私の語る「システム」論から、改めて「民主主義」(論)について論じるときーこれまで誰もそれについてまともな議論をするのを避けてきた。私たちが護ってきた民主主義なるものは、差別と排除の関係を前提として
私の語る「システム」論から、改めて「民主主義」(論)について論じるときーこれまで誰もそれについてまともな議論をするのを避けてきた。私たちが護ってきた民主主義なるものは、差別と排除の関係を前提として初めて実現される、その意味では、決して指示できるものではないのに、それにもかかわらず、世界の知識人、ジャーナリストをはじめ、多くの人々がそれを礼賛し続けてきたのは、彼らが誰かの利益に奉仕するように、「マインドコントロール」されてきたからなのだ。
(最初に一言)の前に「少し長い前置き」
今回記事をまとめるに際して、行論の都合上、またまたここでも、前回記事(2022,6,22)〈「一(国)枠」のナショナリズムを当然のこととして受容してきた日本と日本人である限り、戦争を拒否するのは容易ではない。一枠のナショナリズムをつくり出してきた関係枠としての「システム」のナショナリズムの中で生きてきた「システム人」としての確認と自覚ができれば、愛国(民)的ナショナリズムの包含する算術・打算的な戦争に、それほど簡単には巻き込まれることもない?ー私の語る「システム」論から、改めて「歴史叙述の〈神話〉」について考えるときーたとえば、自由主義、民主主義、民族主義、「公」と「私」等々に関する〈神話〉を事例として見た場合(7)〉のある個所を引用貼り付けておく。
読者には申し訳ないのだが、私がこの世からいなくなった後も、是非ともこの個所を忘れないでほしいという意味で、繰り返しを恐れないで、ここに貼り付けた次第。勿論、読み飛ばしても構わない。今の私は何かわけのわからないほどに、体調が思わしくない。おそらくこれは、何か老人性に特徴的な体の変化により引き起こされているのかもしれない。そんな事情で、今は相当に弱気になっているので、先のような物言いとなった次第。もし100歳まで生きながらえるようなことになるときは、どうかご容赦あれ!
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(引用張り付け、始め)
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ここで、福沢諭吉の『文明論之概略』の中の「製物の国」と「産物の国」についてのくだりを思い起こしてほしい。同様に、竹山道雄の「ハイド氏の裁判」で語られている「文明の世界では善良な様相のジーキル博士であるのに対して、「野蛮な世界では醜悪凶悪な様相のハイド」と変貌してしまう云々のくだりを思い出してほしい。私の目の都合で、正確な著作からの引用ができないことを断っておきたい。
福沢の「製物の国」と「産物の国」の比較と関係でもって示されているのは、まさに世界資本主義の特徴であり、それが的確に描かれているところに注目したい。それに対して、竹山による「ジーキル」と「ハイド」の比較と関係は、世界民主主義システムの特徴を見事に言い表している。その意味において、両著作は相互に補完的内容を構成しているとみていい。
そこで論じられているのは、どんな国も彼らが思い念じれば容易に、製物の国となり、同時にまた文明の世界のジーキルと成り得るのではなく、むしろ多くの国と国民は、産物の国に暮らす野蛮なハイドとして生きざるを得なかったということなのだが、その最たる原因となったものこそが、私の「システム」論で論及されている、関係枠としてのナショナリズムとして位置づけ理解される覇権システムであったということである。以下において、これらに関してもう少し詳しく述べてみよう。
たとえば、前回記事で触れていた日本の明治維新以降の一枠的観点から描かれるナショナリズムというか国造りは、当時の覇権国であった英国を中心としてつくられてきたA、B、Cから構成される覇権システムによって、その大枠は決められていたとみて誤りではない。
19世紀から20世紀初頭における覇権システムをA、B、Cグループに位置した諸国の一枠的ナショナリズムで簡単に図式して示すならば、次のようになる。
*{[A]→(×)[B]→×[C]」ーーー①
この図式の一番外側の記号{ }で示されるのが覇権システムである。その中に位置する[A]は一枠的ナショナリズムを示している。ここでのAは、Aグループとして複数の国を含んでいるが、わかりやすくするために、グループ全体をAとして示している。次の[B]の一枠的ナショナリズムは、Aほどには強固な基盤を持ち得ないとの意味を持たせるために、(×)をその前につけている。さらに、そのBよりも弱い基盤しか持てないCの一枠的ナショナリズムを示すために、その前に×の記号を付けている。
この①の図式で描かれているのは、諸共同体間における自己決定権の獲得と実現のための力と力のぶつかり合いを介した争奪戦を繰り返す中でつくり出された結果としての諸国家間に見いだされる「親分ー子分」関係である。その関係は、一枠的ナショナリズムを基本的単位としながら、それが全体としての諸国家間の関係としてつくられた際には、関係枠の総体としてのナショナリズムとなって示されるということである。それが①のナショナリズムの関係として描かれたものであり、そのナショナリズムを一枠的なそれと区別するために、私はここでは覇権システムとして位置づけている。
先の①の覇権システムの中に、明治維新以降の日本が開国を契機として、無理やり組み込まれていくのだから、後は、少しでもCの中でもできるだけ上に、できるものならばCよりはBへ、またBよりはAへと上昇することを至上命題としたんのは、それこそ理屈ではない。まさに「僕(日本)が僕(日本)であるために勝ち続けなきゃならない」であったということである。
その日本が上昇するためには、富国強兵ではないが、先ずは①の中で、日本の一枠的ナショナリズムを首尾よく実現しなければならないということであった。ここで問題となったのは、どうやれば、日本という国家建設ができるのかということである。それこそ、福沢の文明論ではないが、当時の文明の階梯があり、それによれば、文明ー半開ー野蛮という関係がつくられていて、その階梯をモデルとして歩むことが理想とされた。
だが、ここで厄介な問題に直面することになる。先に私が示した①の覇権システムにおける親分たちは子分との関係の中で、親分たちに有利なように、それこそ「衣食足りて礼節を知る」営為の関係のネットワークをつくり上げていたのである。先ず親分たちは子分との関係の中で、次の図式で示される豊かさを手に入れるための関係をつくり上げていた。
それが次の②の図式で示される関係である。すなわち、
*{[Aの経済発展]→(×[Bの経済発展]→×[Cの経済発展]}-②
の関係で示される世界資本主義システムである。この場合も①の覇権システムと同様に、できればCよりは、B、へ、そしてBよりはAへと上昇できれば、日本にとってはありがたいのはやまやまであったのだが、既にAに位置していた諸国はそれほど好意的ではなく、同様に、B、やCに位置していた諸国や共同体も、好意的ではなかった。
その理由は、この世界資本主義システムの関係は、覇権システムの「親分ー子分」関係を前提としてつくられていた差別と排除の関係であり、それゆえ、力の獲得をいずれの国家も最優先目標としていたことから、その力の獲得という面において、利用できない共同体は差別され排除され、その多くはCの植民地や従属地のままに据え置かれてしまい、世界資本主義システムにおいても、Cの経済発展の特徴である産物の国として、AやBの上位グループの製物の国の下請けを引き受ける役割を担わざるを得なかったのだ。
それゆえ、日本の明治以降の経済発展は、この①②の覇権システムと世界資本主義システムの下でつくり出されてきた「制約」を受容しながら、それこそ死に物狂いで、余裕のない発展とならざるを得なかったのは言うまでもなかろう。そんな日本と日本人によって、さらに劣悪な境遇へと貶められた他の共同体のナショナリズムの歩みがどのような悲惨な道をたどったかは、押して導氏であろう。
このような日本の覇権システムにおける位置とそれを前提とした経済発展との関係において、日本の民主主義の発展は世界民主主義システムとの関係において、さらに厳しい現実の前にさらされていたのである。ここで、その世界民主主義システムを図式して示すとき、それは、
*{[Aの民主主義の発展]→(×)[Bの民主主義の発展]→×[Cの民主主義の発展]}ーーー③
となる。ここでも注意すべきは、このシステムの前提となっているのは、世界資本主義システムと同様に、差別と排除の関係を基にしてつくられてきた覇権システムであったということである。
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(以上、引用貼り付け、終わり)
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この引用貼り付けた部分から、さらに下記のように、以下のくだりを抜き出している。すなわち、ーーーそれは、
*{[Aの民主主義の発展]→(×)[Bの民主主義の発展]→×[Cの民主主義の発展]}ーーー③
となる。ここでも注意すべきは、このシステムの前提となっているのは、世界資本主義システムと同様に、差別と排除の関係を基にしてつくられてきた覇権システムであったということである。ーーー
上述した引用部分から、さらに以下の箇所を引用貼り付けているが、その中の、
〈*{[Aの民主主義の発展]→(×)[Bの民主主義の発展]→×[Cの民主主義の発展]}ーーー③〉
の箇所に注目してほしいのである。私がこれまで訴え続けてきたのは、私たちが礼賛してやまない民主主義は、この③の図式を前提としてつくられてきたものであるということである。その際、ここでは民主主義を、その構成要素である、「市民的人権」に置き換えて使っていることを、最初に断っておきたい。
③で描いた関係は、いわゆる大航海時代から1970年代に至るまでの国際関係における先進国、中進国、後進国の「民主主義の発展(市民的人権)」における関係を描いたものだが、その関係は国内の人間集団の関係にも該当している、と私はみている。すなわち、上流層、中流層、下流層における民主主義の発展(市民的人権)の関係として、描かれる。
私たちは、こうした関係を前提として手にできる民主主義を、すなわちシムン的人権を、当然のことのように礼賛してきたのだが、それはとりもなおさず、私たちが差別と排除の関係を認めてきたということに他ならないのではあるまいか。そうした差別や排除の関係から構成される民主主義・人権を、知識人やジャーナリストをはじめ、多くの人々は、は何の疑問も呈することなく、これまで支持・礼賛してきたのだ。
オカシイと言えば、本当におかしすぎる話である、と私はみている。それゆえ、これまで私は民主主義の抱えてきた差別と排除の関係を、これでもかというほどに問い続けてきたのである。いわゆる古代ギリシャのアテネのの民主主義も、近代の市民革命時の民主主義も、等しく③の図式が該当する関係を前提として実現される民主主義であったのだ。
それがどうであろう。私たちは普段の生活において、「いかなる差別も許してはならない」云々と声高に叫んでいるのだが、私からすれば、もううんざりなのだ。嘘や詭弁ばかりの民主主義についての戯言は、もういい加減にやめるべきではあるまいか。私はそのように心底、切に願っている。勿論、私の願いは虚しく響くだけなのだが。
(最後に一言)
私にははっきりとわかるのだ。世の支配者たちとそれにツルム者たちが、そうしたおかしな民主主義を、さもご立派であるかのように吹聴して回るのには、そうすることによって、彼らは何某かの、同時にまた相当な程度の、恩恵を賜れるからに他ならない。結局、彼らは差別と排除の関係に支えられた民主主義、人権を守ることを介して、覇権システム、世界資本主義システム、そして世界民主主義システムから構成される、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉を守ることに、積極的に与ることとなる。
今のこの社会で、誰も偉そうなことを本当は言えないはずなのだが、恥を当に忘れた、唾棄すべき知識人や専門家、ジャーナリストと称されるアホな連中が、テレビ局をはしごしながら、視聴者の頭を洗脳し続けているのだが、彼ら自身も「システム」のマインド・コントロールの下に置かれていることを、果たしていつ思い知るのであろうか。おそらく、「システム」の恩恵を貪ることに忙し過ぎて、そんな自覚などできないであろうが。とにかくオメデタイ連中に変わりはない。