私の語る「システム」論から、来たる東京都知事選挙をあれこれ想像するとき(続・続)ー「日本」と「日本人」は今もなお「自滅」へと誘う道を歩み続けている。これこそ〈脅威〉以外の何物でもなかろう!
(最初に一言)
今回記事も、前回の内容に関して、あれやこれやと補足しながら書き進めていきたい。
今回記事での私の強調点は以下のとおりである。すなわち、日本と日本人は、世界に向かって覇権システムとそれを維持し発展させることに貢献してきた日米関係の、さらには「システム」の抱え続けてきた問題点というか宿痾を告発することが重要だということである。それこそが、あの戦争における広島・長崎への二度にわたる核攻撃の悲劇を体験した日本に生きる者の定めである、と私は思うのだ。すなわち、覇権システムとその親分である米国との関係における子分としての従属関係に苦しめられている、つまりはイジメられてきた体験史を、素直に勇気を出して訴える役割を引き受けるべきということである。(こうした私の主張を『21世紀の孫子の兵法』にまとめて近いうちに上梓したい、と考えている。なお、以前のブログ記事でも、「21世紀の孫子の兵法」の必要性について述べているので、もしよければ、目を通してほしい。)
さて、そうした関連から言えば、かつての民主党政権下の鳩山由紀夫氏は、自ら日本国と日本国民を代表するリーダーとしての役割を自覚して、世界の人々に向かって在沖米軍基地の「国外へ、最低でも県外へ」のスローガンの下に、戦後から続いてきた日米関係に見いだされる「イジメの構造」を告発していたのである。それをあろうことか、私たち国民は愚かにも裏切るような破廉恥な所業でもって封殺・抹殺してしまった、と私はみている。日本の保守政党は、こうしたイジメの構造には目を伏せながら、自らも米国のイジメに加担することによって、日本と日本人がつくり上げてきた伝統と文化に泥を塗り続けてきたと言うしかあるまい。さらに、米国と一丸となって、世界の貧しき力のない弱者に対する加害行為を、自由や民主主義、人権、法の支配、平和といったいわゆる英・米・仏の市民革命に由来する普遍的価値を世界中に浸透させる普遍主義の歩みに手を貸すことで、ますます世界の不安定化と不平等化を進めていったのだ。
こうした私のような歴史観を共有する人はごくごく少数の存在なのではあるまいか。欧米の研究に端を発した「歴史叙述の神話」を何の疑いもなく受容してきた日本国民の多くは、おそらく私のここまでの話に背を向けるのではあるまいか。以前の鳩山氏にそうであったように。私たちの戦後史は、日米関係の歩みをこうしたイジメの関係から捉え直すどころか、むしろそんな歴史を正当化・合法化するような生き方であったと言うしかあるまい。こんな私のここまでの話に真面目に向き合いながら目を通すことのできた読者がどれほどいるのか、それは私にはわからないものの、戦後の日本社会での日米関係とそれによって保障されてきた日本国憲法の浸透力を鑑みるとき、私のような主張はほとんど説得力を持たないに違いない。そのように自覚するからこそ、終活の中で私は最後の遠吠えを発しているのだ。
そんな中での自公政権の「政治とカネ」を巡る、それこそ「自滅」と言ってよいほどの最近の補選での連敗と、それにもかかわらず、なお国民に占める自民党支持者の潜在力と、それに対する野党?支持者の伸び悩みというか停滞・低迷の様は、一体何を物語っているのだろうか。前回記事で紹介した静岡県知事選挙でのNHKによる出口調査の結果にも示されていたように、私たち国民の政党支持態度はほとんど変化していないのだ。と同時に、私たち国民の「政治」に対する態度も、まったくと言ってよいほどに変わらない、視野狭窄の状態に置かれたままなのだ。ここで、前回記事で引用貼り付けた「阿修羅」の出口調査のあるくだりを、念のためにもう一度紹介しておきたい。
―ーー引用貼り付け、始め
【支持政党別】
出口調査ではふだん支持している政党について尋ねました。
それによりますと、自民党が32%、立憲民主党が11%、日本維新の会が4%、、公明党が3%、共産党が3%、国民民主党が2%、れいわ新選組が2%などでした。
また、特に支持している政党はない、いわゆる無党派層は42%でした。
ーー中略ーー
【期待する政策】
出口調査では新しい知事に最も期待する政策について尋ねました。
それによりますと「経済対策」が31%で最も多く、次いで、「医療・福祉政策」が21%、「子ども・教育政策」が19%、「リニア中央新幹線への対応」が13%、「災害対策」が9%、「人口減少対策」が8%でした。
ーーー引用貼り付け、終わり
以上の出口調査のくだりからもうかがい知れるように、ほとんど何も変わっていないのだ。とくにーー【期待する政策】出口調査では新しい知事に最も期待する政策について尋ねました。それによりますと「経済対策」が31%で最も多く、次いで、「医療・福祉政策」が21%、「子ども・教育政策」が19%、「リニア中央新幹線への対応」が13%、「災害対策」が9%、「人口減少対策」が8%でした。ーーのくだりは、私たち国民が一般的に示す態度であろう。
だが、もし経済対策、医療・福祉対策、さらに子供の教育等の問題をいまの日本社会の中で実行力のある政策にするためには、どうしても日米関係や覇権システム、さらには私の語る「システム」の抱える問題と結び付けて考察することを迫られるはずだ。たとえば、円安や物価や雇用問題は、日本社会に視野を限定してもどうしようもない問題であろう。日本の医療や福祉を考えるにしても、米国からの「対日要望書」というか強引な横やり的「支配―従属」関係の問題を抜きにしては語れない問題だ。ところが、それらの対外的関係が国内関係と結び付けられないままでの政策云々の話に終始したままなのだ。
こんなことの繰り返しを、私たちは嫌になるほど何十年も傍観してきたのである。これに関連して思い出されるのは、インドがイギリスの植民地であった時に、インドが「本国費」という名目でイギリスに差し出すことを強要されていた巨額のおカネだ。インドの人々が稼いだ血と汗の滲んだおカネだ。それによって、イギリスの国家と国民は、まさにはかり知れない恩恵を得ていたのだ。もしこれがインドとインドの人々のために使われていたら、インドの貧しさは軽減されたかもしれない。もっとも、これまた難しい問題なので、この先のややこしくなるような話の展開は避けることにした次第。悪しからず。少しだけ付言すれば、自己決定権の獲得とその実現を巡る云々の差別と排除の人間関係は、インド国内にも当然色濃く反映されていることから、分配問題も、それに従うのは必至であるから。
今の日本と米国の関係を見るとき、私にはこの本国費に類似した日本に暮らす人々が稼いだおカネが、米国に吸い上げられているように、思われて仕方がないのだ。私は戦後の日本と米国との関係においても、このような本国費に譬えられる巨額なおカネが、米国と米国民に支払われ続けてきたとみている。今の日本の財政状態や国民の懐状態を考慮したとき、この種の「構造的圧力」に対抗・対処できる根本的政策を提示しない限り、日本国内の経済や医療や福祉や教育等の先の諸問題への対応策など、有名無実ではあるまいか。ここには、政治家や政党が日本国民に対して本当の政治を語らないままに、表面的なその場しのぎの政治を論じてきたツケが重くのしかかっているのではあるまいか。
そうした問題を考えれば考えるほどに、そこにも、私たち国民が圧倒的な力を持った親分の米国とのイジメの関係におかれていることをうかがい知れるはずだ。誰も、それをイジメの関係などと叫ぶような「愚か者」は出てこなかったのだ。そんな時に鳩山氏が登場したということだ。彼は見事に「王様は裸だ」云々よろしく、日本と日本国民のイジメられたありのままの姿を直視しながら、それに異議申し立てをしたのだ。こうした観点から今の日本の政治家や政党を見渡すとき、ほとんど期待できるものが見当たらないのだ。
立憲は、ご冗談でしょう。自民党や公明党は、もう何をかいわんやでしょう。それでは日本保守党は?、これまた米国ヨイショのままで、何を保守するのですか。保守するどころか、日米関係をさらに革新させていきたいのでしょうね。共産党は、今こそ出番なのに、まったく勢いが出てこない。彼らの共産主義はいつの間にか自由と民主主義を標榜する自民党の自由民主主義にすり替えられてしまったのでしょうかね。同床異夢の両党であったことが証明されてしまった感。それでは、令和新撰組は、この党の致命的問題は、日本の外交や安全保障問題と真正面から向き合うことを避けたままで、令和新撰組という組織の利権を保守する圧力団体的行動に終始しているのでしょうかね。維新や国民は取り上げるまでもないでしょうかね。ーーーこんな風に私はイメージしているのだ。ただし、維新勢力や国民というか連合の力を軽視することはできないのだが。
そんな中での今回の東京都知事選挙がもうまじかに迫ってきた。その都知事選挙に立憲民主党の蓮舫議員が出馬するとのこと。小池現都知事との事実上の一騎打ちが予想されている。正直なところ、私には面白くも何でもない。このご両人が、もし東京都民に対して、東京電力福島原発事故に対する都民の「加害」責任問題を掲げて、少しでも福島での原発事故後の後遺症を患う人たちに対する物心両面の継続支援の必要性を訴えながら政治を語るのであれば、まだしもなのだが、無論そんなことを争点の一つとして掲げることはしないだろう。またコロナワクチン接種後の後遺症に悩み続ける人々に対する政治の責任を問いかけることもおそらく期待はできないだろう。さらに、東京の空の航行権の自由を、そのための在都米軍基地の返還を米軍から取り戻すための何某かの具体的対応・改善策を提示するのであれば、東京を起点とした日本の政治の可能性と方向性を巡る議論に力強さを与えることにつながるのではないか、と私はみているのだが、勿論そんな流れとはなるまい。
これらの話は、日本と米国との関係が直接的間接的に垣間見られる問題であり、私たちが主権者であろうとする限り、これらの問題から目をそらしてはダメだろうと私はいつも考えることなのだが、もう国民も東京都民も、諦めかけているのではあるまいか。私は与党の自公政権とスクラムを組みながら都政を運営していた小池氏には最初から何かを望むつもりはないのだが、対抗馬の、また野党の蓮舫氏には、やはりダメモトだとしても、少しは期待する。もっとも、これまた無理だとはわかっているのだが。そんな私には、都民であったとしても、ご両人には投票はしない。誰か第2、第3の鳩山氏のような戦う政治家の登場に期待するのみなのだ。それにしても、私たちは―ーーなのだ。
(最後に一言)
もう少し「自滅」云々の話に関して述べてみたい。今回はこの辺で。と言いながら、もう少し。私の終活においても、私の少しの努力によって、自滅の道を辿るか、それを回避できるか、そんな繰り返しの毎日なのだ。散歩や身体を動かすことの大切さを分かりながら、今日はしないで明日にしよう、そして今度は、もう少し後でもいいからと、私の目の不自由さを口実に、先延ばしを繰り返す日々。これが積もり積もって、歩くのもしんどくなってくるから、これは自滅というか自業自得なのだ。以下に普通の暮らしを維持するか。これは弱ってきた者には、もはや普通にはできない相談である。その時に気がつくのだ。この普通とは、20代の頃の、30代、40代―ーー、のそれか、と。昨日の普通の状態を維持するというか取り戻すのでさえ、大変な努力を要する。そしてそれができないままに、さらにその続きとなる。こんなことを、国力やそれを取り戻す云々の話と絡めるとき、さてどんな話となるのだろうか。