日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「種苗法」改悪を、国民の目から遠ざけるかのように与野党の政治合作劇が進行している

2020-11-26 | 日記

「種苗法」改悪を、国民の目から遠ざけるかのように与野党の政治合作劇が進行している

(最初に一言)

2,30年後には、はっきりとするだろう。この臨時国会の一番の目玉は何であったのかということが。しかし、その時すでに遅しである。


正確に言えば、もう既に遅いのだ。国民は日本の農業の前途を考えていない。農水省からして、世界的アグリビジネスを展開する多国籍企業の軍門に下っているし、日本政府自体がそうなのだから、もう何をかいわんやだろう。

それでは私は敢えて問い直してみたいのだ。日本学術会議の委員任命でゴタゴタしている当の新メンバーと目されている研究者は、種苗法や種子法の改正に伴う動きに対して、どのようなスタンスをとるのだろうか。「立憲主義的デモクラシー」を標榜することで、「日本国」と「日本国民」を取り巻く圧倒的権力(暴力)を抑止・制御できるのだろうか。

私は、それは最初から不可能だ、とみているし、既に拙著や拙論でも論述してきたところである。立憲主義的デモクラシーは、確かに絶対王政やナチズムなどの全体主義に対しては、ある「一定の効果」を発揮したかもしれないが、その当の立憲主義的デモクラシーは、それを創造した(私の語る)「システム」とその関係の歩みの前では無力なのだ。

とくに、立憲主義デモクラシーは、普遍的人権に対して、とりわけ、営業の自由、私的財産権の自由の前では、逆らうことができないし、むしろその逆に、巨大な多国籍企業の営業の自由や私的財産権の自由を、そうした私的権力(暴力)に結局は屈服せざるを得ない「弱小勢力」の自由を制限ないし否定することによって、積極的に支持し擁護するのである。無論、「公共の福祉」という制約も、その巨大な史的権力が自らその「公共」を僭称するために、まったく役に立たないのである。

少しここで、すぐ上で述べた「弱小勢力」について補足しておきたい。今回の種苗法改正の当事者は、その一方に世界的なアグリビジネスを展開している多国籍企業が、他方に「日本」の農業従事者が位置している。ここで、日本政府や農水省は多国籍企業を支持し応援している。いや、多国籍企業のシナリオに沿う形で、動いているのだ。彼らも、一応は「日本」を名乗っている手前上、積極的なかかわり方を国民の前には晒したくないから、できる限りの演出・演技をすることになるのだが、もう見え見えなのだ。それは、日本の与野党の国会議員にも該当する。まるで、それには触れては駄目だ(触れると議員を辞めることになる)という通達が回っているかのような雰囲気である。

この弱小勢力が、そうした日本農業関係者ばかりではなく、「アメリカの対日要望書」の前では、日本の製造業利害も金融業利害も既にそうであったことを鑑みるとき、今や「日本国」「日本国民」それ自体が「弱小勢力」なのであることを自覚しておかなければならない。悲しいことなのだが、これが現実の姿なのである。

そうした日本国や日本国民を、先述の立憲主義的デモクラシーではもはや守れないのだ。ここを押さえておかなければならないのだが、自公政権はもとより、立憲民主党を始めとした野党勢力も、まったく関心がないというか、何も感じることがないから、どうしようもないのである。

既に、日本国や日本国民などは、昔のような意味においては存在してはいないのだ。私の語る「システム」論とその関係の歩みにおいて、B、C、Aの関係のAにおいては、もはや国家や国民は不要なのだ。それはそうなのだが、それでもなお、この日本という山河には、おびただしい数の人たちが日々の生活の中で、彼らの命と暮らしを守るために、「政治」を必要としていることは確かであり、国家や国民の姿が見えにくくなったこれから先においては、今以上に、政治がそうした人々の声に謙虚に耳を傾ける必要があるのではあるまいか。

それゆえ、そうした政治の存在価値とその余地を残すためにも、私たちはたとえ種苗法の改悪が現実となろうとも、既成野党を頼ることなく、自らの政治勢力を育てていく必要があるだろう。その旗じるしとなるのは、立憲主義的デモクラシーではない。また憲法を守れでもないのは当然のこととなる。

同時に、立憲主義や、欧米産の普遍的人権や憲法を否定したり排除することが、直ちに抑圧体制や全体主義体制に導く云々の議論に対しても、的確に反論ないし批判できる思考、思想・哲学を持つ必要があるだろう。これらは、相当に大変な作業であるが、私の残された人生をかけて、若い人たちにお伝えできることはまとめておきたい。


(最後に一言)

ここ2週間ほど体調が思わしくなく、しんどい日々が続いていた。なんとも言い難い日本政治のお粗末さである。私は努めて個人の政治家に関して、あしざまに罵ったり、悪口を言うことは控えてきた。それはこれからもそうするつもりであるが、だからと言って、今の政治家に問題がないとして済まそうとしているわけでもない。

ただし、私がもし政治家だとしたら、やはり同じことをするだろうから、天に唾することはなるべく控えたいのだ。それはそうだが、最近の与野党の談合政治劇にはあきれるばかりである。これだけ日本国や日本国民が、たとえて言えば、大きな勢力に包囲されて(それは、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉に他ならないのだが)、にっちもさっちもいかなくなっている「籠城戦」の最中に、あろうことか、敵と内通する裏切り者は出てくるし、また戦い方を巡っても新しい発想法を考案する者はだれ一人なく、敵の戦術戦法を後生大事にひたすら追随するだけの始末だから、どうにもならない。

ここで思い出すのだ。韓国時代劇の「テ・ジョヨン」を。渤海国の建国者のドラマであったが、凄まじい人生の一言だった。こんな人間がリーダーであれば、そしてにほんをしどうしていれば、---。勿論、現実はわからないものの、日本の戦後の指導者はほとんどすべてが米国の言いなりのポチであり、売国奴というか、親分が仕立てた日本の指導者たちであった。辛い、辛すぎる話だが、これだって多くの人間に共有されるわけではない。それがホントか嘘かは別にしても、やはり知らなければならない話の一つではあるまいか。

 


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「そこのあなたはもう死んでもいいですよ」、「むこうのあなたも死んでいいですよ」という権力の指示通りに動く国民に、私たちはいつの間にかなっている。

2020-11-21 | 日記

「そこのあなたはもう死んでもいいですよ」、「むこうのあなたも死んでいいですよ」という権力の指示通りに動く国民に、私たちはいつの間にかなっている。

私たちはもう既に、ある意味で、「自由からの逃走」状態に置かれた国民ではあるまいか。政府が、「あなたはもう死んでもいいよ」、「そこのあなたも死んでもいいよ」と掛け声をかけたなら、その声に従順に従い死ぬだけの国民に成り下がっているのではあるまいか。まさに今、「イケ・イケ・キャンペーン」でおこなわれているのはそういうことである。

少し国民が自分の責任・判断で動けばいいものを、何から何まで権力の指示を仰ぎ、上から権力が言わないと動けなくなっているのは、危ない状態だ。日本医師会の情報や、我々の周りを見てもわかるように、私たちの判断でできることは当然あるし、それに従って行動すべきなのだ。

たとえ、政府がキャンペーンをやめないとしても、私たちは私たちで、自己防衛の判断をすべきであり、またできるはずではあるまいか。それを怠ったままに、自分たちに都合が悪くなると、政府の責任にすり替えるのはおかしなことなのだ。安倍政権といい、菅政権といい、それらの政権がどうにもならないことを既に理解している以上、我々国民側における、政府(権力)が垂れ流す情報やその操作に安易に依拠しない・惑わされない「自己責任・判断」は重要な行動指針となるだろう。

コロナウイルスは確かに私のような高齢者には怖い。だが、それ以上に、このコロナ禍で、少し前まではまともな判断をしていたように思われた国民の中に、「もうどうでもなれ」、「何をやってもダメなんだから」という潜在的な叫び声が日増しに大きくなり、それと同時に、無意識的に権力にすがり付く、しがみつく、そして言うがままに従う動きが顕在化しているのではあるまいか。

別になにも、小池都知事のあのような子供じみたパフォーマンスを待つまでもなく、少し考えればわかることを、自分でできなくなっているのであれば、大いに考えなければならないのではあるまいか。それにしても、今の政治家を始めとした権力関係者は、心の底では笑っているに違いない。テレビでコロナに気を付けて、と言えばそれで済まされる。「楽」だろう。

現状の「政治」は、コロナ騒動に対応することが、一番大事な政治課題とされている。それゆえ、たとえそれができないとしても、事実できないままだが、結局は、医学や医療の問題(有効・安全なワクチンの開発や医療現場の充実度云々の問題)だとして責任を転嫁しやすいからだ。

こうした中で、コロナ以前の時期・時代の政治が過小評価され足り、忘れられている。考えてみれば、コロナ以前においても、「各都道府県の知事等は、積極的にテレビに出て、「今この問題が県民にとって大事ですよ」とメッセージュを発してもおかしくなかったのではあるまいか。

このコロナ禍の状況を利用して、「政治」なるものは、「権力」は、今まで以上に、(言うまでもないことだが、私を含む)国民の一億総幼稚化・無責任化。盲従化を、ますます進めているのではあるまいか。「権力」においては、それがまさに国民に疑われることなく、「自然の形」でおこなえるのだから。私には、これがコロナウイルス以上に、怖いのである。

(最後に一言)

「発作」とは何か

「めくるめくトキメキ」「この胸のときめきを」から始まるの「発作」であろう。誰しも経験する?初恋時のなんとも表現しがたい「衝動」もそこに含めていいだろう。前回記事の中での「発作」に関して、今ここに付言しているのは、誤解を避けるためである。(もっとも、どんなに詳しく説明しても必ず誤解はつきものであり、それはそれでまた次につながる話を導くからいいとしなければならない。)

「不倫」という定義や意味を考えても、「辞書」にある内容だけに限定されない。それは、「男と女」の関係だけではない。「男と男」「女と女」さらにはそこからまたいくつかの関係が考えられる。「肉体関係」を問題にする際、それと同等、それ以上に重要な関係がないわけではない。「心と心」の関係、これ以上に強い関係はないとも考えられる。

夫婦や恋愛関係時の当事者が不倫という世間一般で語られる出来事でおかしくなることもあれば、それとは異なる精神的関係でどうにもうまくいかなくなるケースもあるのだ。それが発端となって、具体的な肉体関係となる場合もあるだろう。「精神的関係の不倫」と「肉体関係の不倫」を考慮しながら、発作とそれを巡る人間関係の様々な「過程」を視野に含む不倫の定義と意味の再解釈が必要ではあるまいか。

「辞書」は、言うまでもないが、人間により編纂されるが。それゆえ、編集委員会を構成する人間の判断が最終的には投影される。長い歴史の中で、定義と意味が、その多くの部分は踏襲されつつも、少しずつ時代状況を反映した改変がなされる。「自由」「民主主義」(デモクラシー)、「人権」「法の支配」「立憲主義」「帝国主義」を扱った辞書の定義や意味は、まずは「西洋産」であったことを忘れてはならない。

またその編纂・編集に与ったのは、あくまで生身の人間である研究者とそのグループであることを忘れてはならない。すなわち、いくらでも訂正、修正すべき点や問題がたくさんあるのである。たとえば、「アメリカ・インディアン」や「奴隷にされたアフリカ黒人」「ロヒンギャ難民」がそれらの定義や意味を表わすとき、私たちの世界がいま当然としているそれらとは、やはり大きく違うことが予想されるのではあるまいか。

最後に私から読者にお勧めの一冊を紹介しておきたい。中河与一著『天の夕顔』である。

 


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「不倫」問題を、私の「システム」論から問い直すとき(続)

2020-11-18 | 日記

「不倫」問題を、私の「システム」論から問い直すとき(続)

(最初に一言)

前回の記事で「断・捨・離」云々と述べたのだが、私たちの社会でそれが容易にできない、いや、むしろそうしたくはない「人間関係」の一つとして、「男と女」、「男と男」、「女と女」の、さらには自分自身の中にある「男と女」の関係があるのではなかろうか。

それどころか、そんなことをしてしまえば、私たちの人生は枯れた花に似たように、味気ないものになってしまうだけだろう。私の語る「システム」の中で、夏目漱石ではあるまいとしても、「押し合いへし合い」しながら、「生きるか死ぬか」の段階を超えて「生きるか生きるか」の状態にあるのだから、「やすらぎ」はどうしても必要だし、誰がどう言おうとも、それを求めようとする「発作」(いやはや、寂しいと言うか、残念を超えて無念というべきか、もはや私には何の関係もないことになってしまった)を止めることはできないし、断じてしてはならないのだ。ましてやその「営み」を、世間にさらけ出してはならないのである。

私たちのような「システム人」が、興味本位で持って取りざたする、いわゆる「不倫」という問題も、まさしくその例に漏れない。ところが、私たち「システム人」は、いつもは何の関係もないとして知らん顔して、遠くで・近くで、知っている・知らされている「人間」が不倫したとの情報に接するや、後ろ指を指すかのように騒ぎ立てるのだ。面白いのは、よく知られているように、同じ「システム人」の「フランス人」は、上述した人間関係を考察する「偏差値」が日本人よりははるかに高いようで、どこ吹く風のように暮らしている、正確に言えば、そんなふりをして生きている。

「大人」と言えば、大人なのだが、「システム」を構成する各国の「システム人」の間にも、国(共同体)によって「不倫」を捉える見方というか「文化」が異なるのである。自身の不倫騒動でマスコミを賑わかした男が、いみじくも「不倫は文化だ」と語ったことを思い出す。至極、名言なり。煎じ詰めれば、不倫問題は各々の家庭とその各構成員たる諸個人の文化の問題であり、お互いの文化を尊重すべきだということになる。

そうした点を踏まえるとき、日本の社会は、そうした過程の文化の問題に、マスコミの権力を借りて、「世論」をたきつけて、不当に家庭の文化にまで介入しているのではあるまいか。そうして各家庭の文化を、またそれらの家庭の構成員である各個人の文化を、破壊して、それこそ日本の社会の権力の総元締めである国家権力のもとに、従順たる様に飼い馴らしているのだ。

私たちが本来非難・批判すべき「不倫問題」は、「立法・行政・司法の各従事(担当)者」と「権力」の両者の関係ではなかろうか。フランス国民は、常に権力を批判し、ことあるごとにデモを行い、権力を牽制することを忘れない。ところが日本はどうだろう。いつも肝心な時に、マスコミは政治権力と向き合い戦うことを避けて、その代わりのスケープゴートを拾い上げて、国民の目を政争からそらそうとするのだから。

権力集団(「権力ブロック」)の「権力」との不倫関係は、それこそ取り上げれば尽きない話だが、森友、加計問題をはじめ、さらには今回の学術会議問題と、どうにもならないお粗末さではあるまいか。この不倫問題を先の文化云々の話で取り換えることはできない。

さらに言えば、私たちは差別と排除の関係を前提とした「システム」の中で生きている「システム人」である以上、私たちがエラソウに互いを批判非難できるような「倫理」を、そもそも持ち合わせてはいないという自覚・次回が大切な心構えではあるまいか。「不倫」をことさら矮小化させて、その不倫を問い質せる倫理の土俵に目を向けないのは、私たちの怠慢ではなかろうか。丁度いまは大相撲がテレビ中継されている。毎回の相撲の取り組みが終わる度に、土俵が清められるのをみるとき、私たちの社会の土俵を、私たちも清めることが大事だと痛感するのだ。私にとって社会の土俵とは、〈「システム」とその関係の歩み〉となるのだが、それをどのような手段で清められるのかが、私の日々の問題となっている。

(最後に一言)

最後になったが、ここで「不倫」の意味をを辞書で調べてみよう。「goo辞書」によると、以下のように紹介されている。

[名・形動](スル)道徳にはずれること。特に、配偶者以外と肉体関係をもつこと。また、そのさま。「不倫な関係」「不倫の末路

ここで紹介した意味で、私が注目しているのは、「「道徳にはずれること」である。いろいろと辞書を調べて思ったのは、この最初の「道徳にはずれること」が、最初から「はずれている」紹介が多いことであった。辞書と限定しないで、ネット検索すると、ほとんどが男女間の問題を取り上げていた。先ずは、何より、「道徳」というか「倫理」に照らしたときに「不」であるということを、俎上に載せるべきではあるまいか。

私たちは、私たちの社会が「道徳にはずれていること」(たとえ、道徳なるものの意味や感じ方が私たちの間において、どれほどズレていたとしても)を重々承知しているものだから、それを語ることを避けたいのだろう。だから、いきなり男女間の問題へと矮小化したいのだ。とくにメディア関係者はそうだろう。その理由は先の政治と権力の関係を、道徳にはずれているという観点から取り上げるとき、その批判の矢が自らに突き刺さることを知っているからだ。

私たちは、自らの不倫問題を、すなわち「道徳から外れていること」を棚に上げて、エラソウにお互いを糾弾しあっている。そんな時に、それでは、私たちが(人の道に)「はずれない道徳」、これはすなわち「人倫」の問題と重なるだろうが、そうした「生き方」を考えようとするとき、はたして今の私たちに、そんなたいそうなことができるのだろうか、と真面目な人ほど躊躇するに違いない。

そんなしんどい疲れることなどやめて、「不倫」問題を、先の辞書の後者の意味にもっぱら限定した方が楽だというように済ませているのではあるまいか。そんな調子だから、とくに日本ではメディアを使った政治権力に付け込まれてしまい、辞書にある後者の意味から前者の意味にまで立ち戻ることができなくなるのではあるまいか。

私は思うのだ。この辞書の前者の意味をないがしろにしたままで、その前社と関連付けられないままに後者の意味だけで、不倫問題を取り上げることに終始するならば、ますます私たちの社会の道徳を見直す機会はなくなるだろうし、私の見る限り、もはやそんな道徳などどうでもいいような風潮が蔓延しているのではあるまいか。それもそうであろう。「金の成る木」の「システム」を担い支える「システム人」だから。とは言ったとしても、それで開き直ることはやはり「道徳にはずれること」ではないのか、と私のような世間一般の道徳から外れまくっている者が言うと、なんだかおかしい。

難しい、とにかく「人」の生きる「道」であるとか、「道徳」とか。私自身、私が語るような「システム」論とそのモデルを手にするまでは何とか考えられたかもしれないが、今の私には、相当に厄介なのだ。それでも何とかして「システム」の「外」なり「横」で「システム」が提供するのとは異なる「共同体」をつくることが、その営みこそが、たとえそれが夢の段階で終わろうとも、そうしたもがき・ぼやき自体が私の考える「道徳にはずれないこと」なのかもしれない。(続)

 

 

 


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私の語る「システム」論について、その紹介とモデルの説明(続)

2020-11-17 | 日記

 

私の語る「システム」論について、その紹介とモデルの説明(続)

(最初に一言)

前回の続きとして、私自身の「おさらい・再確認」にお付き合いお願いしたい。基本的にはいつも、「同じ話」となってしまうのだが、もっとも、それが一番大事なことだと、私自身は考えている。昨日、今日、そして5、6年先の話ではなく、2050年以降においても適用・応用できる「システム」論とそのモデルだと理解しているからに他ならない。、

読者は、次から次へと目まぐるしく変わる情報が提供される日々の生活の中で、自分たちがいまセカイ・世界の歩みのどの地点で生きているかの確認を、その理解の程度がどのレベルなのかは別にしても、積極的、消極的あるいは無意識の中でおこなっていると思われるので、大局的な流れを掴み取れる「羅針盤」が必要となるだろう。

私はいつも思う。もし日本を含めた世界中の人々がこの羅針盤を持てるならば、どれほど素晴らしい、つまりは平凡で穏やかな生き方ができるだろうか、と。その羅針盤とは、またまたエラソウな、不遜な物言いで申し訳ないのだが、私の語る「システム」論とそのモデルのことである。勿論、だからこそなのだが、私の語る「システム」とその関係の歩みは、そうはさせないように、これでもかと、いつしかこちらが向き合い戦う体力も気力もなくなるほどに、「攻勢」をかけてくるのだ。

「攻勢をかける」仕方は、それこそ多種多様で、数えきれない。私たちがこの世に生を受けたセカイ・世界は、もう既に私の語るあの差別と排除の関係を前提とした覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの「三つ」の下位システムから成る「一つ」の「システム」が出来上がっている。その形成と発展とその変容の歩みの中で私たちは生きてきたし、生きているし、また生きざるを得ないのだから、もうそれだけでも「アップアップ」の状態なのだ。

ここで私が言う「私たち」とは、その中にトランプ、バイデン、習近平、菅首相等々も含まれている。彼らもまさにアップアップの状態に放り込まれている。ただし、彼らは、そうした中で、私の語る「システム」とその関係の歩み(すなわち、それは{[B]→(×)[C]→×[A]}〈省略形、共時態型モデル〉で描かれるセカイ・世界)を、今後さらに推進、強化し強固なものとさせる役割を担っているのである。

それに対して、私の念頭においている「私たち」は、私もそこに含めているのだが、何とかして、その「システム」とその関係の歩みに対して、その歩みを少しでも遅らせながら、できるならば、現状とは異なる誰もが「各人の能力に応じて、また各人の必要に応じて」、「システム」の中で生きざるを得ない人々を、憐れみ、慈しみ、敬い、そして分かち合う、そうした「共同体」へと国家を移し替えようと、日々の生活に埋没しながらも、その志を忘れずに、もがきながらも前をひたすら向いて歩んでいる者たちである。

このように語った瞬間に、(私を含む)そうした人々をあざ笑うかのように、それこそ「真逆」の情報に包まれた社会が「出現」している。国内では、原発再稼働に向けての動きが、何か拍子抜けるような形で進んでいる。もう「フクシマ」は忘れてしまったのか。原発事故当初からのマスコミの情報操作はすさまじく、そこに駆り出された大学や研究機関の研究者も多数存在していたし、何よりも当時の民主党政権下の菅首相と枝野幹事長の腰砕けというか、最初からそうだったように、「原発マフィア」勢力に奉仕する存在だったことが明らかとされた。

自公連合政権勢力も、それは同様な話であり、戦後日本の再出発には、覇権国の米国とその傘下にあるCIAや核開発を推進する軍事・軍需推進産業勢力の中に、日本の政治集団は包摂されることとなったのだ。それを思想的、学問的に支えたのが、日本国憲法の成立を巡り、平和憲法は、そしてそれを中核とした「戦後民主主義」は、日本と米国GHQとの間の「合作」だった云々の見解であった。

これをもう少し違うニュアンスで語ったのが、戦後間もない時の「たとえ押し付けられたにせよ、人権や平和を擁護する憲法は素晴らしい者であり、我々は押し付けられたとは思っていない、押し付けられたのは当時の為政者で会った云々の主張である。

ところで、「合作」とは一体何を物語っていたのだろうか。その表現でもって語られていたのは、覇権国の米国が頂点となって継承・発展させている覇権システムを擁護することではなかったろうか。「パクス・アメリカーナ」の「パクスス(平和)」と日本国憲法第9条が体現している「平和」が、まさに「合作」ならぬ「同一」であることを、見事に示していたのではあるまいか。

ところが、こうした「合作」報道を紹介した「朝日新聞」とそこに「動員」された一橋大学教授の研究者の見方は、米国からの一方的圧力の下で日本国憲法が誕生したわけではなく、そこには日本側からの積極的関与が形となって表れていたのであることを鑑みれば、、いわば両国の相互協力関係(それがいわゆる「合作」とされた)の下に作られた云々の話となっていた。

これもまた、「民主主義」に関する学問・研究に垣間見られる「腰砕け」ではあるまいか。軍事利用に転用される、いやそれ自体が目的の核開発とそれを「平和」利用という名で支える原発推進に象徴される「力」と「力」の暴力関係を前提とした覇権システムの問題が不問に付されたままで、換言すれば、「水」と「油」の関係としたままで両者の関係を問うことなく先の平和憲法の「合作」話なのだから、これほど「私たち」をバカにしたものはあるまいか。

ところがなのだ。当の「私たち」がそれに気が付かない、それどころか、逆にそうした話をありがたがって、吹聴する始末だから、どうにもならないだろう。そうした学者の見解を、それこそ野党の「革新・左翼」勢力が、我が意を得たりとばかりに、力説しまくるから、国会の幼稚化、痴呆化は止まらなくなる。

それに対抗すべき自民党に代表される「保守・右翼」勢力が何ら役に立たない。それはそうだろう。吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、そして田中角栄、中曽根康弘といった歴代首相が皆そろって、米国主導の覇権システムに加担し、さらにご機嫌取り宜しく米国の肩代わりを積極的にする始末で、肝心の「日本」民族に関する思想(哲学)を深める努力を怠ってきたからである。

もしそれができていれば、日本の戦争犯罪と戦後補償や戦争犯罪の問題に対して、そして何よりも「戦争と平和」に関する歴史教育において、戦争「被害国」のアジア諸国とその国民に対して、また戦争「勝利国」の欧米諸国とその国民に対して、毅然たる態度を示すことができたはずではあるまいか。ただし、これまたそれを吐いた瞬間に、すぐさま聞こえてくるのは、それをさせない「力」が圧倒的であり、歴代日本の首相は、そうした力に逆らっては生きられなかったし、そもそも彼らが総理の座につけたのは、背後にある米国の「力」が圧倒的に大きかったからだということである。

それにしてもなのだが、今の学術会議問題で俎上に載せられている文系の研究者の研究に依拠して、今後の展望を考えるとき、はたして彼らの「高度な学識」でもって、どれほど有効な対策なり対応ができるだろうか、と自問自答するとき、私の答えは明快である。それは決してできないということだ。無論、当該研究者に非はない。

私は学術問題を、政府の対応とそれに対する会議側との「紛糾」問題にはさして関心がない。既得権益を有する集団だということを自戒しない研究者が語る声は虚しく響くだけだから。しかも中国を始めとした新興諸国に税金で支えられた理科系の研究者の情報、これは「知的財産権」の保護。保障といった問題を含むのだろうが、何らかのルートを介して流れているとしたら、それはどのような問題(罪)となるのだろうか。

またそれ以上に、菅政権も安倍前政権の森友・加計問題を引きずり、今回の破廉恥極まる対応だから、これも当然ながら許しがたいことだとは、理解しているのだが、問題はそんなところにはないのだ。会議問題をわざわざこの時期に設定して、国会で審議されるべきより重要な法案が全く国民にも伝えられないままに通過しようとしている。これこそ与党と野党の談合であり、そこにマスコミも加わっているのだ。原発問題と同様に、巨大な世界的な多国籍企業の権力と向き合えない、最初から戦えないのである。製薬や軍事・兵器関連企業と協力・連携した農業関係の多国籍企業が、非常な勢いで日本社会と日本農業を「侵食」し席巻し破壊している。

そうした流れに、今や誰も対抗できないあり様である。いやむしろ、こちら側から進んでその流れに乗って、正確に言うと、乗せられているのだが、相手側の要求を受け入れ、迎合している。何か明治維新の始まりの時期と、また戦後日本の再出発機と酷似している。会議メンバーといわば表裏一体的関係に置かれている野党の現状を少しだけでも観察すればわかるというものだ。社会党は、社民党は今どのような姿をしているか。日本共産党はどうだろうか。まったくと言っていいほどに、「明日」が見えない、見えるような状態にはないのだ。彼らにももはや「私たち」を救い出せる哲学・思想が見当たらない。

それこそ「ずっと嘘だったんだぜ」の文句ではないが、そうだったんだぜ、となるのだ。こんな状況、状態を打破することは、それほど簡単なことではないし、もう絶望的というしかあるまい。だからこそ私は伝えたいのだ。「断捨離」だ。従来の政治勢力、それを支えた哲学・思想を断捨離すべきなのだ。こうした問題を考える際にも、手前味噌ながら、私の語る「システム」論とそのモデルは有益なのだ。(続)

(最後に一言)

今回は、「最初に一言)で終わってしまった。それもまだまだ言い足りないのだが。付言すれば、この最後での私の「断・捨・離」の主張も、勿論それほどたやすいものではないし、これも不可能に近いことは断るまでもないのだが、最低限、そうした意識というか心がけだけは忘れずにいたいものである。

 


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私の語る「システム」論について、その紹介とモデルの説明

2020-11-16 | 日記

私の語る「システム」論について、その紹介とモデルの説明


(最初に一言)

久しぶりに、上記のタイトルにあるように、自分のモデルに関して、少し「おさらい・再確認」してみたくなったので、今回は「システム」とそのモデルに関して紹介、説明することにした次第。既にお分かりの読者も今一度私にお付き合いお願いしたい。


それでは早速、取り掛かるとしよう。

いま振り返ると不思議なことだが、1990年の最初の拙著『イギリス病の政治学』の中に、2014年の拙著『21世紀の「日本」「日本人」と普遍主義」』につながる思考の要素が既に詰まっていたように思われる。

私の素朴な疑問は、なぜ素晴らしいとされる「普遍的人権」や「普遍主義」を標榜・喧伝するいわゆる「市民革命」の母国である英国、米国、仏国が、対外的に侵略を繰り返し、多くの植民地や従属地を所有する中で、自ら「帝国」とか「覇権国」となるような歩みを辿ったのか、という「問題」であった。

大学院時代に、出会う人すべてにこの疑問を投げかけたのだが、腑に落ちる明確な答えを与えてくれた人はいなかった。世間から注目された「エライ」研究者という人たちは、いつもきまって私にこたえてくれたものだ。そもそも「自由」とか「民主主義」とか「人権」という問題と、「植民地主義」とか「帝国主義」の問題は、その「次元」が異なるのであり、「両者の関係」云々の問題は少し次元を異にしている、つまりは「水」と「油」の関係だから、両者の「関係」云々と言うその設問自体が「ナンセンス」であるかのような返答だったと記憶している。

そこから読み取れる内容を簡単に言えば、どんなに素晴らしい者であれ、時として悪いことをすることもあるかもしれないが、それはたまたまというか、例外的・偶然的な事象であるということであり、それゆえ両者の間には必然的な関係は見出されない、と言うことなのだ。あるいは、そうした関係を、歴史における「明(正)」と「暗(負)」という具合に位置づけ、それ以上は両者の関係については問わないといった態度なのである。

本当にそうなのだろうか。そんなに簡単に片づけてしまっていいのだろうか。私は要領が悪いというか、頭が悪いというか、そんなに簡単に了解できなかったのだ。一旦、このような思考に陥ると、次から次に「おかしい」としか思われない問題の連続となり、そこから「落ちこぼれ」状態となってしまった。

ただし、そうは言っても、「カメレオン的生き方」を忘れない私だから、心底落ちこぼれることはなかったので、いくつかの「論文」をものにできたし、大学にも職を得ることができたのは「ラッキー」以外の何物でもなかった。それこそ「運」だけなのだ。人生というのは、誰に出会うのか、どんな人間関係に加われるかで、ほとんどすべてが決まってくる、と私は今だからこそ、それがよくわかるのだ。

少し脱線したので、もう少し脱線ついでに言えば、そうした運に欠かせないのは、当人の「性格」であり、その性格には当人と親の関係が大きく影響するということである。親の性格を否が応でも子供は受けることから、素直な親と頑固な融通の利かない親であれば、後者の親のもとに育った子供は、大学院の指導教官とあまり良好な関係を気づけな
いことになる可能性は高くなる。それだけではない。他の院生や、他の大学関係者、他大学の先生、院生との関係もよくないというか、うまく人間関係を大きく広げていくことは不得手であるかもしれない。

すべて世間は「引き」のもとに回っているから、惹かれない者は、その当人の能力が何であれ、それで終わってしまうのが常なのだ。もっとも、それがわかれば、そこから先はそうした世間に怒ることもあるまい。すべて性格のせいだから、あきらめることだ。そうすれば、ひょっとして、また別の素晴らしい人生が待ち受けているかもしれない。上を見ればきりがないし、下を見てもそうだから、今を素直に受け入れるしかないのだ。こんなエラそうなことを言う私も、それが了解できたのは、大学を退職した後だから、笑うしかない。

私は人間関係が下手であった。うまくやれないのはよくわかる。偉そうなのだ。別にそうしているわけでもないが、とにかく頭を下げることがしたくないから、人と関わりたくなくなるのだ。誤解のないように。こんな私でも、頭を下げる、下げたくなる人はいるから、そんなときは素直にそうする。しかし、実際にはそれほど学問的に偉くはないのに、それにもかかわらず、多くの者がヘコヘコ、ペコペコしている、そんな人間には頭を下げたりはしない。勿論、だから駄目なのだ。そんな連中だから力があり、引く力もあるのだから。

もうどうでもいいことだが、それでも時々少し腹が立つのは確かであり、それも仕方がない。性格だから、親の性格を受け継いだのだから。しかし、今は亡き両親には感謝している。その親の性格によって、私は今もああだこうだと、先の両者の関係について考え続けることができたのだから。これ以上に幸せなことがあるだろうか。90%近くは納得しているのだが、問題は後の%。それでもほとんど満足というように、今は自分自身をそのように思わせている。

これ以上の贅沢を望んではいけないのだ。周りには、それこそ、たとえ能力があっても、ほとんど正当な評価もされないで消えていく人がゴマントいるではないか。現実はいつもそうなのだから。ただし、そうした人たちの性格は想像できると言えば、傲慢な物言いだろうか。

それでは、先の問題に戻ろう。私のブログ記事でもしつこいほどに論述してきたように、誰もこの両者の関係を、それこそ「関係」づけて論じた者はいないのである。その理由はすぐに分かるだろう。「自由の女神」の「自由」がアメリカ・インディアンの追放・虐殺と「関係」することがわかれば、誰もそんな「自由」など手にはしたくないだろうから。

もっとも、現実には少し違うようだ。仮にそうだとしても、そんなことを考える暇な人間は大学かその他の研究機関の関係者に任せておけばいいことだし、そんなこといくら考えたとしても、今を生きている自分の生活を守ることにも、糧にもならないのだから、とそんな声が聞こえてきそうである。

残念ながら、大学や研究機関に、こうした問題を真面目に捉えて究明しようとする者は見当たらない。「岩波新書」の『昭和史』(青版)にある「あの戦争」を巡る「三つの性格」が意味しているように、それぞれ個々バラバラに、それこそ「水」と「油」の性格として位置付け語られていた内容が、この21世紀においてもいまだ何ら問われることなく、大手を振ってまかり通っているのであるから、私には憤懣やるかたない問題とならざるを得ない。これに関しては拙著や拙論、またこのブログ記事でも述べているところだ。付言すれば、この『昭和史』を批判的に論評した亀井勝一郎も、こうした関係に関する問題は素通りしたままであった。

さらに、私にはそんなややこしい問題は、ただ腹がへるばかりで、一銭の儲けにもならないから、まったく役に立たない、と嘯(うそぶ)いていた先のあなたにも、実は本当はそれこそ死活問題としてかかわる話だということに、気が付いてもらわないと私は困るのだ。ところが、研究者はもとより、メディア関係者も、こうした問題に向き合おうとはしないから、どうにもならないのである。

格差社会の問題を、それこそハーバード大学の研究者や有名なジャーナリストが取り上げ、それをメディアで特集番組として、それこそ大々的に報道していたのだが、私は驚いたものだ。理由は簡単だ。ほとんどの者が、真面目に「民主主義を取り戻せ」、「ニューディール期のアメリカの黄金時代に戻ろう」云々の話ばかりで、それこそタマゲタと言うか、もう絶句なのだ。トマス・ピケティやあのネグリとハートも民主主義を取り戻せの主張だから、「システム」は笑うしかないだろう。

私は思うのだ。その「民主主義」を取り戻せとか、アメリカの「黄金時代」である1950,60年代に戻ろうといった瞬間に、それこそ素朴な疑問なり質問が起こらないのだろうか、と。そもそも取り戻そうとしている民主主義はどのようにして実現できたのか。世界を見渡すとき、その取り戻そうとしている民主主義を、まったく手に入れることなどできない諸地域や人々が存在していることを、私たちはテレビの映像をとおして見つけることができるのだが、そもそもそうした諸地域やそこに暮らす人々が民主主義を実現できないのは、どうしてなのか、と考えるに違いない。

その理由として、彼らの「教育」に問題があるという人がいるのだが、考えないでもわかるのは、彼らは住む家もない、水もない、そんな彼らに教育など無理だろう。私たちが当然としている共同社会なり国家さえつくられていない。彼らは取り戻さなければならないと叫ぶ諸国が宗主国であったところの植民地や従属地の状態に、それこそ気の遠くなるほどの期間、据え置かれていたのである。

その宗主国の民主主義社会の教育は、どうして途上国地域やそこに住む人々の独立や人権を尊重するそれではなかったのだろうか。そうした教育に支えられた民主主義だったからこそ、ある時期にそれを失うこととなったのではあるまいか。そうした関係性を問わないままに、すぐさま、やれネオ・コンだ、新自由主義のせいだとするのはいかがなものだろうか。勿論、それも原因の一つには違いないかもしれないが、取り戻そうとしている民主主義とその実現の歩みの中に、さらなる大きな原因があったのではないか、と問うことも大事ではあるまいか。

すなわち、取り戻そうとしている民主主義と、その民主主義を標榜していたかつての宗主国と、その民主主義の旗の下に侵略・蹂躙されてしまい植民地や従属地に置かれていた諸地域とそこに生きる人々の関係に関しての考察である。すなわち、自由や民主主義と植民地や従属地に象徴される帝国主義との関係である。さらに、そこにはナショナリズム(つまりは主権国家や国民国家)の関係が組み込まれてくるであろう。

アメリカの黄金時代には、分厚い中間層が生み出され、彼らを中心としてアメリカの民主主義の発展はその「高度化」を見た。そのアメリカを始めとした豊かな先進国が出現した時代は、同時にまた「南北関係」が深化した時期と重なっていた。ヨハン・ガルッゥングの説いた「構造的暴力」は、まさにこの南北関係をさしている。それは経済発展の、換言すれば、「衣食足りて」の営為に該当するが、つまりは世界資本主義システにおける豊かな「北」と貧しい「南」の「格差」を問い質す見解であった。そこには、世界資本主義システムにおける「北」と「南」の関係を個々別々にみるのではなく、両者の相互の「一体的」関係を捉える目が垣間見られた。

それでは、こうした世界資本主義システムにみられた構造的暴力の関係は、民主主義の発展には、換言すれば、「礼節を知る」営為に該当するが、つまりは世界民主主義システムにおける「北」と「南」の関係における「格差」ということになろうが、これに関してはどうなのだろうか。

私は、民主主義の発展の関係にも、こうした構造的暴力関係が存在しているとみている。民主主義の発展を、つまりはその「礼節」をわかりやすく言えば、そこには、自由や市民的権利・人権が含まれている。そうした自由なり市民的権利・人権は、「北」と「南」の間で「格差」が存在しており、その「北」と「南」の両者の間には、自由や市民的人権・権利の「格差」が、相互に「一体的」関係として形成されていたと考えている。

こうした「北」と「南」における経済的発展と民主主義の発展の次元における「格差」は、さらに、単に「北」と「南」の個々の格差関係のみならず、両者の、すなわち「衣食足りて」の営為と「礼節を知る」営為の相互の「一体的」関係を(それは「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係として表現される)を構成する、と私は理解している。

こうした観点に立つとき、アメリカの民主主義の黄金時代と、つまりは先進諸国の第2次世界大戦後の2,30年間における民主主義の黄金時代と、同時期の「南」の貧しい飢えに直面した貧困状態との間にはどのような関係が見いだされたのだろうか。そこには両者の「一体的」関係がつくり出されていたのだろうか。

こうした問いにこたえるためには、何よりも私が拙著や拙論で展開してきた「システムとその関係の歩みに関する「モデル」が必要となるのではあるまいか。つまり、「民主主義の発展」と、「構造的暴力」(私はその用語に替えて「構造的圧力」として論じているが、ここではあまりその理由については触れないでおこう。)、つまるところそれは「帝国主義」となろうが、これらの関係を問い質すモデルが必要となるのである。

ところが、これまた驚くべきことに、私たちは、この両者を「水」と「油」の問題として神棚に祀り上げたままであったから、どうにもならない。最初から行き詰ってしまうのだ。誰もそんな問題を考えないままで今日にまで至ったから、当然のことだと言えばそれまでだが、やはりお粗末すぎないだろうか。

両者の関係を「水」と「油」としてとらえる代わりに、2,3歩譲って、「水と油」の関係として「仮定」して新たにこの問題に取り組んでみたらいいのである。その時、どうすれば、少しでも満足のいくような解党が見いだされるのか、そのためのモデルをどのように作ればいいのか、そうした問いに向き合うはずである。そうなって初めて、私の苦労も理解できるだろう、と私はひそかに思うのだ。「仮定」として取り組んでほしいと切に祈る。

その際に重要なことは、まずは「あらゆるものを疑え」ということなのだ。そう言った瞬間、すぐさまわかるのではあるまいか。「自由」や「民主主義」や「人権」などを疑うことなどできないということが。私が言いたいのは、それらを「否定」白ということなどではない。それらをもし大切だと考えるのならば、それらがどのような「関係」の中で実現され、獲得されたかに関して、徹底的な分析が求められてしかるべきだということなのだ。

こうした作業を経たその先に、上で述べた「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知る営為)」における「北」と「南」の「格差」関係に存在する「一体的」関係が、いつしか転換・変容せざるを得なくなることに気が付くはずである。そうした作業の中で、覇権国を頂点とする「力」と「力」の暴力関係から構成される覇権システムの存在に出会うこととなり、そこでさらなる失意のどん底に陥ることは必至となるに違いない。

そうした思いを経験した後で、これまでとは異なる「理解」というか「苦い味わい」の仕方を身をもって体験するに違いない。「帝国主義」の意味は、ただ単に経済的資本主義の「進化」において見出される、そのような薄っぺらい、皮相的な現象ではなく、「私」自身の存在が、また「私」と「あなた」と「私たち」の関係それ自体が、まさにその象徴だということに、今さらながらの思いの中で、嫌というほどに打ちのめされるだろう。(続)

(最後に一言)

「システム」の「外」というか「横」の「共同体」の在り方を考えるのは、少しだけそのまねごとみたいな、真似事にもならない経験をしたので、やはり正直、私には書けそうもない。そんな思いが今なお、残存しているせいか、前回の米中関係に関する記事にやはり何かしら思いが残り、今回また、このような話となった次第である。次の記事で、おおよその「おさらい」ができると考えている。今回かきながら、同じような話をしているのだが、伝え方が以前とは「少しだけ」、あるいは「大いに」違っていることに、我ながら感じるのが、何よりの楽しみである。勿論、世の中はすさまじく厳しさを増していることは自覚し自戒すべきだが。

 


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