日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「あちら」と「こちら」(13)

2017-07-24 | 社会 政治
 どうしてもまだまとめきれないことが頭に残っていたので、それだけは書き留めておきたい。

「あちら」と「こちら」(13)
 これまで私が論じてきた「衣食足りて→礼節を知る」を逆から捉えて、「礼節を知りtり→衣食足る」と見るとき、いわゆる近代市民革命の際に、世界に向かって、その普遍化を謳った普遍的人権としての礼節は、「礼節を知りて」の実現のために、私のモデルで描いたあのセカイの関係を前提としなければならなかったのである。つまり、礼節を知りての実現は、Aにおいて礼節を知りて、Bにおいて礼節を知りて・知らず、Cにおいて礼節を知らずの関係を、同時にまたAにおいて衣食足るの、Bにおいて衣食足る・足らずの、Cにおいて衣食足らずの関係を、それらの関係が共時態として成り立つ関係を必要不可欠としたのである。
 とてもじゃないが、これではどうしようもない「礼節を知りて」である。護憲(改憲)や9条、立憲主義。法の支配、自由、民主主義、人権、平和云々を持ち出してもどうにもならない。それゆえ、どうしても上述した差別と排除のバリア関係をつくり出すことのない、あるいはできるだけそうしたバリア関係を防げる「礼節を知りて」とその「礼節」を構想しなければならない。これについては、以前の記事でも指摘したとおりである。
 営業の自由、通商の自由、私的財産権の自由の礼節は、そのままの形では使えない。たとえ「公共の福祉」云々の文言が入っていたとしても、使えない。しかし、そうはいっても、覇権システムと戦うことは到底無理なことである。さらに、資本主義システム、民主主義システムの問題点を私のようにことさら持ち上げて批判、非難してみても、先進諸国に暮らすものにはほとんど奇人変人の戯言としてあしらわれるだけだろう。
 それゆえ、普遍主義とは異なる次元の「礼節を知りて」を構想しながら、同時に私のモデルのセカイと、すなわちシステムとその自己完結運動の歩みと、向き合いながら少しでもその歩みを今とは別の歩みに導ける、そうした「礼節を知りて」と礼節を求めていく必要がある、と私は確信している。それと同時に、この作業は死ぬまでには到底、片付くものではないことも、痛感する次第である。私は、この作業の必要性にずっと以前に気が付きながら、いろいろな理屈をつけては避けていた。どうにもならない厄介さが付きまとい、下手にかかわると、堂々巡りの連続で終わりかねないし、挫折するのが容易にわかっていたからである。ところが、中途視覚障碍者の境遇になって、そんなことを言う暇はなくなったのだ。自分の問題だから、どんなに読者が格好悪く思おうが、頭の悪さを笑おうが、どうでもよくなった。まだ格好つけた論の展開が多いのだが、残された時間を大事に使いたい。

最後の文章のくだりを新たに追加して、また投稿し直したことを断っておきたい。これまでどうも、ありがとう。くれぐれもご自愛を。

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「あちら」と「こちら」(12)

2017-07-22 | 社会 政治
 記事を書くと、やはり目がだいぶ悪くなり、今日の記事投稿でしばらく休みます。おそらく、これ以上書いてもまだ新しい「礼節」をうまく表現できないでしょうから、ちょうどいいタイミングだったと思います。焦っていろいろと自分なりに大事だと思うことを書き留めてきましたので、参考になることがありましたら、もう一度、再考してください。悪い癖で、上から目線で、偉そうな物言いで述べてきましたが、護憲や立憲主義や9条を掲げ訴えるばかりではどうしようもない、システムの歴史段階にきていることだけはご理解してほしいのです。同時に、それは改憲論者にも該当します。CINII論文で検索してください。(「歴史叙述の「神話」に関する一考察」、副題は略)

 途中で終わりますが、また目がよくなれば書きたいと思ってます。のたうち回りながら、これだと信じれるものを考え続けます。ここまでお付き合いしてくれてありがとうございました。


「あちら」と「こちら」(12)
 前回の記事で「発達障害」について政治学上の議論と関係づけて論じたが、今回はもう少し言及してみたい。発達障害とは、健常者の発達過程を基準として、それを物差しとして、障害のない発達とそうでない障害のある発達を論じているが、視覚障碍者の私からすると、なぜ健常者として障害のない発達をしてきた人たちがこんな差別と排除に満ちた道路づくりを繰り返してきたのか、と疑問に思うのだ。
 それこそ私からすれば、相当な発達障害の健常者とされてきた人たちではないか。ここでいう発達はヘーゲルの市民的自由を実現することを人類の最終段階と考える人たちに相当すると見ていいだろうが、そうした最終目標のためには、どうしても私のモデルで描くセカイを必要としたのである。すなわち、差別と排除の人権のバリア関係を当然とした人たちが前提となるのだが、それこそまさに発達障害に該当するのではあるまいか。ところがどうも見方が逆になる。何度も何度も愚かしい戦争や核開発を推進して多くの人間を殺戮し続ける世の権力者を「障害」のあるものとして俎上に載せて論じることができないのはなぜなのか。それこそおかしな社会ではあるまいか。なぜ、私たちは彼らの論理に合わせて生きなければならないのか。どうして、私たちは彼らが推奨し、押し付けてくる普遍主義に対して、それはおかしい、と反駁できないままにきたのだろうか。

 私が気になるのは、「正しい軌道」と「発達障害」の専門用語には、異なる専門にもかかわらず、それらの用語を生み出す共通した一つの空間が存在しており、そこで私たちが生きている、生活しているのではないか、ということである正しい」と「障害」」「きどうと「発達」は偶然につくられた用語ではないのではないか。
 発達障害の者はどのような社会、いかなる政治体制に暮らすならば幸せなのか。おそらく「正しい軌道」をたどるとされる民主主義社会、民主主義体制は、かなりしんどい、きついのではあるまいか。というのも、「正しい軌道」からそれた発達、発展の障害があると診断されているから、そうした障害を抱える人や軌道か外れた国を基準として、(つまりそうした人や国の側に身を置いて)考えていないからである。

 こうした観点から、「大西洋憲章」の当事者であるW・チャーチルとF・ルーズベルトと彼らの母国(覇権国)を見直したならば、それはまるで異なった景色として映るのではないか。さらに、今日の北朝鮮の抱える深刻な問題を、北朝鮮側に自分を位置付けて見直すならば、そこから南北分断の歴史、日本の朝鮮侵略の歴史、欧米列強による暴力的な日本開国と不平等条約締結に至る不条理な歴史が見えてくるのではないか。もちろん、これまでの左翼的、右翼的な歴史教育と歴史観に依拠するとき、そのようには見えないのは確かなことだが。

 

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「あちら」と「こちら」(11)

2017-07-22 | 社会 政治
「あちら」と「こちら」(11)
 これまで私は何度となく「社会的受苦者」という言葉を使ってきたが、そのような存在はいまだかつて、この世には存在していない。なぜななら、受苦者の連帯がいまだできtりないところに、社会は存在しないではないか。受苦者とか弱者が一堂に会して、お互いの異なる存在を相互に確認して、お互いの間にある差別と排除の人権のバリア関係の存在を確認しあって、それにどのように向き合うかの総会なり集会が実現することで、初めて社会的な存在としての受苦者なり弱者のアイデンティティが確立すると、私は考えている。
 以前に「バリア・フリーの会(党)」を提唱したのはこうした事情による。それを考えたときに、私たちの教えられてきた普遍主義による社会的弱者の位置づけは、システムのあちらのセカイにとって、何ら脅威としてとらえられるものではなかったのである。というのも、健常者を単位としてそこからどれだけ距離があるかで障碍者の存在が位置付けられていく。障碍者には等級が1級から6級まであるのに、健常者には存在していない。なにかこうした関係は政治体制論の民主主義体制と非民主主義体制の区分に似ている思考の在り方を感じてしまう。付言すれば、発達障害tぴう用語もまたおかしな表現だ。どこかヘーゲルのセカイ精神の歩みに似た見方である。何をもって発達とするのか。政治学の民主主義理論の考え方に、戦後日本の民主主義を論じた会議で、「正しい軌道」としての「民主主義」の見方が提唱されていた。もともと、ノーマルな発展とか、アブ・ノーマルな発展に関して、ヒトラーのナチズム体制の実現に至るドイツ紙についての論争があったが、個の発展を発達に置き換えてみれば、健常者と障碍者の関係に関する話は、政治体制論の民主主義体制、権威主義体制、全体主義体制の議論とも密接に関係してくるのである。比較の軸が最初から、健常者に、民主主義体制に置かれて、そこから議論が始まる。もし視覚障碍者がもっと自由に社会参加できるような、道路の在り方を基本として、そこから障碍者の人権を基本としながら、健常者の話と関係づけるなら、私たちの社会の在り方に関する見方成り見解は、従来とは一変したものとなるのは必至である。そうなれば、社会はもっと住みよくなるだろう。健常者でも、障碍者に近い人はたくさんいるはずなのに、等級をつけない。あるのは、要介護の軟球とかである。
 何かがおかしいと感じるのだが、すべて等級づけられない健常者としての存在を基準とするから、健常者でも力のある有利なものが基準となっていくのがわかる。これも福沢の文明ー半開ー野蛮の構図に似ていないか。その文明の頂点に覇権国とか超大国が位置している。そうした諸国を中心につくられる世界のルールが普遍主義であることから、「みんな自由だよ。ただある者は他の者よりも、もっと自由だよ(換言すれば、もっと不自由な状態だが、自由だよ、を意味していないか。)」の関係ができてくる。その自由を、力、能力、人権、民主主義、平和に置き換えて考えたらいい。「みんな平和な社会に生きているよ(生きられるよ)。ただし、ある者は他の者よりも、もっと平和な社会に生きている、生きられているよ。」、と。


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「あちら」と「こちら」(10)

2017-07-22 | 社会 政治
「あちら」と「こちら」(10)

 「礼節を知りて」→「衣食足る」の営為を目指す動きはあちらではどうなのか。ここでいう「礼節をしる」は、少しややこしくなるが、いわゆる経済発展と民主主義の発展の関係に呼応して述べてきた自由、民主主義、人権、平和の普遍主義に該当する、「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の礼節とは異なる。私はあちらを、先の{[衣食足りて(足りて)→礼節を知る(知らず)]}の図式の関係で描くセカイとして理解しているが、既存の宗教を「礼節を知りて」の「礼節」と考えたとき、その「衣食足りて」の営為は、あちらの{[衣食足りて(足りず)→「礼節を知る(知らず)]}の[衣食足りて(足りず)」を前提とする、矛盾しない、あるいは、それに依拠しているのがほとんどではないか。そうする中で、礼節を知りての営為もあちらのそれ(普遍主義)に毒されてしまうのではないか。
 そうした懸念は最初から付きまとう。ある面当然なことだ。なぜなら、あちらの世界を前提としながら、その世界の中から、「礼節を知りて」の営為の運動は創造されるからである。あちら側との妥協とも思われる動きも多々起こるのも仕方がないだろう。それでも、「礼節を知りて」の礼節が支持を広めていくのは、あちらの礼節である普遍主義よりも魅力があったからに違いない。と同時に、あちらの「衣食足りて(足りず)」の営為に与る利害関係者と衝突しなかったからではあるまいか。むしろ彼らの協力と支持を求めていったのではあるまいか。もっと踏み込んでいえば、「礼節を知りて」の礼節としての宗教は「衣食足る」の営為に関してははっきりとしたモデルを示してはいなかったのではあるまいか。その意味では、私にとって龍泉寺での体験は、ほんの短い滞在にもかかわらず、自給自足の日々の実践の生き方がまさに「衣食足る」の好例を示していたと、今さらながらも再確認する次第である。
 やはり、「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係は一対の関係として位置することを踏まえれば、「礼節を知りて(知らず)衣食足る(足りず)」の営為の関係もそのように位置したものと理解したいし、そうであれば、前者に対応する後者の在り方も重要になるのではないか。そのことを何十年も頭で考えていた私に、龍泉寺の生き方がとても刺激的だったのだ。
 すぐ上で述べた「礼節を知りて(知らず)衣食足る(足りず)」の営為の関係は、「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係にある礼節や衣食とはその中身、内容を異にする。例えば、分かち合いの精神とか共生の心を礼節とするとき、それに呼応する衣食足るは、「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係を示す衣食と矛盾しない、いやむしろそれを前提とする見方や考え方をとる論者が多いのだが、私はそうした見方、考え方では私のモデルのあちらのセカイとその歩みに対して有効な歯止めとはならないと理解している。それどころか、逆に、あちらのセカイとその歩みを補強、補完する役割を担うとみている。というのも、分かち合いや共生を説く論者のほとんどが、自由、民主主義、人権、平和といった普遍主義を熱烈に支持し擁護する立場に位置しているからに他ならない。彼らのほとんどは護憲派ないし9条論者であるか、そうした立場を代表する論を展開している。
 こんな言い方をすれば、それこそ身も蓋もないのを承知でいうが、いわゆる知識人の多くはある程度の社会的地位や身分が保障され、食べることも、たとえ十分ではないとしても今日や明日のひもじさを感じることもおびえることもないから、やはり心底のたうち回って、私がここにずっと展開している「礼節を知りて衣食足る」の営為を実現可能とする礼節や衣食足るに関しての突っ込んだ考察には至らないのだ。礼節に関しては、あちらを支えてきた普遍主義の礼節を、理念として神棚に祭り上げたままで、そのなにがしかの問題を取り上げるのがせいぜいで、その普遍主義それ自体っを何か別の礼節に置き換えるといったことは最初から考えないだろうし、ましてや衣食足るに関しては、とてもじゃないが見向きもしないだろう。
 それはまさに、昨日の私である。もっとも、私は普遍主義の抱える問題点と、普遍主義をいくら守っても、それはシステムがつくり出した理念であることから、システムとその自己完結運動を支える道具としての役割しか担えないことから、私がモデルで描いたセカイ、つまり1970年代まではA、B、C、の、1970年代以降からはB、C、Aの関係から成るセカイをつくり出し、Aに位置する先進国では今日の格差問題に示されるように、「衣食足りず→礼節を知らず」にあらわされる状態に、おかれ続けることとなると論じてきた。
 何度も私は述べてきたのだ。すなわち、先進国のAに位置する人たちは1970年代までは民主主義の発展の高度化の恩恵に与り、分厚い中間層の形成の下で高度な福祉社会に暮らせる可能性も高い状態にあったが、70年代以降は、逆に分厚い中間層が解体され民主主義の発展における低度化の状態に長期にわたり甘んじることを述べてきた。その理由は、私たちがシステムの中に組み込まれて生きてきたということ、システムが提供する自由、民主主義、人権、平和(法の支配、立憲主義)の普遍主義を教化され、守ることを強いられ続けてきたということを論究してきた。
 その意味では、日本において、システムが提供した憲法を守るということは、70年代以前は先進国に仲間入りした日本には好都合ではあったが、今日では民主主義の低度化を推進することに貢献するだけで、中間層の解体を防ぐことも、生活困窮者を守ることもできないということも強調してきた。そうした観点から、普遍主義や護憲を語る論者の見解を批判的に考察してきた。それは確かにそうだったが、それではどうしたら生活困窮者を守れるのか、社会的受苦者の苦しみを軽減するには何が必要か党の問題には答えることなく、システムの中で生き続ける限りどうしようもないと語る一方で、システムを維持、支える護憲派の標榜する普遍主義の問題点だけを強調してきたのだ。
 私もその点では全く同じだった。それが白杖を手に交通量の激しい国道の交差点の信号機のある道路を横断する途中で、初めて少し感じることができたのだ。声をあげれない、訴えてもどうにもならない、わかってもらえない人生をいやというほど送らざるを得ない境遇にある人たちの存在というか姿が。彼らが私の書いてきた論考を見たらどうおもうのか。それを考えた途端、急に恥ずかしくなった。私は何と一体、格闘してきたのかと。おそらく普遍主義の問題や、護憲派や9条論者の見解の問題点を、ハーバーマスや丸山眞がどうしたとか、あの論者や研究者の見解はここが問題であり、システムの立場を補強するものでしかないと、切り捨てる議論を繰り返してきたが、それで結局何がわかったのか。何か建設的な話ができるようになったのか、と自問自答しながら、自分に腹が立ってきたのだ。
 私が格闘しなければならない問題は、そこから先のことなのに、お前もやはり他人事みたいにシステムを、その歩みを見てきた、観察してきただけだったのではないか。そうした自責の念が、「礼節を知りて衣食足る」の営為の在り方を思案させるのだ。

 こうしたことを考えていくとき、どうしても次のような問いかけと向き合わざるを得ない。すなわち、受苦者が彼らの周りに助けを求める際、何を根拠として、(つまり助けてもらうのが当然と誰にも理解できる理由、理屈である。)求めるのか。また助けに応じるものは、逆に何を根拠としてその助けに応じるのか。賢治の「雨にも負けず」にも困っている人があれば助けに行くとあるが、それは何を根拠としているのか。
 困っている人を助けるのに理由などいらないとよく聞くのだが、私はそれをずっと求めてきた。助けを求める人と助ける人の理由が同じかそれに近ければ、素晴らしいだろう。ただし、その際、人権がどうの云々の理由ではないものならばもっといい。また分かち合いとか共生が大事というのも理由にしたくない。なぜ分かち合い七日、共生なのか、やはりここでも理由がいる。その際、憲法とか、人権とか、社会福祉云々をその根拠にしたくない。理由は、すでに何度も論述したように、システムの存在である。私のモデルで描くセカイの存在である。「平和な民主主義」社会の実現のために、いったいどうして私たちは「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウを当然とする仕組みの中で生きなければならないのか。そんな平和や民主主義、人権はやはりおかしいではないか。

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「あちら」と「こちら」(9)

2017-07-20 | 社会 政治
「あちら」と「こちら」(9)

 最初に少し付言しておきたい。護憲派や9条の会の悪口を話しているのではない。むしろ、彼らに署名をもらいながら、ありがたさを痛感した。彼らも一枚岩ではないが、今よりも少しでも現状をましな世の中にしたい、今よりも悪くしたくないとの思いや運動上の方向性において、共闘しているのだ。それは悪くはないし大事なことだ。それを断った上で、今後ますます護憲や9条の思想や運動が風化していくことを視野に入れれば、やはりこれまでとは異なる理念、思想とその運動の在り方を提示しておく、受け皿を用意しておくことが大事ではないだろうか。

 私はこの点に関してはM・ヴェーバーのプロテスタントの理念とその理念が現実の形となって体現されたされた資本主義との関係に関する仮説を参考にしたいと考えている。つまり、こちらの理念、思想を提示すると同時に、それが現実に形となって眼前に確認できる衣食住のネットワークをつくり出すことが、こちらの共同体の形成に不可欠だと考えてきたし、やっとこれしかもうないだろうと思うのだ。
 今から数年前に中国北京の龍泉寺でのほんの短い間の体験が、私にこれまでの考えを再確認させることとなった。それにもかかわらず、私がやっとこのようなブログの記事で、改めて問いたいと、熱に浮かされたように書き留めておきたいと私の気持ちを奮い起こしたのは、中途視覚障碍者としての路上での白杖訓練と、少しでもまだ見えるうちにとの切迫感だった。文章の見直しや語句の手直しはしていない、その時間を別の者に回したかった。
 
 ここで龍泉寺での日本語ボランティアに従事している人の集まりで話す機会がありそのために準備した原稿を一部削除した形で紹介しておきたい。
      
〈はじめに〉

 私は昨年、中国人の大学院生のお手伝いをさせてもらいました。それは、中国語で書かれた「仏陀の説いた教えの意」と位置づけられる仏教を、日本語に翻訳するというものでした。正確に言いますと、その院生の日本語訳の確認作業です。私はそのときに、もし翻訳がうまければそれを元に伝わる、理解できる中身も自然と多くなるのに対して、逆にまずければそれだけ理解する内容も乏しくなるということを確認したしだいであります。と同時に、そもそも、「仏教」として理解されてきた、仏陀の説いた教えは、長い年月を経ながら「翻訳」されてきたということに気がつきました。

 私は宗教に関してはあまり知りませんが、『広辞苑』によれば、仏教とは、「四諦の真理に目覚め、八正道(はつしょうどう)の実践を行うことによって、苦悩から解放されて涅槃の境地を目指す」とあります。

 こうした仏教の「苦悩から解放されて涅槃の境地を目指す」修行は、同時にまた魂の修行と重なるのではないか、と私は考えるのです。よく日本で聞いていたことの一つに、人は魂の修行をするために、この世に生を受けるというのがありました。この場合においても、その魂の中身をうまく「翻訳」できる人と、そうでない人との生き方の違いは、やはり歴然としているのではありませんか。

 その意味では、前者は、後者と比較したとき、涅槃の境地を目指す修行が、少しは容易になるのではないかと思うのです。魂の側から見ますと、どのような人間が魂を受け取り、その修行を引き受けるのかは、大事になるのではありませんか。つまり上手(じょうず)に魂のありようを翻訳してくれないときには、魂は訳者が悪いと愚痴(ぐち)をいうかもしれません


〈魂の修行と研究者としての修行〉

 ここで少し私の悩みを聞いてください。すぐ上で触れましたが、人生はある種の修行だとよくいわれますね。この世に生を受けた人は「魂」の「翻訳」を介して、固有名詞をもつ「日本人」となり、「村田邦夫」となるのではないかと思うのです。

 決して目には見えない、しかしながら、なぜか感じることのできる、気づくことが可能な魂の修行をしながら、目に見える各人の仕事における修行に従事しているのではありませんか。齢(よわい)を重ねるごとに、このように私は思うようになってきました。私の周りを見ても、そのように感じている人が多いのではないかと思うのです。

 正直なところ、私は40代を過ぎてから、次第に自分自身に対して、むなしさを感じるようになりました。自分の生き方が「嘘」だと感じ、またいつしかそれを自覚し始めるに至ったからです。その意味では、私がこの世で生きている間に引き受けた魂の良い翻訳者となる可能性が出てきたといえるかもしれません。

 不思議なものですね。それこそ「運」に恵まれて、大学に職を得て、生活も浪人時代とは違い、安定して家庭も平穏さを少しは保てるようになったのに、ですよ。そこには、私が自分の研究において、「真理」らしきものに、目覚めたことが関(かか)わっています。行論(こうろん)の都合上、ここで少しだけ私の研究を紹介させてください。

〈気づくからこそ、悩みもまた深まる〉

 私はこれまで自由とか人権とか民主主義とか、平和といった「普遍主義」に関する研究を一貫して行ってきました。ごく簡単に申しますと、「衣食足りて礼節を知る」との一説があります。これを導きの糸としまして、先の自由、人権、民主主義、平和といった理念や価値の次元で語られてきた普遍主義なるものが、それではどのような私たちの衣・食・住のネットワークの下で、実現するのだろうかについて考えるとき、まさに「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係の歩みが浮かび上がってきたのです。

 付言すれば、プロテスタントの宗教倫理と資本主義の勃興とを結びつけて壮大な仮説を展開した、かのM・ウ”エーバーは、「礼節を知る」ことにより「衣食足りて」の状態が導かれたと考えたのですね。つまり魂の救済に「成功」したことが、資本主義の勃興につながったと。もとよりこうした観点からだけではその勃興を説明することはできませんが、とにかく宗教と資本主義の関係に焦点を絞り込んでみたときに、こうした仮説が成立すると主張したのです。

 ところで、ここでいう普遍主義が、つまり自由、人権、民主主義、平和が礼節に該当しています。それでは、その礼節を知るための「衣食足りて」の営みというか、営為はどのようにして実現されるのでしょうか。あるいは実現されてきたのでしょうか。

 その営為は、これまでの私の研究からすれば、誰かが衣食足りての営為を実現するとき、別の誰かが衣食足りずの営為に甘んじることを余儀なくされると同時に、そこで実現される礼節も、その礼節を知る営為のためには必ず別の誰かが礼節を知らずの営為を引き受けざるを得なくなるという関係を前提としているということです。この誰かは、当然ながら、個人、集団、共同体(国家)に、それぞれ該当します。私はその各々を構成していますので、私自身も、自由、人権、民主主義、平和といった普遍主義の実現が何よりも大事だなんて、偉そうに世間様に向かってのたまうとしたら、それこそ天に唾することではありませんか。


〈それを「煩悩」とは呼びたくはないのだが〉

 ここで、私の話を魂の修行と結び付けて、もう少し述べますと、私が私の引き受けた魂の修行をする際、他の誰かの魂の修行と相互に関係しているということです。単刀直入にいえば、私の魂が救済されるためには、誰かの魂が救済されなくなるという関係があるのではないか、と私は考えるのです。おわかりのように、「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の中に、とくに「礼節を知る(知らず)」の営為の中に、魂の修行(救済)をもし含んだ場合の話をしています。多くの場合は、この逆ですね。しかしながら、私はどうしても、世俗的な生き方を前提としながら魂の救済についてぎりぎりまで結び付けて考えたいのです。

 こうした「差別」と「排除」の関係からぬけ出す、つまり「解脱(げだつ)」するには、それではどうすればいいのでしょうか。平凡な言い方になりますが、この世に生きる者同士が分かち合いながら生きていくことが何より重要だということになります。個人の魂の救済ではなく、あくまでもその個人が関係を結ぶ多くの諸個人同士の、諸個人全体の魂の救済が求められなければなりません。それを可能とする「衣食足りて礼節を知る」営為とはどのようなものであり、またどのようにすれば実現可能となるのか、それを見つけなければなりません。

 結論を先取りして言いますと、すぐ上で述べたように「見つけなければなりません」と一方で言いながら、他方では、20年間近く従来どおりの生き方にとどまり続けている私自身の姿に正直疲れているのです。どうすればいいのだろうかと思案してきましたが、私には容易なことではありませんでした。こうすればいい、ああすればと、頭で描くことはできたとしても、いざ具体的に現実の世界の中でやろうとするとき、不安に襲われ、躊躇してしまうのですね。

 結局のところ、偉そうなことを言いながら、何も前に進まないままにこの歳になってしまったのですね。

 それができないから困ってしまうのです。そうした中で、自責の念にさいなまれながら、嘘に嘘を重ねてここまで生きてきたというのが正直なところですか。

〈それを「我欲」に「執着」していると言い切れるのだろうか〉

 それでは、なぜできないのかと自問自答すると、妻に、子供に大きな迷惑をかけてしまう。あまりにも無責任な態度ではないか。いろいろと考えるのですが、それをしようとするとき一番困るのは、妻や子供というよりもこの私自身だということですね。
 身動きが取れないのは私自身がそうさせているのです。分かち合うということは、私のものを別の誰かに与えるということになります。奪われるということになります。裏切られるかもしれないといった、他人を信じられない、私自身も信じきれない、そんな私がそこには見え隠れしているのですね。

 躊躇して身動きが取れなくなる一番の理由は、やはりこれまでとは異なる新しい生き方を実践するには、たとえば志を同じくする者たちが集う、分かち合いの精神に依拠した「共同体」を創造するには相当なエネルギーが必要となります。そうした共同体を組織するお金から、食べるものをどのようにして調達するかに始まり、多種多様の活動が求められますから、その際、私自身の仕事ができなくなることが容易に想像されます。

 もちろん、これも言い訳です。怠惰な人間の物言いに他なりません。しかしながら、それにもかかわらず、何とかしなければと心を痛めてきたのも事実なのです。

 厳しい現実の中で、自分を守ることさえままならなくなっている今の世界で、どうやって分かち合うことができるのでしょうか。小さな人間集団ならともかく、世界を見渡すとき、それは何か絶望的とも思われるのです。小さな集団でも、たとえば家族にあっても、家庭崩壊と呼ばれる状況が先進国では深刻化しています。

〈終わりに〉

 こうした現状を鑑みるとき、私にはこれといった妙案はありませんが、上述しましたように、私はいま一度、M・ウ"ェーバーの顰(ひそみ)に倣(なら)って、、「礼節を知りて、衣食足る」を再考する必要があるのではないかといいたいのです。「衣食足りて礼節を知る」の営為を前提とするとき、魂の救済は難しいのではないかと私は感じるようになりました。もちろん、たとえ「礼節を知りて衣食足る」の新たなる営為に従事するとしても、そうした試みは、この世界の超大国(覇権国)や中心国とそこで事業を展開している多国籍企業が率先垂範して実現しようと試みている「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係から構成される仕組み(構造)を前提としていますから、相当にその実践は困難を極めるだろうことは必至です。

 こうした仕組みの中で生き続ける限りは、キリスト教であれ、イスラム教であれ、また仏教であっても、魂の救済は容易ではない、と私は感じています。それを踏まえながらも、それにもかかわらず、魂の救済を第一義的として位置づける人たちが集(つど)うことによって、そうした「礼節を知る」集団が〈指導〉する「衣食足る」営為を構想し、実践していくことは21世紀の世界ではますますその重要性を高めると私は考えるのです。その場合の「衣食足る」の営為は、「足るを知る」つまり「知足」と結びつく営為であり、従来のそれとは異なるものであります。そうすることによって、より多くの魂の救済が可能となるのではないかと思うのです。

 北京の龍泉寺の活動はまさにそうした一つの試みではないでしょうか。仏陀の教えを、多くの言語に翻訳することにより、魂の救済に目覚める人々を輩出することは、そこから先の「礼節を知り衣食足る」の営為の実現に向けての第一歩となるに違いありません。私はそう信じています。皆様、ご清聴ありがとうございました。

 この集会での話を、音声ソフトで何度も聞くうちに、私はまたあることを思い出した。大変に厳しい修行であり、誰でも簡単にできることではない。ある意味では鉄の規律を備えた軍隊組織にも似ている。(ここは少し補足しておく。軍隊組織ではもちろんない。自発的組織でお互いが寛容の精神に富み尊敬しあい、目標、目的に向かって強固な団結を保持している。そういう組織を表現するとすれば、やはり誤解を与えることを承知で、ある意味で軍隊組織の形容がふさわしいと考えた。逆に言えば、自発的な各人の意思にゆだねながらも、これほど統率のとれた平和部隊は他に見られない、と私は感じた次第である。)おそらくこういうと、やはりあちらの方がはるかにいいと考える人も多いかもしれないが、もし時間があれば、ぜひ一度龍泉寺を訪れてほしい、そこで自給自足の生活をする中で、逆にあちらの世界のシステムの「格子なき牢獄」の住みにくさ、息苦しさも痛感するに違いない。私は龍泉寺での早朝の最後のお勤めをさぼった身としてとてもじゃないが偉そうに言う資格はないが、それでも、どこにも居場所を見つけられないでもがき苦しんでいる者には、救いの場所となるに違いない。

今回の投稿で、ひとまず言わんとする話は不十分ながらも、とにかくできたことで、少しほっとしている。目の調子と折り合いをつけながら、また書くけるときに書いていこうと思っている。我慢しないといけないのに、これも性格なのだろう。




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