みであるのは間違いない、と。


 それでは今回記事に入ろう。*そもそも第9条の文言で謳われている「精神」の側から、どのような人々に信奉・支持されたいだろうか、という観点からみた場合、たとえば労働者団体か、あるいは木の花ファミリ―のようなコミュニティ、換言すればそれは以前のブログ記事で構想している「クニ」かという観点から捉え直すとき、果たしてどのようになるだろうかの話である。

 前者は、私の語る「システム」の覇権システムを前提とした私的空間を担い支える関係の中で、日々戦っている集団であるのに対して、後者は、そうした私的空間ではなく、「こうてきくうかん」を前提とした差別と排除のない、親分ー子分関係ではない人間関係を前提としている。

 さらに付言すれば、私たちの「生産」と「労働」、そして「消費」の担い手は、あの尾崎豊の「僕が僕であるために」の歌詞にある僕というか、「私」としての「僕」であるということである。すなわち、「私」としての「僕」が「私」としての「僕」であるために「勝ち続けなきゃならない(あるいは負け続けなきゃならない)」世界・セカイとそこでの戦争・センソウに従事している「私」としての「僕」だということなのだ。

 私の語る差別と排除の関係を前提とする「システム」の中で生きる限りは、どうしても「勝ち続けなきゃならない(負け続けなきゃならない)」状況・状態を余儀なくさせる生産であり、労働であり消費の現場からは抜け出せないということだ。そうした現場において、たとえ今はやりのテレワークを介した新しい動きが見られたとしても、それは「システム」の差別と排除の関係を担う「私」としての「僕」的存在からの卒業を決して意味しない、と私はみている。

 少しまどろっこしい話となったが、第9条の精神から見るとき、こんな生産や労働や消費の現場からは、できればおさらばしたいところではあるまいか。日々の実践が、戦争・センソウを前提とする世界・セカイであるにもかかわらず、第9条を掲げるという矛盾した立場を自覚できないとするならば、それこそ何も守ることにはつながらないのではあるまいか。ここでいう世界とは日本を取り巻く外的環境であり、それに対してのセカイとは、日本国内の内的環境を意味している。同様に、戦争とは文字通り戦場での戦闘を介した戦いであり、センソウとは、日常の生活レベルにおける戦いを意味している。

 それゆえ、その第9条の精神に歓迎される新たな生産・労働・消費の実践とその在り方を構想することがどうしても必要となるのである。これに関して言えば、既に拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」-「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』(晃洋書房、2014年)において論述しているので、それを参照されたい。

*ここまでのくだりを踏まえて、少し整理するならば、第9条も含む「護憲」論者と「改憲」論者は、両者それぞれ相異なる主張を繰り返してきたにもかかわらず、両者は共に「私的空間」を前提としながらも、その空間を公的空間であるかのように見誤らせる巨大な私的権力とその利害関係者集団を中心的担い手とする私の語る「システム」を擁護してきたという点において、立場を共有しているのである。その関連から言えば、私たちの論壇を含めた言論空間は、戦後一貫して、「歴史叙述の神話」の空間を醸成することにに、ひたすら貢献してきた、と私はみている・。


 それでは、ここまでの私の主張内容を、№24、№25のブログ記事と結び付けて、今回記事では少し補足的な話をしてみたいのだが、その前に、*前回記事の補足をすることによって、今回記事の目的をさらにわかりやすくしたいと考えている。

 前回記事では、ここ数回のまとめとして、私の強調点を、〈(2023,3,20)№24私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(3)〉のくだりから引用貼り付けたのだが、さらに、今回記事では〈(2023,3,25)№25私の語る「システム」論から、私と「私」と「私」が「システム」の中で、命と暮らしを守る安全保障のための〈「居場所」づくり〉を、改めて考えるとき〉で述べていたくだりを、引用貼り付けておきたい。


ーーー

(最初に一言)

 結局のところ、私の語る「システム」との格闘の末に、私が辿り着いたのは〈「居場所」づくり〉を目指す話であった、ということになる。それは、換言すると、2014年3月頃のブログ記事での〈新しい「クニ」造り〉云々のの話に他ならない。


 何か長い旅の果てに、苦労してやっとたどり着いたという感じがしている。勿論、すべてが頭の中での「ああだ、こうだ、いや違う、そうではなくて、結局のところ、---」という具合に、同じところをぐるぐると遍歴していた話でしかないのだが、ここまでの歳月を要してしまった。正直なところ、まだ何も始まってもいないのに、どっと疲れてしまった状態である。

 私のこれまでの「システム」論云々の話は、その〈新しい「クニ」造り〉のための理論的考察というか、何故、そうした〈「クニ」造り〉を目指す必要があるのかについての「前置き」であった。私にすれば、もうそこしかあるまいとの「結論」である。何度も言うように、それができるかどうかは別として、それゆえ、頭の中での結論であったのである。

 だが、それにもかかわらず、私の目指そうとするクニ造りを、既にこの日本において実践している、私の言う意味での「公的空間」が存在している。日本のエコビレッジの一つとしても、ネット記事において紹介されている「木の花ファミリー」である。記事によれば、ーーー木の花ファミリーは、富士山の麓で赤ちゃんからお年寄りまで100人近い人々が、互いを助けあいながら自然と調和して生きる、21世紀の暮らしを実践するコミュニティです。ーーーとある。これをさらにネットで検索していくと、その他の情報に接することができる。


 それにしても、あれから30年近く、コミュニティとして、木の花ファミリ―は存続してきたことを鑑みるとき、それはもう、素晴らしいとしか言いようがないのだ。私は、今もなお「私」の殻を破れずにいる。現実の実践として、「私」と「私」が共に各人の力を携えながら、「私」的存在から抜け出して「公」的存在として生きるまでには、なお至らないままなのだ。「私」がたとえ何十人、何百人、何億人集まったとしても、それは単なる「私」的存在としての集合体にほかならず、「私的空間」でしかない。換言すれば、それは決して「公」的存在を可能とする「公」的空間とはなり得ない。

 その理由は簡単だ。私の語る「システム」の中で生きているからである。「システム」は差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきた。すなわち、自己決定権の獲得とその実現において、既に差別と排除の関係が前提とされている、組み込まれているからだ。それゆえ、「私」の自己決定権としての自由が、もし仮に獲得され実現されるときには、必ず誰かの「私」「の自由は否定されるか十分には実現されない。そうした差別と排除の関係が存在している。

 こうした「私」と「私」がたとえ一緒になって、何かの共同事業に従事したとしても、それは「公」的存在としての「私」ではない。本来ならば、現実の姿は私的なままなのだが、この世界に生きている私たちは、それにもかかわらず、その私的空間を、公的空間と誤解させられて生きているのだ。それが証拠に、「公民」とか「公共」という名の下で、力のある「私」による力のない「私」に対する差別と排除の関係を、すなわち、人権侵害を許すと同時に、それを正当化・合法化することに何らの疑問や疑念を抱くこともない。おい、そこの「私」よ、しっかりしろよ、目を覚ませよ、と私は叫びたいほどなのだ。

 こうした私たちの錯覚状況・状態から、私たちの目を覚ますためには、どうしても(固有名詞を持つ)私が「私」として生きている現実を直視できなければならない。すなわち、私たちは公的空間の中では生きてはいないということを、そもそも公的空間など存在していなかったことを自覚できることが、最低限、私たちに求められているのである。だが、これはほとんど難しいことだ。というのも、いわゆる市民革命以来、ずっと巨大な私的権力が支配する私的空間の中で、政治も経済も教育も社会も文化もつくられてきたからである。

 換言すれば、私たちは私的空間しか知らないのだ。その空間の中で生きてきた「私」がどうやって、どうすれば、「私」が「私」であるために、相手を絶えず差別し排除する私的空間から一歩でも二歩でも抜け出して、「私」が「私」であるために、相手を絶えず敬いながら、分かち合い、譲り合う「私」と「私」を担い手とする「こうてきくうかん」を創造することができるのだろうか、という生き方にかかわる問題である。


(最後に一言)

 それゆえ、試みてみなければ何も始まらないということだ。なぜなら、私たちのほとんどは、未だそうした「私」と「私」の関係からつくられる「こうてきくうかん」を知らないのだから。だが、同時に、その実践の歴史を経験したコミュニティの存在もあるのだから。(続)

ーーー


 今回記事では、すぐ上で引用貼り付けしたくだりを踏まえながら、冒頭での私の問題提起に向き合ってみたい。結論を先取りして言うならば、護憲論者も改憲論者も、ひとしく差別と排除の関係を前提とする「私」と「私」と「私」を担い手とする私的空間を擁護し続けたという点では、その利害を共有していたということである。その意味では、私の語る覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」の発展とその維持と存続に貢献する論であったということである。

 換言すれば、第9条論者は、*従来のような{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の関係から創られる「礼節を知る」を拒否する「れいせつをしる」営為とその「れいせつ」としての「第9条」を模索することがどうしても必要であったのだ。それゆえ、[衣食足りて→礼節を知]→[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて→礼節を知る]で描かれる「私」と「私」と「私」の関係から構成される「こうてきくうかん」造りというか、その創造を目指すことが求められていたのである。


(最後に一言)

 今回記事との関連から、それでは最後に、前回記事での「農・的)実践」云々の話をさらに続けてみたい。

 その実践に関連して言うならば、私の言う「(農・的)実践」とは、ただ農業に従事するとか、自給自足的農業とかの話ではなく、「木の花フミリー」のようなコミュニティを前提とする農業実践である。勿論、農業に従事することや自給自足を実践することは、それは今の時代において、意義深いものであるのも確かなことなのだが。

 「(農・的)実践」の文脈から、改めて私たちの社会の中での私の生き方を振り返るならば、私はこれまで「(共・的)実践」からもほど遠い地点で生きてきたということがわかる。その際の、「共同体」の「共〉とは、すぐ上で述べている「私」と「私」と「私」の差別と排除の関係を前提とする「共同体」の「共」であり、そこから一歩でも二歩でも離れ手差別と排除の関係から抜け出すことを目指す「(きょう・てき)実践」ではないことがわかる。

 こうした「私」とその「私」から構成されるコミュニティというか共同体とは異なる「私」とその私から構成される共同体を知るためには、その体験がどうしても必要となるに違いない。それはもはや頭の世界の中だけで「ああだ、こうだ」と考えても生まれてこない。たとえ一瞬だとしても、自らその空間を体験・体感する以外にはなかろう。

(付記)

 記事投稿後の4月1日となった今日、記事の最初のくだりに追加した内容を**をつけて追記したのだが、最後にまたこの(付記)において、それを引用貼り付けておきたい。

**それを踏まえて少し付言しておくと、私の「クニ」では農業を主体とした第1次産業を中心として、その周りに第2次、第3次、第4次、第5次―産業が取り囲む関係を構成している。これに関しては以前のブログ記事を参照されたい。それらのコミュニティでも、人間関係の基本となるのは、差別と排除の関係を許さない「私」と「私」と「私」を担い手とした「(こう・きょう・的)くうかん」(造り)である。

 


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№26私の語る「システム」論から、私と「私」と「私」が「システム」の中で、命と暮らしを守る安全保障のための〈「クニ」造り〉を、改めて考えるとき(1)

2023-03-26 | 日記

№26私の語る「システム」論から、私と「私」と「私」が「システム」の中で、命と暮らしを守る安全保障のための〈「クニ」造り〉を、改めて考えるとき(1)


〈ここ数回の記事のまとめ〉

 今回記事では、ここ数回にわたって述べてきた話を、整理しながら、私の強調点とそこから少し先の問題提起としての話も含めて、述べておきたい。

 私が何よりもこだわるのは、〈(2023,3,20)№24私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(3)〉の中で述べていた次のくだりに示されている。

ーーー*すなわち、常に〈「文明ー半開ー野蛮」〉の仕組みをつくり出す、そうした関係を支える{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係としての担い手である「私」とその「私」からなる「公」的存在を何ら疑うことなく礼賛し続けてきた、と私は理解している。勿論、同情したり、憐憫の情にあふれた優しさは満ち満ちてはいるが、先の関係にまで目を向けようとしない残酷さを自覚することには至らない、教育であり教養である。

*それゆえ、私のような「私」が一緒になって他の「私」とともに、「親分ー子分」関係ではない、差別と排除の関係のない、「バリア・フリー」関係を構築するためにはどうしても、*これまで私たちが当然の如く受け入れてきた教育や教養とは違う、異なる教育と教養が必要となってくるのは、言うまでもなかろう。

 換言すれば、*従来のような{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の関係から創られる「礼節を知る」を拒否する「れいせつをしる」営為とその「れいせつ」を模索することがどうしても必要となるのだ。そしてまた、*その「れいせつをしる」から導かれる「いしょくたりて」の営為が模索される必要があるだろう。ーーーである。


 何度も繰り返して言及してきたように、「私」と「私」を担い手としながらも、それが従来とは異なる「こうてきくうかん」を創造するためには、これまでの近代的「知」の営みを「超克?」すると同時に、それに替わる思想的・理論的前提となる新たな「知」の営みに着手することが望まれる。

*すぐ上で指摘した近代的「知」の営みに関して付言しておきたいことがある。それは、私の語る「システム」を構成する下位システムの一つである、個人や諸個人とその集合体としての共同体(国家)を担い手としたナショナリズムの「源泉」として位置づけられる覇権システムは、「私」と「私」と「私」の自己決定権の獲得とその実現において、常に差別と排除の関係をつくり出す「力」(暴力)と「力」(暴力)を介した「争奪戦」を、所与の前提としている。

 この関係は、個人レベルにおいても、集団間レベルにおいても、共同体(国家)間レベルにおいても、等しく共通して見い出される関係である。すなわち、私たちの近代とその「知」をつくり出してきた「個人」は、私のモデルで描く{[個(私)]→(×)[個(「私」)]→×[個(「私」)]}の関係を前提とした「個(「私」)」であり「諸個人」でありその集合体としての「共同体(国家)」であるということである。

 それゆえ、こうした「個」や「私」を前提とした近代的「知」の営みは、最初から思想的・理論的限界を抱えていたのだが、「近代」それ自体が覇権システムを前提としない限り実現できないという大問題に対して、近代的「知」の営みは真正面から向き合うこともなく、その問題に背を向け続けてきたと言っても過言ではなかろう。というのも、覇権システムを否定してしまった瞬間に、近代そのものが崩壊すると同時に、近代的「知」の営みも御破算となるからである。

 その関連から言えば、*柄谷行人氏の説くNAMの思想的・理論的骨格となっているカントとマルクスの総合?云々の話には、私はあまりというかまったく共感できないのが本音である。だが、もはや、そんなことをあれこれと論じることもない。それよりも大事なことは、前回記事で紹介した「木の花ファミリ―」のようなコミュニティ造りに向けた実践であろう。そうした実践活動の中から、自ずと新しい思想や哲学も紡ぎだされてくるに違いない。


 ところで、こうした点を踏まえて、今はやりの「都会を捨てて田舎で農業しよう」云々の呼びかけに対して、私の素朴な疑念を述べておきたい。農業をすればいいとか、ITを使った田舎でのリモート生活を楽しもうとか、そんな類の話を私はしたくはない。たとえ、田舎で暮らすにしても、また自給自足的農業に従事しているとしても、それが「私」を主体とした田舎暮らし、農業である限りは、これまでの都会暮らしとまったく同様に、私の語る「システム」の維持と発展と存続に、貢献するだけである。この点を忘れてほしくないのだ。

 それを踏まえて言うならば、田舎で暮らす、農業で何とか飯を食うのは、それほど甘くはないし、できれば楽して金儲けをしたいのが、普通の私のような「私」であることを自覚・自戒しておく必要がある。少しでも農作業のまねごとをした経験のある人ならば、たとえその楽しさややりがいを感じたとしても、これで飯を食うとしたとき、その覚悟は並大抵のものではないはずだ。

 それゆえ、みんながたとえ「木の花ファミリ―」のようなコミュニティの一員にはなれそうにはないとしても、それは当然のことなのだ。それを踏まえて、そのコミュニティに少しでも寄り添える「私」の生活の在り方を考えることが大切となる。いろいろな生活の仕方をミックスした生き方が望まれるのは確かだが、その際も忘れてほしくないのは、「私」と「私」を担い手としながら、どうやって「こうてきくうかん」を創造するかという点である。

*当面の目標として、日本の47都道府県に、「木の花ファミリー」のようなコミュニティを発足させる運動を目指すことが求められている、と私は考えている。このコミュニティの実現を念頭に置きながら、たとえそうした完全体ではなくても、そこで展開されている差別と排除の関係をなるべく薄められる共同体造りを目指していけばいいのではあるまいか。そこから、世界的ネットワークを作ることができれば、それこそ私の語る「システム」の中で、覇権システムと向き合い、そのシステムのつくり出す「親分ー子分」関係とその宿痾に対する、ある種の解毒剤としての役割を担えることができるかもしれない、と私はみている。もっとも、何度も言うように、それはとても困難なことであるのだが。

 いずれにせよ、もしこれからの新しい「クニ」造りを構想する際には、木の花ファミリ―のようなコミュニティがその中心的・骨格的要素として位置づけられることが、何よりも大切だということである。 その「(農・的)実践」こそが何よりも大事だというのは、これまで実践の現場からほど遠い地点から、あれこれと好き勝手なことをほざいていた私には、それこそ痛いくらいに、身に染みてわかることである。(続)

 


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№25私の語る「システム」論から、私と「私」と「私」が「システム」の中で、命と暮らしを守る安全保障のための〈「居場所」づくり〉を、改めて考えるとき

2023-03-25 | 日記

№25私の語る「システム」論から、私と「私」と「私」が「システム」の中で、命と暮らしを守る安全保障のための〈「居場所」づくり〉を、改めて考えるとき


(最初に一言)

 結局のところ、私の語る「システム」との格闘の末に、私が辿り着いたのは〈「居場所」づくり〉を目指す話であった、ということになる。それは、換言すると、2014年3月頃のブログ記事での〈新しい「クニ」造り〉云々のの話に他ならない。


 何か長い旅の果てに、苦労してやっとたどり着いたという感じがしている。勿論、すべてが頭の中での「ああだ、こうだ、いや違う、そうではなくて、結局のところ、---」という具合に、同じところをぐるぐると遍歴していた話でしかないのだが、ここまでの歳月を要してしまった。正直なところ、まだ何も始まってもいないのに、どっと疲れてしまった状態である。

 私のこれまでの「システム」論云々の話は、その〈新しい「クニ」造り〉のための理論的考察というか、何故、そうした〈「クニ」造り〉を目指す必要があるのかについての「前置き」であった。私にすれば、もうそこしかあるまいとの「結論」である。何度も言うように、それができるかどうかは別として、それゆえ、頭の中での結論であったのである。

 だが、それにもかかわらず、私の目指そうとするクニ造りを、既にこの日本において実践している、私の言う意味での「公的空間」が存在している。日本のエコビレッジの一つとしても、ネット記事において紹介されている「木の花ファミリー」である。記事によれば、ーーー木の花ファミリーは、富士山の麓で赤ちゃんからお年寄りまで100人近い人々が、互いを助けあいながら自然と調和して生きる、21世紀の暮らしを実践するコミュニティです。ーーーとある。これをさらにネットで検索していくと、その他の情報に接することができる。

 私がそれを調べている最中に、ふと思い出したのは、ずっと以前の民放テレビ番組で、富士山麓周辺で自給自足的な共同生活をする5家族くらいの日々の暮らしが紹介されていたのを思い出した。そこでは、男性陣は普段はサラリーマンとして働き、週末には農作業に従事する、女性陣は子育てや農作業を共に担いながら生活するという、そんな姿が私の脳裏には残っているのだが、木の花ファミリ―の記事を読みながら、私が昔に見たあの集団は、その前身であったのかもしれない。

 もっとも、そうは言っても、記憶にはあるのは確かだが、両者のつながりがそうであるかは、はっきりはわからないものの、私の頭の中のクニ造りの見事な実践例の一つとして、木の花ファミリ―が位置しているのは間違いなかろう。できるだけ早い時期に、一度は見学したいと考えている。


 それにしても、あれから30年近く、コミュニティとして、木の花ファミリ―は存続してきたことを鑑みるとき、それはもう、素晴らしいとしか言いようがないのだ。私は、今もなお「私」の殻を破れずにいる。現実の実践として、「私」と「私」が共に各人の力を携えながら、「私」的存在から抜け出して「公」的存在として生きるまでには、なお至らないままなのだ。「私」がたとえ何十人、何百人、何億人集まったとしても、それは単なる「私」的存在としての集合体にほかならず、「私的空間」でしかない。換言すれば、それは決して「公」的存在を可能とする「公」的空間とはなり得ない。

 その理由は簡単だ。私の語る「システム」の中で生きているからである。「システム」は差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきた。すなわち、自己決定権の獲得とその実現において、既に差別と排除の関係が前提とされている、組み込まれているからだ。それゆえ、「私」の自己決定権としての自由が、もし仮に獲得され実現されるときには、必ず誰かの「私」「の自由は否定されるか十分には実現されない。そうした差別と排除の関係が存在している。

 こうした「私」と「私」がたとえ一緒になって、何かの共同事業に従事したとしても、それは「公」的存在としての「私」ではない。本来ならば、現実の姿は私的なままなのだが、この世界に生きている私たちは、それにもかかわらず、その私的空間を、公的空間と誤解させられて生きているのだ。それが証拠に、「公民」とか「公共」という名の下で、力のある「私」による力のない「私」に対する差別と排除の関係を、すなわち、人権侵害を許すと同時に、それを正当化・合法化することに何らの疑問や疑念を抱くこともない。おい、そこの「私」よ、しっかりしろよ、目を覚ませよ、と私は叫びたいほどなのだ。

 こうした私たちの錯覚状況・状態から、私たちの目を覚ますためには、どうしても(固有名詞を持つ)私が「私」として生きている現実を直視できなければならない。すなわち、私たちは公的空間の中では生きてはいないということを、そもそも公的空間など存在していなかったことを自覚できることが、最低限、私たちに求められているのである。だが、これはほとんど難しいことだ。というのも、いわゆる市民革命以来、ずっと巨大な私的権力が支配する私的空間の中で、政治も経済も教育も社会も文化もつくられてきたからである。

 換言すれば、私たちは私的空間しか知らないのだ。その空間の中で生きてきた「私」がどうやって、どうすれば、「私」が「私」であるために、相手を絶えず差別し排除する私的空間から一歩でも二歩でも抜け出して、「私」が「私」であるために、相手を絶えず敬いながら、分かち合い、譲り合う「私」と「私」を担い手とする「こうてきくうかん」を創造することができるのだろうか、という生き方にかかわる問題である。


(最後に一言)

 それゆえ、試みてみなければ何も始まらないということだ。なぜなら、私たちのほとんどは、未だそうした「私」と「私」の関係からつくられる「こうてきくうかん」を知らないのだから。だが、同時に、その実践の歴史を経験したコミュニティの存在もあるのだから。(続)


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№24私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(3)

2023-03-20 | 日記

№24私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(3)


(最初に一言)

 それでは早速、前々回、前回と同じようなやり方で、以下に記事を引用貼り付けておく。私は、今回のブログ記事をまとめるに際して、以前の記事を読み直しながら、改めて私自身の傲慢さを思い知らされた。そして、改めて、他人の抱える悩みや苦しみに思いをはせることの難しさを感じた次第だ。本当に優しくないのだ。私自身も、これまで何度となく、中途視覚障碍者ゆえに、つらい思いをしてきたはずなのに。


―ーー記事の引用貼り付け開始


(2018,4,1)

「公」的空間とは何か。「公」と「私」の関係を考える(3)
 前回の記事の続きをと思い、あれこれ考えていたとき、以下のネットの記事を教えてもらった。記事の見出しは、*〈「命を犠牲にするしか」包丁持ち役所へ 盲目の80歳男性、社会への怒り募り…高齢の粗暴犯、表面化しづらく〉である。ネットの記事(『西日本新聞』2018年3月28日)私は思わず、*「明日は我が身」の可能性のある多くの高齢者の姿が目に浮かんだ。以下に全文を引用しておく。


(引用、始め)ーー社会面の片隅にベタ記事が載った。〈役所で包丁持ち/暴れた80歳男逮捕〉。動機は何か。自宅を訪ねると、サングラス姿で現れ、取材に応じるという。「自殺しに行ったんですよ」。声には怒りが満ちていた。

ー外出には白杖(はくじょう)が手放せない。15歳の時、草野球をしていてバットが目を直撃した。それでも悲観せず、26歳で鍼灸(しんきゅう)マッサージの店を開いた。妻を亡くしてからも身の回りのことは1人でこなし、穏やかに暮らしてきた。*怒りが募り始めたのは、5年ほど前に難聴を発症し、命綱の耳が聞こえにくくなってからだった。

 家にこもりがちになる一方、火事にでもなれば逃げ遅れるため、一軒家から公営住宅へ移ることにした。*そのあたりから怒りが沸騰しだした。ーー入居手続きが煩雑で職員の説明も不親切に感じられた。*「高齢で全盲だから住まわせたくないのか」。どうにか転居できたが、公共料金を滞納扱いにされた。「請求書を送られても読めない」。

*愚痴をこぼそうにも住み慣れた場所を離れ、近所付き合いもなかった。ーー *犯行の2日前、社会への不満をテープに録音し、報道各社に郵送した。一部の社には電話もしたが*「事件にならないと取り上げられない」。突き放された思いだった。--*「わが命を犠牲にするしかない」と役所へ。玄関先で包丁を自分の腹に向けたところで取り押さえられた。

 容疑は警備員への威力業務妨害と銃刀法違反だったが、処分保留で釈放された。*「現役時代は社会に精いっぱい貢献した。人助けもした。*なぜ今になって肩身の狭い思いをしなくてはならないのか。悔しいを通り越し、みじめだ」ーー盲目の男性も逮捕後に精神科を受診させられたが、問題はなかったという。その際、*医師は話にじっくり耳を傾け「いろいろ経験したんですね」と共感してくれた。*「十数年ぶりに人の温かさに触れて心がじんわり熱くなった。地獄に仏とはこのことだなぁ」。つかの間、光が差した気がした。ーー(引用、終わり)


 最近こうした事件をよく聞く。障碍者、健常者に関係なく、高齢者が当事者となる問題が多発している。そこには、やはり孤独というか、話し相手がすぐそばにいれば防げたであろうといった問題が付随しているように思われる。若い頃から親や子供、近隣者とうまく人間関係が持てない人が高齢者となってーーーという事情が見え隠れする。

 記事で見たこの男性が、社会に対する不満や怒りを覚えると言うとき、*この男もその社会の構成員であるとの自覚はどの程度あったのだろうか。先の記事からはわからないことも多々あるのだが、包丁を自分の腹に突きつける前に、*もっとやるべきことがたくさんあっただろうに、と自戒を込めて、これから私自身が取り組まなければならない問題を再確認した次第である。それは「居場所」造りの問題だ。できればたくさんあれば、それにこしたことはないだろう。
 
 この記事の80歳老人が私だったらという観点から、もう少し考えてみたい。私は今69歳で、1級の視覚障碍者だが、支台歯台に目が見えなくなっているのがわかるこの頃だ。耳も加齢のために、聞き取りができない瞬間がたびたびある。あと10年で、私もこの老人のような目も耳も不自由になる公算は大である。それゆえ、今から最悪の場合を想定して日常生活を送ることが大切だろう。そのためにも、今から、似たような境遇の者が日ごろから集まって、よもやま話のできる公的空間をつくっておくことだ。

 その際、私がこだわっているのは、多数が寝泊や食事、入浴をはじめ日常の身の回りのことができて、一緒に各人の仕事ができる仕事場を提供しながら、お互いを支え合う居場所が創れたら、ということである。その空間は、各人(=「私))が主体的に、各人(=「私」)のできる範囲で各人(=「私」)の役割を担い、既存の公的権力の支援に頼らないことを大前提とした居場所である。私の場合、ここでの仕事は鍼灸・あんまマッサージに従事する者を念頭に置いている。障碍者と健常者の区分けはしない、お互いの手助けが必要だから。


 勿論、言うは易しーーである。大変なことだろうが、おそらく*それ以外に私の生活上の安全保障を実現する道はないと確信している。ところが、私たちの教育はこうした公的空間を創造するのには不向きなものとなっているのではあるまいか。私たちが受けてきた従来の教育は、私のモデルで描いたセカイを前提とした教育ではなかろうか。それを如実に示しているのが、トマ・ピケティの著作『21世紀の資本』だろう。

 フランス革命以来続く経済格差を前提とした教育が行われてきたことを、彼の著作は示している。すなわち、彼の著作は、フランスの高等教育が、数百年にわたり、構造的経済格差を放置し続けてきたということを端無くも示したのではあるまいか。教育の中身が問われている。たとえサルトルやレヴィ=ストロースに代表される世界的哲学者の研究であっても、そうした研究が私の提示したシステムと向き合わない、その問題点を問えない研究の中身だとすれば、いくら哲学云々を叫んでも、どうにもならないではないか。

 同じことはパキスタン出身のマララさんが説く人権や教育の重要性云々の話にも該当するのではあるまいか。ノーベル平和賞を受賞した彼女の人権や教育に関する話は、「システム」が大歓迎する内容だと、私は理解している。まったく中身を語っていないのだ。どのようにして、〈「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない:世界・セカイとそこでの戦争・センソウ〉に向き合えばよいのか、そうした「おかしな」仕組みの中で、その問題点を問い続けられる人権や教育の在り方とは一体何であるのか。

 こうした論点が提示されないとしたら、結局は「システム」が提供し続けてきた人権や教育を受容するしかないのではあるまいか。こうした問題提起を踏まえながら、今回は、前回に述べていた、「教養」のある人たちが形成してきた社会の特徴と、そこでの教育と、その教育が涵養する「性癖」に関して述べておきたい。

 私たちが組み込まれている社会の「衣食足りて礼節を知る」営為の仕組みは、「親分ー子分」関係を基本とする「帝国主義」関係を体現した覇権システムと、その覇権システムの下で創造された資本主義システム、民主主義システムの三つのシステムそれら自体が「公」的存在として理解されている。*だが、それは決して「公」的空間ではない。どこを見渡してみても、私的空間に過ぎないのである。
 
 それゆえ、その社会では、いつも{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係を構成する「私」と「私」と「私」の関係から構成されている「私」的空間である、ということを理解しておく必要がある。付言すれば、民主主義体制・非民主主義体制と、たとえ政治体制を異にしていても、それら両体制をつくり出すのは、{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係であるということなのだ。


 私たちの教育が涵養する教養は、たとえば、繰り返しになるが、サルトルの実存主義や、自由や責任論も、レヴィー=ストロースの「野生の思考」も、あるいは、カントやヘーゲルの思想も、私がモデルで描く「システム」とその関係(史)と、換言すれば、「システム」の自己完結運動の歩み(歴史)と批判的にに向き合うものではないのである。私はそのように理解している。それゆえ、私のような問題意識をもって、新たな公的空間を創造しようとする者にとっては、彼らの哲学や思想がいかに素晴らしいものだと言われても、どうにもならないのだ。

 さらに付言すれば、「無関心」の性癖が、ホームでの視覚障碍者が柵のない空間に置かれていることに、何ら違和感も覚えない「残酷さ」を生み出しているのかもしれない。私は自らが中途視角障碍者となって、健常者とされていた頃の、視覚障碍者に対する私自身の向き合い方を振り返る中で、私が体現していた残酷さ、すなわち視覚障碍者に対する無関心さを、痛感するに至ったのである。

 正直なところ、その感覚は、青天の霹靂に似た、ある種の驚愕に似た感情を私の心の中に生み出すに至った。逆に言うと、この頃の私は、社会に張り巡らされたた多種多様の「バリア」を確認できるとの自信があったし、またよく自覚できていたはずなのだ。だからこそ、なのだ。何故、駅のホームに柵がないのを見過ごしてきたのか、と。痛恨の極みである。これまでの私の関係論的見方がどうのといった物言いをあざ笑うかのように、所詮、お前の研究のレベルはその程度なのだと、宣告された思いを感じたのだ。


 本来、私たちは先に示したように、{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係の中で、「私」として生活しているはずなのに、何故か自分自身の力で、努力でその位置(地位)を獲得したかのように思ってしまい、〈{[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}〉の営為に甘んじている者たちは、彼らが努力しないで遊んでいる、無駄に時間を浪費していると考えるのである。この関係がわかる読者ならば、そんな不遜な「私」に、できるならばサヨナラしたいはずだ。

 勿論、こうした指摘はすべて誤っているわけではない。「成功」する者のすべてがそうではないとしても、血のにじむような努力を怠らない者が大勢いるのも確かだ。それは私も理解しているつもりだ。それゆえ、私たちも成功者を見習って、今以上にもっと、教育に励み教養を高めるべきだとの思いも強いはずだ。しかしながら、その成功者と彼らの教育や教養は、{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為に見られる〈差別と排除〉の関係を前提としたものであり、その関係を、別の関係に改めたり、替えようとするものではない。これも確かなことではあるまいか。

*すなわち、常に〈「文明ー半開ー野蛮」〉の仕組みをつくり出す、そうした関係を支える{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係としての担い手である「私」とその「私」からなる「公」的存在を何ら疑うことなく礼賛し続けてきた、と私は理解している。勿論、同情したり、憐憫の情にあふれた優しさは満ち満ちてはいるが、先の関係にまで目を向けようとしない残酷さを自覚することには至らない、教育であり教養である。

*それゆえ、私のような「私」が一緒になって他の「私」とともに、「親分ー子分」関係ではない、差別と排除の関係のない、「バリア・フリー」関係を構築するためにはどうしても、*これまで私たちが当然の如く受け入れてきた教育や教養とは違う、異なる教育と教養が必要となってくるのは、言うまでもなかろう。

 換言すれば、*従来のような{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の関係から創られる「礼節を知る」を拒否する「れいせつをしる」営為とその「れいせつ」を模索することがどうしても必要となるのだ。そしてまた、*その「れいせつをしる」から導かれる「いしょくたりて」の営為が模索される必要があるだろう。

 しかしながら、ここまで論じてきたように、私自身が「システム」が提供してきた様々な「バリア」とその関係に縛られていることから、先の居場所を創造するのはとてもではないが、厄介極まりないことだろう。だが、同時にまた、そうしたバリアを介した縛りが、どのように張り巡らされているかについて、少しは理解できるようになった以上は、やはり前を向いて一歩一歩歩んでいくしかないのも確かなことなのだ。


ーーー記事の引用貼り付け終わり


(最後に一言)

 今回記事で指摘した*〈「居場所」づくり〉の問題は、私には大変重要な今後の課題となるとみている。既に、私のブログ記事においても、最初の報の記事において、また「盲学校が終の棲家であれば」云々の記事においても述べていたように、*残りの21世紀の時代において、私たちが一刻も早く取り組むべき、私たちの生き方が問われている大問題となるに違いない。

 私にとっては、それこそが「革命」なのだ。そして、その取り組みは至る所で展開されている。たとえば、捨て猫や犬を、空き家を借りて、そこに住まわせて彼らの生活全般の世話を、ボランティアがおこなっている。また、不登校の子供たちの面倒を見る「寺子屋」や、家庭に居場所を見つけられない青少年のための非難所も、最近では多くつくられている。この段落のくだりは、すぐさま誤解というか批判に直面しそうだ。それらを一応、念頭に置いたままで、先に行くことを断っておきたい。

 こうした仕組みの少し先に、今回記事で紹介した行き場のない高齢者の居場所がつくられるとすれば、それは素晴らしいことに違いない。また高齢者と他の若い世代との共同生活も考えられる。とにかく、いろいろなやり方があるはずだ。同時に、すぐさま、これもダメ、あれもダメの流れにも向かいそうでもあるが、おそらく、既にモデル・ケースが存在しているかもしれない。少し調べてみたい。

 それにしてもだが、前回記事の投稿からもう5年となる今のこの時点で、「少し調べてみたい。」とは。どうして、もっと早く頭が回らなかったのか、と我ながら落ち込むのだが。


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№23私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(2)

2023-03-19 | 日記

№23私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(2)


*前回記事での強調点を、(最後に一言)に置いて述べていたので、先ずはこのくだりを、引用貼り付けておきたい。


(最後に一言)

 やはり、最後の最後で、なお。「私」と「私」の関係であるにもかかわらず、「私」と「公」の関係が、それでも何か存在しているかのような、誤ったメッセージを読者に送っている記事内容となっているくだりが散見される。勿論、私は「私」=「公」=「私」となることを十分に理解した論の展開をしているのだが、それにもかかわらず、もっと踏み込んだ形で、すべてにわたって述べているとはいいがたいように思えるのも事実ではあるまいか。

 私的権力が公的仮面を被って云々とも指摘はしているのだが、国家・政府を、なお私的権力として存在しているとまでは、断言していないように思われる。それは、まだこの時点においては、*私の語る「システム」とその関係それ自体が、*私的権力とその利害集団関係者の集合体であり、*それはどれほど多くのかつ巨大な集合体となろうとも、私的権力の存在以上にはなり得ないことを、私は的確に言及できていなかったことに、最近気が付いた次第だ。

 再度ここに引用貼り付けした(最後に一言)の次のくだりを、読者には今一度噛みしめてもらいたい。すなわち、〈*私的権力とその利害集団関係者の集合体であり、*それはどれほど多くのかつ巨大な集合体となろうとも、私的権力の存在以上にはなり得ない〉のくだりである。換言すれば、それは「公的権力」としても存在し得ないと同時に、「公的空間」も形成できないということを意味している。


(最初に一言)

 それでは、今回記事では以前のブログ記事の第2回目となる記事を取り上げて、それについて論評したい。早速その記事を引用貼り付けておく。なお、前回記事でも指摘していたように、文章内容の訂正と修正、段落編成の手直し等をしていることを、ここで断っておきたい。読者は、とくに*の付いているくだりに目を向けてほしい。


ーーー記事の引用張り付け、開始

(2018,3,25)

「公」的空間とは何か。「公」と「私」の関係を考える(2)

 まだ、固有名詞の私と、いわゆる「私」と「公」について、詳しい説明をしていないが、今はこのままで話を続けたい。なお、これまでの話で、私が意識しながらこのブログ記事で述べていた「思想」に関して言えば、ルソーの「一般意思」、フロイトの「無意識」「自我」「超自我」、フロムの「自由からの逃走」、サルトルの「実存主義」、そして、レヴィ=ストロースの「野生の思考」、グラムシの「ヘゲモニー」等々であるが、そんなことを言うと彼らに叱られるかもしれない。彼らの思想を表面的になぞっただけだから。

 ただ、私はいつも自分のモデルのセカイというか、私の語る「システム」の自己完結運動の歩みの中に、彼らの思想を置き直して、批判的観点から再考している。特に、覇権システムや、「システム」の自己完結運動の歩み(歴史)、またその際、その歴史のいかなる「段階」で、そうした思想が語られているのか、システムの側から見た時、彼らの思想はいかなる問題点を有しているかを、批判的に考察している。偉そうな物言いであり、彼らには迷惑千万な的外れな言いがかりだろうが。


 ところで、私は「政治」を語れる「私」を探すのだが、残念ながら、みんな興味はないらしい。政治を語る視覚障碍者に出会ったことがない、今までのところは。ここでも、私の言う「政治」の説明が必要だが、これまでの記事において、私なりに話してきたつもりだ。誤解を恐れないで言えば、点字ブロックや音響信号機をもっと増やしてといった要求は、それはそれでとても大切な問題ではあるのだが、それはここで私の考える「政治」ではない。

 政治の大切さ云々など、もうどうでもいいのかもしれない。私は既存の市民運動家も含めて、既成政党の語る政治には期待していない。というのも、彼らはほとんど、憲法がどうのから始まり、第9条が危ない、民主主義が危機に瀕している等々と繰り返し叫ぶのだが、それ以前に語るべき「政治」の話があるだろうに、と私は腹が立つばかり。

 私はなんとか、今よりは少しマシな政治をと考えるのだが、障碍者に期待し過ぎるのも、やはり無理があるのかもしれないし、かと言って、健常者にも期待できないし、といろいろ頭の中で試行錯誤する間に、次第に熱は冷めてきたところだ。勿論、今の政治家連中には、さらに期待していないのだが。もっとも、だからと言って、私は私なりに、のたうち回るしかないし、それしか脳がない。それゆえ、今回もまた堂々巡りの話をするだけだ。しかし、やはり以前とは異なり、絶望感は増したが、それほどへこたれてもいない。私には「私」の役目というか、役割があると信じているから。


 前回の記事において、私は以下のように述べた。すなわち、*---目が悪い理由にしたくない。ただ言えるのは*これまでの思考のパラダイムを大転換しない限り、非力な私が似たような「私」と一緒になって公的空間を作ることは難しいと考える。そうしない限りは、たとえ「バリア・フリー」云々と言っても、ただ段差のないーーー、と。正直に言えば、*私はこうした試みが簡単にできるとは考えていないし、むしろ以前以上に、絶望的な作為だと考えるようになってきた。

 もとより、既に固有名詞として存在する私は、「システム」の提供する「公的」ならぬ「私的空間」の中でがんじがらめになっている。「システム」は、すなわち、*「親分ー子分」関係を基本とする「帝国主義」関係を体現した覇権システムと、その覇権システムの下で創造された資本主義システム、民主主義システムの*三つの下位システムそれら自体が*「公」的存在として、誤って理解されている。そうした意味で、「システム」の有する圧倒的ヘゲモニーの影響力の下で、私の試みがどれほど無謀な、ドン・キ・ホーテとしてふるまおうとするかも、十分に分かっていることである。

 と言うのも、私は結局のところ、既存の「システム」に替わる、あるいは、それはとても無理だとしても、*「システム」の中で、新たなるもう一つの「衣食足りて礼節を知る」営為の関係が実現可能となる公的空間を創造しようとしているからだ。とてもではないが、絶望的な話だ。しかしながら、以前とは違って、へこたれない私をいまは強く実感できるし、絶望状態においてもしっかり向き合い、引き受ける役割が私にはある、と確信しているのだ。オメデタイと思うが、それでいいのではあるまいか。

 もっとも、そうは言っても、現実はやはり厳しい。最近の出来事を少し述べておきたい。私は自身のモデルでA、B、CとかB、C、Aといった{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係における自己決定権力の優劣関係を示してきたが、それは丁度、福沢諭吉の語る「文明ー半開ー野蛮」における「製物の国」と「産物の国」の関係とも相重なるものである。同時にまた、文明においても、半開においても、矢版においても、それぞれの内部で、同じように、「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係がつくられていることを示している。

 それゆえ、私が一緒になって「私」と別の「私」の関係からなる「公」をつくろうと試みる際、そうした「私」は、いつも{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係を構成する「私」と「私」と「私」の関係から構成されている「私」ということを理解しておく必要がある。

 たとえば、私が、[衣食足りず→礼節を知らず]の営為に従事する「私」と「公」的関係をつくろうとした時、相手の「私」は、もっと力のある「私」を欲することが容易に推察されるだろうし、力の無い、弱い立場にある「私」は、[衣食足りて→礼節を知る]の営為を担う「私」に、積極的に組み込まれたい願望を示すのである。当然と言えばそれまでだが、「寄らば大樹の陰」である。私が弱い力しかないと相手の「私」が感じた瞬間、もう私にはどうしようもないこととなる。

 さらに、私も、そうした別の「私」のいやらしさや、どうしようもない性癖(その一番は、自分と関係のないことには徹底して無関心であり、本当に関係ないかを問わない、問うことをしない)に辟易しているのだ。「教養」というものに付きまとう恐ろしさというか悲しさを、私たちも感じることがあるのではあるまいか。

 少し以前の記事で、教養を有した者たちの問題点を述べていたが、それに勝るとも劣らない教養、というか素養の無い、それでいて教養を親しまない、親しもうとしない者の悲しさ、情けなさには愛想が尽きるのだ。ここでいう「教養」、「素養」とは、世間一般で語られている「教養のある」それとは異なり、先の性癖に向き合う能力を涵養しようとする心、精神であるが、こう言う私にも、さすがに、「あなた何様なのか」と、ほとほと愛想が尽きる、疲れてしまうのだが、正直な感想なのだ。

 無論、これは視覚障碍者だろうが健常者だろうが、障害の有無には関係のないことだ。ああ、また嫌われてしまったが、これまた仕方がないことだ。と言って、安倍さんや麻生さんたちに代表される「私」は、私のような考え方をする「私」を相手にはしないし(それは、既成政党や市民運動に従事する人たちも同様だが)、私も少し遠慮したいと言いたいが、所詮、私は鼻から相手にされていないのが実情だ、悔しいけれど。さらに悔しいのは、私が一緒になって、「公」や「公的空間」を創造しようと手をつなぎたい相手の「私」からも、そっぽを向かれている。とにかく、難しい。どうにもならないことなのだろうか。

ーーー記事の引用張り付け、終わり


(最後に一言)

 前回記事でも感じたのだが、言葉が足りないくだりが、今回もまたあるのに気が付いた次第。その部分はできる範囲で訂正・修正している。なお、以前投稿した記事(2018,3,25日付)は、そのまま何も手を加えていない。ただし、以前のブログ記事の下に、今回記事も貼り付けていることを、ここで断っておきたい。

 それにしても、なかなか大変な挑戦を試みてきたことには、今更ながら「こいつホンマにバカじゃない」である。それでもバカは死ななきゃ治らない、と昔から言われてきたので、これから先も、最高のナイスバカを目指すことにしたい。いつもこんなバカに付き合ってくれて、ありがとう!

 


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